Mission #069 断崖

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ズンッ……

地面から突き上げる揺れに、アカツキは知らず知らず俯きがちになっていた顔をパッと上げた。
何の前触れもなく発生した揺れに驚いて、ドードーが足を止める。
毛玉のような胴体から生えた二つの頭が、周囲をキョロキョロと見回している。
異常を感じたのはアカツキだけではなかった。

「……また揺れたわね」
「ポケモンが暴れているわけでもなさそうだが……」

ヒトミとバロウも、二人が乗っているドードーも、今しがた感じた揺れに戸惑いを隠しきれずにいた。
アルミア地方では滅多に地震が発生しないが、一般的に言われる規模の地震でないとはいえ、数十分間隔で二度も揺れが発生するなど普通はありえないことだ。
ポケモンが暴れているにしては、場所が違いすぎる。
それに、ドカリモによってポケモンが正気を失っているにしては静かすぎる。
ここに来て、バロウだけでなくアカツキとヒトミも、何かきな臭いものを感じ取っていた。

(なんなんだろう、一体……)

アカツキは周囲を見渡した。
ユニオン本部とアンヘルパークを結ぶユニオン街道の、ちょうど中間地点。
すぐ傍には休憩所代わりのログハウスがあり、その脇には切り立った岩壁であるイノチ崖へと続く登山道が設けられている。
取り立てて目に見える変化があるとすれば、街道の脇を流れる小川で戯れていたポケモンたちも、自分たちと同様に周囲を忙しなく見回していることくらいか。

(やっぱり変だ)

バロウに言われるまでもなく、これはおかしい。
ドカリモが関わっているのだとすれば、揺れが一発だけというのはあまりに不自然だし、単なるポケモン同士の縄張り争いにしても静かすぎる。
杞憂であればいいのだが、そうでないとしたら……?
放置しておくのは危険だ。
そう思ってバロウに顔を向けると、ちょうど目が合った。新人レンジャーが何を考えているのか、真剣な雰囲気と視線から察したらしく、小さく頷き返してきた。

「不自然すぎるな……ビエンに戻る前に、一仕事ありそうだ」

ため息混じりにつぶやくと、バロウはスタイラーを手に取り、ボイスメールを起動させた。

「こちらバロウ。クラム、応答しろ」
『……クラムです。おはようございます、リーダー』
「ああ、おはよう。
これからビエンに戻る予定だったが、ユニオン街道で一仕事ありそうなんでな、アカツキとヒトミを連れてちょっと行ってくる。
片付けたらまた連絡するが、戻りが遅くなることは承知しておいてくれ。
パトロールはおまえとラクアに任せる」
『了解しました。何かあったら連絡ください』
「分かった。じゃあ、また後で」

慣れた様子のやり取りで、互いに余計な文言を口にすることもなく通信を終える。
何年も一緒に仕事をしていれば、簡単な言葉だけでも状況は理解できるのだろう。
アカツキとヒトミは改めて、短い通信で相手に的確に内容を伝えることの重要性を理解した。
やろうと思ってできるものではない。
意識すればどこかしらで言葉に詰まるし、こればかりは数をこなすしかないのだろう。
二人が感心しているのを知ってか知らずか、バロウは視線を二人に向けて、小さく息をついた。

「ビエンに戻る前に、この揺れの原因を突き止めよう。
ポケモンが争っているだけならまだいいが、ドカリモが関わっている可能性も否定できない」
『了解です!!』

何がなんだか分からないままビエンタウンに戻るわけにもいかない。
そう言われるのが分かっていたので、アカツキとヒトミは驚くこともなかった。
声を張り上げて敬礼すると、すぐさま行動を開始した。
バロウが特に指示を出したわけでもなかったが——指示を出す前に行動を開始していた——、二人して目と目で会話を交わし、すぐ傍にある休憩所(ログハウス)に向かった。

(ほう……なかなかいい動きだな)

本当は指示に従って動いてもらうのが一番統率を執りやすいのだが、自分で考えて行動することもまた大切だ。
その兼ね合いをどうしていくかがリーダーの腕の見せ所と言えるものの、部下の自主的な行動(それも積極的なもの)を頭ごなしに否定するわけにもいかない。
ある程度は自由に裁量を認めておいた方がいい。
後々、自分で決断を迫られる時に他力本願となっては本末転倒だ。
バロウがそんなことを考えている間に、アカツキとヒトミはログハウスの中に入っていた。
中には休憩中と思しき男女がくつろいでおり、ポケモンレンジャーの制服を着た二人が入ってきたのを見て、驚きの表情を見せた。

「驚かせちゃってすいません。
ビエンベース所属のアカツキといいます」

何の前触れもなくポケモンレンジャーが入ってきたとなれば、普通は驚くだろう。
街中ならともかく、さして広いとも言えないログハウスだ。何かあったのではないかと思うのが当然だ。
それを察したアカツキの落ち着き払った一言は、あからさまに驚いている二人の心を静めるのに十分なものだった。
彼の言葉が十分に浸透する時間を計算してか、ヒトミが言葉を継いだ。

「さっき地面が揺れたと思うんですけど、何か変わったこととかなかったですか?」

ユニオン本部の傍で感じた揺れがここでも同様に発生していたかは分からないが、少なくともつい先ほどの揺れは感じ取っていたはずだ。
何かしらの変化が、目に見える形で発生していれば分かりやすい。
当たればラッキーのつもりで発した言葉に対する返事は、思いもよらないものだった。

「そういえば、二回揺れたよな」
「そうよね」

男女が顔を見合わせながら言った言葉に、アカツキとヒトミは思わず息を呑んだ。
ユニオン本部の傍で感じた揺れは、それほど大きくはなかったが、ここでも感じられるほどの揺れだったのだ。
そうなると、普通の揺れではありえない。

「二回……って言うと、一時間くらい前に一回揺れたんですか?」
「ええ、それくらい前だったと思うわ」
「あと……一度目の揺れの少し前に、ラムパルドを二体連れた男の人がイノチ崖の方に向かっていったな。大丈夫かな……?」
「ラムパルド……」

情報というのは、意外と身近なところにゴロゴロ転がっているらしい。
アカツキもヒトミも、短い会話の中で脈を感じ取っていた。

「その人、どんな感じの人でした? 服装とか、持ち物とか」
「黒いダイバースーツのようなもの着てたわ。なんか変な人だなあって思ったけど……でも、ラムパルドが二体もいて、声かけづらかったのよね」
「黒いダイバースーツ……」
「何か持ち物は?」
「小型のノートパソコンのようなものを持ってたのを見たけど、それだけだったよ」
「ありがとうございました。ご協力、感謝します」

そこまで聞ければ十分だ。
情報収集を早々に切り上げ、アカツキは敬礼してログハウスを後にした。
ヒトミが慌てて後を追うが、そんなことを考える余裕がないほどに、アカツキは手に入れた情報を元に思考を始めていたのだ。

(黒いダイバースーツって、ヤミヤミ団の服装だ。
……そうじゃなくたって、ラムパルドを二体も連れてるなんて、普通じゃない。
イノチ崖に、何かある……!!)

もちろん、これは男女の言葉を受けての推測に過ぎない。
しかし、ラムパルドを二体連れているところが、アカツキには引っかかっていた。
ラムパルドはズガイドスというポケモンの進化系で、恐ろしく硬い頭蓋骨を持ち、渾身の力を込めた頭突きは厚さ数十センチの鋼板すら容易く破壊すると言われている。
今まで確認されている四百九十余のポケモンの種族の中で、パワーにおいては五本の指に入るほどの実力者だ。
それを二体も引き連れているなど、ポケモントレーナーなら普通なのかもしれないが、トレーナーの絶対数が非常に少ないアルミア地方においては考えにくい。
もしヤミヤミ団が関係しているのだとしたら捨て置くことはできないし、そうでないのだとしても、少しでも不安なことがあれば、解決するに越したことはないのだ。
アカツキはバロウの傍で足を止め、手に入れた情報を報告した。
すぐにヒトミが追いついて、何やらモノ言いたげな表情を彼に向けていたが、言葉が意味するところを察してか、表情を硬くした。

「なるほど……ヤミヤミ団が関わっているかもしれないか。それなら、捨て置くわけにはいかないな。
よし、イノチ崖に向かうぞ」
『はい!!』

ヤミヤミ団らしい人物が関係していないならそれで良し、関係していれば……尻尾をつかんでから捕まえる。
イノチ崖に目ぼしい名物などはなく、増してやハイキングに適している土地とも言いがたい。
そんなところに、パワー型ポケモンとして有名なラムパルドを二体も引き連れて向かうとなると、何かあると考えるのが自然だ。
バロウはアカツキとヒトミが入手した情報からイノチ崖に何かあると考え、二人にそこへ向かうよう言った。
そうとは言っていないが、これはミッションだ。
リーダーの重みのある言葉に、アカツキとヒトミは知らず知らずに身体を強張らせていた。

(イノチ崖か……気をつけていかなきゃな)

アカツキはバロウの後について歩き出した。
ログハウスの脇から延びる道——その先にある断崖の山々を見やる。
イノチ崖とは、その山々の麓から中腹にかけてを指す名称であり、『いのちがけ』と呼ぶ通り、登るのは命がけなのである。
ほぼ垂直に切り立った断崖は言うに及ばず、時折山肌を吹き抜ける風の冷たさは雪山をも連想させる。
とはいえ、断崖ばかりではなく、それなりに拓けた場所もあるのだが、お世辞にも登山に向いているような場所ではない。

一昔前のことだが、名所や名品の類があるわけでもないイノチ崖を観光資源として活かせないかと、行政があれやこれやと手を尽くしていた時期があった。
登山道を整備し、中腹からアルミア地方の大地を一望できる……その眺望をウリにして観光客を呼び込もうという計画があったそうだ。
眺望をウリにできる箇所としてアルミア地方北部のヌリエ高原も候補に挙がっていたが、時期を同じくして新規に発掘された遺跡の調査が行われることとなった。
立ち入りが厳しく制限されていたという事情もあり、イノチ崖に注目が集まったのだが、登山道を整備するためには崖を大きく切り崩すなど、自然に大きな影響を与える工事が必須であることが判明したため、結局のところ、計画は頓挫。
それから数十年が経過した現在も、人の手が加わっていない状態が続いており、観光資源としては完全に見向きもされなくなったのだ。
人の手が加わっていないということは、当然、どこに何があるか分からないという危険を孕んでいる。
ヤミヤミ団に関係している何かがあるか調査するのは言うまでもないが、それ以上に慎重に崖を登っていかなければならない。
文字通り、命がけのミッションである。
そう考えると、知らず知らずに背筋が凍りつきそうになる。
鳥肌が立ち、アカツキは二の腕を擦った。
寒いわけではないが、これから赴く場所を考えると、怖くない方がどうかしている。

(怖いけど、やらなきゃいけない。ぼくはポケモンレンジャーなんだから。怖いからって逃げちゃいけないんだ)

何もしなければ、怖いと思う気持ちに負けてしまいそうで——それが本当に怖くて、アカツキはありったけの想いを振り絞って自身を鼓舞していた。
それはヒトミも同じだったが、互いに相手のことまで気遣う余裕はなかった。
新人二人の雰囲気を背中に感じ取りつつも、バロウは無言で歩を進めていた。
ここで言葉をかければ、二人はきっと安心するだろうし、心強いとも思うだろう。
しかし、それだけではダメなのだ。
もし何らかの事態が発生して散り散りになった時、他人を頼りにするばかりでは行動できなくなる。
放任主義と言われても仕方がない対応ではあったが、怒ったりアドバイスしたり、手を差し伸べたりするのは、本当に窮する直前になってから。
それがバロウなりの考え方であった。
自分で何かをしようとしている相手に不必要な言葉をかけて、気持ちのベクトルを狂わせてしまっては、それこそ本末転倒なのだ。

(だが、ムックは空を飛べるし、ルッチーは山での行動を比較的得意としているはずだ)

正直、新人が立ち入るような場所とも思えないのだが、そこはパートナーとの連携がちゃんとしていれば問題ないだろう。
上司としての贔屓目を抜きにしても、アカツキとヒトミはパートナーとの信頼関係を確かなものとしている。心配事が一つ減った計算だ。

道はやがて勾配を含むようになり、眼前に切り立った断崖の山脈が迫ってきた。
アルミア地方北部は山岳地帯となっており、人の手はまったく加わっていない。
人界未踏というと大げさだが、ポケモンレンジャーか地質調査員くらいしか、立ち入ることはない場所だ。
そういった場所に赴くにあたり、バロウは歩みを止めず、振り返りもしないままアカツキとヒトミにアドバイスを贈った。

「アカツキ、ヒトミ」
「はい」
「くれぐれも無茶はするな。
無理だと思ったら一旦引き帰すのも方法の一つだ。怖ければ怖いと素直に言え。俺もおまえたちに必要以上の無茶はさせたくない」
「……分かりました」

少し口ごもってから——アカツキとヒトミは返事を返した。
上司として当然の配慮ではあったのだが、その配慮に素直に甘えることを頭から考えているわけではなかったからだ。
必要以上に無茶をして怪我などすれば、それこそ一大事だ。
だから、その時はその時で何とかしようと思っている。
ただ……

(なんか、頼りないって言われてるみたいで、ちょっと嫌だな)

どうしても、そんな風に聴こえてしまう部分がある。
無論、バロウはそのようなニュアンスを含んでアドバイスをしたわけではないし、それはアカツキ自身も理解しているのだが、それでも……暗にそう言われているような気がしてならなかった。
マジメで融通の利かないアカツキはそう思っていたが、ヒトミは理解していても考えるだけ無駄だと割り切っているようで、彼ほど深刻には考えていなかった。

「ムックゥ〜?」

アカツキが考え込んでいるのを肩の上から見て、ムックが小さく声を上げながら首を傾げた。
どこか怪訝そうな声音に、ハッとして顔を上げる。

(……ムックには分かっちゃうよなあ)

ポケモンはあらゆる感覚が人間より優れている。
人では見つけられないような些細な変化でも、しっかりと感じ取ってしまうことは珍しくもない。
隠しても無駄だし、そもそもパートナーであるムックに隠し事などしてはいけないとマジメに考えているアカツキは、バロウにも聴こえないほどの小声でつぶやいた。

「……ちょっと怖いけど、ムックが一緒だから頑張れるよ」
「ムックゥ〜♪」

当たり前だと言いたげに、ムックは嘶いた。
さすがにムックの声はバロウにも思い切り聴こえていたが、聴こえないフリでもしてくれていたらしく、無反応だった。

「うん、ありがとう」

ムックがパートナーで良かった。
ほとんど毎日同じように思っているが、今思ったのはちょっと特別かもしれない。
読んで字のごときイノチ崖に向かっているのだ。ちょっとした油断が大怪我に容易く繋がる危険地帯と言っても言い過ぎではない場所である。
もしムックじゃないポケモンがパートナーだったら、たぶん今のように心強くは思えなかったに違いない。

「……………………」

不安な気持ちを完全とは言えないまでも、それなりに払拭したアカツキの様子を見て、ヒトミも負けてはいられないと思った。
すぐ傍を一緒に歩いているルッチーに顔を向けると、ルッチーもヒトミを見上げてきた。
ルッチーに代表されるヒコザルは、元々山で暮らしているポケモンである。
ゆえに、イノチ崖といった足場が若干不安定な場所でも普通に駆け回ることができるし、どういった場所が危険なのかも把握している。

「あたしたちも負けてられないわ、ルッチー。ケガしないように頑張るわよ」
「ヒコっ!!」

元々不安なんてガラでもない性格だが、少なくともイノチ崖がどういった場所なのかは理解しているため、多少の心配事はあった。
気持ちに若干の余裕を持たせるだけでもずいぶんと違うはずだ……そこのところの解釈はアカツキとヒトミで共通していた。

「…………」

背後で雰囲気が変わったのを感じて、バロウは口の端を吊り上げた。
彼の表情が少し明るくなったのを、アンクルが無言で見上げていた。
アンクルは陽気な性格でありながらも、基本的にバロウの考えに沿って行動しているため口数はあまり多くなく、目立つ外見の割には存在感が薄かったりするが、バロウにとっては誰よりも大切に思っているパートナーである。
言葉をかけなくても、相変わらずのニコニコ笑顔を一目見れば、何を考えているのかくらいはよく分かった。

(危険な場所に行くというのに、相変わらず緊張感のない顔をしているな……まあ、それがむしろ頼もしいわけだが)

締まりのない表情は相変わらず。
だが、むしろその方がふてぶてしくて、逆に心強く感じられるものだ。
今までも危険な場所に何度も赴いてきたし、辛いことがあってくじけそうになった時も、アンクルの『ふてぶてしさ』に何度も助けられてきた。
だからこそ『最高のパートナーだ』と胸を張って言うことができる。
今も十分にそうかもしれないが、いつか誰かにそんなことを訊ねられた時は、同じように胸を張って言い返せるようになってもらいたい。
そのためにも、自分がリーダーとしての責務を全力で遂行していかなければならない。

(可愛い後輩たちだ、望むところだな)

バロウは顔を上げた。
背後では部下——レンジャースクールの後輩である新人二人が真剣な面持ちをしているであろうことは想像に難くなかった。
これから向かう場所を考えれば、当然だろう。
それでも、可愛い後輩であり、部下であり、将来が楽しみな逸材を守るためなら、どんなことだってしてやろう。
そんなバロウの決意を試すかのごとく、眼前にはイノチ崖の断崖が凛然とそびえていた。






To Be Continued...

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