ひみつきちカフェ

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作者:揚げなす
読了時間目安:13分
しとしとと降り続ける雨が地面を鏡のように反射させている。この地域は海から上ってくる湿った空気の影響で長雨が続きやすく、地面はいつもぬるりとぬかるんでいた。
町と町をつなぐその湿地帯の公道は、水ポケモンの好みそうな沼地を伴った林道となっている。「そらをとぶ」を使えないトレーナー達は、まとわりついてくる蒸し暑さとぬかるんだ地面に耐え、雨に打たれながら町と町の間を半日かけて歩かなければならなかった。
そんな道のその脇に、電灯がくくりつけられた木製の看板がぽつりと佇んでいた。

”ひみつきちカフェ 「アマガサ」 休憩にコーヒーはいかがですか?”

昼間にもかかわらず厚い雲がかかり薄暗いその道で、時折パパッと点滅する看板が指し示す方向には、ツタの絡む白壁と「OPEN」の文字がかけられた重みのある樫のドア。
長雨の浸水を避けるために少し高い位置にある入り口と申し訳程度に照らされた店名の上で、採光用の天窓から見られる蛍光灯の光と回転するシーリングファンが営業中を伝えている。
敷地面積は広めの一軒家といったところで、少し離れれば隣接する森にのみこまれてしまいそうなその姿はホウエン地方で親しまれる「ひみつきち」というよりは「隠れ家」という方が近い。
雨音とニョロトノの合唱が遠くに聞こえるその場所で、薄暗い空を映す雨道を一人のトレーナーが通っていた。傘も持たず雨から身を庇うような姿勢で走っているものの、既に足は泥まみれで靴も気持ちの悪い音を立てている。背中に背負ったバックパックだけは防水カバーをつけられているが、霧のような雨に打たれ続ければどんどん水分を吸っていくだろう。
パシャパシャと軽い音を立てて水たまりを割る少女は、電灯に照らされた看板を見止めて足を止めた。少し迷うようなそぶりを見せたものの、マップを見て目的の街までまだ随分とかかるとわかるなりぬかるんだ扉までの道のりを早足で通り抜けた。
入り口の小さな屋根に身を隠した少女は、持っていたおいしい水の封を開けると躊躇なく足にかけ、あらかたの泥を落とすと重い木製の扉を押した。

ポーン♪
「すみませーん…えっ?」

足を踏み入れるなり足元からCの音階が鳴り響いた。内開きの扉に隠れてわからなかったが、ホウエン地方のひみつきちアイテムである音符マットを踏んでいたらしい。
それは来客のベル代わりをしているらしく、音が鳴るとすぐに店内の奥からギャルソンエプロンをつけた妙齢の女性が現れた。ふんわりとした赤毛の優しげな雰囲気の女性に、少女は知らずのうちにほっと息をついていた。

「あらあら、いらっしゃいませ。こんな日によくお越しくださいました。喫茶アマガサの店主、オリビアと申します。タオルをご用意しておりますのでどうぞお使いください。」

にこりと笑った女性が手を向けた先を少女が見ると、左足元に置かれたカゴの中に大きめのバスタオルが入っていた。
ふわふわのタオルに顔をうずめるとほのかに暖かい。柔軟剤の匂いがするそれを広げて髪を拭きながら少女は口を開いた。

「ありがとうございます…ここ、こんなにひどい雨だとは思わなくて。」
「ふふ、この辺りを知らない方は皆さんそう言いますね。すべって転んで傘を壊された、なんて方も…」

柔らかく笑うオリビアは、外の不快な湿度や冷たい雨とは別の世界の人の様だと少女は思った。
室内の空気もシーリングファンや除湿機が活躍しているようで居心地がいい。

「あはは…それ私です。転びそうになって体を支えようと思ったらバキっと…あ、私ユリンって言います。」
「まあ、それは大変でしたね。ユリンさん、お着替えはお持ちですか?」
「一応…濡れてないと思うんですけど。」
「でしたらあちらのお手洗いで着替えていらっしゃってください。濡れたお召し物は裏手の洗濯機へ入れますのでこちらへ。」
「すみません。」

バスタオルが入っていたカゴを手渡され、眉根の下がりきったユリンにオリビアが優しく笑う。

「いいんですよ。ここはそういうトレーナーさん方のための場所ですから。」



濡れたものを取り払って無事だった服に着替えると、体はようやく熱を生み始めた。まだ水の滴る髪をまとめ、肩にバスタオルをかけた状態で洗面所から出てきたユリンは、その場にオリビアがいないことに気が付いた。

「オリビアさん…?…わあ、すご…!」

きょろきょろとあたりを見渡し、そこでようやく店内の内装に気が付いた。
店内の壁は上部が白壁、下部は暗い茶色に塗られた木の板が張られ、同色の木材で板張りされた床はきれいに磨かれている。至ってシックな間取りのその部屋のいたるところに、普通のカフェではありえないものが取り揃えられていた。

「ベッドが椅子なんだ!?でも幅は半分だ。ソファみたいになってて面白い!机も綺麗だなあ…こっちはぬいぐるみだらけ!あれっ?これってジムの石像?ええー大きな台の上にも席があるの!?」

床に敷かれた移動するマットや、白い壁に貼られたコミカルなポスターが内観の大人しさを覆い尽くしている。
くるくるとせわしなく店内を回っていると、店側からオリビアが戻ってきた。
早速元気を取り戻した様子のユリンが、飛び込まんばかりの勢いでオリビアに近づいた。その目は歳相応に輝いている。

「オリビアさん!お店すごいですね!ひみつきちみたい!!」
「まあ、ありがとうございます。なにせひみつきちカフェと銘打たせて頂いてますから、物もホウエン地方から取り寄せているんですよ。もちろん、電気は通っていますしフルオーダー品もありますけれども、お気に召したようで嬉しいです。」

興奮した様子のユリンに、頬に手を当ててオリビアは笑った。絶賛の様子に少々照れているようだ。

「まさかこんな土砂降りの中でこんな夢の溢れるカフェに出会えるなんて!素敵!」
「あら…ふふふ、さあさあまだ体も温まっていないことですし、こちらへお座りになってくださいな。ブースター、お客様の近くへ。」
「ブィ」

カウンター近くの席に誘導され、ユリンが群青色のふかふかしたソファに腰を沈めると、いつの間にそこにいたのかソファの裏からとことこと現れたブースターがその膝元を温めるように体を寄せた。
もふもふとした体毛と炎ポケモン特有の体温の高さが心地良く、ユリンはへにゃりと顔を崩した。

「ブースターちゃんあったかーい。ありがとー!」
「今、コーヒーを焙煎しているんですよ。煎りたてのスペシャルブレンドで暖まっていってくださいな。洗濯物が乾燥するまであと一時間はありますから。」

先程から店の奥ではシャンシャンと小気味のいい音が続いている。キッチンを覗きこめば、穴の開いた金属製のカゴが火にかけられ、固定された器具によって回転されていた。

「ありがとうございます!この音、コーヒーの音なんですね!いい匂いだぁ。」
「ふふ、煎りたてのガスの抜けきっていないコーヒーも独特でいいんですよね。今日は他にお客様もみえませんし、私も頂いてよろしいですか?」
「いいです!ところでこんなこと聞いていいのかわからないんですけど、こんなすごい立地にお客さん来るんですか?」
「ええ、雨宿りや休憩目的に来られる方は年間通して多いですね。常連さんは搬送の業者の方々が多いかしら。ここは町と町の中間にありますし、それに雨具も置いてますから。」

ちらっとオリビアが目を向けた方にはカウンターの上に陳列された合羽やビニール、その脇には安めの傘の刺さった傘立てが置いてある。
少なくともこの先びしょ濡れで街へ降りることにはならなさそうだとユリンは喜んだ。

キッチンからタイマー音が聞こえたところで、一度オリビアは席を立った。
再び覗きこんだキッチンではオリビアが煎った豆の皮を飛ばしている。パチンパチンとはじける豆の音は出来立ての証だ。
雨から唯一守られた空間にコーヒーの匂いが立ち込める。なんだか落ち着くなぁ、とユリンは椅子に深く腰掛けなおした。
振動する機械音と一緒にふわりふわりと香ってくる香ばしさが湯の音とともに増していく。そのあとしばらくして手作りのクッキーと白磁のカップに注がれたコーヒーをオリビアが運んできた。
それにミルクと角砂糖を落として口に含むと、まったりとしたコクが冷えた体を温めていくようだった。膝元のブースターがひくひくと鼻を鳴らした。その頭を撫でながらしみじみと呟く。

「おいしいですねえ…」
「はい、自慢の一品です。」

落ち着いた声色にやや自信を含ませながらオリビアも自分のブラックコーヒーを啜った。
和やかなアフタヌーンタイムを楽しみながら、ユリンは再び店内を見渡す。

「それにしても本当にすごい…外から見たときは隠れ家風のカフェにしか見えなかったのに、一旦入っちゃえば本当にひみつきちなんですもん。」
「言ってみれば『大人のひみつきち』ですね。ホウエンのひみつきちは自然を利用したものですが、ここは水道電気は通っていますし、家具も店に合わせてあります。」

見渡した店内は席ごとに様々なテーマがあるようだった。今ユリンが座っている場所は色とりどりの家具が取り揃えられたカラフルブース。対象的なシックな家具でまとめられたブースや、ちぐはぐな統一感のないいかにも子供が作ったかのようなブースもあり、ブースごとの高低差すらまばらだ。
そんな店内を見ていたユリンはふと思ったことを口にした。

「どうしてここにひみつきちを作ろうと思ったんですか?」
「そうですねえ、ユリンさんはまだお若いですからピンと来ないかもしれませんが…私の子供の頃の夢がここにはすべて詰めてあるんです。」
「子供の頃の夢…」

今まさにトレーナーとしてジムを巡っているユリンは首を傾げた。

「ええ、私はもともとホウエン出身で、あなたくらいの年の頃にはポケモントレーナーとして旅をしていたんですけれど、その時から秘密基地づくりが大好きだったんです。」
「納得です。」

頷いたユリンにオリビアは一画のブースを差して当時のお気に入りたちなんですよ、と言った。

「でも、子供の頃ってできることが少ないじゃないですか。私は普段しているようなサバイバルではなくて自分だけの居心地のいい場所を作りたかったんです。どれだけ広い場所でもお気に入りの番組は見られないし、温かいコーヒーを飲むこともできないし、旅をしている最中じゃお友達だってなかなか来てくれません。ブースターと二人っきりでガスバーナーでわかしたコーヒーもまあ、嫌いではありませんでしたけどね。」

思っていたよりアグレッシブなオリビアの過去にユリンは驚いていた。目の前の落ち着いた女性にも自分のような頃があったのかとすら思う。
ユリンも兄弟と分け合うのではなく自分の部屋というものに憧れたことがあったから気持ちはよくわかる。自分だけの、自分が好きなものだけを集めた場所というものは子供にとって特別な場所だ。

「大人になって就職してもまだひみつきちづくりをしていたらふと気が付いちゃったんですよ、今なら全部できるんじゃないかって。」
「すごいですね!」

肝が座っているというのか、思い切りの良さには感服する。
この空間は二階に住居スペースがあり、一階はほとんどカフェスペースとキッチンで占められている。ネットも繋がっているし、壁に掛けられた薄型テレビは最新のニュースを流している。
確かにそれらは子供のうちに手に入る空間ではない。

「ここってひっそりしてるし雨から守られてるのが安心感ありますし、何だかわかるなぁ。」
「ええ、お気に入りの家具を揃えて便利な生活、それでいて人が来てくれる場所。そうだ、それならカフェを開きましょうって。最初はそんな動機でしたけど、立地を求めているうちにここにたどり着いたんです。次の街まで雨の中半日歩かなければいけない憂鬱な場所。そこに夢いっぱいの場所を作ったらどうなるのかしらって。」
「気分上がりましたよ。」
「嬉しいお言葉です。ここを見つけたトレーナーさんたち、みなさんほっとした顔をされるんです。それが私の今の生きがいなんですよ。…あら、何だか私ばっかり話しちゃいましたね。すみません。」

照れくさそうにオリビアは口元を隠した。


「音楽でもかけましょうか。若い方はクラシックよりジャズのほうがお好みかしら?それともボッサ?」
「この後憂鬱な時間が待ってるんでボッサで。」
「それもそうですね。ではボッサで。」

電気の通ったひみつきちに明るく和やかな音楽が流れ始める。ユリンの服が洗濯機の中で乾くまで二人と一匹はゆっくりとした時間を過ごした。
静音で流れるテレビの天気予報によれば雨足は午後から少し弱まることになっていた。
だいぶ前に書いた小説の掲載です。ゲームの中で沼地や猛吹雪を進んでた時に一軒家見つけた時に安心感を覚えたのを思い出して書きました。
大人になって子供の頃叶えられなかったことを叶えるのって素敵だと思います。

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