Mission #080 一人立ちに向けて

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「ええっ……そんなことあるんですか?」
「事実なのだから仕方ないだろう。おまえたちが驚く気持ちは十分理解できるし、こんなことは俺がリーダーになってから初めてのことだ」

驚くアカツキとヒトミに、バロウはしかしいつもの厳つい表情で、淡々と事実を告げるだけだった。
ビエンのレンジャーベースの一階ロビーには、リーダーであるバロウと、エリアレンジャーであるアカツキとヒトミの三人の姿しかなかった。
朝のミーティングは基本的に全員が集まることになっているのだが、その席にクラムとラクアがいない。
アカツキとヒトミのトレーナーである彼らの姿がない理由はただ一つだった。

「クラムさんとラクアさんが揃って風邪引くなんて、いくらなんでもできすぎ……」
「俺もそう思うが、それはそれで事実として淡々と受け止めるしかない。それで俺たちのやるべきことが変わるわけではないのだからな、そこは間違えるなよ」
「それは分かってますけど……」

半分愚痴が入っているヒトミの言葉を、バロウが釘を刺す形でたしなめる。
だが、彼女が愚痴りたくなるのも分からなくはなかった。
なにしろ、クラムとラクアが揃って風邪をこじらせ、二人してダウンしてしまったのだ。

(……ぼくたちしかいないんだ。クラムさんとラクアさん、昨日は結構大変だって言ってたからなあ……)

どうしたものかと思案顔のヒトミを横目で眺めながら、アカツキは胸中でしみじみとつぶやいていた。
クラムとラクアが揃って風邪を引いてしまったのは、昨晩の緊急ミッションが原因だった。
雨が強く降りしきる中、ビエンの森で暴れているギャラドスの保護に向かったのだ。
ビエンの森にギャラドスは棲息していないはずなのだが、何らかの原因で海から川を遡って森に入ってしまったらしく、ビエンの森の水場の狭さにストレスを溜め込んでか、暴れだしてしまった。
ギャラドスは『きょうぼうポケモン』と呼ばれており、コイキングの進化形。
コイキングは世界最弱のポケモンで、ただ『はねる』ことしかできず、人間の子供でも簡単につかまえられるのだが、進化すると劇的に変わる。
『きょうぼうポケモン』の呼び名に相応しく、進化によって脳細胞が組み替えられ、凶暴な性格になってしまう(とされている)。
その上、すさまじい力の持ち主でもあるため、少し暴れただけでも周囲に甚大な被害を与えかねない。
そこで、場慣れしているクラムとラクアが現場に向かうことになり、アカツキとヒトミは他に何かあった時のためにレンジャーベースに残っていたのだが……
びしょ濡れで帰ってきた二人はそのまま風邪を引いてしまい、バロウから『完全に治るまでは自室で待機』と指示を受けて療養中の身となった。
ポケモンレンジャーは特に『身体は資本』という言葉が似合う職業であるため、身体のコンディションには人一倍気を遣わなければならないのだが、場合によっては豪雨や猛吹雪の中でもミッションに赴かなければならないことがあり、今回の緊急ミッションで雨に打たれて風邪を引いてしまったのは不可抗力としか言いようがなかった。
ビエンのレンジャーベースには本来、他に十数人のポケモンレンジャーが所属しているが、現在は他の地方の応援で出払っているため、活動可能なのはリーダーであるバロウと、アカツキとヒトミの三人だけになってしまったのだ。

(ぼくたちだけっていうのがちょっと不安だけど、リーダーの言うとおりだよね。
やらなきゃいけないことが変わるわけじゃない)

いつも一緒にいてくれる先輩が、今日はいない。
もしかしたら明日、明後日も風邪が治らずに出てこられないのかもしれない。
恐らくはヒトミとペアでパトロールに出かけることになるのだろうが、彼女が暴走した時に止められるかどうかという不安が、アカツキにはあった。
クラムはどうだか知らないが、ラクアは状況判断に優れ、なおかつアカツキへの指示も適切で一切の無駄がない。
ある種、理想の先輩だけに、彼女がいない状態での活動に不安があるのは仕方のない話だった。
アカツキが不安に思っているのを雰囲気で察したらしく、バロウはこんなことを言った。

「おまえたちももうすぐ配属されてから三ヶ月が経つ。
あと半月もすれば、新人が配属されるかもしれない。
いつまでも新人ではいられないのだし、もしここに誰か配属されることがあったら、その時はクラムとラクアがそいつのトレーナーになる。
おまえたちも、そろそろ一本で日々のミッションに取り組んでもいい頃だろう。
あいつらの風邪が治るまでは、一人立ちしてからの練習だと思って頑張ってみろ」
「……そう、ですね。分かりました!!」
「うむ」

正論だけに言い返せず、アカツキは少しの間口ごもったが、すぐに言葉の意味を理解し、大きく頷き返した。
一日体験学習でスクールの生徒を迎えてから半月が経った。
バロウの言うとおり、あと半月もすれば、もしかしたらスクールの卒業生がここに配属になるかもしれない。
その時、自分たちは『新人』ではなく、新人から見れば『先輩』になる。
クラムとラクアが新人の教育係として行動を共にすることになるため、必然的にアカツキとヒトミは『一人前』として扱われる。
いつまでも『新人』ではいられないのだし、そろそろ自分たちの足で立って歩き出さなければならない時期に差し掛かっているというバロウの言葉は、思いのほか胸に響くものだった。
アカツキと似たようなことをヒトミも考えていたようで、小さく息をつくと頬を軽く叩き、吹っ切ったような表情を見せた。
いつかトレーナーと別れて行動しなければならない日が来ると分かっていても、前触れがなければ戸惑うのだろう。
無理やり急かしたところで根本的な解決にはつながらないと思って何も言わなかったが、それで正解だった。
ある程度吹っ切った(であろう)表情の二人を見やり、バロウはパトロールを指示した。

「いつもは二人一組で行動させているが、今日はおまえたちが一人でパトロールをしてもらう。
もちろん、何かあったらその時は互いに連絡を取り合って協力すること。レンジャーはチームワークが大事だからな」
「分かりました!!」
「了解です!!」

リーダーからの指示に、アカツキとヒトミは敬礼と大きな声で応えた。
クラムとラクアがいないからといって、やるべきことが変わるわけではない。自分たちは、どうあってもポケモンレンジャーなのだ。
配属されてから二ヵ月半が経ち、一人前なのはレンジャーとしての心意気だけではなくなってきた。
キャプチャの腕や状況判断、動きも含めて、配属当初と比べると格段の進歩と言っていい。
上司としての贔屓目なしにそう思えるのだから、ポケモンレンジャーとしての素質は十分に持ち合わせているのだろう。
ただ、そんな二人だからこそ、無茶をされては困る。
バロウは厳つい表情をわずかに崩し、釘を刺した。

「あまり無理はするなよ。
ただでさえ戦力が減って大変な状態だ。おまえたちまでダウンするようなことがあったら、俺が一人でこの界隈を見て回らなければならないからな」
「分かってます。ヒトミが無理しないように、ちゃんと連絡を取り合います」

必要以上の無理をする気はないが、必要なら多少の無理や無茶は日常茶飯事。
そこを履き違えるなと暗に言っているのだと理解しているが、アカツキとしてはヒトミが変に突っ走ったりしないように、過剰なくらいがちょうどいい頻度で連絡を取り合おうと思っている。
それを口にしただけなのだが、ヒトミは眉を吊り上げ、犬歯をむき出しにした。

「ちょっと、それどういう意味よ!! あたしなんかよりあんたの方がよっぽど無茶……」
「分かった分かった。二人とも、無理はしないように」

放っておけば姉弟ケンカになりかねないと思い(実際になったことは一度もなかったりするが)、バロウは手で二人を制した。
双子だけあって、変なところは良く似ている。
二人して『似てません!!』と否定するのは間違いないが、そうすればするほどに良く似ていると周囲にアピールするようなものだ。

「ま、いいわ……じゃ、あたしはビエンの森からプエルタウンの方まで行ってくるから。あんたは反対側お願いね」
「うん、分かった」
「うっし、行くわよルッチー!!」
「ヒコっ♪」

簡単に割り当てを決めると、ヒトミはルッチーを連れてレンジャーベースを飛び出した。
自動ドアが左右に開くと、明るい空模様が視界に飛び込んでくる。

(晴れてて良かった。
……でも、昨日の雨は強かったから、何か異常が出てなければいいんだけど)

アカツキは自動ドアから覗く空を横目で見やり、胸中でつぶやいた。
昨晩の雨は思いのほか強く、熱帯地方のスコールを思わせる激しさがあった。
大雨で木が倒れたり、森の中にある川が氾濫していなければいいのだが……それを確かめるのも、ポケモンレンジャーのパトロールの一環である。
それに、ビエンの森でギャラドスが暴れた後の状況がどうなったのか、確認もしてこなければならない。
ヒトミはさっさと自分が行くと決めたようだが、これは彼女にだけ任せておける問題でもないだろう。

(ぼくが南部を早く見て回って、ビエンの森に応援に行かなきゃいけないってことだよね。
よし、そろそろぼくたちも行こう!!)

ビエンの森は広く、自分たちがまだ足を踏み入れていない場所もそれなりに多い。
いくらヒトミでもそう簡単に見て回れるはずもなく、ここはアカツキが手っ取り早く南部の状況を見て回り、彼女の応援に向かわなければならない。
南部なら、それほど時間をかけずに見て回ることはできる。
方針をすぐに固めて、アカツキは肩に留まっているムックに目を向けた。

「ムック、ぼくたちもそろそろ行くよ」
「ムックゥ〜♪」

ムックが大きく頷いたのを合図に、アカツキもレンジャーベースを飛び出した。
朝方の空は雲一つない晴天で、降り注ぐ陽光がとても柔らかく、暖かかった。
夏の入り口に差し掛かり、昼間はいい陽気……というよりもむしろ少し蒸し暑ささえ感じるほどだが、朝方の空気はまだ少しひんやりしていた。

「雨の影響はあんまりないみたいだね。良かった……」
「ムックゥ……」

アカツキはビエンタウンの街並みに変化がないのを歩きながら確かめて、ホッと胸を撫で下ろした。
アルミア地方はヒアバレーやボイルランド、ハルバ砂漠といった極所を除けば、一年を通じて比較的温暖な気候が保たれている。
海に近い場所では夏場に発生する台風で多少の被害を受けることもあるが、基本的には大雨や干ばつといった災害に見舞われることはない。
昨日の雨は一年に一回あるかないかの激しい降りだった。
もしかすると水タイプのポケモンが『雨乞い』を発動させて雨足を強くしてしまったのかもしれないが、生憎と今朝はニュースを見ていないから、真偽の程は定かではない。
ただ、ビエンタウンにこれといった被害が見られないのは幸いだった。
街を一通り見て回り、特に異常がないことを確認してから、アカツキはチコレ村へ向かうことにした。

(一人のパトロールって初めてだけど……やっぱり違和感があるなあ)

二つの街をつなぐ道路に差し掛かり、人目につかなくなったこともあって、アカツキは小さくため息をついた。
今までは毎日、ラクアが傍にいてくれた。
先輩として——教育係・トレーナーとして模範的な行動を示してくれた彼女が傍にいてくれるのは、とても心強いものだった。
それを如実に実感したのも、今日は(あるいは明日か明後日まで)一人でパトロールをしなければならないことと、今、こうして一人でいるからだった。
故郷の良さは、故郷から遠く離れた場所に身を置いてこそ良く分かるという意味のことわざがあるように、人というのは違う環境に身を置いた時にこそ、今までの環境がいかに恵まれたものだったのかまざまざと思い知らされるものだ。
異常事態に出くわした時、一人で適切に対処できるのかという不安は確かにある。
いつも一緒にいてくれる先輩の存在感が、今日に限ってはまったくないという違和感もある。
それでも、アカツキを奮い立たせているのはポケモンレンジャーとしての使命感だった。
幼い頃に自分たちを助けてくれたポケモンレンジャーのカッコいい背中を見て、強くあこがれて、自分もいつかポケモンレンジャーになろうと思って、猛勉強して……今の自分があるのも、幼い頃のあこがれが強かったからだ。
そして、今。
自分はあこがれていたポケモンレンジャーになって、アルミア地方の平和と自然を守るために日々活動している。
そう思うと、先輩がついていてくれないからと言って、尻尾を巻いて逃げ出したり、手抜きをしたりする考えは微塵も芽生えなかった。

(ムックがいてくれる。
それに、ここのところはヤミヤミ団も出てこないから、なんか平和なんだよね。
大きな事件なんてそうそう起こらないとは思うけど……)

一人といっても、それは活動しているポケモンレンジャーの話。
アカツキにはムックとブイがいてくれるから『独り』ではない。
ポケモンレンジャーのルールに則って、パトロールやミッション中には一体しか同行できないが、ムックもブイも、アカツキにとっては大切なパートナーだ。いてくれるだけでも心強い。
それに、ここ一週間ほど、ヤミヤミ団が騒ぎを起こしているという話が入っていない。
陰に隠れてコソコソやっているのかもしれないが、プエルタウンでの事件を皮切りに、各地でドカリモを使って騒ぎを起こしてきたことを考えると、静かすぎるのもなんだか不気味なものだ。
平和なのはいいが、ヤミヤミ団の組織実態が明らかになっていないこと、ドカリモの動力源とされている黒い石の正体がつかめていないことから、今までに発生した数々の事件の根本的な解決までに時間を要するであろうことは、想像に難くない。

(……今、変な事件起こされても困るから、事件が起こる前にちゃんと見つけて対処しなきゃ。責任重大だ)

クラムとラクアが風邪でダウンしてしまったため、ビエンのレンジャーベースの戦力は大幅減の状態である。
有事の際にはレンジャーユニオン本部に応援を頼めばいいのだが、本部所属のポケモンレンジャーが現場に到着するまでには時間がかかり、その間に事件や被害の規模が増大するのは明白。
そうなる前に——強いて言えば事件が発生する前に『芽』を見つけ出し、確実に摘み取らなければならない。
責任重大だが、やるしかないのだ。尻尾を巻いて逃げるなどもってのほか。
わずかな異変も見逃さず、普段と何か違うと思ったら調査をしていかなければならない。
考えれば考えるほど大変なことだと思ってしまうのだが、それは仕方のない話だった。
思わず拳を握りしめ、力んだ様子を見せるパートナーに訝しげな顔を向け、ムックが声を発した。

「ムックゥ?」

——オレがついてんだから大丈夫だ。心配することなんかねえよ。

その声音にはそんな力強さがこもっているように思えて、アカツキは弾かれたように顔を向けた。
相変わらずの表情で、つぶらな目をパチパチ瞬かせているパートナーの『普段と変わらない様子』を見て、必要以上に緊張して力んでしまっている自分に気がついた。

「緊張しすぎてもダメってことだよね。
分かってるんだけどな……でも、やっぱり一人だと今までどおりにやっちゃダメなんだって思うんだよ。
大丈夫。ぼくはいつもどおりに頑張ればいいだけだもんね」
「ムックゥ〜」

——そういうことだ。

いつもと違う環境でも、いつもどおりにやればいい。
緊張感がないのは問題だが、緊張しすぎて動けなくなってしまうのも問題。
パートナーに教えられるなんて、自分もまだまだだ……ポケモンレンジャーになって二ヶ月半、以前と比べればそれなりにできるようになったと自負していただけに、一人でパトロールすることになった途端、不必要に緊張してしまう。
半月後に後輩が入ってくるようなことがあれば、その時は一人(あるいはヒトミとペアになるか)でパトロールに出なければならないことも考えられる。
その時に備えて、今から一人でパトロールすることに慣れなければならない。
恐らく、クラムとラクアの二人も、自分たちが入るまでは一人で各地のパトロールに赴いていたのだろう。
彼らにできて、自分たちにできないようなことがあれば、バロウならそれをさせたりはしない。
いつも仏頂面で、アカツキに負けず劣らず冗談が通じない性格ではあるが、部下のことを強く思いやっている良きリーダーなのだ。
それに、自分たちを信頼してくれているからこそ、一人でパトロールに出したのだろう。
だったら、その信頼に応えなくてはならない。それが『社会人』としての責任である。

「よし、やるぞっ」

人がいないのをいいことに、アカツキは鋭い声を発すると、両手で頬を軽く叩いた。
パチパチという乾いた音と、頬に伝わる軽い衝撃が、意識を幾許か覚醒させたような気がして。
昨夜の雨で少し泥濘んだ(ぬかるんだ)道を往きながら、アカツキは周囲に注意深く気を配った。
自分一人でも、やるべきことをきっちりやる。
彼の胸には、いつになく強く固い使命感が熱く燃え盛っていた。






To Be Continued...

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