アイスクリームシンドローム

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作者:ジェード
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読了時間目安:17分

この作品は小説ポケモン図鑑企画の投稿作品です。

 見上げると、飛行機雲が薄れていく途中だった。白い巻雲は真っ直ぐに、遥かなる夏の思い出へと、消えつつあった。湿り気のまるでない温風。粘りつく暑さにて顔を撫でられると──ふと思い出してしまう。
 僕があの夏、アイスクリームを持って走っていた情景を。


 夏休みに帰省すると、僕は決まって叔父さんに会いに行った。独身で遊びをよく知る、愉快な人だった。彼はビーチで海の家を仕切るので、その手伝いをすると、決まって焼きとうもろこしをサービスしてくれた。報酬目当てだが、叔父さんの手伝いをするのがささやかな楽しみだったのだ。
 かき氷に使う製氷。飲み物をビニールプールに仕出しして冷やす。叔父さんのライチュウに砂糖揚げパンをあげる仕事。簡単なものだが、当時の僕にとってはやりがいがあった。火照り切って乾いた身体に、キンキンに冷えたサイコソーダを流し込む。そうして、白い砂浜と青い海岸線を見るのが好きだった。大人が、仕事後にビールを飲んで美味そうにしている気持ちが、分かりそうだったから。
 何時間も日を浴びて、潮風に当たるものだから、僕の肌も髪の毛もバリバリになったのをよく覚えている。シャワーを浴びると、よく流れた砂が浴室に溜まって、母さんに怒られたっけ。それでも夢中になって遊んだものだった。
「カズ坊、宿題やってっか?」
「ぼちぼちね」
 叔父さんの白い歯が光る。昔はサーファーだったって、その言葉は本当らしい。僕や母さんとはまるで違う、煮卵みたいなこんがり肌だった。
「本当か? 得意な自由研究だけじゃなくて、ドリルと読書感想文もやるんだぞ」
 正直、耳が痛かった。まだ夏休みは半分以上あるんだからいいじゃないか。僕は算数と社会は好きじゃないんだから。長いだけの読書感想文はもっと嫌いだ。そう言いたくなった。叔父さんなりに、僕の面倒をみていてくれたのだろう。今では、よく分かる。
 そうして宿題に揉まれる合間を縫って、僕は砂浜に遊びに行っていた。
 野生のクラブが虹色の泡を吐くのを眺め、釣りをしたり。バチンウニやヨワシのいる、岩場の潮だまりにて獲物を捕まえたりした。もちろんキャッチアンドリリースだ。たまに、キバニアみたいな厄介な暴れん坊が釣れてしまって、近くの釣り人のおじさんに助けてもらったのもいい思い出だ。
 青い海と空の境目。一体どうして海と空は交わらないのか。そんなことを考え、キャモメやぺリッパーの鳴き声を聴いて肌を灼いていると、不思議と僕の影は来た時よりも伸びていた。青く染った雲に食い入る、サンセットの夕陽は、紫の暗色を伴う影をゆらゆらと揺らしていた。


 そんな毎日を、僕は海岸で送っていた。叔父さんの手伝いと、大好きな海での遊びの数々。その在り来りを壊す出会いもまた──ビーチであった。
「いてっ」
 何かに躓く感覚を足に感じた。その時、もう海の家の営業は、八割ほど終わっている。叔父さんに報酬を貰おうかと、昼間の鉄板ほどではなくなった砂浜をビーチサンダルにて駆けていたのだ。
 足元には、うねるような砂の塊が、同じくたんこぶを載せて僕に訴えかけている。このポケモン、野生のスナバァだ。僕がボケーッと学校での先生の説明を思い出していると、スナバァは頭にある青い水玉のシャベルをくるくると回している。表情から察するに、怒っているんだ。
「あっごめんな。悪気はないんだ」
 しゃがみ込んでスナバァを見ていると、向こうも大しては怒っていない。それどころか、ケロッと機嫌を直し、遊びたいような素振りすら見せた。砂を自由自在に操り、僕の足を埋めようとしてくる。
「おいおい、これじゃ叔父さんのとこにいけない」
 足首までぴったりと、温かく水気のある砂に捕らわれてしまった。僕がほとほと弱っていると、叔父さん自慢の相棒のサーフテールのライチュウが僕を迎えに来てくれた。遠い外国にいるライチュウなんだって、叔父さんは何だか自慢そうに教えてくれた。
「らいらい?」
「ばぁ、ばーばぁ」
 僕を見かねてか、ライチュウはスナバァと取り合ってくれている。やがて、しょんぼり気味のスナバァが、緩やかに足元の砂を戻していく。ライチュウがいてくれて助かった。心底ほっとしたのを覚えている。
「おーいカズ坊、どした?」
 店じまいしている、叔父さんも僕とライチュウが一緒にいたからか、やって来た。僕がスナバァを見せながら経緯を説明すると、「カズ坊お前、モテるんだなあ」と茶化していた。それは違うと思う。ついでにスナバァというポケモンが、普段はあまり人目に付く場所にいないという説明もしてくれた。
「昔はここにもシロデスナがいっぱい居たんだが、人間がビーチにするんで、追い出しちまったんだ。いやあ、悪ぃなと俺は思う訳でな」
「そうだったんだ」
 僕と着いて来たスナバァは、叔父さんから棒アイスをもらって分け合っていた。あの砂山の口に半分を突っ込んでやると、スナバァは初めて極上の食事をしたような輝きを見せていた。機嫌を良くした叔父さんが、「またアイスくらいならやるからよ。カズ坊に連れてきてもらいな」そうあの白い歯を見せていたのが、記憶に残っている。
 シロデスナ、つまりはスナバァの進化系。彼らが前にはここには居て追い出されたということは。今でも、近くには棲んでいるのだろう。毎年ビーチに来て、釣りをコンプリートした僕ですら、初めて知ることだった。
「カズ坊、お前さん来年は旅に出るのか?」
「え、いや? まだ考えてないかな」
 叔父さんはアイスの棒を片手に、僕に尋ねる。もうじき、僕の学年でも旅に出るかどうかの大きな選択が迫っている。クラスの中でも、実技や世話実習の上手い何人かは既に博士と話し合っているらしい。僕も両親も、それほど焦る必要は感じていなかった。そりゃ冒険は好きだけれども。旅をすれば、友達と一緒に近所の洞窟に行くのなんかは、急に出来なくなるのだから。
「じゃあ尚更よ。コイツと友達になってやんな」
「えっ、スナバァと?」
 頷く先は、僕の足元にて口を開けてぼけっとしてるスナバァだ。さっきから、忙しなく頭の水玉シャベルを回している。もっとアイスが欲しいのだろうか。
「ポケモンと仲良くなるってのは、練習しておいて損は無い」
「もう既になれるよ。キバニアもホエルコも一人で釣って返せるし」
「そいつは、友達ではないぞ」
 叔父さんの隣には、宙に浮くライチュウ。彼らはバトルをするところを見ないけれど、旅をするからともらったポケモンなのだろうか。
「このスナバァ、お前と遊びたがってるよ。それに、釣りをコンプリートしたカズ坊様が、スナバァと仲良く出来ないってことはないだろう?」
「そりゃ、もちろん」
 よくよく考えなくとも、叔父さんは僕の扱いに長けていたし、僕は自然に乗せられていた。スナバァが僕の威勢のいい返事を聞いて、さらにシャベルの回転スピードを上げていた。
「あとの一週間くらい、よろしく」
 砂のドームに手を入れると、両手で握り返すみたいに、こんもりと砂が盛り上がってきた。


 僕とスナバァは、それから毎日遊んだ。火傷しそうな熱い砂浜を走り、汗が乾くまで一緒に過ごした。
 スナバァは砂を持って来ると、とりわけ喜んでいた。バケツいっぱいに砂を詰め、本当に城を作るように持っていく。そうすると、僕の持ってきた砂をも取り込み、自由自在に遊ばせていた。貝殻を幾つか拾ってきて、頭の近くに飾り付けてやるのも、スナバァとしては嬉しいらしかった。砂遊びなんて子供みたいだったが、それでもスナバァが喜んでいると忘れてしまった。
「おーい、スナバァ」
 また砂をもらえると思って、ゆっくりと移動してくるスナバァ。その顔に、バケツの海水を浴びせてやる。びっくりして、たくさんの砂が飛び上がっては散り散りになる。可笑しくて笑ってしまう僕。
 だが、スナバァ本人は怒っている。それも結構本気だ。蟻地獄みたいに砂を操り、たちまち僕を転ばせてきた。お陰で、口の中がべちゃべちゃのじゃりじゃりになってしまった。海水のエグ味も凄まじい。そうか、ポケモンってすごいんだ。散々プリントや教科書で見た、当たり前の事実を再確認したのだった。
 これを叔父さんに話すと、意外にも深々と聞き入ってくれた。それでいて、「うちのカズ坊がすまんなあ」とか言うものだから、ちょっとムッとしてしまう。とはいえ、サイコソーダとアイスをもらってしまえば、機嫌は電光石火で直るのだけど。
「スナバァは地面タイプだから、水が苦手なんだ」
「海岸にいるくせに?」
「いるくせに、だ」
 何とも不思議だった。こんな小さくて、言っちゃ悪いが弱そうなポケモンが。僕ら人間を遥かに凌駕する力も持ちながらも、ある種では淘汰されている。かと思えば、叔父さんのライチュウみたく、環境の適応によって違う力を持っている。
「ポケモンって不思議なんだね」
「俺も、未だにそう思うよ」
 僕より大人で、ずっと海や嫌いな算数や社会のことを知る、叔父さんが。ポケモンやライチュウのことを何でも教えてくれた、叔父さんが。夜風に吹かれながらそう言う姿を思い出す。
 大人は子供じゃたどり着けない大いなるものだと、そう思っていた。逆に、僕は何となくずっとこんな夏休みを過ごして、楽しいことを考えていればそれでいいんだと。淡い夢を抱いていたのだ。
 それが、この時。陽炎みたいに初めて揺らいでいたのだ。


 帰省から帰る、三日前だったと思う。その日は珍しく天気が悪くて、母さんに海岸に行くのを止められた。それでも、「友達に会いに行ってくるだけ。大丈夫だから」と自転車を走らせたのだ。
「おーい、おーい?」
 いつもの砂浜に、スナバァはいなかった。小雨が降ったり止んだりしていたからだろう。少し先の、洞窟に足を進めていく。たまにドヒドイデがいるから、気をつけろと言われていた暗めの洞窟だ。
「……ばぁ?」
「おっ、いたいた」
 バケツに入っていた砂を掛けてやると、スナバァはいつもよりは喜ばなかった。目をバッテンにして、寒そうな仕草すらしていた。今になって思えば、雨が染み込んだ砂だからだろう。ぶるぶると、砂を吐いている。
 でも、当時はそこまで気が回らなかった。せっかく砂を持ってきてやったのに、とすら僕は思い上がっていた。
「……まあいいや。今日はでっかいトンネルでも作ろうか」
 徐に頭の水玉シャベルを借りる僕。それが、スナバァの怒りをさらに買うことになる。彼にとってもお気に入りらしく、いきなり砂の塊で僕を殴りつけてきたのだ。痛いし冗談でも笑えない。
「な、何だよ! やったな!?」
 こうしてしまうと、やはり僕も意地を張ることになる。スナバァと殴り合いを始めてしまったのだ。せっかくの善意を台無しにして、分からないヤツめ。そんなことを考えながら、砂に足を埋められれば、僕がスナバァの頭を切り崩し。固めた砂で顔を殴られれば、ドームの口に海水を撒いた。
 しばらくすると、僕もスナバァも引けなくなって、お互いに意地を張ったまま顔を見なくなった。僕の足も傷だらけで、その日は去り際にシャベルを投げつけて逃げ帰った。我ながら、酷いやつだ。帰り道に漕ぐ自転車は、水で濡れた短パンも相まって、今までにない最悪の気分だった。
 自分の言い訳を募らせて、帰宅した時。母さんが珍しく顔色を変えて聞いてきた。
「あんた、どうしたのその傷……」
「別に。スナバァに殴られたんだ」
 不貞腐れたように吐き捨てると、母さんだけでなく、ばあちゃんまでもが僕の様子を見ては青ざめていた。そういえば、母さん達にはスナバァのことは話していない。“友達”と言ったから、近所の子どもと勘違いしていたのか。
「カズちゃん、あんたスナバァに会ったんかい?」
「そうだけど……アイツ、今日は意味がわからなかった。せっかく砂を持ってきたのに、いきなり怒るし」
 僕自身、スナバァに謝った方がいいとは既に感じていた。お互いに意地を張ってしまっただけだ。多分、また明日会いに行ったら、機嫌は直ってるだろう。それでも、怒り冷めやらぬ今は。スナバァのことを聞かれると、不必要にトゲが生えてしまう。愚痴愚痴と、スナバァへの怒りが溢れ出た。
「大変、大変じゃあよ!」
 しかしそれ以上に。大人たちが僕を取り巻く空気は緊迫していた。流石に違和感を感じて、話し合う母さんとばあちゃんを見ていると。
「カズちゃん、スナバァに取り憑かれてるぞ」
「う、嘘……お医者? お母さん、どうしたら……」
 と、どこかに電話を掛け始めた。僕はいきなり安静になるように寝かせられ、傷の様子をばあちゃんに見られては、憐憫の目を向けられる。
「え……?」
 おかしい。いや、おかしい。僕の知らないところで、話は不可思議な方向へと進展している。スナバァはただの友達で、喧嘩しただけ。そんなことを言える空気でなくなってしまった。
 同時に、ひどく恐ろしかった。なんで、こんな僕のような子供の一言で、大人たちがみんな動いているんだ。これでもし、勘違いだと分かったら余計に僕は怒られるんじゃないか。もしや、二度とこの海の家に、帰省させてもらえないんじゃないか。様々な考えが、濁り切った脳裏に浮かぶ。浮かんでは、アイスを半分にした、あの時のスナバァがかき消していく。
 僕がお医者さんやポケモン博士に、たらい回しにされて分かったのは。僕はスナバァに『操られて砂を持ってきていたんじゃないか』っていうことだった。何でも、口の中に手を入れた人間を、あのポケモンは自在に操れるそうだ。
 進化系のシロデスナと合わせて説明を聞くと、確かにゾッとしてしまう。その生態から、彼らはビーチを追われたんだ。一方で、僕とあのスナバァは違うんだ。という思いは込み上げるが、焼き付くような苦さでもって、中々言い出せなかった。
「……カズ坊、すまんな。叔父さんが分かってなかったんだ」
 横になる僕に、あの頼りになる叔父さんは、背中を丸めて謝っていた。途端に罪悪感がこみ上げる。違う、違うよ。そんなに申し訳なさそうに、僕を見ないでよ。粘りつく後悔が押し寄せた。
「あのさ叔父さん、僕は……僕は。あのスナバァとは友達だったんだ。本当に、友達だったんだ」
 叔父さんは、真剣に僕の顔を見ている。心臓が飛び出しそうだ。悪いことをしたら謝るのって、こんなに心苦しかったのか。だから大人は「悪いことをしたら謝りなさい」なんて言うのか。
「ただ僕が殴られて、へそを曲げていたんだ」
 この重圧が苦しくて苦しくて。情けないけれど、涙も出てきてしまう。膝や殴られた傷なんて、もうどうでも良かった。あのスナバァともう一度。アイスクリームを半分に分けて食べたい。
 それしか考えられなかった。
「……ごめんなさい」
 苦しい思いを吐き出すと同時にだった。今までにないくらいに、いい音が僕の頭で鳴る。じんわりと、痛みが広がっていく。
「よく言ったな、カズ坊」
 そこには、いつもの笑顔の叔父さんがいた。僕も安心からか、鼻水をダラダラと垂らしては泣いてしまう。
「明日、アイツの好きなアイスクリームでも持ってさ。謝りに行きな」
 そう白い歯を見せて、僕とスナバァが分けて食べた、棒付きのバニラアイスクリームを置いていってくれたのだ。
 明日、また自転車を漕いでいったら――僕の分まであげてやろう。そうしたらまた、砂浜を走り回っては海を見て、遊ぶんだ。そう爽やかにすら、僕は考えて明日を待っていた。


 翌朝、自転車を漕ぐ足はずっと焦っていた。鼓動と共に早まっていた。やはり、昨日の様子を見た母さんには止められたが、叔父さんがこっそり伝えてくれたらしい。僕が振り切れる程度で済んだ。
 何度も何度も、謝る練習を頭の中でして、坂道を力んだサイクリングで駆け抜けていく。下り坂になると、涼しい風が僕とアイスクリームの汗を撫でていく。すると、青い海に紛れてあの輝いた顔をしたスナバァが、瞳の奥に現れた気がした。道脇に植わる向日葵を尻目に、潮の香りと強い風が海岸を告げる。
 いつも通りの白い砂浜。観光客がいる地帯を抜けて、岩肌が目立つ釣りスポットへと駆けていく。ビーチサンダルに入る砂も、今日は気にならない。
「おーい、おーいスナバァ! あのさぁ、昨日は――」
 「ごめん」という僕の等身大の言葉は、最後まで言えなかった。水玉模様の青いシャベルに釘付けになったからだ。セットだった砂山は、影も形もない。青いシャベルは、波に攫われた形跡と共に、なおざりになって砂に埋まっていた。そこにはひたすらに僕の影が砂に伸び、陽炎の中に棒立ちしていた。残照で、動揺を表すかのように揺れる。何度も、僕の形が揺れている。
 運命って、待ってくれないんだ。
 僕の手に挟まった、ベタベタのアイスクリーム。半分に割るはずだったそれは、冷たい事実を伴って指を伝い砂浜に落ちていった。

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