文体迷子

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作者:セイ
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読了時間目安:11分
 フワンテを題材にしたお話です。
 文体迷子(約4,300字)




【一】ノーマルタイプな文体

 
 ソノオタウンより東に位置する、谷間の発電所。プロペラ式の白い風車が9つ稼働している建物敷地内には、あまいかおりのする木が一本生えており、毎週金曜日になると、野生のフワンテが風に乗ってやって来て、木のそばに現れる。あてもなく浮かぶその様子から、フワンテは迷える魂の道しるべと言われていた。
 ソノオタウンでモモンの花々が満開を迎える陽春の時期。発電所に勤務する作業服姿の男が一日の仕事を終え、建物の中から出てきた。真っ先に彼の目に入ったのは、あまいかおりのする木の梢に佇む一匹のフワンテであった。フワンテは湿気の多い日を好むポケモンであるが、この日の夕暮れの空は午前中とは打って変わって晴れ渡っている。まったく律儀なポケモンだな、と男は半ば感心した面持ちで家族の迎えを待っていた。
「やっと、娘に会える」
 嬉々として呟く。仕事が終わったら、彼の妻や娘とソノオの花畑で夜花見をする約束をしていたからである。
「パパ―!」
 リボン姿の少女が男の元へと駆けつけてきた。息を整えると、頬を赤らめながら続ける。
「あっ、くさい! シャワーしなさい!」
「いやー、あっはっはー。無理やり働かされてたからねー」
 二人は笑い合った。手をつなぎ、帰路につくのであった。




【二】ゴーストタイプな文体


 今週もこの日がやって来ました。迷える者は、救済を求めるようにこちらに手を伸ばしてきたではありませんか。よろしい、導いて差し上げましょう。魂安らぐあの場所へ。ここ谷間の発電所とソノオタウンとを隔てる川の向こうの、美しい花畑へと。
 建物敷地内のあまいかおりのする木の枝先。そこからフワンテは、入り口から出てきたばかりの一人の男を見つめていました。灰色の作業服姿の男。全体的に汗ばんでいて、どことなく臭い。けれども、フワンテは特段不快には感じませんでした。乾いた春の日の暮れに潤いをもたらしてくれるような、独特の甘酸っぱさとみずみずしさがあって。仕事終わりで満足げな表情を浮かべながらも、体臭を気にしているのか、思い迷うように消臭スプレーを自分の体に吹きかけている様子が可笑しくて。これだから風はこの男の元へと導いてくれるのですよね。フワンテが一人目を細めていると、男の元に小さな女の子が駆けつけてきました。彼の娘でしょうか。歩きながら、彼らはこんな会話を繰り広げるではありませんか。
「パパ―! あっ、くさい! シャワーしなさい!」
「いやー、あっはっはー。無理やり働かされてたからねー」
 男は茶化したように頭をかきます。けれども、フワンテにはそれが本心からの悩みに思えてなりませんでした。女の子を子どもにもつ父親にとって、最も恐ろしいのは、体の匂いのことで毛嫌いされること。女の子はまだ人間でいう思春期の年齢には達していないように見えますが、父としてはそろそろ気になり始める頃合いでしょうから。
 愛する娘に、自分は嫌われているのか。
 愛する娘と、どう接していけばいいのか。
 迷える者は、フワンテに導かれる運命。迷える者は、あてもなく浮かぶこの体の好むもの。ソノオの花畑へと歩を進める2人の上空を、フワンテは先導するように飛んでいきました。




【三】フェアリータイプな文体


 働く男にとって、心優しい妻と可愛らしい娘がいることほど喜ばしいものはない。
 そんなことを考えながら、男は発電所内の正門を抜け出てきた。みずみずしい夕映えの中に聳え立つあまいかおりのする木は、一日を終えたポケモンたちの安らぎの場。木の下では、双子のチェリンボが頬を寄せ合いながらうたた寝。近くの切り株の上では、ケムッソの親子が“いとをはく”で綾取りを楽しみ。まだ朝露の弾けきっていない草地の上では、ミツハニーのカップルが6つの笑顔を咲かせながら、「8」の字に飛び回っている。あらゆる家族が、花見を楽しむように、晴れやかな茜の空を背景に憩っていた。斜めに流れ込んでくる陽光の薔薇色が、草陰に咲いたどの花をも美しく輝かせていた。梢からこちらを見つめているフワンテだけは、一人ぼっちだけれど。
「やっと、娘に会える」
 今夜は家族と花見。今にも萌え出ようとする芽のような情熱を、男は骨ばった拳の中に込めた。ガラスのように澄んだ感情が、全身の脈という脈を通じて血気を纏い、汗ばむ頬を紅潮させていた。熱気のために軽い酔いすら覚える始末である。
「パパ―!」
 町の方から。その声は、言葉は、雪に閉ざされたテンガン山に吹く南風のように男の心に沁み込んだ。撫で心地の良さそうなおかっぱ頭によく映えた、大きな赤いリボン。うららかな日なたの中で光彩を放つ瞳。寒天のように甘美にふるえる頬。ああ、娘よ。お前はいつだって生きる希望だ!
「あっ、くさい! シャワーしなさい!」
 耳元でそう言い放たれたとしても、彼女への愛情は湧き水のように尽きることを知らない。孤独を感じた若い時代、恋をし、家族を見つけた。とめどなく孤島に押し寄せてくる波が引いていき、ようやっと大陸との不可分なつながりを得ることができたのだ。娘は、何マイルも続く海で囲まれた島と母なる大地との交わりの証。
「いやー、あっはっはー。無理やり働かされてたからねー」
 くしゃり。わざとらしく声を間延びさせ、娘の頭を撫でる。絹のように柔らかな手触り。そうだ、これを求めていた。手のひらを通じた睦まじい戯れの中で、五臓六腑が歓喜の声を上げる。誰かを大事にしてあげたい。己の独善的とまでいえる庇護欲は、頭を撫でているときにとりわけ満たされるのだ。よしよし。いい子、いい子。微笑みでしなやかになった唇から零れる。ありがとう、ありがとう。お前がいてくれるからパパは生きられるんだ。生まれてきてくれて、ありがとう。
 茜雲のもつれ合った層の間から、無数の色調を帯びた陽光が射し込んできた。ああ。光というのは、どんなに重たい雲の中から出てこなければならないのだろう。




【四】どくタイプな文体


「パパ―!」
 少女が駆けていったのは、作業服姿の一人の男の元であった。脂汗でじっとりと濡れ乱れた髪。春の暮れの西日の中でおぞましいほどの光度をもつでこ。一切の臭気と水分を逃がさまいと固く結ばれた安全靴。腋のあたりなんかは山の稜線みたいな曲線を描くように黒ずんでいるではないか。
「あっ、くさい! シャワーしなさい!」
 精一杯の拒絶を表したとき、密かに寄せていたこの男への好意だとか、愛情だとか、そういった甘ったるいものが弾けて消えていくのを感じた。大きすぎるワンピースが体から脱落していくみたいに、何かがするりと抜けていった。
「いやー、あっはっはー。無理やり働かされてたからねー」
 あまいかおりのする木のある草地を背景に、男は笑う。なんて、不釣り合い! 体の中で渦巻く醜悪醜怪なものを、その場しのぎの笑みをもってひた隠しするのがこの男の本性なのである。今、枝先に佇むフワンテを、草陰に咲いた花々を、遥か彼方のテンガン山の峰々を煌めかせている光は、少女と隣の男の上にも一様に流れ込み、同じような魅力を湛えている。そんなことを考えるだけで、少女は虫唾が走るのであった――




 ◇   ◆   ◇




 破棄だ、破棄! 私は机の上の原稿用紙をくしゃくしゃに丸めた。
 今までの話は、大部分は私の妄想でしかない。娘への思いを書き綴った【三】はともかく、【四】などは被害妄想もいいところだ。最近は発電所での勤務を終えた後、ポケモンを題材にした短編小説を書くのを趣味にしているがどうもうまくいかない。文体が迷子気味で不安定なのだ。不安定といえば、フワンテ。【一】でも書いたように、迷える魂の道しるべと言われている。書斎に籠って執筆していると、最近は野生のフワンテがやって来て窓の外から私を見つめていることが多いのだが、私が文体迷子になってしまったことと関係しているにちがいないと見ている。というか、今夜も来てるし。
 フワンテがいるから文体迷子になってしまったのか。それとも、【二】で妄想したように、私の迷える文体を正しい道へと導くためにフワンテがやって来ているのか。それは誰にもわからない。だが確かにいえるのは、私が思い浮かべる心象風景のどの一幕にもフワンテがいるということだ。
 迷っているといえば、文体のほかにも娘のことだってそうだ。【二】で書いた通り、女の子を子どもにもつ父親にとって最も恐ろしいのは、体の匂いのことで毛嫌いされること。成長の証といえばそれまでだが、やはり愛娘に嫌われるというのは耐え難い苦痛を伴う。というか、このことで頭を抱えているから文体が迷走したのかもしれない。幸い小説で書いたみたいに「くさい!」と一蹴されたことはまだないし、杞憂なのかもしれないが、仕事の関係上いつそういう台詞が飛んできてもおかしくない状況にある。ああ、想像しただけでショックだ。だから、体の匂いには細心の注意を払わなければならないのである。
 話は変わって、明日の仕事終わりに私と妻と娘の3人で夜花見をしようと妻が提案してくれた。ソノオの花畑に座敷を設けるのである。ここで私が何を迷っているのか、お分かりいただけただろうか。そう、明日の夜に花見に行くかどうかである。座敷といえば、靴を脱いで胡坐をかく場所。仕事終わりの蒸れた足を座敷の上に乗せるなど、テロ行為もいいところ。十中八九娘に毛嫌いされることだろう。仕事が終わった後一旦自宅に戻ってシャワーを浴びてから花見に行く方法も考えられるが、遠回りだし大分遅い時間になってしまう。
 花見に行くかどうか。今日中に決断を下さなければならない。ああ、フワンテよ。窓越しに目を細めて私を見つめているお前は、迷える私をソノオの花畑へ導こうとしているというのか。やはり、何を考えているのかわからない。

 シャワーを浴びる前。歯磨きを終えた娘が洗面所でブラシをゆすいでいたので、聞いてみることにした。明日私が花見に行ってもいいかどうかである。すると、驚いたように私を見つめてこう言うのだ。
「えっ!? あたりまえじゃん、パパもこようよ! そのほうがサチコもうれしいもん!」
「ほ、本当か!? サチコ!」
 作業服の上着を脱ぎながら、娘の名前を叫ぶ。汗ばんだタンクトップがじっとりと私の肌に張り付いていた。
「だって、パパはね、サチコのほしいものなんでもかってくれるもん。サチコ、パパのことすきー!」
「サチコ、ありがとう。パパもサチコのことが大好きだよ」
「パパ……」
「サチコ……」
「パパ―っ!」
「サチコおおおおおおおおおおお!!!!」
 熱して抱き合うと。
「あっ、くさい! シャワーしなさい!」

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