2話

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 いつかおっちゃんの言ってた通り、暑さは寒さに変わっていった。
 太陽がじりじりしなくなってきて、お昼でも水から出られるようになった。
 緑は赤や黄色になって、空気は乾いてひりひりしてきた。
 よく知ってる裏庭が、どこか違う場所になるみたいだった。
 そしてそんな頃、「ブビィ」が生まれた。

 アマノちゃんと旅をするかもしれない、そんな「ナナシ」が一匹増えて、ボクは少しだけどきりとした。「ブビィ」の世話で、アマノちゃんがボクといてくれる時間も短くなった。

 ボクは「ブビィ」とよくケンカをした。「ブビィ」は弱虫でおくびょうなくせに、力だけはボクより強かった。それがますます許せなくって、だから水を吐きかけてやった。それがブビィの苦手なことだと、ボクはケンカするうちに知っていた。でもその度に「ブビィ」が泣くから、怒られるのはボクだった。「こらーっ!」と大きな声で叱られた。
 怒るアマノちゃんは怖かったし、ぐりぐりとされて痛かった。ぐりぐりされたところとは別の、ぐるぐるの内臓よりもっと奥のどこかが、すごくすごく痛かった。
 だって、だって。
 だけどアマノちゃんは、最後はいつも優しかった。泣き出したいボクを撫でてくれた。「もー、あんたは」って、力強く撫でられた。

 大丈夫、大丈夫だ。
 旅に出れば、アマノちゃんはずっとボクといてくれる。
 おくびょうな「ブビィ」でも、相変わらずふわふわしてるばかりの「ハネッコ」でもない。
 アマノちゃんはボクと旅に出るんだ。



 季節は廻って、いつだかおっちゃんの言っていた通り、空から白くてふわふわしたものが降ってきた。
 それは裏庭を真っ白に染めて、おっちゃんはそれがイヤそうに、土を掘り返しては自分のための砂場を作った。
「ハネッコ」はなんだか元気がなくなり、あったかい研究所にいることが多くなった。

 季節は廻って、地面を覆う真っ白は、だんだんとけてなくなっていった。
「ブビィ」は相変わらず弱虫で、寒そうでもないのにいつもおどおどぶるぶるしていた。
 だけど力だけはやっぱり強くて、ボクはケンカしても全然勝てなくなってしまった。

 季節は廻って、空気も地面もあったかくなり、土から草が伸び始めた。
 そして、研究所の木のいくつかにきれいなピンクの花が咲く頃、とうとうその日はやってきた。



「みんな、いいかな。いよいよ今日は、あなたたちの旅立ちの日。これから新人トレーナーの子たちがやってくるから、選ばれたら仲良くしてね」

 ハカセはボクたち三匹のポケモンを前にして、にっこりと笑った。
 ボクたち三匹は、目線の高さを合わせようとしゃがんでくれているハカセの顔を見返しながら、それぞれの鳴き声で返事をする。

 ついにこの日がやってきた。
 ボクたちの、旅立ちの日。
 ボクたちは今日、パートナーになるニンゲンといっしょに、広い「セカイ」に旅立つんだ。

 ボクは、わくわくする気持ちが抑えられなかった。昨日の夜はなかなか眠れなかったし、今日の朝は早く目覚めすぎて退屈だった。
 ボクは今日、この研究所に別れを告げる。そして、広い「セカイ」に旅立つ。今か今かと待ち望んだときが、いよいよ目の前に迫っていた。

『たのしみねー、たのしみねー、もうすぐよー』

 ふわふわくるくると回りながら、「ハネッコ」が歌う。

『わたしたちはー、「ナナシ」じゃなくてー、「オクリモノ」になるんだよー』

 いつもはなにを考えているのかよくわからないヤツだけど、今日ばっかりはボクらは同じ気持ちらしい。それがなんだかうれしかった。

『い、いよいよだね。な、なんだかドキドキするな。ど、どんなニンゲンがくるんだろうね?』

 おくびょうな「ブビィ」は、おどおどぶるぶるしながらそんなことを言う。せわしなく息をするたびに、口と鼻から火の粉がもれる。
 確かに、どんなニンゲンがパートナーになるかわからないっていうのは怖いかもしれない。だけどボクはへっちゃらさ。だってボクのパートナーは、もう決まってるんだから。

 そのとき、部屋のドアが開く音がして、にぎやかな声が飛び込んできた。
 いよいよ来た。アマノちゃんたちだ。
 わくわくとドキドキとが高まりすぎて、体がぴしっと緊張してしまう。

「あ、おかーさん、エンつれてきたよー」
「こっ、こんにちはハカセ! ヒ、ヒノミヤ・エンですっ!」

 アマノちゃんともうひとりの男の子が、ハカセにあいさつをする。そういえば何度か、研究所に来ているのを見たことがある。アマノちゃんよりも背が高くて、運動も勉強も出来そうな、マジメそうだけど気の強そうな男の子だ。

「エン、緊張してんの? 自己紹介なんかして、もう何度も会ってるくせにー」
「うっ、うるさいな! 今日は、大事な旅立ちの日だぞ。少し丁寧にしただけだっ」

 むっ、なんだかコイツ、アマノちゃんと親しそうだぞ。そりゃあアマノちゃんはだれにだって優しいし面倒見がいいしニンゲンの知り合いだってたくさんいるんだろうけれど、なんだか、こう、おもしろくない。

 ハカセはくすくすと笑いながら、ふたりをなだめている。
 あれ、そういえば、どうしてふたりだけなんだろう。
 ボクたちは三匹。なら当然ニンゲンも三人だと思っていたのに。

「ねえ、おかーさん、今日って、あたしたちだけ? シイちゃんは?」

 さすがアマノちゃん、ボクの気になったことを聞いてくれた。アマノちゃんの質問に、ハカセは少し悲しそうな顔をして答える。

「それがね、ちょっと体の具合が悪いらしくて、来るのが遅れるみたいなの。だから、先にあなたたちふたりでポケモンを選んでもらって構わないって、さっき連絡があったわ。いっしょに出発したかったって、すごく残念がっていたけど……」
「ふーん、そうなんだ……」
「それは、心配ですね……。せっかくの旅立ちの日だっていうのに」

 なんだ、そうなのか。まあもうひとりがどんな子なのかは知らないし、ボクにとってはあんまり関係もない。
 それどころか少し都合もいい。だってもしもどのポケモンを連れていくかでニンゲンたちがもめたりしたら、アマノちゃんがボクを選べなくなることだってありうる。ニンゲンが少ないほうがその可能性は低いから、ボクにとっては不安が少し薄れるところだ。
 取り残されることになる一匹には、ちょっと気の毒だけれどね。

「ふたりとも気を取り直して。今日は待ちに待った旅立ちの日よ。さ、こっちにきてくれる?」

 ハカセがそう言って、ふたりを手招く。
 いよいよだ。ハカセがボクらの前へ、アマノちゃんとエンを連れてくる。
 どくんと心臓が高鳴った。

「ここに、三匹のポケモンがいます。ハネッコと、ブビィと、ニョロモ。この中から、最初のパートナーになるポケモンを選んでね。さあ、どの子がいいかしら」

 ついに、この時がやってきた。ボクたち三匹は、緊張で体を強張らせる。「ブビィ」はぶるぶる震え出していたし、あの「ハネッコ」でさえふわふわくるくるするのをやめて、ぴたっと止まっている。ボクもなんだか、いつもより体が乾くような気がするし、内臓がカクカクしてきた気がする。

「ふたりは、どの子にするかもう決めてあるの?」
「うん、さっき外で話した。あたしもエンも別々のポケモンだったから、ケンカになんなくてよかったよ」
「そう、よかった。じゃあ、遠慮しないでどうぞ」

 ああ、ちょっと待って。心の準備ができてない。心臓がどこどこと暴れまわるけど、体は反対にぴしっと動かない。

「じゃあ、おれから」

 そう言って、エンが進み出る。
 え、ちょっと待てよ。
 違うよな。キミじゃないよな、ボクを選ぶのは。
 急に怖くなって、きゅっと目を閉じる。
 エンの足音が、すぐ近くまで来る。
 そして、すっと手を伸ばす音。
 うわ、待てよ。違うだろ?
 ボクを連れていくのは、キミじゃないだろ?

「おれは、こいつにします」

 一瞬、時間が止まった気がした。
 そしてボクは、恐る恐る目を空ける。
 エンがボクじゃなくて、「ブビィ」を抱き上げているのが見えた。
「ブビィ」は体を強張らせたまま、エンの目を見つめている。そして、ふっと安心したように腕をぶらりとさせると、嬉しそうに、照れくさそうに赤い顔をもっと赤くする。鼻息といっしょに火の粉がもれた。

 ボクも安心して、カクカクした内臓がちょっとゆるんだ。まったく、脅かさないでほしい。
 エンがブビィを抱いたまま下がって、今度はアマノちゃんが進み出る。

「じゃあ、次はあたしの番だね」

 アマノちゃんが、ボクたち二匹の正面に立つ。

 ああ、長かった。
 これから、旅が始まるんだ。
 この子といっしょに「セカイ」を見るんだ。
 ずっと、ずっと待ち望んでいたとき。それがとうとう、すぐ目の前までやってきた。

 アマノちゃんが手を伸ばす。そして、


 ボクのとなりの、「ハネッコ」を抱き上げる。


「あたしは、このこにする! よろしくね、ハネッコ!」

 ……
 ……
 ……

 時間が、止まった。
 今度は、一瞬じゃなかった。

 なにもかもが、動かなくなる。
 まわりのものが、色を無くしていく。
 心が体から離れたみたいに、なにも感じなくなる。

 なんて言った?
 アマノちゃんは、今、なんて言った?

 アマノちゃんの手は、ボクの隣に伸びていた。ボクには伸びていなかった。
 アマノちゃんの手は、「ハネッコ」を抱き上げていた。あのあったかい手は、ボクを抱いてはいなかった。

 これは、どういうことだろう。
 考えても、わからない。
 わかりたく、ない。

「あたし、決めてたんだ。悩んだけどさ、やっぱりハネッコ。うわあ、これまでもお世話してきたけど、なんだか一段とかわいく見える!」

 時間が、動き出す。いつまでも止まっていてはくれない。
 でも、ボクの心は離れてしまったままだった。アマノちゃんの声もなんだか遠く感じる。

「ハネッコか。でもそいつ、あんまり戦闘向きじゃないだろ。このブビィと違ってさ」
「わかってないなあ。力が強くなくたって、戦い方はいろいろあるのだよ? それにあたしは、おかーさんの手伝いもするからね。ポケモン捕まえるなら、やっぱりいろんな技がある草ポケモンでしょー」
「ふん、そう言って、バトルしたとき言い訳するなよ。おれだってハカセの手伝いはするさ。炎のポケモンでだって、おまえよりたくさん捕まえてみせるからな」
「むっ、なにをー? 負けないからね、バトルもずかん作りも!」

 アマノちゃんとエンが、楽しそうに言い争っている。
「ブビィ」は相変わらず照れたように笑い、しかし決意でも固めているのか、ぐっと拳を握っている。
「ハネッコ」はやっぱりふわふわくるくるしているけれど、なんだかいつもより速く回って、ぐるぐる踊るように動き回っている。

 みんな、楽しそうだった。
 ボクだけが、そこにいなかった。

 どうしてだろう。
 どうして、こうなってしまったのだろう。

 ボクは今頃、アマノちゃんの腕の中で、これからの旅に期待を膨らませているはずだった。
 なのに、ボクがいるはずだった場所には、あの「ハネッコ」がいる。

 ボクは急に、あの「ハネッコ」をどうにかしてやりたい気分になった。
 そうだ、あいつをやっつければ、今からでもあそこに行けるかもしれない。

 でも、ダメだった。そんな気持ちはすぐにしぼんで、体を動かす気さえなくなる。
「ハネッコ」がかわいそうになったからとか、そういうんじゃない。
 アマノちゃんが、あんまり楽しそうに笑っていたからだ。

 わかっていた。
 アマノちゃんは自分で「ハネッコ」を選んだ。
 今さらあいつをやっつけたところで、アマノちゃんの気持ちが変わったりはしないんだ。
 ただボクが軽蔑されて、「ハネッコ」は大事にケガを治療されて、結局アマノちゃんは「ハネッコ」を連れていく。
 わかってしまった。
 どうしようもなく、ボクはわかってしまったのだ。

 ボクは、そっと部屋を出た。
 もうこれ以上、あの場にいるのが耐えられなかった。

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