彼方空をもういちど

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作者:けもにゃん
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読了時間目安:15分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

「リョウ。空を飛んでみたくないか?」

 何度目かの夏休みのある日、爺ちゃんは不意に当時の俺に問いかけてきた。
 まだ幼すぎた俺にはその言葉の意味はほとんど分かっていなかったが、なんとも意味ありげな含み笑いを見て大きく首を縦に振ったことはよく覚えている。
 そして、同時にそれが俺と蜥之助……爺ちゃんのリザードンとの出会いだった。
 大きな背中に少し大きすぎるゴーグルを着けて爺ちゃんにしっかりと背中を支えられて蜥之助の背中に乗せてもらい、小さくも大きな冒険を体験させてもらった。
 吹き飛ばされそうな速度で空を駆け抜けたり、ゆったりとした速度で地の果てや海の果て、朱と蒼の空の色の境目を縫ったり……。
 その景色も体験も、幼くても十分に興奮する内容だったことは何度も夢に見ることからも十分に分かる。
 今日もそんな夢のような一時をもう一度夢の中で体験し、気持ちの良い目覚めを迎えた。
 しかしそんな目覚めとは裏腹に、今の自分の置かれている状況はあまり良いとは言えない。
 あの夏休みから何度の夏を過ぎ、自分も遂に進路を決めなければならない歳になってしまっていた。
 とはいえ永遠に続くと思っていたのは流石に歳が一桁の頃。
 爺ちゃんのところへ遊びに行けなくなってしまった頃ぐらいまでだったせいもあり、割と早い段階でそういう考えは持たなくなった。
 爺ちゃんはいつも夏休みになるとやって来る俺のことをとても大事にしてくれたし、俺が知らなかったようなことを沢山教えてくれた。
 そして昔からずっと俺の子守り兼遊び相手になってくれた蜥之助はとても大切なポケモンでもあるし、自分にとっては兄のような存在だ。
 だからこそ爺ちゃんの家に遊びに行けなくなったのはとても残念だし悲しかったが、それからは蜥之助が俺の家に来てくれた。
 一人っ子だったことと、まだ幼いからという理由でポケモンとあまり触れ合う機会のなかった俺は蜥之助がやって来てくれたことに心底喜んだのを覚えている。
 そして変化はそれだけに留まらず、蜥之助が家に来てくれたことで幼馴染みのアキラとキョウコの二人と一緒に遊べるようになったことは本当に大きくて良い変化だったと思う。
 学校ではよく話すし、色んな所へ一緒に冒険したりなんかもしたけれど、俺がポケモンを持っていなかったからポケモンバトルを一緒にすることができず、いつも二人がバトルするのを横から眺めているだけだった。
 アキラにはカメックスのアオ、キョウコにはフシギバナのアモティが居て、タイプの相性的にアキラのアオの方がきついのでいつも文句を言っていたが、そこでほのおタイプの蜥之助が来たことで少しだけ嬉しそうだった。
 だが、残念ながら俺はポケモンバトルに関してはド素人だったが蜥之助はどうやらそうではなかったらしく、タイプ相性を感じさせる以前にほぼ一撃で決着がついてしまうほど強いせいで負けず嫌いのアキラが泣いたのもまあ今ではいい思い出だ。
 それから暫くもしない内に両親が俺と蜥之助の関係を見ていたからなのか、誕生日に一匹のヒノアラシを俺に託してくれた。

「もう十分にポケモンのことを育てられるみたいだから、今度は自分よりも小さな子を育てて命を預かるということをしっかりと覚えなさい」

 そう言われてヒノアラシを受け取り、その日からは蜥之助とフレアと名付けたその子とで一人だけポケモンを二匹持つこととなり、アキラとキョウコからまたしても文句を言われた。
 少しずつ活発になり、バトルもできるようになったフレアとならアモティやアオとも流石に善戦はできないにしても、楽しくバトルすることができるようになったお陰でフレアもあっという間にマグマラシへと進化し、バクフーンに進化した頃には当時の俺と同じかちょっと大きいぐらいになって悔しくて泣いたこともあった。
 そうやって色々と思い出していく内に、どんどん大きく強くなっていくフレアとは相対的に少しずつ日向からあまり動かなくなった蜥之助のことを思い出してしまう。
 元々あまり自分から積極的に遊ぼうとする方ではなく、いつも俺に合わせてくれるような優しい性格だったが、それとは違って明らかに一つ一つの動作に掛かる時間が多くなっていた。
 そして年が二桁を越え、学校も変わった頃には蜥之助はあまり上手に飛べなくなっていた。
 あまりにも不安で恐ろしくなり、毎年夏休みの時期になると開催される各界の著名人が集まる電話相談に思わず電話を掛けた。
 怪我なのか、病気なのか……はたまたそれ以外の恐ろしい何かなのか……一秒でも早くその不安を解消したかったが、期待していない答えが返ってくるのが恐ろしくて誰にも相談できず、ポケモン博士なら自分の望む答えを返してくれると信じた。

「初めましてリョウ君。ワシはオーキドというポケモン研究者じゃ。恐らく君のリザードン、蜥之助くんはもう随分と長い間生きているのではないかね?」
「た、多分……爺ちゃんと一緒に冒険していたと聞いているので……」
「うむ。それはつまりどんな生き物にも訪れる老化によるもの。つまり蜥之助くんはもう君のお爺ちゃんと同じで歳をとったのじゃ。辛いかもしれんがどんな生き物にも寿命はあり、その長さは一定ではない。出会いがあれば別れもある。いつか来るその日まで大事にしてあげなさい。そうすれば蜥之助くんも最後まで楽しく生きることができる」

 それを聞いて思わず泣いたのをよく覚えている。
 他の誰にもこの思いは分かってもらえないことを知っていたが、それでも分かってほしかった。
 蜥之助はこの世でただ一人の俺の兄なのだと。
 泣きながら蜥之助に抱きついて不安を紛れさせていた時、不意に後ろからフレアが俺のことを心配して同じように抱き締めてくれた。
 お陰でその日は蜥之助の暖かさとフレアの暖かさに挟まれて割とすんなりと眠りに就くことができた。
 そしてその日からバトルに対してとても消極的になり、アキラやキョウコにはいらぬ心配をさせたと思う。
 そういうこともあってか、他のクラスメイトがさっさと進路を”ポケモントレーナー”に決めてゆく中、ずっと二の足を踏み続けていた。
 なにも俺が恐れているのはバトルが原因でポケモンが傷つき、最悪の場合死んでしまうのではないか、というような不安ではない。
 この先ポケモントレーナーになれば必ず沢山の出会いと別れを迎える。
 そうなった時に俺はその時の悲しみや不安と同じだけの苦しみを味わっても気丈でいられる自信がない。
 だからこそポケモントレーナー以外の進路を考えても問題はないはずと考えるが、ポケモンドクターやポケモンレンジャーのような専門職に就けるほど猛勉強していたわけでもなく、他の学生たち同様に緩い学生生活を緩く過ごしていただけ。
 とてもではないが今から勉強したとしても天と地がひっくり返ってもそんな奇跡は起きやしない。
 だが俺の心を迷わせているのはなにもそれだけのくだらない理由だけではない。
 悔しいことにそれだけの苦しみを味わうと分かっているはずなのに、今でも夢に見るあの地平線を、水平線を、空と大地が混ざり合うようなあの景色に焦がれている。
 あの景色は、あの時の興奮や感動はそれだけの苦しみを覚えてしまった蜥之助と爺ちゃんが与えてくれたとても大切な記憶だ。
 だからこそ逆にそれだけの悲しみを知ってか知らずか、俺のクラスメイト達は『沢山のポケモンを仲間にしてポケモンマスターになる』などとあれほどにまで気軽に言ってくれるのか理解ができない。
 しかしいつまで悩んでいても自分の中で答えは出ないため、夕食の時に意を決して両親に相談してみた。

「父さんが開発者になった理由かい? まあ父さんだって最初はトレーナーを目指したさ。ただ、父さんは爺ちゃんと違ってトレーナーとしての才能はなかったから割とすぐに諦めたよ。それでもポケモンとは身近な仕事がしたかったから……気が付いたらグッズ開発の仕事に就いてたような感じだね」
「……そんな理由だったんだ」
「意外だったかい? でも案外、みんな理由はそんな感じだと思うよ。何かやりたい理由が一つあって、それを自分なりに最も叶えやすい形を探してるだけなんだと思うけどね」

 父さんはポケモンのグッズ……学習装置や虫除けスプレーのような誰でも使ったことがあるようななくてはならない道具の開発者だ。
 そんな父さんが開発者になった理由が"ポケモンとは身近な仕事がしたかった"からというのが余りにも意外だったせいで結局俺の答えは纏まらなかった。
 母さんも好きなようにすればいいと言ってくれるが、その"好きなように”が分かっているのに怖いというこの思いは言い出せないせいで相談もしにくい。
 仕方なくアキラにビデオ通話を投げてみると、ちょうど暇だったのかすぐに出てくれた。

「ようどうした? こんな時間にそっちから通話投げてくるなんて意外だな」
「アキラ。単刀直入に聞く。お前は将来の進路、もう決まってるのか?」
「ああ。俺は消防隊員になる」

 これまたアキラから帰ってきた返事が意外だったせいで暫く言葉を失っていた。
 アキラは俺達三人の中で一番ポケモントレーナーになりたいと初めに言い出した奴だったからこそ、いつそんな心変わりが起きたのか分からなかった。

「なんで!? ポケモントレーナーになるんじゃなかったのか!?」
「確かにな。でもそれ以上にやりたいことが見つかっちまったんだ。アオのハイドロポンプならどんな火災だって食い止められるし、俺も沢山旅をしたいとも考えてたけどな……それ以上に沢山の人の笑顔が見たいって考えるようになったんだ」
「沢山の人の笑顔……。それはトレーナーじゃできなかったってことか?」
「いやいや。できないなんてことはないだろうけどさ、俺は自分を見て沢山の人が俺に声援を贈ってくれて、それで俺を見た皆が勇気付けられるのもいいと思う。でも俺はそれ以上に直接誰かの笑顔をこの目で見たいんだ。だったら誰かを助ける仕事が一番かなって」
「そういうことか……。キョウコはどうなんだろうな……」
「本人に直接聞くのが一番だろ。通話に入れておくぞ」

 アキラの心変わりの理由が余りにもシンプルだったことに驚いているうちにキョウコも通話に出て三人で同じように将来について話し合うようになった。
 本当はキョウコまで巻き込むつもりはなかったのだが、断る前に通話に出てしまったため断るタイミングを失ってしまったのはここだけの話だ。

「私もそういう意味じゃ同じかな。ポケモントレーナーになってみたかったけど、私がやりたいことはトレーナーじゃなくてフラワーコーディネーター的な……なんて言ったらいいのかしら」
「花屋さん?」
「まあ広義で言うならね。でもそれよりも花の香りとか、そういうのを香水にするようなフレグランスコーディネーターって言っても二人とも分からないでしょ? 私がやりたいのは花と、その匂いを使って沢山の人を魅了できるような仕事。だから今は匂いの成分だとかの勉強中」
「キョウコもなのか……トレーナーにならないの」
「まあね。元々あんまりガラじゃなかったし、そういえば聞いてきたけどリョウは何になりたいの? お父さんと同じ開発者?」

 二人には俺がバトルをやめた日から一度もトレーナーになりたいとは言っていない。
 実際、自分でもこんなギリギリまであの時の小さな憧憬が嫌だという思いの下で燻り続けているとは考えもしなかった。
 いつか訪れる別れを俺は受け入れられるのか分からない。
 そうやって自分の気持ちと恐怖がいつまでもせめぎ合い続けて不安になる。
 するといつからそこにいたのか分からないが、斜め後ろにはフレアの姿があった。
 俺を覗き込むようなその表情は明らかに俺のことを心配しているのが分かる。
 俺と目があったのに気が付くと垂れていた耳が少しだけ元気を取り戻す。
 
「ごめんな。心配させて」

 そう言って手を差し出すと自分から頭を下げて撫でてもらえるように頭を手に擦りつける。
 柔らかな毛並みを優しく撫でてから頬に手を回し、グイと顔が見えるように頭を持ち上げると、もう心配はしていないようで垂れていた耳はもうしっかりと伸びていた。

「アキラ。キョウコ。俺、ポケモントレーナーになりたい。コイツと……フレアと一緒に旅をしてみたい」
「……そっか。いいんじゃねぇか? リョウの爺さんもフレアも蜥之助も喜ぶだろ」
「ずっと昔は言ってたもんね。旅をしてみたいって……。でも大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ。というよりも今、大丈夫になった」

 そう言って笑ってみせた。
 確かにこの先、悲しい別れが訪れるかも知れない。
 でも、爺ちゃんと蜥之助が与えてくれたのは悲しみよりもずっと素晴らしい記憶だ。
 それに……今はまだ悲しみでしかないこの思い出も、いつかは優しい思い出に変わっていくはずだ……と信じたい。
 俺が悲しみを恐れ続ける限り、多分どんな選択をしても後悔する。
 俺はそんな悲しみを人より少しだけ先に経験しただけなのだろう。
 だからこそ後悔したくないし、迷いたくもない。

「悪いな。今日はこんな変な話に付き合ってくれて」
「いいってことよ。それにやっと元気そうなお前の顔が見れたから良かったよ」
「たまには手紙でも電話でもメールでも……なんでもいいから連絡してね。いろんなお話聞きたいし、リョウが無事だってことを知りたい」
「分かってる。でもその前に爺ちゃんと蜥之助に話すよ。それじゃあ」

 そう言って短い通話を切った。
 今こうやって考えると、実はあまり悩んでいなかったのかもしれない。
 誰かに背中を押してもらいたかっただけなのかもしれない。
 でもあとはもうこれで十分だ。
 そう考えて一つグッと背伸びをしたあと、フレアの方を向いて

「フレア。明日、爺ちゃんと蜥之助の墓参りに行こう。丁度盆だし、迎えに行くついでにしっかりと将来について報告しないとな」

 そう言ってフレアに笑いかけた。
 するとフレアも元気に返事を返してくれる。
 それだけで今の俺にはもう十分だった。
 俺の旅の目的はポケモンマスターを目指すような本気のトレーナー達からすればちっぽけなものかもしれない。
 だが、俺にとっては大切な目標だ。
 あの日見た地平線の彼方まで、水平線の向こうまで、この足で訪れたい。
 そして願わくば、これから先出会うであろう仲間達と共に、あの日見た彼方の空をもう一度眺めたい。
 それが俺が旅をする目的だ。
 小さな小さな、夢だ。

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