Mission #082 危機(前編)

しおりを挟みました
しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
読了時間目安:19分
「ヒトミ、ずいぶん切羽詰った感じだったな……急がないと」

アカツキはスタイラーの液晶画面に時折視線を落としながら、ビエンの森を全力疾走していた。
チコレ村に差し掛かろうとしたところで突然ヒトミからボイスメールを受けたのだが、一言目を返す間もなく通信を打ち切られてしまった。

『アカツキ!!
こっち大変だから早く来なさい。場所はビエンの森西部。以上!!』

何がどのように大変だからという理由もなく、ただ単純に——ある意味分かりやすく用件だけを述べてボイスメールを終了。
怒鳴っているような声音は、切羽詰っていることを如実に示しているのではないか。
普段からおてんばな彼女ではあるが、訳もなく怒鳴ったりすることはない。
一応、それなりの分別は持ち合わせているのだ。

(ビエンの森の西部って言ってたけど……北西部に移動してない?)

スタイラーにはGPS機能が搭載されており、他のポケモンレンジャーが所有するスタイラーのIDを登録することで相手の位置をリアルタイムに表示できる。
画面の中央に点灯する点は自分。
左上の方で点滅している点と、その傍にポケモンレンジャーの名前が『ヒトミ』小さく表示されている。
普通なら自分が向かえば左上の点がこちらに近づいてくるはずなのだが、思ったほど近づいてこない。
どうやら、ヒトミは何かしらの事件に巻き込まれているらしく、一箇所に留まっていることができない状態に追いやられているようだった。
スタイラーの液晶画面の大きさなど高が知れているが、それゆえに画面上のわずかな距離の増加は実距離でかなり大きく反映されてしまう。
ならば、なおさら急がなければならない。
彼女なら多少のことでヘコたれはしないだろうが、急いで来いという文言の短いボイスメールを送ってきたところからすると、相当切羽詰った状況なのかもしれなかった。
頭上に生い茂る木の葉の絨毯の合間から降り注ぐ木漏れ日が柔らかくて暖かいのに、なぜだか森が暗く見えてくる。
ヒトミは大丈夫だろうか……?
不安な気持ちが、見た目以上に暗く思わせているだけかもしれない。

(ヒトミならきっと大丈夫。それより、途中でポケモンをキャプチャしてった方がいいかもしれない)

不安に思っていても現状が好転するわけではない。
それならば、建設的な思考に切り替えるだけだ。
どの程度かは不明だが、ヒトミは切羽詰った状況にいるはずだ。
自分が普通に乗り込んですぐ解決できるかも分からない状況となると、途中で何体かポケモンをキャプチャして、力を借りられるようにしておいた方がいいかもしれない。
そんなことを思いながらヒトミの元へ急ぐが、途中でポケモンにまったく出くわさないことに気がついて、アカツキは思わず足を止めていた。

(おかしい……ポケモンが見当たらないなんて……)

周囲を見渡してみるが、鬱蒼と生い茂る木々と茂みの姿が連なるばかり。
ビエンの森の中西部に差し掛かり、未だ一体のポケモンも見当たらないのは明らかに異常だった。
鳥の囀りも虫の声も、まったく聞こえてこない。
耳に入るのは自分の荒い呼吸と、ムックの羽ばたき。それから風で木の葉が擦れる音。

「ムックゥ?」

ムックが高度を下げ、アカツキの顔を覗き込んでくる。
異常には気づいていたが、ここは彼の判断を待ちたい……パートナーとしての信頼が厚いからこそ、不必要に言葉をかけたりはしない。

「…………」

理由は分からない。
分からないが……立ち止まっていても始まらない。
途中でポケモンの力を借りようと思っていたが、借りられない状況ならばそれを無理に求めることもできないだろう。
考えるのも程々に、アカツキは再び地を蹴って駆け出した。

(今までこんなことは一度もなかったけど……もしかして、ヤミヤミ団が関わってるのかな?)

ポケモンが絡む事件で真っ先に浮かぶのはヤミヤミ団だ。
プエルタウンでの事件を皮切りに、それからしばらく各地に出没してはドカリモを設置してポケモンを苦しめたりしていたのだが……ここ最近は事件を起こしていない。
単に人目につかない場所で何かしらやっているのか、それともポケモンレンジャーの執拗な妨害(公務)に根負けして悪事をあきらめたのか……
考えられるとすれば前者だろう。
アルミア地方の行政区が置かれた街でドカリモを設置し、作動させるだけの度胸を持つ組織が、ポケモンレンジャーに幾度となく妨害されたことを理由に『はい、やめます』となるはずがない。
そうすると、人目につかない場所でドカリモを使って何かしていると考えるのが自然だろう。
そして、人目につかない場所といえば……

(ヒトミがいるのはビエンの森の北西部……あそこは人が滅多に立ち入らない場所だ。
まさか、そこでヤミヤミ団が……? 急がなきゃ!!)

確証も何もあったものではないが、杞憂であればそれに越したことはない。
ただ、もしもその想像が当たっているとすれば……ノンビリするわけにはいかなくなった。
ビエンの森の北西部はプエルタウンとビエンタウンを結ぶ道から大きく外れた場所であるため開発等の対象になることなく、ポケモンレンジャーでさえそうそう立ち入る場所ではない。
まさに、ヤミヤミ団にとっては何かをするのに絶好の場所。

(何かあってからじゃ遅いんだ。今日はクラムさんもラクアさんもいないけど……だから、ぼくたちだけでなんとかしないと!!)

まさか、ビエンのレンジャーベースの戦力が手薄になっていることをヤミヤミ団が知っているとは思えないのだが、現実は現実。
何かがあってからでは遅い。何かがある前になんとかしなければならない。
頼れる先輩はいないけれど、だからこそ自分たちが頑張らなければならないのだ。
ただ、念のためにリーダーに連絡を入れておいた方がいいだろう。

(ヒトミから行ってるかもしれないけど、一応ぼくからも連絡しておこう……)

アカツキは走りながらスタイラーを操作して、ボイスメールを起動させた。

「リーダー、アカツキです!! 応答どうぞ!!」
『……バロウだ。アカツキ、どうした?』
「ビエンの森にポケモンの姿が見当たりません!!
ヒトミが北西部に向かってるんですけど、何か変な事件に巻き込まれてる可能性があります!!」
『なんだと!?』

ビエンの森にポケモンの姿が見当たらない。
それだけでも十分に大事だと理解しているのだろう、バロウの声には多分に驚きが含まれていた。
それでも部下を動揺させまいと平静に努めているようだった。

『……分かった。
どれほどの規模かは分からんが、下手をするとヤミヤミ団が絡んでいる可能性もあるな。
レンジャーユニオン本部に応援を要請しよう。
遅くとも一時間もあれば到着するだろうが、それまで無茶をしない程度に当たってくれ。頼んだぞ』
「了解しました!!」

通信はそこで終了した。
バロウはアカツキのお世辞にも冷静とは言えない言葉の中で事態をある程度理解してくれたようだ。
ヤミヤミ団なんて一言も口にはしていなかったが、やはり彼も同じことを考えていたらしい。
クラムとラクアが風邪で寝込んでいるのを無理やり現場に向かわせるわけにもいかないだろうから、応援を求めるとしたらレンジャーユニオン本部に打診するしかない。
時間はかかるかもしれないが、プエルタウンの時と同じく、無理に自分たちで解決を急ぐ必要はない。
その点で、アカツキには若干の心の余裕が生まれていた。
部下が能力を最大限に発揮できるようにさり気なくサポートするのも、上司の務めなのだ。

「よし……ムック、急ぐよ!!」
「ムックゥ!!」

バロウの堂々とした言葉に背中を押され、アカツキは全力で走った。
できるなら自分たちで解決したいが、『無理だと思ったら無茶をしないこと』。
口をすっぱくするほどラクアに言われた一言が、こんな時には嫌というほど理解できてしまう。

(ラクアさんはいないけど……ぼくたちだって頑張ってきたんだ。大丈夫)

下手をすれば森全体の規模に膨れ上がりかねない事象が発生しているかもしれない。
そう考えると不安はあるが、不安ばかり考えていても仕方がない。
この二ヵ月半、ポケモンレンジャーとして必要なことは確実に身につけたつもりだし、先輩がいないからといって何もできないような貧弱なポケモンレンジャーでいるつもりもない。
やると決めたからにはやる。それだけだ。
スタイラーをぐっと握りしめ、目には向かうべき場所を映し、薄暗く感じる森を駆ける。
泥濘に足を取られそうになりながら、地面からわずかに張り出した木の根に蹴躓きそうになりながら、それでもただひたすらに走る。
時々スタイラーの液晶画面に目を落とし、ヒトミと自分の相対的な位置関係を確認する。

(ヒトミ、動いてない……そこがゴールかな?)

先ほどよりも、画面上の二点の間隔が狭まっている。
ヒトミが一箇所に留まっていることは容易に想像できたが、彼女が今どんな状態に置かれているのかまでは分からない。
どちらにしても、急ぐ必要性が変わったわけではなさそうだ。

「ムック、近くにポケモンの気配はある!?」
「ムックゥ〜」

続いて、ポケモンの確認。
先ほどからポケモンの姿をまったく見ないが、ムックの声音から判断するに、近くに気配すら存在していないらしい。
こうもまとめてポケモンたちの姿が見当たらないのは珍しい……というか、普通に考えればまずありえないことだ。
何がどうなっているのか分からないが、ヒトミが『大変』と言っていたことに関係しているのは間違いないだろう。
立ちはだかる謎をまとめて解決するのが今回のミッションになりそうだ。
バロウからそういう指示を受けたわけではないが、指示を待っているだけではお話にならない。

「ポケモンまでいなくなってるなんて……何がどうなってるんだ?」

この辺りなら、フローゼルやロズレイド、ドダイトスにミミロップといったポケモンが棲息しているはずだ。
水辺ではないため、フローゼルの姿を見かけないのは仕方ないとしても、ミミロップやロズレイドの姿がないのは気がかり事項だ。
ポケモンたちが大挙して移動するようなことがあれば、間違いなくムックが気づいて教えてくれる。
それがないということは……別に理由がある?
釈然としないことだらけで謎だが、直面した以上は、その謎を解いていかなければならない。
何がなんだか分からないことほど、気持ち悪いものはないのだから。

(ポケモンたちの力を借りられないのを前提に考えた方がいいかも。
……それより、ヒトミからの連絡がない。どうしたんだろう……?)

心の中に忍び寄ってくる『気持ち悪いもの』を振り払おうと別のことを考えると、すぐにヒトミに行き当たった。
悠長に話していられないほどの状況にあるのは間違いないのだろうが、それから一度も連絡がないのが気がかりだ。

(ヒトミだから大丈夫だとは思うんだけど……やっぱり心配だよ)

彼女の行動的な性格は多少の障害などものともしないのだが、それでもやはり心配なものは心配だ。
全力疾走してはいるが、身体が完全に出来上がっていない年頃の男の子にはかなりきつく、それから程なく息が上がってしまった。

「はあ、はあ……」
「ムックゥ……?」

その場に立ち止まり、背中を曲げて、肩で荒い息を繰り返すパートナーの面持ちを見て、ムックが不安げな声を上げた。
十分くらいなら全力で走っても大丈夫なのだが、それ以上の時間ともなると、さすがに厳しい。

「立ち止まってなんか、いられない、のに……」

上がった息をすぐに整えられるはずもなく、汗ばんだ額を拭うだけの余裕もない。
肩で荒い息を繰り返しながら、アカツキは愚痴った。
スタイラーの画面を見やる。
ヒトミとの距離は近づいている。パッと見た目、百メートルか二百メートルといったところか。
もう少しなのに……足が棒のようになって、動いてくれない。
これでもポケモンレンジャーとしてハードなミッションに臨んでもいいように、身体はそれなりに鍛えてきたつもりなのだが、まだまだ足りないということか。
悔しいが、少しこのまま立ち止まって体力を取り戻してからでなければ先に進めそうにない。
頭では分かっているが、ヒトミのことが心配でたまらなかった。

「行かなきゃ……」

棒のようになった足を引きずるように動かして、荒い息遣いはそのままに、アカツキは一歩ずつ前へ進んだ。
ムックが横から心配そうな顔を向けてくるが、気にしてはいられない。
歩き出して十秒と経たないうちに、アカツキは頬に冷たいものが当たったことに気づいて足を止めた。

「雨……?」

顔を上げると、頭上に生い茂る木の葉の絨毯の隙間を縫って、ポツリポツリと雨が降り始めた。
ビエンタウンを出た時は晴れていたはずなのだが、天気が変わってしまったのだろうか。
雨は瞬く間に本降りになって、アカツキの身体をびしょびしょに濡らした。
走り続けて火照った身体には心地よい冷たさだが、このまま雨に濡れればクラムやラクアの二の舞になりかねない。
早いところ、何とかしなければならないだろう。

「…………」

無言で歩く。
言葉を発すれば無駄な体力を使うのは分かっていたし、今は何も話したくない気分だった。

(雨が降るなんて……)

雨が降るなど予想もしていなかった。
天気予報を見てはいなかったが、ビエンタウンを出た時の空模様からして雨など降るはずがないと思っていた。
水タイプのポケモンが『雨乞い』でも使ったのだろうか。
天候変化の技を使えば、限定的な範囲ではあるが、一時的に天候を変えることができるのだ。
無論、天候を一時的に変更させればその分のしわ寄せ(リバウンド)がどこかで発生するのだが、そんなことまで考えて技を使うようなポケモンもトレーナーもいない。
服が身体にべっとりまとわりつき、身体が重くなったような感覚がもどかしい。
防水性の高い靴も、濡れた靴下を伝って内部から浸水して、一歩を踏み出す度にびちゃびちゃと小さく音を立てている。
蒸し暑くはないものの不快指数が急上昇する中で、アカツキは無言で走り続けた。
ムックも翼が少し重くなったように感じたが、彼に遅れてはならないと、濡れた翼を羽ばたかせて飛行を続ける。
何度目になるか考えたこともないが、スタイラーに視線を落とす。
スタイラーは完全防水仕様であり、雨に濡れた程度で即座に機能に異常を来すようなことはない。
濡れた液晶画面にくっきりと映し出された自分とヒトミの相対的な位置関係が徐々に重なりつつある。

(もうすぐだけど……この辺からだと、すぐには探せないよな……)

アカツキは走るペースを落とし、周囲を見渡した。
木立と茂みがただただ広がるばかりで、特に何も見当たらない。

「ムック。ヒトミの気配、感じる?」
「ムックゥ……」

むやみやたらと声を張り上げるわけにもいかず、アカツキはムックにヒトミの気配が感じられないか頼んだ。
ムックは羽ばたきながら顔を左右に動かし——斜め右で止めて声を上げた。

「ムックゥ、ムックゥ!!」
「そっちだね、ありがとう!!」

パートナーの優れた感覚を信じて疑わず、アカツキはムックの指し示した方角に向かった。
草を掻き分け、茂みを飛び越え、乱立する樹木を右に左に避けながら走って——
そして、見つけた。

「ヒトミっ!!」

アカツキの目に飛び込んできたのは、ルッチー共々うつ伏せに倒れているヒトミの姿だった。
雨に濡れて、まるで行き倒れかなにかに見えるようだったが、見紛うはずもなかった。
アカツキはすぐさま彼女に駆け寄り、身体を抱き起こした。

「ヒトミ、しっかりするんだ!!」

泥にまみれることも厭わずに、彼女の身体を揺さぶって、名前を呼ぶ。
こんなところで倒れているなんて、どう考えてもただ事ではない。
ヒトミだけならまだしも、ルッチーまで倒れている。
しかも、ルッチーが尻に燃やしているはずの炎が消えているところからすると、ただ雨に打たれて風邪を引いたという話で済むはずがない。
一体何があったのか……?
彼女の膝や二の腕には擦り傷が見られたが、大きな怪我はしていないようだった。
それでも、何もなかったはずがない。
アカツキは心臓を鷲づかみにされるような空恐ろしい何かを感じずにはいられなかった。

「ヒトミ!!」
「…………やっと来たんだ、遅かったじゃない……」

何度目かの呼びかけにようやく応えて、ヒトミが小さくため息をつきながら目を開いた。

「ヒトミ、何があったの!?」
「気をつけて、ヤミヤミ団が……」
「ヤミヤミ団……!?」

彼女の口から飛び出した単語に、アカツキは愕然として——
直後、ムックが鋭い声を上げた。

「ムックゥ!!」
「……!?」

ムックの声にアカツキが声を上げるが早いか、周囲の茂みががさがさと音を立てて大きく揺れた。
茂みを割って姿を現したのは、三人の男女。その中には、アカツキにとって見知った顔が含まれていた。

「あなたは……!!」

左右に黒ずくめの男女を従えた白衣の女の顔は、忘れようにも忘れられない。
生まれて初めて憎しみを抱いた相手だ……忘れられるはずはない。
金糸のような艶やかな金髪を背中に束ね、温厚そうな顔立ちに同様の雰囲気。
いかにもキャリアウーマン然としたその女が、見た目どおりの人間でないことを、アカツキは知っている。

「おや……ポケモンレンジャーが集まってくるとは思っていましたが、まさかあなたが来るとは思いませんでした。
これはこれは……奇遇としか言いようがありませんね」
「あなたがヒトミを……ヒトミをこんなに傷つけたのか!!」

道化師のようなしぐさと口調で言う女のふてぶてしい態度に神経を逆撫でされ、アカツキは眉を吊り上げ声を荒げた。
こんなところにいるのが偶然のはずはない。
ヒトミを傷つけたのは彼女だ。間違いない。
猛然と食ってかかるアカツキを手で制し、女は言葉を返した。

「ポケモンレンジャーの彼女を傷つけたのはフローゼルたちですよ。
……もっとも、そのフローゼルたちをキャプチャして、おとなしくさせたのも彼女ですけどね」
「…………」
「それはそうと、捜す手間が省けました。
ビエンのレンジャーベースに所属するポケモンレンジャー……アカツキといいましたね。
単刀直入に言いましょう。
ポケモンレンジャーなどやめて、わたしたちの仲間になりませんか?」
「えっ……?」

思いもよらぬ言葉に、アカツキは勢いを削がれたように呆然と声を上げるしかなかった。
言われている意味が——分からなかった。






To Be Continued...

読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想