Mission #062 アンヘルパークの戦い(前編)

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「おや……これはイオリ君。お友達かい?」

エレベーターを降りて三歩歩いたところで足を止め、黒ずくめの男性——ブラック社長が口元に笑みを浮かべながら問いかけてきた。
肖像画では硬い印象を受けたが、口元に浮かんだ笑みは、子供や親しい人に向けるものだった。

「あ、社長……レンジャースクールに通ってた頃の同級生で、今はポケモンレンジャーなんです」
「いつか君が話していた……えっと、アカツキ君とヒトミさん、だったかな?」
『えっ……?』

社長の言葉に、アカツキとヒトミは驚愕するより他なかった。
面識のある相手ではなかったし、アンヘル社の社長という、アルミア地方の重鎮と言っても差し支えない人が、一介のポケモンレンジャーに過ぎない自分たちのことを知っているなどと、予想すらしていなかったからだ。
無論、二人の反応はごく一般的なものだったのだが。
鳩が豆鉄砲食らったような表情を揃って見せる二人に笑みを向けると、社長は穏やかな声音で言った。

「イオリ君がレンジャースクール出身だっていう話を聞いてね。
それでいろいろ話しているうちに、君たちの話になったんだよ。
スクールの頃に撮った写真を見せてもらって、特に仲がいい友達だと言っていたかな」

なるほど、それなら自分たちのことを知っていてもおかしくはない。
イオリにとって、社長は心を許せる相手なのだろう。スクール時代の写真を見せて、名前まで話すくらいだ。
彼の言葉に納得し、アカツキはようやっと表情を戻した。

(でも、なんでわざわざイオリとそんな話したんだろ?
社長さんって、暇じゃないと思うんだけどな……)

思っていることが顔に出たらしく——本人は露ほどもそんな風に考えていないようだったが——、社長は苦笑混じりにこんなことを言った。

「まあ、なんというかな。
カッコいい言い方をすれば、社員は私たちの家族のようなものだ。
社長、課長、研究員、部下、先輩、上司……
立場によって責任の度合いや義務の大きさも違ってくるものだけど、アンヘル社のさらなる飛躍とアルミア地方のさらなる発展のために一丸となって突き進んでいくという意味では同志だし、仲間……家族って言い方もできると思う。
だからこそ、末端の社員一人一人のことも理解した上で、一緒に仕事をしたい。それが私のポリシーでね、新入社員については特に入念にフォローアップしているんだ。
早く我が社の雰囲気に慣れて、バリバリ働いてもらいたいからね」
「はあ……」

一度も言いよどむことなく、視線を逸らすこともなく言い切られて、アカツキに返す言葉はなかった。
社員を単なる『会社と言う巨大な装置を回すための歯車』として見ているのではなく、同じ目標へ向かって共に歩む仲間として大事に思っているからこその言葉。
言葉の重み、そこに秘められた強い気持ちが伝わってくるようだった。
アカツキだけでなく、ヒトミやイオリも、社長の言葉には感激にすら似た感情を覚えていたのだが……
彼の脇に控えた秘書官らしい男性が控えめな口調で社長に言った。
社長と同じくらい端麗な容姿ではあるが、細身で背丈が低いところから、若干頼りない印象を受ける。

「社長、そろそろ……」
「そうか。そろそろ時間だね。分かった」

社長は小さく返すと、再びアカツキたちに微笑みかけた。

「申し訳ない。
そろそろ行政当局と今後の方針についていろいろと打合せに行かなければならないので、これで失礼させてもらうよ。
……ああ、そうそう。
イオリ君、主任さんが君を捜しておられたよ。友達との付き合いも大切だが、仕事を忘れないように。それじゃあ」

言い終えるが早いか、秘書官を連れて、悠然とした足取りでロビーへの階段を降りていった。
階段を降りる直前、秘書官がアカツキたちに小さく頭を下げた。
必要以上の言葉を発さなかったが、それが秘書というものだろう。仕事中はそれ以外のことを考えていない……そんなプロ意識を垣間見たような気がした。

(ああいう人が秘書につくくらいだから、やっぱりあの人はすごいんだな)

アンヘル社の社長を務めるのだから、それ相応の手腕や人望が必要なのは言うまでもない。
短いやり取りではあったが、尊敬に値する人物だと、アカツキは素直に思った。

「まあ、それはいいとして……アカツキ、ヒトミ。長々と引き留めちゃってごめんね」
「ううん、そんなことないよ。
アンヘル社のことが分かったから。それに、イオリと久しぶりに話をして、とても楽しかったよ」
「そうね」
「じゃあ、また」

主任が待っているということで、さすがにこれ以上は話に興じていられなくなった。
それはアカツキたちも同じで、ユニオン本部での会議に遅れるようなことがあったら、それこそ目にも当てられない。
互いにノンビリしていられない状況ということもあって、互いに引き留めることなく、それぞれの場所へ向かうことになった。
新本社ビルを背に、アンヘルパークへ続く道を歩きながら、アカツキとヒトミはどちらともなく口を開いた。

「イオリ、なんだか明るくなってたわね。スクールの頃と大違い」
「環境が違うからね」

アカツキほどイオリと長く接していないヒトミは、彼がスクール時代と打って変わって明るい性格になっていたのを意外に思っていたようだ。
しかし、アカツキに言わせれば、確かに明るくなっているが、それほど驚くことではない。
親しい相手には明るく振る舞うのは当然だし、頭でっかちでちょっと根暗かも……と思われるところは確かにあったが、イオリ本来の性格は控え目ながらも明るいものだ。
環境が違えば、心情的な面で変わってくるのは当然。
それに、イオリは恵まれた環境にいると、アカツキはそう考えている。
仕事上のストレスは会話の中からまったく感じられなかったし、それを隠そうと気を遣っている様子も見られなかった。
周りは年上ばかりだろうが、年下であることを理由に異端視されているわけではなく、一端の研究者として対等に扱われているに違いなかった。

「でも、元気そうで良かった。
アンヘルには行くって聞いてたけど、一ヵ月半で卒業しちゃうなんて思わなかったな……」
「そうよね」

イオリが頭脳明晰なのはレンジャースクールに在籍していた頃からだが、レンジャースクールよりもレベルの高い知識や技術を学ぶ学校ですら、彼にとっては児戯の延長線上だったのかもしれない。
予想外の再会には驚いたものの、やはり親友が元気にやっている姿を見ると、安心する。
無論、安心するだけではなく、自分も負けていられないという気持ちになってくる。
もしミッションでこの辺りまでやってくることがあったら、また話をしてみたい……アカツキはそんな風に思った。
互いに仕事ができて、そうそう会う機会などないかもしれないが、だからこそ数少ない機会を大切にしたいものだ。
ヒトミと他愛ない話をしながら歩くうち、アンヘルパークに差し掛かったのだが……

「ちょっと、様子が変よ」

アンヘル社の本社ビルへ続く道は一段高くなっている。
アンヘルパークを見渡せるのだが、だからこそ、二人は異変に気づいた。
変なロボットのような巨大な機械が、ガシャガシャと大きな音を立てながら闊歩している。
明らかに普段と異なる光景に、アンヘルパークで憩いの時間を過ごしていた人たちはパニックに陥っていた。
機械の腕のさきについた、カニのハサミを思わせるアームが、逃げ惑うポケモンたちをつかまえ、腹部にポッカリ空いた穴に放り込んでいく。
どうやら、ポケモンを捕獲する機械のようだが、こんなものが普通に転がっているはずがない。

「何かあったんだ、行こう!!」
「言われるまでもないわ!!」

直感でもなんでもない。
異常を見つければ直ちに対応する。それがポケモンレンジャーの仕事だ。
アカツキとヒトミはスタイラーを手に、地を蹴った。






「きゃーっ、あたしのピッピがーっ!!」
「ああっ、ニドランっ!!」

アンヘルパークに悲鳴と怒号が響き渡る。
人々の悲痛な声をバックミュージックに、巨大な機械の駆動音が淡々と響く。
その機械は、ポケモンを捕獲する装置。
当然、中には機械を操縦する人間が搭乗しているわけで、これは明らかにたくさんのポケモンが憩いの一時を過ごしていることを見越した上で捕獲しようと企む何者かの作為的な事件だ。
一般常識として、ポケモンを捕獲するためにはモンスターボールが必要であるが、モンスターボールによる捕獲以外の手段は基本的に違法。
ポケモントレーナーやブリーダーは、パートナーたるポケモンをモンスターボールで捕獲しているわけだが、そういった職業がほとんど存在しないアルミア地方やフィオレ地方においては、長い間共に過ごすことでパートナーとしての絆を深めるため、捕獲云々以前の問題である。

(ポケモンハンター……!? なんでこんなところに!?)

アカツキは現場に向かって走りながら、胸中で叫んでいた。
こんな方法でポケモンを捕獲するなど許されるはずがない。こんな方法を採るとすれば、ポケモンハンター以外はありえなかった。
混乱に陥ったアンヘルパークを見て、アカツキは奥歯を強く噛みしめた。
一週間前に変な事件があったばかりだというのに、今度はポケモンハンターがやってくるとは……
ポケモンハンターは違法な職業と言われており、中にはあまりに悪辣なため国際警察から指名手配を受けている切れ者もいるらしい。
目の前で機械を駆ってポケモンを捕獲しまくっているのがどのレベルのハンターなのかは分からないが、野放しにはしておけない。
異常を嗅ぎつけて警察が集まって来ているが、機械相手に警察がどこまで役立つかは甚だ疑問である。
逃げ惑う人やポケモンが入り乱れ、迂闊なことはできそうになかった。
階段を駆け降り、アカツキはヒトミに言った。

「ヒトミ!! みんなを避難させて!!
その間はぼくがあいつを引きつけとくから!!」
「分かったわ、無茶しないでよ!!」

本当は「勝手に決めないでよ!!」と噛み付きたい気持ちでいっぱいだったが、目の前の状態を放置してまで言い争いをする気にはならない。
ここは一旦二手に分かれ、逃げ惑う人たちを避難させてから対処すべきだろう。警察に任せっぱなしというのも、心許ない。
階段を降りたところで、アカツキとヒトミは左右それぞれ違う方向に飛び出した。

(ま、ここはあいつに引っ掻き回してもらう方がいいのかもね……)

要は、人々やポケモンが避難し終えるまでの時間稼ぎ。
しかし、時間稼ぎと言っても、相手を引っ掻き回さなければならないのだ。
相当な体力を消費することを考えれば、悔しいがここは自分よりも体力があるアカツキに任せるしかない。
肝心な時に力尽きて動けなくなったのでは、目にも当てられない。
ヒトミが駆けていく足音を小耳に挟みながら、アカツキは手当たり次第にポケモンを捕まえては内部に放り込んでいく機械——機械を操縦しているであろうポケモンハンターを睨みつけた。

(こんなことするなんて……許せない!!)

一週間前の事件で、指揮を執っていたと思われる白衣の女。
ポケモンレンジャーが動くことも見越した上で策を張り巡らせ、実行した。
その計算高さたるや、レンジャーユニオンが完全に後手に回るほどのものだ。
対して、目の前のポケモンハンターは計算などまったく感じられない。手当たり次第な様子を見ればよく分かる。
ゆえに、白衣の女に比べればまだ可愛いのかもしれないが、アカツキにとっては、平和を乱す輩は皆同じだった。

(アンヘルパークは……)

走りながら、アンヘルパークのつくりをざっと確認する。
剪定された背丈の小さな木々がところどころに植えられている以外は、障害物らしい障害物はない。
機械にとっては取るに足らない程度の障害物でも、アカツキには乗り越えるのも難しい障害物でしかなかった。

(厄介だけど、やるっきゃない……!!)

ポケモンたちも人々に紛れて逃げ惑っているが、人に比べれば落ち着き払っているように見えた。
正直、ムックだけでどうにかなる相手とも思えない。
棲息しているポケモンたちの力を借りる必要も出てくるだろう。
種族を大まかに把握して、どういったシチュエーションで力を借りれば効果的なのか策を練りながら、機械の前に立つ。

「そこで何してるんだ!!」

スタイラーから伸びる淡い光のアンテナを突きつけながら、アカツキは勇ましい声を上げた。
相手が誰だろうと、やらなければならないことに変わりはない。
もしかしたら、バロウが異変を察して戻ってきてくれるかもしれないが、それを期待して何もしないわけにはいかない。
あるいは、ユニオン本部に所属しているレンジャーがこの辺りまでミッションで出向いているのかもしれないが、今ここにいるのは自分たちだけだ。
上目遣いで睨みつけてくるポケモンレンジャーの存在にようやっと気づいてか、機械の動きが止まった。
ポケモンたちを捕獲するのをやめて、アカツキに向き直る。

『ポケモンレンジャーか……』

どこかにスピーカーが搭載されているのだろう。少々くぐもってはいたが、男の低い声音がアンヘルパークに響いた。

『まだ子供ではないか。
……まあ、それはいい。ポケモンどもは十分に捕獲したからな、ここらで引き揚げるのもいいが、追いかけられるのも厄介だ。
とりあえず、つぶしておくか……!!』

アカツキのパートナーポケモンが飛行タイプのムックルであるのを見て取って、後を尾けられたら厄介だと思ったのだろう。
男は尾行の危険性を摘み取る方を選んだが、アカツキにとってその選択はありがたかった。
逃げられたら厄介だと思っていたからだ。

「ムック、無理しないようにあいつの周りを飛び回って!!」

まずは時間を稼ぐこと。
相手はパワーに優れた機械を操縦しているのだ、一人でどうにかなる相手ではない。
平べったい触手のような腕は、それなりに小回りも利くのだろう。
ならば、ヒトミと二人で対処するのが最良の策だ。
ムックはアカツキの指示を受けて、彼の肩から飛び立った。
技の指示は受けなくても、何をすべきなのかはちゃんと理解している。
翼を広げ、男が駆る機械の周囲を忙しなく飛び回った。
男はムックを鬱陶しいと思っているようで、すぐさま機械の腕を使って叩き落とそうと行動を開始した。

「ムックゥ!!」

ムックは相手の攻撃を巧みに避わしながら、電光石火や翼で打つといった技を使って機械を攻撃し始めた。
相手が人やポケモンでない以上、手加減などする必要はないし、危害を加えたところで問題ない。
そこのところはアカツキの考えを理解した上で行動している。ポケモンレンジャーのパートナーとして相応しい素質を宿していると言っていいだろう。

(よし、今のうちに……)

ムックだけでは決定打に欠ける。
最終進化系のムクホークともなれば絶大な攻撃力を発揮できるだろうが、進化前のポケモンは得てして火力不足。
だから、ムックが時間を稼いでくれているうちに、他のポケモンの力を借りるしかない。
アカツキはさっと視線をめぐらせて、比較的近くに力を借りられそうなポケモンを発見した。

(ニドリーノ……? よし、力を借りよう!!)

淡い紫の身体をしたポケモン——ニドリーノに白羽の矢を立て、アカツキはスタイラーからディスクを射出した。

「キャプチャ・オン!!」

アカツキの掛け声に応えるかのように、ディスクが燐光を放ちながらニドリーノ目がけて宙を滑る。
ディスクがニドリーノの近くまで到達するには、まだ若干の時間がある。
アカツキはムックの様子を見やったが、上手くやってくれているようだった。
しかし、時間をかけすぎてはムックの体力が尽きてしまう。そうなれば著しく不利になるのは間違いない。
そうなる前になんとかしなければならないが……

「ニドリーノ、キミの力を貸してくれ!!」

異常時こそ、ポケモンに自分のありのままの気持ちを届けなければならない。
このニドリーノは逃げようとしていなかったが、それでも心理的に動揺していないはずがないのだ。
下手な気持ちの伝え方では、逆効果になる。
そこのところは、レンジャースクールで習った授業が活かされている。
声に出したことで気持ちがよりダイレクトに伝わったのか、キャプチャ・ラインを三重に引いたところでキャプチャが完了した。
異常時のキャプチャは、一秒でも早い方がいい。
かといって焦っては、その焦りがポケモンに伝わり、逆効果になるのだ。
キャプチャ完了によってディスクが手元に戻ってきたことを確認し、アカツキはニドリーノに指示を出した。

「キャプチャ完了!!
——ニドリーノ、穴を掘る!!」

間違っても、あの機械を破壊しようとか、中に乗っている人間を捕まえようと思ってはならない。
今やるべきことは、時間を稼ぐことだ。
アカツキは自分の力量をちゃんと理解した上で、必要な手を打っていた。
ニドリーノは彼の指示を受けて、その場で穴を掘り始めた。五秒と経たないうちに、ニドリーノの姿はその場に空いた穴の下に消えてしまった。
他に力を借りられそうなポケモンがいないか周囲を見渡してみたが、残念ながらこの状況に適したポケモンは見当たらなかった。
だが、時間を稼ぐだけなら、ムックとニドリーノである程度は何とかなる。
現場に警察の姿はあるが、生身の人間だけの力でどうにかなる相手ではない。装甲車などの対抗手段が到着するまでには若干の時間が必要だろう。
ここは可能な限り時間を稼ぎ、ポケモンハンターを逮捕する体勢を整えることだ。
ヒトミが奮起してくれているおかげか、人々の退避は順調に進んでいるようだった。この分なら、それほど時間をかけずに、大っぴらに立ち回れる。
行動の自由度が増えれば、その分、幅広い策を採れるようになる。
とりあえず、そこまで持ち堪えられれば何とかなる。相手は逃げようと思っていないようだし、引付けておけば十分何とかなるはずだ。

『ええい、チョロチョロと素早く動き回りおって……!!』

スピーカーがオンになっていることを失念したのか、男の苛立ちに満ちた声が聴こえてきた。
左右の腕を振り回してムックを攻撃するが、ムックはそれらの攻撃を回避しながら、機械に技を繰り出していく。
鋼鉄で作られた機械に、目に見えるような大きな傷を穿つことはできなかったが、多少のヘコミは与えられていた。

「ムック、足の間を通って後ろに回り込んで!!」

ムックの動きに合わせて、アカツキが指示を追加する。
グッドタイミングの指示に、ムックはすかさず機械の足の間を通って、下から後ろに回り込んだ。

『小賢しいマネを……ぬおっ!!』

男が怒鳴り——直後。
轟音と共に機械の足元に穴が空き、高さ五メートル弱の機械が真ん中ほどまで穴に埋まった。
ニドリーノの『穴を掘る』で、機械の足元の地面を掘ったのだ。
機械の重量を考えれば、地面の厚みが少し減っただけでも十分に陥没に至る。
これで当分は足止めできるはずだ。
男は機械の腕を振り回しているが、腕の付け根近くまで穴に埋まっているため、動きはかなり制限されている。
これならそれほど気を遣わなくても避けられる。

——おまえの攻撃なんかミエミエなんだよ!!

そう言わんばかりに嘶き、ムックが攻撃を継続する。
激しい攻撃を受けて、機械の頭頂部がわずかにへこんだ。

『なんだとっ!?』

進化前のポケモン——しかも、ムックルの攻撃力はやや低めなのだが、それでも頭頂部をへこませるほどの力はある。
男は進化前のポケモンに傷を負わされると思っていなかったようで、狼狽の声を上げた。

(なんか、すごく怒ってるな……でも、これなら何とかなるかも……!!)

ムックルに攻撃された程度で逆上するのだから、底が見えそうだ。
アカツキはムックとニドリーノに指示を出そうとしたが、その矢先、男が怒りに任せて次の一手を打ってきた。

『ええい、子供の分際で生意気な……これでどうだっ!!』

子供と進化前のポケモンにいいようにされて怒り心頭なのか、男は怒声を撒き散らす。
刹那、某アニメのロケットパンチのごとく、機械の両腕——拳に当たる部分のハサミだけがジェット噴射で撃ち出された。

「なっ……!?」

アニメの世界の出来事だとばかり思っていたが、まさか本当に腕だけ飛ばしてくるとは夢にも思わなかった。
アカツキは驚愕に思わず短く叫んで——斜め上に撃ち上げられた両腕のハサミが、突如軌道を変えて、ムック目がけて突き進んでいく。

「ムック、避けて!!」

言われるまでもなく、ムックは迫る二本の腕から逃れるべく回避行動に移ったが、腕はムックを追尾してきた。

(追いかけてくる……!? これじゃあ、いくらムックでも……)

避けても避けても、ハサミ部分を折りたたんで拳状に形を変えた腕が追いかけてくる。
子供に多少いいようにされたからといって簡単に怒るような三下が、どうしてこんな高性能なシロモノを持っているのかという疑問は確かにあるのだが、今はそれどころではない。

「ニドリーノ、もっと穴を掘って!!」

地中にいても、アカツキの指示はちゃんと聴こえるらしく、ニドリーノは機械の真下にさらに穴を掘った。

『ぬおっ!! ……おのれぇぇぇぇぇ!!』

さらに機械は陥没し、頭部を残して地面の下に潜る形になった。
これでは腕をまともに振り回すこともできない。今のところ、攻撃手段は追尾性能を秘めた腕の先端部に限られる。

「ムックゥ……!?」

ムックは逃げても逃げても追いかけてくる拳に焦りを募らせた。
スピードはこちらの方が速いが、いつまでも逃げ切れるわけではないし、他のものにぶつければ動きが止まるという保証がない以上、むやみに飛び回るわけにはいかなかった。
そんな焦りが無意識のうちに動きを鈍らせる。
交互に——波状攻撃を仕掛けてくる二つの拳を避けきれず、ごっ、という乾いた音を立てて、ムックの背中に拳が叩きつけられた。

「ムックっ!!」

ムックは悲鳴を上げる暇もなく、拳に押されて地面に激しく叩きつけられると、ぐったりとしてしまった。
アカツキが上げた叫び声は、石畳の道にムックが叩きつけられた音にかき消された。

『ちょこまかとうるさい奴だ……二度と飛べぬようにしてくれるわっ!!』

男は怒声を張り上げると、ムックを直撃した拳を引き上げ、もう片方の拳を勢いよく落下させた。

「ムックっ!!」

このままじゃムックがやられる。
人に比べて身体機能が遥かに強いとはいえ、常軌を逸するような衝撃を受ければどうなるか分かったものではない。
しかも、石畳と拳に挟まれるとなれば、ムックにかかる力は想像を絶する威力になるだろう。
ムックを助けなければ……その一心で、アカツキは駆け出していた。
ポケモンハンターの男をどうにかするとか、時間を稼ぐとか、そんな目的は頭から吹き飛んでいた。
翼を広げたまま石畳の上でぐったりしたムックと、ムック目がけて落下する拳しか視界に入らない。
すでに人々の避難が終了していることも、今のアカツキには目に入っていなかった。
全速力で駆け寄って、アカツキはムックを抱き上げた。
目に見える傷はなかったが、背中を攻撃されたことで大きなダメージを受けたのは間違いない。
抱き上げたまでは良かったものの、ジェット噴射の拳は間近に迫っていた。

(避けられない!!)

避ける間はない。
自分がどうなるということより、ムックを守らなければ……という気持ちの方が圧倒的に強かった。
アカツキはムックを抱きかかえ、迫る拳に対して背中を向けた。
直後、拳が開き、ハサミ状になってアカツキに襲いかかった。

「……うっ!?」

左右からぐいぐいと押し付けられ、アカツキは顔をしかめた。
地面に膝を突き、ムックを抱きかかえたままの体勢で、万力で締め付けられるかのように左右から押し付けられる。

「ぐっ……ううっ」

骨が軋む音が聴こえ、軋みが振動で伝わり、筋肉が悲鳴を上げているのが嫌というほどよく分かった。

(ムックは……ぼくが守らなきゃ……!!)

油圧にせよ電気によるものにせよ、機械の力を以ってすれば、人一人を押しつぶすことなど造作もない。
全身を襲う痛みに必死に耐えながら、アカツキはただひたすら、ムックを守ることだけを考えていた。
痛みで意識が飛びそうになる。
いっそ、気絶してしまった方が楽でいいのかもしれないが、残念ながら意識が飛ぶほどの『激痛』ではなかった。

『子供のくせに出しゃばるからだ!! このままつぶれてしまえ!!』

男の哄笑が響く。
ヒトミのことは眼中になさそうだ。
ハサミ状の拳に挟まれ、激痛に喘いでいるアカツキをただ嘲笑うだけだ。
ムックの背中を攻撃し、一旦引き上げた拳を、アカツキを締め付ける拳に被せるようにして、二重で攻撃する。

「ぐあっ……!!」

痛みが増し、アカツキは苦痛に表情を曇らせた。
逃げるに逃げられないし、身体を動かして痛みを紛らわしたいと思っても、それができるような状況ではなかった。

(身体がバラバラになったって、ムックだけは……ぼくが……)

押しつぶされれば肉団子だろうか。
そんな考えが脳裏を一瞬だけ過ぎったが、すぐにムックを守ることに頭が切り替わった。
絶え間なく襲いかかる激痛に耐えるには、自分にとって大切な存在を守ることを精神的な柱に据えるより他なかったのだが……

(痛い……っ……)

普通に転んで頭を打ったり膝を擦り剥いたり。
それでも痛いものは痛いのだが、そんな痛みが生温く感じられてならない激痛だった。
押しつぶされて内臓が破裂するんじゃないかとか、骨が折れて、破片が筋肉を突き破ったりするんじゃないかという考えがちらついて、少しだけ意識が遠のきかけた時だった。

「あんた、あたしの弟になにしてんのよッ!!」
「……っ!!」

遠のきかけた意識を一気に、しかも強引に引き戻したのはヒトミの怒声だった。
ポケモンレンジャーとしてはライバルとはいえ、双子の弟であるアカツキに危害を加えられて激怒しているのがよく分かる声音だった。

「痛っ……!!」

意識が戻れば、痛みもぶり返してくる。
アカツキがひたすら痛がっていることなど後回しと言わんばかりに、ヒトミの声が響く。

「ルッチー、火炎放射であの機械焼き払っちゃいなさい!!
それからムクホーク、インファイトで攻撃よ!!
遠慮なんか要らないわ、派手にやっちゃって!!」

人々を避難させた後で、ポケモンをキャプチャしたらしい。
しかも、ムクホークと言えば、ムックルの最終進化系だ。

(ヒトミ、ムクホークをキャプチャするなんて……)

痛みが絶えず襲ってくる中でも、アカツキはヒトミがムクホークをキャプチャしていたことに驚いていた。
少しだけ痛みに慣れてきたということもあるが、何よりも、アカツキの腕の中で、守るつもりが一緒になって押しつぶされているムックがもぞもぞと身体を動かしていることが、意識を鮮明に保つ要素の一つだった。

(ムックは、じっとしてられないって思ってるんだ……ぼくだって、早く抜け出したいけど、これじゃあ……)

響くムクホークの咆哮。
ムックは自分がいずれ至るであろう姿が発する咆哮に触発されて、じっとしていられないと負けん気を爆発させたらしい。
アカツキとしても、早くこのハサミ状の腕から抜け出したいと思うのだが、がっちりと締め付けられていて、普通にもがいただけではとても抜け出せそうになかった。
悔しいが、ここはヒトミの活躍に期待するしかない。

どどどどどっ、ごぉぉぉぉぉぉぉっ!!

出し抜けに、派手な轟音がアンヘルパークを突き抜ける。
ルッチーが炎で機械の頭部を攻撃し、ヒトミがキャプチャしたムクホークも、格闘タイプの大技であるインファイトで機械本体から伸びている腕を強引に引きちぎった。

『なっ……バカなァッ!! 貴様、どこから……あちちちちっ!! 燃える、燃えるっ……!!』

男の悲鳴がこだまする。
鋼鉄製の機械の断熱性が悪かったのか、ルッチーの火炎放射を存分に浴びた頭部が赤く変色している。
外側でこれである、内側も多少は……否、蒸し風呂すら生温いような状態になっていた。
否応なしに襲いかかってくる熱波に、男は機械の操縦席でパニックに陥っていた。
外側からは見えないが、操縦席に登載されている機器やコンパネが次々と煙を噴き、片っ端から壊れ始めた。
壊れた機器の中には、ロケットパンチとして射出可能な拳の制御ユニットが含まれており、ユニットが壊れた途端、アカツキは自身を締め付ける力が一気に緩んでいくことに気づいた。

「よしっ……」

痛みはまだ消えないが、幸い、骨は折れていなかったようだ。
男が、なぶるつもりで徐々に力を込めていたのが幸いしたのだ。
ズキズキする痛みをおして、アカツキはムックを抱きかかえたまま、緩んだ拳を乗り越えて脱出した。
そこで見たのは、ヒトミが容赦なくポケモンハンターが搭乗する機械に対して猛攻を仕掛ける様子だった。






To Be Continued...

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