羽を得た蝉、得られなかった抜け殻

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作者:草猫
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読了時間目安:6分
 あるところに、1匹のツチニンがいました。 ぽかぽかとした柔らかな春。 暗く湿った、体全体を覆い、自分をその匂いで埋め尽くさんとするような土の中から、やっとのことで出てきたのです。
 
 何故今までずっと出ようとせずに潜っていたのか、それはもう抗えない習性、本能でしかありません。 ですが、暖かくなってきた頃に、ツチニンは感じたのです。 ......今こそ出る時だと。

 ツチニンは幸せでした。 当然でしょう、土の外には今までに見たことのない世界が広がっていたのですから。 吹きすさぶ風。 新緑の爽やかな匂い。 木のひやりとしながらも温かい感触。 この世界を統べる人間達の話し声。全てが新鮮で、ツチニンの心の思い出箱はあっという間にむぎゅむぎゅになってしまいました。

 

 時は経ち、夏が近づいてきました。 ここまでに多くの経験を積んだツチニンは、何か起きそうな心地をしていました。 自分自身を変えそうな。

 そして、その予感は現実となります。







 獲物を獲り、公園でのんびりくつろいでいたら、急に、ツチニンの体は光り始めました。 これも本能なのか、ツチニンはそれに身を任せました。 流れに乗っていくのです。 そうすればあっという間に体は再構築され、進化することができるのです。 ああ、自分はどうなるのだろう。 綺麗な羽が生えるのだろうか。 空を飛べるのだろうか。 そんなワクワク感が、ツチニンの心を包みます。
 ですが。

 ......あれ?

 ツチニンはおかしなことに気づきました。 目の前にポケモンらしきものが現れたのです。 ですが、ここは元々ポケモンは1匹としていませんでした。 急に飛び出てきたという考えもありますが、これもすぐに払拭されました。
 だって、目の前のポケモンは......かつての、己なのですから。

 ......うそでしょ? どういうこと?

 ツチニン......いえ、その片割れは訳がわからなくなりました。 1匹のポケモンが分裂する? そんなの、考えられない。 そう思ったのです。
 そんなことを考えているうちに、もう片方の片割れは自らの屈強になった姿に歓喜しました。 ......そして、手に入れたばかりの羽で、ぶんと空へと羽ばたいてしまいます。 困るのはまたもう1匹の片割れでした。 羽があれば素早く飛んでいけるのに、それは出来ません。 何故なら、その子には羽が無かったからです。

 まって。 いかないで。

 ですが。その声は届きません。 ......完全に片割れが見えなくなった後、その子......ヌケニンは、ずっと悲しみに暮れていました。 まるで、ツチニンが前向きな感情と後ろ向きな感情に分かれてしまったように思えて仕方がありませんでした。 自分は不用品。 あの黒く美しい羽を奴に渡すための。 そしてあのポケモンは、こちらなど全く見ずに自らの悦楽のために飛び上がった。 こちらの気も知らないで。 絶望とともに、怒りがふつふつと煮えたぎります。
 
 ......ユルサナイ。
 
 ゆらりと、ヌケニンは立ち上がりました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 そこから、ヌケニンはあのかつての片割れテッカニンを探し続けました。 自分の恨みを晴らすために。
 
 
 自分を犠牲にして、奴は羽を手に入れた。
 自分を犠牲にして、奴は世界に羽ばたいた。
 自分を犠牲にして、奴は幸せになった。
 
 だったら、こちらも同じことをしてやる。 奴を犠牲にして、自分の苦しみを少しでも晴らしてやる。
 
 その言葉を、ずっと頭の中で連呼し続けていました。
 ......殺したところで羽は手に入らないことくらい、わかっていたけれども。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ......夏も終わりに近づいた頃。 テッカニンは結局見つかっていませんでした。 自分の住処である公園の木に戻ってみると、そこには子供達がいました。 かつては新鮮だった声も、今では煩わしいとしか思えない。 ヌケニンは耳も貸さず木のウロに潜ろうとしました。 すると。
 
 ぐしゃり。
 
 今までに聞いたことがない音が、ヌケニンに響きました。
 
 
 「うおっ!?」
 「タケルどうしたー?」
 「いや今なんか......うわっ、やばいテッカニンだ!」
 「マジお前......踏んじゃったの?」
 「そうみたい......ええうそだろ」
 「こんな地面にいるってことは、もう力尽きちゃったのかな」
 「......そっか、せめてお祈りしてこう。 ごめんなさいってのも一緒に」
 「だな」
 
 男の子2人が、ぱんぱんと手を合わせます。 確かにそこには謝罪の色が滲んでいました。 そして足早に公園から立ち去っていきます。
 さて、残されたヌケニンは、ぞわりと来る感覚を覚えました。 まさかという思いを抱きながら、恐る恐る地面を確認します。
 
 ......ああっ!!
 
 そこにいたのは、紛れもないあの日のテッカニンでした。 意気揚々と飛び去っていった、あの。
 ただ、もうあの強さを秘めた羽はボロボロになってしまっていました。 体の形も、原型そのままとは言えません。 さっき踏み潰されたからか、地面には体液が滲んでいました。
 
 ヌケニンの中に、男の子達の言葉が蘇ります。
 
 ......力尽きちゃったのかな。
 
 ヌケニンは理解しました。 もう彼は、既に事切れていたのだと。 ここを死に場所に選んだ理由は分かりません。 ですが、きっと思い出の場所だったから、でしょう。 ヌケニンに会いにきた......訳ではなさそうです。 だってテッカニンは、一切こちらの方を見なかったのですから。 ......抜け殻になって命を狙う者がいるなど知る由もないまま、彼は息絶えたのです。
 
 ヌケニンは呆然とその場に浮いていました。 空を駆ける力を得たのに、少ししか生きられない。 ゆっくりと動く事しかできず、脆い抜け殻の体であるにも関わらず、長い時を生きる。 ......幸せなのはどちらなのか、ヌケニンには分からなくなりました。
 
 ヌケニンは日が沈みそうになってもその場にいました。
 ずっとずっと、その場で浮いていました。

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