2話 Bright moon

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「今日はいつもよりは遅いな」
「こんばんは、篠原さん」
 ブライトムーンに着き、やや薄暗い照明の店内を真っ直ぐ進んでカウンター席に座ると黄色いエプロンが似合わないガタイのいい男が現れた。
 年齢は四十過ぎらしいが、まだまだワイルドな風貌がぴったり。そんな元プロがここの店主、篠原さんだ。
「まあそれでも五十分前だ。どうせ晩飯はまだだろう? オムライスがいいか。ハヤシライスがいいか」
「ハヤシライスでお願いします」
 トレーナーハウスはバトルを観戦(トレーナーからすれば参戦)する場所だが、それだけでは無個性。そう言って観戦以外にプラスアルファの要素を持っているところが大抵だ。ここ、ブライトムーンはレストランを兼ねている。
 そして、いつもここに営業に来たときは篠原さんとご飯を食べながら話すのが習慣になっている。
「明日で前期、終わりか。規定数はやってるだろ。今期こそ行けるんじゃないか?」
 目の前にハヤシライスが置かれると同時に、篠原さんは顎髭をさすりながら尋ねてくる。
 ポケモンバトル協会は五月から九月までの五ヶ月を前期、十一月から三月までの五ヶ月を後期と定めている。その各期間で協会が認可している大会やリーグ戦、またはトレーナーハウスでの対戦回数が協会の決めた規定数に届いていて、かつ勝率六割以上ならば協会が十月、或いは四月に開催するトーナメントに招待されることになっている。
「トーナメントはスポンサーが開く大会じゃないし、プロならスポプロ(スポンサー付きプロの略。業界用語)じゃなくても出られるからな。そんなやつらがスカウトから注目される数少ないチャンスだ」
「ですね……」
「俺としてはお前ならなんとかやってくれるんじゃないか。そう思ってる」
「ありがとうございます」
「うちでやった対戦は全部協会に届けを出したし、あとは他のとこでやったときにちゃんと届けを出されてるかだな。確か、うちでやった試合だけなら勝率七割近くはあるだろ」
「そうなんですか?」
「自分で覚えてないのか……。まあ良い、じゃあそろそろ今日の打ち合わせでもするか。資料持ってくるから待ってろ」
 背を向けて篠原さんが店の奥に消えていく。打ち合わせに向けて、残りのハヤシライスを胃に押し込んだ。
 一息ついて水を飲んでいると、印刷紙を持って篠原さんが帰ってきた。
「今日の対戦相手は……、栃木からだそうだ。ホームハウス(契約してるトレーナーハウスのこと)は『D-lay』だな。向こうから持ちかけてくれた対戦だから細かいことはわからん。で、対戦相手は藤田直也。つい半年前にプロになった高卒の坊主、か。なるほどお陰でデータが大して無いわけだ。目立つ話も聞かないし、プロテストの順位が良ければ既にスポプロのはずだ。経験の差を見せてやれ。もっとも、油断はするなよ」
「はい」
「よし。じゃあそろそろ準備行ってこい。お前からしたら前期最後のバトルだ。キリ良く勝てよ」
「が、頑張ります」
 食事をして篠原さんとその日の対戦の打ち合わせ。そして控え室で対戦前の最後の自分のポケモンのチェック。いつも通り、問題ない。
 オープンからたった一年でスポプロを二人も輩出した篠原さんが、あたしに期待してくれてる。他のトレーナーにも同じように言ってるかもしれないけれど、それでも言われてるだけ幸せだ。
 その期待のためにも絶対に勝つ。
 シューズを履き替え紐を縛り、ストレッチ。念入りに手首と腕は他の箇所以上に行う。指先を体の方に向け、手の甲を地面につける。少しずつ体重を後ろにかけていくことで腕の前側を伸ばす。次は指先を体の方に向け、手の平を地面につける。少しずつ体重を後ろにかけていくことで腕の前側を伸ばす。今度は四つんばいになった状態で肩関節を少し下に押しつけるような感じで胸の前の筋肉を伸ばし、最後に手をクロスにした状態で自分の体から外側へ引っ張るようにすることで肩関節の後ろの筋肉を伸ばす。
 そしてボールのチェックと、最後にポケモンのコンディションを確認。大丈夫、万全だ。
 店員に時間だと呼ばれ、慣れ親しんだ店内のバトルエリアに足を踏み入れる。対面から背の低い男の子が現れ、頭を下げてきた。
「よっ、よろしくお願いします!」
「お手柔らかにね」
『使用ポケモンは三匹のシングルバトル。うち二匹が戦闘不能になると敗北です。入れ替えは自由。その他のレギュレーションは協会認定No.5で行います』
 先発のポケモンはこの子で決める。試合開始の合図と共にボールを強く握った。
「神速よ!」
「守れっ!」
 あたしが指示を出してボールを放つよりも前に現れた相手のライチュウが、薄い緑の膜を前面に張り出す。が、そこが狙いだった。
「真正面フェイント!」
 あたしが放ったのはエルレイド。当然神速なんて使えるわけがない。相手が急いでライチュウに指示を飛ばすも、ワンテンポ遅かった。既にエルレイドの肘刀が膜をすり抜けてライチュウの腹部に決まったからだ。
「辻斬りっ」
 硬直が解けていないライチュウへの追い討ちがやや浅いが決まった。客席から拍手が鳴る。相手トレーナー、藤田の元まで転がったライチュウを追おうとしたエルレイドを制し、最初の睨み合いに入った。
 ダミーシグナル。あえて嘘の指示をすることで相手への不意打ちを取るタクティクス。このこともあってポケモンバトルではあまり相手のトレーナーの指示を聞くのはあてにならない。まだプロ経験が浅いと聞いて、もしかしたらと思ったがやはり引っ掛かってくれた。
 十秒。互いに位置の調整をしながら攻め方を伺っていると、藤田の右手が僅かに動いた。
「影分身からの十万ボルト!」
「大きくサイコカッター。同じ位置に留まらないで!」
 何か仕掛けてくるのは簡単に予想出来る。ただし何かがわからない。ならば守りつつ攻めるのみ。
 エルレイドを囲むようにかなりの分身をしたライチュウの大群に、大きなサイコカッターを一薙ぎする。分身の三分の二を捉えるものの、当たりは無く皆すり抜けていく。不規則なステップで十万ボルトをかわせるようにと対策を怠らないエルレイドが、残りの一帯にサイコカッターを放とうと動きが止まった一瞬だった。
「今だ!」
「下! 跳んで!」
 突然エルレイドの足元が揺れ、盛り上がる。エルレイドはバランスを崩したものの、地面から現れたライチュウを踏み台に、ムーンサルト。サイコカッターで地面から飛び上がったライチュウにすぐさま攻撃をする。
 が、サイコカッターはまたもやすり抜けた。穴を掘れる実体を持つ影分身はない。サイコカッターを受けたライチュウが煙のように消えるのを確認するまでもなく、あれは身代わりだと判断する。そしてすぐに反射的にボールホルダーからボールを素早く抜き取り右手に加えた。
 本命はこっちじゃない。十万ボルトからここまでの一連の流れは全て相手の計算通り。おそらくあのときの手の動きが合図。敵の本命は残りの影分身のうちにいる一匹が放つ十万ボルトだろう。でも、それもさせない!
 握ったモンスターボールを素早いスナップでフィールド左中央、丁度あたしと藤田との距離が等しいくらいの距離にいるライチュウに向けて力一杯ぶん投げた。
 突然死角から飛んできたボールに驚き、思わず大きな素振りでボールを交わしたライチュウは、体勢を崩す。
「来たっ!」
 あたしの叫びに呼応して、エルレイドは肘刀を伸ばして牽制の一打――このときライチュウが溜めていた電気が漏れ、ライチュウとエルレイドで静電気が発生し、おそらく麻痺になってしまったと思うが――を与え、さらにライチュウの体勢を崩す。
「インファイト!」
 藤田が慌ててボールを取り出し、ライチュウを引っ込ませようと試みるも間に合わない。やや動きが鈍く完璧とは言えないものの、綺麗に決まったインファイトを受け、ライチュウはバトルエリアのフェンス際まで吹き飛ばされ、あっけなく戦闘不能の判定を受けた。
「よしっ」
 小さくガッツポーズすると、客席から「皐月(あたしの名前)ちゃん、いいぞー!」と嬉しい野次が飛んできた。
 やっぱりホームグラウンドだと応援が違う。あの藤田もやはりいくばかかキョドっているように見える。藤田の判断がもう少し早ければライチュウは戦闘不能にはならなかっただろう。
 ライチュウに対してやった、あのボールテクニック(モンスターボールを使った特殊戦術の総称)はリードレイ。相手のポケモンにモンスターボールを球威をつけて投げることで、相手のポケモンを驚かせて集中力を欠かせる。鍛え上げられたポケモンによっては完全無視されたり、その前にトレーナーやポケモンによって簡単に妨害されてしまうが、ライチュウが緊張していたせいもあって、想像以上の効果が発揮出来た。
 そしてそのとき投げたボールはフェンスに二度ぶつかり、あたし寄りのフィールド右中央に転がっている。次の準備も完璧だ。
 藤田は制限時間十五秒(十五秒ポケモンが場に出ていないと反則を取られる)をいっぱい使って熟考した末、相手は二匹目のポケモン、ヤドランをフィールド中央に繰り出した。

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