Ⅷ 終幕は未来への序章

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 強かったのが、驚愕か、それとも憤怒か。どちらだったのか覚えていないし、どちらかだけだったということもなかった。
 いうなれば、それは、単なる衝撃だった。
 言葉で知っていたものを、事件として知っていたものを、目の前に放り出された時に感じる、筆舌に尽くしがたい感情だった。

 自分を廊下に連れ戻したシヴァと、部屋に踏み込んだラファイルと。初めて三人の経験の差が露わになった場面でもあった。吐き気こそ堪えることができたけれど、オーランはしばらくその場から動けなかった。脳に飛び込んできた「声」、「声」、「声」――そして、視覚に刻まれた狂気の沙汰(さた)としか思えない景色に、息を吸って、吐く。その動作だけでやっとだった。

「……安心しろ。大人でもあんな光景見せられて、衝撃を受けないやつなんていない」

 なだめるような、ぽつりと落とされた声は一つだけ。

 心配そうに覗き込むキルリアの気配を感じながら、オーランはしばらく、声を上げずに涙した。







「シヴァ! 来てくれ!」

 突然の呼び声に顔を上げ、けれどそのまま立つのは躊躇する。その躊躇を感じ取ったのか、オーランはゆっくりと、こころもち震えながら立ち上がった。ここで待っていてもいいのだという自分に、青い顔で。

「気遣いはうれしいけど、それに甘えたらエージェントになれない」

 だから行く、と主張するオーランに迷ったのは一秒ちょっと。

「きつくなったらすぐに出ろよ」

 それだけ言ってシヴァは先に部屋に入る。ちらりと視線を流すと、一番ひどかったところには白い布がかけられて見えなくなっている。ラファイルの気遣いに微笑しながらその姿を探すが、……どこ行った?

「こっちだ、シヴァ」

 きょろきょろしていると機械の間、わかりにくいところに据えられた出入り口からラファイルが顔を出した。オーランがいることにちょっと目を見張ったものの、特にコメントはせずに。

「ボールをくれないか? 八つ」
「八? えーと、今手持ちは二つしか……」
「俺が持っている。まだ……生きている子が?」
「ああ――こっちだ」

 ラファイルは言葉少なにひっこんだ。研究室に隣接するその部屋にはハクリュー、もとい、カイリューが入っていた檻とは違う、電磁シールドによる檻が据え付けられていた。その中にいるポケモンたちに二人は目を見開く。

「イーブイじゃないか! それを……八匹!?」
「たぶん、繁殖か……あるいはクローン技術で増やしたんだろうな……この子なんてまだ子供もいいところだ。かわいそうに」

 ラファイルは沈痛そうな表情をしながら手早くロックを解除していく。その中にぐったりとしているイーブイたちを、オーランとシヴァは二人で捕獲していった。

「イーブイは遺伝子が不安定で、現在五種類もの進化が確認され、またそれ以上の進化の可能性をもったポケモンだ。外見がかわいいため、ペットとしても需要がある。密売ルートに乗りやすいポケモンではあるんだけど……ここは特にひどいな……」

 最後のイーブイを保護し、キルリアにほかに生きているポケモンがいないかを確認し、三人はいったん上に上がって増援を呼ぶことにした。



 *   *   *



 その後詳しく調査された施設の概要とチーム・バラストのエージェントの証言によって、ここにいたのはホウエンに暗躍する秘密結社、アクア団の科学者たちであったことが判明。予想外に大捕り物になってしまったため、特に少数で本拠地に侵入しその全容を暴いた三人には注目が集まった。

 特にオーランは最近、トレーナーやエージェントたちの注目を集めていただけに、水面下で広まるだけだった噂はここにきてついに暴発、一気にオーランの名前を世界に知らしめた。ついでにその所業も白日の下にさらけ出されてしまったため、この時のオーランの各チームへの道場破り行為はのちに、「“黒”の討ち入り伝説」と皮肉と尊敬をこめて言われるようになったのである。

 ちなみにオーランは、その後もしばらく大会荒らしを続けた。騒がしくなったホウエンを離れてカントー・ジョウト地方にて四か月。さすがにチームへの道場破りはやめたものの、大小問わず、様々な大会で優勝しまくり、ここに“黒”の討ち入り伝説と優勝伝説はなったのだった。







 そして、後日談。

 カントー・ジョウト地方を一通りめぐり終え、ホウエン地方に戻ったオーランは、とりあえずとばかりにディラに顔を出した。シヴァはすぐに戻ってくるとの事だったので、リベンジと挑んできた相手を次々に下しながら待っていると。

「……人のチームで、また何やってんのさ、お前。オーラン」
「リベンジだってさ。もうすぐで終わるから、ちょっと待っててくれないか?」

 試合時間を短縮するために公式ルールでバトルしているオーランと、かつて彼がこてんぱんにしたディラのエージェント。バトル中だというのに律義にこちらに顔を向けてくる彼に対する呆れは、わずかな苦笑という形でこぼれた。

「まあ、いいけど……指示出してやれよ。ライボルト避けっぱなしだぞ」
「あれは遊んでるだけ。全っ然本気にならないんだから、まったく」
「実にトレーナーによく似たポケモンじゃないか」

 つまり、人のことおちょくるにもたいがいにしろよというところなのだが、オーランもライボルトもそろって不思議そうにシヴァを見た。バトル中だってのに。

「隙ありっ! ソルロック火炎放射!」
「っと、フラッシュ! 決めるぞ!」

 体内に蓄積されたエネルギーが光に変換され、ソルロックが「火炎放射」を放つ、その寸前に周囲に放散される。ひるみは一瞬。視覚を閉ざしたソルロックはうろたえることなく攻撃を続行。けれど「火炎放射」の線上に、もうライボルトはいなかった。

 同じくエネルギーによる大気の膨張はソルロックの真上で。

 「高速移動」も真っ青の俊足で敵の真下にもぐりこんだライボルト、その「避雷針」めがけて「雷」が突っ走った。

「おお、避雷針の応用か」

 かなり修練を積んだトレーナーが使う戦法を見て、シヴァが感心した、その先でオーランは対戦相手に一礼してトレーナーズサークルから出た。ライボルトがてくてくとその後ろに続く。

「多少は対戦相手に敬意を払うようになったんだな?」
「言うな、もう、頼むから……あれは俺が悪かったって」

 この半年近くにわたって散々な目にあってきたオーランはがっくりと肩を落とした。この失敗談が一生自分について回ることはほぼ確定である。たきつけたケイガを恨む気持ちでいっぱいのオーランを自分の部屋に誘う。

「ピアス穴、空けたんだな」
「ああ、これか」

 シヴァは右耳につけられた黄水晶のイヤリングに触れた。

「あの件でよくわかったって。俺は潜入には向かない」

 細長いダイヤ型のそれは、〈断罪の剣〉ディラのエンブレムだ。もっともディラにわずかにいる、潜入や諜報などを請け負うエージェントたちはそれをつけていない。シヴァも、あのころはまだ自分の専門を何にするか迷っていた時期だったので、ピアス穴をあけていなかったのだ。しかしラファイルにくっついて行った経験で確信した。自分は決定的にああいうことへの適性がない。

 ふと、よもやそのことを気付かせるためにわざわざ自分を突入部隊にしたんじゃあるまいなとスズランに対する疑念が持ち上がったが、一秒で否定した。ミナトならともかく、スズランでは……ないだろう。

「そういえば、最初に聞こうと思っていたんだけど、あの事件、結局のところどうなったんだ?」
「報道見てなかったのか?」
「報道からは逃げるだけで精いっぱい。いや、バラストが取り潰しになったこととか、あの施設がアクア団のものだったらしいとか、その辺は聞いている。けど……」少しだけ言いよどんで。「あのイーブイたちのこととか……」

 「あー」と声を上げながら、シヴァはふといたずら心が頭をもたげたのに気づいた。おりしも彼の部屋まではあと少し。

「あのイーブイたちな……うん、ディラで保護して、元気になったらハイフォンとかの保護施設に預ける予定だったんだけど……」
「何かあったのか?」
「あったというか、何というか……」

 言葉を濁しつつ、部屋のロックを解除する。

「ま、見た方が早いだろ」

 妙にしたり顔で言い、シヴァはがちゃっとドアを開けた。
 次の瞬間。

「――――うわ――――っ!?」

 ふわふわの「毛玉」たちが一斉にドアから飛び出し、オーランに「襲いかかった」。

 半歩引いて毛玉の襲来を避けたシヴァは、見事に引き倒されたオーランにちょっとだけ目を見張った。

「おお、いつもより熱烈歓迎。ひょっとしてこいつが誰だかわかってんのかな? お、リリィ。ただいま」

 茶色の毛玉の中から一匹、優雅な薄紫色の四肢をしたポケモン、エーフィがシヴァの足元にちょこんと座った。喉をなでられると、気持ちよさげにしっぽを揺らす。さらに主人の危機をのほほんと見物しているライボルトに気付くと、足をそろえてちょんと頭を下げた。ライボルトはそれに対してリリィの頭をひとなめする。実に心温まるポケモンたちの交流である。
 そのほのぼのとした光景の合間、毛玉にもみくちゃにされているオーランがとうとう大声を上げた。

「なごんでいるなっ、シヴァ、ライボルト! いい加減こいつらをどかせろ――っ!!」







 オーランを奇襲した毛玉たちは、言わずもがな、件の研究施設から救助されたイーブイたちだった。
 救助した者の責任ということで、ある程度体が回復したあたりからシヴァが面倒を見、人間やほかのポケモンを怖がらないようだったら施設に移そうという話だったのだが、イーブイの内の一匹、リリィがエーフィに進化したことで状況が変わった。「そんなになつかれているのならそのままお前が面倒見ればいい」とは某リーダー言である。ほかのイーブイたちにしてもシヴァにひどくなつき、その後ろをカモネギの親子のごとくちょろちょろついて回るほほえましい光景はよくみられたので、ディラを動かすほかの実力者たちにしてもいなやはなかった。

 なかった、が。一つだけ問題があった。

 ずばり、持ち運ぶポケモンの数である。

 イーブイズ+リリィを持ち運ぶのなら彼の手持ちは一気に十一体になってしまう。二桁だぞ二桁。ポケモン協会の公式ルールでは一人のトレーナーにつき六匹と決まっている手持ち、十一匹というのは彼自身遠慮したい。それにイーブイズ+リリィはまだ要修練、このままでは危なっかしくて現場には連れていけない。彼女たち自身の心の傷がどれほどなのかもまだわかっていないし。

 と、いうことで。リリィたちはシヴァが仕事の時はおとなしくけなげにお留守番と相成ったのであった。







「イーブイたちはシヴァが引き取ることになったかあ……」

 八畳ほどの部屋はシヴァに与えられた生活空間だ。ベッドとわずかな私物しかない場所で、イーブイたちはちょろちょろとよく跳ね回っている。オーランはそれらから逃げてベッドに寝転がっていた。礼儀にかなっていないぞと言われても、疲れた。
 そりゃあイーブイはかわいいさ。虐待された様子もすっかり薄れ、毛玉になって遊んでいるところとか、見ているだけで微笑みが浮かぶ。けれど、その子供だからこそ加減というものを知らないイーブイ七匹にそれっとばかりに襲い掛かられて(まとわりつかれて)みろ、逃げたくもなるってもんだ。

 その様子に笑いをかみ殺すシヴァだが、全然成功していない。

「お前。図ったな……」
「い、いや、ちょっとした、遊び心だって。にしてもこうまできれいにはまるとは……くっくっく」

 肩を震わせるシヴァに空のボールを投げつけるオーランであった。







 そして、一時間ほど雑談と世間話と情報交換と意見交換をして、別れ際。

「これからお前はどうするんだ? またトレンでケイガと修業?」
「いや、一度は戻るけど……ケイガに恨み言も言ってやらないと割に合わないからな。でもそのあとは多分、一人立ちかな」
「一人立ち? エージェントとして? お、それならディラに来ないか? いろんな意味で歓迎されると思うぞ」
「遠慮する」

 正直すぎるシヴァのセリフに即行で断り、フォローを入れる。

「どの道、俺は集団行動には向かないさ。自分でチーム立ち上げて、しばらくやってみるよ」
「それは残念。まあ、協力なら惜しまないから、訊きたいことがあったら訊いて来いよ」
「ありがとう。だけどそんな暇、なくなるんじゃないか?」
「ん?」
「だから、ほら……」

 シヴァがディラの次期リーダーとして擁立(ようりつ)されるために教育されているのだということを、噂話で知ったオーランはそのつもりで言ったのだが、知らぬは本人ばかりなり。不思議そうにしたシヴァにそのことに気付き、なんでもないとごまかす。その様子に首をひねったシヴァだが。

「それじゃあ、また、どこかで」
「ああ、どこかの戦場で会おうぜ。……そうだ。まだ名前教えてなかったな」
「え? ああ」

 とびっきりのいたずらをしかける気分で、その独特の高揚感に小さな笑いをこぼしながら。
 シヴァはゆっくり、それを音にした。

「呼び名はシヴァ、本名はシヴィール・アクト」
「シヴィール。立派な名前じゃないか」

 ある意味予想通りの、ある意味予想外の反応を返してきた――いや、特にこれといった反応を返さなかった相手に、とうとう笑いの発作がこみ上げる。「非常識」もここまで来るとすがすがしい。不審そうにする煙水晶の目の少年に、さっきの仕返しとばかりに「なんでもない」と言った。

「気になるならケイガに聞けよ。ま、いろいろと楽しかったぜ」
「……ああ、うん。俺もいろいろと……勉強になった。それじゃあ、また、シヴァ」

 腑に落ちなさそうにしていたオーランがピジョットを呼ぶ。その孤影が離れるのを見送るシヴァの口元にはまだ笑みの気配が残っていた。

 エージェントの間には、ほかにはない、特殊な慣習がいくつかある。「名前」はその中の一つだ。
 エージェントの名前を明かされた。呼ぶことを許された。その意味を、彼はまだ知らない。

「あちこちでもまれて多少はましになったみたいだけど……まだまだだな。元“紅蓮”がどうにかすることを期待するか」

 名を許すということは、相手の技量を認めるそれ以上に、その心、人間性そのものを認め、信頼しているのだと相手に教えること。同時に相手に対して自分が寄せる、その信頼にこたえる覚悟はあるかと問いかけることでもある。

 その問いを無知によって一蹴されたのだ。普通なら怒る場面である。しかしシヴァの中にはそんな感情は出てこなかった。
 ただ、将来自分と肩を並べるであろう、技量を競い合うであろう相手の出現に、笑いが込み上げて止まなかった。



 *   *   *



 そして、それより六年後。
 その時に予想した通り、自分と渡り合うように成長した相手を見ながら、シヴァは奇妙な感慨に襲われていた。

 あの時、彼の初めての戦いに付き合ったのは自分とラファイルである。自分は今やディラという一チームを支える存在になったし、ラファイルも六年という短い間に戦闘部門部長という異例の昇進を遂げた。そしてオーランはチーム・ノワールを率い、ラファイルが言った通り、チーム界を背負う次世代を導いている。

「なんっつーか、まあ……運命っていうのは抵抗あるけど、それだよなあ」

 どうあがいてもかなわないのではない。まるでその形にする、と決めた力が働いているかのように、彼らは出会い、交わり、そのつながりを広げている。絶対的な強制力ではなく、ふと気づいたらその形に収まっている面映ゆさ。

 突然しみじみとした口調になったシヴァにぶしつけな視線が二対、送られる。穴が開きそうなその視線に眉根を寄せると。

「シヴァ……熱でも出たんじゃないだろうな?」
「だめだって、似合わないって。知り合って間もない俺でも違和感ありまくり。自分で言っててそんなことない?」

 ぴくり、こめかみが動いた。

「……よくもそこまで言ったなお前ら、外に出ろ! 一発バトルしてやるっ」
「ああ、ちょうどいいや。ウィルゼの様子見てやってくれよ。俺たちも特訓はしてるけど、なにせ人に教えるのなんか初めてだからな」
「お前もだオーラン! ダブルバトルだ」
「げ」

 年月を越え、いくつもの感情といくつもの戦いを共有した仲間。
 その仲間たちとの戯れはいつまでも続いてほしいけれど、いつか必ず終わりが来る。
 それが早いのは自分か、相手か。彼らはいつだって覚悟して、しているつもりなのだけれど。







 どうせ俺たちを引き合わせたというのなら、運命よ。もうしばらくこのままでいてはくれないか?

 仲間たちとのやり取りも、顔ぶれも、何一つ減ることなく未来へと。







 願う彼らはまだ、知らない。その運命というものが、盤面の駒をそろえながら、まだ牙を研いでいるだけだなんて。

 この時の彼らには、知るよしもなかった。





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