無垢なるモノ

しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
 
作者:あるみ
ログインするとお気に入り登録や積読登録ができます
読了時間目安:34分
 ひどく長い坂を上り切った頂上から見える町の景色は、10年前から何も変わっていない。
 ただ秋の冷たい風の中で、遊ぶ子供の姿すらない小さな故郷は少し寂しく見えて、僅かに目を伏せる。
「行こう、ヒトカゲ」
 自分のすぐ横を同じスピードでついてくる相棒に声を掛ける。彼にとっても久しぶりの故郷だ。ヒトカゲはしっぽの炎をゆらりとなびかせて、こちらを見上げて笑顔を見せる。その仕草も、何だか懐かしい。
 家までの道は忘れるはずもない。予想以上の肌寒さにコートを前できつく閉め、眼下の町を目指して再び歩き出した。

 小さな門をくぐり、石畳の広場に出た。中央には比較的小さめな噴水が鎮座している。
 ここはこの小さな町の中で最大の広場であり、特に日中は住民で賑わっていた。
 だが今は噴水の音も、子供たちの歓声さえも聞こえない。石畳はひび割れ雑草が生い茂り、辺りの店のシャッターも、もう長らく開いていなさそうだ。噴水は水が枯れている。
 その荒れ果てた様に長い年月の残酷さを突きつけられ、咄嗟に目を逸らす。
 ……いや、こんな場所に用はない。足早に通り抜けようとしたその時、突然ヒトカゲが鳴き声を上げた。
 足を止めて振り向くと、そこに子供がいた。噴水の向こう側、縁に腰かけた二人の子供が……
「あれ」
 しかし近寄ってみてもそんな子供はいなかった。見間違いだったらしい。だが何故だが妙にその子供に見覚えがあるような気がしてならない。
 あの噴水の陰で、楽しそうに語り合う少年と少女が。
「そんな訳がない。この町にもう子供はいないし、第一知ってる子なんて10年も前にここを出た俺には」
 無駄な考えを頭を振って打ち消し、今度こそ広場を出た。ヒトカゲの自分を見つめる目が悲しそうに見えた気がした。

 たどり着いたのは古びた研究所だった。半球型の大きな建物。昔こそその滑らかな壁面は輝きを見せていたが、今はツタが一面を覆ている。本来ここを訪ねる予定はなかったのだが、道すがらせっかくなので入ることにした。
 ノックもせずに扉に手を掛けて、力の限り引っ張った。
「ぐ…ぬぬぬ……」
 こんなに立て付けが悪かっただろうか。ギギギと扉が嫌な音を立ててゆっくりと開いていく。後ろでヒトカゲが何やら騒いでいる。どうやら応援しているらしい。
 何とか扉をこじ開けて一息つく。中を覗くと電気はついておらず、うまく見通せない。手探りでスイッチを探して押すと、しばらくしてから明るくなった。辛うじて電気は通っていたようだ。
 明瞭になった視界に、だだっ広い空間が現れる。ここはポケモン研究所だった。今はもう、こんな有様だが。自分にとっては思い出の場所だ。10年前、ちょうど10歳の誕生日を迎えた時に――
 その時、突如前方から扉が開く音がした。ぎょっとして前を見ると、そこには博士が立っていた。
「……博士か」
「そんな顔をしおって。ワシはまだ死んどらんぞ」
「だって研究所がこんなボロボロだし。扉なんてめちゃくちゃ固かったぜ?いつもどうしてんだよ」
「はて……そんなに固かったかな?まあ、研究所としてはもう使っとらんがな。ワシの終の棲家じゃ」
 そう話しながら博士はゆっくりと近づいてくる。正直博士が生きているとは思っていなかった。10年前から歳に似合わない元気さだったが……そういえば今何歳なんだろうか。しかしそんな博士も随分年老いたように見えた。
「それで、何の用じゃ。すまんがテレビは見ておらんでな。夢は果たせたのか?」
「…………いや、何でもないんだ。本当に。もう行くから」
 そう言って踵を返す。……最悪だ。何故だか分からないが、今すぐここから出なくてはいけない気がした。
 背後から博士が追ってくる気配はなかった。扉を押し開け、無言で研究所を出る。
 そもそも本当に何故ここに来たのだろう。博士は死んでいるものだと思っていたし、中に入る必要はなかったはずだ。
 何かを思い出しそうな気がした。何を?何もかもを。
 「あ」
 と、突然ヒトカゲを忘れていたことに気が付いて、慌てて振り向いた。よかった。すぐ後ろをついてきていた。
 「早く来いよ」
 ヒトカゲは頷くように笑って隣に並ぶ。
 そういえば、研究所を出るとき、扉は全く重くなかったような気がした。

 
 広場の方向から離れるようにしばらく歩いていくと、段々と見慣れた道になっていく。雑草が伸びっぱなしになっているが、ここは自分が最も多く目にした道。この先に自分の家がある。
 どこにでもある小さな家。この町は小さくて住民も少なく、辺りは野原に囲まれている。だからスペースはいくらでもあって、家と家の間隔は広い。敷地内に庭はないけれど、その代わり辺り一体が庭みたいなものだった。
 そんな我が家に帰ってきた。ようやくだ。
 
 …………?
 何をしに?

 一瞬疑問が脳内をよぎる。が、身体はかつての習慣をなぞるように玄関へと近づき、ドアに手をかけた。開かない。どうして?何故開かない?ガチャガチャとドアノブを揺らすが一向に開かない。どうして?どうして……
「あ……鍵」
 そうだ。鍵を忘れていた。至極当たり前じゃないか。額に手を当ててため息をつく。そして背負っていたリュックを下ろし、その一番下のあるケースから鍵を取り出した。
 少し錆びたそれはしっかりと役目を果たし、カチャリと音を立てて鍵は開いた。
 今度こそドアノブを回す。
 開かない。ビクともしない。まるでネジで固定されてるかのようにドアは動かない。
 このドアもこんなに固く……?
 ……いや……固いんじゃない。
 動かしていないのか……この身体が。

 じわりと全身に汗が滲む。気温ではない。何か猛烈な危険信号が脳内で鳴り響いている。なぜ開けない?鍵は開いた。ドアを開ければいい。何故?なぜ開ける?何故戻ってきた……今更。
 ヒトカゲが鳴いた。悲しそうに鳴いた。それでいて、何かを促すように。今までそんな風に鳴いたことなどあっただろうか?
「…………」
 ゆっくりと、ドアを引く。
 少しずつ、少しずつドアは開き、そして一気に開け放った。

 その瞬間、懐かしい家の匂いが流れ込んできた。

「ただいま……って、誰もいるわけないか」
 家の間取りは変わっていない。……当たり前だが。随分と懐かしい。生まれてから10年間も育ってきた家だ。玄関の置物も、時計も、変わっていない。
 一人っ子として我が物顔で振舞っていた我が家。ここをヒトカゲと共に出たのはもう10年も……
「おかーさーん?あれ?おかしいな、いないのかな……」
 軋む階段を上り、二階に上がって子供部屋を目指す。部屋のドアには「子供部屋」と書かれたプレートが掛かっていた。自分の部屋だ。
 子供部屋を開けた。もちろん誰もいない。そこにあるのは机が一つ。布団は押し入れに入っている。
 記憶にあるより随分と綺麗になっていた。置いていた小物が全部整理されているらしい。
 綺麗になっているからか、部屋は広く感じられて少し寂しい。……誰もいないのは分かっているのに人の姿を探してしまう。
 と、自分の机の横にダンボール箱がひとつ置いてあった。ここに自分の物が入っているのだろう。当たりを見回しても他に何かしまってあるようなものはなかった。

 それに手をかけ、開けた。
「…………あ」
 ……なんと無防備だったのだろう。開けてはいけないものを開けてしまった。
 そこには写真立てがあって、その写真には2人の子供が写っていた。
 左側の少年は、自分。右側の少女は――

「あ、あ………」

 写真立てがダンボール箱の中に落ちた。
 思い出してしまう。思い出してしまう。
 隠していた記憶が。見たくない思い出が。
 逃げなければ。逃げなければ。
「あれ……?」
 ヒトカゲがいない。早くここから立ち去らなくては行けないのに。辺りを探す。いない。
 いつからいなかった?家には入ったはずなのに。
「おい……ヒトカゲどこだ?頼む……どこだよ……ヒトカゲ……ヒトカゲ……!」
 脳が悲鳴をあげていた。
 早く。
 思い出してしまう前に。
 早く逃げないと――

「ヒトカゲぇ……!!」
「お前さんのヒトカゲはもう、おらんじゃろう」

 博士がいた。
 部屋の入口に立っていた。

「お前さん、ワシに手紙を送っておったじゃろ。7年前くらいにはリザードになったと、5年前にはリザードンになったと、そう書いていたじゃろ?」
「え……あ……」
「10年も経って、進化していないはずがなかろうて。それも、トレーナーのお前がチャンピオンを目指していたなら尚更」

 そんなはずはない。
 だってヒトカゲは自分の相棒で、それで今日は一緒に里帰りをしようと、
「……もしや、忘れてしまったのか。自身の歩んだ道を」
「…………」
「思い出を消しに来たのじゃな。何もないこの町に、唯一残った思い出を消しに」
「俺、は…………」
 ヒトカゲは、もういない。
 奴は俺の期待に応えようとリザードになり、そしてリザードンになって――
 ……それでも、求める力には届かなかった。だから俺は――――
「その写真をよく見なさい。その子も忘れるというのか?お前さんと一緒にいた女の子のことも」
「…………」

 博士は、ただ自分を見つめていた。その表情に何も言えないまま、ただ独り、写真を手に取った。
 満面の笑みで、自らの将来の輝きを信じて疑わない顔。そして、その隣ではにかむ少女。
 どちらもさっき噴水で見かけた顔だった。
 そのどちらも、今は残っていない。

 思い出した。
 10年前のあの時に、自分はチャンピオンを目指してこの町を旅立ったのだ。
 少女の願いを残して。



 この国には、ポケモントレーナーになれるのは10歳からという法律がある。そしてこの町にはその法律に従って、10歳になった子供にポケモンをプレゼントする決まりがあった。
 町に唯一あるポケモン研究所、その博士が選んだ候補から一体。相棒となるポケモンを選べるのだ。
 そしてそれは10年前、ちょうど10歳の誕生日を迎える自分もそうだった。
「なあ、どれがいいと思う?オレにぴったりのポケモンはどれかなあ!」
「うーん……かっこいいの、かな?」
「だよな!」
 そのプレゼントされるポケモンの候補は、大体一週間前には発表される。今回博士が用意したのはヒトカゲ、ゼニガメ、そしてフシギダネ。
 誕生日をあと数日に控えた自分は、どれを選ぶか一日中ワクワクしながら考えていた。
「やっぱりそうなるとさあ、ヒトカゲが一番かっこいいよな!ほのおタイプってオレにぴったりって感じ!」
「ゼニガメは?」
「あー、ゼニガメもかっこいいんだよなあ!ちょっとクールだけど荒々しくてさあ……お前はどうすんの?」
「わたし?わたしは……まだ半年先だから……」
「そうか、そうだったな!」
 夢中になって初めての相棒を考える自分の隣には少女がいて、ずっと話を聞いていた。
 噴水の縁に座り、地面を見つめている。落ち込んでるわけではなく、それが彼女のいつもの風景だった。
 その隣で自分は立ち上がり、せわしなく辺りをうろうろしている。
「うーん、今のところはヒトカゲだな!だって知ってるか?ヒトカゲって二回進化したらこーんなに大きなリザードンになるんだぜ!」
 こーんなに、で精一杯に両手を広げるモーション。少女は微笑みながらその様子を見ていた。
「そんでオレはリザードンと一緒に、ポケモンリーグのチャンピオンになる!あー、早くこんな町出て、旅に行きたいんだよなあー……早く誕生日になんねえかなあー」

 10歳でポケモンを持てる、ということはポケモンが管理できると認められる年齢だということだ。つまり一般的に、10歳は独り立ちが認められるということになる。
 だがもちろん所詮小さな子供。一人で生きていくなんて相当難しい。だからそれまでとは何ら変わらず、もっと大人になるまでの準備期間となるのが普通だ。
 しかし、10歳の子供にはもう一つの選択肢がある。それは「ポケモンと共に旅に出る」ということ。
 ポケモンと共に町を出て、修行し、ジムをめぐってポケモンリーグに挑む。そしてチャンピオンの座を目指す。
 それは、子供なら誰もが一度は憧れる世界。チャンピオンになれるのは一握りでも、ポケモンたちと共に旅に出るというのは羨望の的だった。
 たとえ、それがどんなに険しい道でも。
「そっかあ、お前は半年先なのか。そうすっと、オレは先にずんずん進んじゃうぜ?あっという間にバッジを八個手に入れちゃうからな?」
「…わたしじゃ無理だよ……ジムバトルなんて……」
「そんなこと言うなよー。ま、お前ならいいとこまで行けんだろ」
 10歳になって旅に出る、という選択肢は、何もポケモンマスターを目指すだけではない。
 ポケモンと共に修行して、都会に行って医療の仕事に就くとか、何かお店を開くとか。要は、「早い独り立ち」なのだ。
 若いころからポケモンと共に旅をした者は、その厳しい経験を糧に成功をつかんでいく。
 実際その時も自分は、少女はポケモンリーグに挑めなくても、何か夢を叶えるだろうと思っていた。
「…先行ってるから、早くついて来いよ」
「……うん」
 少女と目が合った。
 この子といつ仲良くなったのかはあまり覚えていない。気が付いたらいつも隣にいた。
 この年頃だと、男女で一緒にいれば冷やかされるものだろうが、この町では噂になるほどの人数の子供がまずいなかった。
 少女はいつもこちらの話をじっと聞いてくれる。夢の話。早くこの町を出たいという話をいつもしていた。

「オレはこの町が嫌いだ」
 いつも退屈だった。何も変わり映えしない毎日。
 何も起きない。ただ平和な町。それが嫌いだった。
 町に住む果物店の店主を見た。彼は楽しそうに客と話していた。ひどくのどかな昼下がりだった。
 その光景を見た時、自分もこうなるのだとふと思って、怖くなった。
 そのおじさんだって、元々は若かったはずだ。でも今はこうやって何もない街で毎日平凡に過ごしている。
 自分がそうならないという保証がなかった。それに気が付いてしまった。自分は特別じゃない。でも、これから特別になることはできる。
 果物屋が嫌いなのではない。自分の可能性が案外狭いものだと気が付きたくなかっただけだ。
「オレたちは早くここを出なくちゃならない。手遅れになる前に」
 そして、自分には親がいなかった。
 もちろん、育ててくれる保護者はいる。血は繋がっていない。
 自分はこの町に捨てられていたらしい。数年前に教えてもらった。だからと言って今の母親を嫌いになったりしないけれど、それから町を出たいという衝動は日増しに強くなった。
「こんな思い出にも残らない町で死にたくない」
「……」
 少女は摘んだ花を手に何も言わず、自分の話を聞いていた。
 静かな昼間の広場に、噴水の音だけが響いている。

 自分は焦っていたのかもしれない。自分の力を証明することに。
 自分はこの町の住人なんかではないと。だから一刻も早くすべてを置いて出ていきたかった。

「わたしと一緒にいてくれる?」
 その声に振り向いた。少女の瞳がこちらを見ていた。
「な……」
 咄嗟に何か言葉が出そうになって、自分の中の何かがそれを止めた。そしてそれが何だったかさえすぐにわからなくなる。
 少女は何故か泣きそうに見えた。……いや、気のせいだったかもしれない。
 だって彼女が今、瞳に涙を浮かべる理由なんてないはずだから。
「そ……そんなの、お前がさっさとついてくるかどうかだろ!お前を待ってやったりしないからな、全力で走って来いよ!」
 そう言い切って、なぜだか顔が熱くなった。多分今、自分の顔はとても真っ赤になっている。
 いや、おかしくないはずだ。別に何も変なことは言ってないはず……。
 そうして必死に自分の発言を確かめていると、突然少女が小さく声を上げて笑った。思わずドキッとしてしまいそうな声で。
「うん、わかった」
 彼女は寂しそうに微笑んだ。


 ついにその日が来た。
 朝、荷物を整えて研究所に向かう。
 入口の周りには、既に町の住民たちが集結していた。
 大体が大人たちだ。別に必ず全員で見送るというしきたりはない。それでもたくさんの人たちが集まっていた。
 近づくと口々に何か声を掛けられた。多分どれも応援してるとかそういうものだ。
 そんな大人たちの集団をかき分けるようにして研究所に入る。ポケモン研究所は有名なところだが、実は入ったことのある人は少ない。
 だが自分は何度も少女と一緒に遊びに行っていた。

 ドアを開けると博士がポケモンと共に待っていた。
 もう、トレーナーとしての心構えだとかは聞いてある。だからここでは、最後の選択をするだけ。
「さあ、どのポケモンにする?」
 ほのおタイプのヒトカゲ。元気そうにしっぽをパタパタと揺らす。
 みずタイプのゼニガメ。プイっとそっぽを向いて不満顔。
 くさタイプのフシギダネ。こちらのことを気にしていないらしい。大きなあくびだ。
 そしてもう、その選択は済んでいた。
「ヒトカゲで!」
 自分はこのポケモンと一緒に強くなる。そしてリザードンとなったこいつとポケモンリーグを制覇するのだ。
 博士からモンスターボールを渡され、ヒトカゲと一対一で向き合う。
 ヒトカゲは新しいトレーナーとなる自分を見つめて……そして一声鳴いた。そして近づけたボールに自ら頭をこつんとぶつけて、中に入る。
 どうやらひとまず自分のことを認めてくれたらしい。
「さあ、行きなさい。みんなが待っておる」
 博士の言葉に頷いて、モンスターボールを手に研究所の扉を押し開けた。さあ、旅立つ時だ。

 町の住民たちは町の入り口までついてきた。ここで見送りを行うらしい。
 町長の話があって、やっぱりみんなから声を掛けられて、頭をなでられた。正直気分は良くなかったが、これで町を離れられるのだからと我慢できた。
 もうこちらは準備ができている。旅に出られるという期待感、そして僅かな恐怖も。ちゃんとやっていけるかどうか不安がないわけじゃなかった。でもそれすらも楽しい。
「いつでも帰ってきていいんだからね……!」
 母親が心配そうに手を握って言う。
 そうそう帰るわけがない。帰るとすれば、チャンピオンになって凱旋するときだけだ。
 大人たちがお互いにがやがやと喋り出した。そろそろ行く時間だろう。
 置いていたリュックを持ち上げた時、後ろから小さく肩を叩かれた。
 振り向くと、そこに少女が立っていた。その手には、何やら本が握られている。
「……何だよ」
「これ……持ってって」
 渡されるがままにそれを受け取って、開く。本ではない。アルバムだった。
 そこに収められているのはたくさんの写真。自分を撮った写真に、街の風景の写真。そして自分と少女が笑顔で映った写真もあった。それが、たくさん。
 そういえば、少女と遊ぶとき、度々彼女がカメラを持ってくることがあった。父親から借りたものだと言っていて、やたらと写真を撮りまくっていたのだ。
「こんなの……」
 戸惑って少女を見た。ハッとした。また、泣きそうな顔をしていた。
 どうしてこんなものを彼女は渡すのだろう。そこに映る町の風景。これを持って行けというのだろうか。
 ようやくこの町から離れられるのに?やっと全て置いていけるのに。
 正直、持って行ってもよかった。でも、何故だかそれを受け取る勇気は最後まで出なかった。
「いらねえよ。旅の邪魔になるだけだし!」
 そう言って乱暴に突き返す。
 その瞬間、少女の目から大粒の涙が零れ落ちた。
「え……」
 突然のことに頭が真っ白になって、一歩、二歩と後ずさる。
 彼女は静かに涙を流し続けていた。
 どうしていいか分からない。どうしていいか分からなかった。だから、自分は……その場から立ち去ることしかできなかった。
 咄嗟に走り出して町を出ようとすると、後ろからたくさんの声が聞こえてきた。
 皆応援してくれていた。手を振って見送る街の人たち。それに軽く頷いて走り出す。

「せめて……せめて忘れないで!!思い出に残していて!!」

 少女が鳴きながら叫んでいた。彼女のそんな姿は、今まで見たことがなかった。だから、戸惑って何も言えなかった。
「そんなの……別にお前が早く来ればいいだけじゃねえか……な、何だよ……忘れるとか……」
 そうぶつぶつと口の中でそう呟いて、自分は町に背を向けて走り出した。
 自分の夢を追うため。町に全てを置いていく。
 だが彼女はいずれ追いついてくれるはずだ。この自分の背中に。そう信じた。


 そういえば、彼女の夢を聞いたことがなかった、と思い出した。


 旅に出て、最初のほうこそ順調だった。
 バッジの二、三個は余裕だった。ヒトカゲが頑張ってくれて、苦労もなくジムリーダーを撃破できた。
 だが四個目あたりから、ただ力任せでは勝てなくなってきた。戦略、ポケモンの特性や個性、そういったものを総合的に判断する必要が出てきたのだ。
 だがそれを考えるのも楽しかった。チャンピオンを目指している自分には、乗り越える目標もチャンピオンへの道として熱くなれた。
 数年が経ち、ヒトカゲはリザードとなって、バッジは5個集まった。少しペースとしては遅い。だが焦る必要はない。いずれ勝てばいいのだ。
 
 しかし、町にいた彼女と会うことはなかった。思えば連絡手段はない。追ってくるとしたってそもそも会えるとは限らないのだ。随分と馬鹿な約束をしたものだと悔やむ。
 そして、町を出る時の彼女の様子がずっと心に引っかかっていた。最初のほうこそ無視していたが、何年か経っても会えないと流石に気になってくる。嫌な予感がした。
 そしてそれを振り払うように、バトルに熱中していった。
 何回か、博士宛に手紙を書いた。住所はさすがに分かるのでそこ宛に。あたりさわりのない近況を書いた。
 母親に送らなかったのは意地だ。なんとなく、チャンピオンになるまで連絡を取りたくなかったのだ。
 そして少女について聞くこともしなかった。そもそもこちらからは研究所の住所がわかるが、自分のいる場所は旅をしている以上転々としてしまうため返信は受け取りにくい。嫌な予感がしたから、というのも一つの理由だ。ともかく、こちらの居場所は書かず、ずっと返信は受け取らなかった。

 大体五年が経った。チャンピオンへの道は、難航していた。
 もうとっくにポケモンリーグに挑戦していてもおかしくない頃なのに、バッジは七個。その七個目にも一年ほどかかってしまった。
 理由はわからない。ただ、勝てなくなった。様々な戦略を考えた。色んな編成を考え、沢山の練習を考えて……それでも、勝てない。
 耳に入ってくるのは、同世代、そして自分より下の世代の輝かしい活躍のエピソード。チャンピオンは自分より歳が一個下の少年になっていた。
 世間は大ニュースに沸いていた。追い越される焦り、自分こそ最年少のチャンピオンになるんだという焦りに突き動かされ、そしてそれもそのニュースで諦めに変わった。
 天才はどこにでもいるさ。自分はゆっくりチャンピオンを目指せばいい。人生はまだ長いなんて、そう自分に言い聞かせて、練習に打ち込んだ。
 
 それからまた一年後。
 ようやく八個目のバッジを手にした。進化したリザードンのおかげだろう。何十回も、ジムリーダーに呆れられるほど戦いを挑み、死に物狂いで勝利した。もう、その頃には自分に才能がないと理解せざるを得なかった。だが諦める訳にはいかない。自分はチャンピオンになる。ならなくてはいけない。
 
 バッジを全て集めてすぐ、ポケモンリーグに参加を申し込んだ。ポケモンリーグは半年に一度開かれるトーナメント戦だ。バッジを八個集めた猛者たちが争い、そこでトップに立った者が四天王への挑戦権を、そして四天王を全員撃破した者が、チャンピオンへの挑戦権を得る。

 初戦はすぐに行われた。ベテランや新進気鋭の新世代が争うポケモンリーグ。バッジで苦戦した自分にとっては厳しい戦いになるものだと思っていた。
 ところが不戦勝などの幸運も相まって、なんと初挑戦にして優勝をもぎ取ったのだ。
 半ば諦めムードだった自身の心が、段々と熱を帯びていくのを感じた。
 あんなに遠く感じたチャンピオンの座が、今は誰よりも近くにある。そう考えるともう心が逸って仕方がない。
 そして自分の名前はついに新聞に載ることになったのだ。ポケモンリーグトーナメント制覇。その人物の名は毎回全国に知れ渡る。自分はそれに笑みを隠しきれぬまま、一ヶ月後の四天王戦に備えて、ポケモンリーグの最寄りの大都市に身を寄せ、調整を行うことになった。

 そしてそれは、確か四天王戦の前日のことだったと思う。翌日の四天王戦を万全の体勢で迎えるべく、挑戦者待遇により無料で泊まらせてもらったホテルの部屋で戦略を練っていた時だった。
 部屋のベルがなり、ドアを開けると、そこには配達員がいた。しかし本来ホテルではフロント経由で手紙は配達されるはず。その理由は配達員本人が話した。
「実はこのハガキ、一年前に配達するはずだったんですよ。でも、宛先の住所にあなたが居なくて。それでずーっと預かっていたんですけど、つい最近あなたが新聞に載っていて!それで挑戦者にあてがわれたホテルを教えて貰って、今お届けしにきたんです」
 
 そうして受け取ったのは一枚のハガキだった。一年前といえば丁度七個目のバッジを手に入れ次の町に移った頃だ。その時にすれ違ったのだろう。
 
 そして差出人の欄には、あの少女の名前が書いてあった。それを読んだ瞬間、別れ際のあの顔がありありと浮かんできた。直ぐに思い出すあの約束。冷や汗がどっとわき出て、心臓の鼓動が俄に速度を増す。
 ずっと忘れていた。彼女のこと、そしてあの約束を。いや、無意識に考えないようにしていたのかもしれない。こんな惨状では顔向けが出来ない、と。
 恐る恐る裏返した。そこには写真があった。
 
 だいぶ背の伸びたあの少女が、町の入り口の前で、少し人数の減った住民たちと共に写っている写真。
 少女は見たことの無い柔らかな笑顔で、そして右手でピースをしていた。
 その下には直筆でこう添えられている。

「町の診療所で働くことにしました。お元気ですか?」

「は…はは……なんだよ……それ……」

 それで、一瞬何もかもがどうでも良くなって、膝の力が抜けて倒れ込んだ。
 自分は今まで一体何をしていたのだろう。
 彼女は最初から着いてきてなどいなかった。背中を追ってなどいないし、そもそも町を出てすらいなかった。
 少女は、自分のことを見てなどいなかった。

 ……いや、それでも自分のしてきたことは間違っていない。
 誰のためではなく、自分はチャンピオンになるのだ。そのために、これまで何年も――
 そう思うと、落ち込んでなど居られなかった。何も間違っていない。何も変わっていない。また、そう自分に言い聞かせた。

 そして翌日。

 自分は、最初の四天王のポケモンを一体も倒せずに敗北した。
 手も足も出なかった。
 何が悪かったかと言えば、全てだ。何一つ叶わなかった。
 ほとんど同世代の若い四天王が最後に言った。
「一体今まで何をしてきたんだい?キミには"やる気"がないね。がっかりだよ……ほんとに」

 その言葉で、心は完全に折れた。
 もう、希望と呼べるものは何も無くなった。
 彼女が背中を追ってくれると思うことが、いつの間にか心の支えになっていたのか。

 それから、四年。ただひたすらにポケモンリーグに参加し続けた。もうトーナメントに勝つことはなかった。ただ参加して、そして負けて、その理由も分からないまま。
 戦略は考え尽くした。パーティも考えた。出来ることはもうない。
 もう、何も考えたくなかった。何も見たくない。
 過去を見れば、自分の通ってきた道があって、それが無駄だったと思い知らされる。
 横を見れば、自分と同世代の成功が輝かしく見えた。
 そして未来には、何も無い。

 自分には勝つことしか道がなくて、それも叶わない。
 そうか、ポケモンたちが悪いのかもしれない。目の前のリザードンを見る度に、自分が否定されているような気がした。
 その猛々しく巨大な体に進化した今までの過程が、この10年が全て間違いだと。

 そして、リザードンを捨てた。

 そして、

 そして――


「そして、"災害"が起きたんじゃ」
「…………!」

 博士が言った。
 気がつくと、子供部屋には窓の外からオレンジ色の光が差していた。もう随分日が傾いていた。

「ワシも長期調査で研究所を丁度長く開けていてな。直接は見とらん。だがこの町はその影響を深く受け、多くの住民が死んだ。そして残った少ない住民は、それ以上ここに住むのは不可能と判断して他の街に散っていった。そもそも小さな町じゃったからな。数人では町として成り立たん」
「そん……なの……」
「お前さん、"逃げた"んじゃな?夢を諦め、過去も現実も見れなかったお前さんは、全てから逃避した。全て忘れたんじゃ」
「……」
「今日は何のために来たんじゃ?何のためという名目で自分を騙して、ここに来たんじゃ?」
「……」
「とうの昔に居なくなったヒトカゲと一緒にいると思い込んでまで、自分を守ったんじゃな」
「お前さんは災害の知らせを知っても戻ろうとしなかった」
「そして今になって、最後に思い出を捨てに来たんじゃな。この町に」

 もう、自分には何も無い。
 ヒトカゲはいない。仲間のポケモンたちも皆いない。このリュックも空っぽだ。ここに来るまで自分は何を考えていたのだろう。
 そしてこれから、何をするつもりで。

 博士はじっとこちらを見下ろしていた。それをまともに見れぬまま、自分は座って俯く。

「……お前の親御さんや、あの女の子がどうなったかは知らん。災害の時はこの町にいたはずじゃ。じゃが……」
 そう言って、一瞬博士は口を噤んだ。
 そして、背を向けてドアを開ける。その去り際。
「その箱の中を見てみなさい。お前さんに残されているのはそれだけじゃ」

 そして、階段をゆっくり下っていく音が聞こえ、部屋は静かになった。

 もう、動きたくなかった。全てを思い出して、何もしたくなかった。
 だが何かに突き動かされるように、しかしゆっくりと、ダンボールに手を伸ばす。
 先程写真立てがあったその下。
 見覚えのある表紙。
 旅立ちの時に、受け取らなかったアルバムだ。
 
 それを開くと、最初のページに手紙が一枚挟まっていた。


「お元気ですか?
あなたは怒っているかもしれませんね。ごめんなさい。私はあなたを追いかけることはしませんでした。
私はこの町が大好きです。街並みも、通りの賑やかな雰囲気も、噴水のそばで咲く花も。平凡な日常が、たまらなく愛しいのです。
でもわたしは、そんな日常にあなたという存在が欲しかった。
広場で、公園で、毎日あなたの夢の話を聞くのが好きでした。
原っぱで一緒に昼寝したのも、研究所で博士に怒られるのも、そこにあなたがいる日常だから好きでした。

わたしはそんな変わらない毎日を愛してしまう。変わらないけれど、いつか思い出になってしまう、そんな儚く脆い存在を大切にしてしまう。
でもあなたはそんな日常よりも、もっと素敵なものをあなたなりのやり方で拾い集めていくのでしょうね。

どうかあなたは先に進んでください。わたしたちでは、お互いに伝え合おうとしてもきっと寂しくすれ違ってしまう。
だからせめて、わたしのことを、町のことを、思い出にして連れて行ってください。
そして、時々思い出して。もう戻らない毎日を、戻らないが故に幸せな日常を。
その時、あなたの胸に生まれる寂しさが、きっとあなたが人生を大切に生きた証だから。

もしまた会えたら、あなたのこれまでの10年を教えてください。そして、また夢の話を聞かせてね。」


 涙が溢れ出していた。
 手書きの文字が、涙で滲んで見えなくなる。

 彼女が大切にしていたものを、自分は大切にできなかった。
 気が付くのが、あまりに遅すぎたのだ。
 あの日々が、本当は自分にとっても大事なものであったことが。
 
 どうして……気が付けなかった……!

 嗚咽を漏らしながらアルバムをめくっていく。全て覚えている。だってこれらは全て彼女と共有した時間だから。
 彼女との日常が、全てここに在った。
 覚えている。全て覚えている――
「どうして……どうして……っ!! 」
 思い返せば思い返すほど、「10年」という長い時間が体を縛って苦しくなった。
 ただ涙が流れていく。そしてその涙が心を洗っていくようでもあった。
 
 なんでもなくて、かけがえのなかったあの時。噴水の前で少女に夢を語った少年。
 あの少年が、あの少女が、あまりに愛おしい。
 あの風が、あの匂いが、あの声が、今は全て懐かしく寂しい郷愁だ。
 だが少年はそれを知るはずもない。その時を生きる少年にとってはそれが退屈な日常で。
 それこそが――

 もはやその世界は手の届かない場所にある。触れそうなほど鮮明に思い出せるのに、長い年月の隔たりが決してそれを許さない。
 伸ばす手は空を切って。抱きしめる腕は自分を抱いた。
 このアルバムだけが、彼女との唯一のつながりだった。
 この町の思い出だけが、最後に自分に残ったモノだった。
 
 「ああ……どうか」
 今は、ただ傲慢に祈るしかない。彼女が幸せに生きていることを。
 そして、
 あの世界が何処かで今も続いていて、
 あの二人が無垢な日常を生き続けていることを。

 
 
 町を出るころにはもう、陽がほとんど落ちかけていた。
 振り返ってみた景色は、ちょうどあの時と似ている。だが今は住民はいない。
 ただ一人の旅立ちだ。
 思えばあの時は、ろくに町を見ようともしていなかった。自分の夢だけを見ていたのだ。

 ふと、町の中に目をやった。
 遠くの大きな階段の上に、夕日に染まる少年と少女が立っていた。そして二人の間にはヒトカゲがいる。
「……大丈夫だよ」
 そう呟いて、大きく手を振った。
 子供たちも手を、そしてヒトカゲもしっぽを振り返してくれた。

 もう大丈夫だ。 
 彼らはずっと、思い出として共に在る。
 

読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

オススメ小説

 この作品を読んだ方にオススメの小説です。

きらきら

テーマ:10

人類総タマタマ

テーマ:10

君と夏の終わり

テーマ:10

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想

感想の読み込みに失敗しました。

 この作品は感想が書かれていません。