アカリちゃんは、

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作者:ラプエル
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読了時間目安:29分
アサギの街に建つ古びた灯台。
その頂上では、年老いたポケモンがたった一匹で光を灯していた。
 久方振りに訪れた港町は相変わらず穏やかであった。この地方で唯一の国際港を構えているとは思えない程に往来は少なく、ひとたび大通りから外れるとすぐに閑静な住宅地に変わる。船を利用する人間のほとんどは船着場からバスに乗って都会へと出ていくのだから街が静かなのは当然といえば当然であるが、そんな街ゆえにあの建物は異様な存在感を醸し出していた。


 《アサギのとうだい》。


 この街に港が開かれて以来、夜が来る都度眩い光で闇を払い、船乗りを助けてきたこの塔には、一匹の老いたポケモンが棲みついているらしい。その噂を聞いてもしやと思った私は、すぐさま休暇を取って遥々この街までやってきた。随分と前、旅の途中で立ち寄ったこの街へ。


 古いエレベーターに揺られ頂上へと赴くと、黄色い背中がただ静かに海を見つめて佇んでいた。古い友人に巡り会えたかのような得も言われぬ高揚感を憶えたが、よく見ると尻尾の球には光沢がなかった。耳先も萎れてしまっている。思わず足が止まった私に「何か用かね」と老婆の声が届いた。

「昔、旅の途中でここに立ち寄ったんです。今でもまだ、この子が灯台にいると聞いて久しぶりに来ました」

「……おお、そうじゃったか。見ての通り、アカリちゃんはここにおるよ」

 自分の名前に反応し、黄色い背中のアカリちゃんが振り返る。朗らかな笑顔をたたえてはいるが、その表情からは隠しきれない老いを感じた。寄る年波にはやはり勝てないのだろうか、俯いた私に老婆が語りかける。

「知っておるかもしれんが、アカリちゃんは昔病気でな。当時のジムリーダーであるミカンちゃんがずっとつきっきりで世話をしてくれたのじゃ、ジムリーダーという大事な仕事を蔑ろにしてまでな」

「よく覚えています、昔立ち寄った時はとても弱々しい出で立ちでした……」

「看病でここを離れられないミカンちゃんに代わって、親切なトレーナーさんがタンバまで行って《ひでんのくすり》を貰ってきてくれたから今は完治しておるんじゃが、もういい歳でなあ」

「……ミカンさんは、」

「もうここには居らぬ……彼女も元々身体が丈夫ではなかったのじゃ、かわいそうになあ……」

 黄色い背中が微かに震えているように思えた。心ここに在らずのその視線は、遥か遠い場所を見つめている。そうか、あんなに懸命になって付きっ切りで看病していたあの女の人は、もう居なくなってしまったのか。恐らく私と同い年くらいの筈だからまだご健在かと思っていたが……

 何も言葉が出て来ず、気まずくなって外を眺める。赤い夕日が、じんわりじんわりと水平線へと沈んでいく。リニア特急で小金にやってきたのは昼頃だったが、そこからバスではなく自転車でこの街まで移動したので、いつのまにかこんな時間になっていたらしい。もうじき夕闇が来て、それは宵闇へと変わるだろう。そろそろ灯台が輝く頃だ――

「……さ、降りようかね」

「わかりました」

 老婆に促され、私はエレベーターへと乗り込む。扉がガタガタと音を立てながら閉まり、灯台の頂上はアカリちゃんだけの世界に変わる。ごうんごうん、と鈍い音を立てながら下っていくエレベーターでも、私は気まずくて何も言えなかった。


 エレベーターを降りて外に出ると、俄かに辺りが眩い光に包まれた。見上げるとやはり、灯台の頂上から目も眩むほどの輝きが放たれていた。とても老いたポケモンが放っているとは思えない、見事な光である。最初は感嘆の声を漏らすばかりであったが、やがてふと声に出た。「アカリちゃんは、あんな光を放って大丈夫なんですか……?」

「……見てなんとなくわかったじゃろうが、アカリちゃんはもうあまり長くはない……あれほどに無理をすれば、寿命は更に縮んでしまうのじゃ……」

「じゃあ、なぜ、なぜ止めないんですか!」

「……」


 老婆は何も答えず、ただゆっくりとした足取りで灯台から遠ざかっていく。なぜ、なぜだ。あれほどの光を放てば、アカリちゃんには確実に負担がかかってしまう、身体を壊してしまう。主人が居なくなった成り行きでここに棲みついてしまったような経緯があるとしても、これではいくらなんでも無理をしすぎだ。周りの人間が止めてやるくらいのことはできる筈だ――

 喉元まで出かかった思いは、堰き止められてしまったかのように言葉にならない。この心中の想いをぶつけたいのに。もどかしい思いをどうにもできないでいると、不意に老婆が振り返った。

「……この灯台は、随分前から電灯式に変わっておる。アカリちゃんが光を放たなくとも十分に機能するのじゃが、あるときアカリちゃんはそれを壊して、自らが光を放つようになったのじゃ」

「えっ……」

「そもそもこの灯台はもう古い、新しい電灯式の灯台に建て替えようという話が出ておったんじゃが……その話が持ち上がってからじゃ、ずっとミカンちゃんのお墓のそばに棲みついておったアカリちゃんが、灯台の頂上に棲みはじめたのは」


 老婆はまた背を向けて去っていく。光の疎らな住宅街の方へと歩いていく。その背中がまた止まって私に語りかけてきた、「アカリちゃんは、なんで光っているんだと思う?」と。


 私は何も答えられなかった。







 ホテルで夜を明かした私は、少し街を歩いてみることにした。ここにやってきた理由はもちろんアカリちゃんに会うためで、その目的を果たした以上もうここを後にするつもりだったが、今の気持ちのままではここを去ることはできない。休暇はまだ残っている、もう少しここに居たかった。

 港とは少し離れた海岸沿いを歩いていると、船乗り達のために開かれている古い飲食店を見つけた。古めかしい雰囲気がなんだか懐かしいと思ったが、よく思い返してみると旅の途中で立ち寄ったときの記憶が蘇ってきた。特に当てもなかったので中に入ってみると、店はなかなかに繁盛していた。カウンター席が一つ空いていたのでそこに座り、写真のないメニュー表とにらめっこした。

 やがて料理がやってきた。手放しで美味いとは言えないものの、なんだか安心する味だ。箸が進む。値段の割に量は随分多かったが、あっという間に平らげてしまった。ふうと一息ついていると店主が水を注ぎに来てくれたので、ついでに聞いてみることにする。

「あー……アカリちゃん、ねえ……」

「何かご存知ですか」

「昔っから身体が弱かったみたいでね、重い病気にかかって動けなくなっちゃって。先代ジムリーダーがかかりきりで世話をしてたんだよ、……そこんところは偉いよねえ」

 一瞬の間を作った店主に少し違和感を憶えた、昔何かあったのだろうか。これ以上聞くことに対して少し抵抗を感じたが、他に当てもない。このまま聞いてみることにした。

「親切なトレーナーが薬を取ってきてくれたみたいですが、そんなに動けなかったんですか」

「うーん、詳しくは知らないけど長旅に耐えられるような身体じゃなかったみたい。ほら、モンスターボールにしまってても安静な状態になるわけじゃないからね。だからずっと動けなかったみたいだよ、ミカンちゃんは」

「ミカン……?」

 不意に私と店主の会話を聞いていたらしいテーブル席の男がこちらを向いた。私と同年代くらいだろうその男は、《ミカン》という名前に反応したらしい。「何か知ってるんですか」と聞いてみると、男は少し強めの語気で話し始めた。

「俺は昔ジムバッジを集める旅をしていた。その途中でジムのあるこの街に立ち寄ったんだがここのリーダーときたらどうだ、病気のポケモンの看病があるから灯台を離れられないとかぬかしやがった。まあ仕方がないからここは後回しにして、暫く経ってから挑みにきたがまだそのままだった! ふざけてるよな、ポケモンリーグ公認のジムリーダーがこの体たらくだ、無責任だよな」

「そんなことが……」

「俺の他にも同じような境遇の奴はいるはずだ。俺は結局他のジムを突破出来ず諦めたが、中にはあとここを突破するだけなのに、いつまで経ってもジムを開けないからジム制覇を諦めた奴だっているだろう。迷惑な話だ」

 今はもうトレーナーを引退して長いからどうでもいいことだけどな、と男は呟きながら席を立ち、食べ終えた食器を片付けてから店を出て行った。ぴしゃり、という冷たい音が店内に響く。そんなことが、と頭の中を整理するより早く、店の角から賑やかな笑い声が響いてきた。

「久しぶりに聞いたな、ミカンなんて名前!」

「ほんとに久しぶりだあ!」

 見るとそこでは男たちのグループが酒盛りをしていた。昼間からビールをぐいぐいあおっているが、どうやら仕事明けの船乗りたちらしい。ミカンさんと灯台の事情について何か知っていそうな以上、聞かずにはいられない。私は彼らのテーブルに近づいた。

「お、やっぱり来た。なんか調べてるみたいだな」

「昔旅の途中でここに来たのですが、今でも灯台のアカリちゃんが健在と聞いて会いに来ました。昨日会ってみたけどどうしてあそこに留まり続けるのか気になって、今は色々調べてるところなんです」

「なるほどねえ。ミカンちゃんとアカリちゃんは、灯台が出来てここが港町として開かれたと同時にここにやってきたんだってよ、得意のはがねタイプでジムバトルをやって、夜はアカリちゃんと灯台守をやって。偉いよなあ」

「詳しいじゃん、さっすがミカンちゃんに恋した男!」

「ば、うっせーな昔の話だろ!」

「あの童顔に真っ白で清楚なワンピース、夢中になってたじゃねえかよ!」

「はーっはっはー!」


 酒と恥ずかしさで真っ赤になった一人を攻め立てるように他の男たちが大笑いしている。古い記憶だが、確かにあの人はかなりの別嬪さんだったような気がする。人気が出ても、誰かから恋心を抱かれても別段不思議ではない。だがいつまでもこうしてわはわはと内輪話をされていても先に進めない、一番気になっていることについて私は切り出す。

「あの灯台にいま――アカリちゃんが一匹で棲みついていることは知っていますか?」

「ああもちろん。もう随分とトシ食ってるだろうにまだ光ってる、大したもんだ。しかも電灯をぶっ壊したらしいじゃんかよ、一体なんのつもりなんだか」

「どうしてあそこにとどまって、自ら光り続けるのか知っていますか……? 今私は、それを知りたくてここにいる」

「え? うーん知らねえなあ……トレーナーに似て物好きなんじゃないの?」

「トシ取ると古巣に帰りたくなるって言うじゃん、帰巣本能的な?」

「ミカンちゃんが恋しいんだよ、こいつみたいにな! ミカンちゅわあんって!」

「やめろって!」

 あっははははと大騒ぎする彼ら。ダメだ、知ることができたのはせいぜい、この街が出来た時にジムリーダーと灯台守を兼任する形で彼女らがやってきたことくらいだ。彼らはもう酒に酔い痴れていて、これ以上は有益な情報を聞き出せそうにもない。

 ありがとうございましたと軽く一礼し、食器を片付けて店を後にする。休暇もそう多いわけではない、やはり知りたいことは直接聞くのが一番確実だ。私の足は、自然と灯台に向かっていた。







「なるほどね、それでまたここに来たってわけかい」

 老婆は腰掛けて茶を啜りながら私を見つめた。昨日とは違ってまだ明るいうちにやってきたのだが、思う以上にその表情は皺深かった。いったいこの人はミカンさんとアカリちゃんの何を見てきたのだろう、何を知っているのだろう。追求心は更なる芽生えを見せ、私は老婆に詰め寄るように発した、「もう少し教えてください、アカリちゃんとミカンさんのことを」と。

「……アサギは街が出来るとともに港および灯台、そして公認ジムが同時に設置された。その初代リーダーとして赴任したのがミカンちゃんじゃったのじゃ。得意のはがねタイプをジム戦で扱い、相棒のアカリちゃんを灯台で活躍させる……アサギという街にとって、あの子はうってつけの人材だったのじゃ。加えて幼さの中に大人びた雰囲気、可憐さ、清楚さ……すぐにみんなミカンちゃんのことが好きになったのじゃ」

「想像がつきます」

「……アカリちゃんが病気にかかったとき、その時点で有効な治療薬は存在しなかったのじゃ。すぐに噂を聞きつけたタンバの薬屋が製薬に取りかかったが難航してのう……相棒を放ってはおけぬ、ミカンちゃんはしばらくの間ジムを閉めざるを得なかった。絶対安静に加えてミカンちゃん以外から何も受け取ろうとしないアカリちゃんに、あの子は付きっ切りで看病した。殊勝な心がけじゃ、みんなが彼女に味方した……が」

「が……?」

「いつまでも好転しない状況がよくなかった……この街は次第に荒れ始めたんじゃ」

「荒れ始めた……?」

「そうじゃ。まず、ジム閉鎖の噂を聞きつけ、ここへ立ち寄るトレーナーが減ったのじゃ。全てのジムを制覇することを目標としておらぬトレーナーからすれば、ジムの無い田舎町にはわざわざ立ち寄る理由がないからのう……故に、トレーナー向けに商売をしておるショップや飲食店は売り上げが大幅に落ちたのじゃ」

 確かに、ジムの制覇を目標に旅をしているトレーナーにとっては、わざわざ地方の西端まで来ないトレーナーもいるのだろう。かつての私の旅は知見を広めるため、ポケモンと仲良くなるためのものであったから、ジムが閉鎖されていることを知っていながらここへやってきたのだが、おそらく大半のトレーナーの目標はジムの全制覇である。この街が寂れていくことにも納得できてしまう。


 老婆はアカリちゃんが覗いている海側の窓から離れるように歩き、反対側のアサギの街が一望できる窓に回った。そしてふうと溜息をつきながら、アカリちゃんには聞こえないような声で続きを語る。

「そんなことぐらいで、街の人はミカンちゃんを責めたりはしなかった。ジムと灯台、街の目玉ともいうべき二つの建物をしっかりと支えてくれていたからのう。じゃが真の問題はこれからじゃった……ジムが一向に開かないことに、旅のトレーナー達が不満をぶつけていたのじゃ。そんなことを言っても事情があるから仕方がない、街の人はわかっておる。けれども次第にやってくるトレーナー達の不満は増えてきた、ここを後回しにして戻ってきたのに、まだ当分ジムは開けられないと言われれば当然と言えば当然じゃな……そして、その不満は遂に爆発した。ジムに無理やり押し入られて設備を壊されたり、街に落書きをしたり……そんな不届き者が現れたんじゃ」

「そんな……」

「初めは黙って耐えておった街の人も、次第に不満が募ってきた……更に、ジムがない以上アサギは港を動かしていかねばならんが、夜の航海の要である灯台も動かせんとなると相当に厳しかったんじゃ……当時はまだ電灯式の灯台なんぞ実用化されておらぬ、ミカンちゃんは手持ちのコイルたちを使って必死に代役を務めたが、アカリちゃんの放つ光とは比べ物にならないほど弱々しいものでな……客貨問わず、夜の航海は規模を縮小せざるを得なくなったんじゃ。この街は廃れ始めた、……こうなるともう怒りの捌け口は一つしかなくなるじゃろう……」

「……ミカンちゃんは、アカリちゃんは……」

「特に何かをされたわけではない。じゃが彼女らを気遣って見舞いに来る人の数は日に日に減り、差し入れも……。特効薬が完成してアカリちゃんが元気を取り戻すまで、確か半年ほどのことじゃった。じゃがその半年間は、ジム巡りトレーナー達やアサギという街に損害を与えるには十分すぎた」

「気の毒な話です……ミカンさんも、もちろんアカリちゃんだって、何も悪いことはしていないじゃないですか……」

「そうじゃ……街の人だって、そんなことはわかっておったさ……それでも、この街はジムと灯台で成り立っておった、その期待を背負ったミカンちゃんがいなくなってしまっては、こうなってしまったのも仕方のないことなのじゃ……」

 老婆は俯いたまま街を眺めている。私も何も言えないままそれに倣った。
 赤い屋根のポケモンセンター。
 青い屋根のフレンドリィショップ。
 今朝訪れた飲食店、背の低い住宅地。
 そして浅葱色の屋根のポケモンジム――
 以前に訪れたときと変わらぬこの街が、そんな過去を抱えていたなんて。私が訪れた時はそんなことなかったのに……いや、まだエスカレートしていなかったのかも知れないが、もしかしたら私の見えないところでそんなことが起きていたのかもしれない。ミカンさんは人知れず、辛い戦いをしている最中だったのかもしれない――

「……ジムリーダーに復帰すると、そのような輩は当然いなくなった。灯台も復活し街は活気を取り戻していった、元の姿を取り戻しつつあった――が、ミカンちゃんはまったくバトルに勝てなくなってしまったのじゃ。無理もなかろう、ずっとバトルから離れておったからのう……じゃが彼女は自分の未熟さを責め、遠くシンオウまで短期鍛錬に出かけてまで自分を鍛えなおそうとした、本当に健気な子じゃよ……。それでも、ミカンちゃんは前のようにジムリーダーとしての務めを果たせず、勝てない日々が続いて……やがて、近代化が進んで灯台が電灯化されると同時に、後継ジムリーダーに後を託して、ミカンちゃんはこの街を去ったのじゃ」

「ミカンちゃんはその後どうなったんですか……?」

「……心労がたたって、身体を壊してな……最期はこの街を見下ろせる静かな病院で……。アカリちゃんは最後までそばに付き添い、墓標のそばで暮らして……そして、灯台の建て替えの話が出た頃、ここに棲みついて光を放つようになったんじゃよ……」


 いつの間にか太陽は西へ傾きつつあった。小さく見えるあの食堂を出てから、もう随分と経ってしまったらしい。老婆の話はしっかりと聞いていたが、それほどの時間が経っているのにもかかわらず、私はなかなかその現実を受け止めることができなかった。

 

 街が開かれるとともにやってきて。

 ジムと灯台の両方を支えて。

 相棒の為に献身的に尽くして。

 それがだんだんと疎まれるようになって。

 責務を果たせなくなって。

 街を出ていって。

 身体を壊して。

 それでも最期は、この街に帰ってくるほどに未練を残していて――



「なあ」


 西陽で仄かに橙に染められた老婆が、静かに問いかけてきた。


「……アカリちゃんは、なんで光っているんだと思う?」


 昨日と同じ質問。

 私は、答えられなかった。昨日は。

 今は、ほんの少しだけ。


「……なんとなく、ですよ。まだ今の話を受け止め切れたわけじゃない、ミカンさんとアカリちゃんについて全然調べきれたわけじゃないし、わかったわけじゃない。あくまで私の推測の域は出ない」

「うむ」

「……アカリちゃんはもう老齢です、ミカンさんが最期の場所をこの街が見えるところに決めたように、ここへ戻ってきたのではないでしょうか……自分の思い出の地であるここを、最期の場所に選んで……」


 アカリちゃんには聞こえないような小声ながら、しっかりと力を込めた、私自身の意見。辛いときに寄り添ってくれたトレーナーの墓標に、今度はポケモンが寄り添う形であったのに、それをやめてここへ棲みついたのは、自らの死期を悟ったからではないだろうか。仮に死に際はトレーナーの側に居たいと思うならこの考え方と矛盾する形とはなるが、病に伏せたときに多大な心配をかけたであろうミカンさんに、アカリちゃんはこれ以上の心配をかけたくはないのではないかと思った。灯台が取り壊されてしまう話が出たときに、アカリちゃんはミカンさんの側を離れ、最期のときを思い出のこの場所で過ごすと決めたのではないかと。


「うむ……そうか。とてもいい考えじゃと思う、アタシの考えとは違うけどのう」

「……そうですか」


 老婆の柔らかな微笑みの向こうで、太陽はどんどん水平線へと沈んでいく。橙色の陽射しが、だんだんと朱を帯びていく。もう、そろそろであろうか。老婆は窓際を離れた。無言のままその後をついていき、エレベーターに乗り込む。

 ドアが閉まろうとしたそのとき、扉の隙間から見えたアカリちゃんが不意に尻尾をこちらに向け、眩しくピカピカ、ピカと点滅させたが、私にその意味は伝わらなかった、なんのつもりなのだろう?
 人間とポケモンの間に、共通の言語は存在しない。故に、お互いの考えていることを疎通するのは非常に難しく、もどかしいのだ。ああ、そんな手段やツールがあれば、アカリちゃんの真実にもっと迫れるのに、もっと寄り添ってやれるのに!


 地上に降り立つと、老婆が空き地の一角を指差した。昨日は暗くなっていてよく見えなかったが、今日は薄明の中で立て看板が読めた、《アサギの新灯台(仮称)建設予定地》と。

「……もうここには、新しい灯台が建つことが殆ど決まっておる。無理もない、この灯台はもう古すぎる……ぼちぼち、取り壊してしまわなければならぬのじゃ」

 よく見ると、アサギのとうだいは傷みきっていた。塗装は剥がれ、所々には皹が入り、金属製の部分は潮風で黒く錆びてしまっている。これではたとえ電灯式灯台が実用化されていなくとも、建て替えは時間の問題だっただろう。そういえば私が旅で訪れたときも、床に穴が空いているような場所があったような気がする。この灯台がいつ頃出来上がったのかはわからないが、私が訪れた段階で既に、この灯台は限界を迎えつつあったのだ。今、注意して観察しなければそんなことにさえ気付けない――灯台下暗し、とはよく言ったものだ。

 ふと歴史は今、転換点にあるのではないかと思った。アサギの街とともに生まれ、ポケモンの力を借りて夜の船乗りたちを導いてきた灯台は、人間の科学技術のみで成り立つ新灯台に代わろうとしている。ジムと灯台、街の二つの目玉に暗い影を落とした過去もろとも、零に精算してしまおうとしているのかもしれない。それが良い事なのか、私にはわからないけれども――


 凪いだ静かな海は、漣の音と柔らかな潮風だけを運んでくる。都会の喧騒とは比べ物にならない、静寂が支配する夜。ふと頭上を見上げると、灯台にぱっと光が灯った。無機質な電灯とは違う、瞬くような優しい光。静かに揺らぐその光はどこか危うげだが、何故だか心が落ち着く。そして、何故だか私に、なにかを訴えかけているようにすら思えてくる――


「アカリちゃんは、」


 老婆が口を開く。


「なんで光っているんだと思う?」


 灯台を見上げる薄闇の中で、光が一筋煌めく。


「アタシはね――」







 アサギの玄関口は丘の上にある。海辺に開かれたこの街は必然的に海抜が低くなっているが、ここからエンジュにかけては山道が続いているからだ。故に、陸路を使ってこの街に来る場合、行きも帰りも街の様子を一望できるというわけだ。まだ日の昇らない薄闇の中、私は眼下に広がる背の低い街並みと、眩い光を放ち一際目立っている灯台を眺めながら、昨晩のことをぼんやりと思い返していた。


 ――アタシはね。アカリちゃんが、自分はここにいる、ってメッセージを送ろうとしてるんだと思うんじゃ……ミカンちゃんと一緒にこの街に来て、あの灯台で人の役に立ち、あの灯台で病に伏せ、看病してもらった……思い出のたくさん詰まった大切な場所なんじゃよ、あの灯台は……。ミカンちゃんがいなくなったあとも墓標に寄り添い暮らしていたアカリちゃんが今になって灯台へやってきたのは、あの灯台が壊されてしまうことを知ったからで……アカリちゃんがミカンちゃんとともに居たことの証明である、あの灯台で昔と同じように光を放っているんじゃと思う……。街の人々も、ミカンちゃんも、アカリちゃん自身も、かつてここでアサギを照らしていた過去を忘れてしまわないように、遠くにいってしまったミカンちゃんにも伝わるように、一生懸命にね……アタシは、そう思うんじゃ――


 年老いた黄色い背中は、自分が灯台を支えていたことを人々が忘れないように、ミカンさんに自分がここにいることを伝えるために光っているのだろうか。それとも、思い出の灯台を最期の地と決めて、夜になるとかつてを振り返るように光っているのだろうか――?


 ふと思ったが、アカリちゃんがああして光っていることには、一種の抗議のような側面が含まれているのではないのかと思った。街の人々は自分たちの都合でアカリちゃんにとっての思い出の場所を破壊し、新たな灯台を建てて過去を無かったかのように精算しようとしている――アカリちゃんがあの灯台に棲みついたタイミング、新灯台の建設計画があがった時期とも一致する。いずれ現灯台が老朽化で限界を迎えるのは明白であるが、苦い過去を持つアサギの人たちはきっと、灯台の保存などはしようとはしないだろう。まるでミカンさんとアカリちゃんが灯台守をしていたことを無かったかのようにしていくだろう。その在り方に、アカリちゃんは抗議の意味で電灯を破壊し、命を燃やしてまで光っているのではないだろうか。

 現灯台もアカリちゃんも、同じく街から消えようとしている。だがその存在を、アサギという街が生まれたときから確かにそこに在り続けたものを忘れさせないために、アカリちゃんと灯台は最後の光を灯しているのかもしれない。


 所詮、憶測の域は出ない。

 すべては私や老婆の想像であるが――


《--・--、--・、・-・・ ・・、・・-・・、・・-》


 あの別れ際、アカリちゃんは尻尾の点滅パターンでこう伝えてきたのだ。あの時は分からなかったが、眠れないベッドの中でアサギのとうだいについて調べた時にようやくわかったのだ。古い灯台が用いていた、遠くの船と意思疎通を行う、“人間の言葉での”伝達手段を、アカリちゃんは知っていたのだ。


 アカリちゃんは老いてなお、それをきちんと使いこなしていた。聞こえないように小声で話していたつもりが、あの萎れた耳でしっかりと私の言葉を聞き取っていたのだ。そして最後に、私にこの言葉をかけてくれたのだ。

 これがアカリちゃんの真実を意味しているのかはわからない、自分のために親身になって考えてくれた私への労いの言葉に過ぎないのかもしれないけれども。

 私は昨晩、人間とポケモンの間には共通の言語はないと強く思わされていた。だがそれは間違いだった、アカリちゃんは僅かながら、両者の隔たりを超えて私にとても優しい言葉をかけてくれたのだ。

 どうか、アカリちゃんは報われて欲しいと、心の底からそう思わずにはいられない。



 私の背後からふっと光が射した。

 暖かく、柔らかい光。

 見るとずっと遠くの山の向こうから、じんわりじんわりと太陽が昇ってきていた。眩しく煌めき、それでいて大気の中で揺らぐ、妖しくも頼もしい、優しい光――太陽が昇って街に朝の陽射しが差し込むと、アサギのとうだいから放たれていた光はそれに溶け込むようにゆっくりと消えていった、二者の光り方は実にそっくりだった――


 アカリちゃんはもしかして、アサギの夜の太陽なのかもしれないとふと思った。昼間は太陽が照らすアサギを、夜はアカリちゃんが代わって照らす。こうして、港町アサギは成り立っているのだ。かけがえのない存在なのだ、人々が邪険に扱ったり、蔑ろにしたり、忘れてしまったりしてはならないのだ――


 次にこの街へ来るとき、あの浅葱色の灯台はまだ残っているだろうか。アカリちゃんはまだそこに居てくれるだろうか。考えたくはないが、これが最初で最後の再会になるのかもしれない――そうあって欲しくはないから、近いうちにまた訪れようと思う。老いた女と黄色い背中が静かに支え続けている、昔からの流れを汲んだあの灯台へ――


 私は自転車に跨る。

 朝の陽射しが眼の奥まで染み入る。

 ハンドルをぎゅっと握って、名残惜しくもう一度街の方を振り返って、私の脚は地を蹴った。びゅんびゅんと風を切る音の中、アサギの街が、あの灯台が、どんどんと遠ざかっていった。






 上都地方の西の外れにある穏やかな港町、浅葱。

 その海辺に静かに佇む古びた灯台には、港の夜を照らし出す太陽のような、一匹の竜が棲みついていた。
 老いたその竜は、求める者に対し、ただ静かに伝えてくれるのだ。

 自分がこの街と共に生きたことを。
 そして――人間とポケモン、種族の壁を越えて、意思を伝え合うことができるということを。


 そう、その竜の名は――



































《伝竜》。
ポケモン小説スクエア様でははじめての投稿となります。
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