19-「護る」者たち 後編 ――草笛の意味――

しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
 
作者:円山翔
ログインするとお気に入り登録や積読登録ができます
読了時間目安:23分
先日投稿した『「護る」者たち』の続きです。
引き続き、じゅぺっとさんよりヴェスター君、公式よりジムリーダーのカヤトさんとガイさん、コスモ団幹部のジュノーさんをお借りしました。
2016年2月8日 投稿
2016年2月9日 加筆


 自らが協力している組織がジムリーダーの襲撃を受けているとはいざ知らず、しばらく歩いて人間もポケモンも見当たらないところまで来たヴェスターは、丁度アンティークの椅子のような形をした木の根元に腰を下ろした。モルフォン、アリアドス、ペンドラーの三匹をボールから出すと、三匹とも思い思いの場所を選んで体を休め始めた。ヴェスター自身も木の幹に背中を預けると、意識を深淵に引きずり込まんとするかのような眠気が彼を襲った。無論、彼が意識を完全に手放すようなことはしない。いついかなる時も、どこから敵が襲ってくるかは分からない。手持ちの三匹が傍にいるとはいえ、彼の心が真に休まることは無かった。今までも、そして、おそらくこれからも。
 目を閉じて眠っているように見えて、彼は先ほど戦った奇術師のことを考えていた。
 本来なら話すべきことだったのだろうが、ヴェスターはペルシャとジュノーに奇術師のことをあえて伝えなかった。コスモ団が今の活動を続ける限り、あの奇術師は今回のように彼ら彼女らの前に立ちはだかり続けることだろう。彼が追い求めるルファのように……
 もしそうならば、わざわざ伝える必要はない。ただ、理由はもう一つあった。
「それに、この子たちを回復させてくれたからね……」
 奇術師が去り際に残していった回復薬のプレゼント。頼んではいなかったのにも関わらず、傷ついた仲間を気遣ってもらった恩があった。
「何なら、休んでいる間の護衛も一緒にいかがでしょう」
 不意に、木の幹の裏側から声がした。微睡みかけていたとはいえ、ヴェスターはおろか彼の手持ちの三匹も、声の主の気配に今の今まで気付かなかった。
 ヴェスターは素早く立ち上がり、持たれていた木の幹に正対した。手持ちの三匹も、彼の傍に寄って臨戦態勢を取る。
「今更戦う気はありませんよ。先ほども言った通り、あなたの心と体が休まるまでの間、あなたに危害を加える者を排除しようというだけです。今なら草笛のサービスも付けますが」
 声と共に出てきたのは、白い手袋をはめた両手を上げて無抵抗を装う奇術師だった。相変わらずにっこり顔の仮面の向こうからは、先ほど向かい合った時のプレッシャーは微塵も感じられなかった。
「ついさっき敵対した相手に、そう易々と背中を預けられるものかな?」
「信じるも信じないも、あなた次第ですよ。何ならあなたが休んでいる間、私のポケモンをあなたに預けてもいい」
「僕は“こどく(・・・)”の存在だ。今までずっとそうだったし、これからもそうなんだと思っていたけど……」
 仮面を被っているので、表情は全く読み取ることができない。だが、ヴェスターには目の前の奇術師が嘘を言っているようには思えなかった。よほど嘘をつき慣れている人間でも、嘘をつくときには決まってある種の不自然さを携えている。奇術師にはそれが見て取れなかった。
「君、面白いね」
「奇術師として何よりのお言葉です」
 場合によって褒め言葉とも侮辱とも取れる言葉を受け取って、奇術師はかしこまった様子で軽く一礼した。他人の感情にそれほど興味を示すことのないヴェスターから見ても、仮面の奇術師はどこか嬉しそうだった。ヴェスターは最初に座っていた木に再び背を預け、目を閉じた。
「お預けしなくてもいいのですか?」
「僕の近くにいると呪い殺される、と言ったら信じるかな?」
「自称“こどく”なあなたがそう言うのなら、きっとそうなのでしょうね」
にやりと嗤うヴェスターを見て、奇術師は仮面の下で優しい笑みを浮かべた。ヴェスターには仮面の向こうから漂う雰囲気で奇術師の表情がやっと読み取れた。
「じゃあ、頼むよ。護衛はほんの小一時間でいい」
「承りました」
 奇術師――――カリノカオルは深々と礼をして、どこからか取り出した木の葉を口に当てた。



 素朴で柔らかい草笛の音が、風に乗って森全体に響き渡った。耳にした者たちは、人間であろうがポケモンであろうが誰もがまどろみ、じきに深い眠りへとその身を委ねていった。

――――その場にいたりいなかったりした一部の者たちを除いて。





    *





 二人のジムリーダー、草使いのカヤトとノーマル使いのガイと、コスモ団の幹部、ジュノーの戦いは熾烈を極めていた。ガイが眠っている間、ジュノーは何とか応戦できていた。だが、ガイが目を覚ましてからは、戦況はジムリーダー側に偏りつつある。敵味方共にポケモンを二体ずつ使用しているとはいえ、カヤトとガイはポケモン一匹に対し一人がそれぞれ指示を出す。対して、ジュノーは二匹のポケモンへの指示を一度に行わなければならない。それに、先ほど見えない何か相手に応戦した際、ジュノーのポケモンたちは二匹とも傷ついている。回復マシンはあるにはあったが、今は先に逃げたコスモ団のメンバーのところにある。謎の襲撃の後、機材の修理と団員への指示に追われていたジュノーには、回復マシンを使う暇など無かった。否、使うことはできたが、不意の襲撃に備えて手持ちを手元に置いておいたのが幸か不幸か今の状況を作り出しているのだ。下手に回復マシンにポケモンを預けて今の状況に対応できなかったことを考えれば、今回はいい判断であったのだろう。苦しい状況であることには変わりはないのだが。
「さっきはよくも眠らせてくれたな!バッフロン、“ストーンエッジ”!」
 ガイの指示でバッフロンが地面を叩く。鋭く尖った岩が地面から弾丸の如く突き出し、低空を飛行していたヨルノズクとルチャブルを襲う。だが、簡単にやられる二匹ではない。ヨルノズクは岩と岩の間を器用にすり抜けながら空高くへ退避、ルチャブルは突き出す岩を足場にピョンピョン飛び回る。
「ルチャブル、ラフレシアに“アクロバット”」
「させるか!“はなびらのまい”」
 宙に浮く岩を蹴ってラフレシアに飛びかかるルチャブル。ラフレシアは頭から放った花びらを大量に巻き上げてルチャブルの視界を奪った。同時に勢いを削がれたルチャブルに、ここぞとばかりにバッフロンが突進をかます。
 ルチャブルもただではやられない。片方の翼でラフレシアに打撃を加えつつ、バッフロンの足音から場所を特定し、その頭がぶつかる瞬間を狙って拳を叩きつけた。体格と重量の差で不利なルチャブルは後方へ吹き飛ばされたが、バッフロンも頭への攻撃でほんの一瞬だけ隙ができる。
「ルチャブル、反転!“フライングプレス”!ヨルノズクは“サイコキネシス”で援護!」
 ストーンエッジを躱しきって空高く飛び上がった今、ヨルノズクは戦いのフィールド全てを見渡せる。敵のラフレシアとバッフロンだけを的確に狙った念動力は、重力の如くその動きに制限を加える。それでも、重量に物を言わせて動き回るバッフロンは完全には止まらない。
「もう一度、“ストーンエッジ”だ!」
「重ねて、“しびれごな”!」
ガイの指示を受けて、バッフロンは念動力による重力の中で前足を高く上げ、地面へと振り下ろした。上から抑え込むように力を掛けている分、地を叩く勢いもプラスされる。更に岩が打ちあがる勢いに乗って、ラフレシアの放った花粉が舞い踊った。
 木を蹴って飛び上がり、今まさに渾身の一撃を放たんとしていたルチャブルを、尖った岩の礫と黄色い花粉が襲った。ヨルノズクのサイコキネシスによって打ちあがる岩の速度も若干抑えられていたとはいえ、至近距離で放たれた岩の礫はルチャブルの片翼に大きな損傷を与えた。さらにしびれごなを吸い込んでしまい、ルチャブルは今やまともに動くことができない状態まで追い込まれていた。
「その岩をぶつけてやれ!」
 ジュノーはルチャブルをボールに戻し、すぐにヨルノズクに次の指示を飛した。上空で二匹のポケモンを抑え込んでいたヨルノズクは、念動力を加える対象をポケモンから、打ち上げられた岩に変更。岩は一瞬空中で動きを止め、敵の二匹へと雨の如く叩き付けられた。
 だが、念動力の対象を移すということは、それまで抑え込まれていたバッフロンとラフレシアが自由の身になるということである。降りかかる岩を、ラフレシアは“つるのムチ”で、バッフロンは“ストーンエッジ”で相殺してしまった。
 ルチャブルが戦えればまだ分からなかった。だが、既にジュノーの手持ちは残り一匹だ。ラフレシアがバトルの最初に放った“なやみのタネ”のせいで、ヨルノズクの“さいみんじゅつ”はもう通用しない。得意のエアスラッシュも、“ストーンエッジ”の岩に邪魔されては狙いが定まらない。
(万事休す、か……)
 ジムリーダーたちとの勝負を諦め、ジュノーがヨルノズクのモンスターボールを手に取った時だった。
 どこからか草笛の音が聞こえてきたかと思うと、ポケモンたちが急に戦いの手を止めたのだ。なやみのタネを植え付けられて眠れなくなったはずのバッフロン、自らなやみのタネの効果を受けたラフレシアは、その場に倒れ込んで寝息を立て始めた。唯一目を覚ましている“ふみん”のヨルノズクも、うっとりとした顔で草笛の音に聞き入っている。
 一方、ジムリーダーのカヤトは未曽有の事態に動揺を隠せないでいた。やっとのことで叩き起こしたガイは草笛の音が聞こえ始めるとすぐ眠ってしまったのだ。その上、新たなポケモンを呼び出しても、なやみのタネを新たに植え付けても、モンスターボールから出したポケモンは眠りだすか戦意を失って草笛の音に耳を澄ませるばかりだった。
「誰が草笛を……これもコスモ団の仕業か!」
「そうなんでもかんでも俺たちのせいにされちゃ困るぜ」
 ジュノーは訳が分からないと言った様子で怒鳴り返す。自分の大声が、頭にガンガンと響いた。
「……何だか分からねぇが、こちらにとっては好都合だ」
 互いに満足に戦えないこの状況を好機とばかりにヨルノズクをボールに戻し、ジュノーは先に逃げていったコスモ団の面々を追って走り始めた。睡魔はジュノーにもその魔の手を差し伸べていたのだが、彼はそれを振り切って足を動かした。
 ジュノーの逃亡に気付いたカヤトが、寝ぼけ眼のガイを放り出して追いかけようとしてきたが、カヤトはカヤトで襲い来る眠気と必死に戦っているようだった。
「ま、待て……」
 重い瞼をこじ開けて叫ぶ草使いも、聞き慣れているはずの草笛の魔力には敵わなかったらしい。ジュノーの方へ手を伸ばしながら、最期には地面に突っ伏して寝息を立て始めた。
「敵に待てと言われて待つバカがどこにいる」
 相手が眠ってしまったことなど気にも留めず、ジュノーは眠気を払い飛ばすように全速力で走った。
役目を放棄して逃げた相方を、こってりと叱ってやらねばならない。壊れた機材の修理もしなければならない。もう夜が更けてきたというのに、やるべきことは山積みだ。眠気とストレスがぶつかり合う重い頭を抱えたくなりながら、ジュノーは仲間の元へと急いだ。





    *





 すやすやと安らかな寝息を立てて眠るヴェスターと彼の手持ちのモルフォン、アリアドス、ペンドラーを仮面の下で眺めながら、カオルは姿を隠している手持ちの三匹に呟いた。
「さて、ファントム、フォーゼ、ハイド。もうひと踏ん張りです。この仕事が終わったら、ハトバに帰って休みましょうか」
 名前を呼んだ三匹がそれぞれの方法で賛同の意を示す。次の瞬間、ヴェスターたちの姿がその空間から文字通り消えた。
 実際はファントムと呼ばれたゾロアークが、そこに誰もいない風景を映し出しているに過ぎない。だが、特殊カメラ、サーモグラフィーなどの文明の利器だけでなく、嗅覚、超音波、透視といったポケモンの能力すらも欺く幻影は、中にいる一人と三匹の存在を周りに知らしめることを許さない。フォーゼと呼ばれたメタモン、それにハイドと呼ばれたポケモンは各々の能力で姿を隠し、その場所に近づく者がいないかを見張っている。
 カオルは幻影に背を向け、草笛を吹きつつも周りの様子を探る。ゆらりと、背後で空間が揺らぐのを感じた。
「おかしいですね。休んでいるはずのあなたが、何故私たちに対して殺気を放っているのでしょうか」
 中にいる者にも分かるように呟いた直後、幻影の中から飛び出した三本の白い糸がカオルの体をがんじがらめにした。だが、カオルは慌てない。何をどうやったのか、カオルに巻き付いた糸が背中のところですっぱり切れて、音もたてず地面に転がった。
 糸を解いて幻影の壁に目を向けるカオルに突き刺さるのは、紛れもない悪意。その目に映る者を食い荒らしてやろうという闘争心。その中に、持ち主の悲しみと寂しさがほんの少しだけ混ざっていた。眠っているはずのヴェスターがむくりと起き上がったのが、幻影の外からでも分かった。幻影が掻き消えて姿を現したヴェスターは、自由の身のカオルを見て怪訝そうな顔をした。ポケモンは全てボールに戻しているが、またいつでも解放できるように、腰につけたボールに手を当てていた。
「あれ~?おかしいな~。今回はきっちり捕らえたはずだったのに」
「私は奇術師ですよ。縄抜けの脱出マジックはお手のものです」
「人間には簡単に切れないはずなんだけどなぁ。やっぱり君……」
 そこまでヴェスターが言った時、彼の顔のすぐ横を何かが横切った。カツンと音がして、彼の背後にある木にその何かが突き立った。頬を生暖かいものが一筋伝う。振り返って見ると、それはトランプのカードだった。描かれていたのはスペードの3。とあるカードゲームにおいては最弱の札であり、しかし状況次第ではJOKER(きりふだ)すらも打ち倒す力を秘めたカード。禍々しい闘気を帯びたそれはヴェスターの頬を浅く切り裂いて、隅が血で赤く汚れていた。
 カオルに視線を戻すと、その仮面の向こうからは二人が戦った時以上のプレッシャーが漏れ出ていた。心なしか、仮面の表情に怒りの感情が混じったようにヴェスターは感じた。
「先ほども言ったはずです。そこから先を口に出すのは、野暮というものですよ」
「そうだった。すっかり忘れていたよ」
 カオルのプレッシャーに対して殺気を隠そうともせず、むしろむき出しにして、ヴェスターはにやりと口を歪めた。
「私のポケモンを預からなかったのはこのためだったのですね。元々私に護衛を頼む気などさらさらなかったと」
「さっき言ったはずだよ。僕は“蠱毒(こどく)”の存在だ。誰かに心を許すなんて、そう易々とできないさ。仮に君のポケモンを奪ったとしても、僕のせいで死んじゃったら持ち主の君も僕も悲しくなるだろう?」
「さいですか」
 互いに淡々と言葉を交わし、しばらく睨み合う二人。先に声を上げたのはヴェスターだった。それも、心から楽しそうな笑い声。カオルの肩に鉛の如くずしりとのしかかっていた殺気が、一瞬にして消えた。
「君、本当に面白いよ」
 ひとしきり笑ってから、ヴェスターはその顔を上げた。相変わらずニヒルな笑みを浮かべる彼の顔は、いい意味でも悪い意味でもまだ子供らしさの抜けていない顔だった。純粋で、それ故に残酷さの混じった笑み。
「また、遊んでくれるかい?」
 そんな笑顔を前にして、奇術師は仮面の奥で静かに目を細めた。
「ええ。いつでもとはいきませんが、あなたが望むのならば」





    *





 ヴェスターと別れた後も、時折くっくっと声を上げて笑う彼の声が聞こえてきた。その姿を思い浮かべながら、カオルは姿を消したままの三匹をボールに戻す。ヴェスターの気配が消えると、途端に体が軽くなるのを感じた。年若い少年がそれほどの重圧を放っていたことを考えると、彼の過去がいかに壮絶だったのかを想像するのはそれほど難しいことではなかった。同時に、彼の殺気の中に感じた小さな二つの感情が、心の隅にもやもやと漂っていた。
「蠱毒の壺の呪い、ですか……彼はとんでもないものを背負って生きているのですね」
 カオルはハトバ島で待っているアシスタントの顔を思い浮かべた。ヴェスターほどではないにせよ、彼もまた、大筋から外れた道を歩んできた人間の一人だった。
 当事者でないカオルには、彼らの心中を完全に理解することはできない。だが、寄り添うことはできる。ヴェスターにもそんな相手がいたら。今はいなくとも、いつかそんな相手ができたら。そう願わずにはいられなかった。
(ムメイさんの情が伝染したのでしょうか)
 そんなことを考えながらクスリと笑って、カオルは夜闇が支配し始めた空を眺めた。今日の騒動で、コスモ団も準備に追われてしばらくは活動を休止せずにはいられないだろう。目的を果たした奇術師の仮面の下には清々しい表情が隠れていた。
「さて、警告(・・)も済ませましたし、そろそろ帰りましょうか」
 三つのボールを腰のベルトに戻し、カオルは誰もいなくなった空間へと呼びかける。しばらくは何も起こらなかった。カオルも動かない。木の葉の擦れる音とポケモンの足音に耳を澄ませながら、カオルは何かを待ち続けた。


 随分と時間が経ってから、ポン、と気の抜けた音がした。仮面の下の表情が、少しだけ緩んだ。
「お願いしますね。――――」
 その言葉を言い終わるか言い終わらないかの内に、カオルの姿は足元に現れた真っ黒な穴の中に消えた。










    *










 真夜中。コスモ団が撤退して周りに誰もいなくなった苔生す祠から、ほんの数分間光が溢れた。その光景を目にした者はいない。だが、森に棲むポケモンたちは本能的に感じ取っていた。


 ――――目覚めの歌が奏でられた
 ――――もうじき、我らが主の目覚めの時が来る
 ――――それだけではない
 ――――歌に込められたメッセージは、即ち警告
 ――――森に危機が訪れる
 ――――主を狙う人間がやってくる
 ――――主を護れ、主を護れ


 風もないのに森の木々が騒めく。森のあちこちで、草花がガサガサと動き始める。地面から這い出して、あるいは地に埋まった足を抜き出して、森の中を不規則に動き回る。森を闊歩する木々や草花によって盛り上がった土が慣らされる頃には、木も草花も最初とは別の位置に腰を下ろして、何事もなかったかのように地面に根を張った。



 そう、時渡りの精霊が眠る森は、一晩にして迷いの森と化したのだ。
 来る者を拒み、迷い込んだ者を帰さないという意思を持った不思議の森に――――





    *





 草笛の意味に気付いたのは、何もポケモンたちだけではなかった。

 草タイプの使い手であるカヤトは、当然ながら何度も草笛を耳にしている。彼のポケモンも“くさぶえ”を使うことがあり、更に彼自身も草笛奏者としてこのドクサ島では一目置かれている。そんな彼だからこそ、眠りに落ちる前に聞こえてきた草笛の音が何を意味しているのかはっきりと読み取ることができた。
 そのカヤトが目を覚ましたのは、もう少しで日が変わろうかという時間になってからだった。ボールから出ているポケモンたちはまだすやすやと寝息を立てて眠っている。一匹一匹をボールに戻し、今度は大いびきをかきながら眠っているガイに目をやった。起こして歩かせようと思ったが、一度眠ってしまったガイがどれだけ騒々しい音を耳元で鳴らされようとも目覚めないであろうことを、付き合いの長いカヤトは知っていた。小さく溜息を一つつき、自分のボールは自分のベルトに、ガイのボールはガイのベルトに固定した後、カヤトはガイを背負って、自分のジムとは反対の方向へと歩き出した。できる限り森から外れた道を選びながら。

(あの草笛の音は警告の音……危険が迫っていることを仲間に知らせる音だ)
 彼が歩いている間にも、森の木々や草花が少しずつ位置を変えている。森の中を歩いていれば、瞬く間に方向感覚を失ってしまったであろう。草タイプの使い手の彼ですらそうなのだ。普通の人間なら、下手をすると二度と出られない可能性すら出てきてしまう。
(コスモ団の連中ではない……うちのジムの連中にもあそこまで吹ける者はいない……とすると、一体誰が……)
 考えても、草笛の主が誰なのか見当もつかなかった。
(とりあえずは、森に入ることを避けるように、島の者にも島の外の者にも言っておかなければ……)
 どちらにせよ、今夜はゴラジムに世話になりそうだ。島の東にあるガイのゴラジムから島の反対側にあるカヤトのリビノジムまではかなりの距離がある。今いる場所からゴラジムへ行けば、リビノジムへ帰る頃には東の空が白んでしまうだろう。

 幼い頃には立場が逆だった。昔から体格ががっちりしていたガイは、当時は運動が苦手だったカヤトをおぶって家の近くまで送ってくれたものだった。がさつなように見えて、ガイは昔から案外面倒見のいい男なのだ。
 落ち着いていて静かなカヤトと、元気いっぱいで暇さえあればトレーニングをしている体育会系のガイ。性格が真反対の二人はなかなか馬が合わなかったが、それでもガイの存在がカヤトに影響を与えているのは間違いない。今、カヤトがこうしてガイを背負って長い道のりを歩けるのも、ガイと共に東西二つのジムの間を歩いたことで身に着けた基礎体力と、ガイに無理矢理つき合わされた牧場の手伝いで知らない間に鍛えられた筋力があってこそのことである。
(直してほしい所は沢山あるけど、礼儀正しくて静かなガイは、やっぱりガイじゃない)
 ガイがどう思っているのかは知らないが、カヤトは折り合えないなりにガイのことを受け入れていた。小さい頃から慣れ親しんだ親友であるから、ということもあったが、そうでなければ何も始まらない、ドクサ島の人々を導くジムリーダー二人がいつまでも反目してばかりでは、島に忍び寄る悪意から人々を、ポケモンたちを護ることなどできないだろうと判断した結果であるのかもしれない。
「……カヤト……もうすぐお前の家だぞ……」
 カヤトの背中で、ガイが寝言を言っていた。カヤトを背負って歩いている見ているのだろう。かつてガイの背中から見た風景を思い浮かべながら、カヤトは静かに笑った。
「……仕方のない奴だ」
 それから考えるのをいったんやめて、カヤトはゴラジムへの道を急いだ。









感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想

お名前:jupettoさん
じゅぺっとです。作品、拝読させていただきました。ヴェスター君がいっぱい出ていてとても満足できました。「あれ~おかしいな~」のくだりがツボです。簡単には他人を信用しないくだりとか、彼のことをよくわかってくれてるんだなあと思いつつ、楽しく読ませていただきました。

カオル君とムメイさんのコンビも、独特の信頼感で出ていて素敵ですね……ぼっちのヴェスター君には真似できない関係です。

ヴェスター君を出してくださり、ありがとうございました。
書いた日:2016年02月08日
作者からの返信
こんばんは、円山翔です。
じゅぺっとさんの短編の続きとして書いて来た物語も、無事に一段落しました。あの流れがなければこの物語は生まれなかったものと思っています。素敵な流れを作っていただいて、ありがとうございました。
制作中の裏話になりますが、当初ヴェスター君はカオルに護衛を任せて休むことになっていました。が、後でカオルを縛り上げるところから脱出するという流れを思い付いて、今のままでは駄目だなと書き直した結果今回のような形になりました。楽しんでいただけて幸いです。
呪いのせいで、傍にいる誰かを食い潰してしまう……悲しい宿命なのかもしれませんが、ヴェスター君にとって本当に信頼できる人間が、あるいはポケモンが現れたらいいなというのは私自身の願いでもあります。ムメイも、ロンドと出会っていなければカオルのところには行かない別の人生を歩んでいたかもしれません。ヴェスター君にも、心を許せる誰かとの素敵な出会いがありますように……
最後に、読了とご感想をありがとうございました。これからもお互い楽しく交流していけたらと思います。
書いた日:2016年02月08日