四時姫

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「午前四時というのは、デリケートな時間なんです」
 生真面目な印象を与える人で、素の表情は険しくもみえる。取材相手の雅代さんは、この町で小さな花屋を営んでいるという女性だ。ここソノオタウンはシンオウ地方でも有数の花の名所で、花屋の数も多い。
「人間でいうところの赤ん坊でしょうか。生まれてまだ間もなく、自我が確立していない。それが四時です」
 昼間にしては珍しいことに、ポケモンセンターのカフェスペースには私たち二人しかいなかった。海を越えたはるか遠くのアローラ地方を真似て最近改装されたという建物の中にはカフェやショップも入っている。私はコーヒーを、雅代さんはローズヒップティーを飲んでいる。室内は町のイメージに合わせているのかアロマが漂っていたが、日ごろ親しみのない私にはややきつい。それに加えて香りの強いお茶が目の前にある。雅代さんは平気なのだろうか。
「あの、記者さん。お話、聞いていらっしゃる?」
 怪訝な顔をして、雅代さんがほとんど睨んでいた。あ、ええ、はい、と慌てて返事をする。
「午前四時は生まれたばかりの赤ん坊……ですか。それはつまり、日付が変わってからそう経っていない時間だと、そういう意味ですか?」
「いいえ、違います」
 想定していた反応だったのだろう。私の質問に、まるで用意していたかのように雅代さんは返し、続けた。
「たとえば午前一時や二時は、自分が真夜中であることを知っています。ですが四時には、そのような自覚がありません」
 雅代さんの話す一語一句を、難しい本をじっくりと読み返すように頭の中で反芻しながら整理する。
「四時の、夜としての自覚、ですか」
 そしてなんとかきちんとした相槌を打ったつもりだったが、言ってしまってから、私は自分の失言に気がついた。雅代さんが咳払いをした。
「私たち朝派は、四時には朝としての自覚を持ってほしいのですけどね」
 急いで、失礼しましたと謝る。そうだ、雅代さんは「朝派」だったのだ。
「午前四時に、あなたは朝なのだと教えてあげること――夜派の方々は夜だと主張していますけど――それが、私たち四時姫の役目です」
 なるほどと頷きながらゆっくりとコーヒーを啜る。私のこの態度が偽りで、それを見抜いているとでもいうような目で、雅代さんはこちらを見ている。
 四時の自覚、朝を教える、四時姫……。
 ちょっと何を言っているかわからない。



 ソノオタウンでは今、四時姫という団体が活動している――活動そのものを四時姫と呼んでいる感じもある。この「四時姫」の記事を書くのが、私がインターネットで応募して得た仕事だった。それまで四時姫という言葉すらまったく聞いたことがなかったが、一記事一万円、交通費宿泊代別途支給とあり、正直なところタダでシンオウまで行けることに惹かれたのだった。最悪ネットで調べれば最低字数は稼げるとも思っていた。
 午前四時は、朝なのか。夜なのか。
 それをハッキリさせるのが活動の趣旨だという。定期的に、午前四時にソノオの花畑に集まって朝派と夜派で戦っているのだそうだ。そんな大まかな話を聞いて、私は雅代さんと別れた。彼女の話の大半が理解できず、思った以上に消耗していた。そのままホテルに、いっそカントーに帰りたい気持ちでいっぱいだったが、この後もう一人、取材の約束があった。四時姫の夜派の人である。
 その人との待ち合わせ場所はフラワーショップ「いろとりどり」。ソノオタウンにある花屋の中でも特に大きくて有名な店舗だ。花屋でありながら最近喫茶店も始めたこの店は、屋号の通り色とりどりのきのみを使ったドリンクやスイーツが人気である。私も一度来てみたいと思っていた。仕事のことを思うと百パーセントとはいえないが少しは気分が上がってくる。話しやすい人が来てくれるといいなと思う。
 店内はポケモンセンターのアロマとは違い、生きた本物の花の、爽やかでみずみずしい香りに包まれていた。いかにも花の町ソノオの花屋といったふうで、洗練された感じがあって心地いい。
 席に着いて待っていると、私のテーブルにさも当然という顔で女の人が座ってきて驚いた。見れば、つい今しがた別れたはずの雅代さんだった。
「あれ、雅代さん……?」
「岸田です」
 岸田というのは、今まさに私が待っていた夜派の人の名前だった。
「え、あの、雅代さんですよね。さっきもお会いした――」
「岸田です」
「岸田雅代さん?」
「き、し、だ、です」
 それ以上問い質すのは憚られた。「き」や「し」がこんなにも鋭利な音だとは知らなかった。岸田さんからはそんな気迫めいたものが感じられた。なんだか一気に、ポケモンセンターにいたときのテンションに戻ってしまった。

 ケーキと飲み物を注文してから、私は無難な言葉を選んで投げかけてみる。
「岸田さんは、四時姫の夜派の方、なんですよね?」
「ええ」
「どうして、四時は夜なのでしょうか」
 はじめから仏頂面だった岸田さんだが、私の質問に彼女は眉間のしわをより深く濃く刻んだ。
「午前四時はまだ、眠るべき時間だからです」
「眠るべき時間」
「あなただってそうでしょう? 失礼ですけど、いつも何時に起きていらっしゃるの」
「え、えっとですね。ああ……七時くらいです」
 本当は八時に起きられれば早いほうだが、自堕落な生活をしている人間だと思われるのは仕事的にもよくないと思い、そんなふうに答える。だがそれでも岸田さんはフンと鼻で息を吐き不機嫌そうに腕を組んだ。そこで店員がケーキを運んできた。
 熟したモモンと干したオレン、それにヨーグルトを加えたミックスジュースと、宝石のように紅く照り輝くこまかなヒメリのみが大量に盛られたタルトが私の分。表面がはちみつ色にとろけたチーズケーキが岸田さん。それから、一度ひっこんで再度やってきた店員が岸田さんの前に置いたのは、透き通ったカモミールティーだった。またハーブのお茶。お腹は大丈夫だろうかといらない心配がよぎる。
「時間に意識があるという考え方は、なんだか独特ですよね」
 沈黙に耐えかねて言葉が勝手に口をついて出てくる。気分を害さないよう慎重にとは思うものの、考えて話そうとしてもどうせダメだろうとも思う。私はそんなに器用じゃない。
「シンオウ地方は、時間を司るポケモンの伝説があるそうですね。それと関係があったりするんでしょうか」
「……知りませんけど」
 取りつく島もない。
 四時姫の活動については朝派の雅代さんに大方聞いてしまっていたし、これ以上何か質問するのも億劫な気分になっていた。
 結局その後は二人とも黙々とケーキと飲み物を消費するだけだった。ミックスジュースもタルトもとても美味しかった。けれども岸田さんがいなければもっともっと美味しかったに違いない。



 ホテルに戻り、原稿と向き合ってはみたものの、まったく書ける気がしなかった。二つある派閥のどちらからも同じ人が来るなんて意味不明だし、そもそも四時姫そのものがよくわからない。軽い気持ちで応募しただけの素人には難題が過ぎる。ネットの情報も皆無だ。零時を回ったところで諦めて寝た。九時間でも十時間でも眠ってしまおうと思っていたのに、目が覚めたのは四時だった。午前四時なんて早すぎる。普通じゃ考えられない時間で私は心底驚いた。心配事があると人は起きてしまうものなのだ。
 せっかくなので花畑に行ってみることにした。午前四時に起きていられるとは思っていなかったので、本当は、四時姫の活動の現場を見ることははじめから諦めていたのだ。
 雅代さんから聞いた話では、この日、この時間、ソノオの花畑で四時姫たちが朝派と夜派に分かれて戦っているはずだった。しかし真っ暗な中、花畑に近づいていっても、争うような物音どころか人の気配すら感じられなかった。どこまでも静かで、暗くて、空気は澄み切っていた。
 自分の足音だけを聞きながら、木々に囲まれた花畑に入っていく。夜闇の中、ひらけたところにようやく一人、花畑に座り込む人影らしきものを見つけたところで、――目の前が一気に真っ白になった。
 朝だった。
 突如この空間だけに朝が訪れた。見えない窓から朝陽が差し込むように光のカーテンが膨らんで、花畑を照らしていく。照らされたその部分だけ、生きた色彩が咲いていく。夜のあいだ花びらを閉じて眠っていた花々が一斉に起き出し、花開く。
 花畑の中心に座っていたのは雅代さんだった。すぐそばにはアゲハントが一匹羽ばたいている。アゲハントは次々と「窓」を増やして、朝の陽射で花を起こしていた。まさに、午前四時に、朝を告げていた。四時を、朝たらしめんとしていた。
 雅代さんの元から飛び立つ影があった。こちらはドクケイルだった。
 ドクケイルはアゲハントの生み出した窓よりも高い位置まで上昇し、小さな「月」を作った。月から不思議な黒い幕が降りてくる。幕は、光だった。漆黒の光は、夜の色。ドクケイルの月の光はまるで上書きでもするみたいに朝の色を闇で塗り潰していく。優しく包み直すように、夜が戻ってくる。起きかけていた花たちはなんだまだ夜かと二度寝を始めた。
 魔法のようだった。アゲハントが朝陽で花畑をさっと撫でれば、花たちが目を覚ます。ドクケイルが夜の衣を着せると、花びらは静かに閉じていく。思わず感嘆のため息がこぼれた。

「まあ、来てくれたのね」
 私に気づいた雅代さんが座ったままこちらに振り向いた。邪魔をしてしまった申し訳なさに恐縮しながら近づいていき、雅代さんの隣におずおずと座った。
「ええと、雅代さん、じゃなくて、岸田さん?」
「その……お昼はごめんなさいね。岸田雅代です」
 ぺこりと頭を下げる雅代さんに驚いて、私も、ドウモ……なんておかしな挨拶を返した。
「とってもきれいで、素敵な技ですね。いつも、これを?」
「ええ、そう……ありがとう」
 顔を合わせまいと別な方角を向いたまま喋る雅代さんは、昼間に会ったときとはうって変わって別人のようだった。私たちの頭の上では、相変わらずアゲハントとドクケイルが魔法の掛け合いを楽しんでいる。ものすごい速さで年月が過ぎていく映像のように、朝と夜が次々とやってくる。しばらく沈黙が続き、ようやく雅代さんが口を開いた。
「私、顔、恐いでしょう?」
「えっ」
 うつむいたまま話し出した雅代さんを、朝が、夜が、交互に照らしている。
「コンプレックスもあって、人付き合いがうまくいかないの。お店でもお客さんと上手に話せないし。最近は、ほかの花屋さんはどんどん進化しているし……自分のお店のことも、不安で」
 それで、眠れなくなった。雅代さんはそう言った。
 眠れない夜に部屋にいても辛いだけ。そんなとき、花畑に来て二匹のケムッソと出会って、……ここで遊んでいるうちにほんの少しだけ、心が慰められたのだという。
「仲間をね、増やしたいと思って。午前四時に、朝と夜を楽しむ仲間を」
「それが、四時姫だったんですか?」
 雅代さんは頷き、それから首を横に振る。
「でもまったくだめだった。こんな時間に起きているなんて、ちょっとおかしいものね」
 四時姫は、はじめから雅代さん一人だけだった。雅代さんにとって、四時が朝か夜かというのはそれほど大切なことではなかった。ただ、同じ時間を過ごす、友達が欲しかった――。
「おかしいっていうより、コンセプトが難解というか、なんというか意味不明だからじゃないかと」
 思わず本音が出てしまい、はっとする。しかし雅代さんはふふふと小さく笑っただけだった。
「いっそ活動していることにして、インターネットの記事にでも載せてもらえれば、参加してくれる人が現れるんじゃないかって思ったのだけど……」
 四時姫という団体が活動している……それは事実ではなかった。もしかすると、雅代さんの願望だったのかもしれない。
「やってきたライターがこんな私で、いい加減そうで、やる気なさそうで、怒っちゃいました?」
「そうよ」
 がっかりしたんだから、とまるで友達と冗談を言い合ったときのように笑う雅代さんは、それほど人付き合いが不得手な人にはみえなかった。周りの景色が明るくなってきて、より一層、彼女の人柄にも温かみが増したような気さえする。私が思ったことを感じ取ったのか、雅代さんは言った。
「暗いと平気みたいね。だけどお昼に人と顔を合わせているとだめ。表情がどんどん恐くなっていくのが自分でもわかるし、難解で、意味不明なことを言ってしまう」
「あの、私がさっき言ったこと結構気にしてます?」
「あらごめんなさいね」
 私たちはお互いに顔を見合わせて笑った。あははと笑う雅代さんの顔は、ちっとも恐くなんかなかった。そのとき私は気がついた。いつの間にか、辺りはずっと明るいままだった。夜を作るはずのドクケイルがうとうとと眠りかけているせいだ。暗いと平気なのだと雅代さんは言っていたけど、本人はたぶん気づいていない。
 きっと雅代さんは、自分で思っているほどには、話すのが下手じゃない。
 きっと雅代さんは、自信がないだけなのだ。

「明日――いいえもう今日ですね、お昼にまた、いろとりどりに行きませんか」
 え、と雅代さんが首をかしげる。
「チーズケーキ、すっごく美味しそうだったから。だから、一緒に行きましょうよ」
「そうね、私もあの小さなヒメリがいっぱいのタルト、食べてみたいわ」
 そして二人で、今度はたくさん話したい、そう思っていた。
 美味しそうな話をしているのがわかるのか、アゲハントも、半分寝ているドクケイルもふわふわと近寄ってくる。あなたたちも行きたいのねと雅代さんがにこやかに二匹に手を伸ばす。
 雅代さんはすごい人だ。あの幻想的なショーをこの二匹にさせていたのだ。四時姫や朝派と夜派という発想も、少し難しくはあったけれどユニークで、ほかの人にないものを確実に持っている。
 記事を書かせて宣伝しようとしたことだって、立派な行動力の証だった。それに、実はとってもチャーミングな人なのだ。そんな魅力を本人が気づいていないなんて、もったいなさすぎる。
 一度に褒めちぎったら何だこの人はと思われるかもしれない。自分はそんなんじゃないと卑下してしまうかもしれない。何よりそれでは、あまりにも私が偉そうだ。何様だろう。
 だから私は、記事を書くことで、雅代さんを肯定したい。彼女の魅力のあれこれが垣間見えるような、彼女自身がそれを認められるような、そんな記事を書こう。そう思った。旅費のためだけに適当に書いておけばいいと思っていたダメライターはもういない。
 空は、暁の色を見せ始めた。そろそろ辺りが本格的に明るくなっていく。夜が眠り、作り物ではない、本当の朝が目を覚ます。夜であり、朝でもある――午前四時はそんな、朝と夜を繋ぐ、一日の始まりの時間だ。新しい一日の、夜明けの時間。
 やわらかな風が流れ始める。広大な花畑が見ていた、朝と夜の夢はもうおしまい。ぐーんと目覚めの伸びをするように、花たちが風に揺れていた。

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 この作品は覆面作家企画に投稿されている作品です。この作品の作者は現在伏せられており、作者が誰であるか推理することができます。

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