Mission #066 トップレンジャーのアドバイス

しおりを挟みました
しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
読了時間目安:26分
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

なんとも言えない微妙な空気を感じて、アカツキは思わず箸を止めた。
それから、どちらともなく、アカツキとヒトミは顔を見合わせたのだが……

(なんか、すっごく言葉にしにくい雰囲気よね)
(なんか、すっごく場違いなところにいるような気がするんだけど)

視線と視線で、言葉を交わす。
双子という特性を抜きにしても、お互いに言いたいことは表情で十分に伝わっていた。
……というのも。
食事をしながらミーティングを行うために設けられた食堂の隅の個室にいるのだが、面子はアカツキとヒトミ、バロウ、そしてトップレンジャーのハーブの四人だった。
それだけなら、言葉を出しにくい雰囲気でも何でもないのだが、問題はバロウとハーブ……二人の大人が、無言で黙々と箸を進めていることだった。
しかも、二人して無言で。
バロウは相変わらずの仏頂面だったし、ハーブも顔立ちが端整なせいか、無表情かつ無言だと、若干冷たい印象を受ける。
そんな状況で、何をどう口にすればいいものか。
アカツキとヒトミが苦慮するのも無理はなかった。
なにしろ、ビエンのレンジャーベースでは誰もが明るく優しい人たちばかりで、食卓は常に和気藹々とした空気に包まれていたからだ。
それが……
個室という、人の目が入ってこない場所なのが災いしているとしか思えない。

(……なんか、すっごく居づらいな……)

などと思いつつも、ここで下手なことを言おうものなら、ここぞとばかりに突付かれそうな気がする。
ここはタイミングを見て、何か話せればいいのだが。
アカツキは箸を進めながら、何を話そうか考えをめぐらせた。
それから数分が経って、全員が夕食を平らげたところでその機会は訪れた。

「ハーブさんって、トップレンジャーになって長いんですか?」

どうしようもない沈黙が満ちていた個室で第一声を発したのは、ヒトミだった。
どうやら、彼女も同じように、話しかけるタイミングを見計らっていたらしい。
食事を摂り終えて、話をするのに問題ないと判断したらしかったが、それは正しかった。
個室を選んだのも、ただ静かにご飯を食べたいという理由だけではないのだ。
ハーブはお茶を一口含み、ごっくんと飲み干してから、ヒトミの問いかけに答えた。

「三年目よ。
それまではバロウと一緒に、ビエンのレンジャーベースで一緒に仕事してたわ。
……人遣いの荒いリーダーだったわね。入ったばっかりのラクアがすごく苦労してたわよね」
「人聞きの悪いことを言うな、ハーブ」

横目でバロウを見やりながら言う。
言われた当人は、さすがにその言葉が聞き捨てならなかったらしく、ため息混じりに返してきた。

(相変わらずお堅いわねぇ。
まあ、それがあなたのいいところでもあるんだろうけど……)

ため息混じりでも、表情はいつもの仏頂面。
ポーカーフェイスもここまで来れば大したものだと苦笑しつつ、ハーブは言葉を変えた。

「ビエンのみんな……って言っても、今残ってるのはあなたたちとラクアとクラムだけだと思うけど、元気にしてる?」
「はい、みんなすごく元気ですよ。
クラムさんが時々ミーナからドロップキック食らってたり、冷凍ビーム浴びたりしてるくらいですけど」
「あらあら……たくましく育ったものね」

ハーブにとって、トップレンジャーになる前——ビエンのレンジャーベースで働いていた頃の仲間はかけがえのない存在だった。
激務が多いためなかなかレンジャーベースに赴く機会がないのだが、だからこそ彼らが元気にしていると分かっただけでもとてもうれしいし、特に彼女が目にかけていた後輩(ラクア)が先輩のクラム相手にそこまでやるようになったのだから、感心する。
もっとも、クラムからすればデリカシーのない発言や、ヒアバレーの吹雪より寒いジョークによる因果応報の意味合いが強いのかもしれないが、それもまた今となっては微笑ましい。

「それはそうと、ハーブ。
個室を選んだんだから、何か込み入った話でもあるんだろう」

このまま放っておくと、痴話に終始しかねない。
そう思ってバロウが釘を刺すと、ハーブは「ちょっとくらいいいじゃない」と言いたげな顔で肩をすくめた。
確かに、個室を選んだのは静かにご飯が食べたいと言う目的だけではない。

「そうね。
わたしがトップレンジャーになってから、レンジャーになりたての子と会う機会って、あんまりなかったのよ。
バロウの部下だってこともあるけど、それよりも……」

ハーブはアカツキに視線を据え、口の端に笑みを浮かべた。
興味深いオモチャを見つけた子供のように見えて、アカツキは少し不安を覚えたのだが……

「アカツキ君って言ったわよね。
キミのようにしっかりと物事を考えてる新人って、珍しいのよ。
わたし、会議の後でササコ議長やシンバラ教授といろいろと話をしたんだけど、お二人とも、とても感心されていたわ。
『うむ、いっそレンジャーユニオン本部で働いてもらいたい逸材だ』
『そうですね。今は現場での経験が必要でしょうが、ある程度の経験を積んだら、もっとグローバルな視点で働いてもらった方がいいかもしれません』
……な〜んて言ってたわ」
「本当か、それは?」
「冗談でこんな話しないわよ。だから、無理言って個室取ってもらったのよ」
「…………」
「…………」

なんだか、すごい話になってきた。
話が大きくて逆にリアリティを感じられず、アカツキもヒトミも、まるで遠い世界のおとぎ話でも聞いているような気分だった。
ただ、ハーブの言うことがすごい話だということは分かった。
ポケモンレンジャーになって一ヵ月半の新人が、レンジャーユニオンの議長と技術顧問に『逸材』と言わしめるのだから、大したものだ。
ハーブがこのような場所を用意したのも、バロウの下で働く新人たちがどんな人物なのか知りたいという好奇心の為せるワザだった。

「ドカリモ事件の現場を経験してるからってこともあると思うけど、それ以上に、キミ自身が本当に必要なことはなんなのかってことを考えてるのが大きいわ。
それと、ヒトミちゃん……だったわね」
「え……あ、はい」

てっきりアカツキにばかり興味があるとばかり思っていたので、まさか話を振られるとは夢にも思わず……ヒトミは顔を向けられて、ビックリした。

「あなたも、あの場の空気に呑まれていなかった。
みんな一つのことを考えてたのに、冷静に、外から現状を把握しようとしてるように思えたわ」
「そ、そうですか……?」
「あなた自身がそう考えていなくても、わたしたちから見ればそんな風に映ったわ」
「はあ……ありがとうございます」

勘違いされているような気がする。
ヒトミは何もそこまで考えていたわけではないのだが、見る人が見れば、そんな風に映ったのだろう。
とはいえ、ここで『それって勘違いだと思います』などと口走れば、いくら個室で人の目がないと言っても、ハーブのメンツを潰してしまうことになりかねない。
憧れの女性トップレンジャーに、そんなことは口が裂けても言えなかった。

「バロウに聞いたんだけど、あなたたちって双子なんですってね。
お互いに負けたくないって気持ちが働いて、より大きく成長できるって話はよく聞くんだけど、実際に目の当たりにしてみると、やっぱりその通りなんだなって思うのよ」
「双子ったって、そんなに関係あるとは思えないな。
……多少はそういうところもあるだろうが、二人ともよく努力してくれている。それが一番なのは、言うまでもない」
「でしょうね」

彼女の主観に彩られた言葉を遮るバロウ。
アカツキとヒトミが完全に置いてきぼりを食らったのを見ていたのだ。
ハーブももちろんそれは承知しているようで、新人二人にこんなことを訊ねた。

「……長ったらしくなったけど、あなたたちはどんなレンジャーになりたいの?
ポケモンレンジャーになろうって思ったからには、それなりの理由があるんでしょうけど、ポケモンレンジャーっていうのはね、目標意識がなければ長続きしないわ。
……実際、わたしたちの同期でも、そういったものがどうしても持ちきれなくて、途中でリタイアした人もいたから。
別に、あなたたちがそうなるんじゃないかって話をしてるわけじゃないの。
先輩として、いろいろアドバイスとかしてあげたいって思ってるし……」
「…………」
「…………」

どうやら、ハーブが個室を取った目的は、アカツキとヒトミに先輩としてアドバイスしてやりたいという想いからだったらしい。
それはそれでありがたい話なのだが、アカツキもヒトミもバロウも、若干の強引さは感じていた。
ただ、先輩からアドバイスをもらえるなら……しかも、トップレンジャーとして場数を踏んできた相手からなら、多少厳しくても自分たちのためになるはずだ。
そう思って、アカツキは口を開いた。

「どんなっていきなり言われると困るけど……
ハーブさんのようなトップレンジャーじゃなくても、リーダーのようなエリアリーダーじゃなくてもいいって思ってます。
ただ、ぼくはできることを精一杯頑張れるレンジャーになりたいです」
「あたしは……ハーブさんのようなすご〜いレンジャーです」
「なるほど……個性が出てるわね」

二人の言葉に相槌を打ち、ハーブは満足に微笑んだ。
……が、すぐにその表情が曇る。
それが何を意味するのか理解する前に、彼女から返す刀で言葉が飛んできた。

「まずはヒトミちゃん、あなたから。
わたしみたいなすご〜いレンジャーになりたい……って、よく言われるんだけど、それじゃダメね。
誰かみたい……ってのはたとえでしかないわ。
あなたとわたしは違う人間だし、思考だって感覚だって、全然違う。
だから、もしわたしみたいなレンジャーになりたいと思ってても、『みたい』で納得しちゃダメ。
わたしのいいところを吸収するとかして、それより上を行くくらいの意気込みを持ちなさい。
誰一人として同じレンジャーなんていないんだから、あなたなりの個性を大事にした上で、わたしのいいところとか見習いたいところを吸収して、プラスにしていくことね」
「はあ……」

口調こそ穏やかだが、言っていることはかなり厳しかった。
『○○みたいになりたい』では抽象的に過ぎて、具体性に欠ける。
また、それだけでは自分の能力や特性を顧みず、自分だからこそできることや、逆に自分にはできない、やりにくいことを見つけられない。
ポケモンレンジャーに限らず、自分にできることとできないことの区別がつかないようでは、仕事をこなすことなどできないのだ。
他人の良いところを取り入れた上で、自分の個性をさらに肉付けする形で成長していかなければならない。
誰かのようになりたい……と、そう思うだけではダメだと、ハーブは言ったのだ。
ヒトミは知らず知らずに背筋をピンと伸ばし、穏やかな口調に含まれた深い意味合いを噛みしめていた。
多少なりともアドバイスになればいい。
彼女が考えているのを見て、ハーブはアカツキに視線を移した。

「次に、アカツキ君。
自分にできることとできないことを弁えるのは、仕事をしていく上でとても大事なことだし、それを理解してから上を目指すっていう姿勢は立派だと思うわ。
でも、今のあなたの言葉だけを捉えると、どこを目指すのかよく分からない。
できること、できないことを区分けした後はどこを目指すの?
ある程度の目標を設定しておかないと、いざ歩き出した時に道標がなくなって、迷ってしまうことにもなりかねないわ。
だから、まずは身近な人を目標にしなさい。
あなたはいろいろなことをマジメに考えることができる人だから、ちゃんとした答えを出すのに時間はかからないはずよ。
まずは自分にできることとできないことを明確に区分けしていくといいわ」
「はい、ありがとうございます」

アカツキは小さく頭を下げ、ハーブに礼を言った。
一言一句見逃さぬよう、じっと彼女の目を見て、話に聞き入っていた。
バロウから「アカツキはマジメで、ヒトミは活発」と言われていたのだが、なるほど……あの堅物をすらマジメと言わしめるのだからホンモノだ。

(そっか……目標って、必要なんだな)

どこまで行きたいのか。
具体的な目標を設定し、そこへ向かって一生懸命頑張ろうという気持ちがなければ、どこかで妥協が発生する。
ハーブは暗に、そう言いたかったのだろう。
さすがに、先輩としてのアドバイスは的確で、多少厳しく言われていることは分かっていても、素直に納得できる部分が多分にあった。

(さすがに的確だな……初対面の相手にここまでのことが言えるとは。
俺も、大して話したわけじゃないんだが……)

バロウはハーブが新人二人に対して行ったアドバイスの内容に、内心で舌鼓を打っていた。
部下として接していない彼女から、客観的な視点で、何かしらアドバイスしてやってくれと頼んだのは彼だし、前もって二人の人となりは大まかに話しておいたのだが、それだけでここまで的確に二人の内面を見抜き、必要とされるアドバイスを行った……さすがに、トップレンジャーとして華々しい活躍を遂げているだけのことはある。
レンジャースクールの生徒だった頃から切れ者として有名だったが、トップレンジャーになってからは水を得た魚のように、その思考は鋭さと勢いを増しているようだった。
トップレンジャーになるべくしてなった逸材……いつだったか、シンバラ教授がハーブをそう評していたことを思い出した。

(目標か……ぼく、自分にできることをしていけばいいってばかり思ってたけど、それだけじゃダメなんだな。
なんていうか……形になってないって感じ?)

アカツキもアカツキで、目標はあっても、それが明確になっていなかったことを今さらのように理解していた。
自分のことは自分が一番よく分かっていると言うが、むしろ、自分の内面は外からでなければ見えないものもある。
内面まで見られたような気もしないわけではないが、トップレンジャーという立場ある人間に言われると、なぜか新鮮に感じられる。
……いや、立場ではなく、ハーブのクールだが嫌味ではない絶妙な人柄がそう感じさせるのかもしれない。

(言い過ぎちゃったかしら……?)

新人二人が眉間にシワなど寄せながら、時折小さく唸りながら考え込んでいるのを見て、ハーブは肩をすくめた。
バロウから聞いていた二人の人柄と、今までの受け答えから自分なりに推測してアドバイスしたつもりなのだが、もしかしたら『今、考える必要のないこと』までアドバイスしてしまっていたのかもしれない。
バロウが口を挟まなかったところを見ると、それほど問題のある内容を話したわけではなさそうだったが。

(でも、いつかは考えなきゃいけないことよね)

今は新人と言われていても、一年が経ち、二年が経ち……そのうちに中堅のレンジャーとして現場第一線で、それこそ最先頭で活躍することになるだろうし、あるいはトップレンジャーの仲間入りを果たし、自分と肩を並べて頑張っていくことになるかもしれない。
そうなってから考えても遅いこともある。
今のうちに考えられることを考えて、自分なりの価値観やアイデンティティーを打ち立てておけば、何かがあって心が折れそうになった時、心の拠り所になる。
それは、ハーブ自身がよく理解していた。
トップレンジャーは傍から見れば、華々しくて憧れの存在……なのだろう。
一般的な認識としてはそうだろうし、ハーブもそれは十分に認識している。なぜなら、彼女もトップレンジャーに憧れを抱いていた一人だったからだ。
しかし、それはあくまでも衆目の目という光が当たっている一面に過ぎない。
人には言えない苦労や危険があったし、とてつもない失敗を仕出かしそうになったこともある。
さすがに、そんなドロドロしたところまで、純真な新人二人が知る必要はないだろう。
必要ならバロウが言うだろうし、自分は二人に直接の関係がない。上司である彼に育成は任されているのだ。
とはいえ、いつまでも考え込んでいては仕方がない。
個室を取ったのは、自分がアドバイスをするためだけではないのだから。
ハーブは口直しにアイスティーを飲み干すと、未だに考え込んでいる二人に言葉をかけた。

「わたしが一方的に質問するだけじゃフェアじゃないわね。
あなたたちの方も、わたしに訊きたいこととかあるんだったら、答えられる範囲で答えるわよ。
個室を取ったのも、そういった意見交換をするためだしね」
「じゃあ……」

答えられることなら何でも答えるから質問してみろ。
そう言われ、ヒトミはキラキラ目を輝かせ、鼻息を荒くしながら身を乗り出した。
さすがにこれにはハーブだけでなく、アカツキとバロウまで思わず引いたのだが、彼女は気にすることなく質問した。

「ハーブさんのパートナーポケモンって、ムクホークなんですよね?」
「ええ、そうよ。名前はフィートって言うんだけどね。
室内は窮屈だって言うから、普段は外で好きにさせてるわ」
「トップレンジャーって、どんなミッションがあるんですか?」
「それこそピンからキリまであるわ。
この間やったのは……フィオレ地方でヤミヤミ団とかいう変な連中が台頭してて、その幹部を数人まとめて検挙したんだったかしら」
「すご〜い!!」
「そうでもないわよ」

完全に舞い上がっているヒトミに余計な言葉はかけづらいのか、ハーブは当たり障りなく答えると苦笑した。
本当にすごいと思ってくれているのが分かるので、気分が悪くはならないのだが……正直、苦手ではある。
それから、ヒトミが次々に問いかけ、ハーブが淡々と応じる展開が続いた。
アカツキとバロウはどちらともなく顔を見合わせ、視線で言葉を交わしていた。

「これは一体なんなんだ?」
「さあ……ぼくにもちょっと分かりません」

アカツキも、ヒトミがこんな風になるとは思っていなかった。
……というのも、こういったケースが初めてだったため、何がどうなっているのかよく分からなかったのだ。
分からない以上、下手に口を挟むと手痛いしっぺ返しを食らうのは、バロウもアカツキも十分に承知していたため、黙って眺めていることにした。
ヒトミの質問にハーブが答えるという展開がかれこれ五分ほど続いたところで、しゃべりつかれたのか、質問が止まった。
ハーブは「やっと終わった……」と言いたげに、胸に手を宛てて小さく息をついた。
なにしろ、トップレンジャーになる前のことや、パートナーであるムクホーク——フィートとの馴れ初めに好きな男性のタイプまで幅広いジャンルから、しかも鋭い質問が飛んできたため、一瞬たりとも気が抜けなかった。

(なかなか手ごわいわね、この子……意外と大物になるかもしれないわ)

なんて、ハーブがそんな風に思っていることなど、ヒトミは露ほども考えていないようだった。
憧れの人を前に忘我していて、アカツキが呆れ顔で見ていることも気づかないくらいだ。

(……ほっとけば我に返るわよね。わざわざいい気持ちのところを壊しちゃうわけにもいかないし)

ハーブが彼女を放置することを選んだように、アカツキとバロウも、触れないことに決めていた。
ヒトミとの話も一段落ついたということで、バロウがアカツキに話を振った。

「アカツキ。今のうちに聞いておきたいことがあったら訊いておけ。
トップレンジャーとこうやって食事しながら話す機会なんて、そうそうないからな。
後で訊いときゃよかったって言っても、後の祭りだからな」
「はい」

ある意味惨状とも呼べるヒトミの状態を見ていたためか、アカツキは努めて冷静だった。
元々彼女と比べて落ち着きのある男の子だ、心配する必要はなかったかもしれない。
バロウがそんな風に思っていると、アカツキは落ち着いた口調でハーブに質問した。

「ハーブさんがミッションの時に一番気をつけてることって、どんなことですか?」
「……いきなり鋭いこと訊いてくるわね」

ヒトミとのやり取りの間に質問事項を考えていたのだろうが、それにしては初っ端から鋭い質問をしてくれる。
ハーブは苦笑しつつ、ちゃんと答えた。

「一番って言われると困るんだけど、いくつか必ず気をつけてることがあるの。
『自分にできることとできないことをちゃんと弁えること』『感情的にならないこと』『一つの物事じゃなくて、全体的に物事を見ること』ね。
当たり前なことだけど、むしろそういったものほど大事にしてかなきゃいけないわ」
「そう……ですよね」

本当に当たり前なことだが——それゆえに、アカツキの胸にはナイフのように刺さった。
知らず知らずにハーブから視線を逸らし、唇の端を噛みしめる。

「……どうしたの?」

質問した方が、なぜか視線を逸らし、悔しげな表情を見せている。
釈然としないものを感じて、ハーブは首をかしげた。
隠し立てしても仕方ないと思い、バロウがその理由を口にした。

「プエルタウンでの一件があっただろう。
あの時、連中を率いていたと思われる女が、ビエンの森の事件でこいつと親しい間柄の相手を陥れてな……それが分かって、怒りで殴りかかろうとしたことがあったらしい」
「なるほど……」

道理で、感情的にならないことと言ったところで表情が変わったわけだ。
大事な人を陥れた相手が目の前に現れれば、感情的になるのも無理はない。
増してや、ポケモンレンジャーとはいえ、まだ十三歳の男の子だ。精神的にも未熟さを抱えているのも道理。
無論、それを言い訳にできるほど、レンジャーの仕事は生温いものではないが、それは当人が一番よく理解していることだろう。
ここで口出しをするほどのことでもない。
ただ、その代わり、自分の経験談を話してやることはできる。

「わたしも、レンジャーになりたての頃は結構感情的になってね、バロウにいろいろ面倒かけちゃったことがあるから分かるんだけど……」
「え……?」

ハーブの言葉に、アカツキは思わず顔を上げた。
今でこそトップレンジャーとして華々しく活躍している彼女も、今のアカツキやヒトミのようにポケモンレンジャーになりたての頃があり、幾度となくミスを重ねていたものだ。
それこそ当たり前なことだが、トップレンジャーであるというある種のレッテルが存在するためか、そこまで考えるような人はほとんどいない。
ハーブの目配せを受けて、どんな話をしようとしているのか内容を察したらしく、バロウが口を開いた。

「もう十年近く前になるか。
あれは俺とハーブがビエンのレンジャーベースに配属になって三ヶ月が経った頃のことだったな。
あの頃は、今ほどレンジャースクールのカリキュラムが体系化されているわけではなかったから、三ヶ月と言っても、今のおまえたちと大して変わらないレベルだった。
三ヶ月間先輩方にみっちり仕込まれて、俺とハーブは二人一組で日々ミッションに当たっていたんだが、そんなある日、ポケモンを力ずくで捕獲しようとするポケモンハンターと出くわしたんだ」

どこか遠い目をしているように見えたのは、気のせいではないのだろう。
その体験があったから、今の自分がある……そう言いたげですらあった。

「そのやり口があまりに卑劣だったからな……俺も相当来てたが、ハーブがすごい勢いでキレて大変だった」
「わたしがわたしでなくなるんじゃないかって、本気でそう思うくらい激しく怒ったわ。
……その時は、何がなんだかよく分からなかったけど、後でバロウに聞かされて、すごくヘコんじゃったわね。
まあ、先輩方にはこれでもかってカミナリ落とされちゃったんだけど」
「だから、おまえが怒りに我を忘れるようなことがあっても、それはそれで不思議なことじゃない。
ただ、その怒りをぶつける前に、レンジャーとしてやらなければならないことを今一度思い出してほしい。
おまえなら、同じ失敗は二度と繰り返さないと思っているからな……おまえが怒ったのも、ナオヤといったか、彼を大事に思っているからだろうし、その気持ちは大切にすべきだと俺は思う」
「リーダー……ありがとうございます」

話を聞き終えて、アカツキはバロウとハーブに礼を言った。
改めてそう言ってもらえると、どうしようもない自己嫌悪に陥ってしまうあの時の気持ちも少しは慰められる。
あの時の自分は、多分今まで生きてきた中で一番見苦しい顔をしていたのだろう……そう思うと、今でもなんだか気分が滅入ってくる。
心なしか先ほどより明るくなったアカツキの顔を見て、ハーブは微笑んだ。
多少大きなミスをしても、自分に足りなかったものや、してはならないことを理解して、次に繰り返さないようにしていければ、それはそれで大切な経験になる。
むしろ、そういった経験を積み重ねてこそ、レンジャーとして大きく成長できる。

「わたしの見立てで言うのは失礼かもしれないけど、あなたたちはきっといいレンジャーになれるわ。頑張って」
「はい」

ハーブの言葉には確信めいた力強さがあった。
背中を押されているようで、アカツキは笑顔で頷いた。
柔和な空気で和気藹々としてきたところで、バロウが横目でヒトミを見やる。

「……で、ヒトミはいつまでこんな調子なんだ?」
「?」

彼の言葉に顔を向けてみると、ヒトミは未だにヒトミをキラキラ輝かせ、ハーブの言葉を受けた時と変わらぬ表情とポーズで、それこそ石像のように硬直していた。
ためしに、アカツキが無言で彼女の目の前で手を上下に振ってみたが、無反応だった。
そうする前に、ルッチーが服の裾を何度か引っ張ったりしていたものの、感動のあまり忘我している彼女にはまるで効果がなかった。

(困ったなあ……)
(困ったものだ)
(困ったものね。どうしたものかしら)

誰からともなく互いに顔を見合わせて。
三人して困った顔して、ため息をついた。
その様子を、ルッチーが怪訝な面持ちで眺めていたが、ヒトミが動きを見せたのは、それから十五分後のことだった。






To Be Continued...

読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想