陽はなお高く 4

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

「いいか。お前らの中にこの世界を歩いてはいけない奴がいる」
 ドサイドンと呼ばれるポケモンが、イブとミロトを見据え、低く、暗く、ぞっとするような声を向ける。
 イブは動けない。それがドサイドンから放たれる、これまで体感したことの無い威圧感によるものだけなのかはわからなかった。
「は……? 何のことだよ」
 ミロトは精一杯、飲まれないよう努力を続けていた。が、それもいつまで保っていられるか。
 ドサイドンは二匹への押さえつけを緩めようとはしない。
「食事も、会話も、呼吸もだ。全てが忌むべきそいつの残滓としてこの世界を汚す」
 ドサイドンの言葉が、イブの耳を経て身体中を駆ける。言ってることはよくわからない。しかし、その言葉は直接イブの心を支配しようと苦痛と共に暴れまわっている。
(何を……言ってるの?)
 『石碑』の文言。ドサイドンの言葉。どちらか、またはどちらもが、きっと自分への真実だと、イブはそう思った。

 マクノシタを無事救助した後日も、イブとミロトの二匹は救助活動を精力的にこなした。救助をこなすごとに二匹の経験値も上がっていき、お互いにはっきりとレベルアップしている、ということが感じ取れるほどだった。
 ブイゼルのルイ、ピカチュウのユウが二匹で組むチーム『LUCKS』からの指導も、徐々に必要なくなってきていた。もともと習うより慣れろ、という教訓でイブとミロトの指導に当たってきた『LUCKS』だったが、今では活動から戻った二匹の報告をサブリーダーのカイナと一緒に聞き、細かなノウハウの提供をすることが大半となっていた。
 そう、二匹は既に自立して活動に当たれるほどにまで成長していた。失敗らしい失敗もなく、「まさに順調」の一言をカイナが発したのは当然のことと言えた。
「もうほぼ一匹前――あ、二匹だから二匹前? って感じだねぇ。救助にしても大抵の種類はこなせるんじゃないかな?」
「そうですね……よほどの奥地まで出向かなければ、滞りなく活動できると思います」
 カイナとルイが総評をまとめている間、イブはうれしそうににこにこしていた。よほどこの『基地』のポケモン達に褒められるのがうれしいのか、尻尾まで大きく右へ左へと揺らしている。ここまでわかりやすい感情表現をするポケモンもあんまりいないんじゃないか、とミロトは思っていたが、その向こうではユウが同じくにこにこし、長い耳をリラックスさせながらカイナたちの会話に混ざっていた。まぁポケモンそれぞれだよな、と落としどころを決め、イブに話しかける。
「なぁイブ、オレ達もそろそろ未開の地へ出てみたくないか?」
 尻尾の動きを止め、イブはミロトに首をかしげた。
「未開の地まで?」
「そう、誰もいままで行った事がないトコロに」
 ミロトがかばんの中から地図を出す。カイナからもらったときには白紙の部分が多かったその地図も、いくらか書き込まれるようになってきていた。
「この地図も少しずつ埋まってきたけど、しょせん地図上のエリアって誰かが行ったことあるトコだろ? どうせなら地図の外! 未開エリアに行ってみようってね」
 ミロトはぴしっと地図の外を指差すが、どうにもイブは乗り気でないようだった。といっても、常時ひかえめなイブは、もともと何事も即決する性質ではなかったけれど。
「……キケンじゃない?」
 ミロトが少し無茶な発言をした後の、お決まりといっていい一言に、やはりミロトもお決まりを返す。
「だーいじょーぶだって! 危ないとき、帰る! これ常識!」
 何故か片言になりながら、ミロトの説得がはじまった。が、イブはそれくらいでは同意しない。
「ミロトくん、そう言って常識どおりじゃなかったことがあるんだもん……」
 ミロトは痛いところを突かれたのかうっと言葉を詰まらせる。
「はは……いやぁ……次は……ね?」
「ね? って……」
 イブはミロトに疑いの眼差しを向ける。
 イブがミロトに送る視線には、やはり以前しでかした『常識どおりじゃなかったこと』が関係していた。そのあらましを書き出すと、ある依頼の際、モンスターハウス(マクノシタ救助時に遭遇したような、ポケモンの集団部屋)に再び踏み入れたミロトが、腕試しとばかりに一匹で大乱闘を演じたことがある。イブはどうぐを使って無血でやり過ごすことを提案したが、ミロトはそれを聞き入れず、ほぼ己のわざのみで向かっていった。結果として、ミロトは四方を囲まれながらも奮戦、何匹かを倒したところで力尽きそうになったが、イブのフォローで回復、戦闘を継続し、なんとか二匹で全員を倒しきったのだった。この体験で、イブはミロト以上に大いに懲りて、二度とミロトくん任せにしない、と誓いを立てていた。
 ただ、その後ミロトが「イブが何とかしてくれると思った」と笑いながら言うのを聞いて、二匹の実力も信頼関係も、確実に前にすすんでいると感じられたことが、イブには何よりもうれしかった。
 どうしよう、とイブがうなっているところに、ユウがひょこっと顔を出した。
「ふんふん、未開の地ですか」
 どこから聞いていたのか、いっしょに地図を眺めながらうなずいている。
「ミロトくんが行ってみたい、って言うんですけど……ボクたちにも行けるんでしょうか?」
 イブが不安げにたずねた。
「うーん。実際ね、キミ達にはまだ早いっ! なんてことは無いんだよね~」
 ユウはぴろぴろと耳を上下させて、肯定とも取れるようなつぶやきを漏らす。
「えっ、じゃあユウねぇたちも未開の地まで行ったことあるの!?」
「うん、何回かね」
 どうしたのと、いつの間にかカイナやルイたちも話の輪に加わり始めた。
「すげー!」
 ミロトの目が輝いた。イブはミロトのこの状態を『こうなったら止められないモード』と名づけていた。この状態のミロトと一緒にいるときは、あまりいい思い出がなかった。
「未開の地に、行ってみたいの?」
 カイナがミロトにたずねた。
「うん!」
 ミロトは即答した。カイナなら、この願いを聞き届けてくれるんじゃないかという期待を込めて。
「そうだねぇ……でも大変だよ? どうぐが無くなっても、現地調達とかしなくちゃいけないし」
「できるよっ! ユウねぇやルイにぃだって、そういう試練を乗りこえて行ったんでしょ!?」
「うんまぁ、そうなんだけどね。でもルイくん達はちょっと特殊なケースだから……」
 カイナの言う『特殊なケース』という響きが、ミロトの心に再び燃料を注いだ。
「じゃあオレたちも、その特別になる!!」
「いや、特殊っていうのは特別とはまた……」
 カイナは苦笑いをしながら、ふとある依頼が届いていたことを思い出した。ああそうだ、これなら――
「カイナさん?」
 成り行きを見守っていたルイが、カイナがなにやら考え始めたことに気づいた。
「……わかった。じゃあ救助とはちょっと違うけど、未開の地への任務を与えよう!」
「やったー!!」
 カイナの期待していた一言に、ミロトは大はしゃぎだった。イブは「え、本当?」という表情でカイナを見ている。
「まぁまぁイブくん、そう心配しないで。イブくんにも意味のある任務になるかもしれないから」
 イブの視線を感じたカイナが、にこりとして言う。
「未開の地といえば未開の地なんだけど、正確には『皆が立ち入ることを恐れている地』って言ったほうがいいかなぁ?」
 それを聞いてイブが固まる。
「そ、そんな所に……」
 イブがたじろいだのを見て、あわてて補足するカイナ。
「ごめんごめん、オバケが出るからとか、そういうことじゃないんだ。神聖な場所っていう意味だよ」
「神聖な場所」
「そう。そういう場所だから、どのポケモンもむやみに立ち入らないんだ。バチが当たっちゃいけないってね」
「で、どういう依頼なの?」
 ミロトが前置きは捨て置け、とカイナを急かした。
 待ちきれない様子のミロトに微笑むカイナ。
「その場所のあたりで、どういうわけかたまーに体調を崩すポケモンが出てくるんだ。もしそれを発見したら、この『基地』まで搬送してください」
「もし? じゃあ依頼者はいないってこと?」
「そう、現時点ではわからない。言ってみればパトロールだね」
 依頼者はいない、ということに一瞬気分が萎えかけたミロトだったが、『パトロール』という単語にすぐさま元気を取りもどす。
「かっこいいな、イブ! 行きます行きます!」
 それまで不安げに話を聞いていたイブだったが、パトロールってことなら、と決心をつけたようだった。
「さっきも言ったとおり神聖な場所だから、あんまりはしゃぎ過ぎないようにね。それと」
 ミロトに優しく釘を刺しつつ、付け加える。
「もしかしたらイブくんの記憶を探る手がかりがあるかもしれないよ」

 準備のため、意気揚々と部屋を出ていったミロトたちを見送りながら、ルイはカイナがついさっき話していた依頼の真意が気になっていた。
「……カイナさん。さっきの任務って誰からの依頼ですか?」
「えっ?」
 カイナは意外そうな表情でルイを見た。ミロトとイブには依頼者はいないと言った任務を、ルイはそう受けとめていなかった。
「ルイ君にはかなわないなぁ」
 観念したように 頭をぽりぽりと掻く。
「カイナさんが仰っても説得力ありませんよ。ただの勘ですし」
 ルイは珍しくにこやかに反応する。そうかなぁ、とカイナは笑った。
「……キュウコンさんなんだ。他でもない」
「キュウコンさんが? 何でまた?」
 ミロトの母親であるキュウコンからの依頼。どうもそれは、ミロトが救助隊に入隊してからの依頼にしては偶然のものではなさそうだった。
「僕があるロコンを助けたっていう話は昔、したことがあると思うけど」
 カイナは少し言いにくそうにひと呼吸おいた。ルイは不思議に思ってカイナを見上げたが、そこに今まで聞いているだけだったユウが入った。
「もしかして、そのロコンさんっていうのが……」
「そう。そういうこと」
 ルイはああ、そういうことか、と納得した。つまり、カイナさんの古くからの知り合いというキュウコンさん、というのは昔話に登場したロコンのことだったのだ。とすると、昔キュウコンさんが――進化前のロコンさんが倒れていたというのは、さっきの話で出た『未開の地』の『神聖な場所』だったということ。これからイブとミロトが向かう場所は、カイナが昔経験した試練の場所ということになる。
「あの時ロコンは救えたけど、今もあそこで体調を崩すポケモンが出る原因はわかってないんだ」
 件の依頼は、キュウコンが自分が見舞われたその危険に他のポケモンが巻き込まれないよう、救助基地に頼んだものだとカイナは言った。
「……でも、それだけじゃないんですよね?」
 ユウがさらに問う。
「イブくんの記憶を探る手がかりって……」
 カイナは深くうなずいた。
「その通り。これはキュウコンの憶測でしかないんだけど――」

 未開の地、というほどであるから、やはり基地から距離があることは覚悟しなければならなかった。イブとミロトがこれまで行ってきた活動は、朝に基地を出発し、少なくともその日のうちに帰還できる範囲内だったが、今回は一晩を道中で過ごすこととなった。それ以外にはこれといった問題はなく、『嘆きの森』に着いたのは二日目、陽光が真上から射す少し前だった。目的地はこの『嘆きの森』にあるほら穴、『憂いのほら穴』だ。
 『嘆きの森』からすでに未開の地ゆえか、それともカイナが言っていた通りここに『皆が近づくのを恐れている』ためかはわからなかったが、辺りは不自然に感じるくらい静かで、イブはこれほどまでに落ち葉や小枝を踏みしめる自分の足音が耳に障るというのは初めての体験だった。日は差しているが、深緑の、木の幹や岩肌まで苔むしているこの風景は、幻想的であり幻惑的、ポケモンによっては気味の悪さを覚えるだろう。
「雰囲気あるところだな、イブ」
 急にミロトから放たれた言葉に、その後ろで肩を跳ねさせてしまったイブはおどおどと返事をする。
「う、うん。ほんとに未開の地って感じだね。ほかの未開の地もこんなに静かなのかなぁ?」
「どうなんだろうな……」
 二匹の発した声はすぐさま周りの木々に吸い込まれ、イブはこれ以上物音を立てていいものかためらってしまう。『翡翠色の洞窟』とはまた違った静けさが広がっている。
「よし、パトロールは『嘆きの森』から『憂いのほら穴』までの道と、その周辺だったよな」
「うん」
「ほら穴に着いたら……どうする?」
 イブは、ミロトの問いの意味はすぐに解った。カイナは言っていた。「イブ君の記憶を探る手がかりは、『憂いのほら穴』にある」と。少し立ち止まって、イブは考えをまとめた。
「まずはほら穴までの道まわりを何周かパトロールして、ほら穴に入るのはそれまで何事もなかったら、っていうのはどう?」
「それでいいのか?」
「うん。ボクの記憶の手がかりになりそうな場所は、ほら穴に入ってすぐってカイナさんも言ってたから。あとまわしでいいとおもう」
「了解。じゃあまずはパトロールな」
 二匹は歩き出した。
「……あんまり敵はいないみたいだけど、倒れてるポケモンの声は聞き逃さないようにしようぜ」
「りょうかいです」
 ミロトとかんたんにさくせんを立てて、森の奥へと進んでいく。二匹の間隔は、お互いの足音にお互いの聴覚が邪魔されないくらいを保とう、と『LUCKS』仕込みのノウハウも実践してみている。
 森の中は、静かではあってもポケモンの出入りがまったくないわけではないのか、きのみやふしぎだまなどのどうぐはポツポツと落ちていた。中にはふしぎな機能をもつリボンやスカーフもあった。
「みろよイブ、これ『みきりハチマキ』だ!」
「えっすごい! ミロトくん、ユウさんから見せてもらってからずっと欲しがってたもんね!」
「うん、オレにぴったりだなって。これで敵の攻撃なんか当たらないぜ!」
 森に入ったころには雰囲気に飲まれていたイブとミロトも、珍しいどうぐを目にしてはしゃぐようになっていた。初めて来る場所ではかならず不安げになるイブですら、そんなことは忘れているようだった。
「……はっ! ミロトくん、パトロールも集中しないと」
「! そうだったな!」
 イブがようやく本来の目的を思い出して、ミロトをつつく。ミロトもあわてて耳を立ててパトロール隊形(というには大仰だけれども)に戻る。それでもいろんなどうぐを手に入れたミロトはほくほく顔だった。イブはそんなミロトを見て、ほほ笑ましさを感じながら言う。
「こうやっていろんなどうぐを拾えるなら、『探検』もおもしろいのかもね」
「『探検』かぁ。そうかもな。基地の、遠征してるっていうメンバーもこんなことしてるのかな~」
「どんなポケモンたちなんだろうね~」

 イブとミロトが『嘆きの森』に入ってしばらく経ったころ、一匹のポケモンが急ぎ足で森の中に姿を現した。背の高さはイーブイのイブやミミロルのミロトと比べると高い。かれらの倍ほどはあるだろう。が、その姿かたちはやや耳の長いクマやパンダのぬいぐるみのようだ。クリーム色の毛皮に、朱色のぶち模様。目や耳には、特徴的なうずまきの模様が見える。そのポケモンは『パッチール』と一般的には呼ばれていた。
 そのパッチールは、ときどき後ろを気にしながら、目に涙を浮かべて森の奥へ奥へと駆けていく。あまり足は速くないようで、そのうえ道なき道を進んでいるせいもあるのだろう、そびえ立つ木々に腕や肩をぶつけながら懸命に足を運んでいる。
「はぁ、はぁ……捕まったら、捕まったら~……!」
 パッチールの姿を捉える視線は、森の上空と森の中、二匹から向けられていた。二匹は互いに合図を送りながら、パッチールが進む方向を確実に追っていく。それはイブたちが目指すほら穴の方向と一致していた。

「どうだ? イブのほうは何か聞こえたか?」
「ううん、なにも。異常なしだとおもう」
 パトロールを始めてからどれだけ経ったろうか、すでに日も傾きかけていた。イブとミロトは、先に見つけた『憂いのほら穴』とその周辺を二周ばかり探索し終えた。体調を崩して動けなくなっているポケモンどころか、ここらをナワバリにしているポケモンとも出会うことなく、今に至る。
「見つかったのはどうぐだけだったな~」
「うん、でも何事もないのがいちばんいいのかもね」
 二匹は『憂いのほら穴』の入り口で、パトロール中に拾った収穫を確かめ合った。カバンはいっぱいで、これ以上拾おうにも収まりきらない。
「そろそろほら穴に入って、目的が済んだら基地にもどろうぜ。さすがにつかれてきた」
「うん、じゃあもうちょっとだけ付き合ってもらうね」
 イブの胸がとくんと鳴る。ボクの記憶の手がかりがこのほら穴にあるかもしれない。すっかりこの世界に慣れてきたけど、やっぱり自分の正体は知りたい。知っておかなきゃ。
「気にするなって」
 ミロトが表情のかたくなったイブを励ます。
 イブはそれに応えて、ほら穴の土を踏みしめた。
 『憂いのほら穴』の内部は、入り口から十歩も歩くと、ひとつの大きな空間が広がっていた。周りにはしっとりとした苔が、『嘆きの森』と同じように生えている。入り口からそう入り込んでいないため、暗くはない。その空間、部屋の中央には、大きな石碑がひとつ、イブたちを見下ろすように据えられていた。石碑の形はいびつだ。なにか、大きな力で砕かれたひとかけらがそのままどん、と無造作に置かれているように見えなくも無い。
 石碑の目の前まできたイブは、そこに描かれている文字に目をやった。
「なにか書かれてるけど……」
 ミロトをのほうは、目を凝らして石碑に見入っている。
「似てる」
「似てるって?」
「お母さんと回った霊場にあった文字と……いや、それだけじゃなくて、石碑自体も、雰囲気も。けっこう似てるよ、ここ」
 ミロトは石碑に近づき、質感を確かめるようになでた。
「なんて、書いてあるか分かる?」
「……ああ」
 石碑の内容が気になってもどかしそうにしているイブに、ミロトが文字を読み上げた。
「世界が歪みしとき――」

 世界が歪みしとき、あらゆる災厄起こりしとき。
 その存在、世界に在ること許されず。世界の安寧を揺るがすなり。
 しかしその災厄祓うは人なり。

「……なんだこれ?」
 わけがわからない、とミロトが大きなため息をつく。
「なんだろう……むつかしいけど……ヒト、って?」
 イブがただひとつ耳についた、『人』という言葉を復唱した。ミロトが答える。
「『人』っていうのは、この世界の神話によく出てくる、なんてゆーか……ポケモンじゃない生き物だよ」
「ふぅん」
「霊場で目にする文字の中に、ときどきあった文字だ。もう一文字足して『人間』ともいうらしい」
 イブは石碑を見つめた。ひと、にんげん。ちょっと、懐かしい響きがする。もしかして、昔のボクは……
「……イブ? 何かわかりそうか?」
 ミロトの問いかけに、イブの反応はない。ミロトは思った。きっと、いまイブは必死に自分の頭の中をたたいてみてるのだろう。なんだかこっちまで気持ちが焦れてきそうだけど、ここはイブ自身しかどうにもできない領域なんだから、オレは黙っていよう、と。
(でもこれ、『人』もそうだけど、世界に『災……ナントカ』とか、『その存在』とか、気になる言葉ばっかりだな)
 何だよ『その存在』って、とミロトは石碑に突っ込みを入れたところで、ふと気づいた。もしかして、この文章の前に、別の文章があったんじゃ……? と、いうことは、前じゃなくて後ろにも続きがある、とか……?
 静かなほら穴に轟音が響いた。
 イブとミロトはとっさに身を伏せ、頭を手で隠した。音がしたのはほら穴の入り口すぐ近くからだ。二匹が土ぼこりをあげる入り口に目を向けると、そこからどすん、と目の前に転がるもの――一匹のポケモンが入ってきた。
「う……」
 仰向けに倒れたそのポケモンは、ちいさく呻いたきり気絶してしまった。
「だ、大丈夫ですか!?」
 イブがあわててポケモンの傍らに移動し、手当てにかかる。その様子を背中だけでたしかめて、ミロトは入り口をにらみつけて警戒する。が、ほかのポケモンの気配は感じ取れない。
「……? 『パッチール』だな、そのポケモン。どうだ?」
 ミロトはうしろを振り返らないままイブに確認する。
「うん、気は失ってるけど傷はそれほどでもないみたい。よかった」
「よし、明るいところで見て、応急処置が必要なさそうだったらすぐに基地に戻ろう」
「うんっ!」
 移動のため、ミロトがどうにかイブの背にパッチールを乗せようと持ち上げかけたところに、低い声が響いた。
「止まれ」
 ミロトはあわてて入り口に向きなおった。明らかに大きな気配がそこにある。さっきの爆発は、こいつの仕業か?
 その気配は間もなく影となって入り口を覆った。大きい。カイリューのカイナと肩を並べられるほどの体躯だ。額と鼻にはドリルのように禍々しい二本の角。太く短い二本の足で立つ全身のすべては荒く積み上げられた岩石のようであり、頑強の二文字こそふさわしい。そこに鉄錆色の模様で、全体の頑強さにこれでもかというほどのアクセントがついている。
 ミロトが敵対心もあらわに問う。
「誰だ、オマエ」
 入り口を塞がれたことで光が届かなくなったほら穴に、その大きな影は遠慮なく声を押し込んだ。
「んん……? お前らだな? 最近あちこちで幅を利かせ始めたイーブイとミミロルというのは。ちょうどいい……」
 見かけから想像できる通りの足音を響かせ、ミロトと対峙する。
「『ドサイドン』という。止まったなら、退け。お前らはこれ以上進ませない」
「ふーん、大変だね。じゃあ、急いでるん」

 ドッ!!

 重くしめった音と風圧が、あたりの空気を煽る。
 文字どおり問答無用にミロトに放たれたドサイドンの攻撃を、ミロトを押しのけるように割って入ったイブが背中で受けとめた。
「な……何するんですか!!」
 イブは背中に圧し掛かるドサイドンの足を振り払った。
「何も聞くな。まずはそのパッチールを渡せ」
「なっ」
 先ほどの急な攻撃と、このあまりにも粗暴な要求に声を詰まらせるミロト。それに対抗したのは意外にもイブだった。
「ダメです! 基地に運ばせてもらいます!!」
 怒声と言ってもいいくらいだった。傍から見ても、イブの小さな体には似つかわしくないほどの気迫をそなえて。いつもは好戦的でないイブがここまでの姿勢を見せているという事態に、ミロトは身を引き締め、言う。
「パートナーもこう言ってるんで。残念だけど」
 臨戦態勢のととのった二匹にも、ドサイドンはひるむことなどない様子だった。
「フン……忌々しい存在が」
 イブとミロトをねめつけたドサイドンから、二匹の比ではないほどの殺気が放たれた。
「いいか。お前らの中にこの世界を歩いてはいけない奴がいる」
 低く、暗く、ぞっとするような声を向ける。
 イブは動けなくなった。それがドサイドンから放たれる、これまで体感したことの無い威圧感によるものだけなのかはわからなかった。
「は……? 何のことだよ」
 襲いくる殺気に、ミロトは精一杯のまれないよう努力する。が、それもいつまで保っていられるか。
 ドサイドンは二匹への押さえつけを緩めようとはしない。
「食事も、会話も、呼吸もだ。全てが忌むべきそいつの残滓としてこの世界を汚す」
 ドサイドンの言葉が、イブの耳を経て身体中を駆ける。言っていることはよくわからない。しかし、その言葉は直接イブの心を支配しようと苦痛と共に暴れまわっている。
「だが神は、そいつがただ一所でじっとしているなら存在を赦そう、と仰っている」
「うわ……いきなり神とか言い出したぞ」
 巫女の子供とは思えない発言をするミロトだが、当のミロトはそこまで気が回っていない。この時点で、ドサイドンを挑発しつつ、戦闘になった場合にどう仕掛けるかを考えていた。しかし、うまく初動がイメージできない。勝てるかどうかの想像でさえ、難しくなっている。
「お前達は無知なのだ。それゆえ自らがすでに犯している過ちすら気づかない」
「~~だぁもうッ! いいオトナがワケわからんことばっかり言ってんじゃねー!!」
 吼えたミロトに呼応して、ほら穴にイブの『なきごえ』が響きわたる。
 ミロトは仕掛けた。パッチールを基地に運ばなくちゃいけないのに、これ以上ぐだぐだと時間を潰すのが嫌だ。そう、恐怖をごまかすための自己暗示をかけて。眼前に迫る『ロックブラスト』数発を避けると、そのままドサイドンの死角に踏み込んだ。

 ここではさわりとこの後の結果だけ述べる。
 イブとミロトは勇敢とも評することができる戦闘に敗れた。それは一方的といって差し支えなかった。初めての危機的な敗北だった。

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