ナハトの橋

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作者:雪椿
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読了時間目安:33分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 昼下がりのヒメルの里では、今日もいい風が吹いていた。その風に揺れるハンモックで寝ているのは、白いケープを毛布代わりしたグレイシア。目の色は閉じられているためどの魔力を持っているかはわからないが、険しい山の上にある里の特性上、空の魔法使いである可能性は高いだろう。
 くうくうと小さな寝息を立てながらハンモックに沈むグレイシアの元に、一匹のポケ影が近づく。大きなベルトポーチを腰の辺りに装着したハリボーグだ。右目が水色で左目が黄色であることから、空の魔法使いであることがわかる。
「ソアラさん、ソアラさん。お昼寝の最中すみません。長老様を見かけませんでしたか?」
 ハリボーグが寝起きに優しいようなるべく小さな声で、しかしちゃんと伝わるようにグレイシア……ソアラに話しかける。ハリボーグの言う長老様とは、ここヒメルの里を治めているジジーロンのことだ。百年近い年を生きているが、そうとは思えないほど元気だ。
 若い頃は色々な場所を旅しており、時折当時の記憶を思い出しては里を出てしまう。それを毎度ハリボーグに連れ戻されているのだが、毎度すぎてもはや伝統芸となってきているらしい。
 ソアラは眠そうに二、三度目を擦ってから起き上がると、ハリボーグに向かって口を開く。ソアラが目を覚ましたことで、彼女の右目は濃い水色、左目は濃い緑ということが判明した。しかし、その目は眠さに負けて半分になっている。
「……レガさん、どうしたんですか? エルジイさんならお昼寝をする前だから……、大体三十分前に見た気がします。でも、それならわたし以外のポケモンに聞いた方が早いのでは?」
 話していても眠さには負けたままのようで、その声はまるで寝言のようだ。しかし、今まで寝ていてその間の記憶がないソアラの言うことには一理ある。それは十分わかっていたものの、それでも頼らざるを得ない事情がハリボーグ……レガにもあった。
「実は、里の皆さんが狙ったかのようにどこかに行っていて、話を聞くに聞けなかったのです。里にいるポケモンで、ちょうど話を聞けそうなのがソアラさんだけだったのですよ」
 ヒメルの里には空の魔法使いが多い。そして、空の魔法使いは気まぐれな性格である傾向が強い。偶然、本当に偶然里のポケモンがいなくなっても不思議ではないだろう。
「……ソアラさんが寝る前なら、長老様がいたのですか。そうすると、出て行かれてからそれほど遠くには行っていないはず。いえ、距離はどうであれ急いで連れ戻さなければいけないことには変わりませんね」
 どうやら、レガは長老……エルジイがいないことを知って探しに行くところだったようだ。エルジイがいなくなったことに気が付いたのがさっきだったのか、最低限どの辺りまで行ったかを知るために聞いたらしい。ソアラが眠気に完敗して再び眠りかけている合間にも、彼は「フェア・ゲーエン!」と叫んでどこかに飛んで行ってしまった。
 長老の世話役も大変だなあ。そんなことを考えながら、また昼寝の続きをしようとハンモックに沈んだソアラは、何の脈絡もなく突然ある約束を思い出した。
「わ、大事なことを忘れてたっ!」
 そう叫んだ彼女は勢い余ってハンモックから落ち、ケープが頭にかかってしまう。慌ててケープを通常の位置に羽織ると、ハンモックの下に置いておいたマジカルバッグの紐を首にかけた。マジカルバッグとはギルドから配られる文字通り魔法のバッグで、見た目よりも遥かに多くの物をしまい込むことができる。それなのに重さはバッグのものだけなので、探検には欠かせないものとなっている。
 マジカルバッグに使われている魔法がわかれば自作のものができるのでは、と何匹ものポケモンが正体を探ろうとしたものの、いずれも失敗に終わっているらしい。正体がわかったら魔法の乱用などに繋がる恐れもあるので、ある意味知らない方がいいのかもしれなかった。
 ソアラはそのまま風に乗ろうと呪文を唱える前に、また忘れていたとマジカルバッグからゴーグルを取り出して首にかける。ゴーグルは全体的に黒く、目の部分は闇を思わせる漆黒だった。ソアラやケープの色を考えると、どこか浮いているように感じられる。
 しかし、ソアラがこれから行く場所はこのゴーグル、暗視ゴーグルが必須となる場所だ。暗視ゴーグルとは闇魔法の力を応用して、他の魔法使いでも暗闇を見通せるようになるゴーグルだ。便利なものの作られたばかりなのとコストの関係でまだまだ普及しておらず、手にしているのは一部の魔法使いとなっている。
 今度こそ忘れているものはないことを確かめたソアラは、力強く「フェア・ゲーエン!」と叫ぶと文字通り風に乗った。先ほどのレガもそうだったように、空の魔法使いはその魔力から箒を使わなくても空を飛ぶことができる。
 ソアラはケープが飛ばないように気を付けながら、目的地に向かって飛んで行った。

*****

 少し寄り道をしながらも、順調に空の上を飛んでいく。時折鳥ポケモンや箒に乗った魔法使いとすれ違うと、高確率であちらが止まってソアラの話を聞きたいと言う。やんわり断ったものの、諦めずに何匹かついてきている気配がした。
 このままついてこられても、後々厄介なことになるだろう。ソアラは申し訳ないと思いつつも、呪文を唱えて後方に風の壁を生み出した。驚く声を耳に入れながらも、ついでに風を強める。声はあっという間に聞こえなくなっていった。
 しばらくすると、ソアラの眼下にこの時間帯にはふさわしくない暗闇が広がった。そこがソアラの目指していた町、フィンスター二スだ。ゴーグルを装着した後、町に住むポケモンに影響が出ないよう風の威力を調整しながら降りる。
 目の前に広がるのは、一寸先も見通せないほどの暗闇。しかし、今のソアラはゴーグルのお陰で昼間と大して変わらないほどの明るさに感じられる。闇魔法使い達はいつもこんな風に町を見ているのか、と感動を覚えつつ、会う予定のポケモンを探して歩き始める。
「暗闇が見通せても、でこぼこはどうにもならないよね……」
 ソアラは連続的に襲ってくるでこぼこに足を取られながら進んでいたものの、疲れを覚えてしまい一旦立ち止まっていた。見かける建物に使われている石も決していいものとはいい難く、ハッキリ言ってしまえば質が悪い。だが、それも町の現実を思えば仕方がないのかもしれない。
 表向きは町となっているが、ここフィンスター二スは正式には町とは認められていない。エールデタウンやリヒトシティ、ヒメルの里、メーア村にはそれぞれ「タウン」「シティ」「里」「村」と付いているというのに、フィンスター二スのみ名前だけなのが証拠と言われている。
 そのため、他の町と比べるとどうしても差が出てしまうのだ。なぜ町と認められていないのかはソアラにはわからない。噂ではリヒトシティの町長が認められないよう手を回している、とか町長がいないからとか言われている。
 本当は町と認められているけど名前にタウンやシティを付けていないだけ、という意見もあるがそれはどうなのだろう。ソアラが思い出す限り、ほとんどの地名は名前とその場所を表す単語でできていて純粋に名前だけな場所は一つを除いて思い出せなかった。
 噂の一つが原因で更に闇魔法使いはリヒトシティに行きたがらず、光魔法使いを嫌うという話も聞いたことがある。それは残念ながら事実なのだろう。噂の真偽はともかく、町長の闇魔法使い嫌いは有名だからだ。
 暗闇が見通せるはずなのに、どんどんと深い闇に沈み込んでいくかのような感覚。このままだとどこを歩いてるかもわからなくなる気がして、ソアラは慌てて首を振った。決して見過ごしてはいけないこととはいえ、今は暗い気持ちになっている場合ではない。
 これから会う相手も、ソアラの暗い顔は望んでいないだろう。気分を切り替えると、首を振ったことでずれた気がするゴーグルをかけ直して再び歩みを進める。だが、彼女は肝心なことを忘れていた。
「待ち合わせ場所、どこだっけ」
 そもそも、ちゃんとした待ち合わせ場所など決めていただろうか。ソアラが記憶を可能な限り掘り返してみると、単に相手が住んでいるところで会うとしただけで、具体的な場所は決めていなかったことが判明した。これでは奇跡か偶然を狙って彷徨う他方法がない。
 今までは暗かったからわからなかったが、フィンスター二スは決して小さい町はない。偶然を狙って彷徨っていたら夜になってしまうだろう。どうしたらいいかと困っていると、向こうの方からクスネが歩いてきた。首には闇鉱石をあしらったネックレスがかけられている。
「オマエ、変わったゴーグル付けているな。町で見かけた記憶もないし、新しく来た闇魔法使いか?」
 どうやらこのクスネ、ゴーグルで目の色がわからないことと、他の魔法使いなら持ってくるであろう鉱石ランタンがないことから、ソアラを闇魔法使いと勘違いしているようだ。訂正の言葉と共に、証明として軽い風を起こすとクスネは驚きの声を上げる。
「すごい! オイラ、闇魔法使い以外はこの中を普通に歩けないと思っていたぞ! 便利な道具ができたんだなー」
 それからクスネはぐるぐるとソアラの周りを歩いて観察したと思うと、何かに反応するように鼻をマジカルバッグへと近づけた。一体何に反応したのだろう、とソアラがマジカルバッグの中身を思い浮かべていると、クスネの黒と黄の目がキラキラと輝く。
「ここから美味しそうなお菓子の匂いがする! 何が入っているんだ?」
 お菓子と言われ、ソアラは途中エールデタウンでドーナツやアップルパイ、クッキーを買ったことを思い出す。どの匂いかまではわからないが、クスネが言っているのはそれだろう。多めに買ったのでいくつかあげようと視線を向けたところ、クスネはいつの間にか幸せそうにドーナツを食べていた。
「……あれ?」
 一体どこからドーナツが現れたのか。不思議に思っていると、クスネはハッとした表情でソアラの顔を見る。その頃にはドーナツは完全に消えていて、欠片がクスネの口元に残っているだけだった。
「……あ。とても美味しそうな匂いだったから、思わずくすねて食べちゃったぞ」
 クスネの言葉にまさかと中身を確認すると、言葉通りドーナツだけがない。申し訳なさそうに耳を下げるクスネに対し、ソアラはどれかあげようと思っていたので気にしていないと告げた。クスネは耳をピンと立て、驚きを顔に表す。
「いいのか!? オマエ、いいやつだな! あ、自己紹介が遅れたな。オイラはスリック。今更だけど、どうしてこの町に来たんだ?」
「こっちも自己紹介していなかったね。わたしはソアラ。妹のシエラ――黒の目隠しをしたイーブイに会いに来たんだけど、具体的な待ち合わせ場所を決めていなくて困っていたの」
 クスネ――スリックはシエラ? 黒の目隠し? と首を傾げていたが、何か思い当たったらしく尻尾をぶんと振った。
「そのイーブイなら、あっちの方でぶつぶつ言いながら歩き回っているのを見たぞ! オイラも暇だし、そこまで案内しようか?」
 ぶつぶつ言いながらというのが気になったが、案内してくれるというのはありがたい。ソアラはすぐに頷くと、スリックと共に町の中を駆けて行った。

*****

 スリックの後を追い、辿り着いた場所には確かにシエラがいた。彼女もソアラに気付いたのか、歩き回るのを止めてこちらに顔を向けている。止まることなく動いていた口も真一文字に結ばれていた。すぐに走り寄りたい衝動に駆られるも、まずはここまで案内してくれた彼に感謝を込めて笑顔を向ける。
「ありがとうスリック、助かったよ」
「これくらい、どうってことないって。じゃあね!」
 笑顔で走り去っていく際、スリックの口が「またお菓子があったら持ってきてね」と動いたのを見てソアラは微かな笑みを零す。くすねられるのは驚くが、喜ばれるのは悪い気分じゃない。また来る時もお菓子を持ってこようとソアラは思った。
 それからシエラを視界に入れると、待ちすぎて機嫌を損ねたのだろうか。真一文字だった口は「へ」の字に進化を遂げていた。慌てて傍に寄ると、「遅い」を始めとする文句の嵐がソアラを襲う。どこでそんなに覚えてきたんだ、と言いたくなるほどありとあらゆる文句が耳を通り抜けた。
 もしかしなくても、スリックの「ぶつぶつ言いながら」はソアラへの文句を零していたのだろう。ソアラを前にして、少しずつ零していた不満が一気に爆発したのかもしれない。ソアラは嵐が過ぎ去るのを待ってから、謝罪の言葉を口にしようとした。今口を開いても、十中八九嵐にかき消されるのは目に見えている。
 言いたいことは全て言いつくしたのか、嵐が弱まりかけた。ソアラがタイミングを見て口を開こうとすると、シエラがぽつりと言葉を落とす。
「でも、それは全てここに来るのも大変なくらい活動が忙しかったのが原因なんだよね。……ソアラ姉さんは、とても有名だから」
 その言葉からにじみ出る寂しさに、当日の昼過ぎまで忘れていて遅れました、とは口が裂けても言えなくなった。有名になるにつれてチームの活動が忙しくなったのは確かだが、リーダーが皆の疲れを取るためにと活動を止めていたので、ここ最近は自由を満喫できていた。
 実はそれには約束の話を聞いていたリーダーが気を利かせてくれたから、という理由もあるがソアラは気が付いていない。チームのメンバーとまともに会ったことがないシエラも今は気が付くことはないだろう。
「いや、最近はそれほどでもないよ。遅くなったのは本当だから……、ごめん。シエラと会うのが楽しみで、ちょっと買い物しすぎたんだ」
 彼女と会うのが楽しみで寄り道したのは本当なので、嘘にはなっていないだろう。証拠としてマジカルバッグからお菓子やアクセサリーを取り出して見せると、シエラの尻尾が揺れた。目隠しのせいでどれに視線が注がれているかはわからないが、喜んでくれたとわかってソアラも嬉しくなる。
 ソアラの口元が思いっきり緩んでいたからだろうか。シエラはハッとした様子で尻尾の動きを止めると、やや早口で言葉を紡ぐ。
「それで、どうして私に会おうと思ったの? 約束しておいて、今更だけどさ」
 ソアラはシエラに会う約束はしていたが、どういう意図があって会うのかまでは伝えていなかった。会いたいと思う気持ちに理由も何もいらない、と言えばそれで終わるが、ソアラはそれだけで終わらせるつもりはなかった。
「うん。シエラと旅をしたいと思って」
「旅?」
「そう、幸せを見つける旅」
 ソアラは一旦出していたものをしまうと、旅の計画と「ナハトの橋」について語り始めた。ナハトの橋とは、最近ベーア大陸で話題になっている橋のことだ。夜にしか現れないとか、見たら幸せになれるという話がある。ソアラはそれをシエラと見つけようと言うのだ。
 もちろん、ソアラもただ噂に飛びついたわけではない。きっかけは、今も口を半分開けたまま話を聞いているシエラにある。
 ソアラとシエラ。彼女達は姉妹ということになっているが、実際の姉妹ではない。シエラは幼すぎて覚えていないだろうが、彼女はトラオアー湿地に捨てられていた。肝試しのために来ていたソアラが偶然見つけなければ、最悪の事態となっていただろう。
 なぜシエラが捨てられたのかはわからない。しかし、その時はちょうどメガヤンマとバシャーモの二匹が、闇魔法使いに対して何かしらの面倒を起こす事件が増えていた時でもあった。それを考えると、もしかすると本当は捨てられていなかったのかもしれない。
 だが起こったことだけを切り取ればシエラは捨てられ、一匹で薄暗くじめじめとした場所を彷徨うことになったのだ。真実がどうだったかは彼女にとって関係ないだろう。
 それから、シエラには度々不幸としか言いようがない出来事が襲い掛かった。たまたま通り過ぎただけなのに覚えのない罪を被せられそうになったり、チームを結成しても必ず何か事件が起こってすぐに解散になったり。
 シエラに何か起こる度にソアラが助けに入っていたが、所属するチームが名前を「出会いの光」に変えてからは会う機会が一気に減り、彼女は段々とフィンスター二スに引きこもるようになっていた。やっと会えた頃にはもう、シエラは幸せを信じないポケモンに変わってしまったのだ。
 諦めずに生きていれば、きっと幸せに巡り合える。それを教えたくて、ソアラは噂を聞いてすぐに情報を集め計画を完成させた。……そこまでしておいて、第一段階ともいえる約束を忘れていたのだからサブリーダーあたりにツッコまれそうだが、ソアラの性格だから仕方がないと言っておこう。
 計画を話し終えると、シエラはつまらなさそうにふーん、とだけ反応した。噂としては知っていたものの、本当にそういう橋があるとは思えない。そう言いたげな反応だった。
 噂の域から出ていないものが実在する前提で話しているのだから、そういう反応になってもおかしくはない。むしろ当然といえるだろう。それでもソアラは止まるわけにはいかなかった。自由な時間は待ってくれないのだ。
「シエラ、早速行こう!」
 まだいいとも悪いとも言っていないシエラを半分無視する形で、ソアラは呪文を唱えた。足元を中心に風が集まり、ふわりと彼女達を持ち上げる。
「うあっ! えっ!?」
 ソアラと突然のことに口を開いて足をばたつかせるシエラを乗せて、風はフィンスター二スを吹き抜けていった。

*****

 青空が橙に染まる頃、ソアラ達はメーア村へと来ていた。メーア村には橋が多く架かってはいるが、目的の橋があるようには見えない。そもそも、ナハトの橋がどういう色と形をしているのかを彼女達は知らなかった。噂では、そこまでの情報がなかったからだ。
 村のポケモンに聞いても知らないと返ってくるばかり。それだけならまだしも同意の前に連れてこられ、苦手な光にずっと晒されていたシエラの機嫌は急激に悪くなっていた。ソアラは首にかけていたゴーグルを日よけに渡そうと思ったが、シエラは既に目隠しをしているので二重になってしまうだろう。
 何とかしないと、シエラは歩いてでもフィンスター二スに帰ると言い出しかねない。というより、既に言い出しそうになっていたのを、ソアラがお菓子のプレゼントで遮ることで何とか旅を続けていた。
 夕方の光はまだ耐えられるようなので、ソアラは一旦気分を変えようとシエラを砂浜に連れてきた。どうやら先客がいたようで、青縁眼鏡をかけたアバゴーラが砂浜に座り、静かに夕焼けに染まる海を眺めている。
 ソアラ達も海を眺めると、その美しさに心奪われた。少し前までゆっくり海を見る時間もなかったソアラと、そもそも海を見ることがなかったシエラはじっとその光景を目に焼き付けていた。
 ひとしきり眺めた後、それまで話しかけてこようとしなかったアバゴーラが口を開く。
「お主達、ここの景色は最高じゃろ? 儂は海を眺めるのが好きなのじゃが、特に夕焼けに染まる海が好きでな。夕方になるとこうして見に来るのじゃよ」
 こうも綺麗なのだから、わざわざ見に来るという気持ちもわかる。ソアラ達はただ静かに頷いた。それから少し時が流れた後、アバゴーラが再び口を開く。
「……そういえば、噂が出る前に『ナハトの橋』を見たことがあっての。あれはただの橋ではない。特定の条件が成立した時だけ見られる奇跡の橋なのじゃ。空の魔法使いなら、案外簡単に見られるかもしれんが、また見たいものじゃな」
 独り言のように、アバゴーラはソアラが欲しかった情報を言ってのけた。驚いたソアラがアバゴーラの顔を見ると、夕焼けに照らされた薄い藍色と深い緑が彼女の視界に映りこむ。
 そこで彼女はやっと、彼がメーア村の長であるギースであることに気が付いた。村のポケモンから話を聞き、「偶然」会ったので教えてくれたのだろう。
「それじゃ、儂はそろそろ帰るかの」
 ゆっくりと立ち上がったギースにお礼を述べると、彼は「何、老人の独り言じゃよ」と笑いながら去っていった。遠のいていく背中の甲羅はどっしりとしており、彼の経験の長さを表しているようだった。
 思ってもみないところから情報を貰ったと思いつつも、ソアラはどういうことだろうと首を傾げる。特定の条件が成立した時。それは噂にもあったように時間帯を指すのだろう。しかし、それだと空の魔法使いだと簡単に見られるかもしれない、というのが引っかかってしまう。
 自分の頭が溶けそうなほど脳みそを回転させてみたものの、空に月が見える頃になっても答えはわからない。シエラは完全に厭きて「いつでも立ち去る準備はできている」と無言の力で伝えていたが、ソアラが気になって去るに去れなかった。
 シエラがもう諦めたらどうかと声をかけようとした時、ソアラが突然「フェア・ゲーエン!」と叫ぶ。同時に風が集まり始め、いつかのようにソアラとシエラを持ち上げた。
「ど、どうしたの!?」
「考えてもわからないから、とりあえず飛ぶ! そして魔法でモヤモヤを吹き飛ばす!」
 そういうやつは一匹でやってくれ。シエラの願いなど風で吹き飛ばされ、あっという間に星が瞬く空の上へと浮かぶ。
「行先は!?」
「風の流れに身を任せるのみ!」
 さすがは空の魔法使いといえる言葉だが、答えになっていない。シエラが溜め息を吐いたのにも気が付かないまま、自由な風は空の向こうへと吹き始めた。
「……ソアラ姉さん。ここ、どこ」
 しばらく空の上を進んだところで、シエラが口を開いた。今のところ海しか見えないので、そう聞きたくなるのもわからないでもない。ソアラが質問に答えるべく辺りを見てみると、遥か遠くに昼間のような明かりが見える。恐らくあれはリヒトシティからの光だろう。
 リヒトシティが遠くに見えるということは、ソアラ達は西に向かって進んでいたことになる。ベーア大陸の形状を考えると、ここはちょうど水を掬う部分の水に当たるのだろう。
「ここはメーア村とリヒトシティの間に位置する海、かな?」
 かなり大雑把だが、位置関係は間違ってはいないはずだ。シエラはそれを聞いた途端、何かが壊れたかのように暴れ始めた。ソアラはまさか暴れるとは思っておらず、驚いて一瞬魔法を止めてしまう。すぐに風が吹き始めるも、シエラは風をすり抜けて海へと落ちていった。
「シエラ!」
 慌てて彼女にも風を送ろうとするも、その姿はどんどんと小さくなっていく。このままでは、と思ったソアラは自らも落ちて風で加速することでシエラに追いつこうとした。
 空にはいつの間にか暗い雲がかかり、今にも降り出しそうになっていた。

*****

 慣れ親しんだ町のように暗く、光魔法使いの視線のように冷たい。シエラは光の見えない中を沈んでいた。助けを求めて口を開けるも、欲していたものは入らず逆に苦しくなる。
 どうしていつも、こうなるのか。シエラは己の運命を深く呪った。思えば、シエラのポケ生は不幸の連続だった。
 近くにいた子が勝手に転んだだけでシエラがいじめたことにされ、その子の親に怒鳴られる。善意で貰ったお菓子を盗んだと勘違いされ、ボロボロになるまで攻撃される。覚えがないのにメンバーの陰口を叩いていると言われ、リーダーとチームを辞めさせられる。
 自分に生きている意味などあるのか。シエラは不幸に襲われる度にそう考え、幸せとは何なのかわからなくなっていった。姉であるソアラだけは自分に何かあったら助けてくれていたが、忙しくなってからはそれもなくなっていった。もう、自分には絶望の道しかないと思っていた。
 だから、少し前にソアラの方から会いたいと言ってきた時は嬉しかった。……まだ、自分が誰かに必要とされていることを認識できたから。絶望の中でも生きる理由を作ることができたから。
 しかし、蓋を開けてみればどうだ。散々待たされ、苦手な陽光に晒され、自力で帰るに帰れない海の上まで連れてこられ。まさかソアラまでもが自分によくないことをするとは思いたくなかった。姉まで信用できなくなったら、もうどこにも光が見えない。
 ……いや、シエラは闇魔法使い。闇と繋がった者が、光など、幸せなど掴もうと思うことが間違いなのかもしれない。このまま冷たい闇に呑まれて消えてしまえば、くだらないことに悩まなくて済むのかもしれない。
 段々と薄れていく意識の中、シエラが薄く微笑んだ時だった。

「……!」

 誰かが、自分のことを掴んでくれた。ふわりと体が浮かび上がっていくのがわかる。闇を見通すことのできる目が、薄れる意識の中誰かの姿をうっすらと捉えた。シエラの姉であるソアラだ。シエラを助けるために、この絶望に飛び込んでくれたのだ。
 そこで、シエラは思い出した。確かに今日もシエラにとっては不運続きだったものの、決して悪くはないものだったことを。
 体の構造上箒に乗ることが難しく諦めていた空の上を、やや強引ながらも飛ぶことができた。姉から貰ったお菓子はどれも美味しく、また食べたいと思った。砂浜から見た夕焼けは、フィンスター二スばかりにいては気付けない景色もあることを思い出させてくれた。
 ……あの時はあんな反応をしてしまったものの、ソアラが幸せを見つける旅を考えてくれていたと知り、とても嬉しかった。しかし、そんなことをする必要はなかったのだ。ソアラがいたからこそ、シエラはここまで来れたのだから。
 ソアラは隠している、というよりも覚えていないと思っていたようだが、シエラは自分が捨てられたことを覚えていた。彼女は何かの事件に巻き込まれて捨てられた形になったと思っていたようだが、それは違う。
 シエラは事件を利用する形で捨てられたのだ。理由はハッキリとは思い出せないが、シエラが闇魔法使いだから、というつまらないものだった気がする。どの魔力であっても、全てのポケモンに宿る可能性がある。住んでいる地形などの関係で宿らない、宿りにくい場合はあるものの、それは一部と考えていいだろう。
 だから、子どもの魔力が両親どちらのものでもないことはあり得るのだ。住んでいる場所の関係でどちらかの魔力が宿る可能性は高いが、違うことも決してないわけではない。ただ、珍しさから認識が広がっていないだけで。恐らく、シエラの両親は光魔法使いだったのだろう。
 トラオアー湿地に捨てたのは、闇魔法使いはここでの終わりが相応しいと考えたからかもしれない。ダンジョンに捨てなかったのは、最初で最後の愛情からだろうか。それはもう確かめることができないし、シエラも確かめたいとは思わない。
 不気味な場所で二つの怯えに襲われていたシエラを救ったのはソアラだった。シエラという名前を与えてくれたのもソアラだった。ギルドで活動するきっかけを与えたのもソアラだった。シエラにとって、ソアラこそが「幸せ」だったのだ。
 今更こんなことに気が付くなんて、とシエラは運の悪さを呪う。しかし、ソアラがいてくれればいつかこの運の悪さも笑って思い出せるようになる。そう信じて、シエラは己の意識を手放した。

*****

 波の音が聞こえる。シエラに海水を吐かせてから無我夢中に飛んだ結果、どこかの海岸に辿り着いたらしい。あちこちに小瓶が見えることから、どうやらここはノイギーア海岸のようだった。
 傍には目隠しが取れたシエラの姿が見える。そういうソアラもケープをなくしていたが、ゴーグルとマジカルバッグは何とか残っていた。マジカルバッグに入ったものはなぜか濡れないから、中身も恐らく無事だろう。
 ふと、辺りが飛んでいた時よりも明るいことに気が付く。見上げると、空を覆っていた雲はどこか消えていて月が顔を覗かせていた。そこにあるものが出ているのを見て、ソアラは慌ててシエラを起こす。
「シエラ、シエラ!」
 耳元で大声を出されて気分がよくないのだろうか。うなるような声を上げながらも、シエラはゆっくりと目を覚ます。違和感から目隠しがないことに気が付き慌てていたが、ソアラの視線につられて上げた黒と濃い紫の目に映ったものを見て、ハッと息を飲んだ。
 二匹が見上げる先にあったのは、月の下に浮かぶ白い虹。普段よく見る七色とは違う白一色の虹に、ソアラ達は神秘的なものを感じていた。シエラがぽつりと言葉を零す。
「……綺麗だね、ソアラ姉さん」
「うん。七色もいいけど、白もいいね」
 そこから、ぽつりぽつりと言葉のリレーが始まった。今まで気が付けなかった想いや、気付いていたのに言えなかった想いを重ねていく。
「わたし、チームを抜けようと思うんだ」
「え?」
 突然の告白に、シエラは思わずソアラの顔を見た。何かの冗談かと思ったが、その目には真剣な光しか宿っていない。多くのポケモンを助けたりダンジョンに入っていたりして、ベーア大陸で知らない者はいないくらい有名になったというのに、自らそれを手放すというのか。
「有名になったのは嬉しいし、仲間と一緒に冒険するのはもちろん楽しいよ? でも、そのせいでシエラに会える時間が全くと言っていいほどなくなっちゃったから。シエラにとってわたしが幸せの形であるように、わたしにとってもシエラが幸せの形だったんだ」
 それに気が付いたのは、シエラが海に落ちてからだけどね、と薄く笑う。シエラは姉が自分を幸せの形だと言ってくれたことを嬉しく思ったが、同時にそのせいでソアラから楽しみを奪うことに酷く心を痛めた。自分が姉を不幸にしてはいけない。
「ソアラ姉さんがチームを抜けるのは嫌だ」
「シエラ……?」
「私は、冒険やポケ助けをして輝いてるソアラ姉さんが好きなの。私を理由に、それを捨てて欲しくない」
 これでは引き留めているようで、むしろ離れることを誘っているのではないか。シエラはぽろぽろと涙を零しながらそのようなことを考えた。現に、ソアラは困ったような表情を浮かべている。
「でも、わたしがいなかったせいでシエラは――、あ」
 何かを思い出したようにソアラはマジカルバッグの中を漁ると、フィンスター二スでシエラに見せたアクセサリー、羽根とクローバーをモチーフにした耳飾りを取り出す。そのうち羽根の耳飾りを左耳に着けると、クローバーの耳飾りをシエラに向かって差し出した。
「シエラ、だったらわたし達のチームに入ろう! これならわたしも抜けることはないし、シエラも一緒にいられるよ!」
 むしろ、どうして今までその案を考えなかったのか。ソアラはそう考え、チームを組む度に解散に追い込まれるシエラにこれ以上ダメージを与えないため、誘うのを控えていたことを思い出した。シエラもそれがあるからか、不安そうな表情をソアラに向ける。
「……でも」
「大丈夫。シエラに何かあっても、わたしが何とかするから。ううん。わたしだけじゃなくて、きっと皆も協力してくれる。わかってくれる。だから、安心して」
 本当はどうなるかなんて、実際に起こってみないとわからない。しかしやらずに逃げていては、ずっとわからないままだ。シエラにもっと色々な「幸せ」を手に入れて貰うためにも、ソアラは手を伸ばした。
 シエラはしばらく俯いて考えているようだったが、

「――わかった。ソアラ姉さんを信じてみる」

 ゆっくりと顔を上げ、耳飾りを受け取った。シエラはそれを右耳に付けると、小さく微笑んだ。つられるようにソアラを微笑むと、虹が消えた空を見上げる。
「消えちゃった。綺麗だからもっと見たかったのに。……でも、これからはもっと綺麗なものやすごいものが見られるんだよね」
 シエラの声に答えるように、ソアラは頷く。他には誰もいないノイギーア海岸で、ソアラ達はじっと空の月を眺めていた。ちなみに今は何時頃とか全く考えていなかったので、帰ってから大変だったのは言うまでもない。
 その後圧倒的睡眠不足と疲れから加入の手続きが大変だったものの、シエラは無事「出会いの光」に入ることができた。加入してからもシエラが光を克服するのにサブリーダーも一緒になって苦労し、他のメンバーも彼女の不運に驚きながらも何とか乗り越えていく。
 そんな彼女達があの時見た虹こそが「ナハトの橋」だと気が付くのは、もう少し先の話。


Brücke in der Nacht夜の橋  ~Das Ende~

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