よくあるはなし case2:「ポケモンになりたい」

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作者:夏十字
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読了時間目安:14分
どこへいっても わたしはわたし
どこまでいっても あなたはあなた
だからこそ それだからこその よくあるはなし
「いいなあ、僕もポケモンになりたいなあ」
 また始まった。これを聞かない日など記憶にない。「ポケモンになりたい」はマスターの口癖、そして恐らくは切なる願いだ。
 かくいう私はポケモンである。人間が言うところの“念力ポケモン・ユンゲラー”であり、この家では“パンセ”と呼ばれている。私はポケモンであるが為、私がマスターや彼の母上の手伝いをしようと念力のひとつも使おうものなら、すかさずマスターから先の口癖が繰り出される。今は迂闊にも棚の上の玩具を手を使わず下ろしたのでそうなった。
「いいなあ、本当にいいなあ」
 日常茶飯事な上、羨まれたところでどうしようもないことだ。私としてはうんざりせざるを得ない。

 今日もマスターはタブレットのポケモン図鑑の虜になっている。幾ら多種多様なポケモンが居るとはいえ毎日よく飽きないものだ。それもいつも同じく「何になりたいか」という一点のみを考えながらなのだから、いっそ感心する。以前少しばかり悪戯心が働いて念力でタブレットを奪ってみたら、それさえも例の口癖の餌食にされてしまった。
「バンギラスは強くてかっこいいし、エアームドもスマートな感じでいいよね」
 失礼ながら私は思う。マスターのそれは実に身勝手な憧れだと。私やその他のポケモン達を全くの外側から見て、漠然とした“ポケモン”という都合よく素晴らしいイメージを夢想しているに過ぎないと。ひとくちにポケモンと言ってもその生態は種類や生息地の数だけ多岐に渡っており、それぞれにのっぴきならない現実がある。それを知らずただ「かっこいい」と憧れているのは、まさにマスターがポケモンではなく人間である証左に他ならない。
 私はポケモンだが、それであるがゆえ、マスターにポケモンになって欲しいなどと感じたことはない。何故そう願うのか理解出来そうにもない。
「ポケモンは空も飛べるし光線も出せるんだよ!」
 だから何だと言うのか。

「じゃあ、行ってきます」
 翌朝、私は玄関先でマスターを送り出す。マスターは学校という所へ通っており、大体毎日そこで他の同じ年頃の人間達と半日ほどの共同生活を送っている。それは人間としての習慣であり、我々ポケモンには存在しないものだ。
「パンセ。帰ったらポケモンごっこしようね!」
 これを聞くのも毎朝のことだ。ポケモン「ごっこ」なのはマスターのみで、私には24時間365日ポケモンでない時間はないのだが。
「いつもごめんね、パンセ。自分があの子のこともっと見てやれたらいいんだけど……」
 一緒にマスターを見送っていた母上が、ふとすまなさそうにそう口にした。
 そんな必要はないと思った。母上は家族という共同体を――マスターとの暮らしを維持するべく日夜忙しくしている。私のかつてのマスターである父上がもう居ない以上、今それを担えるのは母上だけなのだ。謝る理由が一体何処にある?
 私はそのように感じ考えていたが当然母上には届かず、訥々と紡がれ続ける懺悔のような言葉をただじっと聞いていた。

 夕方前になって学校から戻ってきたマスターの様子がおかしい。
 帰るなり「ポケモンごっこ」を要求されるものと想定していたが、実際は沈んだ声でただいまを言ったきり押し黙り、そのまま自室へ閉じこもってしまった。これは珍しいという言葉だけでは片付かない、大変なことだ。
 小一時間ほど経っても出てくる気配がないので、どうしているのか見に行くことにした。そっと部屋のドアを開けるとカーテンが閉め切られており、薄暗い。それでも感覚の発達した私には特に関係がなく、窓際のベッドに腰かけていたマスターの視線はすぐに分かった。目を合わせると、マスターはばつが悪そうに俯いた。
「……学校でバカにされたんだ」
 しばらく押し黙っていたマスターがふと口を開いた。その声は震えていた。
「というか、気づいてなかった。あいつらずっと僕のことをバカにしてたんだ。ろくに勉強も運動もできないし、そのうえポケモンになりたいなんて変だ、おかしな奴だってさ」
 人間社会においては一般的に、ポケモンは使役する対象とされている。例外はあれど大多数の人間はそう考えており、両者の間にどのような感情の結びつきがあろうともまずその本質が変わることはない。そんな中でマスターのように「ポケモンになりたい」と思うことは異質であり、「違い」と見做される。そういうことなのだろう。
 私は人間や人間社会との短くはない付き合いの中で学び知っている。人間とは「違い」を強く忌避する生き物だ。何故ならば人間は家族にしろ学校にしろもっと広い範囲にしろ、共同体を重んじて暮らしている。すなわち「同じこと」こそが重要で尊いのだ。それに、「違い」を恐れ避けるのは何も人間に限ったことではない。大なり小なり、あらゆる生き物が持つ根源的な性質と言って差し支えはない筈だ。
 ただ、少なくとも私は、違っていいと思う。異なる考えや価値観が生み出す新たな可能性は共同体にとって大きな利益となりうるものだし、時と共に常に変化してゆく環境の中で、違いが生じることは謂わば生き物が「生きてゆくこと」そのものであると考える。ポケモンになりたいというマスターの考えは私にとって理解が難しいものであるが、だからといって私はマスターがそう考え望むことそのものを否定するつもりはないし、否定する権利もない。勿論同族である人間に馬鹿にされる謂われだって、ない。
 ――だが、
「やっぱり僕、変なのかな。でも、パンセや他のポケモンみたいに、なりたいよ」
 私は、私自身はマスターに人間であって欲しいと考えている。例え本当に何らかのポケモンになる術があったとしてもだ。そう、違っていい。マスターはマスターという人間、私は私というポケモン、それでいいじゃないか。
『ポケモンは空も飛べるし光線も出せるんだよ!』
 私は空も飛べないし光線も出せないマスターが好きだ。ポケモンのようなことは何も出来なくともポケモンである私と絆を繋いでくれている、そんな人間であるマスターが好きなのだ。これも使役という本質からは外れていないかもしれない。それでも私にとってこの在り方とこの日々は心地良いもので、出来るならば変化をして欲しくないと感じている。
 これは私のエゴだ。エゴなのに、エゴであるからこそ私は今、心底それをマスターに伝えたいと願っていた。とても卑怯な考えだが、マスターの心が揺らいでいる今こそが恐らくそのチャンスなのだ。
 しかし歯痒いことに私にはそれを伝える術がなかった。朝方、母上に対しても同じだった。強く言いたいことがあるというのに、言葉のない鳴き声以外に私が声にして紡げるものはない。ひとつもない。
“私が――ポケモンだから”
 ……不意に、妙な考えが生まれてすぐ霧散した。

「パンセ!」
 数日後の昼前、突然マスターがタブレットの画面を私に押しつけてきた。今日は学校に行かなくてよい日で、早くからネットで何かを調べていたようだったが。
「見て、これ見てほら!」
 せっつかれても私は人間の文字に関しては殆ど読めない。程なくマスターは私の様子に気付いて口頭で説明を始めた。何やらあまり良い予感はしなかった。
「秘密の薬の作り方だよ! なんと好きなポケモンになれる薬だってさ! 材料は――」
 マスターが得意げに読み上げる秘密の薬とやらのレシピを聞いて、私はコダックばりに頭痛がした。幾つかの木の実と、コフキムシの粉……。無理だ、不可能だ。それらをどんな風に混ぜたところで求めるような効能が得られる筈もない。
 でも、
「どれも森へ行けば手に入るよ! パンセも一緒に来て!」
 やはりこうなる。うんざりだ。とは言え、私が私に出来る手段でどう止めたところでマスターが折れる未来は見えない。きちんとしたポケモントレーナーでもないのに一人だけで多数の野生ポケモンが生息する森へ行かせてしまう訳にもいかない。尚のことうんざりする私を余所に、マスターの瞳は尊く輝いていた。

 薬の材料を集めていくのにそれほど苦労はなかった。昼食を食べてから森へと繰り出し、日が高いうちにもう必要なものは粗方集まっていた。集まってしまっていたと言うべきか。
「パンセの念力は本当に心強いよね、いいなあ。僕もポケモンになったらそんな風にできるかなあ」
 こんな簡単に手に入るようなものでポケモンになれる訳はないとマスターには是非気付いて貰いたかったが、その望みはどうやら無駄のようだ。長閑な木漏れ日の中、先を歩く軽い足取りが落ち着く素振りはない。
「えと、あとはコフキムシの粉を集めなきゃ。結構たくさん要るみたい」
 これは今回の件でひとつ大きな心配事だった。手に入れるのが難しいということではない。コフキムシの身体から分泌される粉は天敵である鳥ポケモンを痺れさせる毒の粉だ。人間が日常的に服用する薬や健康食品にしばしば使われてもいるようで、それを根拠にマスターは安全だと考えているようだが、あのような怪しいレシピでマスターをみすみす危険に晒す真似は出来ない。薬の調合を手伝うていで上手く誤魔化す段取りをしておかなくては――。
「あれ、何!?」
 マスターの悲鳴のような声にハッとした。少しばかり考え事に没頭して……その間に辺りの様子は一変していた。
 暗い。まだ日が陰る時間には程遠いのに。空を見上げる。が、見えない。頭上にあったのは木々の隙間から覗いている筈の空を塗り潰すように蠢く紅色の“それ”。けたたましく多重に響き渡る鳴き声。数千、いや数万?
「ヤヤコマ? あんなにたくさん……!」
 あり得ない。ヤヤコマは縄張り意識が強く気性の荒い一面を持つポケモンだが、だからと言ってこれ程までの大群で荒ぶるようなことはまず考えられない。完全に我を忘れている。こんなことは……。
 次の瞬間、
「く、来る! うわあああああ!」
 無数の矢の雨が降り注ぐようにその塊が襲い来る。私の力なら問題はない――そう思ったが身体が反応しない。長年トレーナーと居たポケモンの性だ。咄嗟の時はまずトレーナーの指示を仰ぐ、すっかりそれが染みついてしまっているのだ。しかしこの場で私のトレーナーとなり得るマスターはすっかり蹲って……まずい!
 轟く羽音と激しく揺らぐ枝葉の音が全方位を覆い尽くす。激しく昂り灼熱となった紅の嵐は辛うじてマスターに覆い被さった私の背を容赦無く焦がしていった。

「パンセ、しっかり……パンセ!」
 マスターの上擦った声が届き、ぼやけた意識と視界が鮮明に戻る。恐らく僅かな時間、気を失っていた。身を起こそうとするも熱く鋭い痛みが全身を駆け巡る。
「ムリしないで! パンセ、ごめん……ごめんね……」
 悲痛に歪むマスターの顔がすぐ傍にあった。思わず目を逸らしてしまう。
「僕のせいだ、僕がパンセを誘ったから……。僕が何もできない人間で、だからポケモンになりたいって……そんな風に思っちゃったから」
 違う。それは全くの見当違いだ。ただ森に入り、異常行動を起こしていたポケモンに襲われ怪我をした、只々それだけなのだ。それ以上でもそれ以下でもなく、そこにマスターの思いの有る無しを差し挟む場所はないし必要もない。大した怪我でもない。
「せめて父さんみたいに上手くやれてたら……。ごめん、本当に……ごめんなさい」
 大粒の涙とともに繰り返される謝罪の言葉。そんな顔でそんなことを言わせてしまってすまないと、寧ろ私が心底思った。伝えたかった。それでも私に伝える術は、声は、相変わらず此処にない。
“私が――ポケモンだから”
 以前の妙な考えがまた浮かんだ。
“私が――人間だったら”
 前よりも思った。
 私はマスターではないし人間でもない、違う生き物だ。何処へ行こうと何処まで行こうとそれが現実だ。だからどうしてマスターが違うものになりたいと願うのか、本当の心の内を知ることは到底叶うべくもない。
 しかし、そのようになりたいと願う気持ちの存在は今なら理解が出来た。まさにこの瞬間、確かにそれは此処にあった。
 言葉のない私はただ、零れ落ちるマスターの涙を何度も、何度でも指で掬い続ける。それは全く不十分なその場凌ぎだと知りながら、今はそれが、私がマスターにしてやれる全てだったから。

「ええー!」
 タブレットの画面を食い入るように見つめていたマスターが不意に素っ頓狂な声を上げたかと思うと、鼻息荒くこちらを見やった。
「ねえパンセ、なんだか世界をめちゃくちゃにしようとしてた悪いやつらが捕まったみたいだよ。色んな場所で悪さしてたって……もしかしたらこの前の森のヤヤコマも関係あったのかな」
 いきなり世界だのと現実感のない話を繰り出されて面食らったが、そのぐらいのスケールの話であればこの間のことも納得出来なくはない。私が頷く素振りを見せると、マスターは満足したようにタブレットへと視線を返した。
 あの一件以来、マスターはあまり「ポケモンになりたい」と言わなくなった。再び怪しげな薬の材料を集めに行こうとする気配もない。
 痛い目に遭って思いが薄れた? そういう話ではないと私は思う。辛い時や楽しい時、今でもふとした拍子にその言葉を口にすることはあり、そこには依然確固たる意志を――ともすれば前以上に感じている。
 そして、実に奇妙なことに今やマスターのかつての口癖を少しばかり恋しく、待ち遠しいとさえ思っている私が居る。そんな私の気持ちがマスターに伝わることは恐らくないのだが。
「わ!? もう、何するんだよパンセ!」
 戯れに念力でマスターのタブレットを奪い取ってみたが、当然のように空振った。

 私はポケモン。マスターは人間。違う生き物であり、その苦みを噛み締めながら同じように生きているものだ。
 だから、こうやってこれからも続いていくのだろう。

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