桜色の空

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作者:円山翔
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読了時間目安:12分
連載作品「ぼくの空」の番外編です。
 空を飛んでいた。

 木々が疎らに立ち並んだ平原を飛んでいた。芽吹いたばかりの葉が、景色を鮮やかに彩っていた。暖かい風と共に、春が来たぞと告げていた。

 この場所のことを、風の噂で聞いていた。
 緑に囲まれた美しい場所で、きのみがたくさん取れるのだと。そして暖かい季節になると「桜」と呼ばれる薄桃色の花が咲き乱れ、この世のものとは思えないくらい美しいのだと。だから、ぼくはがっかりしていた。きのみのなる木は確かに見られる。だが、たくさん取れるというほどは見られない。それだけならまだしも、桜と思しき花さえどこにも見当たらない。噂がデマだったのか、それともこの地が変わってしまったのか。噂通りの風景に出会えるかもしれないという期待を、ぼくは捨てきれなかった。

 しばらく飛んでいくと、草木が見当たらなくなった。これまで目にしてきた新緑が嘘のように、その一帯だけが禿げ上がっていた。
 荒野の真ん中に、小高い丘があった。その上に一本だけ、木が立っているのが見えた。葉も花もついていない、裸の木だった。そこに、何やら大勢の生き物が集っていた。
 楓団扇の天狗一族に、紫色の小さな蕾の群れ、それに青い体の渦蛙たち。その中でひときわ目立つ、黄緑色の殿蛙。
 この地で他に生き物を見かけなかっただけに、何があるのか気になる。ぼくは群れの近くに降りていった。楽しみなことでもあるのか、それとも暖かい空気にあてられて浮足立っているのか、皆が皆そわそわしていた。

「あ、お客さんだ!」

 小さな種坊が、ぼくに気づいて声を上げた。そこにいた全員の視線が、ぼくに集まった。
 木に一番近いところにいた殿蛙が、群れを割ってぼくの方へと歩いてきた。

「旅の方かな?」
「うん。空を飛んできたんだ」
「ちょうどよい時に来なさった」

 殿蛙はカラカラと笑い、群衆の方へと向き直った。

「それでは、宴を始めよう」

 言って、殿蛙はどこからともなく横笛を取り出した。
 傍にいた大渦蛙は、腹太鼓をボンボンボンと鳴らす。
 渦杓子たちは尾ひれをふりふり。種坊たちは体を左右にゆらゆら。渦蛙と木ノ鼻は両手を左右にふりふり。枯れ木の周りで輪になって踊る。
 笛と太鼓の音に合わせて枯れ木の上に現れたのは、大勢の紫蕾たち。
 天狗が念じると、たちまち空は晴れ渡る。
 強い日差しに照らされて、紫蕾たちが輝き始めた。みるみるうちに、その閉じた花弁が開いていく。
 薄桃色の花びらを揺らし、丸く黄色い顔には満面の笑み。紫の蕾をいっぱいに開いた桜花は、木の枝の上でヨイヨイヨイと踊りを踊る。
 笛を吹く殿蛙も、太鼓を鳴らす大渦蛙も、下駄を鳴らす天狗も、木を取り囲んで踊る群衆も、木の枝でひらりと舞う桜花たちも。そこにいる誰もが、この状況を楽しんでいた。
 殿蛙が笛を吹く手を止めて、ぼくに言った。

「ほれ、旅の方もおいでなすって」
「いえ、ぼくは」
「そう遠慮なさるな。火の世話なら我ら蛙一族がついておる」
「いえ、生憎踊りは苦手で」
「そうおっしゃるな。上手下手など誰も気にせんよ。折角の宴じゃ、楽しまにゃ損じゃろう」

 殿蛙に半ば強引に手を引かれ、ぼくも踊りの輪の中に入ることになった。前で踊っている渦蛙の動きを真似しつつ、前へ後ろへ、左へ右へステップを踏んだ。自分の足につまずきそうになるのを何度か繰り返しているうちに、段々と楽しくなってきた。こうして大勢で輪になって踊るのは、初めてのことだった。

 楽器が奏でる音が、少しずつ早くなっていく。踊りの輪もだんだんと小さく、回りが早くなっていく。クライマックスに差し掛かっているのだと分かる。
 大渦蛙が腹太鼓を一つ、ボンと鳴らした。
 同時に、木の上の桜花たちが一斉に「はなふぶき」を放った。

「ああっ」

 ぼくは思わず声を上げてしまった。
 それはもう、言葉では言い表せないほど美しい光景だった。はなふぶきによって舞った花びらが、青い空を覆いつくして薄桃色に染めたのだ。ひらりひらりと散るそれは、触れるたびに光の粒となって消えてしまう。
 荒れ果てた大地の一角に、確かに自然が息づいていた。ぼくが期待していたものとは少し違うけれど、それでも美しいと思えた。

 祭り囃子が止まると、そこにいた生き物たちは思い思いの場所でくつろぎ始めた。桜花が踊った木を中心に、いくつもの小さな集団ができて、そこで各々が談笑していた。
 ぼくは木の傍で、殿蛙と一緒に座っていた。この集団を率いる、長老のような立場だという。この場所に関する話が聞きたいというと、誰もがこの殿蛙に聞くといいと教えてくれた。

「あなたの言った通りだったよ。とっても、楽しかった」
「それは何よりじゃ」

 ふぉふぉふぉ、と殿蛙は笑った。

「こんなことは初めてなんだ。なんていうの?」
「花見と言っての。昔から桜の時期になると、こうして皆で桜の下に集って騒いだものじゃ。踊りを踊ったり、木の実や酒を持ち寄って皆で食べたりの」

 殿蛙は少し離れた山を指さした。ぼくがここに来るときに、通り越した山だった。この丘のようなはげ山ではなく、緑の葉をつけた木々に覆われていた。そこが天狗一族や桜花たちの住処。その近くにある池が、蛙一族の住処。今日のために、わざわざ準備をしてこの場所まで来たのだという。

「ここもかつては桜の木が立ち並んで、この時期になると、それはそれは美しい花を咲かせたものじゃった。じゃが、いつからか一本、また一本と枯れてしまっての。今ではこの一本だけになってしまった。それも、花も咲かねば葉もつけない。じゃからせめて、この時期は華やかにしようと、桜花(あの子ら)にお願いして、桜の花を再現してもらっとるんじゃ」

 桜はとても繊細な木なのだと、殿蛙は語った。
 過去のことではあるが、ぼくが聞いた話は、本当だったのだ。できればこうなる前に来てみたかった。見たことのないぼくがそう思うのだから、ずっと慣れ親しんできた者たちにとって、この光景は嘆かわしいことなのだろう。
 だが、今は誰も悲観などしていなかった。むしろ、この木が残っていることを喜んでさえいるように見えた。

「こうして楽しい時間を過ごせて、よかったと思うよ」
「それはよかった。さあ、遠慮なく食べてくだされ」

 殿蛙に勧められたきのみは、どれもおいしかった。天狗たちが住む山から持ってきたという。
 少し離れた山は生きている。途中まで広がっていた平原も、まだ生きている。それなのに、どうしてこの場所だけ。

 危ないよ。

 頭の中で声が聞こえた。
 直後、頭上でポキッと音がした。
 木の枝が折れたのだと、誰に言われずともわかった。木の枝で遊んでいた桜花の一匹が、足場を失って宙を舞う。

「危ない!」

 落下を認識した瞬間には、ぼくは既に地面を蹴っていた。ほんの短い距離だというのに、桜花が地面に落ちる寸前で、ぼくは下に滑り込んで受け止めた。
 元が柔らかい体でよかったと思う。決して口には出さないが、桜花はそれなりに重かった。変に翼や体が凹んで正体が割れやしないかと焦ったけれど、そんなことはなかったらしい。
 木から落ちた桜花を心配して、他の桜花たちが集まってきた。盛り上がっていた他の面々もやってきて、やんややんやの拍手喝采。橙色の顔が、真っ赤に染まりそうだった。



 宴が終わり、皆が片づけを始めた時。殿蛙がぼくに言った。

「その木をな、燃やしてやってくれんか」

 皆の視線が、殿蛙とぼくに集まるのを感じた。先ほどまでの喧騒が、しんと静まり返った。

「どうして? 大切な木なんでしょう?」

 ぼくは尋ねた。殿蛙はうむと頷いて、「じゃがの」と続けた。

「随分と前から、その木は病気なんじゃよ」

 言われて、ぼくは木を見た。見ただけではわからなかったので、木の幹に触れてみた。触れたところから、木の皮がぼろぼろと零れ落ちた。脆くなっている。地に落ちた枝を拾って、軽く力を加えた。ぼくの腕くらいの太さの枝が、簡単に折れた。

「さっき枝が折れたのも、病気で脆くなっておったからじゃろう。このまま放っておいても花は咲きゃしない。木も苦しいだけじゃ。せめて楽にしてやってくれ」

 皆の顔を見回して、殿蛙は言った。

「皆もそれでよいな」

 渦蛙一族も、天狗一族も、桜花の子たちも。惜しむ気持ちを表情に見せはすれど、誰も反対はしなかった。
 ぼくは黙って頷いた。そして、尻尾の炎を木の根元にそっと据えた。
 炎はゆっくりと燃え移り、やがてぱちぱちと音を立てて燃え始めた。
 青い空に、一筋の煙が昇っていく。どこまでも続くそれは、地上と空を繋ぐ道のようにも見えた。
 ふわり、と、甘い香りが鼻腔をくすぐった。花なんてどこにもないのに、まるで満開の花に囲まれているように感じた。

 ありがとう。

 声が聞こえた。桜花を助けた時と同じ声。
 はっとした瞬間にその香りはなくなって、あとにはものが燃えるときの嫌なにおいばかりが鼻を刺した。
 誰かのすすり泣く声が聞こえた。まだ小さな渦杓子だった。
 渦杓子だけではない。そこにいる皆が、涙を流していた。
 この地に残された最後の桜の木が白い灰に変わっていくのを、皆静かに見守っていた。



 やがて、火は音もなく消えた。
 殿蛙が言った。

「今日はここまでじゃ。皆、遠い所をよくぞ集まってくれた」

 それが散会の挨拶だったらしく、その場にいた者たちは持ち物をまとめて帰路につき始めた。
 ぼくは桜の木があった場所に立って、帰ってゆく面々を見送っていた。殿蛙もぼくの隣に立って、天狗一族と蕾に戻った桜花の群れを眺めていた。

「ねえ、本当に――」

 よかったのかな。言葉が口から飛び出す前に、殿蛙が指を立てて制した。
 慌てて口を瞑った。殿蛙以外、誰も振り返りはしなかった。
 皆、本当は辛いのだ。燃やさず残しておきたいと思っている者も、いたはずなのだ。今ここでぼくがそれを口に出すことは、辛い気持ちを押し込めて背を向けた彼らを、いたずらに引き戻すことに他ならないのだ。
 ほっと胸を撫でおろすぼくに、殿蛙は静かに言った。

「なに、わしらの山でも、花見はできるでの」
「長老、行きますよ」

 大渦蛙の一匹が、殿蛙に声を掛けた。
 またの、と言い残して、殿蛙は渦蛙の群れと共に去っていった。
 本当なら、あの大渦蛙にぶん殴られていたかもしれない。水鉄砲の嵐を食らっていたかもしれない。そうならなかったのは、殿蛙がぼくを止めたからだ。我ながら恐ろしいことを口走ろうとしたものだと思った。
 天狗のにほんばれで晴れていた空が、徐々に曇り始めていた。空気が湿り気を帯びてきているのを、肌で感じた。この調子でいくと、一雨来るかもしれない。
 ぼくも行かなければ。翼を広げたとき、強い風が吹いた。
 住処へと帰る群衆の後を追うように、白い灰が風に乗って飛んでいった。燃えた後の木が、道行く彼らとの別れを惜しんでいるように見えた。
 そこには、何かがいたのだろうと思った。姿かたちは見えないけれど、この場所に集う者たちをずっと見守ってきた何かが。

 結局、花見の一行を見えなくなるまで見送ってから、ぼくは反対側へと飛び立った。彼らに帰る場所があるように、ぼくにも向かうべき場所がある。いつまでもこの場所に留まっているわけにはいかなかった。いつまでも感傷に浸っているわけにはいかなかった。
 この場所を訪れることは、もうないかもしれない。桜花の子の踊りも可愛らしかったが、本物の桜の下で同じように宴をしたなら、どれほど楽しいだろう。見たことのない風景に、期待だけが膨らんでいく。
 またこの場所に、桜が咲いたらいいのに。ここに戻ってくる予定も保証もないのに、ついそんなことを思ってしまう。

 ふわり。

 風に乗って、花の香りがした気がした。
 見回してみても、花が咲いている様子はなかった。
 桜の木の灰が、体についていただろうか。それとも、あの声の主が、ぼくに花の香りだけでも残してくれたのだろうか。考えている間に、何も感じなくなった。どうやら、本当に気のせいだったらしい。
 
 荒野に吹く暖かい風だけが、春の訪れを感じさせた。

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