『美しい』

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この作品は小説ポケモン図鑑企画の投稿作品です。

 第一印象は、白色。それは今も昔も変わらない。
 ‎四角く区切られた青空を望むのは、もう何度目になるだろうか。
 ‎青々とした草花を踏みしめ、わたしは木陰から陽の元へ歩み出た。
 ‎太陽は、今は丁度真上の枠にいる。つまり、一日のうち半分ほどの時間が過ぎたということだろう。
 ‎今日もこの場所は、平穏そのものだった。
 ‎陽射しはまるで突き刺す様に強烈だが、わたしには寧ろその方が良い。陽射しが強い時の方が、身体が軽く、気分もいいのだ。
 ‎頭に咲いた大輪の花も、晴れの日の方が色が鮮やかな気がする。――もっとも、気がするだけで、実際にわたし自身が目にすることはできないのだが。
 ‎木々がざわめき、短く生えた草が白く小波を作る。この空間に、風が流れたようだ。
 ‎わたしの身体を通り抜けていくそれは、草原が発するあの青い匂いに満ちている。葉が摩れる音は、さながら大量の水が砕ける音に似ている。まるで海の上にいる様だった。
 ‎いや、この形容はもしかしたら、形容ではないかもしれない。
 ‎ここ――エーテルパラダイスは、本当に海の上に浮かぶ島なのだから。
 ‎アローラ地方という場所にある、広大な海の中にあるエーテルパラダイス。
 ‎簡単に言えば、この場所は巨大な箱を浮かばせているに過ぎない。その箱の中に土を運び、木を植えて、草花を育て、川を流したのが、わたしが今立っている場所の成り立ちだ。
 ‎だから、視界に入るものは――野外から『保護』されたポケモンと、空に浮かぶ太陽と月を除いて――人間の手によって作り出された代物というわけである。
 ‎さっき吹いた風も、人工的に生み出した空気の流れによるものだ。自然のようでいて、ここはあらゆるものに人工という名前がつく。
 ‎その人工まみれのエーテルパラダイスが存在する意味は、ポケモンを『保護』する為らしい。様々な理由で数を減らしたポケモン達を、ここに連れてきて隔離する。外界から一切を遮断されたこの場所は、天敵や天災からポケモン達を守る。
 ‎そして、わたしもそのひとり……エーテル財団に保護されたポケモンだ。
『ドレディア』
 ただ陽の下に立っていたわけではない。わたしは太陽の光を糧に生命活動を維持している。光を合成して、生きるためのエネルギーを生み出す。
 ‎普通のポケモンは自分の生命機能については全くの無知だが、わたしはある程度知っていた。今、わたしに歩み寄って来た『彼女』が教えてくれたからだ。
『まあ、今日もあなたの咲かせる花は美しいわね』
 彼女は今日もいつもと変わらぬ微笑みで、わたしに接した。
 ‎そのわたしと同じような緑色の瞳は、どこか満足げな雰囲気を宿している。――気がする。
『私の望む美しさ。あなたは、私の側に添えるのに相応しい』
 ‎わたしには、人の言葉がある程度わかる。
 ‎彼女は、いつも通りにわたしが咲かせている花を、そしてわたしの容姿を称賛している様子だった。
 ‎美しい、それは彼女の口癖。今も昔も変わらない事だ。まるで使い捨てのように吐き出す。
 ‎大半はわたしに対する賛美。確かに、それは喜ぶべきものなのだし、わたし自身も嬉しい。
 ‎しかし、危うい賛美だ。わたしが美しくなければ、向けられる事はない。彼女が望まないものに変貌すれば、すなわち彼女の興味の対象から外れる。
 想像のし過ぎだろうか。
『あなたは、ただ美しくあれば良いのよ。私の望む美しさに』
 恍惚とした表情を浮かべる彼女を、わたしはただ黙って眺めていた。
 ‎もう何百回、何千回と聞いた『美しい』という言葉。
 ‎うんざりするとも言わない。まだ聞き飽きた気もしない。
 ‎だが、わたしの勝手な解釈を加えると、言葉としての意味と重みは、彼女が初めてわたしに投げ掛けた『美しい』には遠く及ばない。
 ‎彼女はもう、あの焼け焦げたわたしの姿など覚えていないかもしれない。
 ‎しかし、わたしはしっかりと記憶している。忘れたくても忘れられない、初めて彼女の口にした『美しい』を聞いたあの日を。

 ‎あの日。何もかもが焼けた日に、わたしと彼女は出会った。
 ‎空をこじ開け、それは突如としてわたしの故郷の森に降ってきた。
 ‎それは何も言わずに、すぐさま故郷を火の海にしにかかった。草のような腕のような噴射口は、次々に木々を赤く染め上げていった。たちまち辺りは高熱の炎が渦巻き、次々に森のものを飲み込んだ。
 ‎刧火の中を逃げ惑いながら目にした、陽炎に揺らめく巨大な影がひたすら辺りを焼き尽くす姿を、わたしは今でも忘れる事ができない。空を飛び、木々を薙ぎ倒し、二本の腕のようなものから紅蓮の炎を噴射するそれは、悪魔以外の何物でもなかった。
 ‎馴染みの場所は一瞬にして地獄へと変わった。多くの生き物が炎に包まれ、焼かれていった。きっとそこには、わたしと親しかった者もいるに違いないだろう。
 ‎わたしはそれらを救うことはできなかった。いや、誰かにかまっている余裕もなかった。自分の命を守るのに精一杯だった。
 ‎真っ赤な世界で、わたしは走った。炎のない場所を求め、熱せられた地面の上を跳ね、火の粉を振り払った。
 ‎ただでさえ、わたしは燃えやすい身体をしている。炎に触れたら一巻の終わりだっただろう。炎にも、煙にもまかれず、焼け落ちていく故郷から逃げ延びる事ができたのは奇跡かもしれない。
 ‎なんとか火の気がない場所までたどり着いたわたしは、草むらに倒れ伏した。そして、しばらく遠くで炎が燃え盛る恐ろしい音を聞いていた。
 ‎やがてその音が小さくなり、自身の落ち着きも戻った。昼か夜かも判らず、曖昧な意識の中で、わたしは初めて冷静になり、自分が何もかもを失った事に気がついた。
 ‎生きていく場所。そして仲間。幼かったわたしも、それらを亡くしたらどうなるかを察していた。察してしまっていた。
 ‎生きるための術が無くなった。待ち受けるのはすなわち、死。
 ‎受け入れがたかった。炎の中を生き延びたのに、わたしは死んでしまう。それでは生き残った意味がない。
 ‎黒く焦げた葉を振るい、わたしは独り立ち上がろうとしていた。
 ‎このまま死ねない。なんとしてでも生きたい。生きなければ、あの中から逃げた意味がないではないか――
 ‎そんな時に、わたしは彼女と出会った。
『必死に生きようとしているのね』
 所々汚れた、白い衣服に身を包んだ人間。
 ‎初めは、驚き怯えた。そのまま襲われてもおかしくないからだった。
 ‎しかし、温かい手に包まれた刹那、わたしは安堵を覚えていた。出会って間もない人間に、である。
 ‎彼女は煤だらけのわたしを抱き上げて、慈愛に満ちた微笑みを見せながらわたしに言った。
『私が深く愛し、助けてあげましょう。必死に命を繋ごうとする、美しいあなたを』

 轟音と共に、突き上げるような揺れが襲った。
 ‎わたしは辺りを見回した。木々も大きく枝を揺らし、数枚の葉を落としている。
 ‎ポケモン達の騒ぐ声が聞こえた。一部ではパニックも起こっている様だった。
 ‎一瞬、地震という単語が脳裏を過ったが、即座にそれは否定された。
 ‎海に浮かんでいるこの施設が、地殻の影響を受けるわけがない。揺れの原因はエーテルパラダイスの中にある。
 ‎やがて揺れが収まると、何人かの人間が、彼女の元に走り寄ってきた。
『何が起きたの?』
 彼女は人間達に聞いた。
『地下でトラブルがあった様です』
『地下? ラボかしら』
『おそらく』
 ふぅん、と頷きを数回した後、彼女はニヤリと笑みを浮かべた。
『計画は順調の様ね』
 長い髪を翻し、彼女は人間に言い放った。
『引き続き、コスモッグへのストレス負荷を続けるように。いち早くウルトラホールを出現させるのよ』
『はっ』
 一礼した人間がそそくさと立ち去っていく。
 ‎彼女は一息つき、わたしに振り返った。
『悪いわね、用事ができちゃった』
 にっこりと微笑む彼女はどこか嬉しそうで、はしゃいでいる様にも見えた。わたしにはその理由は、わからなかった。
『じゃあ、また後で。私の愛しのドレディア』
 わたしに手を振りながら、彼女は徐に去っていった。
 ‎人工の風に頬を撫でられながら、わたしはその後ろ姿を見送った。わたしの髪の様に伸びた葉と同様に、彼女の長い金色の髪もわずかに風に靡いている。
 わたしは、当然出会う前の彼女を知らない。付き合いが長いわけではないし、そう決めつけるべきではないかもしれない。
 ‎だが、彼女は変わってしまった、という想いが拭えない。
 ‎いつの頃からか解らない。でも、いつの頃か、彼女は何かを見失い始めている。徐々にその身を破滅させているような気がするのである。
 ‎わたしの思い込みであればいい。わたしの間違いであって欲しい。彼女は、恩人であり、大切な人でもある。滅び行く姿など、見たくない。
 四角く縁取られた空を見上げる。
 ‎太陽は相変わらず照りつけ、雲は空を登るように積み重なった形を形成していた。さっきと変わらない、平穏な時の流れに戻りつつある。
 ‎だが、わたしには何が起ころうとしている気配が感じられた。
 ‎それは決して良いことではない。わたしの故郷に起きたこと……いや、それよりももっと規模が大きい何かが起きる。多くの生命が危機に晒され、アローラ地方が混沌に飲まれていく、そんな気がしてならない。
 ‎きっと、わたしも巻き込まれる。しかし、それはわたしには避けられないだろう。
 ‎わたしが美しい存在である限り。わたしが彼女の望むものである限り。わたしは彼女に引きずられていく。
 ‎甘んじる覚悟はできている。今はただ、静かに彼女を見守るだけだ。わたしには、壊れていく彼女を止めることはできない。
 ‎ゆっくりと振り向き、身を隠すように木陰へと歩む。
 ‎周りは何事もなかったかのように平生へと戻っていた。草の波も、葉を揺らす木々も、集められたポケモン達も。
 ‎人工の風は途切れながら吹き、草花の香りを運んでいく。
 ‎暖かな風を身に受けながら。わたしは祈るような想いを抱いていた。
 ‎もし、わたしの美しい恩人が助かる道があるならば、どうか導かれて欲しい……と。

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