ヒマワリの見た海

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作者:花鳥風月
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読了時間目安:33分
「えぇっ、マジで!? 先輩、彼女と別れたんですか!?」

 タマムシシティの下町のお菓子屋さんから、元気のいい女性の声がこぼれるものだから、道行く人々やポケモンがギョッと振り返る。
 正確には、お菓子屋さんの裏にある一軒家__の2階からだ。この店の専属パティシエールのヒマワリは、スマホを片手に自室のベッドで転がっていた。
 ヒマワリの隣でちょこんと座っている1匹のキルリアが、「声デカいよ」と言わんばかりにヒマワリの服の裾を掴む。長年一緒に過ごしているパートナーのキルリアは、ヒマワリが声がよく通ることを分かっていた。

『うん。意見の食い違いでね、カレーを混ぜて食べる人は無理だって言われちゃった』

 スマホのスピーカーからは、低く落ち着いた青年の声。ハリがあるというよりはしおれたアサガオのように小さく、元気のない声色をしていた。昔から声の主のことを知るヒマワリは、傷心状態の彼の気持ちを慮ることを意識しながら言葉を選ぶ。

「まぁ確かに、カレーを混ぜて食べる女子はあんまりわたしの周りではいないけど……でもそんなことがあったんですね」
『やっぱり、カレー混ぜるのってはしたないのかなぁ……』

 まずい、地雷を踏んじゃったかも。自分よりもはるかにナイーブな彼の心が傷ついた。慌てるように、ヒマワリは反射的にがばっと起き上がり、ベッドの上であぐらをかく。

「そんなことないですよ。わたしだって生まれて20数年、カレー混ぜて食べてますから! たまたま彼女さんとは宗派が違っただけだから、気にしないで下さい!」

 スピーカー越しの彼は、黙りこくったままだ。あーあ、やっちゃった。落ち込んじゃったかも。頭をかきながら、ヒマワリはごにょごにょと自信なさげに後付けする。

「いや、気にしないっていう方が難しいのかもしれないけど……」
『ううん。ありがとう、ヒマワリちゃん。話を聞いてくれて、ちょっと楽になったよ』

 本当に先輩は優しいな__ヒマワリはつくづく思った。昔からこんな感じだ。ちょっと一言多いわたしの声も、好意的に捉えてくれる。本当は傷ついているハズなのに、それを隠そうとして優しい声で「ありがとう」って言ってくれる。
 だからついつい、その包容力や優しさに甘えてしまうのだ。後輩としてどうかと思うが。

「わたし、もうすぐ夏休みが取れるんです。まとまった休み取ってホウエンに遊びに行くから、そこで気晴らししましょう!」
『本当? そしたら僕も休みの調整してみるよ。また連絡するね』
「はい、おやすみなさい!」

 今日の通話はこれで終了。静かになったスマホの画面には、『ユウガ先輩』と画面の上部に表示されたトーク画面が残った。ピカチュウが面白い顔をしているスタンプの並び、お互いの仕事の愚痴や好きな音楽の話が残ったチャットの過去ログ。その履歴、実に毎日の分が残っている。
 元々はお隣に住んでいた幼なじみの、2歳年上のユウガ先輩。小学校から高校まで同じで、中学と高校に至っては、一緒に天文部に所属していた。誰にでも優しく、気配りができるけどちょっと抜けている。甘いものが大好きで、ヒマワリの家のお菓子を喜んで食べてくれる。
 
 宇宙飛行士になる夢を叶えるために、大学に上がる時にホウエン地方に行ってしまったのだが。



* * *



【やっと昼休みですよー(涙を流すカオの絵文字)こっちはルルとケーキのツーショットです】
【(フルーツがたっぷり乗ったショートケーキの画像。キルリアがつまみ食いしようとしている)】
【おっ、おいしそう(よだれを垂らすカオの絵文字)】
【(いただきまーす、という柔らかいフォントの文字と共に、ケーキを食べようとするイーブイのスタンプ)】

 こんな感じで、ヒマワリとユウガはほぼ毎日連絡を取り合っていた。ユウガがヒマワリの家のお得意さんであり、ヒマワリの両親にも顔が知られているほどだった。
 故に、ユウガがカントーを離れると知った際には、ヒマワリの両親は大ショックを受けていた。お得意様がいなくなってしまう、おいしそうに食べるユウガくんがいなくなるのは寂しいと。穏やかな性格のユウガは、かわいがられていたのは記憶に新しい。一緒にいる時間が長いせいか、家族のような存在ともいえた。

「ヒマワリ。またユウガくんと連絡取ってるの?」
「うん。作業の合間とか自由時間には、いつも連絡くれるんだ」
「そんなに仲いいんだから、2人とも付き合っちゃえばいいのに!」
「そっ、そんなんじゃないよ! 先輩は彼女がいたんだってば! 最近別れちゃったけど……」

 手が空いたのを見計らい、休憩室に入ってくる母。なんでこう、親は自分の子どもが異性と仲良くしていると、すぐ“そっち”の方向に持って行きたがるのだろう。

「お似合いだと思うけどね。ヒマワリとユウガくん」

 ひらひらと手を振り、母は自宅へと繋がる廊下へと進んでいった。今流行りのアイドルが歌っているチューンを、鼻歌で歌いながら。
 全くもう、お母さんってば。ユウガセンパイは恋愛とかそんなんじゃないのに__ヒマワリは頬をぷくっと膨らます。早いところお弁当を食べなきゃと、冷蔵庫から手早く買い置きのコンビニ弁当を取り出した。まるで、母の言葉を振り払うかのように、ちょっと荒い手つきで。

「ふぇっくしゅん!」



 終業直後のヒマワリは、やけにぐったりしていた。いつもは心地よく感じるヤミカラス達の鳴き声も、今日はガンガン頭に響く。冷房が効いているとはいえ、夏なのにやけに肌寒い。これはおかしい。
 パティシエール用の服から普段着に着替え、ふらふらとした足取りで店の裏にある自宅に戻る。すぐに自室に駆け込み体温計を口に咥えると、ぐんぐん数字が高熱を更新しているではないか。まずった、これは完全に夏風邪だ。

「やらかした……げほっ、げほっ」

 自分の状況の悪さを確かめたヒマワリは、今度は楽になれそうなパジャマに着替える。吸い込まれるようにベッドの中に入ったのだが、布団もシーツもやけにひんやりとしているように感じた。お気に入りのアチャモドールをぎゅっと抱きしめると、安心感に包まれる。具合が悪くても、気休めにはなるだろう。パートナーのキルリアが気を利かせて、水で絞ったタオルをおでこに乗せてくれた。ぐんぐん上がろうとしている熱の波を、せき止めてくれるように。
 横になってぼんやりとしていると、唐突にスマホから鳴る電子音が着信を告げた。スマホはいつも枕元に置いてある__ヒマワリは布団の中から、スマホに手を伸ばす。待ち受け画面の通知バーには、タイムリーな名前が表示されていた。
 ユウガだった。仕事が終わったのだろうか。通話の開始ボタンに指を添わせ、ヒマワリは布団の中からくぐもった声で応答した。

「……もしもし?」
『もしもし、ヒマワリちゃん? なんか声変だけど、どうしたの?』
「げほっ、夏風邪引いちゃったみたいです。昼間は元気だったんですけど、夕方から急に具合悪くなって……」
『えっ、ごめん! 具合悪いのに電話しちゃって! 熱もあるの?』
「38度の中間あたりでした。でもまぁ、適当に寝てれば治ると思います__」
『だーめ! ちゃんとあったかくして病院行って!』

 なんというか、ユウガはオカンタイプだとヒマワリは思っている。学生時代から、こんな感じで具合が悪い人がいるといつも気にかけてくれるのだ。ケガをした子には、絆創膏もくれてたっけ。
 でも、心配してくれるというのは、不謹慎ではあるがありがたい。

「……分かりました、ちゃんと病院行きますから。先輩も身体には気を付けて下さいね?」
『ありがとう、気を付けるよ。ヒマワリちゃんも早く元気になって、お大事にね』

 手短に今日の連絡タイムは終わった。
 具合が悪いときは、誰かと話していると気が紛れると誰かが言っていたが、本当にその通りだ。ユウガから言われた「お大事に」という言葉が、ヒマワリの全身を駆け巡るようにエコーする。この優しい声は、何度聞いてもクセになるものだ。
 
(ユウガ先輩、すぐわたしの声が変だってよく気付いたな。しばらく直接会ってないから、分からないものだと思ってたのに)

 このことに気付いた途端、ヒマワリの胸の鼓動が早まり、顔がかぁっと熱くなった。
 それって、よっぽど先輩がわたしのこと見てくれてるってこと? 過ごした時間が長いとはいえ、会わない時間も増えたのに、分かるなんて……。

(やめやめ!)

 がばっ、と布団を被り、ヒマワリは大人しく静養することにした。布団越しから、キルリアがぽんぽん、と撫でてくれる温もりを感じながら。
 


* * *



 1週間足らずですっかり元気になったヒマワリは、ホウエン旅行の段取りを決めるためにユウガに連絡を取っていた。
 2泊3日の大旅行。飛行機でトクサネまでたどり着くという段取りだ。宿は予約サイトの中でも、最も評価が高い場所を予約済み。ユウガとは、トクサネ空港で落ち合うことになった。

『僕、トロピウスをゲットしているんだ。『そらをとぶ』を覚えさせているから、空中散歩すれば交通費は浮くし、ホウエン本土の方にも行けるよ』
「ほえ~」
『だから、ヒマワリちゃん達も乗せて行けるよ。トロピウスで移動しよう』
「えっ、いいんですか!? ありがとうございます!」
『晩ご飯はトクサネゴールドのお店でいいかな?』
「はいっ! わたし、さつまいも大好きなので! トクサネのぴっかぴかのお芋、お土産に持って帰りたいんです」

 トクサネの名産品のひとつでもあるサツマイモでできたスイートポテトは、きっとおいしいんだろうな。ヒマワリはパティシエールとして、別の地方や町の名産品には目がなかった。

「ありがとうございます、先輩。何から何まで」
『いいんだよ。むしろ、僕のいるところまで来てもらうんだからね。ご飯もおごるよ』
「そんな! 悪いですよ」
『いいっていいって。久しぶりにヒマワリちゃんの前で、先輩ヅラさせてよ』

 昔からユウガは気前がいいところがあるのだが、社会人になってもそれは変わらない。

『それに、ヒマワリちゃんが来てくれるのが楽しみなんだ。もっといろんな話したいって思ってる。お仕事どうなのかなとか、ヒマワリちゃんの恋バナとか……』
「わっ__わたしの恋バナなんてないですよ! あるとすれば、大学の時に好きになった人に彼女がいたっていう失恋話だけです!」

 ユウガの口から“恋バナ”なんて言葉が出てきて、ヒマワリは胸をドコンと太鼓のように大きく叩かれたように動揺する。この前、お母さんが変なこと言うから、心臓に悪いったらありゃしない!

『そうなの? 気になる人とか今はいないの?』
「いーなーいーですっ! いたらお笑いですよ!」
『そんなことないよ。ヒマワリちゃんかわいいし、きっといい人見つかるって』

 いい人見つかる。
 なんだかどうも引っかかる。上手く言えないが、その“いい人”の中にユウガ先輩は含まれていないのか。かわいいって褒めておいて? どういうことなのだろうか。

『ヒマワリちゃん?』

 ユウガのおどけたような声で、我に返る。ヒマワリは咄嗟に、いつもの明るい調子を取り繕った。

「あっ、すみません! えっと……なんでしたっけ?」



* * *



 それからもユウガとの連絡は続いていた。好きな音楽、七夕の日に見た夏の大三角と、トクサネに伝わる白い石がどうとかいう伝承、お互いの家族や仕事のこと。付き合いが長いということもあり、話題は尽きなかった。
 学生時代の部活メンバーでも、連絡を取り合っているのはごくわずかだ。同期ですら、メッセージツールで友だち登録していない子の方が多い。そんな中で、ユウガと連絡が途絶えていないのは奇跡に近いというか、珍しいことだった。プライベートでも幼なじみ且つ、我が家のお得意様というのもあるが。

『今日、仕事でちょっと上手くいかないことがあったんだ』
「先輩が上手くいかないことがあるって珍しいですね。どうしたんですか?」
『上司と部下の板挟みだよ。上司には上司なりの言い分があって、部下には部下なりの言い分があるのは分かるんだけど、どうしていいか分からなくて……』

 ユウガの話の中には宇宙飛行士特有の専門用語が混じったりもしていたが、まとめるとこうだ。部下のやり方に上司がダメ出しばかりするという。ただ、お互いの言い分を聞いているユウガからすれば、どちらの気持ちも分かる。それが辛くてたまらないのだ。
 学生の時もあらゆる場所で人間関係のトラブルが多発していたが、社会人になっても同じようなレベルの話はよく聞く。むしろ、固定概念や価値観が固まった大人になってからの人間関係の方が煩わしく感じる。
 先輩が悩んでいるのは心配だ。わたしよりも繊細で傷つきやすい先輩が、せっかく大好きな仕事をしているのに潰れちゃうのは心もとない__ヒマワリは本気で考えた。この状況を打破する方法がないか。

「その上司って、一番偉い人ですか? もっと上には上の人がいるとか」
『いるにはいるよ。でも、えーと……』

 ここで、部下と揉めている上司をAさん、Aさんより上の立場の上司をBさんとする。

『BさんはAさんとは宇宙センター創立時からの仲なんだ。だから、部下が困っていても「Aさんはそういう人だから」ってしか言ってくれないよ』
「そっか……そういう感じなんですね」

 メンバーの入れ替わり立ち代わりが激しくない職場の難しいところだ。ちょっと性格に難がある人間がいても、周りの人間が擁護しがちなのだ。たとえ、新しく入ってきた人間がその難ある性格に潰されそうになったとしても。
 第三者を巻き込めないとすれば、ヒマワリも手詰まりだ。アドバイスのしようがない。できることがあるとすれば、ユウガの困り感を聞き、受け止めることのみ。

「なんか、すみません。上手いこと言えなくて」
『ううん。話を聞いてくれただけで心が楽になったよ。ありがとう』

 いつもはふわふわして癒される「ありがとう」も、今日ばかりは胸が締め付けられそうだった。あぁ、わたしはユウガセンパイのために何もできなかったんだな。
 通話を終え、湯船に浸かっても、ヒマワリの心が晴れることはなかった。どうすれば、センパイの心を癒すことができたんだろう。どうすれば、センパイの力になれるんだろう。

「……わたし、どうしてこんなに先輩のこと考えてるんだろう」



* * *



 トクサネ空港は、クチバ空港と比べるとこじんまりとした地方空港だった。小さいことには小さいのだが、こういう敷居が低めの空港は親しみがあって、ヒマワリは好きだ。確か、入り口のところにユウガ先輩が来ているハズ。辺りをきょろきょろ見渡していると、聞き覚えのある声がヒマワリを呼んだ。

「ヒマワリちゃーん!」
「ユウガ先輩!」

 青い半袖のジャケットを羽織ったユウガが、駆け寄ってきた。あどけない雰囲気も、全身から溢れ出る優しい人オーラも、何も変わっていない。だが、宇宙飛行士として鍛えたのだろう。よく見ると、ひょろっとした身体つきから少しばかり、筋肉がついているように見えた。

「長旅お疲れ様。大変だったでしょ」
「いえいえ! 今日のためにお仕事頑張ってきたので、元気が有り余っています!」
「さすがヒマワリちゃんだね。変わってない」

 ケラケラと笑うユウガ先輩の笑顔も、変わってないけどね__ヒマワリのいたずらっ子っぽい笑いは、心の中だけに留めておいた。

「あっ、そうだ! これお母さんとわたしから。ユウガ先輩、これ食べて元気出してください!」

 そう言いながらヒマワリが荷物の中から取り出したのは、かわいらしい袋に入ったクッキーの小包だった。ヒマワリの店の看板メニューでもあるこのクッキー。母直伝で教わった、ヒマワリの得意なお菓子でもある。

「ありがとう、ヒマワリちゃん。おばさんにもよろしく伝えておいてね」

 甘いものに目がないユウガの顔が、ぱぁっと明るくなるのがよく分かる。母の時代では、甘いものが好きな男子は珍しいなんて言われていたが、迷信だろうとヒマワリは推測している。ユウガがとりわけ甘党なだけであり、他の天文部の男子達もこんな感じだった記憶がある。

「じゃ、行きますか!」
「そうだね、行こうか!」

 外へ駆け出すと、入り口では1匹のトロピウスがスタンバイしている。これから、ホウエン地方空中散歩の始まりだ!



 外国のガラル地方では、そらをとぶタクシーなんてものがある。同じような雰囲気のアローラ地方では、リザードンを使って空を移動する文化もあるらしい。ホウエンに同じような文化があれば、トロピウスが人を乗せる役に適任だろう。
 それくらい、トロピウスの乗り心地は最高だった。ユウガのパートナーでもある彼の技術なのかもしれないが、トロピウスに乗って酔ったり気分が悪くなるということは全くなかった。ヒマワリはキルリアと一緒に地上を見下ろしながら、「凄い景色だね」と見とれている。ヒマワリの姿は、子どものように、新しい景色に目を輝かせているようにも見えるが、1人の大人の女性として、感動しているようにも見える。ユウガには、ヒマワリのことがなんだか不思議に感じた。



 1日目の前半戦は、ホウエン本土を中心に回った。ミナモシティで開催されているポケモンコンテストの音漏れを聞いたり、ホウエンの中でもトップクラスに大きなおくりびやまを見下ろしてみたり。ルネシティに立ち寄って神秘的な町並みの景色と同化してみたり、カイナシティの海の家でサイコソーダを飲んだりもした。きっと、トロピウスなしでは1日でホウエン巡りなんて大きなことはできなかっただろう。トロピウス様様だ、と一同は頭が上がらない。

「こいつ、フルーティアって名前なんだけどさ。トクサネのサツマイモを食べていたところを、僕がゲットしたんだ」
「へぇ~。じゃあフルーティアは、グルメなんですね! さすがフルーツポケモン!」

 パートナーポケモン同士が顔を合わせるのは初めてだが、キルリアのルルはトロピウスとすっかり仲良しになっていた。主人達に似て、波長が合うのかもしれない。
 一息つくために立ち寄ったのは、フエンタウンの温泉街。同じ足湯に浸かり、疲れを癒すのだ。なんだかんだホウエンの景色は新鮮で見ていて飽きないが、歳を取ったせいだろうか。学生の時ほどのバイタリティは、ヒマワリもユウガもない。縦横無尽に動き回るのも楽しいが、こうしてまったりした時間を楽しむという、大人の楽しみ方も覚えたものだ。

「あったか~い、気持ちいいです……」
「気に入ってもらえてよかったよ」

 ふと、誰かの視線を感じる。ピンポイントで自分達のことを見ているのだと、キルリアは察知した。ホウエンの地が初めてのヒマワリだから、知り合いはいないハズ。だとすれば、この視線はユウガの知り合いか__。
 キルリアの予測は、見事的中した。

「おっ、ユウガじゃん!」
「やぁ」

 気さくに話しかけてきたのは、1人の男性。「温泉まんじゅう」とプリントされた独特のセンスのTシャツに、膝にかかるぐらいのハーフパンツ。そしてクロックスというラフな格好だ。

「誰ですか?」
「同じ大学だった同期だよ。よく一緒につるんでいたんだ」
「お前女の子と一緒に歩いてるのか~! すごい久しぶりに見る気がするよ。新しい彼女?」

 かっ、彼女!?
 かぁっとヒマワリの身体の奥が熱くなるのが分かった。えっ、もしかしてわたしとユウガ先輩、そんな風に見られていたの!? ちょっと待って、確かにユウガ先輩のこと考えてる時間は増えてるけど、わたし達そんなつもりじゃあ__。

「違うよ。幼なじみの後輩だよ」

 ユウガがどんな表情で、どんな口調で言ったのかは掴み切れない。とっさの判断でそう言わざるを得なかったというのは、ヒマワリだって重々承知の上だ。なのにどうしてだろう。胸がチクリとした。まるで、心臓を小さな針でぷすぷすと刺されているみたい。
 なぁんだ、そうかと面白くなさそうな男性の声が、右から左に流れていく。まるで、ヒマワリの中だけ時間が止まってしまったみたいだ。

「ヒマワリちゃん、ごめん。あいつすぐちょっかい出すから……ヒマワリちゃん?」
「あっ、ごめんなさい! 足湯が気持ちよくてぼーっとしてました」

 いけない。せっかくの楽しい旅が台無しになっちゃう。ここは忘れて、笑顔になろう。
 ヒマワリは無理やり口角を上げて、ユウガに向き直った。隣に座っているキルリアは、おもしろくなさそうな顔をしていたのだが。



 なんだかんだありながら、1日目はあっという間に過ぎてしまった。ヒマワリがユウガに宿まで送り届けられた時には、どっぷり日が暮れていた。西の地方であるホウエンでこれなら、きっと時間だけ見ればかなり遅いだろう。ちょっとだけ、トロピウスの顔に疲れが見えていた。
 一同はトロピウスを気が済むまで労わってやった。撫でられたり、さとうきびジュースを飲まされたり、頬ずりされたり。トロピウスからすれば、まんざらではないのだが。
 明日はサイユウの海を見に行くということもあり、今日よりも早くユウガの迎えが来る。もっと積もる話はあるし、何よりもっとユウガと一緒に居たい。だが、明日のために体力を温存することも考えると、無理はできなかった。

「じゃ、また明日__」
「あ、ちょっと待って!」

 ヒマワリが宿に入ろうとしたところを、ユウガが呼び止める。ユウガは、鞄の中から小さな小包を取り出すと、ヒマワリに突きつけた。頭を下げているように見えるため、ユウガの表情は見えない。こういう時、耳まで真っ赤になる少女漫画を見たことがあるが、あいにく夜で辺りが薄暗いため、肌の色も上手く識別できなかった。

「これ、ヒマワリちゃんにもらって欲しい」

 てっきり焼酎のおつまみでも渡すのかと思えば、キラキラしたアクセサリーなんて用意されちゃった。こういうのって、本物のカップルがすることなんじゃないのか。わたしがもらっちゃってもいいのかな__ヒマワリは、目を白黒させて動揺していた。キルリアも「きゃっ」と言いたげに、両頬に手を添えてときめいている。

「いいんですか? こんなに綺麗なペンダント……」
「ヒマワリちゃんは、時間を割いてここまで来てくれたからね。お礼の気持ちで、もらっていってよ」

 風になびくユウガの前髪やジャケットが、ふわっと舞って。それがなんだか映画のワンシーンみたいで、胸がトクンと鳴る。
 先輩がそこまで言うなら、せっかくだからもらっていこう。ユウガ先輩の気持ちを、宝物のように大事に抱きしめていたい。

「ありがとうございます! 大事にします!」



 宿に戻ってきたヒマワリは、キルリアと一緒にお土産の整理に取り掛かっていた。家用にトクサネゴールドや特選砂糖などのお菓子の材料。両親用の「あくまき」と餃子。同僚用にはボンタンアメ。パティシエールなだけあって、食べ物のお土産の剪定には自信があった。
 これだけたくさんのお土産があるにも関わらず、ヒマワリはずっとユウガからもらった貝殻のペンダントを眺めていた。男の子からプレゼントをもらう、という経験が初めてということもあり、口元のニヤけが止まらない。
 ただ同時に、虚しささえ感じさせた。あくまでわたしとユウガ先輩は、幼なじみの先輩後輩の関係に過ぎない。別に、付き合っているワケではない。
 くいくい、と寝間着の裾を掴まれた感覚をキャッチする。向き直ると、パートナーのキルリアが何かを言いたげな顔でこちらを見上げていた。また頭のツノで、わたしの心を読んだんだろうな。エスパータイプをパートナーにしているサガなのか、長年ずっと一緒に過ごしてきたからなのか。いずれにしても、ヒマワリはキルリアにだけはウソを吐けなかった。

「ははっ、ルルにはお見通しだね」

 乾いた笑いをキルリアに向けるヒマワリは、自虐的になっていた。
 わたしはユウガ先輩のことが好きだったんだ。そのことに今気づいた。
 でも、わたしはカントーから離れられないし、ユウガ先輩もずっと宇宙に行きたがっていた。一緒になることはできない。
 気付くのが、あと少し早かったら。もしかしたら間に合ったのかな。
 いや。
 昼間に足湯に浸かっていた時、ユウガが言っていたことが頭の中をエコーする。



__違うよ。幼なじみの後輩だよ。



 そう。わたし達は恋人なんかじゃない。ユウガ先輩から見れば、わたしは恋愛対象外。

「ユウガ先輩には、もっとかわいい子が似合うんだよ」

 そもそも、女の子らしさとは程遠いわたしは、ユウガ先輩と釣り合わない。筋肉はむき出しになってるし、下品な笑い方だってする。私生活もズボラなところをすっぱ抜かれている。
 わたしがユウガ先輩を好きになったこと自体が、そもそもの間違いだったんだ。



* * *



 いよいよ明日は、ヒマワリがカントーに帰ってしまう日だ。せっかくなので、ホウエン本土からもトクサネからも、ちょっと距離があるところまで遠出しようか__という、ユウガの提案で、一同はサイユウシティに来ていた。
 海に囲まれた小さな島国のサイユウ。世界的な遺産にも登録されているポケモンリーグの建物はもちろん、美しい海や花畑などの見どころが多数ある。名物のサーターアンダギーをかじりながら、ヒマワリ達は滝の上からホウエンの海を眺めていた。高台ということもあり、岩に囲まれたルネシティや海上集落のキナギタウンがよく見える。昼間の景色もいいが、今日みたいな夕方の景色も絶景だ。

「はぁーあ。ずっとこうしていられたらいいのに」
「ヒマワリちゃんも、ホウエンに来ればいいんじゃないかな」
「うーん……そうしたいのはヤヤコマなんですけど、ウチの店もあるし」

 この旅が終われば、ヒマワリもユウガも日常に帰っていく。ヒマワリはカントーの下町のパティシエール、ユウガは銀河をまたにかける宇宙飛行士。ユウガがカントーに帰るのは難しいし、ヒマワリも家を継ぐ者として、タマムシを離れるワケにはいかない。
 ユウガを好きだと気づいてから、この物理的な距離が忌々しいとヒマワリは心の底から思った。この距離がもう少し近ければ、また状況も心の持ちようも違っていただろうに。

「3日間、本当にありがとうございました」

 サーターアンダギーを頬張りながら、ヒマワリはお礼を言う。いい年をしている割にあどけない彼女の姿に、ユウガは自然と顔がほころぶ。

「こちらこそありがとう。僕もヒマワリちゃんと久しぶりに過ごせて、本当に楽しかった」

 傍らでは、キルリアとトロピウスも主人達に倣って互いに一礼している。ポケモン同士でも、お礼の言葉を交わし合っているのだろう。ヒマワリも、「フルーティアもありがとうね」と、3日間自分達の足になってくれたトロピウスの顎下を撫でてやる。そこがイイトコロだったのか、トロピウスは嬉しそうだった。
 楽しい時間も束の間、ユウガは途端に神妙な顔つきになる。

「ヒマワリちゃんには、話しておかなきゃいけないことがあるんだ」
「んー? なんですか?」

 おどけて見せるヒマワリとは裏腹に、ユウガはどこか思い詰めている。今から口にすることを言うか言うまいか、迷っているのだろう。いい話なのか悪い話なのか、それも分からない。分からないことが、ヒマワリの胸の鼓動を高鳴らせる。
 ようやく、ユウガは意を決するようにごくりと唾をのむ。ヒマワリちゃんなら、聞いてくれるだろう__そんな希望的観測を胸に、それを口にした。

「僕、告白されたんだ。後輩の子に」
「えっ」

 思わず地声よりもはるかに低い声が出てしまった。さっきまでルンルンしていた気持ちに影が落ち、流れていた時間が停止する。
 いつ、どこで(きっと最近、職場だろう)。どんなシチュエーションで。歳の差は? 顔は? 聞きたいことはいっぱいあるが、全て聞き出すと尋問みたいになってしまう。何より、詳しく掘り下げるのが怖い。

「OKするんですか?」

 ヒマワリは平静を装っていたが、やっとのことで絞り出した声だと分かっていたのは、キルリアのルルだけだ。

「分からない。彼女の気持ちを無碍にはしたくないけど、でも__」
「応援します! だって、ユウガ先輩のことを思って告白してくれたんですよね? だったら断る理由がないです!」

 何を言っているんだと思う。本当は胸が張り裂けそうなのに。まだユウガ先輩がその後輩の子を好きと決まったワケじゃないのに。
 でも、その子はわたしよりもユウガ先輩に近い距離にいる。わたしなんかより、ずっとかわいいくて気が利くに決まってる。だから、だから。わたしは身を引くしかないんだ。
 足元のキルリアがヒマワリの気持ちをキャッチしたのか、表情を曇らせて俯く。ヒマワリのことも、ユウガのことも見ていられない。さっきまで楽しい時間を過ごしていたのに、胸から喉にかけたところの奥がキリキリする。
 ユウガはというと、突然ヒマワリがまくし立てるものだから面食らっていたようだ。目をぱちくりさせ、最初は驚いていたユウガだが、困ったように笑ってみせた。

「ありがとう。ちょっと、考えてみるよ」

 なぁんで、主人は困ったら愛想笑いをする癖があるんだろうな__トロピウスは呆れたように、ユウガに冷ややかな目を向けていた。

「その時は……わたしにそうしてくれたように、その子にたくさん優しくしてあげてくださいね」



 それからどうやって宿に戻ってきたのかは、ヒマワリは覚えていない。ただオートモードを起動したかのように、ユウガとたわいもない話をして、宿まで送り届けてもらったということだけはハッキリとしている。
 部屋に戻り、出しっぱなしの布団にバサッとダイブする。途端、ユウガの前で押し殺していた感情が、タカが外れたようにあふれ始めた。

 分かっていたつもりだった。
 ユウガ先輩のことは、好きになっちゃいけない。ただの幼なじみだし、カントーとホウエンは遠く離れているし、一緒にはなれない。
 だからお互い、別々の人を好きになって、恋人になって、結婚して、幸せになるべきだ。
 でも、いざ突き付けられると、辛いものがある。
 どうして好きになっちゃったんだろう。
 だって好きになっちゃったんだもん。

 このままではドツボにハマりそうだ。でも、今日はもう動きたくない。お風呂は明日の朝でいいかな。
 ヒマワリは頭から掛け布団に潜り込み、そのまままどろみに落ちていった。キルリアはとてもとても、自分のことのように悲しそうに、ヒマワリが眠るところを見届けていた。



* * *



 いろんなことがあったホウエン旅行も、終わりを告げようとしていた。
 幸い、ユウガは今日は仕事の日のため見送りには来れない。帰りの飛行機まではまだ時間があるから、最後に見ておきたい場所を見ておこう__ヒマワリが旅の終わりに選んだ場所は、昨日も来た場所。サイユウシティの海辺だった。
 高台から見える景色は絶景だ。広い海を見ていると、自分の悩みがちっぽけに感じてくる。こうやってちょっとずつ、薄れていくといい……そう思っていた矢先、ヒマワリの目があるものを捉えた。

「あっ」

 澄み切った水の中を横切ったのは、ピンクのハート。恋する女の子なら誰でも知っている、ロマンチックな言い伝えがあるポケモンだ。ラブカスだ。ラブカスを見たカップルは、永遠の愛で結ばれると言われている。
 でも、今ここには、ひとり。パートナーのキルリアがいるにしても、わたしはひとり。どうせなら、ユウガ先輩と見たかったな。
 叶いっこない願いなのに。無理だって分かっていた恋なのに。

「……ははっ」

 乾いた笑いが自然に零れる。目尻には熱いものが込み上げていた。
 お菓子作りとか、友達関係のことばかり優先していたわたしが、こんなに本気で恋をしたのは初めてなのかも。いい片思いだったと思ってる。でも、どうしてこんなに、胸が苦しいんだろう。涙が止まらないんだろう__。
 首から下げた、貝殻のペンダントをぎゅっと握る。大切に握りしめておきたいという気持ちと、このまま海に放り投げてしまいたいという気持ちがせめぎ合う。思いが込み上げてくるたびに、ヒマワリの涙が草花を濡らしていた。



 海辺に佇み、1人さめざめと泣く女性の隣で、寄り添うように並ぶキルリア。ふと、誰かの強い感情を頭のツノがキャッチする。これは主人のものではない。ここから近いところにいる、別の誰か。
 この感情の波のパターンはよく知っている。まさか。でも、そんなハズは。だとしたら。
 ばっ、とキルリアが振り向くと、ヤシの木の陰には1組のトレーナーとポケモンのコンビ。1匹のトロピウスを従えた青年が、そこに立っていた。

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