エネコの夢

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作者:絢音
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読了時間目安:13分
 ポケモンは架空の存在とされる世界で、ずっと家に閉じ込められているエネコの夢は外を自由に歩く事だった。
 そんな不自由な生活でも、優しいトレーナーとの穏やかな日々は彼女にとって幸せだった。
 しかし不意に知ってしまった外に出られない本当の理由はとても残酷な現実だった──
 私はエネコ。ノーマルタイプのこねこポケモン。
 日がな一日人の家でゴロゴロと日向ぼっこしたり、美味しいご飯をもらったり、暖かいお布団に潜って眠ったりして過ごしている。
 私のパートナーはヒロユキさん。とっても優しいけど少し心配性が過ぎる人間のお兄さん。外は危ないからって私をずっと家に閉じ込めている。正直暇だなって思うけど、それも仕方ないって理解してる。

 だって私のようなポケモンはこの世に存在しない事になっているから。

 ヒロユキさん曰く、ポケモンはゲーム内の架空の生き物らしい。そんなポケモンが実在しているとなると世間は大騒ぎして、私を捕らえようとするだろうと言うのだ。それはあまりにも怖いので大人しくヒロユキさんの言う事を聞いて、今日も今日とて家に籠っている。
 だけど本当の事を言うと、ほんの少しだけ、ほんとちょっぴりだけど外の世界が気になる。締めきられた窓の向こうにはどれだけ広い世界があるのだろう? ぴっちり下ろされたブラインドのせいでその情景を見る事すら叶わない。全く変わり映えのしない部屋ではぁ、とため息を吐くのすらもう飽きてしまった。
 もし一つだけ願いを叶えてもらえるなら、自由に外を散歩できるようにしてほしい。そんな夢をぼんやり思い浮かべながら私はまた眠りに落ちるのだった。

「ただいま、エネコ」
 頭を撫でられる感覚と共に与えられた小さな囁き声で目を覚ます。見上げればヒロユキさんが優しく微笑んでいた。
「ごめん、起こしちゃったか」
 そう謝る彼に、大丈夫だよ、帰ってきてくれて嬉しいと頭を擦り付ける。すると彼は穏やかで愛おしい眼差しで、私の頭を再度撫で回す。ああ、愛されているな、そう感じる。この時だけは外の世界もどうでもいいと思えた。
 ご飯を作り始めたヒロユキさんの足元にちょこんと座り、手馴れた包丁捌きを見守る。毎日彼がご飯を作ってくれていて、その質は日に日に上がっている。二つの皿に綺麗に盛られたアクアパッツァが机に置かれ、私は鼻腔をくすぐる香りに誘われるように席に着いた。私の前にヒロユキさんが座る。
「いただきます」
 手を合わせた彼を真似て、短い前足を重ね合わせる。そして料理を一口、これは……美味しい! 舌にとろける魚を味わいながら思わず声を上げて彼を見上げた。
「お口に合ったようで」
 優しく笑う彼。なんだか嬉しそう。私は丁寧に丁寧にご飯を食べ進めた。彼の視線をちらちらと感じながら。
 綺麗になった皿を後に、お腹も満たされ満足な私はソファに飛び乗り大きく伸びた。まずは前足、次は後ろ足。伸ばした足はそのままにぼふんと横に倒れる。皿を片付け終わった彼も私の隣に座り、そっと頭を撫でてくれる。気持ち良くて喉を鳴らすと、更に念入りに撫で回してくれた。
 彼の手の温もりを感じながらうとうとしていたら、突然インターホンの高い音が鳴り響いた。私はびっくりして真っ直ぐ頭を起こして、音がした玄関に続く扉を見つめた。ヒロユキさんの手が動きを止めて静かに離れていく。彼は壁に付いた画面を見て一言二言交わすと、意を得た顔で玄関に向かっていった。
 リビングに一人残された私は気もそぞろに辺りを見渡す。その時、テーブルの上のスマホがピコンと音を立てて光った。気になった私はちょいちょいと前足でそれを引き寄せようとしたけど、腕の長さが足りなくて引き寄せるどころか弾き飛ばしてしまった。テーブルの向こう側に落ちたスマホを慌てて拾いに行く。覗き込んだスマホにぱっと私の顔が映った。いつの間にかカメラが起動していたらしい。

 そんな事より。

 そんな事より不可思議な現象が起きていた。画面に映った私は驚きで目を丸くしている。それはエネコの細い目の大きさではない。鼻も大きい。口も大きい。けど耳は小さいし頭の真横に付いている。そして何より怖かったのは顔の半分以上を占める醜く縮れた火傷の痕だった。

 ……これって人間だよね?

 どうして私じゃなくて人間が映っているの?

 どうして可愛らしいエネコじゃなくて醜い顔の人間が?

 混乱する私は痛み始めた頭を抱えた。すると画面の中の人間も顔を歪めながら、同じように頭を抱える。ぎょっと目を見開くと人間もまた私を真似る。冷や汗をかく頭の奥底からガンガンと打ち付けるような声が聞こえてきた。


『そうじゃない。そうじゃない』

『映っているものが間違いじゃない』






























『私がエネコじゃなくて人間なんだ』





「永音子」
 唇から小さく漏れ落ちるように、博之さんの声が私の名前を呼んだ。振り返ると彼は驚愕と恐怖をないまぜにした表情で固まっている。時が止まったかのような沈黙の後、彼はゆっくり深呼吸をして恐る恐る切り出した。
「…………見たのか」
 たった一言。たったそれだけ。だけど私は十二分に理解した。その言葉の真意を。『自分の姿を見てしまった』事が何を意味するのかを。私にできることは一つだけ。
「……ごめんなさい……」
 ここまでしてくれた彼を裏切るような真似をしてしまった謝罪を述べるしかない。泣きたいのは彼の方だろうに、気づけば私の目からはぼろぼろと涙が溢れていた。とめどなく流れる涙をせめて見せまいと俯いた私の顔を上向かせるように、がしりと力強く博之さんの手が私の両肩を掴む。あまりの強さに私は息を呑み、顔は苦痛に歪んでしまった。しかしそんな事に気を止める余裕もないのか、彼は泣きそうな顔で私を捲し立てた。
「永音子、もう一度、もう一度やろう。あの催眠術師の所へ行こう。大丈夫、またすぐ戻れるから。だから、だから、どうか──死のうとしないで」
 お願いだ、と何度も繰り返す彼の瞳からも耐えきれず一筋の涙が零れる。それを見て私は呼吸の仕方を忘れるほど胸を締め付けられた。こんなにも彼を苦しめてしまった、追い詰めてしまった。その後悔と罪悪感に混じって、忘れていたはずの絶望がじわじわと押し寄せてくる。そう、私はあの時、あの時──!
「どうしてよ! どうして死なせてくれなかったの! こんな顔で! どうやって生きていけばいいの!?」
 私から発したものはもはや悲鳴だった。自分の顔とは思えない気味の悪い凸凹した皮膚を掻き毟り、声の限り泣き叫んだ。もう何でもいいから早く消えたい。どうしてまだ生きてるの? 彼の自慢だった美人の彼女は、学校で随分持て囃されていた綺麗な私は、もういなくなったのに。半狂乱になった私の眼前にあの日が鮮明にフラッシュバックする。

 大学の廊下。

 話した事もない男。

 見開かれた光のない目。

 振り上げられた遮光瓶。

 周囲の人達の叫び声。

 顔中に走る焼けるような熱と痛み。

 鏡の中の見るに耐えない火傷の跡。

 失った美貌。哀れみの声。

 恐怖。苦痛。不安。悲憤。絶望。

 どうして私がこんな目に。

 こんな事に。こんな事になるなら。

 いっそ、殺して────



 がばり、と何かが覆いかぶさり私の意識は現実へと引き戻された。背中に食い込む程強い腕の力を感じ、抱き締められている事に気づいた。涙で眩む視界の頭上から博之さんの震えた声が降ってくる。
「ごめんな……ごめんな、永音子……! 守ってやれなくて、頼りなくてごめんっ……でも、でも、どうしても永音子には生きてて欲しくてっ! どんな姿でもいいからっ! 話せなくてもいいからっ!
 だから……だから……もう一度、全部忘れて『エネコ』になる夢、叶えよう」
 彼の言葉から私は彼が今からしようとしている事を理解した。そんな事が本当にできるのか信じ難いが、それでもさっきまでの私は完全に信じきっていた。疑いもしなかった。

 自分が同じ名前を持つポケモンの『エネコ』だと。

 初めてその姿を見た時に一目惚れした、あのピンクを基調とした可愛らしいこねこポケモン。私が一番好きなポケモンだった。博之さんにポケモンになるなら絶対エネコがいいと話したのも覚えている。そして彼もその事を覚えていたのだろう。じゃないとこんな馬鹿な真似は思いつかない。
 自殺しようとする彼女に『自分はエネコだ』と思い込ませる催眠術をかけるなんて。
 博之さんは聡明で優しい人。きっとどうしてでも私を助けたかったんだ。例えまやかしに縋る事になろうとも。私がこれ以上苦しまないように……それで自分がどんなに辛くなろうとも。
 そして彼はまた同じ選択をしようとしている。私を死なせない為に。ただ私に生きていて欲しいが為に。それは彼にとって本当に幸せな事なのだろうか。私の為であって、彼の為にはなるのだろうか。
 ここまでしてくれる彼に、こんなにも私を愛してくれている博之さんに……私はとんでもない事を強いていたのではないか。私が今すべき事は絶望する事でも、怒り泣き叫ぶ事でも、死のうとする事でもない。彼の為に、私ができる事は。
 私を片腕で抱き締めたまま博之さんはスマホを手繰り寄せる。片手で不自由そうにスマホを操作する彼の手に自分の手を重ねた。博之さんはびくりと手を跳ねさせ静止した。
「永音子……?」
「もう、いいの」
 小さく、でもはっきりとそう伝えた。博之さんは固まったまま動かない。その顔は私の意図を解さず、ただ呆然と私を見つめる。だからもう一度、今度は彼の目をしっかり見つめ返して言った。
「もう、いいんだよ」
「でもっ……」
 私が首を横にゆっくり振ると彼は口を噤んだ。滲む視界の中に目を丸くして青ざめた博之さんの顔が映る。そんな彼を安心させるべく微笑もうとするが、不格好に口角があがっただけだった。
「ありがとう、博之さん」
 そっと彼の両手を取り祈る形で包み込んだ。そこに額を押し付けたままぽつり、ぽつりと言葉を絞り出していく。
「私がこんなになっても、愛してくれてありがとう。エネコになって、博之さんと一緒に過ごした日々はすっごく幸せだった」
「じゃあもう一回っ」
「でもね」
 彼の言葉を遮り、私は涙を拭って顔を上げた。目の前には不安げに瞳を揺らす博之さん。その瞳にとても醜い私の顔が見える。そうなるくらい、彼は私と向き合ってくれている。決してその目が外されることはない。だから私は意を決した。ごくりと唾を飲み込み、私の言葉を待つ彼に伝えたい言葉を、伝えなければならない言葉を唇に乗せる。
「私、ちゃんと向き合いたい。今の自分に。それと……こんな醜くなった私でも愛してくれる博之さんに」
「永音子……」
「だからね、もう、いいの。もう『エネコ』の夢の時間はお終い。これからは……ちゃんと、人間として生きていく。貴方と一緒に」
「永音子っ!」
 ぎゅっとまた博之さんは私を抱き締めた。今度は苦しくないくらいの優しい力加減で。私はその温もりを愛しく感じながら、その広い背に腕を回す。私と博之さんは抱き合ったまま静かに涙を流した。嗚咽混じりに彼の呟きが耳元に聞こえる。
「良かった……良かった……必ず、永音子を幸せにしてみせるから……」
 大の男が涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらそんな事を言う。そんな博之さんがとても愛おしく、私はそっと彼に口づけた。『エネコ』だと思い込んでいた時はできなかった行動に、彼は驚きつつもしっかり受け止めてくれた。私達はそうして何度も、何度も、愛を確かめた。

 だって貴方の愛があれば、怖いものも乗り越えられるから。
 だからいつまでも私の事を愛していてね。








 開け放たれた窓から朝の清々しい風が緩やかに流れ込む。差し込む陽光を遮るブラインドはもうない。私は窓枠にそっと手を置き、恐る恐る外を覗いた。
 そこに広がる見慣れていたはずの景色に私は息を飲む。久々の外の世界はとても光り輝いて見えた。
「永音子」
 ふと後ろから名前を呼ばれる。振り返る前に博之さんが覆い被さるように私を包み込んだ。すぐ後ろに彼の存在を感じ、私はその温もりに安心感を抱く。博之さんは窓を閉めると、私の手を取り歩き出す。向かう先は『エネコ』になってから見ることのなかった玄関。外へ続く扉を前に私は大きく息を吸い込んだ。
「……怖い? 大丈夫?」
 博之さんが心配そうに私の顔を覗き込む。怖くないと言えば嘘になる。だけど、私は『エネコ』だった時にも思った夢を叶えたい。自由に外を散歩するんだ。この顔に向けられる視線を気にせずに。
 だから、私は博之さんの目を真っ直ぐ見つめ返して答えた。
「大丈夫、博之さんがいてくれるから」
 そして私達は、光溢れる外の世界へと共に踏み出した。



 無事外に出る事ができたエネコには新しい夢ができました。
 彼と並んで生きていくという素敵な夢が。
これはポケモン小説と言えるのか少し不安になりつつも投稿致しました。
実は前半部分にちょっとした伏線が張ってあります。お楽しみ頂けましたら幸いです。

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