ポケモノイド

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作者:みぞれ雪
読了時間目安:12分
 人間とポケモンが力を合わせ、共に戦い、バトルで頂点を勝ち取る。チャンピオンと呼ばれるポケモントレーナーが崇拝され、若きトレーナーは高みを目指してポケモンジムや道路でポケモンバトルに明け暮れる。
 強いポケモントレーナーになりたい。
 なって、どうしたいの? という至極単純な問いへの答えを用意せぬまま、人間たちは駆り立てられる義務感の奴隷となり、捕獲した野生のポケモンを戦闘に投じる。戦いを好まないポケモンや、愛する群れから切り離されてしまったポケモンが、トレーナーに使役され傷ついてゆく。

 そんな世界の常識的価値観に、違和感を持つ人間が少しずつ増えていった。
 ポケモンをバトルさせることは、虐待にあたるのではないか。そのような意見がニュースやワイドショーでも取り上げられるようになり、ポケモントレーナーはいつしか、純粋な憧れの対象ではなくなっていった。ポケモンバトルに苦々しい顔を向け、負けたポケモンを「かわいそう」と憐れむ人々の声が強くなっていった。

 ポケモンを愛する1人の科学者と政治家が立ち上がり、そんな世界を変えた。

 痛覚や感情を有する、生身のポケモンを使役することは「かわいそう」。それならば、「ポケモンのようなもの」を作ればよいのだ。科学者はプロジェクトチームを立ち上げ、日夜研究に明け暮れた。ポケモンのようにバトルができる。ポケモンのように空を飛べたり、水や電気を操ったりできる。そしてポケモンのように人間の良きパートナーとなる。だけども生命体ではなく、痛みや悲しみを感知することは決してない。そんな「理想のポケモン」が、とうとう完成した。
 それが、「ポケモノイド」。ポケモンに取って代わる、人道的な選択肢。科学者は、そう主張して成果を世に公開した。

 人々の賛否の声を吟味する期間を経ず、政治家はある法律を施行した。
 ポケモンの所持及び戦闘における使用制限に関する法律。通称、ポケモン所持規制法。
 人間とポケモンの付き合いの形が、その日を境に大きく変化することとなる。

 その日。人間はポケモンを戦わせることを禁じられた。生身のポケモンに代わり、ポケモノイドを戦わせること。今後はその行為を、ポケモンバトルと呼ぶこととなった。
 その日。人間はモンスターボールで捕まえた野生のポケモンを、残らず自然に還すよう命じられた。連れ添った期間の長さに関わらず、一切の例外を認められず。人間と暮らす生活に適応し尽くし、とうに野生で生きる力を失ったポケモンは、未来のための尊い犠牲と称された。
 その日。人間の手元に残った生身のポケモンは、野生を知らぬ、人の手により繁殖されたポケモンだけとなった。しかし、人間によるポケモンの繁殖は、未来永劫禁止されることとなった。かつてタマゴから生まれたポケモンは、人間と暮らす最後のポケモンになった。
 その日。ポケモンを失った人間たちに、一斉にポケモノイドが支給された。失われたパートナーと寸分たがわぬ容姿と性質。痛覚も感情もないのだが、それを忘れさせるほどの精巧な表情やしぐさ。次世代の、人間の理想的なパートナー。





《ポケモノイド》





 それから10年が経過した。
 モンスターボール。ラジオ放送。テレビ放送。電子レンジ。ポケモン預かりシステム。携帯電話。スマートフォン。転送装置。宇宙旅行。
 世界を劇的に変える人間の発明は、いつしか日常となり、人々の生活に馴染んでゆく。今日もポケモンジムで、道路や町のバトル施設で、ポケモンバトルが繰り広げられる。ポケモノイドは、まるでかつてのポケモンのように、トレーナーを信じ、生き生きと戦っている。

 飾り気のない静かな部屋の空気を、テレビの音が震わせる。賑やかなバトル番組が終わり、落ち着いたニュース番組に切り替わると、冥子(めいこ)はテレビの音量を上げた。
 女性キャスターの滑らかな喋りが部屋に響く。

「ポケモン所持規制法が施行されてから、今日で10年が経ちました。かつて支給されたポケモノイドは、すっかり私たちの生活に馴染んできたのではないでしょうか」

 その言葉をきっかけに、冥子は10年前を思い出す。冥子だけではない。ニュースを見たポケモントレーナーは、皆そうしているのではないだろうか。
 10年前。ポケモントレーナーとして旅をしていた冥子は、手持ちのキルリア、ガーディ、マリルリを手放すこととなった。旅を始めてまだ2年。手持ちの3匹は、野生の感覚を微かに覚えていた。それだけが、冥子の心の救いだった。
 翌日、ポケモンセンターで代替のポケモノイドを受け取った日のことを、よく覚えている。臆病で、繊細にこちらの感情をうかがうキルリア。勇敢で、初対面のトレーナーの指示を迷いなく信じるガーディ。能天気で、バトルの時以外は忙しなくよそ見をしては空想にふけるマリルリ。その挙動の全てが、肌に触れる感触が、冥子の手持ちと同じだったのだ。似ているとか、そっくりといった言葉は適切ではない。本当に、同じ、だったのだ。

 ニュース番組は、スタジオ中継から街中でのインタビューに切り替わっていた。バトル施設を訪れるトレーナーに、キャスターがマイクを向けている。トレーナーの声色だけでなく、表情や挙動も気になってしまう。冥子は食い入るようにテレビ画面を見つめる。

「ポケモノイドとのバトルや生活にも、もうすっかり慣れました。……いや。そもそも慣れることすら必要なかったかな。本当に僕のポケモンにそっくりで、何ひとつ違和感がなかった。科学の力ってすげー!」
「そりゃもちろん、自分のパートナーポケモンと別れるのは寂しかったです。逃がされるポケモンが、かわいそうだなって。でも、それは自分達の思い上がりでした。人間に支配されて戦わされているポケモンの方が、よっぽどかわいそうすもんね」

 一戦を終えた2人の青年トレーナーが、快活にインタビューに答えている。それは偽りのない言葉で、表情で、挙動だった。嘘を見破るのが得意なキルリアも、ゆっくり2回頷いている。
 人間とポケモンの絆。かつてこの世界でもてはやされた美徳が、いかに風化しやすいものであったか思い知らされる。冥子とて、かつては自分とポケモンの関係に大いに満足をしていた。信じあって戦う。だけども考え方や好みが異なり、互いに理解しようと歩み寄る。健全な努力を継続した上に成り立つ、心地よい緊張感のある関係。人間とポケモンという生身の異種族の間にこそ、そんな特別な関係が芽生えるのだと信じていた。
 それが幻想であったことを、科学技術が人々に知らしめた。ポケモノイドで、その絆は代替可能なのだ。

 冥子が考え事に耽っているうちに、ニュース番組のインタビュー場所はとあるポケモンジムになっていた。著名なドラゴンタイプの男性ジムリーダーの言葉が、テレビを通して人間たちに届けられる。

「ポケモノイドは生身のポケモンと全く同じく、トレーナーの実力に比例して力を発揮します。ポケモンと同じく、不可逆的な進化もできる。
 ただひとつ違うのは、ポケモノイドには本物の感情や痛覚がないこと。これが、素晴らしいんですよ。私達トレーナーは、ポケモンバトルでポケモンに辛い経験をさせる苦痛から解放された。これは、成長に過ちがつきものである若手のトレーナーには特に良いことです。過ちを恐れず、様々な戦法を試し、学べるからです。事実、最近の若いトレーナーは、10年前よりも発想力が豊かで柔軟だと感じています。
 ポケモノイドは、かつてないほどに私達トレーナーを成長させてくれます」

 かつてはこの世界で最も、人間とポケモンの絆を信じていたであろう人種。ジムリーダーたるその男性は、ポケモノイドを支持する意見を力強く述べきった。冥子はキルリアに目配せする。キルリアはゆっくり2回頷いた。
 表沙汰にされない噂によると、ポケモノイドの普及に大反対をしたジムリーダーももちろん存在したそうだ。しかし、ニュース番組や新聞を注目してみていても、デモや暴動の類はとうとう一度も取り上げられなかった。洗脳の怪電波が流されたという都市伝説も存在するが、ポケモンのようなものを精巧に創れる科学技術がある以上、それも否定しきれない。ただ、ポケモノイドの導入を機に、この地方で活躍するジムリーダーの顔ぶれに若干の変化があった。数人の引退の真相は、憶測でのみ人々に語り継がれることとなる。

 人間は新しい価値観を創り上げて迎合して、常識を打ち破る仕組みの元に身を乗り換えて発展を続けている。それが便利で快適な価値観かどうか、瞬時に嗅ぎ分けて結託しながら。そんな薄情さこそが人間の生存戦略なのだと、冥子は考えている。
 そのように正当化してもなお、我ながら人間の薄情さは恐ろしい。10年前、愛する主人に捨てられて、野生で食料と化したポケモンもいるだろうに。そういうものは、未来のための尊い犠牲と称されたのだった。

 冥子がまたも物思いにふけっていると、ぼんやり顔を面白そうに、マリルリが覗き込んでくる。身体が小さなガーディは、冥子のベッドにぴょんと飛び乗ってくる。生き物と共に生きている。そんな錯覚が、どうしようもなく生々しく感じられた。
 テレビの中ではインタビューが終了したようで、再びスタジオが移されている。背景の植物は綺麗に整いすぎていて、冥子には妙に無機質に感じられた。

「人間とポケモノイドの歴史は、まだ始まったばかり。未来に期待ですね」

 男性キャスターがニュースを締めくくり、天気予報のコーナーが始まる。そんなの、自分には関係のないこと。冥子の興味はテレビから切り離された。

「未来、ねぇ」

 キルリアの表情が、冥子よりも先に曇る。トレーナーの声に混ざったため息を、いつも敏感に拾い上げるのだ。心配そうな、怯えたような顔を、優しく撫でてやる。

「ごめん。心配、させちゃったね。キルリア」

 冥子の手を、キルリアは割れ物を扱うようにそっと抱いた。出会った頃はふっくら柔らかく、温かかった冥子の腕は、目を背けたくなるほどに瘦せ細っていた。脂肪も筋肉も衰え、骨と皮と血管で構成されている、熱を蓄えることもままならない、そんな腕だった。幾度となく点滴の針を抜き差しされ、あちこちが青黒く変色している。どうにか足に刺さった針から、今も治療薬がぽとり、ぽとり。
 しんと静かな病室で、冥子とポケモノイドたちは見つめ合う。冥子を涙目で見つめるキルリアも、冥子を元気づけるようにすり寄ってくるガーディも、思いつめたような表情で点滴を見つめるマリルリも。こんなにも繊細な表情であるのに、全てが作り物なのだ。心配も、悲しみも、彼らには、微塵もないのだ。

「私、みんなと今を過ごせて、本当に良かったわ」

 力強い声は出せなくなった。表情筋も衰えてしまった。それでも冥子は、できる限りの笑顔で3匹のポケモノイドに語りかけた。

「私を看取るのが、本物の心があるあの子たちじゃかわいそうだもの」

 心の底から安心した冥子の感情を読み取り、キルリアは深々と2回頷いた。

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