十月十日の守り神

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作者:絢音
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読了時間目安:22分
 覆面作家企画10用に書き下ろした没作品です。推理のお供にでもどうぞ。

 お題「10」
 ある森の入口にそびえ立つ大樹にはこんな言い伝えがあった。

『子を授かりし者、参れば安産たるや』

 それを象徴するように、その大樹には沢山のハハコモリが生息していた。ハハコモリはこそだてポケモンと呼ばれるだけあって、そのご利益に預かろうと多くの若い夫婦がその大樹の元を訪れた。
 そこに住むハハコモリにとって、人間はあまりいいものではなかった。ご利益、と言って大樹の若葉や枝を取っていくからだ。住処を壊されるだけでもたまったものではないのに、さらに酷い者はメスのハハコモリすら捕っていく。そういった事が続いた為に、大樹に住むハハコモリは徐々に数を減らしていった。安産神の象徴とも言えるハハコモリの姿が消えていき、それに伴い訪れる人々もいなくなっていく。
 そうして大樹の言い伝えは段々と廃れていったのだった。

 ある日、すっかり緑を取り戻した大樹の元を訪れた人間の女がいた。女は一人で大樹の周りの草を刈り、地をならし、水を撒いた。それを大樹の上から興味深く見つめるハハコモリがいた。彼はオスだった為に人間の手に落ちずに済んだ唯一残った個体だった。久しく見なかった人間が珍しかった彼は、あろう事か自ら人間に近づいていった。
 ハハコモリは地に降り立つと、大樹の幹に隠れて女の様子を伺った。女はある程度大樹の周りを整えると、社と言うには簡素に積み上げられただけの石の前にしゃがみこみ、小さな皿を二枚並べた。片方に水を注ぎ、もう片方には熟れたオボンのみを供えた。そして静かに手を合わせ、しばらくそうしてじっとしていた。閉じた瞳の奥で何を祈っているのか、気になったハハコモリはそれをじっと見つめる。気づけば彼は身を乗り出していた。
 次の瞬間、彼がびくりと跳ねたのは人間と目が合ったからだ。咄嗟に幹の裏側に隠れるも、女の目はその存在をはっきりと捕らえていた。
「ハハコモリ……まだいたのね……!」
 期待に満ちた声と眼差しで彼女は立ち上がり、大樹の裏側を覗き込むように回り込んだ。迫り来る人間が怖くなったハハコモリは咄嗟に大樹の生い茂る枝葉の中に飛び込んだ。ここならば手は出せまい、そう高を括って彼はそうっと下を見た。眼下では女がきょろきょろと辺りを見回しては首を傾げている。何度か大樹の周りを歩いていた彼女だったが、四周した頃には諦めてその場を去った。平穏な日々が戻ってきたとハハコモリはほっと胸を撫で下ろした。
 しかしそれは間違いだった。その人間の女はまた来たのだ。次の日も、そのまた次の日も。毎日、大樹の元を訪れては大樹の世話を焼き、水ときのみを供え、静かに祈りを捧げた。飽きもせず繰り返されるそれをハハコモリも飽きずに毎回見守っていた。彼に人間の思惑など分かるはずもなく、ただただ謎の行動を不思議に思っていた。女を観察するその心情は純粋な好奇心だったのだ。
 女の観察が日課になり始めた頃、それは彼女が姿を現してから丁度10日目の事だった。その日も人間はいつもの通り大樹の周りを綺麗にしていた。しかしその動きはいつもより緩慢で、時折動きを止めてはしんどそうに蹲っていた。
 ハハコモリはそれを心配するくらいには人間に情が移っていた。動きが遅くなりたまに動けなくなる、その状態異常といえば麻痺だと思いついた彼はクラボのみを手にそっと地面に降りた。女が辛そうにしながらも、供え物の前で手を合わせる傍らに忍び足で近づき、そっとクラボのみを置いていく。女は苦しい中きつく目を閉じ、祈りを捧げるのに集中していた為かハハコモリが近づいた事に気づきもしない。彼女が置かれたきのみの存在に気づいたのは次に目を開いた時だった。不思議そうにそれを手に取り、辺りを見回すと大樹の幹からひょっこり顔を出すハハコモリと目が合った。
「……これ、君が?」
 人間の言葉など分からない野生のハハコモリは首を傾げるばかりだった。しかしそれでも人間は「ありがとう」と呟き、クラボのみを手に大樹にもたれかかった。前回のように迫ってこないか、女を警戒しつつハハコモリはその様子をじっと観察していた。彼の視線をどう感じたのか、人間の女はぽつりぽつりと語り始める。
「でもごめんね、今食欲なくて……つわりが酷くてね」
 女は手を伸ばせるだけ伸ばし、できる限りハハコモリに近い場所へクラボのみを置いた。伸びてきた手にハハコモリは驚いて、大樹の裏へぴょんと後ずさる。姿が見えなくなった彼に向かって、女は静かに声をかけた。
「……これは返すよ。気持ちだけ受け取るね」
 それじゃあまたね、と女は重い体を持ち上げ大樹から離れていった。相も変わらず辛そうな顔にハハコモリは不思議そうに首を傾げながらクラボのみを齧った。
 それからも女は毎日大樹の元を訪れた。暫くは辛そうにしていたが、それもある日を境にぱったり無くなった。つわりが落ち着いた為だったが、ハハコモリにはそんな事は分からない。ただその頃になると、少しずつ人間の腹が大きくなっている事に気づいた。ハハコモリは生まれた時から野生だったが、その事象が何かは知っていた。なぜなら昔から同じような人間を沢山見てきたからだ。言い伝えが廃れる前まで大樹の元を訪れる人間は皆同様に身篭っていたのだ。だからハハコモリは今大樹の足元で手を合わせる女が身重だと分かった。ただ一つ不思議だったのは、今まで見てきた人間達は誰しも番がいた。それなのに今いる女はいつも独りだ。その姿が唯一残ってしまったハハコモリの自身と重なり、彼は勝手に親近感を抱いていた。そしてそれは相手も同じだった。
「君も独りなんだね」
 夏の暑い日射しを避けるように大樹に背を預ける人間の女は、幹を挟んでこちらを見つめるハハコモリにふとそんな事を尋ねた。しかし野生のハハコモリには人間の言葉はよく分からない。彼はまたも首を傾げるしかなかった。それを何故か女は肯定とみなし、柔らかく微笑みながら言葉を連ねていく。
「私と同じだ。私もね、ひとりぼっちなの」
 彼女は笑っているのにどこか寂しそうに俯いた。それを見るハハコモリは何故か心がざわついた。どうしたものかと視線を右往左往させる彼を人間の女は少し可笑しそうに笑い、きょとんと目を丸くするハハコモリに対して静かに語り始めた。彼は人間が何を話しているのかやはりよく分からなかったが、その凪のような落ち着いた声音は耳に心地好く、大樹の影から大人しく彼女の言の葉を聞いていた。
 ハハコモリの知る所では無いが、曰く、人間の女は恋仲にあった男に子を授かった事を伝えたところ、結婚の意志は無いので下ろしてくれと言われたのだった。彼女はどうしてもその子を産みたいと男に伝えたが、お互い意見を聞き入れず喧嘩になりそのまま別れてしまったと言う。一人になってしまった女はそれでも腹の子を産む事を心に決めて地元に帰ってきたのだ。そして母親から聞いた言い伝えを頼りにここで願掛けをするようになった。
「無事に産まれてくれるといいのだけど」
 女は一通り話し終えると、自身の腹をゆっくりとさすった。その様子をハハコモリは興味深そうに眺めていた。人間の語った事は理解できなかったものの、やはり自身と似ているとなんとなく感じていた。
 真夏の暑さも過ぎ行き、常緑樹である大樹の葉の色こそ変わらなかったが、涼やかな秋風が吹くようになった。人間の女は変わらず大樹を参り、ハハコモリはそれを見守っていた。その頃には彼の警戒心も弱まり、一人と一匹の距離は出会った頃よりは幾分か縮まっていた。手を伸ばせば届く距離にいながら、しかしお互い触れ合う事はなかった。その機会が訪れるまでは。
「あっ!」
 大樹の落ち葉を集めていた女が突然声を上げた。驚いたハハコモリはさっと木陰に身を隠す。それを人間の女は慌てて引き止めた。
「ご、ごめん、驚かせて。動いたの」
 ハハコモリはそうっと木陰から身を乗り出し首を捻った。それに人間は近づき以前よりも更に膨らみの増した自身の腹を突き出した。
「赤ちゃんがね、お腹を蹴ったの。ほら、触ってみて」
 ハハコモリは人間の言葉を理解した訳では無いが、それでも彼女が言わんとしている事は理解した。子が宿る腹をこちらに差し出す人間を前に、ハハコモリは逡巡するも好奇心には勝てない。恐る恐るその腹に自身の手を当てた。ぽこん、と何かが当たる感覚があった。彼が驚いて顔を上げると人間の女と目が合った。彼女はとても嬉しそうに笑って、愛おしそうに腹を撫でた。
「会えるのが楽しみだね。元気に産まれてきてね」
 その時、ハハコモリは初めて実感した。目の前の人間の腹の中に新たな小さな生命が存在している事を。彼は子をもうけた事は無いが、もしも番が出来て卵を抱く事があればこのように感じるのだろうと思った。本能とでも言うべきか、彼女とその腹の中の小さな生命を守らねばならないと思った。そしてハハコモリである彼は産まれ来るこの子に服をこさえてやろうと考えついた。
 それからハハコモリは大樹の葉を集め、粘着のある糸でそれらを継ぎ接ぎ繰り返した。何分初めての作業だった為、最初はお包みとも言えぬ葉っぱの塊が出来た。失敗作は地面に放り捨て、次々と葉の工作を続けた。積み重なる大樹の葉を不可解に思いながら人間の女はそれらを片付けていた。ハハコモリが立派な服を作れるようになった頃には、もう寒く凍える冬がすぐそこまで迫っていた。
 雪は降らずとも寒風が枝葉を通り抜けるある冬の日、随分と大きくなった腹を抱え人間の女はゆっくりと大樹の元を訪れた。それをハハコモリは喜んで迎えた。彼は試行錯誤を繰り返し、漸く出来た自信作を早く見せたくてうずうずしていた。彼女のいつものルーチンを見送り、いざお披露目という時だった。
「ねぇ、ハハコモリ」
 そう呼んだ人間が彼より先に差し出したのは、赤と白に分かれた球体だった。ハハコモリはそれが何かよく知っていた。
「明日が予定日なの。今日までずっと見守ってくれた君に、この子が産まれるのを近くで見守って欲しいの。だから……一緒に来てくれないかな」
 人間の女は手にしたモンスターボールをぐっと握り締めてから後方に持ち上げた。そのポーズはハハコモリが嫌という程見てきた恐ろしいものだった。人間はああしてあのボールを投げてハハコモリ達を捕まえていた。捕らえられていった仲間達の悲鳴を思い出し、恐怖に駆られた彼は一歩後ずさる。しかし彼にモンスターボールが飛んでくる事は無かった。怯えるハハコモリを目にした女は一度目を見開いてから地に視線を伏せて、すっとボールを持つ手を下ろした。
「…………ごめんね」
 それだけ呟き、女はハハコモリに背を向けた。てっきり捕まると身を固くしていた彼には人間の意図が分からず、その寂しげな背中を呆然と見送るしか無かった。あの時追いかけておけば良かったと後悔する事に気づかずに。
 人間の女が居なくなってからハハコモリは考えた。彼女が今になってモンスターボールを翳した意図を。あの時零した言葉の意味を。彼女は今まで見てきた人間達と同じだろうかと。ご利益だなんだと自身の都合だけで、大樹を傷つけハハコモリを攫っていった輩達と。それは違う、彼女は甲斐甲斐しく大樹の世話を焼いた、最後のハハコモリである彼を無理矢理連れて行こうと等しなかったではないか。ならばあの人間が彼を欲したのは、ただのお守りとしてでは無く、独りぼっち同士、パートナーになろうという提案だったのでは無いか。ハハコモリは真剣に考えて悩んで、そして決めた。恐れる事などない、あの人間のパートナーになれるのなら、産まれ来る子の成長が見れるのなら、彼女と生涯を共にしようと。
 翌日、朝が来たというのに空は暗く、しんしんと白い雪が降り始めていた。ハハコモリは大樹の上からずっと人間の女を待っていた。なかなか姿が見えないから大樹を降りて、寒さに震えながら待ち続けた。その間にも雪は静かに降り積もっていく。地面が白く薄ら塗られていく中、ハハコモリは少しでも寒さを和らげようと大樹の周りを歩き始めた。

 1周……もう来ても良い頃なのに。

 2周……まだ来ないのかな。

 3周……それにしても今日は寒いな。

 4周……会ったらどうしよう。

 5周……自分からボールに飛び込もう。

 6周……あの人間は驚くだろうか。

 7周……喜んでくれるだろうか。

 8周……そういえば作った服も渡さないと。

 9周……それにしても遅いな。

 10周……何かあったのかもしれない。

 そう思うや否やハハコモリの心中は不安に掻き立てられていく。この雪で行く道中凍えて倒れてしまったのかもしれない。人間はハハコモリ程寒さに弱くはないが、そんな事を彼は知る由も無い。居ても立ってもいられなくなったハハコモリは、女のお腹の子の為に作った大樹の葉で出来たお包みを抱えて駆け出した。
 大樹から町へは一本道でハハコモリが迷う事は無かった。しかし町に出てからが大変だった。今となっては珍しくなったハハコモリが町を一匹で歩いているのである。注目の的になるのも必定だろう。彼は人間の視線を恐れて路地裏に逃げ込んだ。しかし人間から隠れながら一人の人間を探し出す等、至難の業だ。ましてや町等歩いた事も無い、ずっと大樹で暮らしてきたポケモンにとっては尚更。恐怖と寒さと焦りに追いやられ、暗い路地裏で蹲ってしまったハハコモリに声を掛ける一匹のポケモンがいた。
「おや、ここいらでは珍しいポケモンだね」
 見ればそこに居たのは薄暗がりに翡翠色の瞳を輝かすチョロネコだった。可愛らしい見た目からは想像もつかないハスキーボイスはどこか楽しげだ。
「あんたみたいなハハコモリがこんな所でどうしたんだい? 随分困ってるようだけど」
「人間を探しているんです」
「人間? あんたのトレーナーかい?」
「トレーナーではないけど……大切な人です」
 真面目に答えたハハコモリに対して、チョロネコは興味も無さそうにふーんと髭を弄る。
「チョロネコさんはこの町に詳しいですか?」
「だったらなんだってんだい? まさか人探しを手伝えってかい? 冗談じゃないよ、こんな人間に溢れた町でどうやって探すのさ」
「そこをどうにかお願いします」
 直角に腰を折ったハハコモリにチョロネコは面倒臭そうに視線を寄越した。これ見よがしに盛大なため息をつき、ぽりぽりと後ろ足で頭を掻く。それでもハハコモリは頭を上げない。
「お願いします」
「……ったく、しょうがないね。分ぁかったよ、顔を上げな」
 言われた通りハハコモリがすぐさま顔を上げると、相変わらず面倒臭そうに目を細めるチョロネコが立っていた。
「声を掛けちまったのはあたいだ。責任取ろうじゃないの。で? その人間ってのはどんな奴だい?」
「ありがとうございます! 彼女は雌で、身長はこれくらいで、頭の毛は茶色くて」
 ハハコモリは事細かに人間の女の特徴を説明するが、チョロネコはうーんと唸るばかり。
「もっと目立つ特徴はないのかい?」
「あっ、お腹がすごい出てます」
「太ってるって事かい?」
「違います、身篭っているんです。たぶんもうすぐ産まれるはずです」
「妊婦かい……てなると病院かね」
「びょういん……?」
「居るかは保証しないが、それでも良いならついて来な」
 チョロネコはそう言い残すとすたすたと路地裏を歩き始めた。他に伝の無いハハコモリはそれについて行くしかない。慣れない道を四苦八苦しながら潜り抜け、漸く拓けた場所に出たと思ったらそこには清潔感ある白い建物が建っていた。チョロネコが何の躊躇無くそこへ足を運ぶので、ハハコモリも小さくなりながらそれについて行く。
「まあ、何あのポケモン? チョロネコと……もう一匹はなんだったかしら」
「随分汚いわね……誰のポケモンよ? まさか野生じゃないわよね?」
「え〜何あれ、並んで歩いてる〜可愛い〜」
「ちょっと誰ーこんな所で外に出さないでよねー」
 あちらこちらから聞こえる人間の声にハハコモリは身を縮めるが、チョロネコはお構い無しに病院内を闊歩する。
「ちょっと……凄い見られてますけど、大丈夫なんですか?」
「気にすんじゃないよ。こういう時は変に畏まらずに堂々としてる方がいいんだよ」
 そう言ったチョロネコだったが、目の前へ白い服に身を包んだ人間の女が立ち塞がるのを見ると流石に足を止めた。
「ちょっと君達、止まって。トレーナーさんはどこ?」
 強い口調の看護師と思しき女にチョロネコは甘えた声で擦り寄る。それだけで人間は簡単に絆される事を知っているのだ。案の定、腰に手を当て威圧的だった人間は頬を緩めチョロネコを撫でようとしゃがみこんだ。そこを彼女は見逃さない。伸びてきた人間の手に素早く爪を立てた。人間の女は甲高い悲鳴を上げて血の滲む右手を引っ込めた。騒ぎを聞きつけた他の看護師達もわらわらと周囲に集まってくる。
「ここはあたいが引き付けるから、その間に探してきな」
「えぇっ!?」
「早くしな!」
「は、はいぃ」
 チョロネコの急な指示に戸惑いつつも、勢いに圧されてハハコモリは駆け出した。悪戯が成功したとばかりに楽しそうに病院のロビーを駆け巡るチョロネコを捕まえようと必死になる職員達は、その奥へ消えていくハハコモリに気を止める余裕は無い。こうして彼は無事病院に潜入する事に成功した。彼はここに自身の探し人が居ると信じて疑わず、当てもなく白く清潔な空間を彷徨う。
「うううぅぅぅぅ!!!」
 綺麗な廊下の一角から突如叫ぶような呻き声が聞こえた。聞き覚えのある声にハハコモリは一目散にその方角へ駆け寄った。彼が辿り着いたのはある一室の扉の前。その上には『分娩室』と書かれていたのだが、ハハコモリがそれを読む術はない。大勢の人の気配がする騒々しい室内を彼はそっと覗き込んだ。
 薄桃色のカーテンに覆われた一つの寝台の周りを白い服を身に纏った人間達とそれに付き従うタブンネ達が右往左往している。誰もが深刻な顔つきで何やら声を掛け合っては、時折寝台の上に横たわる者に大声で話しかけていた。その会話の内容はどれもハハコモリにはちんぷんかんぷんであったが、カーテンの隙間から見えた知っている顔にぎょっと目を見張った。それは正しく探し求めていた人間その人だったが、緩くウェーブの巻く茶色い髪は汗ばんだ肌に張り付き、いつも柔らかく笑んでいた顔は激痛に歪んでいた。ハハコモリは周囲にいる人間への警戒も忘れて、思わず苦しむ彼女に駆け寄った。彼には何故女がこんなにも苦しんでいるのか分からない。それでも心配なのは変わりなく、宥めるようにその腕を掴んだ。突然現れたポケモンに医師も看護師も驚いたが、その場の最高責任者である院長が鋭く指示を飛ばした。
「何だこのポケモンは! 早く追い出せ!」
 難産が続く状況で余裕のない院長は苛つきをぶつける様に声を張り上げる。慌てて一人の看護師がパートナーのタブンネに指示を出しハハコモリをベッドから引き剥がそうとするが、彼は必死に抵抗しその手を何度も振り払った。彼の眼中には死にそうな程に荒い呼吸を繰り返す人間の女しかない。大丈夫か、しっかりして、彼は何度も伝わらない言葉を投げかけた。
「ハァハァ……ハ、ハ、コ、モ、リ……?」
 人間の女は呼吸の合間にハハコモリの名を呼んだ。言葉は通じずとも自身が呼ばれた事に気づいたハハコモリは一際大きく声を出す。すると女は辛そうにしながらも口角を少しだけ持ち上げた。
「あ、り、が、と」
 女は難産で終わりの見えない陣痛に意識を失いそうになっていた。帝王切開するしか、と主治医が言うのをぼんやり聞いた。そこにかつて安産の守り神と謳われたハハコモリが現れた。彼と過ごした大樹の元での日々を思い出し、不思議と安心感が湧いた。今なら産める、確信にも近い思いで女はもう一度力んだ。
「んうあああぁぁぁぁぁぁ!!!!!」










「頑張りましたね! 元気な女の子ですよ!」
 手渡された赤子を腕に抱いた女は、疲れきった顔を緩ませた。その傍らには病院に居る事を許されたハハコモリの姿があった。彼は興味深そうに赤子の顔を覗き込んでいる。
「貴方のお陰ね」
 女の言葉にハハコモリは首を傾けた。それを人間の女はくすりと笑った。
「やっぱりハハコモリは十月十日の守り神っていう噂は本当だったんだなって」
 ハハコモリはまた首を傾けた。未だ彼には人間の言葉は分からない。しかし少しずつ理解していけば良い、彼はそう考えた。そしてずっと渡したかった物を手に取り、そっと赤子に掛けてやった。それは爽やかな葉の香り漂うハハコモリお手製のお包みで、それに包まりすやすやと寝息を立てる小さな赤子をまるで我が子のように愛おしそうに見つめるハハコモリを遠く眺めるポケモンが一匹。
「無事会えたみたいだね」
 チョロネコは一仕事終えたとばかりに、ぐーっと伸びをすると満足気に毛繕いを始めた。
「あたいも世話焼きになっちまったねぇ」
 熱心に毛を梳かすチョロネコは油断しており後ろから近づく影に気づかない。いとも簡単にひょいとレンジャー姿の歳若い男に捕まった。
「チョロネコ! お前また脱走して!」
「なんだい、藪から棒に。あんたの代わりに仕事してやったんだよ、感謝して欲しいくらいだね」
「これで10回目だぞ。今日はご飯抜きだからな!」
「やれやれ……話の通じないトレーナーで困るねぇ」
 とうとう捕まってしまったチョロネコは怒られている事も気に止めずくあぁと大欠伸。どうせ可愛く甘えれば、この甘っちょろいご主人様からご飯を貰える事を知っているのだ。チョロネコはトレーナーの小言には耳を塞ぎ、当たり前の様にその腕に身を預け、そのまま運ばれて行った。

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