しんりょくのタマゴ

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作者:影丸
読了時間目安:31分



―1―


 ――ああ、あんたか。預かってたポケモンを育ててたら、なんと。ポケモンがタマゴを持ってたんだ。どっからもってきたかわからんが、あんたのポケモンがもってたタマゴだ。やっぱりほしいだろ?

 ――わたしがもらっちまうぞ。ホントはほしいんだろ?

 ――それじゃわたしがもらう。ありがとよ。





「と、まあそういうわけだ」
「そういうわけだ、じゃないでしょう」

 サザナミさんの手にあるタマゴを見ながら、僕は顔をしかめる。タマゴはみずみずしい若草色。ところどころに斑模様があり、預かっていたポケモンによく似ていた。

「仕方ないだろ。いらないってんだから」
「仕方なくないです。どうするんですかこれ」
「知らん。どうにかしろ」

 なんて無責任な。
 この人はいつもそうだ。面倒くさがりで、昼間から酒ばかり飲んで。たまに接客に出たと思ったら、こんな面倒を押し付けてくる。僕らがトラブルを持ち込むとやたら怒るくせに。
 とりあえず、片手でタマゴを持つのはやめてほしい。右手の缶ビールは机に置いて、両手で抱えてもらえないだろうか。

「で、なんでおれなんですか」
「お前が一番ヒマそうだから」
「タマゴのことはカサハラさんの方が詳しいでしょう」
「あいつ、出張行かせた」
「出張?」
「預かってたポケモン届けろとか客が言うから。隣町まで」
「だったら帰ってくるまで待てばいいでしょう」
「待ってるうちに生まれちまったらどうする」

 そう言われて、僕は返答に困る。
 タマゴが孵るまでの時間は、ポケモンによって違う。このタマゴがいつごろ孵るのか、知識のない僕たちにはわからない。そして知識のない僕たちには、生まれたばかりのポケモンをどう世話していいのかもわからない。

「けど、どうしろってんです。おれだって赤ん坊の世話なんてできませんよ。預けられても、どうしたらいいか」
「何言ってる。世話なんかしないぞ」
「は?」
「どっかにやってこいって言ってるんだ。赤ん坊の面倒なんかみてたら、仕事にならんだろう。そうでなくても、うちにこれ以上金にならんポケモンを抱え込む余裕はない」

 なにを言っているんだろう、この人は。
 確かに、うちに余裕はない。そだてやなんて大して儲からないし、こんな町はずれの寂れた店ともなればなおさらだ。
 だけど。こんないつ孵るのかもわからないポケモンのタマゴを放り出すだなんて、仮にもそだてやの言うことか。
 僕の非難の視線などお構いなしに、サザナミさんは続ける。

「ただでさえうちには、おまえが連れ込んだポケモンがいるんだ。特にあの放浪娘は役に立たん。働くポケモンなら考えもするが、赤ん坊じゃそうもいかない」
「けど、だからって」

 僕の反論を遮って、突然サザナミさんは僕にタマゴを放り投げる。とっさのことに僕は慌てて、どうにかタマゴをキャッチする。
 なんてことするんだこの人は。僕が睨んでも、何食わぬ顔でサザナミさんは缶ビールを呷る。

「いいから、どうにかしてこい。もちろん、仕事が終わってからだ。いいな」

 それだけ言うと、サザナミさんは事務所の奥へと引っ込んでしまった。
 まったく信じられない。だいたいうちに余裕がない理由のひとつは、あんたの酒代じゃないのか。

「そだてやサザナミ」は、都会の町外れにある小さなそだてやだ。周りに建物はなく、すぐそこは森。
 店長のサザナミさんは年齢不詳の女性。いつもサングラスにタンクトップ、ホットパンツという際どい格好で、そもそも客の前に出る気がないような人だ。なのになぜか、ポケモンには好かれる。不思議だ。
 そんな店なので当然お客さんも少なく、経営はギリギリ。それでもどうにかつぶれずに続いているのは、偏に従業員が優秀だからだ。特に、給料のかからないポケモンの従業員が。

 そんな優秀なポケモンのひとり、掃除係のタワシことコンパンが足元にやってきた。
 あんまりな名前だけれど、さすがに体で汚れを擦っているわけじゃない。小さな手で器用にモップを操り床を拭くのだ。
 気遣わしげに僕を見上げる心優しいタワシに、僕は力なく微笑む。そのタワシの後から、今度は人間の従業員、ヒマリさんがやってくる。

「ジロ、おつかれ」
「お疲れ様です、ヒマリさん」

 ヒマリさんは僕よりひとつ年上の21歳。サザナミさんの古い知り合いらしく、なぜか彼女を「ボス」と呼ぶ。
 ヒマリさん自身はサザナミさんとはずいぶん違う、作業着やエプロン姿が似合う大人しそうな女性だ。サザナミさんと同じくポケモンには慕われるけれど、愛想がなくて接客が苦手。無類の虫ポケモン好きで、タワシの主人もヒマリさんだ。
 ちなみに僕の名前はジロウなのだけれど、なぜか縮めてジロと呼ぶ。

「そのタマゴ、あの子たちの」
「そうです。さっきトレーナーが来て引き取ってったみたいで。けど、タマゴはいらないって置いてかれちゃったみたいです」
「そう。きっと強い子が生まれたんだね」
「え?」

 どういうことだろう。
 まさか、それって。
 僕の視線に小さく頷き、ヒマリさんが話してくれる。

「前にも、タマゴ見つかって。その時は、持って帰ってたでしょ。きっとその子が、強い子だったんだと思う」

 ヒマリさんが言っているのは、ポケモンが生まれつきもつ、才能のことだ。
 当たり前のことだけれど、ポケモンは同じ種類でも個体によって能力が違う。そして、本来ならば育ててみないとわからないその個体ごとの能力を、見抜くことのできる人がいるのだ。
 ポケモントレーナーは、捕まえたりタマゴから孵したポケモンをそういう人に見せて、そのポケモンがもつ才能を診断してもらうことがある。あらかじめそのポケモンの能力を知って、育てる方向性の参考にしたり、そもそも育てるかどうかを決めたりするのである。

「じゃあ、こいつは」
「強い能力のある子が生まれて、いらなくなったんだね。悲しいけど、よくあること」
「そんな」

 思い返してみれば、あのトレーナーがタマゴを受けとりに来たのは一回や二回じゃない。何度来ていたかは数えていないけれど、確かに僕は時々あのトレーナーが、ポケモンを引き取るわけでもないのにここに出入りするのを見かけている。
 普段タマゴに関係する業務を担当しているのは出張中のカサハラさんで、僕はこれまでみつかったタマゴそのものはあまり見ることはなかったけれど。

 あのトレーナーが出入りしていた目的がタマゴだったのなら。
 あのトレーナーがそもそも、育てるべきたった一匹だけを求めていたのだとしたら。

「それじゃあ、他のタマゴから生まれたポケモンたちは……」
「預けられたか、逃がされた。よくあることだよ、今に始まったことじゃない」

 冗談じゃない。ヒマリさんの言う通り、こんなのはよくあることだ。そだてやなんかで働いていると、そんなトレーナーはよく目にする。だけどそれでも、冗談じゃない。そだてやをやっているからこそ、それがどういうことなのかはよく知っている。

 そだてやに預けられるポケモンは、既に見放されかけている。サザナミさんが、よく口にする言葉だ。そもそも自分で育てる気があるなら、そだてやになんて連れてこない。自分の手では育てられないから。手に負えなくなったから。思い通りに育たないから。だからそだてやに預けるのだと。そして、見放されているのは、なにもそだてやに来るポケモンだけじゃない。

 捕まえられても、トレーナーと共に旅することはなく。どこかへ預けられ、必要な時だけ呼ばれ、あとは放っておかれる。そんなポケモンはたくさんいる。
 そしてそれは、生まれたばかりのポケモンも同様だ。才能のないと判断されたポケモンは、どこかに預けられたまま放置されるか、逃がされる。

 けれど野生は、よそ者に冷たい。異物は排除される。逃がされて、生息地でもない場所に突然やってきたポケモンが、そうそう受け入れられることなんてない。
 生まれたばかりのポケモンに、そんな世界を生き抜く力などあるはずもない。

「ジロ、顔色が悪い」
「すみません。けど」
「あんまり、気にしない方がいい。割りきなきゃ、この仕事はできない」
「わかってます。わかってますけど」

 これまであのトレーナーの手に渡ったタマゴから生まれたポケモンたちが、どうなったのかはわからない。
 どうしてやることもできない。

 それなら、せめて。
 今ここにいる、このタマゴから生まれる命だけは。

「ジロ、行っていいよ」

 ヒマリさんが、僕の目を見る。
 ヒマリさんの瞳にある感情は、僕には読みきれない。悲しそうな、憤っているような、気遣っているような、慰めているような。僕なんかには読み取りきれない、いろんな感情が、そこにある。

「ジロの仕事、やっといてあげる。だから、行っていいよ」

 ヒマリさんは、がんばれとか、助けてあげてとか、そういうことは言わなかった。ただそっと、背中だけを押してくれた。
 それを形にするように、タワシが器用にモップの柄で、僕の背中をとんと叩く。虫と毒のポケモンながらエスパーの力も使えるコンパンには、僕らの言葉や気持ちがわかっているのかもしれない。

「行ってきます」

 僕はタマゴをきゅっと抱えて、駆け出した。




―2―

「んデ、なアーんでおれんトコにもってきちゃうわけヨ?」

 町の南端、港のはずれ。浅黒い肌にアロハを着崩した友人、カインが、じろりと僕を見ながら言った。それからタマゴに視線を向けると、いかにも面倒くさそうな、呆れたようなため息をつく。

「ホンっとうニ、つくづくだよなアこのお人好しメ」

 カインの言葉に呼応しているのかどうだか、すぐそこで佇む超巨体ポケモンが「ブオオオオオン」と腹の底に響く声を上げる。名前はブルーホ。通称「客船ホエル号」。丸太を組んで作っただけの簡素な客室を背中に括りつけて客船と言い張られている、かわいそうなホエルオーだ。
 そんな「ホエル号」の船長兼、社員一名と一頭の船舶会社社長は、自分の粗末な経営手腕は棚に上げ、残念なものを見る目で僕の肩を叩く。

「オマエ、ゼッタイ出世しないゼ」
「知るか、部下の一人もいないくせに」
「ナニ言ってやがル、ウチのブルーホは豪華客船にしてダイジな社員ヨ」
「はいはい。それで、心当たりとかないか」
「ねーヨ。そんな毎度毎度ツゴーよク、ポケモン欲しがってるヤツなんザいるもんかってノ。だいたいしかもタマゴだろオ? そんなメンドーテメエから引き取りてエなんて物好きだゼ」

 そんなことはわかってる。けれどカインは、儲からずとも事業を続けているなりに顔だけは広い。だからこいつに聞けば、タマゴの貰い手のひとりくらい見つかるんじゃないかと期待したのに。
 そんな僕の希望に反して、友人はそっけない言葉を返す。

「珍しいポケモンなら欲しがるヤツもいるだろうケド、タマゴって要は赤ン坊だゼ? 孵るマデも孵ってカラも世話はタイヘン、金も時間もとられるとくりゃア。ま、難しイだろうなア」
「そこをなんとか、探せないか。できれば、いや、間違いなく、ちゃんと世話してくれる人を」
「難しイってんダロ」

 カインは即答する。
 腕の中でタマゴが、ことんと動いたような気がした。とたんにぐっと、重さが増したように思えて。
 僕はどうにか食い下がろうと、カインに視線を向ける。

「なあ、それでも」
「難しイ、つってルだけダ」

 言葉を遮ったカインが、僕と目を合わせる。

「イチオウ、探しといてやるヨ。期待はすんナ」

 横顔で視線だけを向ける友人の、それでも真剣で、共感して、そのことに自分で呆れているような瞳を。僕は一度、はっきりと見返す。少しだけ、つい、笑顔がこぼれた。

「ありがとう。頼む」

 腕の中のタマゴがまた、とくんと動いた。
 ああ、大丈夫。
 なにも心配しないで、元気に生まれてくればいい。




―3―

「んー、そのトレーナーなら、さっき店に来たね」

 重要な証言が聞けたのは、それから何か所かの心当たりを巡ってやってきた、街中の薬屋だった。大きなデパートなどに比べて安い薬を扱ってるので、僕も時々お世話になっている。

 今は他にお客がいないらしい店にふと視線を向けると、店の奥になぜだか見知った姿が見えた。僕の気配に気付いたのか、そいつもぴくんと大きな耳を立ててこちらを見る。
 いつの間に来ていたのか、それは放浪癖のある僕の相棒、エモンガのアマグリだった。
 怪訝な視線を向ける僕に構わず、アマグリは何食わぬ顔でぴょこぴょこと近づいてくると皮膜を広げ、ふわりと僕の肩に飛び移る。
 見ないと思ったら、こんなところにいたとは。こいつ、そだてやの敷地で食っちゃ寝していたと思えば気付くとふらっといなくなり、町や森に出かけていることがしょっちゅうなのだ。
 そだてや的には何の役にも立っていないので、サザナミさんからはタダ飯食らいと煙たがられている。僕からしてみれば働かないという意味で、どちらも大して変わらない。

「ああ、アマちゃんならついさっきふわーっと飛んできてね。うちの居候と遊んでたんだよ」
「毎度のことながら、すみません」
「いいさ、うちのも楽しそうだし」

 そう言って薬屋の主人、ナルミさんはあははと笑う。ポケモンにも人間にも面倒見がよくていつも快活なナルミさんは、アマグリのことも例外なく可愛がってくれている。訳あって人見知りなアマグリもそんなナルミさんにはよく懐いていて、ここにはよく遊びに来ている。らしい。

「それで、そのトレーナーのことなんですけど」

 僕が気を取り直して聞くと、くすぐるようにアマグリの顎を撫でていたナルミさんも、「ああ、そうそう」と言って話を続けてくれる。

「たぶん、キミの言うトレーナーで間違いないと思うんだけど。最近生まれたポケモンに使うんだーって言ってね、マックスアップとかキトサンとか、そういう薬をけっこう買い込んでったよ。お金持ってるんだねえ、最近のトレーナーは」

 なるほど、いかにもな買い物だ。ナルミさんが口にした薬はどれも、ポケモンの能力を調整するのに使われる、高価な薬。いくつものタマゴを孵して選び抜いたポケモンにだからこそ与えるものなんだろう。
 そして、選ばれるどころか考慮にも入れてもらえなかった姿なきポケモンが、ここにいる。
 アマグリがタマゴに気付いて、不思議そうにこんこんと指でつついた。

「そのトレーナー、どこに行ったかわかりませんか」
「さあ、わかんないなあ。ていうか、わかったところでどうするの。タマゴ突っ返そうってわけでもないんでしょ?」

 当然だ。あのトレーナーに返したところで、まともに育てるはずがない。
 会って、どうするかなんてわからない。ただ、なにがしかの責任くらいはとらせたい。
 生まれるのは、命なんだ。
 ポケモンを預けたトレーナーも。預かり、タマゴをみつけた僕らそだてやも。
 その命を、軽く扱うなんてあってはならない。

「責任は、おれたちにもあります。だけど、だからこそ。もしあのトレーナーがこれからも同じことを繰り返そうとするなら、それは、そのままにはしておきたくありません」
「それはまあ、わかるけどさ。そだてやは、キミんとこだけじゃないんだよ。キミが何か言ったって、そのときは他所に行くだけだと思うけど。だいたい、そういうトレーナー相手に商売するのが、キミたちの仕事じゃないの」

 それは、その通りだ。
 そだてやは、トレーナーに代わってポケモンを預かり、育てるのが仕事。けれど昔、そだてやという特殊な環境でポケモンのタマゴが見つかり、それがトレーナーたちに広まって。それからも多くのタマゴが各地のそだてやで見つかるようになってから、トレーナーがそだてやに来る目的は変わった。
 実際うちでも、タマゴの発見を期待されたつがいのポケモンたちを預かることは少なくない。
 もちろん今もポケモンを鍛えてほしいという依頼はあるし、ペットホテル代わりにそだてやを利用するお客さんもいる。
 けれど、タマゴを求めるトレーナーたちがそだてやにとって重要なお客さんであることは間違いのない事実だ。

 だけど。
 それにしたって、お客さんならなにをやっても見過ごせるってわけにはいかない。
 命に責任を持とうとしないトレーナーが増えて。
 僕らそだてやがそれを見咎めることなく、いいように商売をしてしまったら。
 そうやって生まれてくる多くのポケモンたちは、どうなってしまうのか。

 そんなこと、許容できない。少なくとも、僕は。

 タマゴを抱える両腕に、力を込める。
 今こうしてる間にも少しずつ、この世界に生まれる準備をしている命。
 それは、こうして命を腕に抱いた僕たちが、守っていくべき責任なんだ。

「わかるけどね。キミの気持ちや考えも。まあ、探しといてあげるよ。タマゴの貰い手も、そのトレーナー君もさ」
「すみません。ありがとうございます」

 タマゴを抱いて頭を下げる僕に、「そんなに、期待しないでよね」と苦笑した声で言うナルミさん。僕が動いたことでバランスを崩したアマグリが、ひょこひょこと肩から頭に乗り移る。
 誰だって、そんな簡単に責任なんて背負えない。押し付けることもできない。それが命となれば、なおさら。だからこそ、僕は。

 その時だった。
 頭の上のアマグリがなにかに気付いて、ぴょこんと動くのがわかった。どうやら後ろに人が来たらしい。
 薬屋のお客さんかと思って振り返った僕は、その人物の顔を見て、思わず固まった。
 顔を上げた僕の頭にアマグリがしがみつく、そんな小さな手足の感触だけが、妙にはっきりと感じられる。

「すいませーん。ちょっと足りない薬があって。ブロムヘキシンひとつもらえます?」

 見覚えのある顔だった。タマゴの受け渡しこそしていなかったけど、僕も何度か接客したことがある。
 僕よりいくつか年下に見える少年。僕の勝手な印象がそうさせるのか、ずいぶんと軽薄に見えるヘラヘラした表情を浮かべている。

 僕の視線に気づいたようで、少年も僕の方を見た。彼の方は、僕の顔など覚えていなかったようだ。ただ着けっぱなしだった「そだてやサザナミ」の文字が入ったエプロンを見て、僕が何者なのかは察したらしい。少し怪訝な顔で僕の全身を順に見て、腕のタマゴに視線を止める。

「あっれー、それ、さっきのタマゴっすか? ていうか、そだてやさんっすよね。なんでここに? けど丁度よかったっすわ、後でまた行かなきゃなーって思ってたんで」

 軽い調子の話し方が、妙に耳にざわつく。ていうか、なんだって? 丁度いいってどういうことだ。これ以上、いったい何を言い出すつもりだ。
 僕が警戒の色を強めていることなど知る由もなく、少年はぽりぽりと頭の後ろを書いて、調子のいい笑顔を浮かべる。

「いやー、なんつーか。さっきはまあ、いらないって言ったんすけどね? ちょーっと考え直して、惜しいことしたかもって思ったりして。そのタマゴ、やっぱしもらっとこうかなーとか思ってんすけど、いいっすか?」

 僕は一瞬、何を言われたのかわからなかった。
 今、なんて言った。
 惜しいことした。やっぱしもらっとこう。そんな言葉が頭の中で吟味され、意味を紡いで。それでも、理解はできなかった。
 いったい、何を言っているのだろう。
 今頃、やっぱり引き取ると? なんのために? ちゃんと育てる気になったのか? まさか。けどそうでないなら、なぜ。
 いまいち思考が追い付かないうちに、疑問の答えはすぐ、本人の口から語られた。

「いやー、一応それも孵化して調べたら、もしかしたらもっとイイヤツが生まれるかもしれないじゃないっすか。そうでなくても、コイツ、けっこう珍しいポケモンでしょ? ウチで使わなくっても、他の珍しいのと交換できるかもしれないんすよねー」

 もっとイイヤツ。珍しい。ウチで使う。
 少年の口にした言葉が、頭の中をぐるぐる回る。
 なんだ。なにを言っているんだ、こいつは。

「トモダチに話したら欲しいってヤツもいたし、この地方じゃまだないけどどっかでGTSとかにアクセスすりゃあ、けっこういいセンいくんじゃないかなって。マジで惜しいっすわ、もう何匹か逃がしちゃってっから。でっかい声じゃ言えないっすけど、うまいことやれば金になったりとかもありえるかもで」
「もういい」
「へ?」
「いいから。もうやめてくれ」
「ちょっと、ジロウ君」

 僕の様子を察したのだろう、ナルミさんが、少し咎める調子で僕をなだめようとする。
 すみません、ナルミさん。確かに僕がこれから言おうとしていることは、仮にも店のお客さんに対してぶつけるような言葉じゃない。
 だけど。それでも。

 もう何匹か逃がした?
 金になる?

 聞いていられない。これ以上は。
 聞かせられない。相棒にも、腕の中のタマゴにも。

 僕の頭上で、いくらかの内容を理解したらしいアマグリが、バチバチと感情を荒立てる。
 そうだよな。お前には、こんなの。
 許せるわけ、ないよな。

「どこへやった」
「は?」
「逃がしたポケモンたち。どこで放したんだ」
「なんでそんなこと聞くんすか。横取りとかカンベンっすよ? それよりそのタマゴ、もともとウチのなんだし、いいでしょ? 返してくださいよー」

 なんなんだろう、これは。
 普通のことなんだろうか。
 よくあることなんだろうか。
 それで済ませて、いいことなんだろうか。

 こんなこと、みんなやってる。
 そんなトレーナーは大勢いる。
 だから、仕方ない。

 本当に?

「ふざけるな」

 わかってる。
 この少年だけが、特別ひどいヤツなんじゃない。
 みんなやってるから。
 それが当たり前だから。
 罪悪感とかそんなもの、どこかへとんでしまったのだろう。

 ずれているのは、僕の方なのかもしれない。
 こいつ相手に怒ったところで、根本的には解決しない。
 なにも変わらない。

 違う。

「自分が何を言ってるのか、考えてくれ」

 少なくとも、変えられる。
 生まれたばかりの、まだ何も知らないであろう命と。
 今ここにいる、もうすぐ生まれようとしている命の。
 生まれてきた世界を、ほんの少しだけ、優しくすることが。

 今ならまだ、できるはずなんだ。

「君が逃がしたポケモンたちを、迎えに行こう」

 腕の中で、タマゴの鼓動が強まる。
 ああ、わかってる。
 お前のきょうだいを、このままにはしておかないから。

「わかるだろ。生まれたばかりで、親もいない。このままじゃ危険なんだ。君だってそんなの、寝覚めが悪いだろ。まだ、助けられるかもしれない」
「いや、ちょっ。さっきからマジ、何言ってんすか。そりゃ連れ戻しにはいきたいっすよ? けど、なんかな。ちょっとあんたが何言ってんだか。そんな、マジになんないでくださいよ」
「どうしてだ」

 どうしてなんだ。わからないのか。
 わからないんだろう。考えたこともないんだろう。
 だから、あんなことが言える。逃がしたりできる。
 わかってる。
 彼が特別悪いんじゃない。
 けど。それでも。

 アマグリの帯電が強まる。感情が膨れ上がって、抑えきれない。

「マジになるな? なにを言ってるんだ。命なんだぞ。この中には。これから、もうすぐ生まれるんだ。命が、ここに入ってるんだ。わかるだろ。生きてるんだ。モノじゃない。当たり前だろ」
「いや、だからね? そりゃまあ、そうっすよ? けどさあ、そんな、ちょっと怒んないでくださいよ。みんなやってるでしょ。トレーナーってそういうもんでしょ。ねえ、やめましょ。ていうか、ほら。タマゴ。それ、くれようとしてたモノだったじゃないっすか。いいでしょ、ね」
「モノじゃないって言ってるだろ!」

 バチイッッ!!
 頭上から、紫電の筋が迸る。
「あっぶねえ!」と、少年が驚いた声を上げる。

「考えろ。なあ。考えろよ、自分の頭で。わかるだろ。誰がやってたって、いいわけないだろ。ポケモントレーナーだろ。ポケモンのこと、考えろよ。わかるだろ」
「いや、なんなんすか、マジで。危ねえっすよ、今の。当たったらどうするんすか。カンベンしてくださいよ」
「考えてくれ。わかるだろ。わからないわけないよな。旅してるんだろ。ポケモンと一緒に、生きてるんだろ。ポケモンに助けられてるはずだろ。だったら、わかるよなあ」
「いや、ねえっすわ。マジで。ありえねえ。客っすよ。謝ってくれてもいいんじゃねえっすか。それともなんすか。やるんすか」

 少年が、モンスターボールを構える。
 そうか、そうだよな。

 この世界は、単純だ。
 意見が割れたら戦えばいい。
 そのためにポケモンがいる。
 僕ら人間が痛い思いをしなくても、決着がつけられる。
 トレーナーの世界は、単純なんだ。


 くそくらえだ。そんなもの。


 アマグリが、バチッと少年の手に電撃を放つ。「っ痛え!」と声を上げ、少年がモンスターボールを取り落す。けど、それだけだ。よく、手加減してくれたな、アマグリ。えらいよ。本当にえらい。お陰で僕も、殴るまではせずに済みそうだ。

「うわっ、ちょっ」

 僕はよろける少年の胸ぐらを掴み上げ、無理矢理に立たせる。少年は驚いた顔をして、しかしすぐに僕を睨み返す。それから何か言おうとして、けれどとっさに口をつぐんだ。僕の頭上でアマグリが皮膜を広げ、バチバチと放電で威嚇していたからだろう。

「ポケモンを逃がした場所を言うんだ」

 少年はまだもごもごと何かを言おうとして、けれど視線を上に向けて顔が青ざめて。
 仕方なさそうに、首を縦に振った。




―4―

 結局ほとんどアマグリのお陰で、逃がされたポケモンたちの居場所を聞き出すことができて。
 けれど僕はそこに向かう前に、まずはタマゴの行方を決めることにした。
 腕の中のタマゴが、とくとくと小刻みに動くようになったからだ。

 ポケモンのタマゴは、元気なポケモンといっしょにいた方が早く孵ると聞いたことがある。
 もしかしたらアマグリがバチバチやっていたことが、タマゴの中まで影響を与えていたのかもしれない。

「ここかな」

 町の北、ほとんど森のような深い木々に囲まれた道を少し歩いたところに、その家はあった。

「知り合いの薬剤師が町はずれに住んでてね。医療の知識もあって小さな診療所もやってるんだけど、その人よく森の中でケガしたポケモンひろって面倒みたりしててさ。専門が草ポケモンみたいなことも言ってたし、多分その人なら面倒みてくれんじゃないかな。ただ、あんまし色々押し付けないでやって。キミに負けず劣らすのお人好しで、ただでさえ面倒抱え込みやすい人だから」

 逃げるように去って行った少年を見送ってため息をついた後、ナルミさんがそう前置きして教えてくれた場所。はじめにタマゴを持って訪ねた時すぐに紹介してくれなかった理由は、先の言葉の通りだ。
 だからさすがに、これから迎えに行くポケモンたちまでみんな任せるなんてわけにはいかないけれど。少なくともこのタマゴだけはなんとかなりそうで、善は急げとやってきた。

 森の中、ひっそりと佇むように建っている、丸太造りの家。そこには確かに、薬屋兼診療所を示す控えめな看板がかかっている。
 食事の用意でもしているのか木の実の焼ける香ばしい匂いがここまで漂っていて、肩の上でアマグリのお腹が情けない音を立てる。小突いてやろうと思ったら僕の腹の虫まで鳴き出し、おまけにタマゴまでくんくんと腕の中で動いて、思わず少し笑ってしまう。
 そうしている間に孵ってしまっては大変なので、僕は少し歩みを速めて家の前に立ち、扉をノックした。

「はーい」

 愛想のよい返事が聞こえて出てきたのは、シンプルなデザインのエプロンを着けた、優しそうな顔立ちの小柄な女性。この人がナルミさんの紹介してくれた、アイハさんという人なのだろう。
 草ポケモンが専門という情報に間違いはなさそうで、傍らにはほっそりとした上品そうなポケモン、リーフィアが、少しだけ警戒するように僕達を見上げている。

「えーと、どういったご用でしょう。ポケモンがご病気……には見えないので、お薬ですか?」

 なるほど、今も家の中から漂う匂いに鼻をひくつかせているアマグリを見れば、診療所の用事だとは思うまい。
 僕は少しばかり恥ずかしくなりながらも、動くタマゴに気を取り直して、事情を簡単に説明する。
 アイハさんはすぐに話を理解し、詳しい話をと家の中へ通してくれた。

 思っていた以上にスムーズに、話はついた。こんな森の中で繋がるものかと驚いたけれど、どうやらポケギアでナルミさんが話をしてくれていたらしい。

 タマゴは、無事に引き取ってもらえることになった。
 これだけあちこち動き回って色々あったのに最後はあんまりうまくいったので、少し拍子抜けしてしまう。

 仕事を片付けるから少し待っててとアイハさんは言い、それまでくつろいでいてくれというお言葉に、僕等は甘えることにした。
 待合室代わりなのだろう大きな窓のある部屋でお茶をいただきながら、膝にのせた座布団の上のタマゴを、そっと撫でる。

 よかったな。
 あの人なら、きっと心配いらない。
 窓際で行儀よく、のびのびと日向ぼっこをしているリーフィアをみても、間違いない。大切に面倒をみてもらえるだろう。

 生まれてくるポケモンにとって、優しい世界。
 用意したのは、僕じゃない。
 けれど、いいんだ。
 これで、いい。

 もらったおやつをばくばくと頬張っているアマグリに苦笑して、僕はお茶を置いてタマゴを抱える。
 大丈夫。お前のきょうだいたちもきっと、優しい世界に連れて行くから。
 だから、安心して。
 なにも心配しないで、生まれてくるといい。

「あら。その子、もうすぐにでも生まれそう」

 いつの間にか近くにやってきたアイハさんが、タマゴを覗き込んでそう言った。
 確かにタマゴは、一層元気にことことと動き出している。
 ならば。

 僕は彼女の腕に、タマゴをそっと手渡した。
 生まれるのは、僕の腕の中ではいけない。
 僕は、ここまで。
 これからお前は、ここで暮らしていくのだから。

 快くタマゴを受けとってくれたアイハさんは、出てきやすいようにと少しタマゴを持ちかえて、タマゴの表面を優しく撫でる。それに応えるように、ピシ、と、タマゴの一部に亀裂が走った。

 ピシ、パキ、ピキピキ。
 少しずつ、タマゴの殻がはがれていく。
 パキン、と少しはっきりとした音がして、タマゴが上下のふたつに割れる。
 その上側の蓋を押し上げるようにして、中のポケモンが伸びをして。
 ことん、と、タマゴの殻が落っこちた。

 顕わになったのは、若草色。
 親のポケモンに似たぶち模様が、既に薄くついている。
 ころんとした体の背中には、小さく膨らむ新緑のタネ。
 いずれ、育ち、変わっていく。強く大きな、深緑へと。

 そうっと、うっすらと、目を開く。
 その紅い瞳が映す世界が、どうか。


 優しい居場所で、ありますように。




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