今昔求狐物語

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作者:jupetto
にっかさん主催のキュウコン本に寄稿した小説になります。テーマは『月』でした。




 今となってはもうずいぶん昔の話ですが、あるところに不思議なキュウコンがおりました。キュウコンという生き物は総じて体は金色に輝き、火を操るものですが、そのキュウコンは体が雪のように白く、火ではなく氷を操ることが出来ました。
 何より特異だったのは、キュウコンというのは何かしら呪いや祟りを使うのですがそのキュウコンには『頼まれた願いを叶えてしまう』という呪いがありました。
 願いを叶える魔法の存在は、ニンゲンにとって欲望であり希望であり絶望です。世間のニンゲンはその貴賤を問わず皆どうにかしてそのキュウコンに願いを叶えさせたいと、噂を聞いては白いキュウコンを探し回りました。
 白いキュウコンは最初はそれがニンゲンの役に立つならと喜んで願いを叶えていましたが、そのうちおかしなことばかり起こるようになりました。
 願いを叶えたはずの相手が幸せにならなくなっていったのです。最初は小さな不運が起こるだけでしたが、意中の相手を振り向かせてやれば十年後には破局し、金銀財宝を与えれば強盗に殺され、永遠の命を願ったものは、知り合いに悉く先立たれる不幸に絶望しました。願いを叶えるごとに降りかかる災いは増幅していったのです。キュウコンの力は、どこまで甘美であっても呪いであり、絶望を撒く毒なのでした。
白いキュウコンも己の呪いが、願いを叶えた相手を不幸にするのだと気づきました。噂を聞くニンゲンたちも、段々危ういモノだと思い始めました。  
 けれども、願いを叶えてくれと頼んで来るものは後を絶ちません。愛する死者を蘇えらせてくれ、この世で最強の剣士にしてくれ。一国の大名にしてくれ……無数の願いが、白いキュウコンに届きます。『頼まれた願いを叶えてしまう』白いキュウコンは拒否できず、願いを叶え続けました。結果として、朽ちた体で徘徊する死者に、もう対等に戦う相手がいなくなったこの世に、大名になっても国を治られない現実に。全てのニンゲンが絶望しました。
 そして、白いキュウコンもまた絶望したのです。身勝手な願いを叶えさせる強欲さに、不幸になるという噂を知っていても願いを求める弱さに、自分なら大丈夫だと過信する傲慢さに。最後はおしなべて絶望することに。何よりも、そうとも知らず、そうと知ってなお大した対策もせずニンゲンを不幸にし続けた自分自身に。
ニンゲンも自分も嫌いになった白いキュウコンはニンゲンの願いを叶えないために山奥に隠れ、神通力を使って自身を人間の姿に変えました。更には自身の特異性の一つである氷を操る術を使い、一年中雪が止まぬ雪山に変えてしまったのです。雪山になったことでかつて一緒にいたキュウコンたちはみんな逃げてしまい、独りになりました。
願いを求めるニンゲンがいなくなったわけではありませんが、挑戦するものもたどり着けるものも減り――白いキュウコンに願いを乞うものはどんどん減っていきました。願いを叶えた後も白いキュウコンは無関心を装い続けました。
そうすることで、ようやく白いキュウコンはほんの少し己を好きになれました。もうたくさんの人を不幸にしなくても済む。ここまでやったのだから、これから願いを叶えに来て不幸になるニンゲンがいても自業自得でしかないのだと。自分はニンゲンを不幸にしないために十分頑張ったのだと。そう思えば、雪山に独りの生活は少しも辛くなかったのです。
物語はこれでおしまい――にはなりません。それでも少しずつキュウコンは願いを叶え、ニンゲンを不幸にします。
遠い遠い、昔のお話です。今でも語られる、お話です。









 白いキュウコンが山奥に籠ってから百年ほど。もはや雪山はニンゲンから呪いの地とされ、足を踏み入れるものすら滅多にいなくなりました。白いキュウコンは時折食べ物を取りに行く時以外、ずっと山の天辺に作った小屋に住み続けました。食べ物を取りに行くときや山にニンゲンが来た時も、自分の姿を真っ白い髪をした青年の姿に変え、セツヤと名乗ることで偽っていました。
――そんな生活を続けているとき、二十年ぶりにニンゲンの男がセツヤを訪ねてきました。セツヤはニンゲンのふりをして誤魔化そうとしましたが、やたら着飾った身なりの男はセツヤを白いキュウコンだと見抜いているようでした。
 男はセツヤに『フーディンの御石の鉢』を渡すように言いました。ですがセツヤはそんな物見たことも聞いたこともなかったのです。断ることが出来ないセツヤは、具体的にどういう物か訊くと、男はフーディンが粥を食うために匙と一緒に使う道具だと言います。セツヤはなんとかそれを想像して創造しました。男は大喜びで、勝手に金の延べ棒を置いて行き去りました。
 それだけならセツヤも愚かなニンゲンが来たとしか思いませんでしたが、その一週間後、別のやたら着飾った男がやってきたのです。やはりごまかしも通用せず、その男はセツヤに『ナッシーの珠の枝』を要求しました。やはり見たことも聞いたこともない物でした。セツヤがそれは何かと聞くと、男は体は金で、根本は銀。きっとその実は、大きな真珠で出来ていると言います。妙にあやふやなのは気になりましたが、セツヤには断る権利も興味もありませんでした。どうせ、どんな願いだろうと叶えた以上ニンゲンは不幸になるのです。
 言われた通りに作り出すと、男は勝手に美しい反物を礼にと置いて一目散に雪山を降りました。単に寒いからというよりは何か焦っている風でしたが、もうセツヤにはニンゲンの都合などどうでもいいことです。
 珍しいこともあるものだ、とセツヤが思いつつしかしもうしばらくは来ないだろうと思ったその三日後。またしてもニンゲンがやってきました。身なりのいい男でした。
 もう誤魔化すのも面倒になったセツヤはさっさと願いを言えと告げると、男は『もらい火ラッタのかわごろも』を要求しました。やはり知らないモノであり、何か聞いてもいまいち判然としませんでした。仕方なくそれを聞いた通りに作ってやると、男は急いで体力の果実と獣の肉を置いて去りました。
 そんなことが、立て続けにさらに二回起こりました。次の男は『カイリューの首の珠』、五人目の男は『ピジョットが生んだ子安貝』を求めセツヤの元を訪れました。五人目でさすがに不審に思ったセツヤは、大判小判を置いて帰ろうとする男に尋ねます。
「お前達は何者だ。何故珍妙なものばかりを我に求めるのだ」
 男は慌てて振り返り、前にも私のような者が来たのかと尋ねます。質問に質問で返されたことは不愉快です。
「貴君で五人目だ」
 と苛立ちと共に返しました。男は一層慌てて山から去ろうとするので、セツヤは答えぬと氷漬けにするぞと脅してみることにしました。男はさすがにセツヤを恐れた様子で振り向きます。
「これを届けねばならない人がいる。他の者も同じだ。そして私で最後だ」
 そう言い残し去っていきました。ますます訳が分かりませんでしたが、追いかけるのも面倒です。これで最後、というからにはもう来ないのだと思うことにしました。
 事実、もう身なりのいい男が自分に不思議なものを求めて来ることはありませんでした。一か月もすると、セツヤも安心して今まで通りの生活を続けられました。男達がどうなったのかは知りませんが、どうせ自業自得です。セツヤは努めて気にしないことにします。
 物語はこれでおしまい――にはなりません。セツヤは確かに願いを叶え、ニンゲンを不幸にします。
 遠い、昔のお話です。今でも語られる、お話です。




 

 男達が尋ねてきてから一年後、キュウコンの元へやってきたのは一人の若い女でした。身なりもかなり良かったのですが、何よりニンゲンに絶望したセツヤでさえ姿見に目を奪われるような、美しい女でした。
 女はセツヤの元へ足早に歩み寄ります。近くで見ると一層宝玉のように硬い美しさを持っているように見えました。女はこう尋ねてきます。
「お前が願いを叶えるというキュウコンか?」
「人違いだ。我はただのニンゲンにすぎぬ」
「そうか、お前があのキュウコンなのだな」
「何を根拠に……」
「自分を我と称する癖にニンゲンにすぎぬというニンゲンがいるものか」
 確信を持った口調に誤魔化すだけ時間の無駄だと悟ったセツヤは、そうだと返しました。どうせいつもの事、この女も所詮は浅ましく自分に絶望するだけの願いを乞うのだとセツヤは内心うんざりしました。ですが、女はこう口にしました。
「そうか! 名は何と言う? わたしの名はカグヤ。わたしはお前に礼を言いに来た」
 セツヤはカグヤと名乗る女の願いを叶えたこともそれ以外で礼を言われるようなことをした覚えもありません。疑問に思いつつも、我が名はセツヤだと答えます。
「セツヤか。良い名を親に貰ったのだな」
 などとカグヤは小さく笑みを浮かべます。その笑みに見ほれそうになる己もこの女にも調子が狂い、セツヤは意地になって言いました。
「親に貰った名などではない。我が自らをこの姿にする際に付けたのだ」
「ははは、そうなのか! セツヤは言葉遣いの割に随分と愉快だな!」
 とカグヤはいよいよ声を上げて笑ったので、セツヤは体から冷気を発して凄みます。
「さっさと礼をやらを言って帰れ。尤も貴様に礼を言われる理由などないがな」
「褒めたつもりだが気に障ったか……すまん。ともかく、一年ほど前に五人の男達がお前を尋ねなかったか?」
 もちろんセツヤは忘れていません。ほんの一か月の間に五人も願いを告げにやってくるものが来たこと自体、雪山に籠ってからは前代未聞でした。しかもそれぞれ別のおかしなものを要求されたので面倒だったことを記憶しています。
「やはりか……。まず前提から話しておくと、あれらはわたしへの求婚者たちだ」
「つまり、あのニンゲンどもは貴様が差し向けたということか」
 ニンゲンの都合などどうでもいいセツヤは億劫そうに呟きます。しかし、カグヤは首を振りました。
「違う。あの時わたしはお前の存在すら知らなかった。あいつらがお前に頼んだものは、わたしと婚約したくばわたしの欲しいものを持ってこいと命じたこの世に存在しないものなのだ」
 カグヤは言いました。自分はこの世に生を受けて成長してからというもの、この美しさから一目見たがるものや求婚者が後を絶たなかった。ついには帝のような権力者まで訪ねてくるようになってしまったので、無下には出来ずあのような難題を出すしかなかったのだと言います。
「それで、あの五人はどうしたのだ」
「帰る途中で遭難し戻ってこなかった者もいれば、途中で盗まれた者もいるな。残りは所詮偽物なので突き返した。これを手に入れるためにお前へ求める前にも随分奔走したんだろうな。偽物だと言ってやったら皆衰弱してしまった」
「……貴様、性格が悪いのではないか?」
 セツヤに願いを乞うた以上、幸せになることはあり得ないとわかっていたので驚きはありませんでした。が、カグヤの態度からは男達に対する罪の意識を感じませんでした。批難するようなセツヤの言葉に、カグヤはふと寂しそうに自嘲します。
「そうかもしれないな……わたしは罪深き女だ。わたしを愛すると言ってくれた男達に、何の感慨も沸かない。むしろお前は随分優しいやつだな」
「ほざくな。貴様ら愚かなニンゲンがどうなろうと知ったことではない」
 今まで接してくるニンゲンは全て己の願いをぶつけるばかりでセツヤという個体に何の興味も示しませんでした。それ故セツヤ自身の心と言葉に、真っ新な雪原に足跡をつけるがごとく向かってくるカグヤに戸惑いを隠せません。つい早口に否定します。カグヤはそれを面白そうに見つめていましたが、セツヤが氷を手から出して凄むと口を開きました。
「お前にわたしを助ける意思なんてなかっただろうが、その五人が失敗してからはどうやってもわたしを嫁にすることは出来ないと思ったのか、めっきり求婚者も減ったんだ。それで礼を言いに来たのだ」
「つまらぬ自己満足だ。用が済んだならさっさと帰れ」
 カグヤから目を反らして不機嫌にセツヤがそう言うと、カグヤは周りの雪山を見渡して尋ねました。
「……なあ。お前はどうしてこんな雪山に独りで住んでるんだ?」
「つまらんことを聞くな」
「答えてくれ。気になる」
 セツヤの発する冷気に構わず前かがみになり詰め寄るカグヤに、なんて勝気な女だとセツヤは呆れました。仕方なく答えます。
「我はあの男共のような自分勝手に願いを言うニンゲン共に絶望した。極力関わりたくないからここにいる」
「へえ。今までどれくらいのニンゲンの願いを叶えてきた?」
「……貴様は今までに食った米粒の数を覚えているのか!?」
 その問いは、セツヤにとって孤独の元凶であり、ニンゲンを不幸にし続ける蠱毒の結晶です。セツヤの身体からひときわ強い冷気と妖気が放たれました。カグヤは寒さに身震いし少し距離を離したものの、セツヤを見定めるように見つめたままです。
「だからニンゲンなんて嫌いだし、ニンゲンを避けるためにここにいるというわけなのか?」
「それがどうした」
「いや? その割には、あの男達の安否を気にしたりわたしを責めるようなことを言うと思っただけだ」
「つまらん妄想を……」
 カグヤはセツヤを愛らしい子狐でも見るような眼で見るので、セツヤは少し恐ろしくなりました。ずっと願いを叶える異形の存在と崇められたキュウコンであるセツヤには、カグヤの思考が理解できません。セツヤが眼を背けても、カグヤはその場でしばらく思案顔をしていました。
 そしてよし、と呟くと。意を決した顔でこう言うのです。
「そうだな……お前となら、結婚したいな」
「…………は? 正気か?」
 いよいよセツヤは言葉の意味すらわからなくなりそうなほど混乱しました。自分はニンゲンではないし、今まで貴族や帝に婚約を求められても断った女がどうしてこんなことを言うのか、さっぱりわかりません。
「わたしは冗談は言わん。今までわたしの元へ寄ってくるのは単なる本能にせよ、美しいものを手に入れたと示したい名誉欲にせよ、所詮我欲に過ぎない。見てくれでないわたしという個人のことなど誰も見てはいなかった。……だがお前は違う。お前は他人を思いやれる。その為に行動できる。そういう奴だ、お前は」
 聞いて暫くセツヤ――いや、ニンゲンを不幸にする呪いを持ったキュウコンは意味を理解するのに時間がかかりました。そして理解して、その言葉に対して、人の命を奪うために吹き付ける吹雪のように激昂するのです。
「ふざけるな! つい今ここに来ただけの貴様が我の何を知った気になっている! 我はニンゲンの欲望を絶望へ変える悪の化身! 貴様ら愚かなニンゲンが我が力によって不幸にすることこそ我の望み! 現に貴様のいう五人の男は全て不幸になったと貴様自身も言ったはずだ!!」
 拒絶の意思を具現するように、ニンゲンの姿から真っ白なキュウコンに戻って凍える風でカグヤを吹き付けます。小さな氷の粒が、カグヤの服と肌を傷つけて。無理やりにでも、カグヤを追い出そうとするのです。
「……お前は本当に嘘が下手だな。だからニンゲンの姿をしていてもわかってしまうんだろう」
 それだけの冷気に晒されても、氷晶が体を傷つけてもカグヤは相変わらず見透かしたように言いました。確かに、人里へ降りた時はともかく山に来たニンゲンに対し自分はニンゲンだと言っても、いつも見抜かれていました。
「お前はニンゲンを不幸にすることなんて望んでいない。お前はニンゲンを絶望なんてさせたくなかったんだ。だって、おかしいだろう? ニンゲンを絶望させたいなら何故お前はこんなところにいる? 何故ニンゲンにはたどり着けないような雪山の天辺などに隠れている? ……何故、わたしが来た時もニンゲンを騙って、とぼけようとしたんだ?」
「そ、それは……」
 今までニンゲンたちにただの願いを叶える呪いとしか見なされていなかった白いキュウコンは、当然誰かにこんなことを言われるのも初めてでした。なので、上手く誤魔化すことなど出来ません。
「お前はニンゲンを極力不幸にしないためにこんなところに独りでいる。敢えて人を遠ざけている。でなければあの男達の顛末を聞いて心配などしない。ましてわたしを性格が悪いなどと言うまい。ずっと自分勝手な望みを聞かされ続け、ニンゲンの事は嫌いだろうに……優しさを捨てられない。そうなんだろう?」
「違う、そんなものは貴様の妄想だ。我は……ただ呪われたキュウコンにすぎぬ!」
 白いキュウコンは必死に言い返そうとします。しかし、凍える風は止まっていました。カグヤを遠ざけられませんでした。だってそれは――ずっと自分でも気づいていないふりをし続けた、たった一つの真実だったからです。
「お前の噂を聞いた時、わたしはわたしと同じように自分を求めてやってくるニンゲンの不幸などどうでもいいやつなのだろうと勝手に共感していた……でも、お前はそんなやつじゃなかった。お前はわたしよりずっと優しくて……でもわたしと同じ、ニンゲンを遠ざけざるを得ない独りぼっちだ。どれだけ尊大に、傲慢にあろうと言葉を尽くしても、お互いそれは変えられない。お前は……セツヤは、そういうやつなんだ。呪いなんかじゃない」
 カグヤはもう一度白いキュウコン――いえ、セツヤに歩み寄り、思い切りその体を抱きしめました。セツヤによって冷やされた体は氷のようで、抱きしめる手は震えています。それでもカグヤは、まっすぐに言うのです。
「ほら、どれだけ呪いと氷を発しても、お前の体は温かい……少なくともわたしは、そう感じられる。わたしはお前のように優しくないが、呪いではなくお前だけを見て、一緒にいてやれる」
「何故だ……何故貴様は我を見る。呪いではなく我を見られる?」
 もはや、セツヤにはカグヤの言葉を否定できません。カグヤは震える体で、そっと口にします。
「さっき言ったが、わたしも同じようなものだからだ……わたしの意思に関わらず、ニンゲンは寄ってくる。最初は悪い気がしなかったが、だんだん面倒になった……だから遠ざけた。だけど、独りは寂しいと思ったんだ……はは、勝手だな! それをお前と同じと言っては失礼か」
 カグヤは目をそっと閉じていきます。それはセツヤの事を信じたゆえの動きでした。命の鼓動はしっかりと伝わり、カグヤの抱えた孤独もまた、理解できました。セツヤ自身が孤独を寂しがっていたことにも、気づいてしまいました。
「だから、わたしはお前と結婚したい……一緒にいたい。それがお前に、呪いとは関係なくお前自身に頼む、望みだ」
「……わかった。今まで無数のニンゲンの願いを叶えてきたが、貴様ほど自分勝手な望みを言うやつは初めてだ。こんなにも、心から叶えたいと思ったのもな」
 あきれ果てたような声を出すセツヤ。だがそれを聞く前にカグヤはセツヤの体を抱きしめたまま眠っていました。その表情は、この世で一番美しいと思えるほどの笑顔でした。
 そして二人は結婚し。不器用ながら誰も不幸にしたくないと願う優しさを持つセツヤと。自分の心にまっすぐで、強い意思を持つカグヤは同じ小屋で暮らし始めました。呪いや容姿ではなく、自分そのものを見てくれる互いにいつしか孤独感は消えていき。過去にやって来たニンゲンの事も、話のタネにして笑い合えるようになりました。絶望させたニンゲンの事を無理やり気にしないようにする日々は、終わりを告げたのです。
 そして二人は末永く、幸せに暮らしました。物語はこれでおしまい――にはなりません。やはりセツヤは願いを叶え、ニンゲンを不幸にします。
 少し、昔のお話です。今でも語られる、お話です。





 
 




 二人が結婚してから十五年経っても、二人は何も変わらずお互いを想い合い幸せに過ごしました。ですがある夜になり、カグヤと同じ床に着こうと部屋に入ったセツヤは、珍しいものを目にします。
「……カグヤ、泣いているのか?」
 先に部屋にいったカグヤが、ぽろぽろと涙を零しすするように泣いていたのです。カグヤは最初会った時から強くまっすぐな女でした。だから、泣くことなどめったになかったのです。慌ててセツヤはカグヤに近寄り、理由を聞こうとしました。それでもカグヤが泣いてしまうので、必死に手を触れて目を合わせ、言葉をかけて落ち着かせようとしました。
「すまない……少し、外の風に当たらせてくれ」
 ようやく少し落ち着いたカグヤはふらついた足取りで小屋……いえ、二人で暮らすには狭いと思い大きくしたので立派に家と呼べるようになった場所から外に出ます。雪の降る山でも、少し欠けた月がはっきりと見えました。
 それを見ながら、カグヤはセツヤに向かって言います。
「迎えが、来ることになったんだ」
「迎え……? カグヤが、ここに来る前にいたところか」
「あいつらは、七日後には私を連れ戻すつもりだ。そしてそれは……絶対に、避けられないだろう」
「馬鹿な……」
 カグヤはこの雪山に来る前は竹藪の茂る森にいたと聞いています。しかしもうあれから十五年が過ぎた今、何故今更なのかわかりませんでした。
「わたしは男と結婚し、十五年の時を経て今なお幸せに過ごし続けている……それに、あいつらは腹を据えかねたのだろう」
「カグヤの幸せを妬むというのか!?」
 連れ戻すというからには一緒にいたことがあるはずです。カグヤを無理やり連れ戻し、あまつさえそれがカグヤの幸せを許さないという理由に、久々に怒りを覚えました。ですがカグヤ本人は、諦観の表情を浮かべます。その表情は、十五年経った今でも全く変わらず美しいものでした。
「それは仕方ないんだ。わたしは罪を犯した……幸せになってはいけない女だから。それを忘れてしまうぐらい、セツヤとの日々は楽しかった……はは、やっぱりどこまでもわたしは自分勝手だ」
 カグヤは自分が連れ戻されることを、諦めているようでした。しかし、セツヤにはそんなことは出来ません。
「そんなことは我がさせない……絶対に、カグヤの事は守ってみせる」
「本当に、優しいな。わたしはそんなセツヤが好きだ。だが……」
「言うな! カグヤを絶対に連れて行かせはしない!」
「……わかった。だが代わりに、久しぶりに抱きしめさせてくれ」
 返事をする前に、カグヤはセツヤの体を抱きしめます。その体は暖かでしたが、震えていました。セツヤとの別れに怯えていました。
「ふ、ここ数年は随分こうすることも減っていたな……やはり触れると、お前はいつでも温かい。出来れば、永遠にこの温もりを感じていたかった」
「こうしたければいつでもそうすればいい。それに、震えながら言うことではないぞ」
「何、夜風が冷たいだけだ……」
 なら、もう部屋に戻ろう。そうセツヤが言うと、カグヤはセツヤに縋るようにして離れないまま家に入り、同じ布団で眠りにつきました。カグヤの寝顔が初めて会った時と変わらない穏やかさになったのを確認して、セツヤも眠りにつきました。ずっとニンゲンを避け続けていたセツヤには、それがおかしなことと分かりませんでした。ニンゲンは十年以上同じ顔を保つことが出来ないことなど、頭から抜け落ちていました。

 そして翌朝から、セツヤはカグヤを連れ戻させないための準備に励みました。大量に食料を買い込んだ後、外を視界すら奪うほどの猛吹雪にし妖力を蓄え、カグヤに家から一歩も出ないように言いました。カグヤもそれに素直に従いましたが、やはり連れ戻されることは仕方ないと諦めているようでした。それをセツヤは毎晩必死に励まし、カグヤは今までの楽しい日々を懐かしんで語り、お互いの鼓動を感じられるほど傍で眠って、その日を待ちます。
 そして、ついにその日はやってきました。猛吹雪は続き、家はすっぽり雪に包まれていましたが、まるで空そのものを操ったように吹雪が止み、不可思議な光が降り注ぐと、山の全ての雪が消失しました。
「何事だ……!」
 セツヤが自身の降らせている雪を消されたことを感じ取り、カグヤには部屋に隠れるように言って外を見ると、一遍も欠けることのない満月が昼間の太陽よりも明るく光っていました。突然の光輝にセツヤの目が眩みます。
「罪深きカグヤよ……出て参れ」
 セツヤが目を開けると、天にはまるで蝙蝠が月輪に変化したような怪物がいました。セツヤ自身が相当特異な化け物でしたが、見た瞬間に月とすっぽんほど格が違うほどの存在だと理解させられました。立ち向かい、戦うことなど想像することも出来ず、震えて尾を丸め、頭を垂れます。
「……お別れだ、セツヤ」
 カグヤは、まっすぐ家から出て、セツヤの横に立ちました。そして、涙を拭ったことがはっきりとわかる赤い目で別れを告げるのです。
「何故だ……何故貴様はカグヤを連れていく!」
 必死に守ると言いながら、抵抗も出来ず頭を伏せる自分を呪いながらセツヤは月輪の蝙蝠に言います。カグヤを連れ去ろうとするそれは、羽虫を振り払うがごとく不快感を持って言いました。
「カグヤは、我ら月に住まう存在。月には月の法があり、この女はそれを犯したのだよ。故に、下賤な生物が住まう地上へ送ることを罰としたのである」
「罰、だと……?」
「そうだ。カグヤはこともあろうに月の最も重要な法……感情は排し、為すべきことのみを為せという理を否定し、あまつさえそれを月の民に広めようとした。故に汚らわしい感情だらけの地上へ落としたのだよ。そして罰を与える期間は終わった」
 自分と過ごした日々も、贖罪でしかなかったと月輪の蝙蝠は告げます。それは彼女に孤独から救われたセツヤにとって残酷すぎる事実でした。
「……月の王たる者が嘘とは感心しないな」
 カグヤはそう月輪の蝙蝠に言いました。そしてセツヤを抱きしめます。
「確かに地上に来た理由は罪を犯した罰……違いない。だがわたしはこの地上に生きて、幸せだった。セツヤが、幸せにしてくれた。月に住んでいた時よりもずっとだ。あの時の私は何も間違っていなかったと断言できる。この地上での時間が永遠に続けばいいと心からそう思う」
 出会った時と変わらぬはっきりとした物言いを放ちます。そしてカグヤは、地面を向いたセツヤの顔を持ち上げ、向き合いました。
「……ありがとう。すごくすごく、ありがとう。セツヤと出会えて……本当に、よかった。月に連れ戻されても、セツヤと過ごした日々の事は絶対に忘れないからな。それだけで、わたしは幸せでいられる」
 二人はこの一週間、出会ってからの思い出をつぶさに話し合いました。それでも十五年という共に過ごした時間は、その時間で語るには長すぎましたが。セツヤは一生懸命自分を守り、そして何より別れを悲しむ自分を優しく気遣ってくれたのです。だから、せめて笑顔で別れようとしました。
「言い残すことはそれだけであるなら……これを持って、終わりとするのだよ」
 月輪の蝙蝠の体に第三の瞳が浮かび、カグヤの体が宙に浮いていきます。まるで満月に吸い込まれるように、カグヤは浮かび上がっていきます。彼女はせめて振り向いて、セツヤの姿を最期に見ようとしました。セツヤも、せめて面を上げてカグヤを見届けようとしました。――そして、見てしまったのです。もう雪の降らない空に、雫が落ちたのを。それは、カグヤの涙でした。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 セツヤは、獣のように吠えました。月輪の蝙蝠に対する畏れは吹き飛び、ただカグヤを泣かせたくないとだけ願いました。初めて自分の呪いに、願いました。呪いの力は、月輪の蝙蝠にぶつかり、氷晶が体を覆い尽くしていきます。
「な、ぬ……!? 下賤な、獣が……!」
 必死にもがき、体から光を放って何やら不思議な力を使いますが、キュウコンの呪いの力は絶対です。翼が凍り付き、月輪は歪に欠けていきます。
「カグヤを置いて、我らの目の前から消えろおおおおおおおお!!」
 さらに氷が月輪の蝙蝠を覆い、体全体が凍り付いていきます。もはや羽根を動かせなくなり、下賤と言い放った地上に落ちていきます。
「お、のれ……ただで、済まさぬぞ……!!」
 凍り付いていく体は止められないことを悟った化け物は、最期に怪しい光線を放ち、カグヤを打ちぬきました。一瞬の出来事でした。そのあとすぐに月輪の蝙蝠の体は完全に凍って、ただの氷の塊になって地面に落ちて二度と動くことはありませんでした。
「カグヤッ!!」
 それには目もくれず、セツヤは落ちてくるカグヤを受け止めます。その体は変わらず暖かでした。震えていませんでした。命の鼓動が感じられました。
「カグ、ヤ……」
 けれども、その表情は凍り付いていました。出会った時、そして十五年一緒にいても変わることのなかったまっすぐで強い意思が感じられませんでした。それは、ただ美しいだけの人形でした。その瞳は開いていてセツヤの姿を映しているはずなのに、まったく笑いませんでした。
「我、は。お前、を……」
 守りたかった。でも、出来ませんでした。それは残酷ですが当然の話です。セツヤ――いえ、白いキュウコンの叶えた望みは全て絶望に終わる。自分自身の願いだけは例外なんて幻想はありません。白いキュウコンは呪いによって、カグヤの想いを消してしまったのです。それから何日経っても、カグヤだった女は光のない瞳で家にいて白いキュウコンの言うことを聞くだけで、笑うことはありませんでした。白いキュウコンは孤独になってしまいました。あの時他に方法なんてなかったと言い訳しようとしても、自分の願いのせいでカグヤの笑顔が、幸せに思う心が消えてしまった事実は変わりません。人を呪わば穴二つ。ニンゲンを絶望させ続けた白いキュウコンは、最愛の人を失ったことに絶望しました。
 そんな日々が、何年か続き。白いキュウコンはもはや不要になった家を氷で打ち壊しました。年中吹いていた吹雪が止み、月の綺麗な夜に白いキュウコンと笑わないカグヤは山頂に立ちます。
「……我はこれ以上、誰かの絶望など見たくはない」
 カグヤがいるから、自分の呪いがニンゲンを不幸にすることにも耐えられました。でも、もうカグヤという人はいません。ここにあるのは、ただのヒトガタにすぎません。
「終わりだ……せめて我は最後のお前の望みだけでも叶えよう」
 カグヤが迎えが来ることを告げた夜。カグヤはセツヤの温もりを永遠に感じていたかったと告げました。それが、白いキュウコンがセツヤとして思う最後の気持ちでした。
 カグヤの身体を抱きしめた白いキュウコンが力を使い周りが透き通った氷に包まれていきます。まるで、二人が氷の箱の中にいるようでした。さらに白いキュウコンは力を使います。
「寒くはないか、カグヤ……」
 箱の中身が、白いキュウコン自身が、女の身体が、透き通った氷に覆われていきます。白いキュウコンはそう声をかけました。勿論心を失った彼女は答えません。ただ光のない目で白いキュウコンを見つめているだけです。白いキュウコンも、今更落胆などしませんでした。
 氷は更に体全体を覆い、抱きしめ合う二人の体が永遠に離れないように凍結させます。段々、白いキュウコンの意識も薄れていきました。
「寒くは、ないか……?」
 目を細めて白いキュウコンは言いました。当然答えなど期待していません。これはただ、カグヤを守れなかった己への慰めにすぎません。

『当然だ。どれだけ呪いと氷を発しても、お前の体は温かい……少なくともわたしは、そう感じられる』

 だけど最期に、セツヤはそんな言葉を聞いた気がしたのです。それだけで、孤独はどこかに消え、意識も未練も消えていったのです。
 そして二人は永遠に氷の中で抱きしめ合いました。物語は、これでおしまいです。もう二度と白いキュウコンが願いを叶えることはありませんでした。
 その何十年後かに、山を登ったニンゲンが見たものは――氷柱の中で、優しい笑顔で抱きしめ合う白いキュウコンと美しい女の姿だったと。今でも語られる、お話です。

 

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