ゲンガーの夢

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作者:ステイル
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読了時間目安:28分

この作品は小説ポケモン図鑑企画の投稿作品です。

ぼんやりと真っ暗に染まり始めた空を紫色のポケモンが眺めていました。

ポケモンは何をするでもなく、ただ、ぼんやりと空を眺めていました。

そのポケモンの背後から少年がこっそりと赤と白のボールを手に握りしめて近づきます。

充分に近づくと色白の細い腕にぎゅっと力を込めてポケモンに向かって投げました。

ポケモンにコツンと当たるとポケモンがボールの中へと吸い込まれていきます。

一回、二回、三回と大きく揺れるとボールは動かなくなりました。

少年は額から噴き出した汗を袖で拭うと嬉しそうにボールを拾い上げてぐっと左腕を力強く空へと突き上げました。





朝日に目を細めながら少年は起きだすとテレビの横に置かれた赤と白のボールを見てまた満面の笑みを浮かべます。

「やったんだ、僕一人でもポケモンを捕まえられたんだ…」

はは…と力なさげに真新しいシーツに体を預けると薬品の臭いが部屋の外から流れ込んできます。

「検査の時間ですよ~、おきてくださぁ~い」

「うん」

「あら、起きてるなんて珍しい。何かいいことでもあったの?」

「うん、見て。僕一人でもポケモンを捕まえられたんだよ?」

上から下まで真っ白な服を着こんだ女性はぎょっとしたように少年の手に握られたボールをのぞき込みました。

中からゲンガーがゆったりと女性を見上げます。

「ど…どうやって?」

「夜、屋上にいたの。だからそっと近づいてボールを投げたの」

その言葉を聞いて女性は少年の左手に繋がった点滴を見ます。一体どうやって屋上まで登ったのだろうと思いました。

「はぁ…てっきり私はバチュルとかコラッタとかを捕まえるのかと…」

「なぁに?」

「いいえ、なんでも。さ、右手出して。血を採るからねぇ~」

少年の顔が曇ります。

少年はこの注射が苦手なようです。

「やだっ!」

そういうとボールを握ってポンッとゲンガーを外に出します。

「この子がちゅーしゃするならいいよ」

今度は女性がそう来たかと顔を曇らせました。

ちらりと見ると相変わらずぼんやりとどこか宙を見ています。反応するつもりはないようです。

そっと女性は近づくと耳と思しき場所にそっと耳打ちしました。

「ねぇ、私の手にあなたの手を乗せてくれない? この子のためなのよ。乗せるだけでいいの」

ふっとゲンガーの瞳が女性の瞳を捉えます。

深い闇を含んだような赤黒い瞳に女性は身震いしました。

ゴーストタイプのいい噂はあんまり聞きませんから……。

ゲンガーは女性から目をそらすとそっと手を添えました。女性の動きに従って触れているのかいないのか、わからないその手がゆっくりと女性の手の動きをなぞります。

少年はぎょっとしてゲンガーの顔を睨みつけました。その顔にはありありと「裏切者」と書かれているのがわかります。

が、ゲンガーは気にも留めませんでした。

「うぅぅぅぅう……」

少年は注射器を見ないように首を目一杯に回して食いしばって耐えています。

「はい、おしまい。よく耐えたわね」

少年はぎゅっと強く目を閉じたまま、開けようとしません。

女性はこれ幸いと言いたげに血圧計を少年につけました。びくっと少年は体を震わせて、怯えるようにシーツを強く握りました。

血圧を測り終わる前に女性は手際よく点滴の袋を取り替えます。

ゲンガーはその様子を一歩下がったところで見ていました。顔にはゲンガーらしい人の不安を誘うような笑顔をへばりつけながら。

表情はないのかしらと女性は血圧計を取り外しながら様子を伺います。

女性が見てる間も相変わらず口角は上がったままです。

「ほら、終わったわよ。ゲンガーにお礼を言いなさいね?」

「うぅぅぅぅぅうう……」

裏切り者のゲンガーにお礼を言うべきか言わざるべきか悩んでいるようです。

結局、絞り出すように涙声で小さくて、か細くありがとうと呟きました。

ゲンガーはぱちくりと瞼を動かすと口角が少し下がりました。

その表情はどんな感情を表しているのか、女性にはわかりませんでした。





それから幾日か経って、病院内でポケモンを捕まえることが子供たちの間でブームになりました。病院内で電気タイプを捕まえる猛者が表れて、対応に追われることになったり、ポケモンを捕まえた後に病状が劇的に回復する患者が現れたりして世間を騒がせたりしましたが、少年はまだ、いつもの病室にいました。

「ねぇ、ゲンガー?」

ゲンガーは相変わらず嘘くさい笑顔を張り付かせています。

「僕ね、もうすぐ死ぬんだよ」

ゲンガーは驚きもせず少年の横に立っていました。

「僕ね、たぶん、次の誕生日を迎えられないと思うんだ」

ゲンガーはちらりと少年を見て、またどこか遠くを見ました。

「先生たちは隠してるみたいだけどね、隣の子が聞いたみたいで教えてくれたんだ」

ゲンガーはどさりと腰を下ろして胡坐をかきました。

「僕ね、誕生日がクリスマスなんだ」

少年は残念そうにゲンガーの気を引こうと言いましたが、ゲンガーは腰と思しき場所を小さな手で掻いただけでした。

「ねぇ、ゲンガーは人が死ぬとどうなるか知ってるんでしょ、教えてよ」

ゲンガーは何も言いません。その代わり、ゆっくりとあくびをすると手に黒い球を出してポンと音を立てて消しました。

それが死を意味してるのか、暇つぶしでやったのか判断できなくて少年はおののきました。

「なくなっちゃうの?」

ゲンガーは何も言いません。

相変わらずの笑った顔をしながら黒い球を出したり消したりしています。

「……痛くない?」

ゲンガーは黒い球を出したり消したりしながら立ち上がると手からたくさんの白い球を出して少年のベッドの上にまき散らしました。

くるりと回るといつの間に被ったのかゲンガーの頭には紫色のハット帽が、手にはステッキがぶら下がっています。

ステッキを振ると無機質に白かった部屋が暗い赤紫色のカーテンに覆われていきます。

ゲンガーはステッキを両手で横に持つと左右に振りながらステップを踏みました。少年はその姿が滑稽で笑い転げました。いつの間にか左腕に繋がっているはずの点滴は無くなり自由になっていました。

ゲンガーはハット帽を手に取るとステッキで叩きます。

帽子から、ズドンと少年の腹の奥を揺さぶる音を立てて花火が打ちあがり、少年の目の前で弾けました。

少年は嬉しそうに手を叩いてすごいすごい! と興奮しています。花火なんて初めて見たのです。

畳みかけるようにハット帽に手を突っ込むと中からイトマルを取り出しました。糸を紡いでゲンガーの顔のベッドを作ります。少年はそのベッドに飛び込むと大きく跳ねて楽しそうに笑いました。

ゲンガーは次から次へとハット帽から色々なものを取り出します。

ゲンガーと少年のぬいぐるみに、もふもふしたウインディ、少年の頭の上すれすれを飛ぶヤンヤンマの群れ、群れを追いかけるように飛ぶヘラクレスに、大きな飛行機、ロケット……。ふと気が付けば、いつの間にか少年の肩にはポッポがとまっていました。

真っ白なロコンを一匹出すと部屋中に雪が舞いました。雪に触れたことのない少年はきらきらと目を輝かせて雪片を捕まえようと両手を伸ばします。

ゲンガーはとにかく少年の好きそうなものをどんどん出していきます。

「わぁ、すごい、すごい!」

少年は終始笑っていました。

ゲンガーは舌をべぇと出すとフィナーレとばかりに口から大筒を取り出して夜空に向かって打ち上げます。

打ちあがった火薬玉はどぉんと大きな音を立てて弾けました。

少年はあまりの眩しさに目をぎゅっとつぶりました。

次に目を開けたとき、先ほどまでのにぎやかな病室はどこへやら。静かな、いつも通りの病室に戻っています。

ただ、少年の心臓は強く波打っていました。

「今のゲンガーがやったの?」

興奮冷めやらぬ少年は早口で聞きます。

いつの間にか座っていたゲンガーは気にもせず、ぼうっとどこか遠くを見ているだけで、少年の質問には答えませんでした。

きゃあきゃあとはしゃぐ少年のことを視界の隅に捉えながらゲンガーは重い腰を上げて部屋から出ていきました。ゲンガーと入れ違いに少年の両親が泣きながら部屋に入っていきました。





「ねぇ、ゲンガー。これから僕、しゅじゅつするんだって」

少年は手術という単語を言いにくそうに言うとゲンガーの顔を覗き込みました。

「一緒にいてくれるよね?」

ゲンガーは頷きませんでした。

「けち」

少年はぼそっとゲンガーに聞こえるように言うとゲンガーの手に飴玉を置きました。

「これでどう?」

ちらりと手の中を見てポイッと包み紙ごと口の中に放り込むとゴリゴリ音を立てながら上下に首を振りました。

もちろん、手術室にゲンガーは入れないので途中まで付いていけばいいだろうとゲンガーは考えていました。

しかし、いざ少年の後ろをついていくとずっとくっつかれたままで離れるタイミングを掴めないまま手術室の前まで来てしまいました。

担当医の先生も困った顔をして何とか説得を試みようとしますが、

「ゲンガーと一緒じゃなきゃやだ!」

と駄々を捏ねるばかりで一向に話が進みません。

しぶしぶハピナスはゲンガーに手の洗い方を教え、ハピナス用のマスクと手術着を着させるとこれならいいわ、と少年をゲンガーはようやく手術室に入りました。

ゲンガーは邪魔にならないように部屋の隅で静かに様子を見ていました。

「今からポワポワする薬を入れるからね、ポワポワしたら言ってねぇ~」

先生が優しく語り掛けるとほどなくして少年はぼんやりとした表情を見せ、そのまま深い眠りの中に入っていきました。

ゲンガーの位置からは少年の体がどうなっているのか見えませんが、時折見える血に塗れた器具に戦々恐々としているとその様子に気づいたハピナスがゲンガーをこっちこっちと手招きしました。

それに付いていくとポケモンが出入りできるくらいの入り口があって、そこから外に出られるようでした。手術着を返すとハピナスはまた手術室に戻っていきました。

それから一時間が経っても、二時間が経っても、三時間が経っても少年は帰ってきませんでした。

日がとっぷりと沈んだ頃、少年はたくさんの管に繋がれて、眠った状態で部屋に入ってきました。

駆け寄って触ろうとするとハピナスが起きるまで触っちゃだめと優しく釘を刺して去っていきました。

しばらく、少年の両親がベッドに張り付くようにして面会時間ぎりぎりまで部屋にいましたがその後はゲンガーに任せて帰っていきました。

そっと少年の顔を覗くと生きているのかわからないほど生気のない顔をしていました。

おろおろと慌てていると点滴の様子を見に来たハピナスが傍にいてあげなさいとゲンガーに言いました。

言われた通り部屋の隅からパイプ椅子を持ってきて少年の隣で静かに黒い球と白い球を出したり弾いたりしながら手に自分の小さな手を重ねます。

少年の夢に入ろうとしたのです。

しかし、ゲンガーは入れませんでした。

どうやら少年は夢すらも見れないほど深い眠りに入っているようです。

少年に気晴らしをさせることもできず、何もしてあげられることがないとゲンガーは自分の無力さに落ち込みました。

ハッとしてそういえばとゲンガーは思い出しました。

「くりすます」というイベントが少年の誕生日だと言っていました。誕生日というのは少年の残念そうな表情から察するに祝うべきイベントなのでしょう。部屋から駆け出して近くのハピナスに尋ねます。くりすますとは何なのか、どういったことをするのか、ハピナスにたくさん質問しました。

ひとしきり聞くと最後に少年はどれくらいで目が覚めるかと聞きました。

ハピナスは明日には目が覚めると思うわよと言いました。

それを聞くとゲンガーはお礼を言ってするんと影に消えていきました。





コツンコツンと規則的な音が深夜の廊下に響いてきます。

女性は大きく伸びをしながら白色照明が薄暗く光る廊下を疲れた顔で歩いていました。

どうやら巡回中だったようです。

「しつれいしま……うわっなにこれ」

少年の部屋に足を踏み入れた女性は驚きました。

部屋がクリスマスムードに支配されていたのです。

天井には所狭しと装飾品が飾られて、壁には折り紙で作られた輪っかがたくさんぶら下がっていました。

HAPPY BIRTHDAY、MERRY CHRISTMASと下手な字で書かれた垂れ幕もぶら下がっています。

「えっ、ちょ、なにこれ」

女性は暗い部屋の中心でこちらに背を向けて一生懸命に作業を続けているゲンガーを見つけます。

「原因は君か。クリスマスはもう少し先よ?」

ゲンガーは振り向いてちらりと女性を見ると気にも留めず、また何かを作り続けます。

何を作っているのか気になって手元を覗き込むと紫色の大きな布地とカラフルな布地がいくつか見えました。

「プレゼント?」

ゲンガーは照れくさそうに頭を掻くとゆっくりうなずきました。

「いいわね、たぶん喜ぶわ。でも出入り口の周辺は片づけておいてくれる? じゃないと危ないから…ね?」

またゆっくりとゲンガーは頷きました。

女性はずいぶん表情豊かになったわね…と笑みを浮かべながら少年の点滴を交換して部屋を後にしました。

その後もゲンガーは暗い部屋で少年の喜ぶ笑顔を思い浮かべながら一生懸命に糸と針で布をつなぎ合わせていきます。余った端切れは縫い合わせた布の中に詰めていきます。足りない分は綿をパンパンになるまで詰めました。

数時間経ってようやく形が整ったところで静かだった病室にけたたましく電子音が鳴り響きました。

ゲンガーはびっくりして振り返ると酸素マスクをつけた少年が苦しそうに息を荒げているではありませんか。

すぐに看護師たちとハピナスがなだれ込むように部屋に入ってきました。

「先生呼んできて! 急いで!」

ゲンガーは茫然と少年の寝ているベッドから離れたところで看護師たちの様子を見ていました。

一様に顔に焦りの表情が浮かんでいます。ハピナスも一生懸命に癒しの波動を送り続けています。

先生が到着するとテキパキと看護師に指示してベッドをもって来させると少年を移してどこかへと連れて行ってしまいます。

誰もいなくなった部屋はさっきまでの騒々しさが嘘のようにシン…と静まり返っています。

ゲンガーは腰が抜けたようにその場から動けずにいました。

そんなゲンガーを心配したのか、いつもくる担当の女性がやってきてこう言いました。

「あなたのせいじゃないのよ。大丈夫、きっと大丈夫よ……」

そう言って女性は部屋を出ていきました。





ふと気が付くと部屋の中に朝日が差し込んでいました。どうやらゲンガーは壁に寄りかかって眠っていたようです。

部屋の中を冷たい風が通っていきました。なぜかゲンガーはその風が寂しがっているように感じて窓を見ました。窓が開いていて冷たい風が入ってきます。

網戸の向こうに茶色い姿が見えました。

いつからそこにいたのか知りませんが窓のサッシにポッポが停まって、寒そうに体を膨らませています。

ゲンガーがおはようと声をかけると

「君は悪くない。君にできることは何もなかったから」

と言って羽を広げてどこかへと飛んでいきました。

変なやつだ、とゲンガーは思いました。

しかし、ゲンガーはその言葉から異様な胸騒ぎを覚えました。

何かを忘れているような気がします。

その何かを思い出そうとぼんやりした頭を振りました。

結局思い出せず、何かヒントは無いかと部屋を見渡しました。

視界の隅に誰も寝ていないベッドが映ります。

いつもの少年がいません。

どこに行ったのかとゲンガーは病院内を探しだします。

受付に行くとハピナスたちが一様に悲しそうな顔をしてゲンガーを見ました。

ゲンガーはそんなことは気にせず、少年の位置をハピナスに尋ねます。

ハピナスが困った顔をしているといつもの女性が間に入ってきました。

「あの子を探しているんでしょう? こっちにいるわ。付いてきて」

女性がエレベーターに乗り込んだのでゲンガーも後に続いて入りました。

「少なくとも、私が思いつく限りあなたにできることはなかったのよ。だから気をしっかり持ちなさいね?」

女性はゲンガーをなだめるように言います。

さっきのポッポといい、この女性といい、いったい何が言いたいのかゲンガーには理解できませんでした。

女性は一階で降りると少し歩いてゲンガーが一度も乗ったことのないエレベーターに乗り込みました。

ゲンガーはなぜか不安を募らせていきます。いつもの顔もできないくらい不安が押し寄せてきます。

ゴウンゴウンと音を立ててエレベーターは降りていきます。

女性もゲンガーも終始無言でした。

その無言がゲンガーの心を蝕みます。

チンと小さくエレベーターが音を立てると女性はこっちよ、と言って歩いていきます。

「あの子はここにいるわ」

そう言ってシンプルな白い扉に手を掛けました。

女性が扉を開けると白い布をかけられた人間が横たわっていました。

見た瞬間、ゲンガーはその人間の中には何もないことを悟りました。信じたくない気持ちが強くゲンガーを襲います。

確かめるようにそっと顔に掛かっていた布を取ると生命の息吹を感じられない土色の少年がいました。

ゲンガーは口を閉じてそっと少年の体に触れました。

夢に入るどころか意識に触れることもできません。

女性がゲンガーにどう声を掛けたらいいのか迷っているとゲンガーは少年の顔をそっと撫でて部屋から出ていきました。

女性も後に続きます。

ゲンガーは部屋に戻ると少年のいたベッドの上でぼんやりと横になって天井を見上げていました。

ほどなくして真っ赤に泣き腫らした目で部屋に入ってきた少年の両親が荷物を持ち帰るために少ない荷物をまとめ始めました。

その最中もゲンガーはベッドの上から動きません。

そのまま、日が暮れ部屋が夕闇に飲み込まれていきます。

「まだいたのね。ちょうどいいわ、私の一服に付き合わない?」

女性が部屋の出入り口からゲンガーに声を掛けました。

ゲンガーはおぼつかない足取りで女性についていくとまたエレベーターに乗りました。

今度は下に行くのではなく一番上のボタンを女性は押しました。

チーンと音を立ててエレベーターが開きます。

そこからさらに階段を登って南京錠のついた鉄扉の前に来ると女性は鍵をポッケから出してゲンガーに聞こえるくらいの大きさで言いました。

「こっそり合鍵を作ったのよ。ほかの人には内緒ね」

カチリと音を立てて鍵が外れました。女性はまだ変えられてなくてよかった、と呟いたのをゲンガーは聞き逃しませんでした。

「ちょっと寒いわね、上着持ってきて正解」

そして女性は上着を羽織ると胸ポケットから煙草とライターを取り出して口に咥えました。

風を遮るように口元に手を当てるとライターを擦って火を点けました。

「あんたにはこっちね」

そう言ってゲンガーに温かいココアを差し出しました。

カシュッと音を立てて開けると甘い匂いが湯気と一緒に立ち登りました。

ゲンガーはチビチビとココアを啜ってぼんやりと空を見上げました。

隣の女性が口から白い煙を吐き出すとゲンガーも真似してホゥッと白い息を寒空に向けて吐き出しました。

「……吸ってみる?」

ゲンガーは興味深そうに煙草を見つめました。

「冗談よ、煙草なんて吸わないほうがいいわ。お金もバカにならないし」

女性は柔らかい笑顔を浮かべるとまた真っ暗な空に白い煙を吐き出しました。

ゲンガーも真似してまた吐き出します。

しばらくの沈黙の後、不意に女性がつぶやくように話し始めました。

「職業柄、吸っちゃダメなんだけどね。やるせない気持ちになったとき、落ち込んだとき、自分にとってマイナスの気持ちになったとき、ここに来て吸うのよ」

一拍置いて女性が空に向かって煙を吐き出しました。もちろんゲンガーも真似します。

「空に向かって煙を吐き出すとね、自分の気持ちを煙が持って行ってくれるような気がするの。だからこうやって…」

女性は風に負けないように強く煙を吐き出しました。煙は少しまっすぐ飛んだあと風に流されて消えていきました。

ゲンガーも真似してやってみますが女性ほど高くは上がりません。

それでも何度も何度も吐き出します。

女性の煙草が燃え尽きるまでゲンガーは空に向かって息を吐き続けていました。

そんなゲンガーを横目に女性は二本目の煙草に火を点けようと下を見るとやたらと明るい建物が見えました。

「MERRY CHRISTMAS…あれもあなたがやったの?」

建物の電気がついたり消えたりして文字を表しています。

ゲンガーは聞く耳も持たず、ずっと空に向かって白い息を吐き出しています。

ゲンガーがそんな様子なので追及することはやめて火を点けるためにもう一度下を向きました。

火が付いたのを確認して顔を上げると周りがいつの間にか草原になっていました。

ゲンガーのほうを見るとゲンガーはポゥ…と優しい光を放つ球を手にしていました。

女性は怪しい光を使ったんだと察して静かに様子を伺います。

太陽は真上にあって、目の前をヤンヤンマの群れが飛んでいきました。

そしてその後を追いかけるように麦わら帽子を被った少年が走っていきました。

「あっ…」

少年は何かに躓きました。

女性は仕事柄、自然と声が出て、少年に向けて手を伸ばしました。

しかし、少年は大きなウインディの背中で受け止められ、地面にぶつかることはありませんでした。

少年は嬉しそうにはしゃいでいます。

そんな少年の麦わら帽子をヘラクレスが攫っていきました。

少年はウインディの背中から慌てて起き上がるとヘラクレスを追いかけます。

少年の首に掛かったロケットの形をしたペンダントが音を立てて揺れました。

追いかける少年は楽しそうに笑っています。

そんな少年を追いかけるようにポッポが飛んでいきました。

ウインディはゆっくりと体を起こして優雅に歩いていきます。いつでも追いつける自信があるのでしょう。

そのずっと後ろをピクシーが息を切らせながら追いかけます。

その手にはまだまだ幼い真っ白なロコンとフィギュアのロボットが抱かれていました。

少年はどこまでも走っていきます。

楽しそうに、なんの不自由もなく、自由に走っていきました。

少年の姿が見えなくなると女性は煙草の灰が落ちそうになっていることに気づきました。

証拠を残すわけにはいけないと慌てて携帯灰皿を取り出します。

灰を灰皿に落として前を向くといつもの屋上に戻っていました。

「あの子はきっと自由になったのよね? そうよね?」

振り向いてゲンガーの同意を得ようとしましたがゲンガーはどこにもいません。

「ゲンガー?」

探してもあの紫色の姿は見つかりません。代わりにゲンガーのいた場所にはゲンガーと少年のぬいぐるみがありました。

「あれ?」

しかし、女性はゲンガーのぬいぐるみに違和感を覚えました。

目が赤くないのです。むしろ小さくて真っ黒のかわいらしい目をしています。

「これ…汚れてるけど……ピクシー?」





翌日、葬儀の準備が整ったと連絡があり、少年を両親が引き取りに来ました。

両親は手持ちのポケモンと思われるウインディにヘラクレス、真っ白なロコン、そしてヤンヤンマの群れを連れて病院にやってきました。

「お世話になりました」

両親も手持ちのポケモンたちも目に涙を浮かべています。唯一、幼いロコンだけが理解できずに戸惑った表情をしています。

「あの…これ…」

女性は両親にぬいぐるみを差し出しました。これはきっとゲンガーが少年に渡すために作ったものでしょうから…。

「あぁ! 探しても見つからなかったのに…どこでこれを?」

女性は子供の用に抱えると少年の頭を愛おしそうに優しく撫でました。

「えと…ベッドの隙間に挟まってたんです」

院長の目が届くところで「屋上」と言う単語は使えません。なのでそれっぽい嘘を言いました。

「あの子…ボールと一緒に持ってきてたのね。こんなに汚れちゃって…。ピクシーなんてゲンガーみたいじゃない…」

ゲンガー…。

女性は昨日のことを思い出していました。

ゲンガーはたくさん、夜空に向かって白い息を吐いていました。

きっと悲しかったのでしょう。寂しかったのでしょう。たくさん、一緒にやりたいこともあったのでしょう。

想えば想うほど助けてあげられなかった悔しさがこみ上げてきます。

目からつぅと涙が零れました。

「あの子のために泣いてくれてるのね。あなたはいい人よ。あの子はきっとあなたにも感謝してるわ。だから自分を責めないで」

少年のお母さんが優しく女性を抱きしめました。

堪えようもなく、女性は泣き続けました。

少年のお母さんは女性の背中をさすりながら大丈夫よ、大丈夫と呟いていました。

それは女性に向けているというよりも自分に言い聞かせているようにも聞こえました。

少年のお父さんはキッと口を堅く結んで平然を装っていました。でもやるせない気持ちからか拳を強く握り締めていました。

少年のお父さんはわかっているのです。知っているのです。少年が死んでしまったのは誰のせいでもないと。

だからこそ、この怒りをどこにぶつけたらいいのかわからず、自分の内側で戦っているのです。

「じゃあ、私たちは行くわ。あの子のために泣いてくれてありがとう。お世話になりました」

少年が遺体搬送車に積み込まれていきます。

死を理解していないロコンは動かない少年の姿を不思議そうに見ています。

少年の隣に座ると口から粉雪を吐き出しました。

少年が喜んでくれると思ったのでしょうか。何度も何度も吐き出します。

少年のお母さんがそっとロコンを抱き寄せて

「寝てるから起こしちゃだめよ」

と、その場しのぎの嘘を言いました。

バタンと扉が閉められると少年の姿はもう見えません。

両親は遺体搬送車とは別の車に乗り込んでもう一度、頭を深々と下げて去っていきました。





女性は勤務中にもかかわらず屋上に来ていました。

昨日みたいな強い風は吹いていません。

煙草に火を点けてふぅう…とゆっくり煙を吐き出しました。

煙はゆっくりと空に上って行きます。

なかなか消えずに空を漂っています。

「消えないわよね…」

文句を言うように女性は呟きました。

ふぅぅっと今度はわざと強く吐き出しました。

あっという間に煙は消えていきました。

もう一度、煙草を吸い込み吐き出そうとしたときギィィィ…と扉の開く音がしました。

急に聞こえた扉の開く音にビクッとして女性は咥えていた煙草を落としてしまいました。

どこかに隠れようにも屋上には隠れる場所がありません。

慌てて煙草だけでも隠そうと拾えるだけ拾って灰の上に自分の足を置きました。

扉から誰が出てくるかで対応が変わってきます。

院長が来たらどうしようと身構えていると大きく丸いピンクの体が出てきました。

「なんだ、ハピナスか…」

こちらに気づいたハピナスは驚いた顔でこちらに近づいてきました。

「サボり?」

ハピナスはゆっくり頷きました。

「私もよ」

その言葉を聞いたハピナスはほっした表情を浮かべると女性の隣に腰かけました。

手にはココアが握られています。

女性は新しい煙草に火を点けるとまた吹かし始めました。

「てっきりここは私だけの場所だと思ってた」

ハピナスは卵の入ったポケットから鍵を取り出します。

「私も」

女性も鍵を取り出して見せました。

しばらく黙っていましたが女性が思い出したようにハピナスに訪ねました

「……ねぇ、ゲンガーはいたのよね。私以外誰もゲンガーを見てないんだけど」

ハピナスは缶を傾けて少しココアを飲んで白い息を吐き出しました。

女性もふぅう…とゆっくり煙を吐き出しました。

煙は消えずにゆっくりと空を目指して上って行きました。




二人が煙を目で追っている頃、少年の窓のサッシには一匹のポッポがとまっていました。

寒そうに体を膨らませて目の前のビルを眺めています。

ビルにはMerry Christmasと流れていました。

それを確認するとポッポは力強く羽ばたいて空高く、ずっと遠くへと消えていきました。

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