ピンクバッヂの壁

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作者:早蕨
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読了時間目安:62分
ポケモン二次創作 短編小説コンテスト企画「ポケスト25」に
投稿させていただいた作品です。
[一]

 潮の香りが懐かしい。青々とした山々も、見覚えのある形だ。
 久しぶりに、帰ってきた。
 灼けるような暑さはどこに行っても一緒だが、地元の暑さは幾らか優しい。空気が軽く、過ごしやすい。見慣れた風景が、こんなにも安らぎを与えてくれる物だとは知らなかった。
 セキチクはピンク、華やかな色。昔からある町の謳い文句は、夏到来の様相の中、しぶとく町を彩っていた。民家にも石竹。街路樹の脇にも石竹。嫌になる程記憶にこびり付いた匂いも、今ではどこか心地良い。
「ケン坊! どこ行ってんだよ。こっちだこっち!」
 気づけば、待ち合わせ場所である町外れのバス停から、随分遠ざかっている。僕がいない事に気づいた幼馴染のガンちゃんが、車で追っかけて来た。
「さっさと乗れって。まったく、ふらふらどこかへ行っちまう癖は直ってねえんだな」
 横づけした車から、手招きするガンちゃんの太い腕は、また一段と太くなっている気がする。
「お迎えありがとう。世話になるよ」
 助手席のドアを閉めると、車は音を唸らせ、乱暴に発進した。

[二]

 流れていくセキチクの風景は、僕が町を出た時と変わっていない。変わったのは、むしろ隣の男。
「車が小さいのか?」
「俺が大きくなったんだ」
 ガンちゃんは昔からガタイが良く、筋肉質な男だった。一緒に居れば変な輩に目を付けられる事もなかったし、見た目通りそのまんま、頼りになる男だった。
「だけど、大きくなりすぎだろう。運転席が窮屈に見えるよ」
「大きくなるのは良い事だろ。よく食べてよく鍛えてよく育つ。ポケモンと同じだ」
「そうは言ってもなあ」
 ハンドルをぐるんと回せば、そのまま壊してしまうんじゃないか。丸太のように太い腕だと今までも思っていたが、これじゃいよいよ大木だ。
「そんなことより、何年ぶりだ?」
「卒業以来だから、三年ぶりだな」
「少しは連絡寄こせよな。ケン坊の事、皆気にしてんだぞ」
「悪い。こっちも結構必死でさ」
「連絡し辛いのは分かるけど、たまには連絡寄こせって」
「気をつけるよ。そう言ってもらえる内が華だしね」
 身勝手に旅へ出て行った僕に対して、ガンちゃんは優しい。どういう経緯で旅をしているのか詳しい分、気を遣ってくれている。
「そういえば、免許なんていつの間に取ったんだ? この車も、ガンちゃんの?」
「お前が旅へ出て行った後、十八になってすぐだ。サファリの中も車が運転出来ないと不便でしょうがないからな。この車は、中古で買ったんだ」
 サファリ。なるべく遠ざけていた名前だった。セキチクに住んでいる人からすると馴染み深い名前で、とりわけ僕にとってはあまりに身近だ。
「仕事はどう?」
「楽しいね毎日。ポケモンの世話。サファリの環境保全。広報、企画、やりたい事は山ほどあるけど、まずは現場からやってみろってさ、園長が」
「楽しいなら良かった。ガンちゃん、充実してるんだな」
「俺の事は置いといて、ケン坊、園長と仲直りしていけよ。孫のお前を気にかけている癖に、お前の話をするとすぐ怒るんだ。その相手をするこっちの身にもなってくれ」
 乱暴に右折して、国道沿いから反れた。セキチクへ入った時より、更に懐かしく感じる景色が広がる。
 ゆっくり楽しみたいところだが、やたら揺れるので落ち着けない。サファリの現場に入って経験を積むのは良いが、車の運転はもう少しまともになってくれると嬉しいのだが。
「そもそも、今回なんで帰って来たんだ?」
「もちろんジム戦だよ。一応バッジ集めにしてもルートを決めていてね。ここのバッジを取ったら、次はグレン島へ向かおうと思ってるんだ」
「なるほど。とうとうセキチクジムへ挑戦って訳か。そりゃ力が入るな」
 セキチクの人達にとって、ジムリーダーのキョウさんは決して親しみやすい人ではなかった。無口なおじさんのイメージが強い。だが、彼がこの町で長年ジムリーダーを務めて、何かあるとどこにでも出張って、町のために奮闘している姿を皆知っている。自分の功績なんて一つも自慢気に語らず、黙々と役割を全うする姿に、皆敬意を抱いていた。
「ここでうまく行けば、さらに勢いに乗れる気がするんだ」
「そりゃ、応援しなきゃならんな」
 慣性で身体が前へつんのめって、目的地に到着した。運転は、本当どうにかしてほしい。
「ほら、着いたぞ。実家は格別、懐かしいだろ」

[三]

 実家に帰るのも、もちろん三年ぶりだった。二階にある自分の部屋は、未だそのまま。三年前から身長なんて変わっていないはずだけど、勉強机は随分小さく見えた。
 引き出しを開ければ、初めて母に買ってもらったモンスターボールが出てくる。最初のポケモンにはこのボールを使うんだ、とずっと大事に磨いていた。大事にしすぎて、初めての捕獲の時、もったいなくて使えなかった。
 こうなってくると止まらない。引き出しを漁り出し、ああだったこうだったと思い出をひっくり返す事になる。
「中々降りて来ないで、何やってんだ?」
 リビングで待たせていたガンちゃんが、痺れを切らして二階に上がって来た。
「いやあ、懐かしくてさ、つい」
「わかるけど、散らかしすぎだろ。おばさん怒るぞ。せっかくお前の部屋綺麗にしてくれているのに」
 ガンちゃんを背に、机を漁っていた僕の手が止まる。
「それはまずい」
「何が」
「男として、母親に見つかると恥ずかしい物が色々と……」
「処分して出て行かなかったお前が悪い」
 懐かしさが消し飛んで、恥ずかしさがやってくる。散らかした部屋を黙々と片づけて、一生懸命それを忘れる事にした。
「とりあえず、俺、今日は帰るわ」
「え、うちでご飯食べて行くんじゃないのか? 母さんもそのつもりだろ?」
「久々帰って来たんだ。今日くらいゆっくり顔見せてやれ。おばさんには、俺から断っておくから。じゃあな」
 そう言うと、手をヒラヒラさせつつ部屋を出て、そそくさと階段を下りて行った。
「送ってくれてありがと。助かったよ」
 慌てて追いかけ、階下のガンちゃんに声をかける。
「礼なんていらん。その代わり、明日は同窓会来いよ。サキにも声かけてあるから」
「サ、サキは別に関係ないだろ!」
 悪戯っぽく笑って、僕の親友は出ていった。


「あんた、痩せたんじゃない?」
 仕事を終えて帰ってきた母さんは、僕を見るなり上から下まで嘗め回すように見てからそう言った。
 ちゃんと食べてるから大丈夫だよ、と紋切り型のやり取りをした後は、旅に出る前となんら変わらない。母さんがご飯の支度を始め、僕がそれを手伝う。
「ドン坊! まとわりつかないで!」
 夕飯の支度をする母の足に抱き着くドン坊は、通常のヤドンより太い。ヤァン、と抵抗の声を上げる姿は、昔のままだった。
「あんたもういいから、ドン坊と向こうで遊んであげてて」
「おっけい」
 僕のやることがなくなってくると、決まって母さんはそう言った。
 ドン坊を引っぺがし、ぶよぶよの身体を抱きかかえ、ダイニングキッチンを通り過ぎてリビングへ。やっぱり重くなったな、こいつ。
 そのままソファへ腰かけると、怪訝そうに僕の顔をべたべた触り始める。ヤヤァン! と控えめに驚いて、やっとピンと来たらしい。僕だと気づいて、いくらか騒いで、腿を枕にドン坊は丸まった。
「やっぱり気づいていなかったか」
 お腹を撫で回すと、気持ちよさそうだ。
「お前もこれくらいくつろいでくれよ。ここは僕の家で、お前の家でもあるんだから」
 まるで客人。机を挟んだ対面で、僕のゴーリキーが正座している。初めての場所で、緊張しているのかもしれない。
 僕とドンちゃん、向かいにゴーリキー。それと、気にせず部屋を浮遊するゴースト。家に帰ってこの光景を見ると、三年経ったんだな、と感じずにはいられなかった。


「それで、旅はどうなの?」
 僕と母さん、それとポケモン達で食卓を囲む中、今日は学校どうだった? とばかりに、まるでここに普段からいるかのような、自然な問いかけだった。
「バッジを五つ集めたよ。後は、セキチクとグレンと、トキワだけ」
 カントーでバッジ八つ持ちと言えば、エリート中のエリートだ。そこにあと三つまで迫っている。僕の中では誇らしく、自信を持って報告出来る事だった。
「あと三つか。それが終わったらどうするの? ポケモンリーグへ参加?」
「いや、そこまでは考えてない」
「お義父さんの気持ちは、まだ変わってないよ」
 そら来た。サファリゾーンをジョウトにも作ろうとしている父の事業拡大計画を支えるのは、やはり本家本元のセキチクシティサファリゾーン。ここを僕に支えて欲しいという話だ。じいちゃんにはいずれ継いでくれと、旅へ出る前率直にそう言われた。
 ただ、従うのが嫌で僕は旅に出た。
 サファリが嫌いな訳ではない。昔から手伝っていたサファリの仕事も嫌いではない。でも、僕はセキチク以外を知らずに継ぐのが嫌だった。
「今やってる事に集中したいんだ。考えるのは、それからにさせて欲しい」
 母さんは、僕が自由にすればする程立場を悪くする。サファリの後継ぎとして育てられなかった失格者の烙印を、親族親戚の間で押されるだろう。
「私の事は気にしなくていいから。あんたのやりたいようにやりなさい」
 それでも母さんはそう言ってくれる。
 サファリの後継ぎという重荷が僕を外に駆り立てたが、その行動は母さんを苦しめる。それはよく理解しているつもりだ。それでも僕は、旅へ出たかった。
「あんたが成功すれば、お義父さんも認めてくれるかもしれないね」
「じいちゃんを認めさせたい訳じゃない。僕はただ、あのまま継ぐのが嫌だっただけで……」
「でも、旅が終われば継ぐと決めてる訳ではないんでしょ?」
「そうだけど、継がないと決めてる訳でもないから」
 母の立場を悪くしたくはない。だが、その気持ちだけで言った訳ではなかった。
 テレビの音だけが食卓を闊歩し、落ち着いて来た頃、僕は食器を下げて洗い物を始めた。普段は鈍いドン坊も、何かを察して洗い物をする僕の足元で丸まっている。
 僕のあだ名がケン坊だったので、生まれた時からずっと一緒に居たヤドンも、いつの間にか皆にドン坊と呼ばれ始めた。今では毎日母さんを支える、唯一の存在だ。
「ドン坊、僕はどうしたいんだろう」
 聞こえるように言ったつもりはなかったが、皿洗いを終えて、胸に抱きかかえてリビングへ戻ろうとした時、ポンポン、とドン坊が僕の頭を優しく叩いた。
 僕の兄貴は、いつまで経っても僕の兄貴だ。

[四]

「バッジ五つかあ。すげえなケン坊。このまま八つ集めてポケモンリーグに出ちまえよ」
 久しぶりに集まった同級生達と居酒屋で集まった。高校の同級生とこうして居酒屋にいると、時の流れを感じる。
 地元に残っている奴らを集め、僕が帰ってくるタイミングで同窓会を計画したのはガンちゃんだった。明るい性格で皆からの人望も厚いし、言い出したらきちんとやり遂げる。皆への連絡もガンちゃんがやったみたいだし、相変わらず見た目と裏腹に細かいところは変わっていないようだ。
 戻る前日に連絡を入れたのに、急遽声を掛けて人が集まるのは、ガンちゃんの求心力のおかげでもあるだろう。何故、運転だけああも乱暴なのか。
「勢いそのまま、一気に八つ集め切りたいね」
「流石、神童は言う事が違うねえ」
 町役場で働くミヨが、長髪を揺らし、片肘をついて言った。それを皮切りに、皆が僕の神童話を始める。
 確かに僕は、ポケモンバトルに関してはすごい子どもみたいな言われ方をされていた。天狗だったのは間違いないし、自分は凄いんだと大っぴらにはしないが、心のどこかではそう思っていた。
 それでも、僕が高飛車で嫌な奴に成り下がらなかったのは、ガンちゃんのおかげだ。何事にも真面目で、結果も出すガンちゃんを見ていると、常にお尻を叩かれているようで、引き締まる思いだった。
 褒められてちやほやされてもそのままでいられたのは、本当に優秀な奴が常に僕の隣に居たからだ。
「ヤマブキのトーナメントでも優勝したんだって? あれって、結構強い人が出るで有名なやつでしょ?」
 左隣に座る花屋の息子、シュウが僕に話を振って来る。花屋を継ぐつもりのようだが、本人はポケモンバトルを趣味にしているようで、その辺の情報には詳しかった。
「いや、あれは結構運が良くてね。強い人達が調子悪かっただけだと思うよ」
「でも、強くないと優勝なんて出来ないよ。流石だなあ」
 皆が褒めてくれる。僕の三年間がこれでもかと肯定されるのは、素直に嬉しい。セキチクを飛び出して、この道でなんとかなるんじゃないかと、そんな気にさせられる。
 明日はジム戦。ここをスムーズに突破して、本当にバッジを集め切ったら、僕の中でも何か答えが出るのかもしれない。
「ケン坊、あんまり調子に乗ってると、痛い目見るぞ。きちんとどこかで見切り付けろよな」
 ジョッキのビールをガブ飲みして、ガンちゃんは意味深にそう言った。僕が調子に乗っている? そんな自覚はない。一生懸命やってきたつもりだし、ただここまで順調なだけだ。
「大丈夫だよ。バッジを集めて、エリートトレーナーって奴にまずはなってみるよ」
 僕の言葉に、同級生の皆が騒ぐ。セキチクからリーグ優勝者が出るかもしれない。しかも同じクラスだ。ゆくゆくは四天王か。酔っ払っているのもあって皆言いたい放題だ。でも、そんな話が、今の僕にはとても心地よかった。外を旅して、無駄ではなかった。あのままサファリを継ぐ決意をしていたら、こんな経験は出来なかっただろう。
「なんか、ケン坊変わったなあ。バッジ集めで更に自信つけた?」
 斜向かいに座る元学級委員のトオルが言った。ガンちゃんと同じく、サファリで働くひょろっとした男だ。お酒も回って、気も大きい。皆も盛り上がってくれるし、随分大きな事を言っている。自信を付けたのは、その通りかもしれない。
 ポケモンバトルトレーナーとして生きていくのも、悪くない。

[五]

 同窓会は大いに楽しめた。昔と変わっているところに盛り上がって、変わっていないところを懐かしんだ。
 あんな席を作ってくれたガンちゃんには、感謝しなければ。
「サキ、飲み会じゃあんまり喋ってなかったけど、どうしたんだ?」
 昔から近所に住むサキと一緒に、帰路についた。夜も深く暗いので、後ろにはゴーリキーが歩幅を合わせて付いて来る。
 小さい頃から仕事で親父はほとんど家に居なかったし、サキも似たような状況で父と二人暮らしだったもんだから、よくうちで夕食を取っていた。ガンちゃんも混ざったりして、その賑わいのある食卓に母さんも喜んでいたものだ。
「どうしたんだじゃないよ。久しぶりなのに、何で皆と同じタイミングなのよ。それに昨日は、ガンちゃんが迎えに行ったんだって?」
「来る前に連絡したら、車で来てくれるって言うからさ」
 サキは怒っていた。無表情で黙っている時は、大体そうだ。皆の前では多少取り繕って笑ってはいても、機嫌が悪いのはすぐ分かった。
「ガンちゃんもケンもひどい。私だけ除け者にして」
「い、いや、そんなつもりはなかったよ。現にこうして、今だって一緒に帰ってるだろ? 久しぶりだし、色々話したい事もあるしさ」
 小さい頃と違い、大きくなってからは三人で一緒に居る事も少なくなってきて、僕とガンちゃんの二人でいる事が多かった。サキはサキで女友達が居たし、たまには三人で居ることもあったが……。
 そのまま、サキは何も返答しなかった。ただ黙って、俯いたまま僕の隣を歩く。セキチクの夜は暗い。ヤマブキもタマムシも、信じられないくらい都会で、セキチクが随分真っ暗に思える。
 夜目が、利かなくなっているのかもしれない。
「……ケン。本当にこのままトレーナーとして生きていくの?」
「それもいいかもしれないなあ。僕にはそれが合ってるかも」
「本気で言ってるの?」
「どうして? 僕がバトルトレーナーになるんじゃダメなのか?」
「サファリはどうするのよ。園長さんもケンに期待してるし、このまま何もケリつけないつもり? 何て言って旅に出たのか、覚えてるの?」
 サキまで、サファリの事を言ってくるとは思わなった。
「そんな事、言われなくても分かってるよ。何も知らないまま継ぐ事になるのが嫌で、僕は飛び出したんだ」
「だったら、久しぶりに戻って来て、何か言う事があるんじゃないの?」
「何って、なんだよ。僕はまだ、バッジを集め切っていないし、こんな中途半端で言える事なんて、ある訳ないだろ」
 隣を歩くサキは、突然前に出て僕の前で仁王立ち。昔からそうだ。皆の前だと大人しい癖に、僕の前だと気が強い。
「じゃあ、バッジを八つ集めたら何が分かるっていうの?」
「自信が付くとか、僕の中で何かが変わったりする事があるかもしれないじゃないか」
「かもしれないかもしれない。外を見たい他を見たいって、一体何言ってるの? 八つ集めて分からなかったら次の地方? また集めたら次の地方? 私には、ケンがそう言うとしか思えない。だって……」
「サキに何が分かるんだよ!」
 言ってすぐ、後悔した。声を荒げるのは、サキが一番嫌いな行為だ。家で父に怒鳴られると、決まってうちに逃げ込んで僕の部屋で泣いていた。落ち着くまで、ずっとずっとサキを慰めていた。
「分かるよ。本当に小さい頃から、一緒に居るんだから。きっとガンちゃんだって同じだよ。自分は凄い凄いって、馬鹿じゃないの?」
「飲み会の話か? 僕は別にそんなつもりじゃないよ。それに酔った勢い、話の流れだろ?」
「もういい!」
 目に涙を溜めたサキは、一人早足で先へ行く。その歩みを、僕はすぐに追いかける事が出来ないまま立ち止まった。セキチクの夜は、今の僕にとっては暗かった。
 サキが暗闇に溶けていくのを眺めていると、いつの間にかゴーリキーが僕の隣に立って、両手を腰に当てて溜息をつく。
「なんだよ、お前まで僕を責めるのか?」
 ゴーリキーがじとりと僕を睨みつける。それが分かるくらいには、夜目が利くようになっていた。

[六]

「ファファファ、甘いなケン坊。まだまだ若い。それならうちの娘の方が強いぞ」
 キョウさんは、クロバットをモンスターボールに戻した。昨日、あれだけ意気揚々と皆の前でバッジ取る宣言をしたのに、この体たらく。完敗だ。
 バトルの内容を振り返る気にもならない。今まで、ジム戦でこんなにも手も足も出ない事はなかった。苦戦はしても勝ってきたし、今回もなんとかなるんじゃないかと思っていた。ゴーリキーもゴーストも、もう一体の僕の仲間、ナッシーも、十分に鍛えてきたつもりだった。
「どうして負けたか分かるか?」
「……わかりません」
 キョウさんはゆっくりと歩み寄ってきて、立ち尽くす僕の肩をポンと叩いた。
「ゆっくり考えなさい。今の君じゃ、いくらやっても私には勝てないよ。このままじゃ、ポケモン達が不憫だ」
 ゴーリキー、ナッシー、ゴースト。三体とも、ジム戦の意味、バッジ集めの意味はなんとなく理解しているようで、毎試合随分気合いが入っていた。特にナッシーなんかは、僕が初めてサファリで捕まえたタマタマを育てたポケモンだ。久しぶりの故郷で、力の入り具合いは一番だった。
 なのに、この様。三匹の力が足りていない訳じゃない。ジムバッジ六つ目に挑む者として、それ相応の準備はしてきたつもりだった。
 だとすると、やっぱり原因は僕だ。
「教えて下さいキョウさん。僕の、何がいけなかったんでしょう」
 控室へ戻ろうと歩き出したキョウさんの背中に、僕は問いかけた。
「技や経験が全てではない。そういうことだよ。それより早く、まずはポケモン達を労わってやりなさい」
 何を言ってるのか、さっぱり分からない。
 呆然と立ち尽くしていた僕だったが、ゴーリキーの苦しそうな呻き声でハッとして、急いでボールに戻し、ポケモンセンターへ走った。

[七]

「明日の午前中には戻ってきて下さい。それまでには、元気になっていますよ」
 ポケモンセンターのジョーイさんは、にこやかにそう言った。大事に至らなくて良かった。三匹とも傷は負っているが、大した事はないらしい。
 外を出歩く気にもなれなくて、待合室の壁際のソファーに座って、僕は項垂れた。
 一体何が悪かったのか、本当に分からない。今まで僕の期待に応えてくれたあいつらに、申し訳なかった。
 外を知りたいとセキチクを飛び出し、道中寄った故郷でのジム戦がこんな結果だなんて、なんて情けない。指示を間違ったか? 判断ミスか? 連携が取れていなかったか? いくら思い返しても、決定的な原因はわからない。
「ケン坊、負けたんだってな」
 よく知った声だった。僕が一番聞いてきた声だ。
「情報が早いね」
 顔を上げると、いつもより更に大きく見えるガンちゃんが、そこにいた。
「昨日、あれだけ大見え切ってたからな、誰か見てたんじゃないか? 見てなくても、ケン坊とキョウさんのジム戦だ。皆注目してるし、情報が回るのも早いさ」
「……そっか」
 自分のポケモン達にも、中途半端な思いをさせてしまった。皆にもでかい事言っておいてこの様とは、良い笑い物だ。
「なあケン坊。お前、ただジム戦をしに戻って来たのか? 本当にそれだけか?」
「なんだよ突然」
 ガンちゃんは、どっかりと僕の隣に腰掛ける。
「サキの事だよ。昨日、あいつの事泣かしただろ」
「……何でそれを?」
「夜中、電話してきたんだよ」
 サキが電話を? 頭の中で、暗闇の中早歩きで去っていくサキの後ろ姿が、思い起こされた。
「サキは、何て?」
「それは秘密だ」
 昨日うちで見たガンちゃんの悪戯っぽい笑みとは違う、真面目な、ともすれば少し怒っているような固い表情だった。
「お前がその程度なら、俺が行かせてもらうぞ」
「……何の話だ?」
「とぼけるのもいい加減にしろ。何年一緒に居たと思ってるんだ。ケン坊とも、サキとも」
 僕がセキチクに戻ってきた理由は、もちろんジム戦のためだ。だがガンちゃんにも、もちろんサキにも会いたかった。それもある。
 久しぶりで、懐かしくて、昔みたいに三人で笑いたかった。
「サキに甘えんな。サキの事だけじゃなくて、いつまでもなあなあでいられると思ってんなよ。……分かってんのか? お前は、三年間セキチクに居なかったんだ」
 ガンちゃんは立ち上がる。僕よりも大人で、短髪の似合ったかっこいい男。こいつと競って、こいつに負けたくなくて、ずっと気にしてきた。
「俺の親友がその程度だったなんて、がっかりさせないでくれよな」
 キョウさんと同じように、僕の肩をポンと叩いて、ガンちゃんは去っていく。そしてそれを追いかける力は、やっぱり僕にはなかった。
「……わかってるよ、言われなくたって」
 呟いた言霊が、シンと静まるポケモンセンターに吸い込まれていく。

[八]

 自分のポケモン達を預けて、一人町を歩く。この三年間、幾度となくあった事だが、こんなにも足が重い事はなかった。
 僕の何かが悪かった。それは分かっているのに、ゴーリキーやゴーストを進化させよう、ナッシーに新しい技を修得させて、戦略を変えよう。そんな事ばかりが頭を巡っている。
 自分の事となると、とんと分からない。
 明らかに、自分達より格上のトレーナーやポケモン達相手なら納得が行く。単純に力が及んでいないのだろう。だが、あれはジム戦だ。
 僕はジムバッジを集めるトレーナーとして、力を付けてきたつもりだ。ジムバッジを六つ持ったトレーナーとのバトルでも、それは実感していた。
 なのにこれだ。練習と本番は違うのかもしれないが、あまりに噛み合っていない。何かが、足りていない。
 ぼうっと町を歩き回っていると、実家を通り過ぎ、住宅街を抜け、いつの間にか海岸線まで来ていた。
 海の向こうには、グレン島がある。今はあまりに、遠い場所だ。
「だめだだめだ。ここに居るとジム戦のことばかり思い出しちゃう」
 この広い広い海が恨めしく思えてくる。太陽も落ち始めているし、そろそろ戻ろう。
「おーいケン兄!」
 砂浜から離れようとすると、セキチク側から駆けて来る女の子が見えた。近づいてくると、よく知っている姿だと分かる。
「なんだよ、ケン兄、あたいに、声もかけずに、帰って、くるなんて!」
 僕のところまでやってきて、肩を上下させつつ怒っていた。
「おー、大きくなったなアンズちゃん。その恰好は相変わらずか」
「あたいと、久しぶりに会ったのに、何だその反応は! 帰って来たって聞いて、町中、走り回っちゃったよ」
 疲れたあ! とばかりに砂浜に尻をついて、アンズちゃんは両手を広げた。僕に会いに走って来てくれるなんて、なんとも可愛らしい。僕が行きそうなところを、走り回ってくれたのだろう。
 昔から変わらない黒の忍び装束は、しばらく見ていなかったからかコスプレに見えてしまう。夏らしく肩のところで袖が切れていると、猶更だ。
「ごめんごめん。久しぶり、会いたかったよ」
「分かればよろしい」
 ぽんぽん、と小さな左手が砂浜を叩いたので、僕は隣に腰を落ち着けた。
 アンズちゃんは、僕が隣に座ってもしばらく海の向こうを眺めているだけで、何も言わなかった。三年前は少女って感じだったのに、随分と大人びてしまった。艶っぽくなるのも、時間の問題だろう。
「なに、じろじろ見て」
「いや、成長したねえと思って」
「変態」
「ははは、言うようになったね」
 じとりと見るその目は、まだ子どもっぽいままだ。
 はぐらかすと、再び僕から目を逸らし、遠く向こうの海を眺め始めた。こんなに喋らない子だったかな。僕の頭には、まだまだ小さい姿が思い浮かぶ。
 じいちゃんとアンズちゃんのお父さん、つまりキョウさんは仲が良い。
 サファリの仕事を、ジムトレーナーを引き連れたキョウさんが手伝ってくれる事もあったし、キョウさんがどうしても秘密にしたい話の場や特訓場所として、サファリの奥地を貨していた。
 じいちゃんは僕を連れ回していたし、キョウさんもアンズちゃんを連れ回していたから、会う機会もそこそこあって、僕らはいつの間にか友達になっていた。
 ガンちゃんやサキと四人で遊ぶ事もあったし、バトルしろ! と度々ふっかけられた事もあった。
 そういえば、僕がこの町を飛び出す時、何も言って行かなかったな。
「……ケン兄はさ、いつもそうだよね」
 海を眺めたまま、アンズちゃんは言った。
「何が?」
「あたいの事、いっつも子ども扱い」
「そりゃ、子どもだからね。僕にとっては、かわいい妹みたいだ」
「妹かあ」
「嫌?」
「嫌、じゃないけどさ」
 アンズちゃんは立ち上がると、両手を組んで「うーん」と声を上げつつ伸びをして、はあ、と息を吐きつつ両腕を下した。何か言い淀んでいる姿は、あまり見た事がない。
「何、海にでも入る気?」
 靴や靴下を脱いで水際をうろうろしながら、アンズちゃんはまた喋り始めた。
「そういえばケン兄、父上に負けたんだって?」
「う……やっぱりもう知ってるのか」
「知ってるよ。父上、強かったでしょ」
「強かった。流石、アンズちゃんの父上だ」
 満足気な横顔だ。自分の父親を、とても誇らしく思っているのを僕はよく知っている。
「あたいね。その父上よりも、強くなるよ」
「おお、それは大きく出たね」
「大きくないよ。父上はね、四天王になるんだ。私はジムリーダーとしてその後を引き継ぐ。ジムトレーナーの皆にも、セキチクの皆にも認めてもらえるよう私は努力してきたし、これからも、頑張る」
 驚いた。そんな話は、初耳だ。
「ジムリーダーの娘、って言われるのはあんまり好きじゃなかったけど、父上の娘って言われるのはあたい好きなんだよね。父上がセキチクのジムリーダーじゃなくなるって思ったら、途端に実感湧いて来てさ。怖いし、この先どうなるのかわからないけど、父上の代わりになって、ケン兄とか、ガンちゃんとか、サキちゃんとか、皆が居る、この育ったセキチクの役に立ちたいって、そう思えるようになったんだ。こうなるまでに、いろいろあったんだけどさ」
 アンズちゃんは、照れくさそうに僕に笑いかける。
「今までのあたいと、これからのあたいは違う。父上の後を継ぐ者として、超えるつもりで頑張るよ」
 成長したね、なんて偉そうな事は言えない。僕よりも、よっぽどしっかりしている。敵わないな。流石、キョウさんの娘だ。
「だからね。今日が最後」
 落ちかける夕日に照らされつつ、アンズちゃんは笑った。
「大好きだったよ、ケン兄」
 何度救われてきたか分からないその笑顔は、今までで一番輝いていた。
 同じく大きな物を背負った存在として、僕はこの年下の少女に何度も助けられてきた。自分と同じような人がいる。それだけでも、救われたものだ。
「いつか、ジムリーダーのあたいともバトルしようね」
 ばいばい、とアンズちゃんは去っていく。僕はやっぱり、それを追いかけられなかった。
 途中振り向いて、「父上の話は、皆に内緒だからね!」と口に人差し指を当てる姿に、思わずドキっとしてしまう。僕は最後まで何も言えず、アンズちゃんも何も求めなかった。
 僕は頷く事しか出来ず、ただ、その場に立ち尽くしていた。

[九]

 サファリゾーンの噂は、旅に出ている僕の耳にも届いていた。もしかしたらサファリは閉鎖に追い込まれるのかもしれない。経営不振。飽くまでも噂でしかないが、そんな言葉を何度か聞いた。ジョウトにもサファリを作ろうという親父の計画も、このままセキチクだけの運営ではいつか立ち行かなくなる事を見越した、親父なりの動きなのだろう。
 小さい頃から碌に家に居なかった事を随分恨んだものだが、サファリの園長であり、経営も取り仕切るじいちゃんの息子としての重圧を感じ、なんとかしようと藻掻く父を、いつしか僕は恨まなくなった。母が父の事を何一つ悪く言わないのも、夫婦でしっかり理解し合っていたからなのだと思う。父が家にいない事で駄々を捏ねていた僕が、母に迷惑をかけていたんだと申し訳なくなる。
「お預かりしたポケモンは、皆元気になりましたよ」
 ジョーイさんの言葉通り、翌日の午前中ポケモンセンターへ行くとすっかり元気になった三匹が戻って来た。元気にはなったが、すぐにバトルをする事は避けて休ませてあげて下さいね、とジョーイさんには釘を刺された。
 実家に戻って庭へ出て、三匹をモンスターボールから出すと、三者三様に身体を動かし始める。三匹とも負けず嫌いだから、いち早くリベンジだ、とでも考えているのかもしれない。
「ごめんな。俺のせいで」
 縁側に座ったまま、僕は三匹に謝った。
 するとゴーストは、僕を励まそうとしているのか頭の上をぐるぐる回り始め、ゴーリキーはやたらポーズを決めて元気な事をアピールし始める。大丈夫だから次頑張ろう、ということだろうか。
 一番気持ちの読み辛いナッシーだが、僕とは一番付き合いが長い。僕の身体がふわりと浮かんだかと思うと、そのままナッシーの念力で頭の上に乗せられる。子どもの頃から、僕が落ち込んでいると決まってそうだった。ナッシーも、励ましてくれている。
「ありがとなあ、お前ら」
 僕を理解し、寄り添ってくれる三匹のためにも、このままではいけない。
 セキチクに戻ってきて、同級生だってアンズちゃんだって、皆それぞれ前に進んでいるんだと思い知らされた。僕がこのままで、いい訳がない。
 三匹の優しさを胸いっぱいに噛みしめていると、リビングの電話が鳴り響いた。せっかくの時間に水を差されて、半ば不機嫌に戻ってディスプレイを確認する。相手はガンちゃんだった。
 昨日あんな事があっただけに少し気まずかったが、ここで出ないと、今後もっと気まずくなってしまうかもしれない。もう何コール目か分からない。切れてしまうかもしれない焦り混じりに意を決して、僕は電話に出る事にした。
「もしもし」
「俺だ。ケン坊、今暇だろ。手伝ってくれ」
 開口一番なんて言おうか悩んでいたが、昨日の話の続きをする余裕はないらしい。
「どうした?」
「サファリから、ポケモンが連れ去られたんだ」
「え、どいつだ?」
「ミニリュウ」
 誰が連れ去られても大問題だが、ミニリュウというのは、それはまた一大事だ。
 セキチクサファリゾーンの目玉は、カントーでも珍しいラッキーやガルーラ達と並んで、ミニリュウだと言って間違いない。世界的に生息数の多くないドラゴンタイプのミニリュウの捕獲に、多くのトレーナー達がサファリにやってくる。
 サファリに居る事が分かるからと言ってそう簡単に捕獲は出来ないので、とても珍しいミニリュウを一目見るためだけにやってくる人がいる程だ。
「サファリの係員は何やってたんだ?」
「いつも通りやっていたって話だ。サファリに入る時は所持しているポケモン達やモンスターボールを預かるから、どうやったって外へ連れ出したら分かるはずなんだが……」
 その通りだ。
 客の出入り口は一つしかない。従業員用の通用口にも見張りがいるし、周りは塀で覆われているし、その先には林だってある。それに、暴れたポケモン達が町まで下りてくると危ないから、ポケモンが嫌がる成分を含んだ薬品を、キョウさんが撒いているはずだ。
「どうして連れ去られたと分かったんだ?」
「係員が、いつも呼べば出てくるミニリュウの数が一匹足りないって言うんだ」
 サファリにいるポケモン達の体調や数は、逐一係員が把握している。
 ミニリュウは、ドラゴンポケモンの育成経験がある、ごく一部の係員の声や笛にしか反応しない。体調管理やエサをあげるために集めたミニリュウ達の数が、足りなかったという事か。
「今係員達、怪しい奴をサファリに入れなかったか、チェックに問題がなかったか確認してる。キョウさんやアンズちゃん達も、何か痕跡がないか、今サファリの周りを調べてるんだ」
「それで、僕に何を手伝えって言うんだ?」
「キョウさん達の手伝いだ。ジムトレーナーの皆や係員だけじゃ、手が足らん。それに、連れ去った奴がどんな奴か分からないから、今は一人でも力のある奴が欲しいんだ」
「わかったすぐ行く。事務所に行けばいいんだな?」
「三十分後、俺も事務所に行くからそこで落ち合おう」
 忙しなく電話は切られ、無機質な電子音だけが残った。
 サファリのポケモンが連れ去られるなんて、今までなかった事だ。それはキョウさんやじいちゃん達がしっかり守ってきたという事でもある。
 それが突破されたと言う事は、本当に一大事。
「行くしかないか」
 サファリのために自分が動く。
 随分、久しぶりな話だ。

[十]

 サファリの入口から大分離れた西側に、事務所は建っている。すぐに三匹を連れて家を出た僕は、約束の時間より少し前に到着する事が出来た。
「来たなケン坊。こっちだ」
 入口で待っていたガンちゃんは、えらく落ち着いていた。自動ドアを通って入った事務所の中は、いつもと同じ雰囲気だ。ポケモンが連れ去られて、バタついている様子もない。
「どこ行くんだ?」
「いいから来いって」
 受付を横切り、いつも通り仕事をする事務員さん達を尻目に奥へ入って行く。案内されたのは、大人数が入れる応接室だった。ガンちゃんはドアをノックし、「どうぞ」の声を待ってからノブに手を掛けた。
 入った事のない部屋だ。長方形の長机に、黒皮のオフィス用チェアが並んでいた。
 中に居る面々を見て、僕は歯噛みする。
「謀ったな」
「こうでもしないと、来ないだろ?」
 サファリゾーンの園長であるバオバじいちゃん。セキチクシティジムリーダーのキョウさんと、その娘のアンズちゃん。古参のジムトレーナー達と、サファリの係員。
「皆さんお揃いですね。連れ去られたポケモンと、その犯人は見つかったんですか?」
 机に手をついて、皮肉たっぷりに皆を睨んで言ったつもりだったが、
「ああ、見つかったよ」
 というキョウさんの素直な返答に、軽く躱されてしまう。
 上座に座ったキョウさんは、その向かいに座った子どもに視線を送った。黒皮のチェアに、サイズ感の合わない男の子が一人座っている。
「その子だ」
「何の冗談ですか? そんな小さな男の子が、キョウさんやバオバ園長が守るサファリから、ミニリュウを連れ出したって?」
 見知らぬ少年に、視線が集まる。物々しい雰囲気が、応接室内の空気を重くした。
「そうだ」
 返答したのは、キョウさんの隣に座るじいちゃんだった。
「自分で連れ出して、自分で戻ってきたんだよ、この子は」
 何を言っているのかわからない。
「とりあえず、騒ぎは解決したから一先ずこれまでとしよう。皆ありがとう、それぞれ持ち場に戻ってくれ」
 じいちゃんの言葉で、係員やキョウさん達ジムトレーナーはぞろぞろと部屋を出ていく。アンズちゃんだけが心配そうに僕の方をちらと見やっていたが、すぐ後にはじいちゃんとガンちゃんと僕、それと騒ぎの犯人らしい子どもが残った。
「何のつもりだよじいちゃん。話が全然わかんないし、解決したんだったら僕を呼ぶ必要なんかないだろ」
「まったく、戻ってきてわしに顔も見せに来ないとは」
 じいちゃんは溜息をつくと、僕を無視して「ひどい孫じゃろ?」と向かいの少年に投げかけた。
「顔を見るためだけに僕を呼んだ訳じゃないだろ? それに、そこに座っている子がミニリュウを連れ去ったって、何がどうなってるんだよ」
「岩田。説明してやりなさい」
「俺がするんですか?」
「文句を言うな」
「……わかりましたよ」
 ドア近くの壁に、腕を組んでもたれていたガンちゃんは、少年の座るチェアの後ろまで歩いて、僕に向き直った。
「この子はな、ミニリュウに認められたんだ」
「……ミニリュウに?」
「そうだ。捕獲したポケモンが言う事を聞かないなんて、よくある話だろ? 気位が高い、ドラゴンタイプのポケモンなんて尚更だ。その、ドラゴンポケモンに、認められたんだ」
「その子、いくつだよ」
「十一歳、だったよな?」
 ガンちゃんの問いかけに、少年はコクンと頷いた。驚きなんてもんじゃない。熟練したトレーナーだって、ドラゴンポケモンの扱いには手を焼くなんて話を聞いた事がある。 
「トレーナーとしてのセンスに、年齢は関係ない。バッジを集めてるお前なら、俺より詳しいだろ。二年程前にカントー・ジョウトの頂点に立った二人はいくつだった?」
「……そりゃ知ってるけど、あんなの例外中の例外。この時代に生きてなきゃ、信じられるかどうか怪しいレベルだ」
「あの二人は凄い。別格だ。だけど、凄い奴なんて世の中にはごろごろいる。二年前の事があってから、一昔前より若い連中が結果を出し始めてるんだろ? 今は若い連中に視線が集まってるし、見落としていた才能の発見も、きっと多いんだろ」
「……だから、ミニリュウにその若さで認められる子どもがいたって、不思議じゃないって事か?」
「まあ、そうだな」
「それで、その子はどうやってミニリュウを連れ出したんだ? 認められたなら、素直にサファリボールで捕まえれば良かっただろ」
 ガンちゃんは、少年の頭を優しく撫で、「そうなんだが」と続けた。
「この子の目的は、ラッキーだったんだ。そっちを捕まえるのに必死で、サファリボールは全部使いきっていた。それなりに難易度高いからな」
「じゃあ、どうやって連れ出した?」
「連れ出したんじゃない。ミニリュウ自身で、塀を超えてこの子の後を追っかけたんだ」
 そんなことがあるのか? 半分野生のポケモンが、一人の人間のために、ポケモンが近寄りたがらない薬品や塀を乗り越えていくなんて。
「ミニリュウを保護したこの子は、自分が盗んだと思われるのが嫌で、自分からここまで戻って来たんだ。ボールに入れちまったのは、いただけないけどな」
 すいません、と少年は項垂れる。持っていると皆が羨むミニリュウが、自分を追っかけてきて思わずボールで捕獲してしまったのだろう。
 気持ちは、分からなくない。
「それでも戻って来たのは凄い事だ。目の前の欲に負けず、しっかり筋を通しに来た。大した子だよ」
 申し訳なさそうに、少年は再度「すいませんでした」と呟く。
 その言葉とは裏腹に、じいちゃんもガンちゃんも少年を咎めるつもりは一切ないらしい。逃げずに戻って来たところで、解決だったのだ。
「話は分かった。でも、僕をここに呼んだ理由が分からない」
「話をしてやってくれ。この子、これから旅に出るつもりらしいんだ。先輩として、アドバイスとかあるだろ?」
「それだけ?」
「それだけだ」
 ガンちゃんの言葉を話の終わりだと判断したのか、じいちゃんは立ち上がった。
「ちょっと待ってくれよ」
「お前が経験した三年間を、この子に伝えてやりなさい」
「じいちゃん」
「しっかりな」
「じいちゃん!」
 僕を無視して歩き出し、部屋を出て行こうとするじいちゃんに苛立って、思わず叫んだ。
「何で責めないんだ? 小さい頃からサファリの仕事を勉強させてきて、後を継がせようとあれこれ叩き込んだのに、それを無為にするように旅に出た事を!」
 僕の叫びに、じいちゃんはドアの前に立ち止まった。立って歩く姿を見ていると、座っている時より良く分かる。この三年間で間違いなく、衰えた。
「そう大きな声を出すな。サキちゃんに嫌われるぞ」
 すぐ冗談を言うところだけは、変わっていない。
「今冗談言うなと思っただろ。冗談ではない。サキちゃんの事は、しっかりしなさい。男として、あまりに情けないぞ。アンズちゃんの事もそうだ。キョウ君にぶん殴られてもわしは助けないからな」
 見て来たかのようにじいちゃんは言った。
 もちろん、本当に見ていた訳ではないし、話した訳でもないのだろう。
 ポケモンの事を細かく観察しているように、昔から周りの人間もよく観察する人だ。とりわけ、僕や僕の周りの事はよく見ている。
「お前が何をどう考えているのかなんて、すぐ分かる。でも、それを指摘して私の思う通りにしていたら、お前は学ばん。岩田みたいに優秀じゃないし、万能でもない。だから時間を与えたんだ。キョウ君にも負けたんだろう? 良い薬になったか?」
 にやりと笑って、じいちゃんは部屋を出て行く。小さい頃から感じていた貫禄だけは、変わっていない。そのまま押し切られ、部屋には僕とガンちゃん、それと少年だけが残された。
「俺も、なんでケン坊を呼んだのかはよく分からないんだ。この子と話しているうちに、突然園長がお前を呼べと言いだしてな。ただ呼んでもどうせ今は凹んでて出てこないから、嘘ついて引っ張り出せって言うからさ」
 ガンちゃんは、頭を掻きつつ、罰が悪そうな声だった。嘘なんてつき慣れていない癖に、本当に器用な奴だ。
 岩田は優秀。じいちゃんはそう言った。そんなの、僕が一番良く分かっている。
「いいよ。別に、怒ってないから」
「サンキュ」
 ガンちゃんは、すぐに爽やかな笑顔に切り替えた。
「そういえば、アンズちゃんに僕が帰って来た事を伝えたのはガンちゃんか?」
「いや、俺じゃない。アンズちゃんも色々忙しいみたいで、俺も仕事あるし、最近ちゃんと話してないしな。でも、伝えれば良かったなあ。うっかりしてたよ。アンズちゃん、お前に懐いてたしな」
「そっか」
 ああ、誰か分かった気がする。
「とにかく、この子の面倒はお前に頼んだ。ちゃんと家まで送ってやれよ」
 ガンちゃんも、そう言い残して部屋を出て行く。あれだけ色々な人間が居た部屋に、とうとう僕等二人だけ。言われた事をそのまま守るのは癪だが、この子を放って置くわけにもいかない。
 真正面に座るのは偉そうな気がして、僕は少年の隣のチェアに座った。
「名前、聞いても良いかな」
「ケンゴ」
 俯いた少年は、ケロっとした顔で答えた。先ほどまでの、申し訳なさそうな態度とは違う。
「ケンゴ君か。僕はケン坊って呼ばれてるし、一緒だね」
「はあ……」
 何言ってるんだこの人、とばかりに不審そうな顔をする。子どもと話すのは苦手じゃないと思っていたけど、何か違う。
「ミニリュウは、どうしたんだい?」
「逃がしました。今頃キョウさんが元の群れに戻していると思います」
「逃がしたの?」
「はい。後できっちりサファリボールで捕まえて、皆が認める僕のポケモンにします。そうすれば誰も文句はないでしょう」
「それを、自分で提案したのかい?」
「もちろん」
 ガンちゃんの言う通り、大した子どもだ。僕が同じ歳の頃なんて、もっと何も考えていなかった気がする。
「それで、何のアドバイスをして貰えるんです?」
 さっきの様子が如何に猫を被っていたか分かる。大人相手に一歩も引かない強気な態度は、小さい頃の自分を思い起こさせた。根拠のない自信や奢りは、不遜さを助長する。
「うーん。君はまず、何のために旅をするんだ?」
「バッジ集めです。まずはカントーのポケモンリーグで優勝します。そうしたら、世界中を回って、各地方のリーグで優勝するつもりです」
 まあなんともデカい事を言う子どもだ。言うは安しと言うが、言う事さえなかなか高くつくような事を言っている。
「お兄さんも、バッジ集めをしているんですよね? 今何個持っていて、何年旅をしているんですか?」
「三年くらいで、五つだ」
「微妙ですね。バッジを集めてバトルトレーナーとして上へ行きたいなら、何かを変えないともっと上には行けないですよ」
 あまりに正直すぎる物言いに、こちらが面食らってしまう。でも、不思議と怒りが湧いてこない。子どもの言っている事だ、と割り切っている訳ではない。子どもだろうと、一人のトレーナーとして話を聞いているつもりなのだが……。
「お兄さんから貰うアドバイスなんて、いりません。僕は僕のやり方でやる。貰いたい人からアドバイスは貰うし、自分のやり方で登って行きますから」
 何を言っても無駄だな、と思いつつ、僕は僕の中が空っぽな事に気づいた。技術的な事や育成の事等、言える事はある気がするが、そんな事じゃない。もっと根本的で、精神的でお説教紛いな事が少しでも出るもんだと思っていたが、何も、出てこない。
「じゃあアドバイスではなくて質問にしたいんだけど、どうしてミニリュウを捕まえに行くんだ? 君の狙いはラッキーだったんだろ? 自分に懐いてるから、連れて行きたいって事か?」
「自分に懐いているから? 何言ってんですか。僕の目的は始めからミニリュウでしたよ」
「え、そうなのか?」
「ええ。まだ僕の力じゃ、ドラゴンポケモンは扱い切れない。でも、手元に置く事なら出来ると思って、皆にも知られていない、ミニリュウが集まって休息している場所に通って、やっとそこに居る事を認められて、少しずつ少しずつ仲良くなったんです。僕は狙うミニリュウを決めていましたから、とにかくそいつとだけでも仲良くなれるよう努めました。好戦的な奴たから、バトル向きなんですよあいつ。ここに居るよりも、よっぽど良いと思いますけどね」
 僕も、そんなミニリュウが集まっている場所なんて知らなかった。係員が体調管理のためにミニリュウを集めている場所とは、多分違う。
「僕がラッキーを捕まえたのは、欲しかったからだけじゃないんですよ。誰も傍に置かなかった僕が、突然ラッキーを捕まえて、ミニリュウにそれを見せつけてからサファリを出たんです。きっと、嫉妬してくれたり、プライドに傷がついたでしょう。この関係性に辿り着けたから、僕は次の機会で捕獲するつもりでした。そうしたら、この騒ぎです。まさかサファリから脱走する程だとは思いませんでした。少しやり過ぎたかもしれませんが、とにかく、これくらいやらないとドラゴンタイプのポケモンっていうのは捕まえられないし、扱いが難しいんです。捕獲した後、言う事を聞いてくれるかどうかが大事ですから、僕はそこまで踏まえて関係を作り上げて来たんですよ。分かります?」
 今時の子どもってこういう子が多いのか? と思ってしまうが、一括りにするのは良くない。中々込み入った話をしているが、自分の狙ったミニリュウを多くのミニリュウから見分けたり、バトル向きかどうかの判断をする観察眼。ポケモンとの関係作り。どれをとっても子どもとはとても思えない。ラッキーだって、そんな簡単に捕獲出来る難易度じゃない。
 才能があるとは、こういう事を言うのだろう。
「びっくりしたよ。凄いな君。そのモチベーションはどこから来るんだ?」
「そんなの、レッドさんとグリーンさんに決まってるじゃないですか」
 この二年間、幾度となくその名前を聞いてきた。あまりに若く強かった彼らは、誰も予想しないスピードで一気にトレーナー街道を駆け上がった。その影響力はとてつもない。のほほんと暮らしている全国の子ども達が、目覚めた瞬間だったかもしれない。この子も、その一人だ。
「気づかせてくれたんですよ。年齢なんて関係ないって。言ってしまえば、才能だって関係ないんです。僕はポケモンが好きで、ポケモンバトルが好きですから、早く気づいて始めれば、それだけ時間がある。チャンスだって増えるし成長だって出来る。僕はあの人達に憧れているけど、いつか、越えたいと思ってる。ものが違うって馬鹿にするかもしれないですけど、本気なんですよ」
 あまりに真っ直ぐな言葉だった。馬鹿にするなんてとんでもない。素直に応援したくなったと同時に、恥ずかしさが滲んで来る。
 僕の、あまりの浅さに。
 ケンゴ君は喋り始めたら止まらなかった。今までずっと猫を被って、粛々とサファリで旅支度を始めていたのだ。話しても馬鹿にされると思って、ぶちまけなかったのだろう。でもやっと、準備は整った。ケンゴ君にとっての第一歩が、始まろうとしている。
「本気か。……それなら、僕から出来るアドバイスは一つだけかな」
 いらないって言ってるじゃないですか、とすかさず言い返してくるケンゴ君を遮るように、僕は続ける。
「世の中には、本気の人ばかりじゃない。君の本気を叩きつけても、きっとうまくいかない事がある。人はそれぞれ色々な事情を持っているし、違う事を考えている。その本気さは、自分の中だけにしておいた方がいいよ」
 言ってしまえば、僕にはケンゴ君のような本気さはない。この子の言っている事を尊重は出来ても、少しも共感出来ない。
 じいちゃんのニヤり顔が思い浮かんだ。何がアドバイスしてやりなさい、だ。こうなる事を予想していたに決まっている。昔からそうだ。分かったように、先回りしていろんな事を仕掛けて来る。
 僕を直接責めたりせず、時間を与えたんだ。と言っていた意味も、理解出来た気がした。
「言い訳ですか? 自分は本気じゃなかったって、それ、一番ダサいですよ」
「手厳しいね。でも、本当の事なんだからいいじゃないか。僕はちっとも、本気になれていなかったんだ」
 もうあなたと話す事はありません、と言わんばかりに、「そうですか」とだけ言ってケンゴ君は椅子から立ち上がった。この子はどこまで行くのだろう。レッドやグリーンに憧れてはいても、彼らを目指さないで欲しいと僕は思う。自分らしい本気さで、上り詰めて行って欲しい。
 皆と同じように、僕を置いて部屋を出て行こうとするケンゴ君は、ドアの取っ手を掴んだところで止まった。
「だったら、本気になれるところで頑張れば良いじゃないですか」
 後ろ向きのままそう言い残して、部屋を出て行った。

[十一]
 
 あんなに人が居た部屋に、とうとう僕は一人取り残される。出て行った面々は、セキチクでも錚々たる面子だった。特にじいちゃんとキョウさんの二人は、あまりに有名。
 僕は正直、じいちゃんに憧れていた。
 サファリの長で、人当たりが良く、キョウさんとはまた違う意味で皆からの信頼も厚い。素直に凄いと思っていたし、今も思っている。そのじいちゃんから色々教わって、いつかその後を継ぐ時が来るのかもしれない。そう実感出来たのは、ガンちゃんがサファリで働くと言い出した時だった。
 学生だった僕等が、社会人となり働き始める。その就職先としてサファリを選ぶと言われた時に、僕は怯え始めた。
 ミニリュウを扱える程の経験豊富な人や、暴れ出したポケモン達を抑えられるトレーナーとしての力を持った人達等、サファリには優秀な人がたくさんいる。小さい頃から関わっていた僕は、それを良く分かっていた。そこへ更に、ずっと凄い奴だと認めているガンちゃんがサファリに入ると言い、その組織の頂点にじいちゃんが立っている。
 僕がじいちゃんの代わりを務めるところを、どうしても想像出来なかった。同じように出来ると思えなかったし、良い結果を出せるとは考えられない。
 自信がなかった。
 怖かった。
 だから、今のままが、そのままの関係が心地よくて堪らなかった。サキに甘えるな、とガンちゃんは言った。その通りだ。気づいていたのに、僕だってそうなのに、未来の事を考えると、怖くて怖くて仕方なくてぐずついていた。
 アンズちゃんは、未来に向かって走り出した。
 ガンちゃんも、自分のやりたい事を見つけまっしぐら。
 キョウさんは次のステージに進み、じいちゃんは自分の後進を育てようと必死だった。
 父さんだって同じだ。自分のやるべき事に、本気になって取り組んでいる。
 僕だけが、三年間止まっていた。
 バッジ集めは、都合の良い逃げでしかない。心の底で自分をごまかし、本気で取り組んでいない人間が、そう易々と勝てる世界じゃないって事だ。
 怖がっている場合じゃない。皆が前に進んでいるのに、このままじゃいけない。

[十二]

 チェアに座って、一人目を瞑り考えていた僕の頭の中に、ガチャりとドアの開く音が入って来る。
 もう誰も来ないものだと思っていただけに、僕は反射的に振り向いた。
「ガンちゃんか」
「あの子一人で出ていったぞ。送ってあげなかったのか?」
 後ろ手でドアを閉めて、ガンちゃんはドアにもたれかかった。
「ケンゴ君に、僕の付き添いは必要ないよ。彼はしっかりしているからね。ちょっと強気すぎるけど」
「そっか」
「なあガンちゃん。じいちゃんから、何も聞いてないのか? 何か知ってる事があったら教えてくれよ」
 僕の言葉に、露骨に目を逸らす。真っ直ぐに見つめているとやがて諦めたのか、「まあいっか」と呟いてから、話し始めた。
「ケン坊がこの町に戻って来るって聞いた時、その事を園長に話したんだ。そうしたら、いくつか指示を貰ってな」
「指示?」
「ああ。一つは、ケン坊がジム戦に来たら、全力で叩き潰すようキョウさんに伝えてくれって指示だ」
「全力で?」
「ケン坊は、始めからキョウさんに勝てる訳なかったんだ。ジムリーダーが全力でやってるんだから、バッジ五つ程度のお前達が勝てないのもしょうがない」
 あのジム戦を思い出しても、キョウさんが全力だったようには思えない。
「……ああ、あのクロバット、キョウさんのポケモン達の中でも、一番の奴か」
「見られたのは、その一匹だけか?」
「一匹だ。僕達は手も足も出なかったし、多分キョウさん達は本気を出してもいない」
 そりゃそうだ。僕等相手にジムリーダーが全力を出したら、もっと早く終わっていただろう。普段からジム戦を全力でなんてやらないから、相手の力を推し量る戦い方になってしまうのだろうし、僕等相手に出すまでもないのだ。
「指示は、まだあるのか?」
「二つ目は、アンズちゃんだ。キョウさんがケン坊を負かしたら、アンズちゃんにお前が帰って来たことを伝えろって。この役目は、俺じゃなくて園長がやったんだけどな。アンズちゃんには、園長の傍で仕事を手伝って貰っていたからな。最近、そうやって二人でいる事が多いんだ。何かあるのか?」
 やっぱりじいちゃんか。
 キョウさんが四天王になって、この町からいなくなる。その後釜であるアンズちゃんに、色々教えていたのだろう。
「アンズちゃんは、しっかり僕のところに来たよ」
「何故キョウさんに負けてからなんだ? お前に懐いていたし、早く伝えてあげれば良かったのに」
「さあ……何でだろう」
 キョウさんに負けた僕は、意味深な事を言われて途方に暮れていた。僕を圧倒的な力で負かしたキョウさんの後をアンズちゃんが継ぐと聞いて、素直に動揺した事も事実だ。
 重荷を背負って、一歩を踏み出したアンズちゃんの言葉を、僕は聞き入っていた。
 それに、アンズちゃんのあのきらきらとした笑顔だけは、誰にも教えたくなかった。
「まだあるのか?」
「後は、さっきの件だ」
 突拍子もなく思いついた事だろうが、きっとじいちゃんの想定より、僕には影響があった。
「なあ、じいちゃんはケンゴ君の事、元から知っていたか?」
「多分、知っていたと思う。やたら彼の事について詳しかったし」
 それじゃあ、ケンゴ君の目論見や才能にも、ある程度気づいていたんだろう。彼の野望まで知っていたかどうかはわからないが、僕に彼へのアドバイスを指示した事から考えても、知っていたのかもしれない。
「結局、何だったんだ? どうしてわざわざケン坊があの子にアドバイスをする必要があったんだ?」
「僕が、何もアドバイス出来ないだろうと思っていたからさ」
「はあ?」
 ガンちゃんは何がなんだか、という顔だ。
「目を覚ませって事だよ。じいちゃんの後を継ぐ事にびびって、胡麻化して、嘘ついて、本気でもないバッジ集めの旅なんてやめておけって、分かれって事かな。ケンゴ君の本気さを目の当たりにしたら、恥ずかしくなっちゃったよ」
 ガンちゃんは僕の言葉を聞いて、驚きと嬉しさが混じったような、何とも言えない表情で近寄って来て、僕の両肩を掴んだ。
「お、おい。ケン坊、それって」
「ああ、セキチクに戻るよ」
「やっとかよお! 遅いぜ本当!」
 両手を叩いて喜ぶガンちゃんに、僕の方が照れくさくなってしまう。
「もしかして、全部ケン坊を呼び戻すための指示だったって事か?」
「多分ね。今までの指示で何も変わらなくても、じいちゃんはきっとあの手この手を打ってきたはずだよ」
「あの人のする事はよく分かんねえなあ。そんな回りくどい事をしないと駄目だったのか?」
「駄目だったんだろうね。出来損ないの孫だから」
 冗談、と笑ったガンちゃんだったが、出来損ないなのはその通りだ。今だって、じいちゃんの後を継げる自信なんてない。
 でも、大きい事を言い切ったケンゴ君の言葉が、僕を後押ししている。年齢なんて関係ない。才能なんて関係ない。時間をかけて成長して、チャンスを掴めば、僕にだって出来るのかもしれない。
 小さい頃からじいちゃんに叩き込まれて培ってきたものがある。まずは自分を、信じてもいいんじゃないかと思う。
「それにね、サファリに来るケンゴ君みたいな子を応援したくなったっていうのは、今の正直な気持ち。僕のやる気は、今そこに向いてるのかも」
 いいじゃん、とガンちゃんは笑っていた。僕も、久しぶりに心から笑えた気がする。
「じゃあもう、バッジ集めはやめるんだな?」
「いや、セキチクだけはなんとか取りたいから、もう少しだけ頑張るよ」
 ゴーリキー、ゴースト、ナッシー。あの三匹のやる気を、リベンジを、無碍にする事なんて出来ない。それに、皆がまだジム制覇やバトルをする事を望むなら、その通りにしてやりたい。
 バッジ集めは僕だけでやってきた事ではないから、彼らの意思は、尊重したかった。
「そっか。そうだよな。負けっぱなしっていうのも、後味悪いしな」
 ガンちゃんとすっかり仲良く話し込んでいるが、僕にはもう一つ話して置かなければならない事があった。
 サキの事だ。
 僕は、彼女の気持ちを知っていた。将来が怖くて、サキに甘えて、三年間逃げて来たのは事実。今更どの面下げて、と言われるかもしれない。
「ガンちゃん。サキの事、なんだけど」
「サキ? ああ、この前の話か?」
 そんな話もあったなとばかりに、あっけらかんとした顔で、ガンちゃんは続ける。
「あのなケン坊。お前がこの三年間外をほっつき歩いている間、ずっとサキを見ていたんだ。その俺が断言出来る。俺には勝ち目がない」
「え、だ、だってガンちゃんこの前……」
「せっかく帰って来たっていうのにお前がサキを泣かすもんだから、そんなんだったら俺にもチャンスがあるかもって思ったんだけどな。あのバカもう逃がさんって、お前の事になるとやっぱりサキは引かないから、こりゃ無理だって思ったよ。それに、ケン坊だったら俺も許せる。落ち着くとこに落ち着いたって話さ。もうぐずぐずすんな。待ってるぞあいつは」 
 気付いたら立ち上がり、ごめんと言い残して部屋を飛び出していた。「しっかりなー!」というガンちゃんの声が、ケンゴ君に続いて僕の背中を押した。
 空いてしまった時間を埋めるには、何を話せばいいんだろう。どこから話せばいいんだろう。
 でもまずは、僕の身勝手さを謝ろうと思う。
 今日は休日。サキは家に、いるだろうか。

[十三]

「ファファファ。ケン坊、良い顔になった。これで少しはまともな試合になるかな?」
 熱い夏が続いていた。セキチクシティに石竹の花が見られなくなった頃、僕は再びセキチクジムへ挑戦した。
「キョウさん。僕にとってはピンクバッジがゴールになります。三年間の経験、いや、僕の二十一年間を全てここにぶつけますから、今回はジム戦として、頼みますよ」
「善処しよう」
 手心はあまり望めないかもしれない。「キョウ君にぶん殴られてもわしは助けないからな」と、意地悪く言ったじいちゃんの顔が、僕の頭には思い浮かんだ。
  
【おわり】

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