人魚の背鰭
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読了時間目安:27分
この作品は小説ポケモン図鑑企画の投稿作品です。
とあるポケモンと家族の物語。
夜が明けている事はイヤホンで聞いていたラジオで知っていたが、窓に目を移すとカーテンの隙間から光が漏れていた。
合皮の革張りの椅子から立ち上がって、カーテンを開ける。やはり窓の外は夜が明けていた。地上に降り積もった雪を朝日が照らしている。目晴らしの良い緩やかな丘の中腹に建てられた我が家からは、雪化粧を施した公園や遊歩道が一望できる。子育てに適した新興住宅地だが、積雪だけはここに来て数年経った今でも微かに疎ましく思う。
背の高いフロアランプを消した私は椅子に戻って、机の上に散らかした書類やタブレット端末上のデータを整理する。しなくてもいい徹夜をするのは学生時代からの癖になっている。自分でももう若くないと自覚しているが、夜の静寂が醸し出す心地良さを忘れられずにいる。
幸い、今日は非番だ。ようやく事業が軌道に乗ってきて、仲間たちが増えてきた。古くからの友人である代表の右腕として働いてきたが、最近ではその代表から「若い子たちの仕事まで奪わないで」と冗談交じりに投げ掛けられる事が多くなってきた。
事実として、私は働きすぎなのだろう。そして、代表が真に案じているのは、若手の成長ではなく私の家族だ。彼女は、私の家族が増える時に盛大な祝福を贈ってくれた人間の一人だ。もちろん私としても、愛情と覚悟を持って迎え入れた存在を無碍に扱う気はない。
書類作成のアプリを閉じて、スケジュール管理のアプリを起動する。確認すると、やはり今日の予定は空いている。いや、これから私は何物にも代えがたい大切な時間がある。
夜の内に進んだ仕事は、代表が目が覚ます頃に報告するとしよう。かつて彼女とは互いに家庭を持つ前に、一つ屋根の下へ寝泊まりして現在とは違う仕事をこなしていた仲だ。一つの法人の代表になった今でも朝に弱い事は知っている。
私はすっかり冷めてしまったマグカップのコーヒーを持ち上げ、喉の奥に流し込む。そして、もう一度椅子から立ち上がった。机上に置いていたミント菓子のケースを手に取り、その中の二粒を取り出して口へ含み噛み砕く。
あの子の為に、長年連れ添った煙草とは別れを告げて久しい。しかし、依存症状はとっくの昔に抜けたが、時折どうしようもなく口が寂しくなる時がある。ケースを机の上に戻す。
それから、自室のクローゼットに近づき扉を開ける。在宅事務の作業着として纏っていたスウェットから、厚手のセーターへと着替える。下半身も、ただのデニムから裏地がフリースのスウェットへ。
外見を取り繕う事を疎かにしがちな私へ、妻が選んでくれたものだ。上下のコーディネートもそのまま彼女の考えだ。ボルドーのセーターに、グレーのスウェットパンツ。頭に白髪が混じるようになってきた私には、幼すぎもせず老けすぎもしていないだろう。
長年、児童福祉に関わってきた私にとって、生業の相手は常に歳下が多かった。対して妻は、私と暮らすようになるまでは百貨店の紳士服売り場の担当だった。
セーターの上に、これも妻が選んでくれたグレーのチェスターコートへ袖を通す。コートのボタンを掛けずに、首へ黒のマフラーを巻く。私としてはもう少し暖かい格好をしたいが、この一帯の親子から「副館長さん」と呼ばれている私は下手な身なりができない。その点においても、妻にとても感謝している。
天気は確認していないが、この日差しなら傘は必要ないだろう。私は自室のドアを内側から開ける。部屋の外の廊下には、我が子が待っていた。
「おはよう、お待たせ」
「おはよう! お父さん!」
誰にも負けない笑顔で、ヨシツネはそう言った。
人魚の背鰭
「昨日はよく眠れた?」
「うん! お父さんは?」
「徹夜してしまったよ」
「また?」
「うん。足元に気をつけて」
「うん!」
そんな、他愛のない話をしながら階段を降りていく。我が子のヨシツネが、私へと振り返りながら尋ねてくる。強いものではないが、自分の子供から窘められるようでは、この癖を改めなければいけない。
我が子を迎える前に多少の無理をして建てた我が家は未だ新築のようで、全館暖房の廊下を私たちは歩いていく。それでも、私がそうであるように、ヨシツネもまた既に厚着を済ませていた。
金色の生地と縫い糸で作られた、眩いほどに輝くサバイバルジャケットとパンツだ。片腕には、息子の相棒と合わせた色のバンダナが結んである。
地元のフリーマーケットでこれが並んでいるのをヨシツネが見つけると、私と妻に強くねだったのだ。ファッションに詳しくはない私にでも、それが個性的すぎると分かった。
しかし、それでもこの子の望みを叶えた私はすっかり親馬鹿なのだろう。ジャケットにもパンツにも、作りが本格的なのだが製造元を示すタグや刺繍の類は付いていなかった。もしかしたら、我が子が腕や足を通す前は、どこかの私と同じ部類が丹精を込めて裁縫したものなのかもしれない。
「お母さん! お父さんを呼んできたよ!」
そう言いながら、ヨシツネは居間のドアを開けた。我が子に続いて、私もその中に入る。
「ありがとう、ヨシツネ」
「うん!」
妻は空になった餌鉢を持っていて、居間の奥にある簡易的な流しへ下げようとしているところだった。
「おはよう、大洋 くん。また徹夜したでしょ?」
妻は私を、出会った時と変わらず名前で呼ぶ。
「おはよう、ヨシツネにも言われたよ」
「お母さんが言ってたよ? 『ちゃんと寝ないと疲れが取れない』って」
「ああ、耳が痛いよ」
「……寝てないから耳が痛いの?」
「『耳が痛くなるくらいのお説教』って事」
笑顔の妻の解説に、息子も笑顔で「そうなんだ!」と返す。その朗らかな雰囲気に釣られて居間の一角に座っていた声練 もまた、歌うように楽しげな鳴き声を上げる。いつもながら、この家に私の味方は皆無だ。
「朝ご飯は?」
「帰ってきてから食べるよ」
「でしょうね」
「僕はもう食べたよ!」
「父親より健康的すぎて、何も言えなくなるよ」
「……お腹が空いて元気が出ないから?」
「『ヨシツネが僕よりちゃんとやっているから文句が言えない』って事だよ」
「そうなんだ!」
逃げるようにしてヨシツネと妻に向けていた顔をセーレンに戻して、私はスリッパからサンダルへ履き替える。そしてセーレンに近づく。座っていても人間の何倍もの巨体を誇るセーレンからは、この子がいつも笑顔だとしても僅かな威圧感を拭いきれずにいる。
それを隠しながら、私はセーレンの体の後ろにある、元は工具置き場にしていた黒いアルミ製の棚から煙草の箱ほどのテスターを手に取って、セーレンの首筋に当てた。
プラスチックの窓の奥にある針は、すぐさま左端から右端へと移動した。今日も異常なし。私が離れると、テスターの針も戻る。
「今日もオッケー?」
「ああ、もうしなくていいかもね。ヨシツネは、もう立派なトレーナーだよ」
「うん!」
ヨシツネが返事をすると、私の後ろからセーレンの「キュイキュイ」という鳴き声も聞こえてきた。
電気タイプのポケモンの不調は、発電される生体電気へと如実に表れる。特にもセーレンの世話は方法が手探りになると、この子を保護していたエーテル財団の職員から聞かされていた。それでも、私と妻は過去に同じ電気タイプであるジバコイルと共に暮らしていて、献身的なヨシツネの世話もあって、これまで大きなトラブルに出くわした事がない。毎日のテスターも、この様子ならば我が子に言った通り省略しても問題ないだろう。定期報告にそれを記す手間も随分省ける。
「セーレン、よかったね!」
私と同じくサンダルへ履き替えたヨシツネがセーレンの首筋に抱きついた。セーレンもまた、抱きついてきたヨシツネの頬に自分の頬を擦り寄せる。
私は無言で、彼らから妻へと視線を移す。コーヒーを片手にソファーへと座っていた妻は顔を綻ばせていた。
大切な我が子とその相棒が楽しそうにしていて、それを慈しまない親などほぼいないはずだ。私としては、ヨシツネとセーレンの為に駐車スペースと居間を仕切るガラスと、セーレンが座っている場所にかつて収められていた二台のプレミアバイクを失っても、全く惜しいとも思わない。いや、少しは寂しいが。
この家は元々、私の趣味を尊重してくれた妻の同意の上で築かれたガレージハウスだった。しかし、ヨシツネを新たな家族として迎え入れ、セーレンも加わった事で、私は愛車を手放す決意を固めた。学生時代からの付き合いで、今では当時の定価よりも高い金額で取引されている名車だったが、養子とポケモンを抱えたまま維持できるほど私の愛車たちは若くはなかった。
幸い、二台ともそれらに憧れを抱いていた知人に悪くない金額で引き取られ、主を失った屋内駐車場は我が家におけるセーレンの生活スペースとして再機能している。そういう意味では、大型のポケモンと共に居間で過ごす事ができるこの住宅構造は理に適っていると言えるだろう。
「ところで、部屋で飲んでたコーヒーのカップはちゃんと片付けた?」
私とヨシツネは、それぞれ棚から手に取った黒の防水スニーカーと金色のブーツに履き替えていると、妻が笑顔でそう言った。
「……ごめん」
「これで何回目だっけ?」
「……」
「何回目だっけ?」
「……本当にごめん」
妻の笑顔が怖い。昔から声を荒げる事を避けてくれるのが私の性に合っているが、笑顔の裏に隠された重圧が酷く苦しい。許しを得る術として、今日の昼食は私が作るべきだろう。
私がそうこうしている間に、ヨシツネが開閉ボタンを押した電動シャッターが開き始めた。風は微かであったが、肌を刺す冷気が部屋の中へと流れ込んでくる。
「セーレン、しゃがんで」
散歩へと出掛ける気配を察して立ち上がったセーレンの逞しい背中を、その横にいるヨシツネがグローブを嵌めた両手で優しく叩く。
我が子がそうすると、セーレンは背中と同じく肉付きの良い後ろ足を曲げて、腹をコンクリートの床に近づけた。妻に何度言われても直せない私と違って、ヨシツネとセーレンの息は日に日に一体へと歩み寄っている。
その息子が左足を掲げて、相棒の背中へと跨った。鞍も頭絡もない、バンバドロで言うところの裸馬の状態でだ。
自らのポケモンに騎乗する事は、トレーナーであるなら珍しくはない。それこそ、大きな街にはポケモン用の騎乗具を扱う店があり、大会やコンテストも定期的に催されている。
しかし、ごく最近にポケモン図鑑へ登録されたセーレンに向けて作られたものはない。しかも、セーレンは一般的なポケモンの身体構造とかけ離れており、汎用品にも適さない。
それでもヨシツネは道具を頼らずとも、セーレンの背中に並ぶ突起の先頭を取っ手代わりにして器用に乗りこなす。私と、それから妻とも血の繋がりはないが、何かに跨る事について私に似たのだろうか。万が一を恐れて、私は愛車にヨシツネを乗せるのを避けていたが。
靴と同じく棚から、就寝の際に床へ敷く毛布が入った箱の隣にある赤く長いマフラーを、私はセーレンの首へ巻き付ける。これは妻が手編みで作ったものだ。
目立った兆候は表れていないが、竜のポケモンは寒さに弱いと聞く。セーレンの種族がどれほどの寒冷に耐えられるかは未だ研究途中らしいが、少なくとも我が子のポケモンおいて現時点では大きな支障は見受けられない。
「じゃあ行こう! セーレン! お父さん! 行ってきます、お母さん!」
シャッターが開ききると、ヨシツネが高らかに宣言した。その合図で、セーレンが「キュルル」と鳴きながら外に向かって歩き出す。
「気をつけてね。それから、もしよかったら、スーパーか産直に寄ってきてね」
口調こそ頼みの形だが、妻の言葉はまさしく命令だった。
「ああ……分かったよ……」
ヨシツネとセーレンが完全に家から出るのを見計らってから、私はシャッターのボタンを操作しつつ妻にそう返した。降下してきたシャッターの下を余裕をもってくぐりながら私も出る。
「わあ! まぶしい!」
ヨシツネがグローブを付けた手で目の上に鍔を作って叫んだ。私はヨシツネを乗せるセーレンの隣に並ぶが、セーレンも眩しいと思っているかはその顔つきからは判別できない。
我が子が言った通り、私が自室の窓から見たものと変わらず、外界の全ては陽光を反射する雪景色であった。玄関先やその先の道路はそれぞれの担い手によって除雪されているが、それでも本来の地面は踏み固められた雪の下だ。
とある雪国の地方都市に近いベッドタウンの一つとして、子育てに適した町作りを行なっているがこの一帯だ。積雪に伴う手間以外の日常生活における全てが揃っており、徒歩で完結できる範囲に役所や公園などの公共施設、スーパーや病院、スクール、私の勤務先である絵本や児童図書に特化した私立図書館などが存在している。繁華街のような華やかさは薄いが、それでもここからほど近い古くからの商店街の裏手にはバーが点在している。
私たち夫婦がここに居を構えたのは数年前で、今では空き地の方が少なくなってきた。代表から誘いの声を受けた時は、内心では不安で押し潰されそうになった。しかし、博打めいた事業起こしに勝ち、結局妻を含めた私もここへ家を建てるにまで至った。
「今日はどういうコース?」
ヨシツネが、セーレンの背中から私を見下ろして尋ねてくる。ヨシツネも私も、そしてヨシツネを見上げるセーレンも息が白い。
「そうだね……公園の中を通ってから、スーパーに寄って川沿いを帰るのは? スーパーではちょっと待っていてくれる?」
「全然いいよ!」
我が子が私へと、満面の笑みを浮かべて返事をする。我が子の相棒も、嘴を空に向けて声を上げた。
スーパーまでは十分ほどの距離で、川沿いを帰ってくるとなると最短である単純な往復より遠回りとなり、合計で三十分ほどのコースとなる。竜としてのセーレンの運動欲はこれだけでは解消しきれないが、それはヨシツネのトレーナーとしての活動に任せるとする。そして、この散歩の本質はトレーナーとポケモンの、親と子の親睦にある。
「それじゃあ、行こうか」
「うん! 出発!」
私と、ヨシツネを乗せたセーレンは歩き出す。私がいつもと同じように先導を務める。本来ならレンガが敷き詰められた玄関先を通って、本来なら幅広の歩道を縦に並んで歩く。
流行りの様式の新築が多いここは、住宅地として車は徐行を求められている。そして、この積雪では自転車を漕ぐのは叶わない。それでも、他に歩行者がいたら道を譲るのは大型のポケモンを連れている私たちだ。
バイクに乗っていた頃も注意していたが、ヨシツネとセーレンを迎えてからはより一層安全への意識が高まった。金銭では解決できないほど大切な存在が、妻の他にふたりも増えた。
「お父さん、眠くない?」
背中から声を掛けられて、私は歩きながら振り返った。セーレンの上で背中の突起を掴んでいるヨシツネが、私をまっすぐ見つめていた。
「ああ、大丈夫だよ」
「よかった! 眠くなったら言ってね! たくさん話しかけるから!」
「ありがとう」
そこで私は一旦、前へ向き直した。私たちの他に誰もいなかった。もう一度、ヨシツネとセーレンへと振り向く。
「ところで、今週のスクールはどうだった?」
「今週?」
「うん」
「ええとね!」
それから、ヨシツネはスクールでの生活を楽しそうに語り出した。私たちは歩きながら時折、他の通行人やポケモンへ道を譲りながら公園へ向かって緩やかな坂道を下っていく。
『今週もね、セーレンのおかげで放課後バトルクラブの一位になれたよ!』
『でもね、一度だけ昨日なんだけど、「ジュン」くんっていうトレーナーに負けちゃった。ジュンくんは僕よりちょっと年上なのに旅をしてて、今までいろんなところに行った事があるんだって!』
『あ、それからね! おとといの給食は苦手な野菜いためだったけど、がんばって残さず食べたよ!』
我が子が私へ聞かせる話に、私は改めて己の過労を反省する。夕食の際などに会話を交わさなかったわけではないが、今週だけでもヨシツネが床に入った後の帰宅が二度もあった。
ヨシツネ自身は苦に思っていないようだが、代表にも言われているように自重すべきなのだろう。世の父親とは、どのように父親としての自覚と行動を育むのだろうか。スクールに通っていてもおかしくはない歳から息子を迎え入れた私には分からない。
ヨシツネは、元々は私の遠い親戚の子だ。親戚と言っても、私の従妹の婿の妹の子で、私や妻と同じ血は流れていない。
ヨシツネのかつての両親は人としてあまり良い部類ではなく、我が子は強いネグレクトを受けて育った。最初に付けられた名前を呼ばれただけでパニックを起こし、裁判所への養子縁組や改名手続きも特に問題なく受理された。
ここまで明るい性格になるまで、決して短くはない年月を要した。その中で、悩む事がなかったわけではない。しかし、血の繋がった子を授かる事ができなかった私と妻には、ヨシツネは祝福そのものだった。
一時には実在するか定かではないアルセウスを呪いもしたが、これが神の思し召しであり、これ以上の幸福はないだろう。
「セーレン、寒くない?」
公園に入って私がヨシツネとセーレンの隣に並んで歩き始めた頃、ヨシツネがセーレンの顔を上から覗き込む。それを受けて、セーレンが首を仰け反らせる。我が子が相棒の頬を撫でると「キュイキュイ」と鳴き、その頬からパチパチと電気が漏れる。
「セーレンはなんて言ったの?」
「『全然へっちゃら』だって!」
「ならよかった。ヨシツネは寒くない?」
「僕もまだまだへっちゃら!」
ヨシツネの笑顔は太陽よりも明るく、セーレンの頬は太陽よりも赤い。
ヨシツネがおそらく本来の明るい性格へ戻ってきた頃に、相棒となるポケモンを欲しがった。年頃の子供なら当然だ。
一般的な方法である、ブリーダーの世話になる事や野生を捕獲する事でも構わなかったが、ヨシツネがそうであったように、エーテル財団の支部で保護されているポケモンから選ぶ事を私が提案した。妻もヨシツネも反対しなかった。それが、我が子が無二の相棒と出会うきっかけとなった。
今でも定期観察報告の度に職員から感心される。「まともに触らせようとしなかったパッチラゴンを、初めて麻酔も拘束具も使わずに撫でたのが彼だった」と。
セーレンもまた、違法化石復元業者の下で苦しい思いをした過去を持つポケモンだった。
ガラル地方のウカッツ研究員の発表を機に、ガラルの化石ポケモンは非合法の取引さえ辞さないポケモンコレクターたちの間で人気となったらしい。そのような思惑で復元された一体がセーレンで、業者から日常的に暴力を振るわれ人間不信を募らせたと聞いている。そして、「電撃嘴」という絶大な威力を持つ技を覚えたセーレンを手に余すようになった業者が泣きついた先が、エーテル財団の支部だったというわけだ。
「どうしたの、お父さん?」
まじまじと、陽光を反射して金色に輝く我が子とパッチラゴンを眺めていたら、当の我が子から尋ねられた。
「いや、やっぱりヨシツネとセーレンはとてもお似合いだと思って」
「うん! そうだよね、セーレン!」
ヨシツネの声で、セーレンは振り返りながら嬉しそうに鳴く。
似た境遇を持つ者同士、言葉を介さないとしても通じ合うものがあったのだろう。我が家の一員となった当初のセーレンはヨシツネだけにしか懐かなかったが、今では人に危害を加えようとする素振りを全く見せない。
かつてのヨシツネの、荒ぶる古のポケモンを御するその姿は、ヨシツネの名前として拝借した英雄を想起させるものだった。
「ヨシツネ」は、数々の武勲を立てたと伝えられている歴史上の英雄で、「セイガイハ」という愛称のポケモンと共に戦場を駆けていたらしい。最新の研究では、「セイガイハ」とはケルディオではないかという説が有力であると、ドキュメンタリー番組とネット検索で見た事がある。
私はヨシツネへ、パッチラゴンの名前に「ヨシツネ」の相棒からあやかる事を提案したが、ヨシツネは「ヨシツネ」とは縁もゆかりもない名前を選んだ。
それがセーレンだ。我が子は前に私が語った、神話を下敷きにした創作を覚えていた。「セーレン」、正しい発音で言い換えると「セイレーン」は、神話に登場する架空の生物だ。その中で、人魚として描かれている。たしかに、上半身と下半身の大きさが違うパッチラゴンには合っているのかもしれない。
「ヨシツネ」が「セイガイハ」に騎乗したという文献は残っていないらしいが、時にはそのような場合があったのかもしれない。尤も、ヨシツネが跨っているのは水の駿馬ではなく、雷と竜の人魚であるが。
「そこの君! 君はトレーナーかな!?」
後ろから突如、そのような呼び声が聞こえた。私たちが振り返ると、そこにはオンバーンを引き連れたボアジャケット姿の青年が。
セーレンもオンバーンも、共に竜のポケモンだ。それを見込まれたのだろう。ならば、ポケモントレーナーがやる事は一つ。
「お父さん! ちょっと待っててくれる!?」
「ああ、思いっきり相手してあげるといいよ」
上下の顎と扇状の冠羽の間へ既に小さな電流を走らせているセーレンの上から、目を輝かせて許しを乞う「人魚の背鰭」くんに、私はそう答えた。
了
・後書き
拙作をお読み頂きありがとうございました。
どこの時点でセーレンがパッチラゴンの事だと気づきました?
「人魚の背鰭」というワードは私の完全オリジナルではなく、「天使の背骨」という元ネタがあります。
このお話(のベース)は別サイト様の小説大会に投稿しようと考えていましたが、重火力武装の「天使の背骨」と同じように「人魚の背鰭」というワードをパッチラゴンの「でんげきくちばし」と結び付ける事が難航し、同時制作していた同大会別部門投稿予定拙作のみに絞った経緯があります。
初期段階のプロットでは想定3万字のお話でしたので、今拙作はかなりダウンサイジングしたという事になりますね。
そのプロットでは大オチが「セーレンの種族完全バレ(「でんげきくちばし」の使用)」でしたので、お話の流れもかなり変えてあります。
「どうして変えた?」のかは「このお話を書きたかったから」ですが、「これで何を表現したかったか?」は「セーレンの種族ついての推理要素」じゃないんですよ。
あれ?
もう一周お読みくださるんですか?
ありがとうございます。
答え合わせは、いつかの機会にでも。
・追記(2021.2.26)
またお会いしましたね。
誤字修正のついでに、少しだけ作者自身による作品解説を認めさせて頂きます。
作中で描写されている家族の成り立ちと営みについては、ガラルの化石ポケモンの比喩です。
少しだけ、現実の生物学(詳しくは発生学)における「キメラ」についての話をしますね。
「キメラ」は、ご存知の通り「二種類以上の遺伝情報を持つ個体」です。自然的な誕生もありますが、ここからは「人為的に、Aの生物の細胞組織へBの生物の細胞組織を移植したキメラ」を前提に話を進めます。
脊椎動物の場合、キメラは成体で作る事ができず、生まれる前(胚の段階)に細胞を植え付けたとしても、この時に「とある細工」を施しておかないと短命の生命体になってしまいます。
それの理由については「免疫機能」が関係しています。先ほどのAとBの生物(細胞)を例にして話しますね。
Aの生物の細胞組織にBの生物の脳となる細胞組織を植え付けても、Aの体(細胞)にとってBの脳(細胞)は「異物」なんです。それ故にAの体の免疫機能が働き、Bの細胞を攻撃します。つまり、この場合のキメラにとって「自分」とは「脳」と「免疫機能」なんです。「自分の意思」とは無関係に「自分の免疫機能」が働くという意味では、アレルギー・自己免疫疾患等にも近いものです。
ちなみに、前述した「とある細工」とは「胸腺となる細胞組織の移植」です。胸腺は個体の免疫系に深く関係している臓器で、脳の他にこれを移植されたキメラは体の免疫機能に攻撃される可能性が低くなるそうです。
話をガラルの化石ポケモンに戻しますね。
個人的な解釈では、ガラルの化石ポケモンは「脳的自己」と「免疫的自己」が一致していると思うんですよ。少しチャーミングな特徴や外見を持っていますが、免疫機能が働いている様子は見受けられませんし。パッチルちゃんについては……ちょっと怪しいところですが。
仮に、全年齢向けゲームであるポケモンで発生学の描写をされてもユーザーが困ってしまいますが。(過去に「Gダライアス」というゲームではこれを描写しました。そこに描かれている「KIMERAII」は「生物と機械の嵌合体」という意味です)
つまり、私がこの拙作で何を描きたかったかは、「嵌合的な関係でも、一個の生活集団として完全に機能している」なんです。
もちろん、フィクション・ノンフィクション・血縁関係の有無を問わず困難に直面する関係があるとは存じています。
しかし私は、この拙作では「キメラ的だけどあたたかい家族関係」を描きたかったんです。
あ、最後に一つ。
これを書いている日の前日まで自分でも無意識下でしたが、「ドラゴンと雪景色」の描写は、どうやら伝説のゲーム「パンツァードラグーンオルタ」のオマージュのようです。
自分で忘れていたくせになんですけど、私はあれよりも美しいゲーム画面を知りません。
あっ、本当に最後の一つ。
「声練 」という名前については、伝説のボカロ曲「歌う睡蓮 」への明確なアンチテーゼです。いえ、よく聴くから「自分だったら」をやりたくなるんですよ。
では、私はこれで。
今回ももう一周してくれるんですか?
それともこの追記のみです?
どちらであっても、ここまでお読み頂きありがとうございます。
合皮の革張りの椅子から立ち上がって、カーテンを開ける。やはり窓の外は夜が明けていた。地上に降り積もった雪を朝日が照らしている。目晴らしの良い緩やかな丘の中腹に建てられた我が家からは、雪化粧を施した公園や遊歩道が一望できる。子育てに適した新興住宅地だが、積雪だけはここに来て数年経った今でも微かに疎ましく思う。
背の高いフロアランプを消した私は椅子に戻って、机の上に散らかした書類やタブレット端末上のデータを整理する。しなくてもいい徹夜をするのは学生時代からの癖になっている。自分でももう若くないと自覚しているが、夜の静寂が醸し出す心地良さを忘れられずにいる。
幸い、今日は非番だ。ようやく事業が軌道に乗ってきて、仲間たちが増えてきた。古くからの友人である代表の右腕として働いてきたが、最近ではその代表から「若い子たちの仕事まで奪わないで」と冗談交じりに投げ掛けられる事が多くなってきた。
事実として、私は働きすぎなのだろう。そして、代表が真に案じているのは、若手の成長ではなく私の家族だ。彼女は、私の家族が増える時に盛大な祝福を贈ってくれた人間の一人だ。もちろん私としても、愛情と覚悟を持って迎え入れた存在を無碍に扱う気はない。
書類作成のアプリを閉じて、スケジュール管理のアプリを起動する。確認すると、やはり今日の予定は空いている。いや、これから私は何物にも代えがたい大切な時間がある。
夜の内に進んだ仕事は、代表が目が覚ます頃に報告するとしよう。かつて彼女とは互いに家庭を持つ前に、一つ屋根の下へ寝泊まりして現在とは違う仕事をこなしていた仲だ。一つの法人の代表になった今でも朝に弱い事は知っている。
私はすっかり冷めてしまったマグカップのコーヒーを持ち上げ、喉の奥に流し込む。そして、もう一度椅子から立ち上がった。机上に置いていたミント菓子のケースを手に取り、その中の二粒を取り出して口へ含み噛み砕く。
あの子の為に、長年連れ添った煙草とは別れを告げて久しい。しかし、依存症状はとっくの昔に抜けたが、時折どうしようもなく口が寂しくなる時がある。ケースを机の上に戻す。
それから、自室のクローゼットに近づき扉を開ける。在宅事務の作業着として纏っていたスウェットから、厚手のセーターへと着替える。下半身も、ただのデニムから裏地がフリースのスウェットへ。
外見を取り繕う事を疎かにしがちな私へ、妻が選んでくれたものだ。上下のコーディネートもそのまま彼女の考えだ。ボルドーのセーターに、グレーのスウェットパンツ。頭に白髪が混じるようになってきた私には、幼すぎもせず老けすぎもしていないだろう。
長年、児童福祉に関わってきた私にとって、生業の相手は常に歳下が多かった。対して妻は、私と暮らすようになるまでは百貨店の紳士服売り場の担当だった。
セーターの上に、これも妻が選んでくれたグレーのチェスターコートへ袖を通す。コートのボタンを掛けずに、首へ黒のマフラーを巻く。私としてはもう少し暖かい格好をしたいが、この一帯の親子から「副館長さん」と呼ばれている私は下手な身なりができない。その点においても、妻にとても感謝している。
天気は確認していないが、この日差しなら傘は必要ないだろう。私は自室のドアを内側から開ける。部屋の外の廊下には、我が子が待っていた。
「おはよう、お待たせ」
「おはよう! お父さん!」
誰にも負けない笑顔で、ヨシツネはそう言った。
人魚の背鰭
「昨日はよく眠れた?」
「うん! お父さんは?」
「徹夜してしまったよ」
「また?」
「うん。足元に気をつけて」
「うん!」
そんな、他愛のない話をしながら階段を降りていく。我が子のヨシツネが、私へと振り返りながら尋ねてくる。強いものではないが、自分の子供から窘められるようでは、この癖を改めなければいけない。
我が子を迎える前に多少の無理をして建てた我が家は未だ新築のようで、全館暖房の廊下を私たちは歩いていく。それでも、私がそうであるように、ヨシツネもまた既に厚着を済ませていた。
金色の生地と縫い糸で作られた、眩いほどに輝くサバイバルジャケットとパンツだ。片腕には、息子の相棒と合わせた色のバンダナが結んである。
地元のフリーマーケットでこれが並んでいるのをヨシツネが見つけると、私と妻に強くねだったのだ。ファッションに詳しくはない私にでも、それが個性的すぎると分かった。
しかし、それでもこの子の望みを叶えた私はすっかり親馬鹿なのだろう。ジャケットにもパンツにも、作りが本格的なのだが製造元を示すタグや刺繍の類は付いていなかった。もしかしたら、我が子が腕や足を通す前は、どこかの私と同じ部類が丹精を込めて裁縫したものなのかもしれない。
「お母さん! お父さんを呼んできたよ!」
そう言いながら、ヨシツネは居間のドアを開けた。我が子に続いて、私もその中に入る。
「ありがとう、ヨシツネ」
「うん!」
妻は空になった餌鉢を持っていて、居間の奥にある簡易的な流しへ下げようとしているところだった。
「おはよう、
妻は私を、出会った時と変わらず名前で呼ぶ。
「おはよう、ヨシツネにも言われたよ」
「お母さんが言ってたよ? 『ちゃんと寝ないと疲れが取れない』って」
「ああ、耳が痛いよ」
「……寝てないから耳が痛いの?」
「『耳が痛くなるくらいのお説教』って事」
笑顔の妻の解説に、息子も笑顔で「そうなんだ!」と返す。その朗らかな雰囲気に釣られて居間の一角に座っていた
「朝ご飯は?」
「帰ってきてから食べるよ」
「でしょうね」
「僕はもう食べたよ!」
「父親より健康的すぎて、何も言えなくなるよ」
「……お腹が空いて元気が出ないから?」
「『ヨシツネが僕よりちゃんとやっているから文句が言えない』って事だよ」
「そうなんだ!」
逃げるようにしてヨシツネと妻に向けていた顔をセーレンに戻して、私はスリッパからサンダルへ履き替える。そしてセーレンに近づく。座っていても人間の何倍もの巨体を誇るセーレンからは、この子がいつも笑顔だとしても僅かな威圧感を拭いきれずにいる。
それを隠しながら、私はセーレンの体の後ろにある、元は工具置き場にしていた黒いアルミ製の棚から煙草の箱ほどのテスターを手に取って、セーレンの首筋に当てた。
プラスチックの窓の奥にある針は、すぐさま左端から右端へと移動した。今日も異常なし。私が離れると、テスターの針も戻る。
「今日もオッケー?」
「ああ、もうしなくていいかもね。ヨシツネは、もう立派なトレーナーだよ」
「うん!」
ヨシツネが返事をすると、私の後ろからセーレンの「キュイキュイ」という鳴き声も聞こえてきた。
電気タイプのポケモンの不調は、発電される生体電気へと如実に表れる。特にもセーレンの世話は方法が手探りになると、この子を保護していたエーテル財団の職員から聞かされていた。それでも、私と妻は過去に同じ電気タイプであるジバコイルと共に暮らしていて、献身的なヨシツネの世話もあって、これまで大きなトラブルに出くわした事がない。毎日のテスターも、この様子ならば我が子に言った通り省略しても問題ないだろう。定期報告にそれを記す手間も随分省ける。
「セーレン、よかったね!」
私と同じくサンダルへ履き替えたヨシツネがセーレンの首筋に抱きついた。セーレンもまた、抱きついてきたヨシツネの頬に自分の頬を擦り寄せる。
私は無言で、彼らから妻へと視線を移す。コーヒーを片手にソファーへと座っていた妻は顔を綻ばせていた。
大切な我が子とその相棒が楽しそうにしていて、それを慈しまない親などほぼいないはずだ。私としては、ヨシツネとセーレンの為に駐車スペースと居間を仕切るガラスと、セーレンが座っている場所にかつて収められていた二台のプレミアバイクを失っても、全く惜しいとも思わない。いや、少しは寂しいが。
この家は元々、私の趣味を尊重してくれた妻の同意の上で築かれたガレージハウスだった。しかし、ヨシツネを新たな家族として迎え入れ、セーレンも加わった事で、私は愛車を手放す決意を固めた。学生時代からの付き合いで、今では当時の定価よりも高い金額で取引されている名車だったが、養子とポケモンを抱えたまま維持できるほど私の愛車たちは若くはなかった。
幸い、二台ともそれらに憧れを抱いていた知人に悪くない金額で引き取られ、主を失った屋内駐車場は我が家におけるセーレンの生活スペースとして再機能している。そういう意味では、大型のポケモンと共に居間で過ごす事ができるこの住宅構造は理に適っていると言えるだろう。
「ところで、部屋で飲んでたコーヒーのカップはちゃんと片付けた?」
私とヨシツネは、それぞれ棚から手に取った黒の防水スニーカーと金色のブーツに履き替えていると、妻が笑顔でそう言った。
「……ごめん」
「これで何回目だっけ?」
「……」
「何回目だっけ?」
「……本当にごめん」
妻の笑顔が怖い。昔から声を荒げる事を避けてくれるのが私の性に合っているが、笑顔の裏に隠された重圧が酷く苦しい。許しを得る術として、今日の昼食は私が作るべきだろう。
私がそうこうしている間に、ヨシツネが開閉ボタンを押した電動シャッターが開き始めた。風は微かであったが、肌を刺す冷気が部屋の中へと流れ込んでくる。
「セーレン、しゃがんで」
散歩へと出掛ける気配を察して立ち上がったセーレンの逞しい背中を、その横にいるヨシツネがグローブを嵌めた両手で優しく叩く。
我が子がそうすると、セーレンは背中と同じく肉付きの良い後ろ足を曲げて、腹をコンクリートの床に近づけた。妻に何度言われても直せない私と違って、ヨシツネとセーレンの息は日に日に一体へと歩み寄っている。
その息子が左足を掲げて、相棒の背中へと跨った。鞍も頭絡もない、バンバドロで言うところの裸馬の状態でだ。
自らのポケモンに騎乗する事は、トレーナーであるなら珍しくはない。それこそ、大きな街にはポケモン用の騎乗具を扱う店があり、大会やコンテストも定期的に催されている。
しかし、ごく最近にポケモン図鑑へ登録されたセーレンに向けて作られたものはない。しかも、セーレンは一般的なポケモンの身体構造とかけ離れており、汎用品にも適さない。
それでもヨシツネは道具を頼らずとも、セーレンの背中に並ぶ突起の先頭を取っ手代わりにして器用に乗りこなす。私と、それから妻とも血の繋がりはないが、何かに跨る事について私に似たのだろうか。万が一を恐れて、私は愛車にヨシツネを乗せるのを避けていたが。
靴と同じく棚から、就寝の際に床へ敷く毛布が入った箱の隣にある赤く長いマフラーを、私はセーレンの首へ巻き付ける。これは妻が手編みで作ったものだ。
目立った兆候は表れていないが、竜のポケモンは寒さに弱いと聞く。セーレンの種族がどれほどの寒冷に耐えられるかは未だ研究途中らしいが、少なくとも我が子のポケモンおいて現時点では大きな支障は見受けられない。
「じゃあ行こう! セーレン! お父さん! 行ってきます、お母さん!」
シャッターが開ききると、ヨシツネが高らかに宣言した。その合図で、セーレンが「キュルル」と鳴きながら外に向かって歩き出す。
「気をつけてね。それから、もしよかったら、スーパーか産直に寄ってきてね」
口調こそ頼みの形だが、妻の言葉はまさしく命令だった。
「ああ……分かったよ……」
ヨシツネとセーレンが完全に家から出るのを見計らってから、私はシャッターのボタンを操作しつつ妻にそう返した。降下してきたシャッターの下を余裕をもってくぐりながら私も出る。
「わあ! まぶしい!」
ヨシツネがグローブを付けた手で目の上に鍔を作って叫んだ。私はヨシツネを乗せるセーレンの隣に並ぶが、セーレンも眩しいと思っているかはその顔つきからは判別できない。
我が子が言った通り、私が自室の窓から見たものと変わらず、外界の全ては陽光を反射する雪景色であった。玄関先やその先の道路はそれぞれの担い手によって除雪されているが、それでも本来の地面は踏み固められた雪の下だ。
とある雪国の地方都市に近いベッドタウンの一つとして、子育てに適した町作りを行なっているがこの一帯だ。積雪に伴う手間以外の日常生活における全てが揃っており、徒歩で完結できる範囲に役所や公園などの公共施設、スーパーや病院、スクール、私の勤務先である絵本や児童図書に特化した私立図書館などが存在している。繁華街のような華やかさは薄いが、それでもここからほど近い古くからの商店街の裏手にはバーが点在している。
私たち夫婦がここに居を構えたのは数年前で、今では空き地の方が少なくなってきた。代表から誘いの声を受けた時は、内心では不安で押し潰されそうになった。しかし、博打めいた事業起こしに勝ち、結局妻を含めた私もここへ家を建てるにまで至った。
「今日はどういうコース?」
ヨシツネが、セーレンの背中から私を見下ろして尋ねてくる。ヨシツネも私も、そしてヨシツネを見上げるセーレンも息が白い。
「そうだね……公園の中を通ってから、スーパーに寄って川沿いを帰るのは? スーパーではちょっと待っていてくれる?」
「全然いいよ!」
我が子が私へと、満面の笑みを浮かべて返事をする。我が子の相棒も、嘴を空に向けて声を上げた。
スーパーまでは十分ほどの距離で、川沿いを帰ってくるとなると最短である単純な往復より遠回りとなり、合計で三十分ほどのコースとなる。竜としてのセーレンの運動欲はこれだけでは解消しきれないが、それはヨシツネのトレーナーとしての活動に任せるとする。そして、この散歩の本質はトレーナーとポケモンの、親と子の親睦にある。
「それじゃあ、行こうか」
「うん! 出発!」
私と、ヨシツネを乗せたセーレンは歩き出す。私がいつもと同じように先導を務める。本来ならレンガが敷き詰められた玄関先を通って、本来なら幅広の歩道を縦に並んで歩く。
流行りの様式の新築が多いここは、住宅地として車は徐行を求められている。そして、この積雪では自転車を漕ぐのは叶わない。それでも、他に歩行者がいたら道を譲るのは大型のポケモンを連れている私たちだ。
バイクに乗っていた頃も注意していたが、ヨシツネとセーレンを迎えてからはより一層安全への意識が高まった。金銭では解決できないほど大切な存在が、妻の他にふたりも増えた。
「お父さん、眠くない?」
背中から声を掛けられて、私は歩きながら振り返った。セーレンの上で背中の突起を掴んでいるヨシツネが、私をまっすぐ見つめていた。
「ああ、大丈夫だよ」
「よかった! 眠くなったら言ってね! たくさん話しかけるから!」
「ありがとう」
そこで私は一旦、前へ向き直した。私たちの他に誰もいなかった。もう一度、ヨシツネとセーレンへと振り向く。
「ところで、今週のスクールはどうだった?」
「今週?」
「うん」
「ええとね!」
それから、ヨシツネはスクールでの生活を楽しそうに語り出した。私たちは歩きながら時折、他の通行人やポケモンへ道を譲りながら公園へ向かって緩やかな坂道を下っていく。
『今週もね、セーレンのおかげで放課後バトルクラブの一位になれたよ!』
『でもね、一度だけ昨日なんだけど、「ジュン」くんっていうトレーナーに負けちゃった。ジュンくんは僕よりちょっと年上なのに旅をしてて、今までいろんなところに行った事があるんだって!』
『あ、それからね! おとといの給食は苦手な野菜いためだったけど、がんばって残さず食べたよ!』
我が子が私へ聞かせる話に、私は改めて己の過労を反省する。夕食の際などに会話を交わさなかったわけではないが、今週だけでもヨシツネが床に入った後の帰宅が二度もあった。
ヨシツネ自身は苦に思っていないようだが、代表にも言われているように自重すべきなのだろう。世の父親とは、どのように父親としての自覚と行動を育むのだろうか。スクールに通っていてもおかしくはない歳から息子を迎え入れた私には分からない。
ヨシツネは、元々は私の遠い親戚の子だ。親戚と言っても、私の従妹の婿の妹の子で、私や妻と同じ血は流れていない。
ヨシツネのかつての両親は人としてあまり良い部類ではなく、我が子は強いネグレクトを受けて育った。最初に付けられた名前を呼ばれただけでパニックを起こし、裁判所への養子縁組や改名手続きも特に問題なく受理された。
ここまで明るい性格になるまで、決して短くはない年月を要した。その中で、悩む事がなかったわけではない。しかし、血の繋がった子を授かる事ができなかった私と妻には、ヨシツネは祝福そのものだった。
一時には実在するか定かではないアルセウスを呪いもしたが、これが神の思し召しであり、これ以上の幸福はないだろう。
「セーレン、寒くない?」
公園に入って私がヨシツネとセーレンの隣に並んで歩き始めた頃、ヨシツネがセーレンの顔を上から覗き込む。それを受けて、セーレンが首を仰け反らせる。我が子が相棒の頬を撫でると「キュイキュイ」と鳴き、その頬からパチパチと電気が漏れる。
「セーレンはなんて言ったの?」
「『全然へっちゃら』だって!」
「ならよかった。ヨシツネは寒くない?」
「僕もまだまだへっちゃら!」
ヨシツネの笑顔は太陽よりも明るく、セーレンの頬は太陽よりも赤い。
ヨシツネがおそらく本来の明るい性格へ戻ってきた頃に、相棒となるポケモンを欲しがった。年頃の子供なら当然だ。
一般的な方法である、ブリーダーの世話になる事や野生を捕獲する事でも構わなかったが、ヨシツネがそうであったように、エーテル財団の支部で保護されているポケモンから選ぶ事を私が提案した。妻もヨシツネも反対しなかった。それが、我が子が無二の相棒と出会うきっかけとなった。
今でも定期観察報告の度に職員から感心される。「まともに触らせようとしなかったパッチラゴンを、初めて麻酔も拘束具も使わずに撫でたのが彼だった」と。
セーレンもまた、違法化石復元業者の下で苦しい思いをした過去を持つポケモンだった。
ガラル地方のウカッツ研究員の発表を機に、ガラルの化石ポケモンは非合法の取引さえ辞さないポケモンコレクターたちの間で人気となったらしい。そのような思惑で復元された一体がセーレンで、業者から日常的に暴力を振るわれ人間不信を募らせたと聞いている。そして、「電撃嘴」という絶大な威力を持つ技を覚えたセーレンを手に余すようになった業者が泣きついた先が、エーテル財団の支部だったというわけだ。
「どうしたの、お父さん?」
まじまじと、陽光を反射して金色に輝く我が子とパッチラゴンを眺めていたら、当の我が子から尋ねられた。
「いや、やっぱりヨシツネとセーレンはとてもお似合いだと思って」
「うん! そうだよね、セーレン!」
ヨシツネの声で、セーレンは振り返りながら嬉しそうに鳴く。
似た境遇を持つ者同士、言葉を介さないとしても通じ合うものがあったのだろう。我が家の一員となった当初のセーレンはヨシツネだけにしか懐かなかったが、今では人に危害を加えようとする素振りを全く見せない。
かつてのヨシツネの、荒ぶる古のポケモンを御するその姿は、ヨシツネの名前として拝借した英雄を想起させるものだった。
「ヨシツネ」は、数々の武勲を立てたと伝えられている歴史上の英雄で、「セイガイハ」という愛称のポケモンと共に戦場を駆けていたらしい。最新の研究では、「セイガイハ」とはケルディオではないかという説が有力であると、ドキュメンタリー番組とネット検索で見た事がある。
私はヨシツネへ、パッチラゴンの名前に「ヨシツネ」の相棒からあやかる事を提案したが、ヨシツネは「ヨシツネ」とは縁もゆかりもない名前を選んだ。
それがセーレンだ。我が子は前に私が語った、神話を下敷きにした創作を覚えていた。「セーレン」、正しい発音で言い換えると「セイレーン」は、神話に登場する架空の生物だ。その中で、人魚として描かれている。たしかに、上半身と下半身の大きさが違うパッチラゴンには合っているのかもしれない。
「ヨシツネ」が「セイガイハ」に騎乗したという文献は残っていないらしいが、時にはそのような場合があったのかもしれない。尤も、ヨシツネが跨っているのは水の駿馬ではなく、雷と竜の人魚であるが。
「そこの君! 君はトレーナーかな!?」
後ろから突如、そのような呼び声が聞こえた。私たちが振り返ると、そこにはオンバーンを引き連れたボアジャケット姿の青年が。
セーレンもオンバーンも、共に竜のポケモンだ。それを見込まれたのだろう。ならば、ポケモントレーナーがやる事は一つ。
「お父さん! ちょっと待っててくれる!?」
「ああ、思いっきり相手してあげるといいよ」
上下の顎と扇状の冠羽の間へ既に小さな電流を走らせているセーレンの上から、目を輝かせて許しを乞う「人魚の背鰭」くんに、私はそう答えた。
了
・後書き
拙作をお読み頂きありがとうございました。
どこの時点でセーレンがパッチラゴンの事だと気づきました?
「人魚の背鰭」というワードは私の完全オリジナルではなく、「天使の背骨」という元ネタがあります。
このお話(のベース)は別サイト様の小説大会に投稿しようと考えていましたが、重火力武装の「天使の背骨」と同じように「人魚の背鰭」というワードをパッチラゴンの「でんげきくちばし」と結び付ける事が難航し、同時制作していた同大会別部門投稿予定拙作のみに絞った経緯があります。
初期段階のプロットでは想定3万字のお話でしたので、今拙作はかなりダウンサイジングしたという事になりますね。
そのプロットでは大オチが「セーレンの種族完全バレ(「でんげきくちばし」の使用)」でしたので、お話の流れもかなり変えてあります。
「どうして変えた?」のかは「このお話を書きたかったから」ですが、「これで何を表現したかったか?」は「セーレンの種族ついての推理要素」じゃないんですよ。
あれ?
もう一周お読みくださるんですか?
ありがとうございます。
答え合わせは、いつかの機会にでも。
・追記(2021.2.26)
またお会いしましたね。
誤字修正のついでに、少しだけ作者自身による作品解説を認めさせて頂きます。
作中で描写されている家族の成り立ちと営みについては、ガラルの化石ポケモンの比喩です。
少しだけ、現実の生物学(詳しくは発生学)における「キメラ」についての話をしますね。
「キメラ」は、ご存知の通り「二種類以上の遺伝情報を持つ個体」です。自然的な誕生もありますが、ここからは「人為的に、Aの生物の細胞組織へBの生物の細胞組織を移植したキメラ」を前提に話を進めます。
脊椎動物の場合、キメラは成体で作る事ができず、生まれる前(胚の段階)に細胞を植え付けたとしても、この時に「とある細工」を施しておかないと短命の生命体になってしまいます。
それの理由については「免疫機能」が関係しています。先ほどのAとBの生物(細胞)を例にして話しますね。
Aの生物の細胞組織にBの生物の脳となる細胞組織を植え付けても、Aの体(細胞)にとってBの脳(細胞)は「異物」なんです。それ故にAの体の免疫機能が働き、Bの細胞を攻撃します。つまり、この場合のキメラにとって「自分」とは「脳」と「免疫機能」なんです。「自分の意思」とは無関係に「自分の免疫機能」が働くという意味では、アレルギー・自己免疫疾患等にも近いものです。
ちなみに、前述した「とある細工」とは「胸腺となる細胞組織の移植」です。胸腺は個体の免疫系に深く関係している臓器で、脳の他にこれを移植されたキメラは体の免疫機能に攻撃される可能性が低くなるそうです。
話をガラルの化石ポケモンに戻しますね。
個人的な解釈では、ガラルの化石ポケモンは「脳的自己」と「免疫的自己」が一致していると思うんですよ。少しチャーミングな特徴や外見を持っていますが、免疫機能が働いている様子は見受けられませんし。パッチルちゃんについては……ちょっと怪しいところですが。
仮に、全年齢向けゲームであるポケモンで発生学の描写をされてもユーザーが困ってしまいますが。(過去に「Gダライアス」というゲームではこれを描写しました。そこに描かれている「KIMERAII」は「生物と機械の嵌合体」という意味です)
つまり、私がこの拙作で何を描きたかったかは、「嵌合的な関係でも、一個の生活集団として完全に機能している」なんです。
もちろん、フィクション・ノンフィクション・血縁関係の有無を問わず困難に直面する関係があるとは存じています。
しかし私は、この拙作では「キメラ的だけどあたたかい家族関係」を描きたかったんです。
あ、最後に一つ。
これを書いている日の前日まで自分でも無意識下でしたが、「ドラゴンと雪景色」の描写は、どうやら伝説のゲーム「パンツァードラグーンオルタ」のオマージュのようです。
自分で忘れていたくせになんですけど、私はあれよりも美しいゲーム画面を知りません。
あっ、本当に最後の一つ。
「
では、私はこれで。
今回ももう一周してくれるんですか?
それともこの追記のみです?
どちらであっても、ここまでお読み頂きありがとうございます。
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