蛙に睨まれた蛇

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作者:円山翔
読了時間目安:11分

この作品は小説ポケモン図鑑企画の投稿作品です。

この作品には捕食要素が含まれます。苦手な方はご注意ください。
 蛇に睨まれた蛙は、動けなくなるといいます。恐怖で身が竦んだとも、逃げるための駆け引きをしているともいいますが、少なくとも蛙は多くの蛇にとって捕食対象です。
 ところが、私の目の前にいる蛙の子ときたらどうでしょう。私が睨みを効かせると、畏縮するどころかニコリと笑ったのです。こんなことがあるのでしょうか。
 実は、その蛙の子はタマゴから生まれたばかりでした。私が蛙の巣に忍び込んでタマゴを食べようとした途端に孵化したのです。まさか、生まれて初めて見たというだけの理由で、姿かたちが似ても似つかない私のことを母親だとでも思ったのでしょうか。
「おまえは、わたしがこわくないのか」
 私が牙をむき出して脅かしても、蛙の子はますます喜ぶばかりです。いないいないばあをしているわけではないというのに、なんということでしょう。蛙に喜ばれる蛇などきいたことがありません。
 笑顔を向けられて食べようにも食べられず、調子が狂った私は巣を後にしました。
 ところが、その蛙の子は私の後をついてきました。いくら睨みを効かせても、牙をむいても、尻尾で追い払っても、懲りずについてきました。
 これは蛙が仕組んだ巧妙な罠ではないか。この子をスパイとして送り込んで、そのうち仕返しをしてやろうとでも思っているのではないか。そんなことを考えましたが、わざわざ天敵に自分の子を差し出す阿呆の親がいるでしょうか。ともすれば、この子は自分の意思で自らの巣を抜け出して、私についてきたのです。
 せっかくついてきたのだ、せいぜいおいしくたべてやろうと私は思いました。そのためには、蛙の子には元気に成長してもらわねばなりません。今のまま食べてもよいですが、成長して大きくなれば私の食べる分も増えますし、もっとおいしく食べられるに違いありません。

 その日から私の子育て生活が始まりました。大変なことは多々ありますが、やってみれば案外楽しいものです。
 餌に同じ蛙の子を食わせるわけにもいかないので、その辺の木からきのみを持ってきて食べさせました。腐ったものは自分で食べ、より新鮮なものを蛙の子にやりました。まずいものを口にするのは趣味ではないですが、蛙の子をよりおいしく食べるための辛抱です。
 食べているだけでは太るだけです。脂肪ばかりではおいしくありません。ということで、運動のために戦いの訓練もすることにしました。といっても、今の私と蛙の子とでは戦闘力に差がありすぎます。蛙の子のはたくこうげきもみずでっぽうも、私にとっては痛くも痒くもありません。逆に私がかみついたりまきついたりすれば、蛙の子はぺしゃんこになってしまうでしょう。小さなどくばり一本でさえ致命傷になりかねません。ようかいえきやアシッドボムなんてもってのほかです。なので、尻尾で軽く遊んでやるくらいでした。蛙の子は私の尻尾を自分の尻尾ではたいたり、みずでっぽうを浴びせたりしました。
 蛇の仲間には笑われました。さっさと食ってしまえとか、餌を育てるなんて馬鹿げてるとか言われました。しかし育て始めた以上、途中でやめようとは思いませんでした。蛇仲間が誰も味わったことのないような、極上の蛙に育ててやると意気込んで、蛙の子を大事に育て続けました。
 日を追うごとに蛙の子は素早くなり、私の尻尾攻撃を避けるようになりました。はたく力もみずでっぽうの勢いも、少しずつではありますが強くなっていきました。
 やがて、私の尻尾攻撃は当たらなくなりました。蛙の子の攻撃で、私の方が疲弊するようになりました。こうなっては食べるどころの話ではありません。本気でかからねば、私の方が殺されてしまうかもしれません。とはいえ、死んだ生き物を食べるより、生きたまま飲み込む方がずっとおいしく食べられます。殺してしまっては元も子もありません。なので、蛙の子が死なない程度の攻撃を探りながら戦うことにしました。おかげで蛙の子が死ぬことはありませんが、私自身が何度か死にかけました。長い体に思い切りのしかかられた時には潰されてしまうかと思いましたし、はたくこうげきを顎に受けて何度か気絶しかけました。マッドショットのせいで目も鼻も利かなくなって、どこから攻撃が来るのか分からない恐怖に晒されたことも、あまごいで降った雨で体が濡れて体温が奪われたせいで動きが鈍くなることもありました。しまいにはいつ覚えたのやら、強力なだいちのちからやハイドロポンプ、すてみタックルなどを見舞われて、本当に命を落とすかと思ったこともありました。
 強くなった蛙の子は、ひとりで出かけるようになりました。私の代わりに食べ物を取りに行ったり、森に住む他の生き物たちに戦いを挑みに行ったりしていました。これほど強くなったのならば、いつでも逃げ出せたはずです。しかし蛙の子は逃げませんでした。どれほど長いこと留守にしようとも、一日が終わる頃には決まって私のねぐらに帰ってきました。そして私のとぐろの中に座って、すやすやと寝息を立てるのです。普通なら、いつ絞め殺されても、いつ食べられてもおかしくない状況です。しかし、蛙の子は安心しきった表情で眠っていました。捕食者にこれほど心を許した餌など、この蛙の子の他に見たことがありません。そもそも、この蛙の子は私のことを捕食者とは思っていなかったのかもしれません。それならば好都合です。自分が食べられることを知って、恐怖に顔を歪ませる蛙の子を一呑みのする。想像するだけで全身が快感に打ち震えました。
 しかし、いつしか私はこの蛙の子を食べることを忘れていました。蛙の子が進化して立派な蛙になったときは、親同然に喜びました。戦闘訓練で殺されかけたとしても、強くなったなあと感心こそすれど、逆に殺してやろうなどとはつゆほども思いませんでした。

 長い長い月日が過ぎたある日のこと。私のねぐらに帰ってきた蛙が、こんなことを口にしました。
「ぼくをたべないの?」
 心臓が口から飛び出るかと思いました。育て始めた当時はそう思っていましたが、蛙の目の前で口に出した覚えはありません。うろたえる私に、蛙は言いました。
「おじいさんからきいたよ。あなたはぼくをたべるためにそだてたのでしょう。どうしてたべないの?」
 おじいさんというのは、私が生まれるずっと前から森に住む梟のことでした。四六時中起きて森を見ているため、森のことなら何でも知っていました。私が蛙を育てていることも、蛇仲間の噂話か何かで耳聡く知ったのでしょう。そして、蛙の子がひとりで出かけている間に偶然出会って、その話をしたのでしょう。
 梟も蛙の子も、余計なことを言ってくれたものだと私は思いました。蛙がそのことを知らなければ、私に食べられるまで恐怖することも逃げ出すこともなかったのです。同時に、ここで蛙が口に出さなければ、私がそのことを思い出すこともなかったのです。
 思い出した途端に唾液が溢れました。捕食者の本能が呼び覚まされたのです。今すぐに、この蛙の子を一呑みにしてやりたいという衝動が、全身を駆け巡りました。
 睨みを効かせて牙をむいた私のいかくにひるみもせず、蛙はぴょんと大きく跳ねました。そして空中を蹴り、勢いよく私にのしかかりました。避ける間もない、あまりにも素早い動きでした。
 私にのしかかった蛙の子は、冷たい声で言いました。
「あなたがぼくをたべないのなら、ぼくがあなたをたべてやる」
 体を起こそうにも、尻尾で絡め取ろうにも、全身が麻痺していうことをききません。おまけに、蛙はいつでも技を放てるように力をためていました。ここまで密着していてはすてみタックルは無理でしょうが、今なら命中率の低いメガトンパンチもハイドロポンプもきあいだまもふぶきも、確実に当てられるでしょう。今の私には、もうどうしようもありませんでした。蛇に睨まれた蛙ならぬ、蛙に睨まれた蛇状態でした。
 このとき、私はこの蛙の子になら食べられてもいいと思いました。食べるために育てた蛙に殺され、食べられるなど、なんという皮肉でしょう。しかし、自分が手塩にかけて育てた蛙だからこそ、食べられてもいいと思えたのです。あれほど小さかった蛙の子が、よくぞここまで強く大きく育ってくれたと、誇りにすら思えたのです。
 目を閉じて抵抗しないまま、時間だけが流れていきました。
 しかし、何も起こりません。いつ殺されてもおかしくない状況なのに、蛙が動いた様子はありません。
 そのまま待っていると、私の体に冷たいものが落ちました。不思議に思って目を開けると、蛙の目が微かに潤んでいました。蛙がまだ小さい頃のみずでっぽうよりも小さく勢いのないそれは、蛙の涙でした。
「ばかだなあ。ここまでそだててくれたおやを、たべることなどできましょうか」
 それまでの勢いが嘘のように、蛙は私から降りました。
 あれほど大きく見えた蛙が、今は随分と小さく縮こまっているように見えました。進化する前の蛙の子を見ているような気分になりました。
 私は細い舌で涙を拭い、長い体で蛙に優しく巻き付いて言いました。
「おまえもばかだよ。ここまでそだててきたおまえを、たべられるわけがないだろう」
 その日の夜、蛙の子と私は体を寄せ合って眠りました。ちょうど蛙が小さい頃のように、とぐろでやさしくくるんでやりました。絞め殺すつもりはありません。食べるつもりも、もうありません。種族は違えど、蛙と私はほんとうの親子のようでした。誰が何と言おうと、私はこの蛙の"おや"なのでした。

 こうして私は育てた蛙を食べ損ねたわけですが、後悔はしていません。むしろ、一緒にいてくれたことに感謝したいくらいです。
 蛙は私の元から離れ、何事もなかったかのように同じ蛙の群れに戻っていきました。そして、家族を持ち、子を育て、たまに私のねぐらに顔を出すのでした。家族や他の蛙に疎まれるのではなかろうかと思いましたが、そんなことはなかったようです。天敵の蛇を打ち負かしに行くのだといえば、酔興な奴だと思われる程度で済むのだといいます。実際、私のところにきてやることといえば、蛙が子供の頃から一緒に行ってきた戦いでした。戦うといっても殺し合いではなく、互いの実力を確かめ合う程度のものです。ひとしきりしのぎを削ったあと、一緒にきのみを食べ、互いの現状について話し合って、日が暮れる頃に別れるのでした。
 私は私で家族を持ち、子を育てています。そして、私は子にこう教えるのです。

 蛙には絶対に手を出すな、と。

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