君と夏の終わり

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 季節は既に夏の終わりだというのに、残暑は厳しくまだまだ蒸し暑い。
 昨晩のうちに、自宅からとりポケモンに乗って空を飛んで現地入りし、早朝からの作業に備えて倉庫の空きスペースを借りて前泊していた僕は、薄暗い倉庫の中で鳴り続ける目覚ましを止め、寝袋の上で大きな伸びをする。旅をしていた頃を思い出す、10年前は屋根もロクに無く、野生ポケモンに夜襲に怯えながらの野宿の毎日だった。
 ひとまず出られるように支度をして外に出ると朝日は既に出ており、空が少し明るくなっていた。できるだけ早く、気温が上がる前に作業を始めなければならないことは知っていたが、これは少々寝坊してしまったのかもしれない。

「あ、おはよう」

 眠そうな顔をしている僕を見つけて、彼女は挨拶をしてくれた。

「おはよう、ごめん、寝坊したかな?」
「いや、ジャストタイミング、朝食が出来たから起こしに行こうと思っていた」

 一緒に旅をしていたあの頃を思い出す挨拶を交わして、彼女に案内されるがままに食卓につくと、麦飯と味噌汁と漬物を中心にしたおかずが数品の朝食が出て来た。味噌汁がとてもうまかったので手作りなのかと聞いたら、具材はそこの畑に生えていたもので、出汁はインスタントだそうだ。
 食べながら視線を前に向けると、朝食を食べる彼女の姿が映る。

 出会いはふとしたことで、旅を始めたばかりの駆け出しのころに、難所に挑むその手前のポケモンセンターで彼女に一緒に行こうと声を掛けたことからだった。
 一人だけではちょっと怖かったその山を越えるまでの一時的な仲間だったのだが、思いのほか意気投合することができてそこを越えてからもちょっとだけ共に旅をしていた、目的地の違いで連絡先を交換して一度は別れたが、その後も何度か偶然行き会うことがあった。旅の仲間は一期一会だと言う言葉があったが、旅が終わってからもメールをしたり電話したりとやり取りが続いていた。僕にとって珍しい"旅友達"と呼べる存在だった。
 彼女は旅の道中に何度か「家が畑を持っている」ことに触れていたが。つい2日前に「暇ならばオボン畑の農作業の手伝いに来い、報酬は現物支給」と送られて、暇だったしなんだか面白そうだなぁと、特に何も考えずに承諾した。
「ごちそうさま」
 気が付いたら彼女が朝食を済ませてしまっていた、慌てて僕も朝食をかきこんで食事を終わらせた。



 朝食を終えたら寝る場所として借りていた倉庫に戻って、早速農作業の準備に取り掛かる。
 古びた蛍光灯のみが辺りを照らす、自分以外に誰もいない倉庫の中で、旅の最中に愛用していたフィールド着に着替える。野外作業をするための服はこれしか持ってなかった。旅をしていた頃はあんなに肌にしっくりくるような着心地だったというのに、久しぶりに腕を通したらなんだか余所余所しくなってしまったようで、時間の流れにちょっと寂しくなってしまった。
 ごちゃごちゃといろんなものが置かれた倉庫だが、その中央に広いテーブルが鎮座しており、その上に置かれた農作業用グッズを装備する。水をよく弾きそうな長袖のウィンドブレイカーをはおり、腰に前掛け、頭に手ぬぐい、首にタオル、目にサングラス、口にはマスクを付ける。
 すべてを装着し終えたところで、辺りを見回し忘れ物がないかを確認して、扉をあけて倉庫の外に出る。

「うわー! 不審者だ、不審者がいるっ! もしもしけいさつですか?」
「うるせぇ!」

 僕が倉庫から出てくるところを待ち構えていたようで、農作業着の彼女は、僕を指差してケラケラと笑った。
 そこで自分が肌の露出を減らした服装にサングラス+マスクという、傍から見ると不審者にしか見えない格好であることに気づいた。そもそもこの農作業用グッズは全部彼女が用意して置いたものなので、間違いなく分かってやっているはずだが、それがよほどツボに入ったのか、愉快そうに写真を撮っている。

「冗談はおいといて。じゃあ、移動しようか」
 彼女はボールからヨルノズク(ニックネームが付いていた覚えがあったが忘れた)をくり出して、掴まった。
 どうやら家の敷地と畑は離れているそうで、畑へは空を飛んで移動するらしい。僕もムクホークをくり出して飛行に備える。
「指差し確認、準備は?」
「オッケー!」
「目指すはハタケ! 出発ぅ~!?」
「進行ぉ~!」

 空高く、上昇気流をつか――
 むことなく、飛び立って1分も経たないうちに果樹園に到着した。

「……このくらいの距離なら、歩いていった方が」
「いやだね、この距離は飛んで移動するものなんだ」
「すぐにポケモンに乗って移動するから運動不足になるんだ」
「聞こえないなぁ」
「空を飛んでいくと言っていたから、てっきり山のあたりまで飛んでいくと思ったよ、都会でこんな距離を空を飛んでいったら怒られるぞ」
「トカイ? なにそれ? ここは人がいなくて衝突事故なんて起こしようがないよ」
「そもそも、空を飛ぶときはポケセンの前に着陸しないと法令違反になるんじゃないの?」
「ココ、ワタシの土地。公共の場所ジャナーイ、アンダスタン?」
「アッハイ」

 飛行中の交通事故は万が一落下事故を起こすと命にかかわり危険なので、ポケモンを使って空を飛ぶには規制が多い。そのためジムバッジをいくつも持っているトレーナーしか、ポケモンを使って空を飛ぶことが許されていないので、気軽に乗って良いものじゃない。
 空を飛ぶ場合は好きな場所に降りてはならず、ポケモンセンター前の決められたスペースなどに着陸しなければならないと習った覚えがあったが。……言われてみれば確かに、空を飛ぶで自宅前に降り立って良いので、公共の場では規制があるが、そこが自分の土地であれば好きに離着陸してよいわけだ。


 僕たちが着いた時には既に畑には荷物をたくさん載せたリアカーを装着した一匹のゴーゴートがいた。必要な道具を乗せて先に畑に向かっていたらしい。彼女はそのゴーゴートのリアカーの荷台から、使う荷物を降ろして、せっせと準備に取り掛かる。あのゴーゴートは旅の最中には連れてなかったことから、ここで昔から飼われていた農業用ポケモンなのかもしれない。
 目の前に広がるオボンの樹木たちを見渡すと、樹木一つ一つに高さ4mはあろうと見られる鉄製の支柱があり、その支柱の先端から傘の骨のように針金が放射線状に伸びて、オボンの枝を上から釣り上げて支えていた。大きく育ったオボンの実は重く、これだれ大量に実を付けてしまうと、あれだけ太い枝でも自重で折れてしまうからだろう。
 また、そこに実っているオボンの実はわずかに黄色がかって実もあるが、ほぼ緑色の状態で、育ちきっておらずサイズもまだ小さい。

「まだ青いんだね」
「そりゃそうでしょ、収穫は秋以降だもの」
「オボンってこんな木だっけ? 僕が知っているオボンの木ってもっと小さくて、実もそんなにつかないし、もっと早く実が付くイメージがあったけど」
「ああそれは、主に品種とか育て方の違いからくるものだから」
 彼女は作業の手を止めて、次のような説明を加えた。

 ここのオボンの樹木のように、本来の木の実は一定の長い成長サイクルで花をつけて実をつけるものだが。
 実はポケモンの力を使うことで、促成栽培することができる。
 岩ポケモンがワザによって作り出した岩を砕いて砂にして、地面ポケモンのワザで土壌として『ふかふかな土』を作り出し、ポケモンのアレやコレやソレを練り込んだこやしを混ぜこんで、水ポケモンが出した水をまき、草ポケモンの力で生長を促成するなど、ポケモンの持つ不思議な力を注ぎこんで育てやすくしている。与えたエネルギーに反比例して結実期間が減るそうだ。
 また、扱いが簡単なように実のサイズをそのままに鉢植えサイズの木になるように品種改良を施し、ある地方では持ち運び可能な木の実プランターというものがあるらしい。

「よく草ポケモンのワザだと茎や蔓をすごい勢いで生長させて攻撃しているけど、それは木の実に対しても有効で、ポケモンのパワーで植物を高速成長させて、頑張って数日で実をならさせているってこと?」
「まあだいだいそんな感じ。ポケモンの力をたくさん吸わせて育てただけあって、ポケモンへの回復効果はバッチリだけど、それ以外が残念になって……主に味が犠牲に」
「ああ、それで旅の当時は木の実嫌いだったのか」
「ちがう、ちがうんだ、本当は好きなんだ。でも旅先のアレは違う、私が知ってる木の実はあんなにまずくないんだ……」
「飼料やポケモンの回復薬として、長期保存や実用性を考えて育てたものだし、人間の舌を考えて味を選り好みして作られたものじゃないものなぁ」
「普通に育てたオボンを一度食べてみてよ。 じゃあ、はい、これが君の噴霧器」

 手渡されたのは背中に背負うためのベルトが付属した大きなボトル、そこに小さなボンベと細長いノズルがついたホースが付属しており、ボトルに入った液体をノズルから噴射して使うらしい。

「これは?」
「殺菌剤だよ、やり方を教えるから見てて」

 彼女は自分用の噴霧器を背負って、マスクとメガネを装着して、顔をしっかり守った上で、シュッシュッとノズルのトリガを引いて噴霧の具合を確かめる。
 そのままオボンの果樹に近づいて、青い実と葉っぱの全面を濡らすように、毒々しい赤紫色をした殺菌剤を噴霧して消毒していく。

「枝には噴かなくていいけど、かならず全ての実の表面に掛かるように殺菌剤を塗って、葉っぱにも出来るだけ掛かるようにね。あと摘果は見極めるのが難しいだろうから先に済ませてはあるけど、もし傷がついていたり、異常な色に変色している実があったら、前掛けに入っている鋏で摘果して捨てておいて、果実にぶつかっている枝は外すか、細くて新しい枝ならハサミで切っておくこと」
 そんな早口で一気に言われても覚えられないので、実際にやりながら、分からないことが出たら聞き直そうと思った。

「なんか、この液すごく禍々しい色をしているけど、大丈夫?」
「塗り残しがないように色を混ぜているだけで、無害な着色料で色はちゃんと落ちるから大丈夫」
「あー なるほど、こうすると塗り残しがどこか、すぐに分かるのか」
「そう。鳥とか獣とかのポケモンが食べに来るのはまだマシだけど、病気やカビや寄生虫だけはマズイ。一気に周囲に伝染してしまって、気がついた時にはもう手遅れになって、畑が全滅することにもなりかねない」
「病気は怖い」
「仮に味に問題がなくても果実にも斑点ができてしまえば商品価値がなくなって、農協が引き取ってくれなくなる」
「そんな理由なのか?」
「重要だろっ」

 噴霧器のタンクを背負って準備を整えると、彼女は向こうの端を指して言った。

「ここの並びで、向こうの突き当たりまでがだいたい“いったん”だから、まずはそこまでをよろしくね」
「いったんってなに?」
「一反は一反だよ。1アールよりも大きく、1ヘクタールより小さい単位。学校で習ったでしょ」
「習ってないよ」
「なんでだよっ」

 『反』という昔使われていた広さの単位であることは知識として知ってはいた.
 だがそれが『人間がこなすことができる農地の広さを指す単位』として、今でも農業従事者に使われていることは知らなかったし、長年歴史の中で使われ続けてきた単位にはその単位が使われ続ける背景があり、生活に密着した理由があったことをとても感心した。

「ほらほら、昔やっていたように、いっターンキルでさ、この一反いっターンを終わらせてくれ、期待しているぞ」
「なんでまだそれ覚えてるの」
「フッ……1ターンキルで終わらせてやるぜぇっ」
「やめろ」
「はい」

 身体を斜めに構えて人差し指を突き立てて上体を微妙にちょっと捻るという、一緒に旅をしていた当時の僕のポーズと口調を再現した決めポーズをされたので、即座に阻止した。
 あの調子に乗っていた若気が招いた、黒歴史を掘り起こされたくなかった。

 じっくりと慎重にじわじわと相手を攻める戦術の彼女とは対称的に、かつての僕は速攻で勝負を決めたがり、身を削るような無茶な戦いをしていた。1ターンキルで終わらせてやると言いながら、大抵は1回で倒しきれず、挙句は自分が1ターンキルされるという有様であり。
 幾度となく行っていた彼女と組むタッグバトルでは、いつも一番最初に手持ちを全滅させてしまい、残された相方に負担を掛けてばかりだった。








 ジリジリジジジリジリ


 日が昇って気温が高くなってきたからなのか、複数のテッカニンが同時に鳴き始めていた。辺り一面に異なる複数の周波音が重なりあって、不快な感覚が誘い出される。
 やれどもやれども目の前には緑緑緑緑――の単調な視界、葉っぱがうんざりするくらい重なりあっていて、向こう側がよく見えない。作業を始める前までは、葉と実に殺菌剤をまんべんなく噴霧するために、手が届かない高いところが難しいと思っていたのだが、長いノズルと収穫カゴの踏み台で案外なんとかなってしまい、むしろ低い場所への作業が辛かった。
 微妙に中腰になって枝の下に潜り込む必要があるため、油断すると腰を痛めそうだ。慣れればよいだけの話だが、慣れてない僕には辛かった。
 ポケモンを持っているならば、こうした作業はポケモンにやらせればいいじゃないかと、ここに来る前まではおもっていたが、作業して分かったのは木の高さも間隔も人間がやりやすいように全てが整えられている。人間と同じ身長と体格で、人間くらいの手先の器用さがあるポケモンならば任せられるかもしれないが、そうでなければ作業自体は人間がやった方が効率が良く早く終わるだろう。
 彼女のポケモン達は荷物の運搬や塗り残しのチェックなど、裏方の仕事に従事していた。よく考えられている。

 育ち切ってない緑の実皮に赤紫の殺菌液が薄くかかってややふじ色に染まった実を横目に、傷や日焼けや小さすぎる実などの摘果も並行しておこなっていくが、どこまでがOKなのかが判別できず、長年の経験の目で見極める必要がありそうで、どれを捨てていいのか判断できず、もったいなくてほとんど摘果ができなかった。
 昼が近づくにしたがって徐々に上がり続ける気温、肌の露出を減らし殺菌剤から守るために着ている長袖長ズボンのウィンドブレイカーは風をなかなか通さず、内部の汗で蒸し焼きになる、服の中が小さなサウナ状態で頭に巻いた手ぬぐいと口のマスク、首に掛けたタオルがどんどん汗を吸い取っていく。照り付ける直射日光の暑さと相まって、神経衰弱してきそうだ。

 一番暑い時間帯を避けるための、長めのお昼休憩では一緒に昼食を取って、その後は少しだけ昼寝をすることで少しでも体力の回復を図り、休憩後はすぐに作業に戻る。
 バッジ集めの旅をしていた頃は、これくらいのことで疲れることは無かったはずなのに、身体がだいぶなまってしまったようだ。

「あの旅から、もう10年になるのか……」

 とりあえず、空を飛べるようになろう。と考えていた。
 ワケの分からない子どもだった10年前の自分なりに、今後の将来というものを考えたとき、空を飛べるか飛べないか、その移動手段のあるなしは大きいと感じていた。
 だから、とりポケモンに乗って空を飛ぶことが許されるようになるバッジを入手したところで、その旅を終えた。その後は学校に復学。大学にも行った。一緒に旅をしたポケモン達の半分はすでに手放してしまい、バトルから縁遠い生活になってしまった。歩いて隣の町へと行くことすらもなくなった。
 言わば打算で旅をしていたために、旅の日々に特別な感情を持つことはなかったのだが、いまやっている畑作業のように、やわらかい土を踏み、草のにおいを嗅ぎ、強い日差しを見ると、あの10年前の日々が懐かしく思い出されていく。
 知らないことに出会って、新しく何かができるようになれていた旅路だった。
 嬉しくって、楽しくって、喧嘩もいろいろした。寂しい日々もあったが、最高の思い出だった。

 赤紫色をした水滴が付いていない塗り残しが無いかの確認をしながら作業した道を戻る。終わったことを報告すると、彼女もちょうど終わったところだった。


 無事に今日のノルマを達成したので、僕たち二人は消毒のための装備を外し、収穫カゴをひっくり返して作った椅子に座って休憩を取る。
 彼女は自分のボールからラランテスをくり出して、リアカーを引いてきたゴーゴートと共に果樹園に向けて、[にほんばれ]を使うように指示を出していた。首を傾げた僕を見て、彼女は説明する。

「このまま水分が残った状態だと、液がしずくになって垂れて流れ落ちてしまうから、撒いたらすぐに薬剤を乾かす必要があるんだ。今日は湿度が高いから、にほんばれは多めのほうがいいかも」
「にほんばれを使って日を当てるなら、頑張って日が良く照っているお昼前には作業を終わらせるべきだったかな」
「いや、それはあまり関係ないね。そもそもにほんばれは日差しを操作するワザじゃないし」
「そうなのか?」
「晴れって付くけど実は周囲の空間中の水分を無くして除湿し乾燥させるワザ。だから夜でも、室内でも使える」
「あっ、そうか、水ワザの威力を減らす効果があるもんな」
「そう、空気中の水分を利用させないことで、水ワザの水量を減らす」
「学校で習ったよ」
「えらい」

 2匹で手分けしてワザのにほんばれを使い、持たせていたヒメリの実も齧りながら、畑全域をカバーできるように、効果時間を過ぎたら掛け直していく。水分の奪いすぎも果樹に悪影響があるので、にほんばれの威力を手加減させるなど、トレーナーの熟練した経験がいるらしい。
 散布した殺菌剤は雨が降ると流れ落ちてしまうので、明日からしばらくの間は、雨が降りそうになる度ににほんばれで雨雲を退かしたり。裏の山であまごいを使って、来る雨雲をあらかじめ消費しておく必要もあり、今も昔も農作業にはポケモンの存在が必要不可欠となっているそうだ。ポケモンを使わない農作業とか考えられない。

「一応、展着剤を使えば殺菌剤に耐雨性を持たせて雨に強くなるけど、うちじゃ使わないね。薬がどのくらい残っているかじゃなくて、雨がどれだけ降って湿度があるかで病気になるかも決まるから。展着剤を使ったところで病気になるときはなってしまうならば、多少は手間でも湿度コントロールに専念した方がいい気がする」
「へぇ」
「ただ、にほんばれを使うと気温が高くなるし乾燥してしまう。高温でも病気が蔓延しやすくなるし、もちろん干上がりも木に悪いから、晴らし過ぎもよくない、そのサジ加減が微妙かな」
「奥が深い」


 彼女は時計を確認して立ち上がった。
 向こうではラランテスとゴーゴートがまだにほんばれを使って果樹を乾かしている最中のようだが、この時間を利用してさらにもう一つ仕事があるらしい。
 彼女はリアカーの荷台から、大量の網の山を降ろして、それを広げ始めた。

「そっち側を持って広げるのを手伝って」
「これは?」
「鳥獣避けの網。畑の木を支えている柱がたくさんあったでしょう? これを柱の一番上に引っ掛けて、果樹畑まるごと覆い隠すように張ると、外からやってくるポケモンたちが木の実を盗んで食うことを防ぐことができる」
「こんな網で効果あるの?」
「あるよ」

 ポケモン避けの網にしては心許なくずいぶんと安っぽい――いや、とても年季を感じる網だった。網目の広さは手の平サイズになっていて、ポケモンならば簡単に入り込めないような大きさになっているが、これではポケモンのワザを受けたら半紙を突き破るかのように簡単に穴が開いてしまうだろう、よく見れば破れたところを補修したような跡も見える。
 前回使った時に上手に丸めてあるとはいえ、大きくて細い網なので絡まらないように慎重に広げていく。
 共に近くで黙々と作業を続ける彼女に向けて、僕はある誘いをつぶやいた。

「ひさしぶりにバトルをしない?」
「いいけど、今日は疲れたから明日ね」
「そうだね」

 旅の最中は何度もバトルを行っていて、それがトレーナー同士の挨拶だった。でも旅を終えて、学校に復学し、卒業して、就職をして…… あれから10年経った今では、移動に使うポケモンくらいしか残ってない。
 だけど、草木のこうしてポケモンと一緒に何かをしている様子を見ていたら10年前のあの時のことを思い出して、またあの頃のようにバトルがしたいと思えてきた。こういう時に何か気の利いた言葉が言えれば良かったのだけど、昔みたいにこういう挨拶しかできなくて、正直情けないなとは思うのだけど。
 また彼女と一戦交えたい。

 思い返せばあれは、長い長い子どもの夏休みのようなものだった。夢中になって道を駆けてポケモンと人間に出会う貴重な経験をしていた。
 その夏は終わってしまったかもしれないが。でもまたポケモンバトルをすれば、ポケモンと笑いポケモンと泣いていた、そんな昔にちょっとだけでも戻れるんじゃないかと思えたのだった。

「ところで、なんで僕を呼んだの?」
「天気が確定しないと作業に入れなくて、暇そうで呼んだら来てくれそうだったから」
「なんだそれ」
「体力勝負になる農作業の手伝いに女友達を呼ぶわけにもいかないし、男手なら誰でもいいかなってわけで、キミにきめた」

 突然さされた彼女の指に、ドキリとした。
 僕は一体、何を期待していたのか。心臓の鼓動だけが速くなる。
 何かを言わないといけないような気がしたが、僕は舌が震えるばかりで、何の言葉も出てこなかった。


 夕刻が近付いていたこともあり、あっという間に日が傾いて自分の影が長くなっていく、辺りが涼しくなっていくのは有難かったが、今日のうちに残された作業時間はわずかということになる。
 にほんばれによる乾燥作業が終わったようで、ラランテスとゴーゴートが戻って来た。網張りの作業に取り掛かり、広げた網の端を掴んで移動する。
 網を張るためには支柱の上から覆いかぶせて、高い支柱のてっぺんに作った窪みに網をひっかける必要があるが、柱のてっぺんは人間の手ではとても届かない高さのため、鳥ポケモンなどを使ってひっかけてもらう必要がある。
 ムクホークに手伝ってもらおうとしたところ、まるで汚いものを見るような露骨に嫌そうな顔をした後で、しぶしぶ網を掴んで柱のてっぺんに引っ掛けてくれた。その反応を見る限り、『虫除けスプレー』のようなポケモン避けの忌避効果が網にあって、それはちゃんと機能している様子だった。
 たるんだ網を引っ張って、あらかじめ地面に打ち込んであったペグに引っ掛けて網を張り、ラジオペンチと針金を用いて外れないようにしっかりと固定する。畑全体を檻のように覆い隠す網だが、細いため、遠くから見るとあまり目立たない。

「今日の作業はこれで終了、手伝ってくれてどうもありがとう。お疲れ様!」

 彼女が労って作業終了を宣言した時には、日は傾いて、辺りはだんだん暗くなりつつあった。
 丸一日向き合い続けたオボンの果樹は、金色の夕日に照らされている。
 瞳を開けば。
 目の前に、収穫の時期を控えたころの、金色に輝くオボンの姿が映るようだった。朝露なのか雨なのか、果皮には水滴をたたえて、みずみずしく実りをつけている。そんな風景が見えた気がした。

「ああ、本当に疲れた」

 慣れない農作業を一日中行っていたため僕は疲労の限界だったようで。終了と聞いたと同時にそれまで支えていた糸が切れたようにドッと疲れが襲ってきて、足の裏は痛く、足も手もダルくなり、腰も辛い。もう歩きたくない、一刻も早くお風呂に入って横になりたかった。

「歩いて戻る?」
「いや、空を飛んで戻るよ……」
「くっくっく…… だから言ったろう? この距離は飛んで移動するものなんだって」

 違う、そうじゃない、と突っ込みをいれたかったけど。
 もう面倒なので、頷いておくことにした。














 余談。

 翌日のバトルはボコボコにやられた。
 もう完膚なきままに、負けまくった。

 手持ちポケモンの腕がなまっていたというより、自分自身が戦わせ方を完璧に忘れてしまっていて、己の判断力の衰えが目に見えて深刻だった。
 彼女は最近トレーナー戦はやってないらしいが、畑に現れたメブキジカやイノムーなどの野生ポケモンを追い払うためのバトル自体は今でもやっているそうで。
 その際は二度と畑に立ち入る気を起こさないよう、害獣たちの心をへし折るべく痛め付けるため、じっくりじわじわと相手を攻める彼女の戦術が10年の間で凶悪にさらに進化していた。

 強い。




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