「フーパ、おまえの願い、なんでもみっつかなえる。」
山男と見紛うほどバカでかい魔神が、これまた見た目どおりに地響きを起こすほど重低音の唸り声をあげた。
さて、物語を話す前に、まずは魔神に遭遇した経緯を説明しておこう。
ランプの魔神という伝説を当然知っているだろうか。砂漠に埋もれた黄金のランプを擦ったら、魔神が出てきて願いをみっつかなえてくれるというアレだ。
ただの御伽話だと思うだろう?俺もそう思っていた。ところがどうだ。俺の取引相手が破産したとか何とかで、金のかわりに怪しげな壺を差し出してから、ちょっとばかり興味が湧いてきた。いかにも安っぽい土産物屋に置いてありそうなこの壺が、実は魔神フーパを閉じ込めた秘宝なのだと言う。
まさかと思って壺を撫でてみたら、このとおり。うちの庭にどでかい魔神が現れた。
モノホンのフーパかよ。
俺の頭にはみっつの選択肢が浮かんだ。
ひとつ、金持ちに売り飛ばす。
ふたつ、ロケット団に売り飛ばす。
みっつ、願いを使って俺が金持ちになる。
普通に考えれば最後の選択以外ありえないな。願いをかなえてもらった後で、金持ちやロケット団に売り飛ばせばいいのだから。
そうと決まれば、この魔神から搾れるだけ搾り取ってやろうじゃないか。俺は丁寧に頭を下げて、ビジネス用の笑顔を貼りつけた。
「その契約には同意できない。」
フーパは首を傾げた。
「・・なに?」
「みっつでは少なすぎる。俺の限りない欲望をすべてかなえるには少なくとも100回聞いてもらわないと困る。」
出たよ、こういう奴。そう言わんばかりにため息をつかれた。
「みっつまでだ。」
「じゃひとつめの願い。」
「なんだ。」
「願いの回数を無限にしてくれ。」
「それは戒めの壺が許さない。フーパも許さない。」
「戒めの壺だと?」
よく見ると、壺に顔のような穴が空いて、目の部分が赤く光っていた。駄目と言っているのだろう。余計なことを。
「それじゃこうしよう。ひとつめの願い事はこうだ。願いをかなえる回数について交渉させてもらいたい。俺と魔神で何らかの合意に至るまで、互いに決して交渉のテーブルから下りないこと。」
戒めの壺の目が青く光った。オーケーと言いたいのだろう。魔神はしぶしぶ頷いた。
「・・戒めの壺が認めた。よかろう。だがフーパはみっつまでしか叶えない。」
「待て待て話はここからだ。」
俺は倉庫からキャンプ用の椅子を運んできて腰をすえた。
「わかった。無限は俺も言い過ぎた。交渉なんだから、お互いに譲歩しよう。願いを100回聞いてくれるなら、最後の1回でお前を戒めの壺から自由になれるよう願ってやる。」
「それは他のご主人様がもうやった。戒めの壺、フーパの力ではどうにもできない。」
「本当に?御伽話ならその願いでハッピーエンドだったんだが。なんでもかなえると言った割にはずいぶんとケチくさいな。」
「駄目なものは駄目だ。」
戒めの壺も目が赤く光っている。壺のくせに法律家きどりか、くそが。
「よし。それじゃふたつめの願いだ。」
「言ってみろ。」
「戒めの壺に関する制約ルールを文書で提供してほしい。基本原則はもちろん、付帯条項も注記も注解も、過去に戒めの壺が下した判例の記録も含めてすべてだ。」
「ふざけるな!」
しかし戒めの壺の目は青く光っている。願いは聞き届けられた。魔神は振り上げた拳をそっと下ろして、しぶしぶリングを掴んだ。逆さにして振ると、輪っかの中から大量の羊皮紙が降ってきた。
「三日待て。用意する。」
「・・・・三日。」
悪いことをしたと思う。
魔神はそれから三日間かけておびただしい羊皮紙一枚一枚、表と裏に念書した。超能力のおかげで念じれば文字が記されるが、これができなければと思うと恐ろしい。手書きなら何年もかかっただろう。
俺は数分も待てずに家に戻って夕飯を作った。明日の仕事に備えて支度を整え、歯を磨いてそろそろ寝ようかと思った矢先、外を見れば魔神がまだ念書を続けていたので、さすがに哀れに思い、夕飯の残りを差し入れた。
三日目の夜、俺が仕事から帰ってくると、魔神は俺を庭に呼びつけた。
「できたぞ。仕分けもしておいた。これが基本原則。あっちが付帯条項。こっちが注解一覧。そっちが判例集。施行規則と実務指針も加えておいた。」
庭に紙の山がきれいに並んでいた。魔神よりもでかい山だ。
たかだか戒めの壺で、何でこんなに規則が多いのか。俺はその日から部下達を呼びつけて、戒めの法令解読作業にあたらせた。10人がかりで取りかかり、理由は翌日になってやっと判明した。
「ボスと似たようなことを考えた輩が以前にもたくさんいたようです。」
「俺と同じこと?」
「願い事を合計4回以上にしようとしたり、フーパに無茶な願いをさせようとあれやこれや理屈をつけたみたいですね。その度に戒めの壺が判断を下して、後に明文化されています。たとえば七十二年前に追加された基本原則の第四百九十八条、これは願い事の権利を相続した場合について規定されています。特に相続先の権利関係について。願い事の権利を有する被相続人が死亡した場合、その配偶者と子供が相続人に該当し、権利が相続されます。その際、願い事の回数は変わらないため、権利行使にあたり議決権の割合が・・。」
「もういい。」
聞いてるだけでうんざりする。俺は法律家じゃない、ビジネスマンだ。法律に従うのではなく、ビジネスに法律を従わせる。このままでは願い事を増やすことができず、ただ紙の山を作っただけで終わってしまう。
そうはいくか。庭先で指にとまったバタフリーと戯れる魔神に、俺はいちゃもんをつけた。
「やい!魔神!金銀財宝を出せ!ありったけ!いくらまで出せる!?」
「この庭いっぱいの金塊なら。」
「よーしそれでいい!みっつめの願いは・・。」
「ボス、待ってください!」
部下が横やりを入れてきた。
「その願いごとは駄目です!」
「どうして!?」
「過去の判例集に記載がありました、願い事取り消しの訴えです。事例によると、ボスと同じく大量の金塊を願った奴がいましたが、換金を試みたところ中央銀行から盗まれたものと判明、国際警察から重大犯罪の容疑者として指名手配を受けています。そいつは願い事を取り消して金塊を元に戻そうとしましたが、訴えは棄却されました。戻すにも願い事の権利を行使しなければいけません。」
「現金は?宝石とか債権とか株券は!?」
「いずれも一カ所からしか取り寄せることができないので、おそらく銀行から盗むことになります。別々の場所から広く取り寄せようとしても、取り寄せ先一カ所につき1回の願い事に相当するものと規定されています。安全に金を願うには、隠蔽用の願いも必要ですが・・。」
「願いはあと1回しか残っていない。」
俺は部下達を全員帰らせた。これ以上は時間の無駄だ。いくら規則を紐解いても、おそらく先人も同じことをしている。出てくるのは似たり寄ったりな失敗例ばかり。全部俺が思いついたことばかりだった。
静かになった庭で魔神が三日月を見上げている。交渉と願い事が終わらない限り、魔神はここで空を見続けるだろう。庭に置いた壺に縛られて。いっそ最後の願い事と一緒に、他人に売ってしまった方が早いのではと思った。
「フーパ、たくさんのニンゲンを見てきた。どれも欲をかいて失敗した。今のお前と同じ。どうしてニンゲンは同じことを繰り返す?」
「それが人間だ。儲けたいと思う欲望が、俺達の原動力だ。過ちは犯す、当然だ、それでも欲望を糧に何度でも立ち上がり、成長し、やがて成功を収める。」
「フーパ、欲望を満たす道具じゃない。ニンゲンの願い事はうんざりだ。本当に戒められるべきはお前達の方なのに。」
「なら魔神よ、お前は何故戒められている?壺に繋がれているのはどうしてだ?壺が決めた膨大な規定は、一体何を守っている?」
魔神は何も答えなかった。
翌日、仕事を休んで図書館に向かった。
戒めの壺にまつわる伝承を追っても、大抵はこうだ。むかしむかし、邪悪な魔神が人々を脅かしていた。それを見かねた賢者が、戒めの壺を作って、魔神を壺に封じたのだ。これが単なる御伽話でなく事実を語っているのだとすれば、これは永劫科せられた罰なのか。賢者とやらがどれほど偉いのか。現代の司法制度でさえ罪の立証と刑罰の判断には恐ろしく手間をかけているというのに、賢者はひとりで罪を立証し、判決を下し、執行したことになる。それで与えられた罰がこれでは、あまりに重い。
憤りながらページをめくると、少しずつ見方が変わってくる。
魔神が邪悪になったのは、人間にも原因があるようだ。娯楽に飢えていた市民は、魔神の自尊心をくすぐり、他のポケモンと戦うようにけしかけ、その豪快な戦いぶりを見て楽しんでいた。時には人々の願いを聞いて、財宝を取り寄せばら撒いた。
つまり賢者は、人間と魔神の両方を戒めるために壺を作った。魔神を壺に閉じ込めて永遠の孤独を与え、人間には自らの欲望で破滅するような規定を設けた。それがあの何百何千ページにも渡る法律なのだ。
・・・・古代の偉ぶったクソジジイが、人をおちょくりやがって。
魔神を戒めたおかげで、古代人達は巨大なビジネスチャンスを奪われた。ポケモン同士を戦わせる、良いことじゃねえか。コロシアムを建築して、魔神をチャンピオンにしてやれば、莫大な利益が生まれたはずだ。それをあのしょぼくれた壺に閉じ込めて、どれだけの利益をドブに捨ててきた!?
許せん。俺は必ずや魔神で金儲けしてやる。それこそクソ賢者があの世で地団駄踏むほど儲けてやる!
ちんけな戒めなど、飽くなき欲望には遠く及ばないことを思い知るがいい!
俺が何度も部下を呼びつけるので、本業(ポケモンをどこからか連れてきて、素敵なご主人様の元へ案内するお仕事だよ!)を一旦止めることにした。この損失はいずれ魔神で埋め合わせるとして、魔神へのインセンティブをどうするかが課題だった。要は願い事をかなえるメリットだ。
そのヒントが規定の中に埋もれていないか、部下達に調べさせた。
「これはいかがでしょうか。基本原則の第十五条、原則として魔神の戒めを解除する願い事を無効とする。付帯条項の第百九十六条、基本原則の第十五条に定める戒めを解除する願い事を認める事由として、魔神の死亡が挙げられています。」
「死んだら意味がないだろ。」
「でも死亡の定義は定められていません。我々の法律上の死亡の定義と同じだと解釈すれば、魔神の意識だけを別の肉体に移植して、元の肉体が死亡すれば、戒めを解除すべき事由に該当するのではないでしょうか。」
「ちょっと強引過ぎやしないか?」
戒めの壺の目も赤く光っている。別の部下が手を挙げた。
「判例ではハートスワップ等の意識交換は認められず、元の肉体の死亡をもってしても例外事由には該当しないと判断されています。」
「判例にあるってことは、まさか一度やったんじゃないだろうな。」
魔神は気にせずバタフリーを頭に乗せて遊んでいた。
また別の部下がめげずに手を挙げた。
「魔神は個人事業主と呼べるのではないでしょうか?壺の所有者の願いをみっつかなえる義務と引き換えに、その間、魔神は壺の外に出られる限定的な自由を報酬として獲得し、これを生業としています。したがってこの権利義務を別の法人に買収、すなわち吸収合併という形で承継させれば、戒めの対象そのものが魔神から法人に移ります。」
残念なことに、また戒めの壺の目が赤く光っている。また別の部下が手を挙げた。
「それも判例にありました。願いをみっつかなえる義務は戒めの壺による刑罰の執行と解され、事業としては認められていません。」
こんな議論が丸二日続くと、さすがに果てなき欲望を原動力とする俺達も疲れて頭が回らなくなってくる。
俺はイライラして怒鳴った。
「何かあるはずだ、答えを考えろ!」
もう何日も本業をおろそかにしていたせいで、いよいよ檻に閉じ込めていたポケモン達が弱り始めていた(ポケモン達は自ら望んで檻に入っているよ!)。このままでは売り物(と呼ぶのは建前で、このお兄さんお姉さん達はポケモン達を家族のように大切にしているよ!)が駄目になってしまう。さすがに廃業はできない。
魔神との交渉材料集めも、諦めるしかないのだろうか。徐々に部下達を本業に戻していき、更に一週間が経過した。
「フーパよ、話がある。ずいぶん待たせてしまったが、交渉を続けよう。」
俺はひとりで庭に出て、魔神を呼んだ。
「いい加減にしろ。交渉は終わり。最後の願いを早く言え。」
魔神はこちらに顔を向けもせず、三匹のバタフリーと戯れていた。
「いいや俺は合意しない。願い事は100回だ。そのかわりに、次の願い事を行使する前にお前を戒めの壺から解放してやる。どうだ?」
「無理だ。お前にはフーパを救えない。」
「本当にできるとしたら?おそらくこの方法を思いつけるのは、後にも先にも俺だけだ。自由になれる唯一の選択肢に背を向けるつもりか?」
やっと魔神がこちらを向いた。戒めの壺もこちらを向いた。
「・・どうやる?」
「うちはポケモンを売買している。ポケモン専用の職業斡旋業者の名を借りて。それはどうでもいいが、取り扱っているポケモンの中に一匹面白い奴がいる。そいつを使えば、お前は自由になれる。言えるのはここまでだ。」
「嘘だ。ニンゲンはよく嘘をつく。」
「否定はしない。しかし契約は契約、そして俺はビジネスマンだ。交わした契約は必ず守る。」
魔神は悩んだ。普段使わない頭でたくさん悩んだ。
「・・・・・・・・・嘘ついたら?」
「そうなったとして、俺は履行義務を怠った。その時点で契約は当然に無効、願いごとも3回かなえたものと見なして構わない。」
「う~~~~・・・・・・・・・それでも100回は多すぎる。」
「減らしてもいい。しかしよく考えろ、願い事の数はお前の自由の値段だ。」
「・・・・残り5回ならいい。」
「値切り過ぎだろ!少なくとも70回だ。お前の自由はそんなに安いのか?」
「7回だ。それからフーパ、感謝してやる。」
「感謝をどうやって示す?まさかお礼を言うだけか。言葉だけなら何の価値もない。」
「友達になってやってもいい。」
「それなら50回。友達っていうことは、俺が困っていたら進んで助けてくれる。そういう解釈でいいな?」
「悪いことには手を貸さない。7回だ。」
「30回、プラス俺の手下になれ。これが最後の提案だ。人とポケモンを結ぶ楽しい仕事が待っているぞ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10回。」
「手下になる?」
「お前がいなくなるまで。」
「交渉成立だな。」
「フーパ、合意する。」
よしきた。俺が指を鳴らして合図すると、魔神は砂になって崩れた。
魔神が死んだ。
それは戒めの壺が役目を終えたことを意味する。創造神の力を借りて作られた壺にひびが入った。刑罰の終了。死亡確認。戒めるべき者を失った壺は、やがてパリンと割れて砂になった。
魔神はぱちくりした。
何千年と自分を縛ってきた壺がいきなり消えてなくなった。あっけなさすぎて夢でも見ているのかと思ったが、頭にとまるバタフリーの足の感じは本物だった。
「ニンゲン、何をした?」
「ゾロアークって知っているか?」
「知っている。どこにいる?」
「ずっとここにいるが、常にイリュージョンで身を隠しているから目では見えないのだ。おかげで戒めの壺にも気づかれなかった。戒めの壺に、お前が死んだ幻影を見せた。お前が死んだから、戒めが終わった。」
「ずるい・・やっぱりニンゲンは嘘つきだ。」
「何をどう言おうと戒めの壺が勝手に勘違いして自爆した!したがって俺は履行義務を遂行し、お前を自由にした!これでお前は俺の手下だ!奴隷だ!さあ世界中の珍しいポケモンを全部俺によこせえええええ!!!!!!」
「フーパ、自由になった!お前に感謝していた!願い事を本当にかなえてやろうと思ったけど、やっぱりやめた!ニンゲンは悪い奴だ!お前なんかの手下にはならない!」
「黙れ!現代科学の粋、マスターボールを喰らえ!!!!!」
魔神は新たなる戒めのボールに吸い込まれた。
俺は魔神の入ったボールを拾った。
「契約は守る。願い事は10回まで。命令は・・・・無限だ!」