感情がわからないキルリアの話

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作者:円山翔
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読了時間目安:12分

この作品は小説ポケモン図鑑企画の投稿作品です。

 感情がわからないキルリアの話

 生まれた瞬間からずっと、頭痛がしていた。
身の回りにいる誰かの感情が次々と飛び込んできた。元々私たちの種族にはそういう力が備わっているそうなのだが、私のそれは他の個体よりも強力だったらしい。必要以上に感情をキャッチしすぎたせいなのか、生まれたばかりのまっさらな心はズタズタに引き裂かれた。物心ついたときには、私は感情というものがわからなくなっていた。
 私を産んだのが誰なのか、私は知らされなかった。けれど、名目上は私の世話をしてくれる人間が親ということらしかった。私を産んでもいないのに変な話だ、とは思わなかった。そもそも親から子が生まれるという自然の摂理さえ、私は知らなかったのだから。分かっているのは、私たちの種族はある段階で、姿を大きく変えるということだけ。私も一度大きな変化を経て、今の姿になった。
 人間は生まれて十年ほど経っているとのことで、私たちに関する知識をそれなりに有しているようだった。それなりに、というのは、私のことに関して「トレーナーが喜ぶとエネルギーに満ち溢れ、楽しそうにクルクル踊る」という話をしていたのである。しかし、困ったことに、私は種族の例に漏れて「喜び」という感情を知らなかった。だからその人間が「喜んで」いたとしても踊りはしなかったし、エネルギーが全身に満ちることもなかった。私が踊らないことを知って、人間は「変なの」と言った。「変」というのがよくない意味でつかわれることを、この時の私は知らなかった。だからその時は傷つくことはなかったのだけれど、人間の望む行動をとらなければ人間は私のことを見てくれなくなるということは分かった。
それからは、人間の行動や表情を真似てみることにした。そうすれば少しは人間の感情がわかるかもしれないと考えたためだった。人間が笑えば私も笑い、人間が泣けば私も泣き、人間が顔をしかめれば私も顔をしかめた。しかし、どれも「ふり」に過ぎなかった。いくら真似をしてみても、私の中には何も生まれなかった。人間の行動や言動が、どういう感情によって生まれたものなのか、とんと検討もつかなかった。そもそも人間の言葉が何を意味しているのか、理解するところから難しかった。理解できたとて、私の声では人間が発するのと同じ音を発せなかった。だから、私は人間と同じことをしゃべっているつもりでも、人間からすれば何をしゃべっているやらわからないということになってしまう。それでも真似をし続けた結果、私は人間に気に入られたらしかった。私が真似をすると、人間は私の頭をなでてくれたのだ。それがどういう意味を持つのかはわからなかったが、私の心に中になにやら温かいものが生まれた。私が胸を押さえて人間を見ると、人間は
「それが『喜び』だよ」
と教えてくれた。その時の人間は笑っていたから、私も一緒に笑った。『喜び』を感じた時に、人間は笑う。私は『喜び』という感情を知った。
 喜びを知った私は、人間が言っていた「エネルギーに満ち溢れる」ということが分かったような気がした。人間が喜んでいると感じた時、私の中にはあの時と同じ温かみが生まれ、自然と体を動かしたくなったのだ。人間曰く「楽しそうにクルクル踊る」とのことだったのだが、それがどういう動作なのか私は知らなかった。しかし胸の奥から溢れる温かみを抑えきれず、私は片足を軸に回転した。私が回ると、人間はもっと笑った。人間が笑うから、私はもっと回った。これが「くるくる回る」ということなのだと、そしてこれが『楽しい』という感情なのだと、私はこの時初めて知った。
 ある日、人間は帰ってくるなり部屋に閉じこもって、私の相手をしてくれないことがあった。私が部屋に入ろうとすると、部屋に合ったものをひっつかんで投げてきたのである。たまらず扉を閉めたものの、人間が投げたものが扉にあたって大きな音がした。あまりの仕打ちに、私の心がカッと熱くなった。そして握りこぶしを作って、部屋の扉に思い切りぶつけた。こつんと小気味良い音がしただけだったが、どすどすと足音を立てて人間が扉を開け、私の手をつかんで部屋に引っ張りこんだ。そして私をベッドに投げ出し、こぶしを振り上げた。私は反射的に目を閉じたが、いくら待っても何も起こらなかった。恐る恐る目を開けると、人間はこぶしを振り上げたまま固まっていた。
「これが『怒り』だよ。わかったらとっとと出ていってくれ」
 そう言って、人間は私を部屋の外に追い立てた。なぜ人間が私に何もしなかったのかはわからないが、心の中で炎が燃え上がるような感情が『怒り』であると、私はこの時初めて知った。
 またある日、人間は目の下を真っ赤に腫らして帰ってきた。何があったのか尋ねたかったのだけれど、人間は部屋に閉じこもって、扉を叩いてもなんの反応も返さなかった。そんな日が何日か続いたおかげで、私の心には靄がかかったような不快感が募った。それがどういう感情なのかを知る前に、人間はいつもの人間に戻った。楽しいときには笑い、怒ったときには私との接触を減らし、今日のような日には部屋に閉じこもってしばらく出てこなかった。人間とはそういうものなのだと私は思ったけれど、私の知る人間は私の世話をしてくれる人間しかいなかったので、それが本当に正しい考えなのかどうかまではわからなかった。
「知らない方がいいのかもね」
と人間は言った。その時の人間は眉をひそめて、見ているだけで心配になるような表情をしていた。私も真似をしようとしたが、「やめときな」と言って人間は私の頭をなでた。人間は努めて緩い笑顔を作っていた。それが本当の笑顔ではないことは、私は薄々感じていた。
 人間は日に日に私に顔を見せなくなった。私も人間が何を思ってそうしているのか、さっぱりわからなかった。たまに顔を見せた時には、いつぞやのような曖昧な笑みを浮かべたものの、すぐに肩を落として部屋に消えた。最低限の世話以外で、私は人間の顔を観なくなっていた。
 どうにかならないものかと思った私は、人間が現れるたびにくるりくるりと回って見せた。人間はきょとんとした顔をして、それからぷっと吹き出した。私が回り続けると、人間はとうとう腹を抱えて笑い始めた。楽しいときに回るだけではない。私が回れば人間は笑ってくれる。「喜び」のエネルギーで動いているのは私も人間も変わらないのだと、私はこの時初めて知った。
 私が踊るようになってから、人間は少しだけ元気を取り戻したように見えた。以前のように部屋に閉じこもることはあるものの、以前よりは私の前に顔を見せてくれるようになったし、私が勝手に部屋に入っても、いきり立って怒るようなことはなくなった。とはいえ、元のように感情を教えてくれることはなかった。私が人間の側に寄っても、「やめとけ」と頭をなでるばかり。それも、私を遠ざけるかのように力がこもっていた。私が側にいる事に怒りを覚えるわけではなく、私が回れば笑ってはくれる。しかしその笑顔も、日に日に元気がなくなっているように思えてきた。
 ある日、人間は帰ってこなかった。いつもなら日が沈む頃には帰ってきたはずなのに、いくら待っても人間の住処の扉は開かなかった。月が昇り、空を駆け、やがて沈み、太陽が昇り、空を駆け、やがて沈んでも、人間は帰ってこなかった。人間の身に何かあったのだろうか。私は人間の住処を飛び出した。
 飛び出した途端、私の頭を突き刺すような痛みが襲った。生まれたばかりの頃に感じたのと同じ、感情の波が一気に押し寄せてきたのだと分かった。その中には私の知らない感情も混じっていた。そして、私がよく知る感情も。頭を満たす感情の奔流の中に、私はよく知る人間のものを感じた。他の感情にかき消されそうなほど弱弱しかったが、その感情の在処と思しき場所だけは痛まなかったのだ。
 私は頭痛に耐えながら、ふらふらと痛みのない方向へ足を進めた。途中、私を見た人間は皆怪訝そうな顔をしたが、知ったことではなかった。私の世話をしてくれた、私に感情を教えてくれた人間を、探さなければならなかった。

 そして私が見つけた時、人間は宙に浮いていた。
正確には浮いていたのではなく、木の枝に吊り下げられた縄に、首を括ってぶら下がっていた。
 その姿を見た瞬間、私の背中を冷たいものが這い上がった。それがどういう感情なのかはわからなかったけれど、今すぐにでも見るのをやめたい、この場から逃げ出したいと思った。しかしそれはできなかった。痛む頭に意識を集中して念を送ると、人間がぶら下がる木の枝がぽきりと折れて、人間はどさりと地面に落ちた。私は人間に駆け寄り、口元に顔を近づけた。
 生きていれば頬にかかるはずの吐息が、一切感じられなかった。念を人間の心臓に集中して動かそうと試みたが、だめだった。一度止まった命は、二度と動き出すことはないのだ。
 胸が苦しくて仕方がなかった。いつものように踊れば払拭できるだろうかと回ってみたものの、余計に締め付けられるような感覚に襲われるばかりだった。
 つーっと、頬を温かいものが伝った。それが何なのかはわからなかったが、それは私の目から流れ出す水だった。同時に、かつて人間が目の周りを真っ赤に腫らして帰ってきた時のことを思い出した。あの時の人間も、今の私と同じように目から水を流したのだろうか。

 そして私は初めて自分の力で感情を知った。
 その感情の名は、「悲しみ」といった。

 親がいなくなった私は、人間の家に戻って閉じこもった。誰とも知らない人やポケモンの声は、今まで以上に押し寄せた。それら一つ一つを聞いて理解することはかなわなかったけれど、私は教えてもらった感情に照らし合わせて、声の主がどんな感情を抱いているのかを想像した。想像は私の中で膨らみ、やがて、弾けた。
 何かを食べたいと思う気持ちが消えた。生きるために必要だと分かっていても、胃が受け付けなかった。
 誰かと一緒にいたいと思う気持ちが消えた。そもそも、親の人間以外に、一緒にいたいと思える誰かはいなかった。
 喜びが。
 楽しみが。
 感じ取ると嬉しくなる感情が、私の中から消えた。
 悲しみが。
 怒りが。
 私の中を満たして黒くなった。
 同じ感情であるにもかかわらず、抱きたくない感情ばかりが私の中に残った。
 以前のように踊りたいと思うようなこともなくなった。
 あとはもう、命の火が燃え尽きるのを待つばかりだった。



 目を覚ますと、死んだはずの人間がそこにいた。周りにはほかにだれもいなかった。
「お前まで来ることはなかったのに」
 人間は悲しげに笑った。作り笑いではない、本当の笑顔だった。
「ごめんな。気づいてやれなくてさ」
 その手が、そっと私の頭に触れた。
「辛かったろ。悪い感情ばかりとりこんじまって」
 その手が、優しく私の頬をなでた。
「なあ、また踊って見せてくれよ」
 私の中で、黒く染まった感情が弾け飛んだ。

 この人間と一緒にいられる喜びが、私の心に芽生えた。

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