嗤う陽炎

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作者:雪椿
読了時間目安:8分
その影は、ただ俺を見て嗤っていた。
 服から出ている部分が焼けるかと思うほど強い日差しが俺を襲う。少しはマシかと思ってフードを被っているが、効果のこの字もないようだ。こんな時にこそ日陰の存在がありがたいのだが、今日の俺はついていないらしい。歩いている最中どこを見ても俺が入れるような影はない。
 チョロネコやニャスパーといった猫系ポケモンは各々涼しい場所を見つけて幸せそうに眼を閉じているというのに、何ということだ。俺も早く涼みたい。早く家に帰りたい。そうだ。家に帰れば涼むことができる。
 なのに。

「何で、いつまで経っても家に着かないんだよ……」

 俺はただ今、絶賛迷子中だった。本当は違うと信じたいが、携帯の示す時間を見る限りではかれこれ二時間はこの塀と道路ばかりの場所を彷徨っている。成人して何年も経つ大人が聞いて笑えるな。いや、自分のことだけど。
 携帯が最新のものであればナビなどでささっと帰れるのだろうが、俺が愛用しているものは少しだけ古いもの。地図機能こそはあるが、それは現在の場所を示すだけでどの方向に進めば家に着くのかは教えてくれない。更には自分が地図のどの向きに立っているかもわからないから、もはや無理ゲーに近い。誰かヒントをくれ。
 どこか遠い大陸で有名になったことのある組織のボスみたく、ポケモンと会話ができたならどんなに楽だったか。会話は無理でもポケモン語を翻訳してくれる機械とかは出ないのだろうか。もし出たら即買いに行くのに。
 ああ、考えに夢中になっていたら周りが更に暑くなってしまった気がする。何で夏に定番のゴーストポケモン達がどこにもいないんだ。日中だからか? 昼からでも登場するガッツのあるやつはいないのか。氷ポケモン達をこの地獄に引きずり出すのはさすがに酷だから、候補から外すけど。
「アイス……麦茶……何でもいいから水分……」
 まるで瀕死のテッカニンのように言葉を吐き出しながら進むも、目に映る光景は一ミリも変わらない。いくら似たような道だと言っても、これは少しおかしくないか。もしかしたら俺が暑さにやられて同じ場所をグルグル回っているだけかもしれないが。
 止まることなく歩いていたことで足に限界が来たのか、意図せず俺は地面にへたり込んでしまう。上からの熱と下からのサンドイッチでカラカラになってしまいそうだ。ポケモンのカラカラならまだいいが、冗談抜きのカラカラは笑えない。
 神様、今日の俺何でこんなにもついていないのでしょうか。愛着があるからとずっと同じ携帯を使い続けている俺に、新しい携帯を買えという暗示なのでしょうか。だとしたら俺はそれには乗りません。こいつが寿命を全うするまで使い続けるつもりなので。
 空ではなく地面に向かって見えない神様にそう言っていると、ふと背筋がぞくりと寒くなった。一体何がと顔を上げてみても、映るのは自分の足元から伸びる長い影だけ。気のせいかとも思ったが、今も背筋はどこか冷えていてそれが錯覚ではないことを伝えている。
「何だ、何なんだ……?」
 恐る恐る言葉を零してみると、動かないはずの俺の影がニヤリと笑った。影なんて黒くて口の動きなんてわかるはずがないのに、ハッキリと笑っていることがわかる。その光景に口の中の水分が根こそぎ奪われていく。
 恐らく、俺の影にいるのはゴーストポケモンだ。あれほど望んでいたというのに、いざお目にかかると恐怖と覚えるとは情けない。だが、今も照り付ける日差しの暑さが嘘のようになくなったのは事実だ。熱中症にやられて倒れないよう、自動販売機を見つけたら何かを購入しつつ進めばワンチャンあるかもしれない。
「……よし」
 まだ立ち上がりたくないと喚く足に気合を入れ、無理にでも立ち上がる。こんなところで立ち止まっていても何にもならない。今の俺にはクーラー代わり(と言っては失礼かもしれないが)のゴーストポケモンがいるんだ。きっと何とかなるさ。

『何とかならない。お前はずっと、この道を彷徨い続ける』

「!?」
 さあ、一歩を踏み出すぞと足に力を込めようとした途端、脳内にそんな言葉がよぎる。突然のことに反応できずに固まっていると、また脳裏に言葉がよぎった。

『これはお前が望んだことだ。不思議に思わないのか? 今日より前の記憶がないことを。今日が何日かわからないことを。こんな暑い中、ずっと何も飲まずに歩いていても倒れないことを』

 流れるようによぎっていく言葉達に、俺は何も言えなくなる。そういえば、昨日は何を食べたっけ。どこに行ったっけ。今日は一体何日だっけ。俺は、本当はいつからこの道を歩いているんだっけ。
 わからない。どんなに記憶を掘り起こしても思い出せない。この影は俺が望んだことだと言った。俺は何で、こんなクソ暑い中ずっと歩き続けることを望んだんだ? 何かを望むのなら、もっと他のことがあっただろうに。

『思い出せないか? それもお前が望んだことだ。だが、それは本来の望みではない。お前も選ぶ相手が悪かったな。あんな館の主なんかに頼るからだ。そのせいでお前は不眠不休でこの日をずっと生き続けることになった』

 館の主? 俺は館に行って何かを望んだのか? それでこんなことになったのか? わからない。俺はどこの誰に何を願った? どうして、こいつはそれを知っている?

『この状況を何とかしたいか? オレは偶然こちらに迷いこんだ変わり者でな。お前が望めば力を貸すぞ?』

 この状況を何とかしたいに決まっている。こいつが一体何を企んでいるのか知らないが、力を貸して貰えるのならありがたい。俺が返答を口にしようとすると、また脳裏に言葉がよぎる。

『交渉成立だ。あいにく、オレもここのことはよくわからない。だが、力を合わせればきっと何とかなるだろう。オレは陽炎だ。これからよろしくな』

 脳裏で言葉がよぎり、跡形もなく消えた直後に俺の影から一匹のゲンガーがにゅっと姿を現す。どうやらこいつがずっと俺に語りかけていたらしい。ゴーストポケモンにそんな能力あっただろうか。一瞬疑問に思うが、霊的現象を引き起こせるのだからやろうと思えば可能なのだろう。そう思うことにしなければ、色々な考えで頭がパンクしそうだ。
「俺はユウヤだ。よろしくな、陽炎」
 流れで手を差し出すが、陽炎は手を握ることなくただ笑っている。いや、嗤っているという方が正しいか? 違いはわからないが、とにかく笑っている。
 そもそもこいつはゴーストタイプなのだから、俺と触れるはずがないか。そう思い直し、手を引っ込めると同時に陽炎も影へと戻る。やはり、ゴーストタイプだから日差しの下に出るのは厳しいのかもしれない。
「これからどうするんだ、陽炎」
『それはこれから決めるんだよ、ユウヤ』
 あんなことを言っておいて随分と考えなしだな。まあ、仮にこっちに任せると言われても俺も何も考えていなかったからお互い様かもしれないが。ふと視線を感じて顔を下げると、影の中の目と視線がぶつかった。
『クククッ』
 陽炎の嗤い声が脳に響く。何の関係でこうなったのかはもう思い出せないようだが、きっと何とかなるだろう。得体の知れない相棒と共に、俺は再び歩き出した。


「嗤う陽炎」 終わり

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