終幕前は暗転のまま

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作者:ジェード
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読了時間目安:17分
踵部分に紺色のリボンのあしらわれた、透き通るような透明なヒールに脚を通す。これを履く時はこれから私は“主人公”になるという、自分なりの着火点であった。息を整え、鏡で全身を見てみる。ビロードの紺のドレス。緩く巻かれた艶髪。同じく紺のリボンにパールの付いた銀のバレッタ。くるんと丸まる長い睫毛に、艶めいた唇。そこには人形のような端正な少女がいた。何度も瞬きするが間違いない。


「行きましょう、クォーツ」


私は後ろにお行儀よく控えている、雪のような白い体毛の九尾、アローラキュウコンにそう促した。首元には私とお揃いの紺地にパールの付いたリボンを付けている。無色透明な純水晶から取ったその名が暗示する言葉は“完璧”。まさに私にこそ相応しい。クォーツはコクリと頷き、淑やかに私の前を歩く。演技が終わった子達からの、すれ違いざまの下賎な妬みとか嘲笑の視線を浴びつつ、コツコツとヒールが鳴る。規律正しく鳴るその音は、私のお伽噺の開幕を刻む秒針の音のようだった。





全ての演技が終わり、私とクォーツは他の子達と一緒に横一列に並んで、観客の視線を浴びつつ照明に照らされていた。大丈夫だ。何もミスはしていない。クォーツとの連携も、わざのコンビネーションも何もかもが完璧だった。何も私の落ち度はない。私は毅然として、舞台を彷徨うスポットライトが最後にぱっと私を照らすのを待った。やけに長いドラムロールに心臓が高鳴る。

疎らになっていたスポットライトが一点に集まる。
そこにいたのは勿論私……ではなく、隣のニャオニクスを連れた女の子だった。


「準優勝おめでとう。君とキュウコンの魅せる氷の演技も繊細で美しいものだったよ」

「ありがとうございます」


私は礼儀正しく礼をして、審査委員長から銀のトロフィーを受け取る。固く強ばった、貼り付いた笑みで。震えが伝わらないように必死に力を込める。頬の内側を噛み、込み上げる屈辱と劣等感を堪えた。観客達はそんなことなど気に介さずという様子でニャオニクスを連れた、空色の髪に真っ白なフリルのドレスの女の子を讃えていた。拍手のスコールがこれほどまでに耳障りになるなんて。私は唇を噛みながら虚ろな瞳で拍手を贈った。彼女は屈託のない笑顔で優勝の証であるプリンセスキーを受け取っている。拍手を背に垂れ幕が下がる。それは私のお伽噺の終幕だった。





「どうしてまた二位なのよ! 一位じゃなきゃ、意味なんて」


私は誰より早く会場を抜け出し、ホテルの自室でトロフィーを投げ出し、力いっぱい枕を投げていた。抑えていた感情を柔らかい枕にぶつける。何度も何度も力強く殴り、そして途方もなく、力が抜けたように顔を埋めた。情けない。感情に任せて物に当たるだなんて。情けない。あんなにも努力してなお惨敗するだなんて。熱いものが目の淵に溜まっていた。力なく、それが流れて枕を濡らすのを許した。


「こぉん」


クォーツがいつの間にかボールから出て、心配そうに私を見ていた。その潤んだ蒼い瞳は先程の惜敗を詫びるようだった。


「貴女は何も悪くないわ。私たちに落ち度はなかった。完璧だった」


私は泣きそうなクォーツをゆっくりと撫でる。雪のような美しい体毛が滑らかに私の手に添う。丁寧にブラッシングをした賜物か、柔らかく滑らかで心地よい。演技のパフォーマンス。ポケモンとのわざの連携。ダンスとのタイミング。何もかもが完璧だった。何度も反芻するけれど、欠点なんて見つからない。

あの子さえいなければ。オスとメスのニャオニクスを連れた白いドレスのパフォーマー。名前は確かブランシュだったはず。最近、急激に人気と実力を付けてきた彗星のようなあの子。大きな翡翠色の瞳も。ふわふわの空色の髪も。眩しい笑顔も。何もかもが恨めしい。あの子さえいなければ。

ふと、鏡を見る。そこには髪をぐしゃぐしゃにして泣き腫らしたとても醜い少女がいた。どん底の似合う、そんな憐れな顔をしていた。ハッとして、急いでブラシで髪を整え、ティッシュで涙を拭いた。嫉妬だなんて。なんと情けなく醜いのだろう。それでも、まだあの子への怨嗟の念が浮かぶ自分が恨めしかった。

バッグからプリンセスキーの付いたホルダーを取り出し見る。ビジューとリボンのあしらわれた可愛らしい鍵。二つあるその鍵が、私の唯一の精神的支柱であった。
トライポカロンのマスタークラスの開催まであと僅か一ヶ月。マスタークラスに出場するには、ビギナークラス優勝の証、プリンセスキーを三つ集めなければいけない。あと一つ。あと一つだけだと言うのに。ビギナークラスの大会はあと一回しか開かれない。そこで優勝出来なければ、私にはカロスクイーンを目指すことが出来なくなってしまう。お伽噺が終わってしまう。

マスタークラスに出場出来なければ、私は地元に帰るという約束を両親としていた。アローラになんて帰りたくない。島巡りなんて田舎めいた風習も家の牧場の手伝いもしたくない。このカロスでの舞台の華やかな時間こそ、私が私でいれる瞬間であった。敗北を引き摺っている時間などない。私はジャージに着替えた。クォーツを連れて、音楽プレイヤーと最低限の貴重品だけ持って外に出る。





外の広場には誰もいない。しんとした冷たい空気に、ぽつぽつとある仄かな光の街灯。練習には丁度良いだろう。音楽プレイヤーを再生する。奏でられるのは華やかなシンフォニー。それに合わせて私とクォーツは軽やかにステップを踏む。脚の力を抜いて、腕をきびきびと動かして。時にはクォーツのたなびく九つの尾の間を縫うように。私たちは入り乱れる。次のステップの後、わざを命じる。そうしてくるりと振り返った時だった。私は視界に映る人物を見て、思わず固まった。ステップがぎこちなく凍結した。すぐ側で待機していたクォーツがこちらを見る。


「すごい! 今日も思ったけど、あなたとあなたのポケモンの演技ってすごく素敵!」


私に駆け寄ってきて、そう屈託のない笑顔で言うのは他でもない、あのブランシュだった。ぱっちりとした目を輝かせて、私とクォーツを見ている。その眩さに、純真さに、戸惑った。


「あなた、アリッサよね……? 私はブランシュ。ニャオニクスたちとパフォーマーをしてるの。よろしくね」


そう差し出された白くて華奢な手。私はそれを受け取る気にはならなかった。なに、嫌味? 自分たちが優勝したから敗北を喫した私たちを嘲笑いに来たの? いや、頭では分かっている。そんなことはないだろう。この純然たる眼を見れば分かる。それでもまだ厭な思考は私の頭に纏わりつくようだった。かぶりを振ると、ブランシュは不思議そうに私を見たまま手を差し出して固まっている。


「悪いけど、今日は帰ってくれる? 私たちは誰かと違って時間がないの」


我ながら、険のある言い方だ。じわりと滲むように罪悪感が込み上げるがもう遅い。ブランシュは怯えたように大きな翡翠の瞳を下げて、哀しそうに私を見た。


「そ、そうだよね。大事な時期だもんね。ごめんね邪魔しちゃって」


そう言って、そそくさと逃げるように私の前から去っていった。それでも、まだ私に手を振ってくる。その人の良さ、純朴さが私は憎かった。見えないように唇を噛む。滲む血の味が口に広がる。それは間違いなく敗北の味だった。





あれから数週間が経ち、私とクォーツは日々鍛錬をして過ごしてきた。ダンスの練習。パフォーマンスの練習。私とのコンビネーションの確認。ライバルの演技の研究。とにかく出来ることは何だってやった。明日は運命を決める、最後のビギナークラスの大会。私はポケモンセンターの自分の泊まっている部屋で、何度も頭の中でパフォーマンスを反芻して確認した。

そんな時、ホロキャスターに着信があった。相手を見ると母だった。なんだってこんな大事な時に。出ようか出まいか迷って、渋々着信に応答する。


「もしもし?」

「久しぶりね、アリッサ。カロスでも元気にやってるかしら」


ゆったりとしたTシャツに、花柄のスカートの穏やかそうな顔つきの女性のホログラムが出現する。この天然とか、おっとりと言われるような母が、私は嫌いではなかったが、好きでもなかった。


「トライポカロン、調子はどう?」

「今は二つ。でも次は優勝するわ」

「そう。アリッサは負けず嫌いだものね」


母はそう言うと微笑んだ。久しぶりに見た母の顔は、目尻の皺が増えている気がした。最新鋭のホログラムはこんな所まで再現するのだなと考えていた。


「ほらマスタークラス、そろそろでしょ? 出られそうなの?」

「出られそうとかじゃなく、出るわ。必ず。そしてカロスクイーンになるのよ」


これは本心だ。私は未だかつてないほど闘志に、焦がれるような勝利への渇望に燃えていた。負ける訳にはいかない。負けてなるものか。明日、私は誰よりも美しく、華麗に、淑やかに。観客のごった返す大舞台を舞うのだ。


「そう。分かったわ。お母さん、アローラから応援してるからね」

「ありがとう。でも明日は大会なのよ。夜更かし出来ないの」

「それは悪かったわね。じゃあ最後に一言だけ」


母の姿をしたホログラムは、哀しそうに眉を下げていた。それは罪悪感に胸を痛めているような。しかしながら憐れんでいるような。


「今の貴女、とっても苦しそうよ」


それじゃあね、と言い残し、母のホログラムが消え去る。私は、母の最後の一言が尾を引いて、言い様のない不安が心を支配していた。

苦しそう? 何が? 私は幼い頃からずっと夢見たカロスでのパフォーマー生活に満足している。いや、嘘だ。紛れもない嘘だ。何も満たされてなどいない。飢えている。勝利に、栄光に。必死に隠していた私の仮面を引っペがされて、思わず諦めのため息が出る。子を見ていない親などいないとはよく言ったものだ。

サイドテーブルに、クォーツの入ったモンスターボールと二つのプリンセスキー。それから、箱に入ったあの透明のヒールを置いて眺める。それらは私のお伽噺の象徴であり、“主人公”の証だった。不安になっていても仕方ない。寝ても覚めても明日はやってくる。ならば、持てる最高の演技をぶつけるだけだ。心に纒わり付く不安から目を逸らすように、ライトを消して布団に潜り込んだ。





紺色のビロードのドレスに脚を通す。翻して、確認してみるが、たなびく深い紺色はやはり美しい。緩く巻いた髪を銀のバレッタで留める。唇にロータスピンクのルージュを塗る。続いて、睫毛をセットアップする。くるりと上がった睫毛。艶やかなピンクの唇。女の子の証という気がして気分が上がった。クォーツに桃木の櫛でブラッシングを施す。細やかな、新雪のような体毛がするりと櫛を抜ける。そして、首元に私のバレッタとお揃いの紺地にパールの着いたリボンを付けてあげると、クォーツは目を細めて喜んだ。最後に、あの透明なヒールに脚を通す。シンデレラのガラスの靴。これから私は他の追随を許さない、圧倒的な“主人公”になるという、合図だった。

鏡を見て、深く深呼吸をする。クォーツを見るが、彼女もいつになくしんとした蒼い目をしていた。落ち着いている。大丈夫だ。私達なら問題ない。何故なら完璧だから。そう思い、ドレスを翻していると──


『今の貴女、とっても苦しそうよ』


突然、昨日の母の言葉がフラッシュバックして私を襲った。強い不意打ちを受けたような感覚を覚える。よろめき、倒れそうになるが、クォーツに支えられた。


「苦しそう? そりゃ苦しいわよ! だって!」


その先を言おうとしていたことに気が付いて、慌てて手で口を覆う。驚いたクォーツが、不安そうに私を見て九つある美しいグラデーションの尾で、私を摩るように撫でた。私ったら、何をしているのかしら。ポケモンに不安を伝播させるどころか、寧ろ慰められるなんて。パフォーマー、失格だわ。


「ありがとう、行きましょう。私たちの物語はまだ終わらないわ」


不安そうに鳴いたクォーツを優しく撫でて、私は控え室から出る。ドレスを翻し、髪をたなびかせて。他を寄せ付けぬ圧倒的な威風堂々さで。私はコツコツ、コツコツと透明なヒールの鳴らす規律正しい旋律で歩き、舞台へ向かった。

暗幕の裏で、クォーツを見て深呼吸をする。前の子の演技が終わったらしく、拍手の嵐が聞こえる。負けない。いくら他の女の子が可愛くたって。どんなに壮観なパフォーマンスを魅せたって。私は負けない。だって私は──


「“主人公”なんですもの」


照明の眩しく照らす、物語のプロローグへ脚を進めた。

司会が私とクォーツの紹介をするのを聞き届けると、音楽が奏でられ始める。それに合わせて、事前に靴が擦り切れるほど練習した、ステップと振り付けでもって私とクォーツは物語を紡ぐ。くるり、くるりと。美しい糸人形のように。花が咲くように。蝶が舞うように。宝石が煌めくように。私とクォーツは息を合わせて舞う。

ステップの途中、指を鳴らす。合図を受けたクォーツが尾をたなびかせると、途端に、薄い極彩色のグラデーションが舞台に現れた。私が目配せすると、次には細氷が降り始めた。細氷は一つ一つが眩い光を帯びて、次には脆く溶けていった。こなゆきとマジカルシャインを組み合わせることによる、擬似的なダイヤモンドダストだ。背景のオーロラベールと組み合わさり、降り続ける光輝は、私を、クォーツを、これでもかと言うほど美しく、絶佳に装飾していた。

観客が、私に、クォーツに釘付けになっている。
楽しい。なんと楽しいのだろう。私は靱やかに、淑やかに舞う。観客よ、射止められるがいい。魅せられるがいい。耽溺するがいい。酔いしれるがいい。
嗚呼、楽しい。なんて甘美で、魅力的なひと時。
でも、永遠なんてない。物語に終わりがあるように。楽しい時間は直ぐに過ぎ去ってしまう。

私は音楽が鳴り止むのを聞き届けると、クォーツと揃って礼儀正しく観客に向かいお辞儀をした。
終幕。頭を下げたまま、舞台を見つめる。鳴り止まない拍手のスコールが私に降り注いだ。それがとてつもなく心地よかった。





私は控え室で浮き足立って待っていた。私史上最高の演技を出来た喜びで子供のようにそわそわしていた。結果発表が待ち遠しい。この興奮を落ち着けようと、私はモニターを点けてみた。普段なら絶対に見なかったライバル達の演技。しかし、絶対的に自信のある今回は話は違った。だが、控え室の薄いモニターが映し出した映像、いや少女は、私を崖から突き落とすような衝撃を与えた。堪らず、クォーツすら置き去りにして、控え室を飛び出して暗幕に向かった。





舞台の裏からちらと演技を見る。演技をしていたのはあのブランシュだった。白いドレスに身を包んだ少女はこの上なく眩しい笑顔で、オスとメス、二体のニャオニクスの力で宙に浮いて、観客に笑顔を配っていた。ブランシュの演技は映像でも見たことがあったが、生で見るその眩しさは想像以上だった。
その純真さに、新雪のような潔白さに。私は言いようのない敗北感を覚えてへたり込む。

その時、何かが氷解したような感覚を覚えた。

そうか。そうだったのか。私は何も完璧じゃなかった。嫉妬もするし、不安にも煽られる。涙だって。
でも、それで良かったのだ。何故ならそれが私だから。他の誰でもない私自身なのだから。ブランシュは、何よりも自分に、ポケモンに正直なのだろう。少し話しただけの私にも分かる。だからこそ、あんなにも屈託のない笑顔でいられるのだ。観客を楽しませたい、自分も楽しくパフォーマンスしたい。その気持ちに何よりも素直だから。

勝てない、私には一生勝てない。
そう感じてしまった。

気が付くと涙が流れていた。
とめどなく、熱い哀しみが、悔しさが溶けて頬を伝った。

ふさふさとした触り心地に気が付くと、クォーツが私の後ろにいた。そして、まるで優しく抱きしめるように私の顔を体毛に埋めさせた。その優しさに、そしてそんなクォーツを勝たせてやれなかった悔しさに、私はまた涙した。


「ごめんね、クォーツ。私、主人公じゃなかったの。本当にごめんね」


抱きしめて、限りない後悔を流していると、クォーツは微笑んで短く鳴いた。その優しい蒼い瞳は、それでもいいのだと言っているようだった。





着替えて、ポケモンセンターのベッドに倒れたように埋まっていた。結果発表を聞かずに帰ってきてしまった。しかし、聞かずとも分かる。
私は、バッグからこれまで集めた二つのプリンセスキーと、あの透明なヒールを出して眺めていた。

私の短いお伽噺の証。
私が舞台の“主人公”だと思っていた時間の象徴。

儚い夢物語のエピローグにと、私は灰被り姫を真似たそのヒールを取り出すと、ぽきりとその脚を折ってしまった。

そうすると、自然と物語が終わって幕が降りるように、深い暗転へと意識が吸い込まれていった。





──了──

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