第18話 “来た、見た、勝った”

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「ハッサム、破壊しなさい」

 傲慢(ごうまん)な声に従って、赤い(はさみ)が閉じていく。ミシミシと軋む音がして、直後、ハッサムの鋏に挟まれていたアルバートの左手が壊れた。ハッサムの鋏から解放されて晒された彼の左手は紫色に鬱血(うっけつ)し、無残にもすべての指がバラバラの方角に折れ曲がっていた。
 だがアルバートは、どれだけ顔や腹を殴られても、片手を鋏で砕かれても、一言も悲鳴をあげなかった。下唇を噛んで、体中から嫌な汗を吹き出しながら、乱れがちな鼻息を整えようと懸命に堪えていた。

 大したものだ。ビシャスは感心していた。
 アルバートは今、椅子の後ろで両手に手錠をかけられ、身動きが取れない。だが苦痛や恐怖に屈する様子はなく、その風格を保ち続けている。思った通りだ。これではいくら暴力を使っても、心を折る前に肉体の限界が来て死んでしまうだろう。
 デスクの上に座って腕を組み、様子を眺めていたビシャスは、「もういい」とハッサムをなだめた。そしてニヤニヤと笑みを浮かべながら、アルバートに歩み寄った。

「私は交渉(・・)拷問(・・)が非常に気に入っている。どちらもフェアなゲームのようなものだ」

 彼が語る最中、ドアが開いた。椅子に縛られたアルバートと、両手両足を鎖でくくられたセツナが共に見やる。
 (ひずめ)の足音。とたんに部屋中に広がる熱気。ロケット団員の男がギャロップを連れてきた。

「拷問のプレイヤーは、知っての通り、情報を保持する側と情報を引き出す側に別れる。情報を保持するプレイヤーは拘束され、この世のありとあらゆる苦痛を受ける。それに最後まで耐えることができれば勝ち、苦痛に耐えきれなくなって秘密を喋ってしまうと負けになる」

 ビシャスにとっては見るまでもなく、自分が呼んだギャロップに道を譲った。
 団員の男はビシャスに囁いた。

「指示通り、準備できました」

 ビシャスはニヤリと口角を吊り上げて、ご高説を続ける。

「対して情報を引き出す側は、一見して圧倒的優位な立場にいるように見えるが、実は違う。相手を殺さず、しかし簡単に耐えられるようなものではなく、生と死のギリギリの境で苦痛を与えなければならない。これは単純に体を傷つけたり、薬を使ってすむような話ではない。相手の心を理解し、その上で、心の最も弱いところを……突き刺す」

 アルバートは思わず失笑しながら視線を伏せた。
 分かっていたことだ。この道に進んだ以上、絶対にろくな死に方はしないだろう。迎え入れた仲間、セツナ共々、いつかこうなることは分かっていた。
 弱みだと? もはや仲間の命さえ諦めた私にそんなものはない。唯一ある私の弱み(・・・・・・・・)、それは……。

「お前は愚かだが、バカではない。そこまでこのゲームの繊細さを知っているのなら、分かっているはずだ。私からお前に言うべきことは何もない。諦めてさっさと私を処刑したらどうだ? 探し物は優秀な部下たちに任せればいい。もっとも、そんな部下がお前の下にいればの話だが」
「もちろんお前は殺す。だが最後に勝ち逃げをされては敵わない」

 ビシャスは言いながら、ロケット団員の男とギャロップに視線で合図を送った。

「お前に暴力を使っても無駄なことぐらい分かっている。だからお前自身ではなく、お前の大切な存在を傷つければいい……簡単な話だ」

 横たわって目を閉じていたセツナは、顔にやたら熱風が当たることを嫌がって、疎ましそうに目を開けた。見上げると、すぐ目の前にギャロップが立ってこちらを見下ろしているのが見えた。
 角が折られた今となっては、危険を予知する力は無い。だがロケット団員の男に丸めた手ぬぐいを口に押し込まれて、予感した。これまで以上の何かをする気だ。
 ビシャスは再びデスクの上に腰を下ろして言った。

「このギャロップの足には蹄鉄(ていてつ)が装着されている。知っているか、ギャロップは走ると火力が上がる。ちょうどこいつは先ほどポケモン用のランニングルームで走ってきたばかりだ。さて、ここで改めて聞かせてもらうが、金剛玉はどこにある?」

 沈黙が流れる。聞こえるのはアブソルの荒い鼻息と、ギャロップのたてがみが燃え盛る音。
 アルバートは目を瞑って、もう二度と見ることができないであろう数々の景色を思い描いた。特にセツナと共に行った場所を。
 最も美しいと思った画は、今から2年前。今にも崩れそうな古びた建物の中で、タバコと硝煙(しょうえん)の匂いが充満した部屋に横たわる死体の数々。累々(るいるい)と連なる屍に囲まれて、煙の中に黒い三日月が浮かび上がる。次第に煙が晴れると、血染めの三日月が鮮明に見えた。
 惨殺死体に囲まれた彼女の姿ほど美しいものは他にはなかった。

 自然と微笑みを浮かべながら、アルバートは呟いた。

「ウェーニー、ウィーディー、ウィーキー」
「なんだと!?」

 仮面の奥では顔を歪めているであろうビシャスを見やって、アルバートは余裕さえ浮かべて言った。

「古代の言葉だ。遠い昔にカロス地方で起きた大戦争、その前線で戦ったひとつの軍隊が、前線での勝利をたったみっつの言葉で本国に告げた。『来た(veni)見た(vidi)勝った(vici)』、私が初めてロケット団員として戦いに勝った時にもこの言葉を使った」

 ビシャスは文脈の意図を理解しようとして、まだ困惑しているようだった。
 愚か者め、まだ気づかないのか。アルバートは力強く、高らかに言い放った。

「バカなお前にも分かるようにもう一度だけ言うぞ、『来た(・・)見た(・・)勝った(・・・)』だ!」

 これがアルバートの勝利宣告だということに、ビシャスは気づいた。
 そして待ってましたとばかりに、ニヤリと笑った。

「お望みらしい、やれ」

 命令が下り、邪悪な赤い輝きを発する蹄が持ち上がる。そしてそれは、ギロチン台のごとくアブソルの白いわき腹に振り下ろされた。

 その声を、アルバートは初めて聞いた。今まで数多の生命を傷つけ、悲鳴を耳にしてきた彼でさえ、相棒であるセツナの悲鳴は聞いたことがなかった。
 まるでレストランでステーキを焼くような音が部屋中に響き渡る。同時に、喉が潰れそうなほど大きな金切り声が耳をつんざいた。想像を絶する激痛に耐えかねて、セツナは飛び出そうなほど大きく目玉をひん剥いて、よだれを垂らしながら手ぬぐいを食いしばっていた。
 アルバートは、その痛みの根源を見つめて目を細めた。肉を焼く煙の合間から、セツナのわき腹に押し当てている蹄が徐々に奥に食い込んでいくのが見えた。

 痛みはそこで終わらない。
 皮膚を、筋組織を焼き、蹄がついに肋骨まで届いた瞬間、それは頂点に達した。わき腹が何万本もの針の束で貫かれたような痛みが走る。しかも熱は肋骨から広がり、高熱が内臓にも達したとたん、セツナは思わず反り返り、吐瀉物(としゃぶつ)を絨毯の上に吐き散らした。終わることのない激痛の波に耐えかねて、セツナはとうとう大きく開いた目にアルバートを写した。
 その目は乞うように救済を求めていた。


 私は他に何も望まない。
 何も求めない。
 今まで貴方と共に味わった食事の数々、その味のひとつひとつが今もはっきりと思い出せる。
 それだけで私はどんな敵にも立ち向かっていくことができる。
 なのにこの痛みが、憎悪が、炎と化して私の幸福を容赦なく焼いていく。

 お願い、どうか早く終わらせて。
 感情のない私に残った唯一の幸福が焼かれて消える、その前に。
 私が貴方にする、最初で最期のお願いだから。


「分かった、もういい!!」

 主の叫び声と共に、ギャロップの蹄がセツナから引き抜かれた。ふっと力が抜けて、セツナは再び静かになった。
 勝ち誇った笑みを浮かべているビシャスを、アルバートは憎悪の限りを込めて睨みつけた。





 ヤマブキシティでニャビーを巡る事件が起きてからしばらく経つ。私たちはまだヤマブキシティのポケモンセンターに拠点を置いていた。先の事件で傷ついたニャビーの療養のためだ。
 チェイスが何度かニャビーに未来から来た経緯を訪ねたが、ニャビーは首を傾げて「にゃあ?」と鳴くばかり。確かなのは、彼のその仕草が可愛いということ。
 ひとまず、彼がいつのどこから来たのかTBIが調べているらしい。それが分かるまで、先の事件で保護するために一応ニャビーのトレーナーとして登録したこと、そしてなぜか私に懐いていることもあって、しばらくは私がニャビーを預かることになった。
 ニャビーの様子は元気そう。抱っこして街を散歩できるぐらいには回復してる。
 あのアルバートっていう悪人が捕まったおかげで、ロケット団は私たちの賞金を取り消した。もう安全を脅かされるようなことはない。

 はずだった……。


 ウェルズは曇った顔つきでソファに座り、テレビを眺めていた。腕にはニャビーを抱え、隣りにはパルスが寄り添っている。さすがにパルスの体重を支えきれないので、時々うっとうしそうに押し戻したりしながら。
 テレビに映るニュースキャスターの女性が、いかにも深刻そうな顔と声色で語り始めた。

『昨日ヤマブキ刑務所から脱走した囚人、元ロケット団幹部アルバートの行方は未だ分かっていません。警察からの発表によりますと、ヤマブキ刑務所に訪れた護送車は警察のものではなく、脱走を手引きしたグループが似せて作った––』
「まさか!!」

 窓際に立っていたチェイスが叫んだ。
 ニュースを聞いて、ではない。先ほどからこの調子だ。部屋の固定電話で何やら電話を始めてから、時折声を荒げて驚いたりしている。
 あれこれ問答を続けて、チェイスはようやく受話器を置いた。深いため息と共に。
 ウェルズは怪訝そうに訊ねた。

「今の電話、誰からだったの? なんか慌ただしかったけど」
「32世紀のTBIからだ」
「……これ固定電話よね?」

 眉根にシワを寄せているウェルズの問いを、チェイスは一蹴した。

「冗談を言ってる場合じゃない、緊急事態だ。アルバートは自ら脱走したんじゃない、ビシャスに拉致されたんだ」
「それで?」
「このファクター(・・・・・)が発生したせいで、タイムラインが大混乱に陥っている。32世紀の時空管理委員会が調査したところでは、このままだとアルバートが殺すはずだったビシャスが生き延びて、逆にアルバートが死ぬことになる。そうなれば歴史への影響は計り知れない、ビシャス派ロケット団の支援を受けたギンガ団の新世界創造が成功して……未来が消えてなくなるかもしれない」

 具体的なところはよく分からないが、彼が早口で声を荒げているのだから、相当深刻な事態なのだろう。
 一方で、ウェルズは自分でも驚くほどに冷め切っていた。肩をすくめて、平然と言った。

「だから?」
「正しい歴史にはアルバートが必要だ、彼が死ぬ前に助けにいこう」
「忘れたの? あのおっさん、私たちをさらった奴なのよ。しかもパルスを殺そうとしたポケモンハンターと繋がってるって言うじゃない。そんな奴は警察に捕まって当然だし、誰かに殺されても自業自得でしょ?」
「彼がいたおかげで、さらに巨大な悪を防ぐことができたんだ!」

 思わずチェイスが声を荒げた後、嫌な沈黙が漂った。
 ウェルズの気持ちも分からないことはない。ここ最近はTBIの捜査の都合に合わせてもらってばかりで、ウェルズの能力に関する捜査は進んでいない。保護したニャビーも本当に未来視と関係しているのかさえ曖昧だ。
 深呼吸をして、チェイスは努めて穏やかに訊ねた。

「何か未来が視えなかった? どんな些細なことでもいい、景色とか、人とか、ポケモンとか」
「視てない。と言うか、視たくない(・・・・・)
「ウェルズ……?」

 まるで腫れ物を扱うような態度にもう我慢ならなくなって、ウェルズはテレビの電源を消してから立ち上がった。
 体の芯から怒りがふつふつとこみ上げてくる。鼻提灯を膨らませて眠りこけているニャビーをソファに置くと、固く握った拳を振り上げて叫んだ。

「私は悪人から良い人間やポケモンたち、そしてパルスを守るために未来を視てるの! しかもその度に私は昔の嫌なこと(・・・・・・)を連想させられる! どうして悪人を守るためなんかに、苦しい思いをしてまで能力を使わなきゃいけないの!?」
「それは未来のために––」
「あいつのおかげで栄えた未来なんて消えてしまえばいいのよ!!」

 言い放ったウェルズ自身、その言葉の意味を理解するまでしばらくかかった。
 やがて少し頭が冷めてきて、とたんに罪悪感に駆られた。チェイスは今までよくしてくれていた。ロケット団に捕まった時も、ポケモンハンターの飛行艇でパルスが重傷を負った時も、彼が助けてくれた。
 なのに、彼を困らせるようなことを、傷つけるようなことを言ってしまった。
 何で? 私、そんな風には考えてないのに……。

「……ごめんなさい」

 ぽつりと零れた。
 チェイスは目に見えて落ち込んでいる様子だったが、その一言を聞いて微笑んだ。弱々しく、明らかに作り笑いだった。

「いや、いいんだ。僕がちょっと……無神経すぎた」

 チェイスは一歩、二歩、ゆっくりとウェルズから離れていく。そして自分のエフェクトケースを開けて、中からタキオン銃を取った。
 手を借りることに慣れすぎていたんだ。チェイスは腰に銃を差しながら、ウェルズには見えないところで浮かない表情をしていた。

「この件は僕が片付けてくる。朝までには戻るよ」

 そう告げて部屋から出ていくまで、チェイスは一度もウェルズと目を合わせようとしなかった。
 ウェルズは閉じたドアをしばらく見つめた。だが、それを開けて追いかける気にはなれなかった。

 大きなため息と共に振り返る。
 気晴らしにテレビでも見ようかしら。そう思ってリモコンに手を伸ばした。

 触れる寸前、ピタリと手が止まった。

「……その目は何?」

 脇でパルスとニャビーが揃ってウェルズを凝視していた。
 彼らは物を言わず、かわりに目で訴えかけていた。言わんとすることは分かるつもりだ。何してる、今すぐ追いかけないのか、彼を1人で行かせていいのか。
 しかしウェルズは口をへの字に曲げたまま、リモコンを引っ掴んでテレビを点けた。

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