むかしむかしのおはなしです。
ある時世界に「わるもの」が降ってきました。
その「わるもの」はどんなに強いポケモンでも、伝説のポケモンでもかなわない恐ろしい力を持っていました。
ポケモンたちは必死で戦いましたが、力ではとてもかないません。
なぜなら「わるもの」は心を操るからです。
どんなに強くても、どんなに美しくても、
生き物には「わるい」感情が生まれます。
「わるもの」はそれを使ってポケモンたちを支配しようとしていました。
ポケモンたちは聖なる力を求め、長い長い旅をしました。
「「わるもの」をおしのけ、この世界に再び平和が訪れますように」
ポケモンたちの願いはひとつでした。
しかし、やっと見つけた力は彼らに力を貸してはくれませんでした。
ポケモンに使うことができる力ではなかったのです。
ポケモンたちは絶望し、あわやすべてが飲み込まれるという時でした。
一匹の英雄が、不思議な生き物を連れ立って戦いに赴いたのです。
その不思議な生き物は自らを「ニンゲン」と言いました。
むかし、ポケモンたちの先祖からわかたれて生まれたというその生き物は、「わるもの」が理解できないほどに複雑な感情と強固な意思をもち、その強さによって聖なる力を扱うことができました。
ポケモンたちはニンゲンの力を見て希望を取り戻しました。
英雄とニンゲンはポケモンたちを励まし、まとめあげ、その力でついに「わるもの」を封じ込めました。
世界には平和が訪れました。
英雄たちは役目を終え、どこかへ去っていきました。
ポケモンたちは英雄とニンゲンを讃え、
いつまでも幸せに暮らしたのでした。ーーー
ティーにとってその日は何かに取り憑かれたかのような厄日だった。一匹で頑張ると善意が空回りするのはいつものことだが、その日は輪をかけて最悪だった。
興味のない歴史の授業だったので爆睡を決め込んでいた時に限ってカモネギ先生に指名されるし、とっさに視線で助けを求めたウィズは何か考え事をしていて助けてくれなかった。
好きな男子に振られたらしい女の子を見かけて相談に乗っていたら地雷を踏んでしまい烈火のごとくブチ切れられ、さらにはお使いを引き受けたら場所をど忘れしてなんとなくそんな気がする場所に置いてきたら依頼したポケモンが怒鳴り込んできた。
しまいには挽回しようと独断で受けてきた依頼が罠だったらしく、現在敵の巣窟であるモンスターハウスにおびき出されて身包みを剥がされかける事態の真っ最中だ。
大雑把ここに極まれりという。依頼を受けた時誰かが一緒にいればその怪しい雰囲気に気がついたのかもしれないが、細かいことを気にしない性格が災いした。
「お前なーーー!!!」
「ごめんってーーー!!!」
ウィズの怒声に怒声のような声で謝り倒している間にも敵はふたりを包囲する。
「ウィズ!ひとまず通路に!」
「わかってる!」
ティーの声に隙を挟まず返したウィズもそのつもりですでに通路へと駆け出している。動きの速いポケモンたちが猛追してくるのを走りながらウィズがひっかいてひるませた。その隙にふたりして通路へと滑り込む。
どんなに大勢でかかってきたところで通路の幅は一匹分しかない。ぞろぞろと列をなして追いかけてきたポケモンたちを一匹ずつティーが叩き、ウィズがその後ろからひのこを飛ばして撃退していく。時折後ろからやってくる敵もいたが、すかさずウィズが枝を使って動きを封じた。
時間にして半刻ほど。叩いては燃やしを繰り返した後、一層下の階で仕留められた獲物を悠々と待っていたポケモンの表情が硬くなるよりも先にティーのつるのムチがその姿をとらえた。
「ご、ごめんなさい・・・・ゆるして。」
モンスターハウスを突破すると依頼者だったらしいキルリアが涙を浮かべてふたりに許しを請う。ふたりはぼろぼろだ。向こうも哀れに震えているがそんなことは知ったことではないウィズは攻撃を加える構えを解かない。
「ふざけんなよ、こっちは死ぬところだ。」
「出来心だったの…みんなもやる気になっちゃって引けなかったし、…ねえお兄さん、そんな怖い顔しないでぇ?」
震えている姿に情けをかけかけたティーはげんなりした気持ちでキルリアを見た。女のティーから見てもこのキルリアはとても綺麗な容姿だ。かわいい容姿と言えばクラスメイトのシキジカのアンだってかわいいが、こんなに洗練されてはいない。大きな目に涙をためて小首をかしげる様子はあざといながらも完璧だ。完璧にかわいい。
さしずめ男になんでもしてもらってきたのだろう。でもティーは知っている。割と男って、そんなもんだ。ジャックやカイルだって普段大きな顔をしているがアンにはデレデレだし、怒られたって強く出られない。
だからティーは思うのだ。しおらしく涙を浮かべている綺麗な女性に対して怒りを持ち続けられる男なんていないだろうなぁ、と。
「一回反省しろ。」
ほらウィズだってと思ったティーは、直後その整った容姿がこんがり茶色に焼けるなんて思ってもみなかった。
「くそ、あいつらぜったいゆるさんかいてんざん。」
「怒りすぎてZ授かってるよ。」
「お前のせいでとんだ厄日だ。」
「だから奢ってるんでしょ。それに多勢相手に連戦したせいでずいぶんと連携は上手くなったし!……でも騙されたとはいえあんな美ポケさんの顔面焼いちゃうなんてなんか申し訳なくなるよね・・・」
カフェで依頼報酬を受け取ったのちにおやつの時間を相棒のお小遣いで楽しんでいたウィズは、ティーの言葉に首をひねった。
「美ポケって?」
「うそ、信じらんない!!さっきのキルリアのことだよ!?」
「ええ…そんなこと言われても。」
何を言っているんだと言わんばかりのティーの様子にウィズはますます首を傾げる。ティーの言っているキルリアとはどう考えても先ほどウィステリアをハメてくださった依頼ポケモンだ。
上半身をこんがり焼かれて泣きながらもうしませんと誓った彼女は、監視もかねてつながりオーブに登録したがウィズは未だに許せていない。
人の身包みを剥がそうとするようなポケモンの容姿までウィズは気にかけてはいなかった。
綺麗だといわれてもウィズにはその差がわからないし、キルリアはそこまで愛らしいと思った覚えがない。それを言ったらあの生意気なヤンチャムの方がまだ全然可愛らしいと思う。なぜならふわふわの毛が生えている。誠に残念ながらノットもふもふはウィズの好みの範疇外だった。
「俺、ポケモンの性別なんて話すまでわかんねえし、大体皆同じ顔だろ?」
「冗談でしょ…じゃあ、このカフェ内でウィズが一番かわいいなーって思うポケモンはどんななの?」
「俺。」
「君以外で。」
さも当たり前と言わんばかりの自信満々な様子をティーはあきれた顔で切り返す。
ティーから見るとウィズはいつも寄っている眉間のしわさえ取れれば確かに可愛らしい顔をしていると思う。多少女性的な線の細さだが。
ただ美形が怒ると怖いとはいうものでその目つきの悪さが問題なのだ。目鼻立ちが整っているだけに表情が歪むとはっきりわかる。
だから子供はたいてい怖がるし周りからの印象だってよくない。それをわかっているかどうかはともかくすっぱり切り捨てられるのはわかっていたようで、きょろきょろとあたりを見渡すとカウンターで注文している一匹のポケモンに目を付ける。
「あそこのブースターかな。」
目に見えてティーはドン引きした。
「…あれ、おじさんだよ?コノハナさんより年上だと思うけど。」
「嘘だろ…。」
あんなにもふもふなのにオーガスタより…と言うウィズに、この男本気で醜美も男女の区別もついていやがらねえ…、とティーは理解できないものを見るような視線を送る。
「もこもこしてればみんな可愛いだろ…。」
「それ本気で言ってるならジャックだってかわいいことになるでしょ?」
「あいつは見た目は可愛いけど性格が可愛くない。」
「うっそだぁ…。」
信じられないという顔のティーにウィズもさすがに居心地が悪い。もふもふなら何でもいいわけではないがもふもふは大抵かわいい。愛玩的な意味で、だ。
声を聞いたりニドランやケンホロウのようなはっきりした雄雌の違いがあったりすればわかるのだが、人間の感覚で見ているからなのか話してみなければわからないことが多いのだ。
ティーのように一瞬見ただけで男女や醜美を見分けたりするのは難しい。
「むしろどうしてわかるんだよ!」
「ニンゲン視点ってよくわかんないけど私は?かわいい??」
「来世に期待しろ。」
「最低かよ!!!」
テーブル越しにスカーフを引っ掴むとウィズから蛙のような声が上がる。
一応それはティーの宝物ではあるが今は怒りが勝った。
「私だってよく見ればちゃんとかわいいよ!」
「『よく見れば』『ちゃんと』ってあたりに盛ってる感を感じざるを得ない…げほ。」
「そりゃアンみたいに即答はできないけど普通にかわいいから!」
「でも毛が生えてないし・・・」
「この毛皮狂い!!!!」
ギャーギャーと一通り騒いだあとは不思議といつの間にか落ち着いている。
ウィズが取り出した本をティーが覗き込んだ。
普段は小難しい歴史書や時事録が多いが、今日は表紙のコミカルさが目を惹いた。
「それ全部子供が読むやつだよ?」
「知ってる。児童書欄にあったからな。」
目の前に広がるのは小さな子どもが読むような変哲もない、有名な内容の絵本だった。
ティーも昔カーティス村長に読んでもらった記憶がある。風のように駆け抜けた英雄たちの物語だ。
「それにその内容全部知ってるよ。作者は違うけど話の流れとオチは全部おんなじだしさ。」
「でもただのお伽話じゃないだろ?」
「ニンゲンが出てくる?」
ティーの返答にウィズが肯く。
ティーも人間の存在を知ったのはこれらの絵本からだった。あまりにも有名すぎるお伽話。
「そういうこと。俺って人間がいて、この世界に人間って概念があるなら事実が伝承化したパターンもあるかもしれないだろ。ただ昔話を基に創作されてる可能性が高いから同じような話をいくつも借りてきた。要点くらいはつかめるかも。」
「なるほどねえ…。」
読み始めたウィズが黙ってしまったので、ティーも手持無沙汰げに絵本を一冊手に取った。
読まれすぎてくたくたになっているのはそれだけ愛されている証拠だ。
基本の流れは勧善懲悪、しかも先が読めないハラハラさせられる展開に加えて未知の存在までいるのだ。子供に読み聞かせるにはぴったりだろう。
一つ一つ読んでみては共通項を書き出してみる。
そうしてあらかた読み終えたふたりは同じ疑問を抱いていた。
「これさ、どの話も英雄がニンゲンを一人だけ連れて来てるよね。」
「ああ、この人間はどこから来たとかそんな記述どこにもないよな。」
「なんか、みんな英雄やニンゲンのことぽっかり忘れてるみたい…。」
「まさかそんな、俺じゃねえんだから。」
どの話も人間の出生や英雄のポケモン名はおろか見た目も黒い影であったり光り輝く発光体のような姿で描かれ、その容姿の仔細はわからない。
幼い頃のティーは話にわくわくして特に気にすることもなかったが、改めて読んでみるとお伽話であるなら容姿くらい作者の思うようにすればいいのだし、史実であるなら伝承のひとつやふたつ残っているだろうにまったくわからないのだ。
ひとつの話をもとに作ったのであれば派生形も皆同じようになるのかもしれないが、どれが派生かどうかも判別がつきにくい。
「この絵じゃニンゲンが男か女かもよくわかんないよね。」
「俺がポケモンの性別わかんなかったんだからもしかすると逆もあるだろ。」
「ああ、そっか。」
ウィズみたいな見た目なのかと思った、というセリフを飲み込んで、ティーは読み終えた絵本をざっと眺める。
この話のはじまり、そして元凶でもある『わるもの』は空に浮かんだ黒い背景に描かれていて、全てはそれを倒すことに集約されている。
「…この『わるもの』ってなんだと思う?」
ティーが表紙をなぞってウィズに問う。
ある日いきなり現れた、どんなポケモンでも倒すことができなかったその絶対的な存在は、やはり英雄たちと同じようにその経緯やポケモンを襲う理由について語られてはいない。
「ポケモンと対立してるってことはポケモンじゃないかもしれないよな。妥当なところだと自然災害かパンデミック…でもそいつに対して人間にしか発揮できない力ってのもよくわかんねえ。俺から見てお前らって人間とそう変わらないように見えるんだけどな。」
「そうなの?」
「俺の知ってたポケモンってもっとこう…動物的っつーか、ここまで文化的じゃなかったと思ったんだけどな。」
あくまで感覚的なものだが、少なくともウィズの頭の中ではポケモンはここまで人間的な感覚は持っていなかったはずだった。
直線的な感情をぶつけてくる子供のような素直さをどうしてかウィズは知っている。
「おじいはもう何百年とこんなふうだって言ってるけどなぁ…。」
「じゃあ完全にこことは別物の世界ってことかもな。人間はそこにしかになくて、英雄は世界を行き来する力を持ってたとか。」
「で、選ばれしニンゲンが悪者を倒すと……ううん、なんだか本格的にお伽話じみてきたよ。本当にあったことだとしたら怖すぎるし…そんなの聞いたことないよ。」
「だめだな…共通点は確かにある、でもその情報は確実なものじゃない。」
「つまり?」
「ちゃんとした収穫はなしってこと。」
「だぁあああ〜!」
ここまで頑張って考えたのに、とティーがぼやいて机に突っ伏す。
ウィズからしてみればいつものことだが、期待をかけたものが外れていると虚しくなってくる経験は嫌というほど経験していた。
この半年間、「ニンゲン」という言葉すら見かけない日々が続いたのだ。今回は全く進展がなかったわけではないだけマシだと言える。
ただ一つだけわかることがある。人間はこの世界にはいない。英雄と呼ばれる『誰か』に連れてこられなければ。
(俺もどこからか目的があって連れてこられたのかもな…。最初オーベムたちに襲われたのはもしかしたらそれを邪魔するつもりだったのか?ならどうして俺自身はそれを覚えてないんだ。)
ウィズはそう思考を巡らせた。物語と同じ目的で連れてこられたというのなら今ウィズの前には英雄と呼ばれたポケモンがいるはずだろう。事故か、はたまたウィズは別件か。
そもそもお伽噺と同じ状況だと言われても困る。『わるもの』が迫ってきていることになってしまうし、ウィズにはそんな力はない。前提条件すら怪しい中でその答えに確証を持たせるのは砂漠の中で小石を探すようなものだ。
結局は何も進んではいない。いつもと同じ、進むべき方向が定まらない。
(英雄さん、…あんたは一体誰だ。お前の種族さえわかれば俺は元に…。)
絵本の表紙をなぞったところでその答えは出るはずもない。
「そもそも俺ら歴史家でも考古学者でもねえしな、こんなんで何かわかるわけねえか…」
「考古学かぁ……。………考古学!!!!」
突っ伏した状態から椅子を跳ね飛ばさん勢いで立ち上がったティーに、ウィズは一瞬浮き上がった自分の尻尾の毛なみを戻しながらティーをマジマジと見た。
「ビビった…」
「考古学といえばさ!!調査団だよウィズ!」
「調査団はポケモン助けとダンジョン調査が主なんじゃないのかよ。」
調査団見習いチームとなってからと言うもの、新聞でその名前を見留めることが多くなったが、その殆どが誰かを助けた、未知のダンジョンを踏破、という見出しばかりだった。
考古学がそれに関わっているという情報は聞いたことが無い。
「それもあるけどメンバーに考古学者がいたはずだよ!あー…ポケモン名は思い出せないけどたしかコ…、そう、コールって名前。『アルバ団長』が率いてる今の調査団の初期メンバーで、なんでも知ってるって何年か前にちらっと雑誌で読んだ!」
何年か前にちらっと見ただけの情報を覚えているのはさすが調査団志望というだけある。
ウィズもその情報が間違っているとは思わないが、その調査団に特化した記憶力には呆れてしまう。数分前に聞いたお使いの場所すら思い出せないティーから出た言葉だとは思えない。
「お前その記憶力勉強に生かせないの?」
「自分に興味のあることしか覚えらんない!」
自覚はあるらしい元気な返事はウィズの予想通りだった。
「あっそ…でもいい情報だ。問題はどうやってそいつと会うかだな。」
「山越えは寒くなりそうだなぁ…。」
「荷物も多くなる覚悟はしとけよ。半分ずつだからな。」
そわりと動いた尻尾たちは、旅立ちの時を決意したようだった。