Mission #038 森に降る雨

しおりを挟みました
しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
読了時間目安:44分
ラクアの指示でカメックスを探すことになったアカツキだったが、対象はすぐに発見できた。
彼女が足を挫いて座り込んでいた場所から三百メートルほど進んだところで、焼け跡を宛もなく歩き回っているカメックスの姿を認めた。

(カメックスだ……もしかして、消火活動しようとしてたのかな……?)

いくら水タイプのポケモンと言っても、下手をすれば炎天下の砂漠よりも蒸し暑い場所に長時間滞在するのは辛いはずだ。
周囲からはまだ煙が立ち昇っており、恐らくはカメックスがこの辺りの消火をしてくれたのだろうが……

(なんか、気が立ってるみたいだ……)

カメックスの背中から立ち昇る雰囲気を薄々感じ取り、アカツキは思わず後退りした。
住み慣れた森が焼かれて、かなり怒っているらしかった。
その証拠に、周囲はかなり荒れ果てている。
カメックスは後ろ足で立つ大型の亀といった外見だが、亀とは決定的に違う点が一つある。
人間で言えば肩に当たる部分の甲羅から、二本の砲台のようなものが生えている。
『ハイドロキャノン』と呼ばれている部位で、見た目こそ鋼鉄でできた砲身を思わせるが、実際にはカメックスの身体の一部であり、密度の高い骨でできている。
呼び名の通り、カメックスが水を発射する時に用いるのだ。
水鉄砲やハイドロポンプといった技は、進化前のゼニガメやカメールは口から発射するのに対し、カメックスはハイドロキャノンから発射する。
周囲が荒れ果ててしまったのも、周囲の消火を行った時に、ハイドロポンプを使ったからだろう。
ハイドロポンプは高圧で圧縮された水塊を発射する技で、衝撃を受ける(あるいは着弾する)と水圧が解放され、周囲に猛烈な水流を放つ。
その水流で土が抉り取られ、荒れ果てたような状態になってしまったのだろうと、アカツキは推測していた。
基本的に、カメックスは分別のつくポケモンと言われているため、普通なら周囲の自然に配慮して、こんな消火の仕方はしない。
それがこんなに荒れ果ててしまっているのだから、森を焼いた火事に激怒しているのかもしれない。
……あるいは、その原因を作った何者かに。

(もしかして、ラクアさん……)

浮かびかけた想像を、頭を振って払いのける。
しかし、その想像は当たっていた。
ラクアはカメックスをキャプチャする際に、攻撃を避わそうとして足を滑らせて転び、足を挫いてしまったのだ。
消火活動が終わったばかりで不安定になっていた足場でキャプチャするのは、かなり難しいことだ。
増してや、カメックスは気が立っている。
容赦なくハイドロポンプを放ってくるだろう。
攻撃を掻い潜りながらキャプチャする難しさは、アカツキもよく理解している。
相手は最終進化形だけあって、並のポケモンとは比べ物にならない実力を宿しているのだ。
しかし、だからといってここで退くわけにはいかない。
気が立っているカメックスを落ち着かせて、力を借りないことには『雨乞い』で広範囲を一気に消火することもできないのだ。

(クラムさんとヒトミも、たぶんカメックスを探してると思うけど……
でも、ぼくが先に見つけちゃったみたいだし、早くキャプチャして、力を借りなきゃいけない)

ヒトミはどうだか知らないが、クラムならカメックスの力を借りて、一気に消火することくらいは考えるだろう。
彼女に対して、カメックスのキャプチャを指示していたとしてもおかしくない。
そうなると、遅かれ早かれカメックスの力を借りて消火を行うことになる。
それでも、自分が真っ先に見つけた以上、一秒でも早く消火して、被害を少なくしておきたい。
気が立ったポケモンほど危険な相手はいないのだが、四の五の言っていられる状況でないのは間違いない。
……と、ちょうどその時。カメックスが振り返ってきた。
アカツキの姿を認めるなり、背中から立ち昇らせている剣呑な雰囲気に漏れず、険しい表情で睨みつけてくる。

「……っ」

かつて、スクールの教師であるミラカドのドラピオンをキャプチャした時のような、猛烈なプレッシャー。
アカツキは全身が総毛立つのを感じずにはいられなかったが、一歩も退かなかった。
今は、退いてはいけない。
退けない理由がある。
わずかにでも気を抜けば笑い出してしまいそうな膝に力を込めて踏ん張って、スタイラーを握りしめる。
ディスクを射出するボタンに手をかけて、じっとカメックスを見やる。
気が立っているポケモンは手当たり次第に攻撃を仕掛けてくることが多いため、迂闊なタイミングでディスクを射出すると、狙い撃ちにされる恐れがある。
もっとも、水鉄砲もハイドロポンプも直線軌道の攻撃であり、ちゃんと見切れば問題なく回避は可能だ。
十メートル弱の距離を挟んで、アカツキとカメックスが対峙する。
時間をかけてはいけないことは承知しているが、下手に焦って失敗して悪い結果を出すよりはいい。
睨み合いを始めて十秒ほど経ったところで、カメックスが動いた。
咆哮を上げて、前のめりの態勢を取り——左右のハイドロキャノンの照準をアカツキに据えたかと思った次の瞬間、水の塊が二つ同時に飛び出した。

(いきなりハイドロポンプなんて……相当気が立ってるな。早く落ち着かせなきゃ!!)

威嚇の行動もなしに、いきなり水タイプの最強技を放ってくるなど、普通はありえない。
火事で相当気が立っているだろうから、早く落ち着かせなければならない。落ち着かせないことには、力を借りて火事を消すこともできないのだ。
そのためにも、ここはキャプチャで気持ちを伝えるしかない。
自分目がけて一直線に突き進んでくる水の塊を見据え、アカツキはさっと横に飛び退いた。

「——キャプチャ・オン!!」

飛び退き、着地して体勢が安定したところでディスクを射出、キャプチャを開始した。
カメックスは自身の身体を存分に活かした攻撃と、ハイドロキャノンからの水攻撃……二つの武器を持っている。
両方を同時に使いこなすのは難しいとしても、武器が二つあるという時点で厄介だ。
それに、アカツキは自身の身体とディスクの両方が弱点となっているため、経験の少なさもあって不利なのは否めない。
それでも、キャプチャして力を借りなければならないのだ。物怖じなどしてはいられない。
先端から燐光を放ちながら、一直線に突き進んでくるディスクを見て、気が立っているカメックスは「危害を加えられる」と勘違いしたのだろう、ハイドロキャノンから再び水の塊を撃ち出した。

「はっ!!」

水の塊の一つはディスク目がけて。もう一つはアカツキ目がけて。
カメックスは器用にも両者に対して同時攻撃を仕掛けてきたが、当人にそのつもりがあったのかどうかは分からない。
それはさておき、アカツキはスタイラーを振りかぶり、ディスクの軌道を変えた。
ハイドロポンプの威力は高く、ポケモンの技を受けても容易く破壊されないような強度を持つディスクでも、油断はならない。
縦しんば破壊を免れたとしても、ヒビや目に見えない傷、電子部品への損傷があれば、それだけでディスクの性能は著しく低下しかねないのだ。
キャプチャにおいて最も重要視されるのはレンジャーの腕前だが、他にもスタイラーやディスクの状態も含まれている。どれ一つ取っても、決して疎かにできる事柄ではない。
ディスクを水の塊の軌道から逃がしたところで、アカツキ自身も迫り来る攻撃から身を避わした。
ぶんっ!!
耳元を、唸りを上げて水の塊が通り過ぎる。
矢のような勢いで通り過ぎた水の塊は少し離れた場所に着弾し、猛烈な水流を撒き散らした。
その周囲が大きく抉り取られているのは見なかったが、それに近い状態になっているであろうことは、アカツキには容易に想像がついた。
見なくても分かることなら、今はキャプチャに集中するだけだ。
ハイドロポンプの猛威から逃れるため一旦遠ざけたディスクを、再びカメックス目がけて走らせる。

(カメックスはタフだから、早くキャプチャを済ませよう。よーし……)

長々と時間をかけていられないのは、火事が広がっているから……ということもあるが、それよりも先にアカツキの体力が尽きてしまうかもしれなかったからだ。
短期決戦で、一気に決める。多少の危険は覚悟の上。

「ムック、風起こし!!」

ポケモンレンジャーは、ポケモントレーナーではない。
ゆえに、パートナーポケモンに『相手のポケモンを傷つける技』を指示することはできない。
しかし、『相手のポケモンを傷つける心配のない技』なら指示できるし、積極的にキャプチャに取り入れる。
ムックはアカツキの指示にさっと飛び上がり、翼を激しく打ち振って猛烈な突風を生み出した。
火事の現場でこれを使っては火を煽るだけだが、少なくともこの周囲に火の手はない。
突然の突風に、カメックスは一瞬怯んだ様子を見せたが、すぐにハイドロキャノンをムックに向け、水の塊を二発、同時に放ってきた。
ディスクよりも、ムックの方が厄介だと思ったのかもしれないが、それならそれでアカツキにとっては好都合。
ポケモンが攻撃してきたら、下手に手出しをせずに逃げ回るよう指示してある。
カメックスがムックを見ている今なら、キャプチャは少し楽になる。
もっとも、ムックの風起こしが重量級であるカメックスにどこまで通用するかは疑わしいが。
効けばラッキー程度とはいえ、だからこそムックを信頼していなければ、こんな危険なことはできない。
ムックの方も、アカツキを信頼しているからこそ、危険を承知で風起こしを使ったのだ。
ムックは素早く飛び上がり、飛来する水の塊から容易く身を避わし、さらに突風を起こしてカメックスに吹かせた。
重量級のカメックスを吹き飛ばすには到底至らないが、わずかでも動きを止められればそれで十分。
ムックが本気でカメックスを吹き飛ばすには、相手と同じく最終進化形であるムクホークに進化しなければならないだろうが、今はそれほどの力を必要とはしていない。

「カァァァメェェェェェッ!!」

カメックスは咆哮を轟かせながら、ハイドロキャノンから水鉄砲を発射した。
ハイドロポンプは単発であることから、一旦避けられたらそれでオシマイと分かっているらしかった。
カメックスがムックに気を取られているうちに、アカツキはディスクをカメックスの背後に回り込ませ、素早く幾重にも囲み込んだ。
大型で強力なポケモンで、気が立っているほど気持ちは伝わりにくい。
ブイゼルやカメールなら、はっきり言って簡単にキャプチャできてしまうのだが、カメックスほどの相手となると、そうもいかない。
消火活動を手伝ってくれているブイゼルは、ハラハラドキドキしていると主張せんばかりの面持ちで、アカツキのキャプチャを見守っていた。
どうやら、今日までキャプチャされたことがないらしく、興味津々といった様子だった。
一方、ムックは斜め下から伸び上がるように突き進んでくる水流を避けながら、風を起こし続けていた。
当人はカメックスの動きを封じる云々より、相手の視線と意識を自分に釘付けにさせることで、アカツキのキャプチャをサポートするつもりでいたようだ。
一発ドカンとやってくるハイドロポンプと違い、水鉄砲は水の奔流を連続的に放つ技。避けた傍から、二つの水流が追いかけてくる。
最初は簡単に避けられたが、徐々に精度が向上してきたのか、余裕らしい余裕はすぐになくなってしまった。

「ムックゥ……!!」

水流が翼のほんの十センチ横を通り過ぎ、ギョッとする。
直撃していれば痛いだろうし、アカツキのサポートもできなくなる。
飛行タイプのポケモンは翼が命であり、痛めてしまっては本領を発揮することができないのだ。
早くアカツキがキャプチャしてくれないと、いずれは直撃を受け、さらにハイドロポンプによる強烈な一撃を浴びることにもなる。
彼のことを信頼しているが、それでも焦りは隠せない。
焦るムックとは対照的に、アカツキは冷静に努めた。
カメックスが完全にパートナーに釘付けになっているのを好機と捉え、素早い動きでスタイラーを操り、カメックスをディスクで幾重にも囲っていく。
キャプチャ・ラインが幾重にもなぞられて太くなり、やがてカメックスの身体に淡い光となって移り込む。

(手強いけど、もうすぐ……!!)

ムックに対して攻撃を仕掛けているカメックス。
ハイドロポンプから水鉄砲に攻撃を切り替えてきたのも、確実にムックを撃ち落とす狙いがあるからだろう。
気が立っているなりに、冷静な判断力も備えているらしい。そういった相手ほど厄介だ。
しかし、キャプチャ・ラインの光がカメックスに転移し始めたからには、もうすぐキャプチャを完了することができる。
あとは時間との戦いだ。
ムックが水鉄砲の直撃を受ける前に、キャプチャを完了させる——が、あと一息といったところだが、思いのほかそれが長かった。
カメックスが放った水鉄砲は徐々に狙いが正確になり、やがて右のハイドロキャノンから放たれた一撃が、ムックの翼を掠めた。

「……!?」

ただでさえ風を起こしながら逃げ回っている状態。
お世辞にも体勢が安定しているとは言いがたく、飛行に慣れているムックでも、翼の端にかすかな衝撃と共に違和感を覚えた途端、バランスを崩してしまった。
しまった——と思った次の瞬間、左のハイドロキャノンから放たれた水流がムックの胴体を直撃した。
痛みはそれほどではなかったが、強力な水流に抗うことができず、そのまま近くの木に叩きつけられる。
骨が軋むような感覚。
一瞬、息が詰まる。
息苦しさが、背中に走る痛みを一瞬遠のけて——すぐにその痛みが意識を覚醒させる。

(ムック……!! もうすぐ……もうすぐだ……っ!!)

背後で響いた固い音に、アカツキは何が起こったのか悟った。
本当はムックを助けたい気持ちでいっぱいだが、今ここでキャプチャを中断させるわけにはいかない。
次の機会は——恐らく、ない。
薄情かもしれないが、あと少しでキャプチャが完了する状態だ。
森のことを考えれば、ここで中断してはいけない。
ムックを撃ち落としたことで、余計な邪魔が入らないと確信したのだろう。
ゆっくりと、カメックスがアカツキに向き直る。
——と、そこで初めて、自分の身体が淡い光で包まれていることに気づく。
熱く火照っていた気持ちが急速にクールダウンしていくのを感じ、先ほどまでアカツキに対して抱いていた敵意のようなものも薄らいでいく。
そして、カメックスの身体が光と一体化したように輝いた瞬間、キャプチャが完了した。
同時に、光がガラスのように割れて、周囲に飛び散って消えていく。

「良かったぁ……なんとか成功したよ」

キャプチャ完了と合図を送るように、ディスクが自動で戻ってきて、スタイラーに収納された。
カメックスほどのポケモンをキャプチャしたことはなかったが、ムックがアシストをしてくれたおかげで、何とかキャプチャできた。
ホッとするのも束の間、アカツキはすぐさまムックの元へ向かった。
何が起こったのか大体分かっているだけに、心配でたまらなかった。

「ムック、大丈夫!?」

ムックは近くの木に叩きつけられ、そのまま地面に落下していた。
見たところ、傷らしい傷はなかったが、水鉄砲の直撃を受けて木に叩きつけられたこともあって、ダメージはそれなりに受けているようだった。
ムクバード、ムクホークと進化を二段階控えているだけあって実力は未完成で、種族的に見ても体力が優れているとは言いがたい。
アカツキはムックを抱き起こすと、名前を何度も呼んだ。
ムックはぐったりしていたが、自分の名前を呼ばれていると理解してか、何度目かの呼びかけに対して、小さく嘶いて応じた。

「ムックゥ……」
「ムック、よく頑張ってくれたね。ありがとう。
……それから、ごめん。ぼくがもうちょっと早くキャプチャできてれば良かったんだけど……」

ムックが水鉄砲の直撃を受ける前……十秒でも早くカメックスをキャプチャできていれば、こんなことにはならなかっただろう。
本来、ポケモンバトルを行う立場にないパートナーが傷ついたのを見て、アカツキは胸にナイフを何本も刺されたような痛みを覚えずにはいられなかった。
自分のキャプチャの実力が未熟であることは認めなければならないし、誰にも負けない自信があるなどと自惚れているつもりはない。
だから、次からはもっと気をつけて、ムックの動きにも意識を向けた上でキャプチャしなければならないと、課題を洗い出すことができた。
アカツキが謝意を示すと、ムックは満足げな表情を見せた。
自分のアシストで、彼がカメックスをキャプチャできたのだと理解したようだった。

(次からは、もっと上手にできるように頑張るんだ。
ムックがあんなに頑張ってくれたのに、ぼくがちゃんとしてなきゃ意味ないんだから)

アカツキは固い決意を胸に、ムックを抱きかかえた。
ポケモンレンジャーはモンスターボールなど持っていないから、パートナーが傷ついた時にはそうやって足代わりになることも必要となる。
あるいは野生ポケモンの力を借りて運ぶことも必要だが、ムックのような小柄なポケモンなら、自分で抱きかかえて運んだ方がいい。
ムックはアカツキの腕の温もりに張り詰めた緊張の糸が切れたらしく、翼を折りたたみ、そのまま眠ってしまった。
安らかな寝息を立てているのを見て、アカツキはホッと胸を撫で下ろした。
水鉄砲は、ハイドロポンプと比べると威力の低い技だ。直撃したとしても、深刻なダメージを受けるようなことはないだろう。
アカツキはムックを抱きかかえると、カメックスに向き直った。

「カメックス。ぼくたちに力を貸して。一緒に火事を消そう」
「カメェェッ」

先ほどまで気が立っていたとは思えないほど、カメックスはアカツキの言葉に素直に従った。
キャプチャによって気持ちが通じて、落ち着きを取り戻してくれたからだろう。
元々、カメックスは温厚な性格の種族として知られていることもあり、今アカツキに向けている眼差しはとても優しいものだった。

「よし、それじゃあ早速……あれ?」

カメックスをキャプチャできたからと言って、浮かれてはいられない。
早く消火して、ポケモンたちが安心して暮らせる環境を守らなければならないのだ。
今も燃え盛っている現場に向かおうと踵を返した時、アカツキは水タイプのポケモンを連れたクラムとヒトミがこちらに向かって走ってくるのを認め、自分でも分かるほど間の抜けた声を漏らした。

「アカツキ、無事かい?」
「クラムさん、ヒトミ……ぼくは大丈夫です。カメックスもキャプチャできましたし」
「そうか、それは良かった」
「あんたがキャプチャしちゃうなんて……よくもあたしの出番取ってくれたわね、ってのは言いっこなしよね。あんたが先に見つけたんだし」

アカツキが無事にカメックスをキャプチャできたことに安心したらしく、クラムはミッションの途中であることを忘れたような優しい笑みを向けてきた。
ヒトミは相変わらず口を尖らせていたが、カメックスの『雨乞い』があれば一気に消火できることは分かっているようで、二言目には「なかなかやるじゃない」と言葉を和らげていた。

「クラムさん、どうしてここに?」
「キミと同じさ。カメックスがこっちに来てるって、ラクアが教えてくれたんだよ。
それより、早く消火しよう。雨乞いがあれば一発で消火できるはずだ。
現場の中心付近が一番効果が高いだろう。大体の目星はついてる。こっちだ」

アカツキの疑問に答えつつも、クラムは言葉を途中で遮った。
今やるべきなのは、森を焼き尽くさんとしている炎を消し止めることだ。
クラムは指差した方角へ駆け出し、ヒトミが無言で続いた。アカツキも、カメックスとブイゼルを連れて二人の後を追った。
この辺りはすでにカメックスが独自に消火をしてくれたようで、火の手は完全に消し止められていた。
しかし、百メートルほど進んだところで、赤々と燃える炎が視界に飛び込んできた。
乾いた音を立てて火の粉を弾けさせ、触れたものを包み込んで焼き尽くしていく炎。
ほんの少しの間見ないだけで、なぜか禍々しいと思えてくる。
つい先ほどまで忘れていた熱気が蘇り、身体と心が火照り出す。

「ブイゼル、水鉄砲で消して!!」
「カメール、お願い!!」
「キミはこっちを頼む!!」

誰が合図を出したわけでもなかったが、アカツキたちはそれぞれがキャプチャした水タイプのポケモンに消火を頼んだ。
燃えている茂みに、樹木に、その枝葉に、水鉄砲が次々と突き刺さり、赤く包み込んでいる炎を消していく。
三人とも身軽なポケモンを連れていたこともあり、走りながら消火活動を行っていった。
カメックスに関しては、『雨乞い』という大がかりな技を使ってもらうため、できるだけ体力を温存してもらわなければならない。
消火活動を行いながら、クラムはアカツキに彼と合流するまでのことを掻い摘んで話した。
聞かれるより先に話した方が楽だと考えたらしかった。

「僕はヒトミとペアで消火活動を行ってたんだけど、結構燃えてる範囲が広くてね。
途中でラクアと打ち合わせて、カメックスの『雨乞い』で一気に消した方が早いって判断したんだ。
そこで、手分けしてカメックスを捜してたんだけど……」

どうやら、アカツキがカメールをキャプチャしている間に、話はかなり進んでいたようだ。
先に現地入りしたクラムとヒトミは消火活動を行いながら、延焼の範囲を調査していた。
全部を見て回ったわけではないが、通った場所から考えるとかなりの範囲に上ることから、ラクアと打合せを行い、カメックスの『雨乞い』で一気に消火しようということになり、二手に分かれてカメックスの捜索に入ったそうだ。
結果的にはアカツキが先に発見し、キャプチャを済ませたのだが、誰がキャプチャしても同じだっただろう——アカツキは胸中でそんなことを思った。
どちらにしても、カメックスの力を借りなければ消火しきれないような規模だったのだ。
アカツキも、森に入ってからのことをクラムに話した。
ラクアと二手に分かれて消火活動を行ったことや、カメックスをキャプチャした際に、ムックが水鉄砲を食らってしまったこと。
合流する前に、相手が何をしていたのか分かって安心したのは、アカツキもクラムも同じだった。
それぞれが消火のために最善を尽くしたと分かったからだ。
アカツキとクラムが何やら安心したような表情を見せたことに、ヒトミは何やら言いたげな眼差しを向けていたが、口は挟まなかった。

(アカツキ、頑張ってるわね……あたしだって負けてるつもりはないけど、こりゃますます油断ならないわ。
双子の『弟』に負けるなんて、ありえないもん)

ちょっとだけ悔しい気持ちだった。
カメックスは基本的に温厚とはいえ、最終進化系だけあって、実力には定評のあるポケモンだ。
ムックが攻撃を受けたと言うのだから、火事で気が立っていたのだろう。
そんな状態のカメックスをキャプチャしたのだ。
レンジャースクールで三ヶ月間みっちり勉強してきて、ビエンタウンのレンジャーベースに配属となってから約一ヶ月が経過したと言っても、そう易々とキャプチャできるポケモンではない。
だから、アカツキがカメックスをキャプチャしたと分かった時は内心、かなり驚いたが、それでも負けているつもりはない。
無論、勝ち負けなどでないことは承知しているが、やはり相手は双子の弟である。負けたくないという気持ちは……やっぱり否めない。
そんな気持ちでいることなど億尾にも出さず、ヒトミは無言で走り続けた。
すぐ後ろで双子の姉が対抗心を燃やしていることなど露知らず、アカツキはカメックスとブイゼルを伴って走った。
燃え盛る炎を消しとめながら、火事が最も激しい場所へ向かう。
立ち込める熱気は先ほどまでの比ではなく、少しでも気を抜けば意識が飛んでしまいそうになる。
汗は欠いても流れ出る間もなく蒸発して、肌がちりつく。
熱気に頭が熱く重くなりそうな感覚を覚えながらひたすら走るうち、今まで以上に炎が激しく燃え盛っている場所に差し掛かった。

「ここだ」

言って、クラムは足を止めた。
あまりに炎が激しいため、水鉄砲だけでは消し止められなかったのだそうだ。
ある程度消し止めてはおいたものの、カメックスを捜して、アカツキと合流して戻ってくるまでの間に、炎は息を吹き返し——先ほどよりも激しく燃え盛った。

「これって……」

アカツキは辺りを見渡した。
首をゆっくりと振って——そのまま振った方向に倒れこみそうになる身体を、足腰を踏ん張って支える。
周囲には、何かの機械の残骸が転がっている。
ほとんどが炎に飲まれて黒コゲになっていたが、一部はまだ炎から逃れ、表面に炎の赤を映し出している。

(どっかで見たような……)

気のせいか、辛うじて炎から逃れている機械の残骸をどこかで見たような覚えがある。
熱気で頭がクラクラしてきたせいか、いつ、どこで、どのような場面で……それが思い出せない。
アカツキの表情にハリがなくなってきたのを見て、クラムがギョッとした表情で声を発した。

「アカツキ、カメックスの力を借りよう。早く火事を消し止めるんだ」
「あ……はい!!」

知らず知らずに遠のきそうになる意識を浮上させ、アカツキは大きく頷いた。
肩越しにカメックスを振り仰ぐ。

「カメックス、雨乞いで炎を消して」

カメックスは『この時を待っていた』と言わんばかりに、得意げな面持ちで頷くと、アカツキの前に躍り出た。
アカツキたちが固唾を呑んで見守る中、大きく息を吸い込んで——

「カァァァァメェェェェェェェェッ!!」

先ほどとは比べ物にならない声を上げて、空を振り仰ぐ。
人間には見ることも感じることもできない不思議な力が、カメックスから空に立ち昇っていく。
力は炎を飛び越えて空へ向かい、やがて上空の一点に集束する。
赤々と燃える炎と灰色の煙に遮られて空は見えないが、周囲に存在する空気中の水分が一点に集中し、局地的な雨雲を作り出した。
雨雲は徐々にその大きさを増し、やがて森を覆わんばかりに巨大化する。
そして——

ぽたっ。

「あ……」

アカツキは思わず空を仰いだ。
炎の赤と煙の灰色に霞む空から降ってきた一滴のしずくが、頬を濡らしたのだ。
しかし、一滴のしずくは、間もなく降り注ぐ大量の雨のほんの一部に過ぎなかった。

ぽたっ、ぽたぽたっ、ぽたぽたっ……

アカツキが空を仰いだのを合図とするように、一滴、また一滴としずくが地面に降ってくる。
降り注ぐ間隔は徐々に短くなり、十秒と経たずにそれらは雨となって大地に降り注いだ。
燃え盛る炎を裂くように降り注ぐ雨。
周囲の温度が急激に低下し、代わりに湿度が上昇する。
蒸していくのを感じながらも、降り注ぐ雨の冷たさが心地良いと感じられる。

「気持ちいい……これがカメックスの雨乞いなんだ……」
「そうだね。あんまり使う機会はないんだけど」

ヒトミはミッションの途中であることも忘れて、降り注ぐ雨の冷たさを存分に堪能していた。
そうせざるを得ないほどに、先ほどまでの状況は灼熱に過ぎた。
雨粒の一滴一滴が身体にぶつかるたび、何とも言えない涼しさが突き刺さるようにして染み込んでいく。

(……これで、火事は消せるんだよね。良かった……)

アカツキは降りしきる雨に喜んで飛び跳ねているブイゼルを見やり、口の端を緩めた。
水タイプのポケモンだけに、水の恵みがどれだけありがたいものなのか、誰よりもよく分かっているのかもしれない。
火照っていた身体と心が、雨に打たれてクールダウンする。
熱でおかしくなるんじゃないかと思った頭も涼しくなって、思考がまともで融通の利くものに戻る。
そんなことを感じながら、改めて周囲を見やる。
すべてを焼き尽くさんばかりに猛威を振るっていた炎も、雨に打たれて勢いが弱くなり、棚引く煙を残して消え去った。
多少は燻っているのかもしれないが、程なく完全に鎮火することだろう。
目に見える範囲で炎は姿を消し、その他の場所についても同様に、鎮火も時間の問題だ。
破壊の炎も、恵みの雨の前には為す術がなかったらしい。
些細なことかもしれないけど、自然を守ることができた。
ブイゼルが無邪気に喜んでいるのを見て、アカツキはホッと胸を撫で下ろした。

「涼しくていいけど、服がべっとりするのは気持ち悪い……」
「まあ、そう言うモンじゃないよ。ちゃんと火事を消し止められたんだから」
「分かってますよ〜」

さっきは『涼しい〜♪』と喜んでいたヒトミも、雨で制服が身体にべっとりくっついているのを気持ち悪がった。
そこのところは年頃の女の子らしく敏感だったが、そんな彼女に困ったような笑みを向けながら、クラムが慰める。
慰められると分かっているためか、ヒトミは口調こそ多少の不貞腐れた感じを漂わせつつも、同じように困ったような笑みを浮かべていた。
二人のやり取りを、すっきりした気持ちで眺めた後で、アカツキはカメックスに言葉をかけた。

「カメックス、キミのおかげで火事を消し止められたよ。本当にありがとう」

カメックスの『雨乞い』がなければ、火事を消し止めることは難しかっただろう。
決して不可能ではなかっただろうが、多大な時間を要し、結果的により多くの範囲を焼失させていたはずだ。
一般的に、水タイプのポケモンであれば『雨乞い』を使うことができるのだが、大がかりな技であるため、進化前のポケモンの場合は、優れた実力を持ち合わせたものでなければ使用できない。
そのため、アカツキたちははじめからカメックスの力を借りようと考えていたのだ。
もしかしたら彼の目の前にいるブイゼルも使えるのかもしれないが、一体ずつキャプチャしてそれを試していたのでは、火事という異常事態に対応できない。
アカツキの言葉に、カメックスは表情を和らげて頷き返すと、空を見上げた。
釣られるように、アカツキも視線を空に向ける。
頭上には灰色の雨雲が垂れ込め、大粒の雨が降りしきっている。
水鉄砲何発分の水量の雨が降るのか……と、冗談がてらそんなことを考えてみたりもするが、雨乞い一発で広範囲の火事を消し止められたのは、素直にすごいことだと思った。

(やっぱり……ぼくたちはポケモンの力を借りなきゃ、活動もできないんだ。
悔しいけど、そうやって自然を守っていくしかないんだよね)

降りしきる雨も、カメックスが引き起こしたものだ。
人為的に雨を降らせる装置を作って、干ばつ地域や砂漠に雨を降らせて緑を蘇らせようとしているような時代だが、ポケモンは自分の力だけで雨を降らせたり、陽射しを強めたりすることができる。
改めて、人間とポケモンの絶対的な力の差を見せ付けられたようで、アカツキは何とも言えず、切ない気持ちになった。
マジメで、現実を素直に認められるからこそ、そんな気持ちになるのだろう。
だが、ポケモンレンジャーとはそういうものだ。
人とポケモンが協力して自然を守っていく。分かりきっていることでも、そう考えずにはいられない。
頬を濡らす雨が、心の温度までも冷やしていく。
自分たちにできることなど、高が知れている。
しかし——だからこそ、できることをしていくしかない。ポケモンの力を借りて、協力して自然と平和を守っていくのがポケモンレンジャーの使命なのだから。

「……アカツキ、どしたの?」
「えっ……」

切ない気持ちを持て余しながら空を見上げていると、ヒトミに声をかけられた。
ハッとして顔を向けると、すぐ傍に彼女が立っていた。
いつの間に……と思ったが、考えに感けて気づけなかったらしい。

「うん、ちょっと……」
「どうせ、ポケモンの力はすごいんだとか、ポケモンの力を借りなきゃここまでできなかったなんて考えて、グレーな気持ちになってたんでしょ」
「……まあね」

言葉を濁してはみたが、さすがに双子の姉の目はごまかせない。
普段はアカツキがヒトミを見破る方なのだが、逆もまた然りだった。
ごまかすだけ無駄だと思って、アカツキは素直に認めた。
マジメで少し思い込みの強い双子の弟の性格を、彼女は十分すぎるほど理解していたのだ。

「そんなの、しょうがないじゃない。
だけどさ、カメックスだって、あんたがキャプチャして一緒にいて、あんたが頼んだからこうやって雨乞い使って、一気に火を消せたわけ。
そこんトコは、どうやったって片方だけじゃどうにもならないんだからさ。
分かりきってることなんだし、そんなのでいちいち考えてるの、あんたらしくないわよ」
「……まあ、そう言われちゃうとそうなんだけど。
…………ありがと」
「お姉ちゃんに感謝しなさいよ」
「うん」

まとまった感じの言葉ではなかったし、口調もどこかぶっきらぼうな印象だったが、アカツキはそれが彼女なりの思いやりだと分かっていたから、素直にその気遣いを受け取った。

(やっぱり、考えてることって分かっちゃうんだよね。
……ま、確かにヒトミの言うとおりだし、ぼくがウジウジしててもしょうがないや)

頭を打ち振って、ちょっとグレーな気持ちを払う。
考え出すと、どんどんと悲観的な方に進んでしまうらしい。
指摘をされたことはないが、どうやらそれが自分の悪いクセのようだ。
小さくため息をつくと、タイミングを計ったようにクラムが話しかけてきた。
自慢のアフロ頭は雨を受けてずいぶんと重そうに見えたが、彼の顔には笑みが浮かんでいた。

「アカツキ」
「はい」
「カメックスをリリースしてあげなきゃ」
「……あ、そうですね。カメックス、本当にありがとう。お疲れさま」

どうやら、クラムとヒトミは、アカツキが考え事に耽っている間にポケモンたちをリリースをしていたようだ。
アカツキはスタイラーを操作し、カメックスをリリースした。
再度、感謝の言葉と共に送り出す。
見た目には何の変化もないが、スタイラーのマーカーが消えることで、キャプチャ中の扱いがなくなるのだ。
身体にまとわりついていた微弱な電波の存在に気づいていたのか、カメックスはリリースされた後、肩慣らしでもするように身体を軽く動かすと、アカツキたちに背を向けて歩き出した。
雨乞いで体力をそれなりに使ってしまったらしく、動きはどこか緩慢だったが、その背中には最終進化形の堂々とした貫禄が漂っていた。
火事を消し止められて、カメックスはカメックスなりに満足しているようにも見えた。
カメックスの姿が、ところどころ焼け落ちてしまった木立の合間に消えた後で、クラムが口を開いた。

「放っておけば、そのうち雨も止むだろう。
それより、被害状況を確認しておこう。結構な範囲でやられてしまっていると思うけど」
「分かりました」

完全に鎮火するのは時間の問題だ。
それならば、今のうちに『次にすべきこと』をやっておいた方がいい。
鎮火後のことと言えば、まずは現場検証。どれだけの範囲が延焼したのか、原因は何なのか……?
それが終わってからは警察の仕事になる。
ポケモンレンジャーとしての仕事は、現場検証まで含むのだ。
アカツキはスタイラーを腰のホルダーに収めようとしたが、その前にいつの間にやらできた水溜まりで水音を立てながら飛び跳ねているブイゼルを見やった。

(ブイゼルもリリースしなきゃ。ここまでついてきてもらって、無理させちゃったよね、きっと……)

恐らくは何も考えずに喜びまくっているであろうブイゼルを見ていると、ここまで無理に付き合わせてしまったようで、申し訳ない気持ちさえ抱いてしまう。
早くリリースして、元の暮らしに戻ってもらうのが一番だ。
そう思って、アカツキはスタイラーを操作して、ブイゼルをリリースした。
それから、相変わらず飛び跳ねているブイゼルに歩み寄り、言葉をかけた。

「ブイゼル、今まで付き合ってくれてありがとう。
なんか無理させちゃったみたいでごめんね。もう大丈夫だから、キミはいつもどおりの暮らしに戻っていいんだよ」

ブイゼルはアカツキに言葉をかけられると、彼の服を水しぶきで汚すのを潔しとしなかったのか、飛び跳ねるのをやめて、じっと彼の顔を見上げた。
リリースされたことは分かっているはずなのだが、ブイゼルはアカツキの目を見つめたまま、一歩も動かない。

「…………」
「…………」
「…………」
「…………えっと……」

言葉に詰まる。
言いたいことを言い終えて、言葉が見当たらなかったせいだろうか。
アカツキは気まずそうな表情を浮かべて、視線を泳がせた。
リリースはできた。
極端な話、ここで放っておいて、仕事に戻ってもいい。
そもそも相手の住処が分からないし、そこまで連れて帰らなければならないという決まりもないのだ。
ブイゼルは雨の時はすごく元気になる特性『すいすい』を宿しているため、先ほどまでの熱気に包まれた状況も、今となっては遠い昔の出来事のような感じなのだろう。

「あの、クラムさん……このままほっといてもいいんでしょうか」
「そうだなあ……」

ブイゼルが無言でアカツキを見上げているのを見て、クラムは顎に手を宛がった。

「もしかすると、キミと一緒にいたいと思ってるのかもしれないなあ」
「ええっ……!?」

予期せぬ言葉に、アカツキは心臓が口から飛び出るかと思うほど驚いた。
一瞬垣間見せた引きつりまくった表情を、ヒトミは見逃さなかった。
明るくもマジメな双子の弟も、こんな表情を見せることがあるのかと素直に思ったが、冷やかしたりはしなかった。
彼女が見る限り、ブイゼルは先ほどからアカツキを気にかける様子を見せていた。
もっとも、当人は恐らく気づいていないだろうが。
アカツキはブイゼルに視線を戻し、確認のため問いかけてみた。

「……そうなの? ぼくと一緒にいたいなんて思ってるの?」
「ブイっ♪」

返ってきたのは、そうだ、という答え。
二股に分かれた尻尾をくるくると回転させ、うれしそうに嘶く。
その様子からも、ブイゼルがアカツキのことを気に入ったのが見て取れた。
悪く言えば、そんな態度を露骨に見せているだけに、アカツキも気づかざるを得なかった。

「困ったなあ……」

アカツキは渋面になった。
……と、降りしきる雨に打たれて眠りから覚めたムックが、窮屈そうに身体を動かしていることに気づき、視線を落とした。

「ムック、起こしちゃったかな……?」
「ムックゥ〜……」

危険な場所に赴いているわけではないのだから、傘など用意しているはずがない。
早いところ仕事を終えて、レンジャーベースに戻らなければ風邪を引いてしまうだろう。
ブイゼルは雨をいくら浴びても風邪など引かないが、アカツキたちは別である。

「ブイブイっ♪」
「連れてけって言ってるみたいね。
……この際だから、好きにさせてあげたら?」

ブイゼルがアカツキに何かを期待するような眼差しを向けているのを見て、ヒトミがあっけらかんと言い放った。

「ヒトミ、ぼくが悩んでるの分かって言ってるでしょ。
……でも、そんなの簡単に決められないって。ブイゼルのこれからのことだってあるし……」

これ幸いとからかっていると理解して、アカツキは口を尖らせたが、渋面はそのままだった。
というのも……

「パートナーポケモンって、普段は一体しか連れ歩けないんだよ。
ヒトミだって分かってるだろ?」
「だからって、二体以上パートナーにしちゃいけないってルールもないわ。そうですよね、クラムさん?」
「うん、まあね」
「うう……」

アカツキとヒトミのやり取りを見て微笑ましい気分になったのだろうか、クラムは楽しむかのように笑みなど浮かべながら頷いてきた。
ヒトミとクラムは暗に、このブイゼルを新たなパートナーとして迎え入れたらどうだと言っているのだ。
確かに、ポケモンレンジャーは複数のポケモンをパートナーにしてはいけないという決まりはない。
ただし、パトロールやミッションで連れて行けるのは一人につき一体に限られている。
大勢で乗り込んでは自然を荒らすことにもなりかねないし、そこに棲むポケモンを刺激する可能性が高いからだ。
少数派ながらも、複数のポケモンをパートナーとしているレンジャーもおり、ミッションを遂行する時は、場所や状況に応じて連れて行くポケモンを変えることがある。
ビエンタウンのレンジャーベースに所属するポケモンレンジャーに限って言えば、複数のポケモンをパートナーにしている者はいないが、決して禁止しているわけではない。

(でも、それって……)

アカツキはブイゼルとムックを交互に見やった。
レンジャーベースにいる時や非番の時はともかく、パトロールに出かける時、ミッションを行っている時は、どちらかしか連れて行けない。
連れて行かなかった方は留守番をしていなければならない。
下手をすれば、場所や状況に応じて連れて行くことから、意識せずして贔屓してしまい、最悪の場合は信頼関係を損ねることにもなりかねないのだ。
だから、簡単には決められない。
『あー』とか『うー」』とか唸っているアカツキを一瞥し、ヒトミはクラムに向き直った。

「クラムさん、ここはアカツキの問題だからあいつに任せて、あたしたちはちゃっちゃと被害状況の調査でもしましょう」
「そうだね、そうしようか」

クラムは彼女の考えていることを的確に読み取り、深く頷いた。
彼自身も、今のアカツキのように、新しいパートナーを迎えようかどうか迷い、悩んだことがある。
結果的には迎え入れなかったが、別にそのことで悔いが残っているわけではない。
アカツキがどちらを選ぶにしても、悔いが残らぬよう、しっかりと考えてから答えを出してほしいと思う。
彼だけでなく、新しいパートナーになりたいと思っているブイゼルのためにも。
だから、ここはアカツキをこの場に残して、自分たちが代わりに調査をしてきた方がいい。

「アカツキ。僕たちが調査をしてくるから、キミはラクアを頼む。
あの様子だと、一人でちゃんと歩けるようになるにもまだちょっと時間がかかると思うから、僕たちの代わりに彼女をレンジャーベースまで連れ帰ってほしいんだ。
お願いできるかな」
「あ……分かりました」

アカツキは『ぼくも行きます』と言いかけたが、とっさに言葉を変えた。
ヒトミとクラムのやり取りはまったく聴こえていなかったが、彼が暗に『キミ自身が決める問題だから、ちゃんと考えてから答えを出すように』と言っているのが分かったからだ。
スパッと決められればそれでいいのだろうが、あいにくと、アカツキはマジメゆえに思い悩みやすい性分なのである。
ただ、それを単純に話しただけでは、マジメゆえに傷ついてしまう。
だから、クラムはラクアを引き合いに出して(そんなことがバレたら、ミーナのドロップキックを背中に食らうことになるのは間違いないが)、アカツキに別の仕事を与えることで、ワンクッション置く形を取った。

「それじゃあヒトミ、行くよ」
「了解(ラジャー)♪」

クラムはヒトミを連れて、降りしきる雨の中を歩き出した。
アカツキはしばらく惚けた顔で二人の背中を眺めていたが、いつまでもここで立ち止まっていてはいけないと思い、ブイゼルに向き直った。






To Be Continued...

読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想