先輩と後輩

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作者:雪椿
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読了時間目安:25分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

「自分らしさ」って、誰が決めているんだ?
 後輩からアローラ地方で見つけたロコンを貰って欲しい、と言われた。本当は自分で育てられたらよかったのだが、既に多くのポケモンを育てているので色々な意味で余裕がないらしい。
 「おや」に見つかった時が怖いけど、そこは上手く隠せばいいか。前に行った時に見た後輩の家の惨状はよく覚えていたこともあり、僕はすぐにオーケーを出した。
『先輩、ちーっす。ちょっと前に話したロコンをお届けに来ましたよ?』
 僕が部屋で作業をしていると、後輩の声が後ろから聞こえた。ドアをノックする音やチャイムの音を聞いた記憶はない。どうやら勝手に入ってきたらしい。
『このご時世、玄関のドアに鍵をかけていないって危険じゃないっすか? ……おーい、先輩。聞こえています?』
 キリのいいところで振り向こうと思っていると、本気で心配しているのかそうじゃないのか、どうにも判断しづらい声のトーンで肩を叩かれる。自分に注意を向けさせるためなのか、叩く力が強くて地味に痛い。
 もう少し続けたかったところだけど、仕方がない。一旦作業を中断すると、僕は首を軽く動かした。赤く長い髪と狐の顔が目に入る。
「聞こえているよ……。お前こそ、その恰好で出歩くのは危ないんじゃないか?」
 後輩の姿をじろじろ見ながら指摘すると、『オレには特殊能力があるから平気っす』と語尾に音符がつきそうなテンションで返される。事実、これでも何かあったという報告はないから嘘ではないのだろう。
「それで、その子が?」
 指を向けるのは失礼かなと思いながら、後輩が抱っこしている一匹の白い子狐を指す。後輩は『見ればわかるでしょ~?』とやや苛立ちを覚える態度で正解を告げると、ロコンをそっと床に下ろした。
 ロコンは僕がこれからの主に相応しいかを確かめるかのように、じっと空色の目でこちらを見ている。アローラでは僕達の知るポケモンの一部の姿やタイプが違うと聞いていたけれど、それはどうやら本当のようだった。
 くるんとした巻き毛はふわりと巻かれており、尻尾もふわふわとしているように見える。色も温かみを感じるものではなく、どこかひんやりとした印象を覚える色合いだった。これだとキュウコンになっても同じような感じなのだろう。
 実際に触って違いを確かめたいけど、ロコンは手が届くまで後一歩という微妙な距離を保っている。無理に触って怖がらせてもいけないし、自分から来ようとしてくれるまで待った方がいいだろう。
 そんなロコンを連れてきた後輩はというと、僕が作っていたものを何かおかしなものを見るような目で眺めている。
『先輩、何すか? これ』
「……オボンで作ったピカチュウ。まだ途中だけど」
 僕の回答を聞くと、後輩は『いや、それは見ればわかるんすけど……』と何か言いたげにオボンのピカチュウを見る。オレンで作ったナゾノクサやナナシで作ったピチューを見た時も似たような反応をしていたな、コイツ。
「次はクラボでアブソルを作ってみようかな、って思うんだ。形にするのに必要な数と加工を考えると少し大変そうだけど、やりごたえはありそうだし」
 頭の中に浮かんでいる完成図と共に次の予定を言うと、後輩は完全に変人を見る目を向けてくる。
『……モモンのチェリムを見た時からずっと思っていたんすけど、先輩才能を無駄遣いしていません!? 木の実からあんなリアルなポケモン達を作れるのは凄いっす、尊敬するっす。でも、かなりもったいない気がしてならないっす!!』
 ぶんぶんと腕を振り回しながら、後輩は言葉を投げつける。顔が一目でわかるくらい真っ赤になっていて、本当にそう思っていることが伝わってきた。
「言いたいことはわかるけど、これはあくまで趣味なんだ。趣味に才能を使ってもいいだろう?」
『趣味で終わっていることが問題なんすよ。芸術家か何かになる気はないんすか? 先輩ならきっと有名になりますよ?』
 多くの人間の口から降って来たセリフに、僕は知らないうちに小さな笑いを零していた。いつもならありきたりな理由を返すけど、後輩であれば偽る理由はない。

「残念ながら、それは無理だよ。『月見里 史人(やまなし ふみと)』は、そんな未来を歩んではいけないんだ」

 声に潜む影に気づいた後輩は、今は仕事に行っている父さんの名前を呟いて忌々しげに舌打ちをする。後輩のそんな態度は初めて見たのか、じっとこちらを見続けるだけだったロコンが怯えた表情で僕に駆け寄ってきた。
 ひんやりとした感覚が腕や背中に伝わる中、僕は後輩に鋭い視線を向ける。
「あんなでも、あの人は僕の『おや』で『名前』をくれた人なんだ。気持ちはわかるけど、抑えてくれないか」
 言葉に生えた棘は、隠されることなく後輩に刺さってしまったらしい。申し訳ない表情を浮かべた後輩は、少ない言葉と共に出て行ってしまった。
 まだ戸惑いの中にいるロコンをそっと撫でると、僕はややくすんだ色の天井を見上げた。

*****

 ポケモンにとって「おや」と「名前」は絶対的な存在だ。特に「名前」は「おや」がいなくなった後もそのポケモンを縛り付ける。「名前」さえ付けてしまえば、ポケモンは人間に逆らえない。特殊な手続きをしない限り、一度貰った「名前」は変えられない。
 人間に支配されたくないポケモンは、自分で自分に名前を付ける。思いつかない場合は仲間と一緒に考えてつける。後輩――いや、紅(こう)もその一匹だった。彼女は我が道を進むタイプで、お得意の幻影を駆使して数多くのポケモンと家に住むことに成功している。
 彼女は名前で呼んで欲しいようだったけど、僕はあることからずっと「後輩」呼びしている。僕から見ての「後輩」は星の数ほどいるけど、実際にそう呼んでいるのは彼女だけだから支障はない。
 気を紛らわすようにロコンと遊び倒した僕は、遅めの昼食を買うため外へ出た。様々な人間やポケモンが行きかう道をすり抜けていくと、広場に人だかりができているのが見える。スピーカーから始まりが近いことを告げる声が響いた。
 何が行われるのか、大体予想はできていた。できれば通りたくなかったけど、目的のものを買うにはどうしてもそこを通過しなくてはいけない。遠回りする、という方法もあったものの、それをすると昼食が夕食になる危険性があった。
 なるべく駆け足で通り過ぎようとすると、苦しげな声が耳に入り込んでくる。途切れ途切れに入ってくるそれは、無視するには心の体力が持たなかった。錆びついた金属と化した首を動かすと、人間の間から「原因」が目に入ってくる。
 それはキリキザンだった。暴れてもすぐには切れない特殊な縄で縛られ、合図と共に刃を削られている。黒板をひっかくような、僕には耐え難い悲鳴が鼓膜に突き刺さった。
 助けたいけど、僕では助けられない。これを行っている人間に何か言っても、力づくで追い出されてしまうだろう。僕ができたのは、小さく謝り続けながらその場から走り去ることだけだった。
走って、走って、走り続けて。広場から、悲鳴から離れたのを疲労と音で確認すると、僕は近くのベンチに座り込んだ。
 僕の影を映すアスファルトを眺めていると、首筋から冷気を感じる。
「ひゃあ!?」
 らしくない悲鳴を上げると、目の前にペットボトルのコーラが現れる。視線を上げると、そこにはきちんと人間の女性に変身した後輩の姿があった。化けた姿は何度か見たことがあるから、間違えることはない。
 コーラを持っていない方の手にはトゥーペソーダのペットボトルが握られている。両手にペットボトルを持っている後輩は、遠目だとマラカスでも持っているようでどこか滑稽に見えた。
「先輩、そんな雨雲を食べたような顔してどうしたんすか? コーラでも飲んで気分転換しましょ?」
「…………」
 あの反応からお互い気まずくなってしばらく会えない、なんてことになるのではなかろうか。なんて思っていたけれど、その心配は必要のないものだったようだ。呆れながらもどこか安心を覚えた僕は、コーラを受け取りながら一つ文句を言う。
「雨雲を食べたようってな……。お前は雨雲を食べたことあんのか? あと、炭酸系苦手じゃなかったっけ?」
「あ~、ないっすね。そもそも、雨雲は食べ物じゃありませんし。で、これは間違えたんですよ。普通のトゥーペかと思ったら炭酸だったという笑える失敗っす」
「買う前に確認しとけよ……」
「喉が渇いていてちょうどトゥーペが飲みたかったから、見かけた時興奮のままに買ってしまったんすよ!! ソーダだったのならわかりやすくデカデカと書いて欲しいっす……」
「いや、結構でかく書いてあるだろ……」
 それからしばらく炭酸についてのトークバトルを繰り広げた後、後輩はある方向――広場がある場所――に視線を向ける。
「先輩が暗かったのは、アレですよね? ――キリキザンが、公開処刑されたこと」
 言いづらそうに言葉を出す後輩に、僕は無言で肯定を示した。この町全体、いやこの地方では「ポケモンはそれぞれのタイプらしく人間と暮らす」ことをモットーとしている。
 炎タイプはキッチンの炎代わりとして、氷タイプは冷蔵庫代わりとして……、ポケモンは「人間にとって」それらしい生活を求められる。タイプによって生き方を強制されるのだから、ポケモン達にとって苦痛以外の何者でもない。
 特に草タイプの「植物らしく森や草原で光合成をする」やフェアリータイプの「妖精らしく」するは酷い。前者は暇という檻に囚われることになるし、後者は訳がわからない。何だよ、妖精らしくって。ポケモン以外で妖精見たことあんのか。
 その中で変わっているのは悪タイプとノーマルタイプだ。悪タイプは存在すらタブーとされ、見つかり次第キリキザンのように「公開処刑」されてしまう。キリキザンは鋼タイプでもあるから、削られた金属は包丁などになるのだろう。
 悪タイプを公開で処刑して、複合タイプだったらちゃっかり利用する。悪タイプを娯楽と勘違いしている気しかしなくて、考えただけで反吐が出そうだ。思考に応えるように飲んだコーラが暴れ回るのを感じて、慌てて思考を切り替える。
 ノーマルタイプは普通であることを求められる。一見他のタイプと比べたら随分と自由そうに見えるが、この普通が曲者だ。何たって、ポケモンにとっての「普通」ではなく人間にとっての「普通」が適用されるのだから。
 そんな「普通」を求められるノーマルタイプの中で、メタモンだけは特殊な扱いを受ける。メタモンは何にでもなれる。それ故、メタモンは「おや」が希望する姿で生きることを求められる。「おや」が希望する姿、生活さえしていれば、他は完全に自由だった。
 僕もその一匹だ。普通、いや人間から言えば色違いだった僕は、ある日うっかり捕まって「月見里 史人」として生きることになった。僕が僕になったことを知った後輩は、どうやったのか住所を特定して化けた姿で怒鳴り込んできた。あれは一種のホラーだった。
 僕はそんな後輩が誇らしくもあり、申し訳なくもあった。彼女は僕が捕まった原因は自分にもあると考えているようだけど、それは違う。全部、僕が悪いんだ。僕がしっかりしていれば、ボクと紅は――。
 思考の渦に巻き込まれて現実から離れようとしているボク、いや僕を、後輩の優しい声が引き戻す。
「……先輩、オレ達のことを心配してくれるのは嬉しいっす。でも、あんま思いつめちゃダメですよ? いつも先輩らしくしようとせずに、たまには後輩を見習うことをオススメするっす」
「……お前は我が道を行きすぎなんだよ」
 そう言葉を零す間に、後輩は苦戦の結果空となったペットボトルと共に去っていった。僕は温くなったコーラを少しずつ飲んで空にすると、わざと遠回りの道を選んで帰った。予定していた昼食を買って帰る気にはなれなかった。

*****

 それから普通の日々が過ぎる中、父さんが町長に立候補して他の人間と競い合うことがわかった。もしかしたら、この地方の普通をこの町だけでも帰ることができるかもしれない。淡い期待を抱いた僕は、準備に忙しそうな背中に声をかけた。

「父さん。僕、ずっと思っていたことがあるんだ。この町、いや、この地方では『ポケモンはそのタイプらしく生きること』をモットーとしているよね? でも、それはあくまでも『人間』にとってのことだ。ポケモンはそのことに不満を持っている。だから――」

 父さんがそれを変えるきっかけになって欲しい、そう続けた直後に飛んできたのは、顔を真っ赤にした父さんの怒鳴り声だった。
「史人。お前は今まで誰に育てて貰ったと思っているんだ? 父親にそんな生意気な口を聞くなんて――貴様は一体何様のつもりだ!?」
 何様呼ばわりされるようなことを言ったつもりはない。僕はお前に育てて貰ったわけじゃない。お前は僕の父親じゃない。僕は僕だ。
 でも、「月見里 史人」はこいつとあの人間に育てて貰った。「月見里 史人」は彼らの子供として認識されている。彼らの前では、僕は僕ではいられない。目の表面に張られた悔しさの膜が流れ落ちるのを感じながら、震える声を絞り出した。
「ごめんなさい、父さん……」
 その言葉を聞くと、父さんは舌打ちをしてから出て行った。姿が見えなくなってから、僕も舌打ちをした。
 この感情をどうにかしたくて、僕は外に出た。ロコンの好きな木の実でも買って帰れば、僕はすぐにでも癒されるだろう。まだ嫌な記憶が残るあの広場の前を通ると、父さんが大勢の人間に対して何かを話しているのが見えた。
 早く通り過ぎたくて、早歩きを始めた時。拡声器によって広げられた声が耳に届く。

『私はずっと思っていたことがあります。この町、いえ、この地方では『ポケモンはそのタイプらしく生きること』をモットーとしていますよね? しかし、それはあくまでも『私達』にとってのことです。ポケモンはどうでしょうか? もしかしたら、そのことに不満を持っているかもしれません。 なので――』

 父さんが言っていることが、さっき僕が言っていたこととよく似ている。いや、僕の言葉を少しだけ変えて、ほとんどそのまま使っている。その事実を頭が理解した時、僕はとてつもないレベルの吐き気に襲われて近くの公園へと走り出した。
「……くそっ!」
 公園で怒りや不満を吐き出した後、木の実を買う元気すら失せた僕は残りカスのような怒りを吐きながら家へと急いだ。ロコンはどうしているだろうか。あの狭い部屋で一匹寂しく待っている光景を想像すると、胸が締め付けられる。早く抱っこして安心させないと……!
 靴を適当に揃えて家に上がり、ロコンがいる部屋を開ける。その途端、とんでもない量の冷気が僕を襲った。
「…………え?」
 真っ先に視界に飛び込んできたもの。それはロコンが氷の繭の中で眠っている光景だった。お腹の部分を見ても、動いている気配はない。すう、と背筋が冷たくなっていく中、ロコンの隣にいた母さんが彼女を見て寒そうにしながら舌打ちをする。
 ロコンを蹴ろうとでもしたのだろうか。一歩足を踏み出した時、僕に気が付いたのか視線をこちらに寄越した。
「あら、史人。ダメじゃない? 氷タイプは氷タイプらしくさせないと。でも、ダメね。この子は『使えなかった』みたい。試しにあなたの部屋にあったカゴの実やチーゴの実を凍らせてみようとしたけど、このザマよ。後で回収して貰わなくちゃ。
ああ、あと史人。木の実の無駄遣いはしちゃダメって言ったじゃない。あのゴミは母さんがちゃんと袋に詰めて――」
 気が付くと、母さんは部屋の隅で震えていた。寒いのであれば、僕の様子を窺うような視線を寄越したりしない。何かをした記憶はないけど、やけに体が疲れていることを考えると何かに変身したのは確かだろう。
途切れることなく降ってくる視線から逃れるように、僕は再び家を出た。ロコンはどうするか少し悩んだ結果、そのままにしておいた。
 普段は歩かない道を歩いていると、どこからともなく後輩が現れた。まるで背景から滲み出たかのような現れ方で、これは僕じゃなくても悲鳴を上げると思う。逆に悲鳴を上げない人がいるのならば、なぜ平気だったかを詳しく聞きたい。
『いつもとは違う方向で散歩を楽しんでいたんすけど、暗い、暗~い先輩を見かけて出てきちゃいました。……一体どうしたんですか?』
 いつもの調子を混ぜながらもこちらを心配してくれる後輩に、僕はぶつけようのない思いを吐き出した。全てを聞き終わった後輩は『ロコンちゃん……』と泣きそうな顔をした後に鋭い目を向ける。
『何で、ロコンちゃんを連れ出さなかったんすか!? ――やっぱり、先輩、いや先輩達メタモンにとってそれはよくあることだからっすか?』
 こちらを責めるような、憐れむような視線を受けながらコクリと頷く。この地方のメタモンは「何度でも利用できるように」と夥しい実験をされた結果、相手から致命傷でも貰わない限りは生き続ける、不死に近い状態になったと聞いたことがある。
 その証拠に、僕は数えきれないほどの別れを経験していた。僕にとって、別れはそれほど衝撃を受ける出来事ではなくなっていた。もちろん落ち込んだり悲しんだりはするけど、後輩が考えるほどのショックは受けないだろう。
『先輩がそうなったのは先輩が原因じゃないから、これ以上は何も言いません。なので話を変えますね。先輩、気分転換に一度くらいは「自分らしく」振る舞ったらどうっすか? ずっと演じていると、息が詰まると思うんすよ』
 自分らしく。その言葉を聞いて、僕は困り果ててしまった。僕らしく? 僕はもう十分なまでに僕らしく振る舞っている。なのに、どうやってこれ以上自分らしく振る舞えというのだろう。
 僕が困っているのを見て、何か言い忘れたと思ったのだろうか。後輩は慌てた様子で言葉を続ける。
『あ、違うっす! 先輩が先輩らしくって言ったのは、「月見里 史人」じゃない方で、という意味っすよ!!』
 どうやら後輩は本当の僕らしく、という意味で言ったようだ。本当の僕。……本当の、ボク? ボクらしいって、一体何なのだろう。僕がボクとして生きていた頃は、そんなこと考えたことなかった。
『……まあ、すぐに自分らしくしろと言うのも難しいっすよね。今日はオレ帰りますね。先輩の趣味、また見てみたいんで!』
 僕が悩みに悩んでいる間に、後輩はそう言って再び景色に溶け込んでしまった。耳を澄ますと足音が聞こえることから、本当に帰るのだろう。ずっと立っていたため少しだけ動かすのが面倒になっていた足を動かすと、誰もいない道をゆっくりと歩いていった。
 家に帰るのは、今よりももっとずっと暗くなってからでいいだろう。

*****

 ロコンが消えた日から僕は父さんや母さんと距離を置くようになり、二人は以前とは違った視線をこちらに向けるようになった。その日から頭のどこかで「おや」の機嫌を取れという命令が下り続けている。お前はその「名前」を与えられたのだからと。
 でも、それだと他のポケモンのように「おや」がいなくなった後も「名前」に縛られ、他の人間に頼ってもそれから解放されることなく悪夢の中で終わってしまう。あえて命令に気付いていないフリをしたまま、散歩のために家を出た。
 ただ心を空っぽにして道を歩いていると、複数の人間がある方向に向かってを走っているのを見かけた。僕の記憶が正しければ、あの先にあるのは後輩の家と森だけのはず。森で何かあったのだろうか。それとも――。
 嫌な想像が脳裏を過ぎった直後、走っている人間達の中では珍しく歩いている二人組の会話が耳に飛び込んでくる。
「おい、聞いたか? この先の家に監禁されていたポケモン達の里親を募集しているんだってよ」
「ああ、聞いた。そのポケモン達を監禁していたのは一匹のゾロアーク。最初はいつものような流れでやる予定だったらしいが、あまりにも抵抗するもんだからその場でやったらしいぜ。キリキザン以降全然見ていないから、チャンスだと思ったんだが……」
「マジかよ。じゃあそこでポケモンを貰うことになるのか? ちょっと抵抗あるな……」
「いや、耐性がないやつのことを考えて森の中でやるらしい。本当はちゃんとした会場でやる予定だったようだが、家から離れすぎるとポケモン達が暴れ回るからそこでやるって聞いたな――」
 そこからの話はよく覚えていない。気が付くと、僕は後輩の家の前に立っていた。強引に開けられたのだろうか。本来ドアがあるべき玄関にドアはなく、ひしゃげた何かが近くを転がっていた。
 震える足で中に入ると、どこかから甘い匂いがした。いい匂いではあったものの、なぜか不快感を覚えて少しだけ鼻をつまむ。彼女や、彼女と共に住んでいたポケモン達はかなり抵抗したのだろう。あちこちにひっかき傷や壊れた部分が見えた。
 荒れた廊下を進み、部屋を開けると匂いが強くなった。果実とは違う臭いが混ざっていることに気が付き、恐る恐る臭いが漂ってくる方向に歩みを進める。
「…………っ!」
 視界に飛び込んできたのは、一面に広がる紅い華。虚ろな目。散らばる赤い髪。力なく投げ出された四肢。多くの潰れた果実や木の実。匂いが、臭いが鼻にこびりついて取れない。二つの「におい」が胃の中をかき混ぜる。胃には何も入っていなかった。
 なあ、お前はお得意の幻影があるから、こういう場合でも平気じゃなかったのかよ。どうしてバレたんだ? うっかりやらかしたのか? それとも人間達が前から目を付けていたのか? 何度疑問を呟いてみても、答えは返ってこない。
 しばらくして、彼女の近くにぐしゃぐしゃに丸められた紙が落ちていることに気が付いた。普段であれば気にしないが、なぜか気になって仕方がない。紙を伸ばしていくと、そこには楽しそうな雰囲気が伝わってくる文章が綴られているのが見えた。

《今日は先輩こと蒼(そう)さんのために、たくさんの木の実や果物を用意してみました! 蒼さん、桃とか好きですよね? 今は我慢しているようですけど、オレと同じで可愛いものや甘いもの好きでしたから合っていますよね!
蒼さんが知っている通り、今日はオレが紅になった日なんですよ。ソーダとコーラのやり取りは今でも覚えています。本当は蒼さんも蒼さんになった日になる予定だったんですけど……世の中何があるかわかりませんね。
まあ、そんな暗いことは忘れて今日は皆でパーッと騒ぎましょう! え、騒ぐつもりはないって? オレ達が絶対騒がせるのでご心配なく! 日付が変わるまで騒ぐつもりなので、覚悟しておいて下さいよ?》

 その先にも何か書かれているようだが、インクが滲んでいて読み取れない。「今日」がいつなのかはわからないが、きっといつものように突然目の前に現れて家に誘うつもりだったのだろう。
 直接会えるのに何でわざわざ手紙なんだよ。後輩――いや、もう名前でも呼んでもいいだろう――紅にはそこのところを聞いてみたかった。きっと想像を超えるような回答を得られただろう。
 それにしても、紅はずっと覚えていたのか。あの『僕は青いからソーダで、お前は赤と黒だからコーラだな!』というやり取りを。今更だけど、あの時もトゥーペソーダを買っていたよな、お前は。
「……ははっ」
 こう思い出してくると、罰当たりだと思いつつも笑いが込み上げてしまう。これは紅だから成せる業だろう。
 ああ、でも。それでも。僕は今日、また親友を失ってしまった。慣れ親しんだ悲しみが心を染めていき、いつもの喪失感が目の前の世界を覆い始める。別れには慣れているものの、知らないうちに心が疲れていたのだろうか。「僕」を形作っていた嘘が、それこそ嘘のようにするすると溶けていくのがわかった。
 久々に見る自分の手足らしき部分を見ながら、考える。これは紅が今こそ自分らしく生きるべきだ、と言っているのだろうか。ああなってしまっても紅は紅だとわかり、乾いた笑いが零れた。
 せっかく紅はこう言ってくれているのに、肝心のボクはどうだろうか。形だけは自分らしいけど、中身は自分らしくできていない気がする。そもそも、自分らしいってどういうことを表すんだ?
 ボクがボクらしいと思っていても、周りから見たらボクらしくないと言われることは多々あった。かといって周りが思う「らしさ」をやっても、やっぱり誰かからどこか違うと言われる。
 ポケモンのタイプに対してもそうだ。「自分」のことなのに、それについて決めているのはほとんどが「周り」という現実がある。それだと、本当の「自分らしさ」とは言えないんじゃないのか?

 なあ、紅。こんなボクにもわかるように、教えてくれ。いつもの調子で、あの声で教えてくれよ。

『――自分らしさって、何なんだよ』


「先輩と後輩」 終わり
トゥーペは現実にも存在するあの飲料のことです。ぼかそうとしたら完全にモデルがわからなくなってしまいました……(伏字を入れていても書いていいのかわからなかったので、ここでもぼかしています。すみません……)。

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