85話 疑惑B

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 窓の外はすっかり暗く、ビルから溢れていた光も消えていき、もうほとんど街を照らしていない。
 時刻はすでに夜の十一時を回り、オフィス街に立つこのビルもほとんど灯りは消えていた。
 今いるフロアだってそうだ。たった一人暗がりの中でパソコンに向かう俺は、解せない疑問と一人戦っていた。
「……くそっ!」
 勢いよく椅子の背もたれにもたれかかると、ギイギイと椅子が悲鳴を上げる。
 長時間デスクワークに向かっていたがために、俺の腰と肩も悲鳴を上げている。
「……帰ろうか」
 いつからだろうか。人とちゃんと向き合うようになってから、どうしてか人肌が恋しくなることがある。
 パソコンに熱中している間は良かったが、ふと興奮が冷めるとこの誰もいない感じがとても辛い。こうして独り言でも言わないと、寂しさが募り積もってどうにかなってしまいそうになる。
 大事な大事なデータが入っているUSBをパソコンから抜き取ると、大事にケースにしまい、鞄の中に放り込む。忘れモノがないか確認してから一人オフィスを出る。エレベーターを待ちながら、いろいろ思索を巡らせる。
 先ほど抜き取ったUSBにはバトルベルトの、平たく言うと設計プログラムのようなものが入っている。
 このプログラムは俺、風見雄大が全て自分が造ったもののはず……だった。
 そう、「だった」。
 知らず知らずのうちに俺の知らないプログラムが含まれていたのだ。
 しかしそれはバトルベルトを良い方向へ働かせるプログラム。同じ社内の仲間に、バトルベルトの設計プログラムを何かいじくったかどうかを尋ねても、皆が皆否定をする。ならば一体誰が?
 このバトルベルトはうちの会社、TECK社と、提携企業のエレクトロマシーンデベロップメントカンパニー、通称EMDCが共同開発を行ったもの。とはいえEMDCはプログラムにはノータッチのはず。念のために尋ねたところ、もちろん答えはNOだった。
 本来のプログラムではポケモン達の3D映像はもっとカクカクしていて、攻撃ワザの発動と同時に起こる爆風などのエフェクトなんてなかった。他にもいろいろ上げればキリがない。いろいろ検証してみたところ、どうやらこれらが害を与えるようなものはなさそうなので仕方なくこの改変されたプログラムを採用していたのだ。
 そしてバトルベルトは世に出、大ヒットとまでは言いにくいが、予想を超える業績を叩き出した。
 PCCのややこざも一段落したところで、再びこのプログラムが一体何なのかを再検証している。だが本当に何が何やらさっぱり分からない。見たこともない関数、並び、数列、条件。本当に誰が一体何のために?
 一階に着き、誰もいなくなった会社を出る。四月二日の土曜日も、あと何十分かで終わってしまう。高校の春休みもあと一週間程度か。ここしばらく翔らとは会えていない。始業式が始まる前に、俺達二年生は入学式に出席しなければならないからそれまでお預けか。
「ん?」
 暗がりの中、人影が一つ突っ立っている。ライトをつけた車の往来によってかろうじて男であるということしか分からなかった。
 別にその男が誰かだなんて特になんだっていい。それよりも早く帰って飯を食べてシャワーを浴びて寝よう。とにかく疲れた。社内で一夜も考えたが、毛布の一枚も持ってきていないので流石に風邪を引きかねないからな。そう考えながら人影を通り抜けようとしたそのときだった。
「雄大」
 俺の名を呼ぶ声に思わず足を止める。
「久しぶりだな雄大」
 いまだ暗い外のせいではっきりと顔は見えないが、この東京で俺の下の名前を呼ぶ人は一人しか知らない。
「……父さん」
「どうだ、食事でもどうだ」



 俺と俺の父、風見 雄平(かざみ ゆうへい)の関わりは親というより知り合いと言っていいほど極めて希薄だ。
 物心ついたときから母、風見 美紀(かざみ みき)と共に北海道の大きな屋敷に住んでいた。そこに父が来ることは基本的に無く、父親というものがどういう存在かを知らなかった。
 父の話も母から聞くことは一切なかった。二人は政略結婚で結婚したらしく、二人の間には恋愛感情だとかそんなものが一切なかったようだ。夫婦ではなく、あくまで営利目的で知り合った他人……と。
 究極の箱入り息子として育った俺は、母から常に英才教育を与えられ、周りのメディアから得られる情報は母から制限されていた。お陰さまで、本当に世間を知らなかった。
 仕方なしで入った義務教育の私立の小中学校は当時一匹狼だったために自ずから孤立していた。俺が周りに干渉しなければ、自然に向こうから干渉しないようになる。当時の俺としてはそれが一番だった。
 痛々しいのだが、当時の俺は周りを見下すことが普通であった。自分以外の人間は俺より劣った不良品でしかない、と。これは母の差別的主義が反映したものだった。もっともその人を見下す性分は翔に負けるまで当分治ることがなかったのだが。
 ところで、そんな俺は中学を卒業するまで父を見たのは四回程度でしかなかった。そのうちまともに会話したのはたった一回だけだ。中学三年生の一月頃だった。たまたま北海道の屋敷にいる母に用事があった父に帰り際直談判しにいったのだ。
 母と専属家庭教師としか会話をまともにしなかった俺だが、父は俺の話をよく聞いてくれた。俺は、母が縛り付けるこの狭い狭い箱庭から出ることを熱望すると、父はそれを一つ返事で了承してくれた。母に隠れて父のいる東京へ俺を連れてくれ、今住んでいるマンションの一室の付与と、平見高校の受験の手続き、さらに俺のプログラミングの腕を買ってくれて、社会勉強も兼ねて俺をTECKに採用してくれたりと至れり尽くせりだった。
 それから俺はいろいろ苦労をしたが、翔たちと出会えていろいろ知ることが出来たし、バトルベルトを作ることも出来た。だが、母からの介入が何もないのが未だ怖い。母の性格なら地の果てまで俺を追いかけるだろう。しかし今のところ、PCCの前に久遠寺が尋ねる以外俺の過去に関する出来事は今のところ何も起きていない。
 何かそれが嫌な予感を醸し出しているようにしか思えないのだ。きっとこの先なにかが起きる。



「ここ、お気に入りの焼肉屋なんだ」
 高級感が溢れる焼肉屋に連れて来られた。さすがの俺でもこの店は聞いたことがある。有名なところで、完全予約制だとかなんとか。奥のお座敷に通された俺たちは、靴を脱いで掘りごたつ席で腰を下ろす。
「どうだ?」
 優しげな表情で父が問いかけてくる。
「どうだって?」
「いや、最近の調子だよ」
「特に……。いや、バトルベルトのことで悩んでいるかな」
「その話なら私も聞いている。どうやら難儀しているようだな」
「ああ……。こんなことをして誰が何の得になるのかが全く検討がつかない」
「そうか」
 店員がやってきて水とおしぼりを渡してくる。父はBコースをオススメだから、と言って俺の分ごと注文する。
「バトルベルトの方も大事だが、高校はどうだ」
「上手くやれてるよ。友人だって出来た」
「そうか。なら良かったよ」
 ぎこちない断片的な会話がその後も続いていく。だいたいは父が俺のことを聞いて、それに対して一言応えるとそうか、とだけ帰ってくるのだ。
 ここまで来ると若干の気まずさが。俺だけでなく、父もそう思っているかもしれない。しかし俺から何か話しかけようとしても何を言えば良いのか分からないのだ。父親との会話とは一体何をすればいいのか。
 無言だったテーブルに肉が運ばれ、網に移していく。肉の焼けるけたたましい音だけがこの一帯を支配する。
「……」
 黙ったまま肉を口に含む。脂身があって、口の中でそんなに噛まなくても自然と溶けていく。ロースとかカルビとか肉の種類とかはよく分からないのだが、とにかくこれが上等で美味しいものなのは分かる。しかしこの沈黙というスパイスは肉の味を盛り下げているファクターだ。
「実はな」
「うん?」
 やっと父の口が開く。しかし、その言葉の次が中々出て来ない。
「お前に……、伝えとかないといけないことがあったんだ。本当はもっと早く伝えたかったんだが使える機会がなかなか無くてな」
 若干眉間に皺を寄せ、重々しく語るその言葉からその伝えることというのがシリアスなモノだろうと察知する。箸を動かすペースが心なしか遅くなる。
「雄大。お前の母親は風見美紀ではない」
「何っ……? どういうことだ」
「お前は私と亡き前妻との間の子供だ。風見美紀は前の妻が亡くなった後に私が政略結婚して出来た妻だ」
「じゃあ俺の本当の母親は……」
「それを語るためには株式会社TECKがどのように立ち上げられた会社かどうかを語るところからだ」
 株式会社TECK。今は名を馳せた機械、電子産業企業。しかし創立する二十年程前は小さな町工場だったということは知っていた。
「TECKは元々町工場だった。っていうのは知ってるか? 私と、大学時代の友人がその町工場を母体として立ち上げた企業だ。そもそもTECKという企業名は立ち上げたときの私を含む仲間四人の頭文字からとっている」
「それと俺の母親の話とどう繋がるんだ?」
「まあ聞け。Tは田中 秀平(たなか しゅうへい)、Eは遠藤 将(えんどう まさる)、Cは千葉 愛華(ちば あいか)、Kが私、風見 雄平(かざみ ゆうへい)だ。お前も知っている名前もあるだろう」
「遠藤将って……」
 俺が北海道で暮らしていた時、常に俺の傍にいた男。やや細身のつり上がった目が特徴だった家庭教師の一人。それが遠藤将だった。あいつの声は今もまだ耳に残る。耳に響く声は、思い返せばすぐにリフレインされる。目を閉じればあの嫌な笑顔が思い浮かぶ。
「TECKの基盤となる町工場が私の親の物であったためにその場の勢いで社長にされた私。そして遠藤、田中、愛華の三人が私を支えてくれた。そしてTECKを立ち上げて二年経った頃、大学時代から恋仲であった私と愛華は結婚し、雄大。お前が産まれた」
「……」
「結婚してから愛華は仕事を辞め、遠藤、田中が私と共にTECKの中心となって会社をより大きくしていった。ただ、結婚してからたった三年、お前がまだ一歳だったころに愛華は事故で亡くなってしまったが……」
「一歳のとき、か……」
 小さい頃の記憶がない俺にとっては、そんな千葉、いや、風見愛華の温もりは知らない。現に今だって、あまり悲しいとかそういったことを感じなかった。むしろ、遠藤の方に引っかかる。
「田中さんなら今でもTECKで役員をしているのは知っているが、遠藤がTECKにいただと?」
 俺の箸を動かす手が完全に止まった。父は一旦間をおいて、頷く。
「そうだ。遠藤は我々を裏切った。開発部のトップにいた遠藤は、遠藤の知っているTECKの情報を全て他の企業に伝えたのだ。EMDCに」
「EMDC……。エレクトロマシーンデベロップメントカンパニーか。だがTECKとEMDCは提携企業では」
 ふいに父が首を動かし辺りを見渡す。俺もつられて周囲を確認するが、特におかしい様子はない。父は俺の方にやや体を傾けて口を開く。
「提携させられているのだ」
 声音を低くしたものの、父が初めて大きく感情をあらわにした。眉間にも大きく皺が寄せられている。
「……何だと?」
「大きい声を出すな。愛華が亡くなって約一年後、お前が二歳の時に恐らくEMDCに大量の金を積まれた遠藤は機密情報を全て漏らしてTECKを辞め、EMDCの役員になった。そしてEMDCから私に、その社長の娘と結婚をするよう迫ってきた。政略結婚だ」
 政略結婚。相手は間違いなく、俺の母。いや、義母の風見美紀だろう。しかし何故政略結婚を申し込んだのだろう。
「雄大、きっとお前は何故EMDCが政略結婚を申し込んだか考えているだろう」
「え、あ、ああ」
 見事なまでに当てられて、動揺せざるを得ない。だが慌てふためく俺と違って父は至って真剣な眼差しだ。
「EMDCの狙いは恐らく……。お前だ、雄大」
「なっ!? どういうことだ?」
 心臓が一気に委縮した。今までより一際緊張が全身に走る。
「俺にもヤツらの詳しい事情までは分からないが、お前が狙いだと言うことは分かる。事実、結婚してすぐにお前の身元は美紀のいる北海道に移され、私が会おうとしても自由に会う機会を失った。そして美紀や遠藤がお前の教育に当たった。本当はもっと前からお前をなんとかして連れ出そうとしていたが、遠藤が常にお前についていたため中々そうもなかったのだ。お前の方から俺に会いに来た時は間違いなくチャンスだと思ったよ」
「ふっ、偶然にも俺達の思惑が一致したってことか」
「ははは、そうなるな」
 ようやく父の顔が緩む。だが、その表情もすぐに曇ったものに変わる。
「EMDCはTECKを買収していない。ということはまだTECKはヤツらの手のひらの上で踊らされる必要があるかもしれない、と考えている。そんなことはさせない。TECKは必ず私が守る。だから雄大、お前は自分自身を守れ」
「俺自身を……守る」
「お前の居場所を向こうが知らないはずはない。TECKもお前も、泳がされている。とりあえず、お前にも既にボディーガードを何人か既に配置している。遠くからお前を見守り、何か危害を加えられればすぐに救援が向かうはずだ。しかし、結局のところ信じ切れるのは自分だけ。既にTECKにEMDCの手の者が何人潜んでいるか分からない」
「信じ切れるのは俺だけ……」
 いや、それは違うぞ。父さん、俺には信頼出来る仲間が、友がいる。父さんにもきっと亡くなったその風見愛華や、俺がいる。人は他人(ひと)を信じたくなってしまうんだ。
 そう言おうと思ったが、口は閉ざしておいた。父さんだって遠藤に裏切られているんだ。こう言っても何にもならない。
「夜も遅いし私がお前を送って行くよ」
「ありがとう。……父さんも気をつけてくれよ」
「私はお前と違って『大人』だ。心配は無用だ」
 ……子どもと大人か。子と親の違いとは一体何なのかは、まだ俺には分からない。
 しかしバトルベルトの謎のプログラムと遠藤らEMDC、不明瞭かつ危険因子が多すぎる。俺はどう立ち向かえばいいのだろうか。
 星の見えない東京の夜、強い風が巻き起こる。



風見「今回のキーカードはチェレンだ。
   シンプルな効果だが、それでいて効果は強力。
   どのデッキにも入りやすく使い勝手がいいぞ」

チェレン サポート
 自分の山札を3枚引く。

 サポートは、自分の番に1枚しか使えない。

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