-9- はじまりとおわり

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 俺の力は悪夢を見せるが、夢の内容を覗いたことはない。
 だから今回は、異例の事態だった。
 幽体離脱したみたいに、音がしない桃色の平野を俯瞰していた。
 警部補とゾロアがいた。ふたり分の断片的な感情が流れこんできた。
 怒り。悲しみ。苦しみ。
 これは、悪夢だ――

 俺の肉体は、現実世界のヒールボールの中にある。
 動け。球の外に出ろ。早く、警部補を起こすんだ。
 暴れたい意識と全身の重い泥のような感覚が、噛み合わない。
 クソだ、俺は。凶悪な能力を封じ込められるようになりたいと、間抜けな期待を持ってしまった。一日でも長く、クラウみたいに、警部補のそばで過ごせるようになるという誘惑に勝てなかった。悪夢を見せる力について調べた時、俺は、人間の少女が衰弱死したという記録を見つけていた。やはり、最初から温かい日常を望んではいけなかったんだ。ごめんな、警部補。俺が悪かった。本当にごめんな、ごめん。ごめんな……
 
 いきなり、体も意識もボールの外へはじき出された。

 警部補は!? 
 いない。

「お連れした当室は、ジョージ・ロング殿のお住まいでございます」
 警部補からアフロと呼ばれていたな、このチルット。
 親父さんの名前……ここは、アルストロメリア市内のマンションか。 
「そしてこちらが、オルデン・レインウィングス様です」

 肩にネイティを乗せている、丸眼鏡をかけた地味な風貌の男。
 四十代といったところか。虫も殺せないような顔をして、よくも。

 握りに力を入れすぎて、俺の拳から異音がした。
「てめえが黒幕か!」
 掴みかかるつもりが、割って入ったチルットの『コットンガード』に防がれた。
「この大嘘つき野郎! 警部補はてめえのせいで、俺のせいで!」
「このお方は嘘つきではございません! 悪夢の抑制と増幅を遠隔で切り替えたのです!」
 チルットが片足を上げた。
 その足輪がリモコンになってたのか。ふざけやがって!
 俺は綿のような白い翼から、ヒールボールのペンダントをひったくった。出会い方が違えば、この天才エンジニアを尊敬できていたかもしれない。怒りに任せて、開発者本人の前で逸品を、粉々に握り潰してやった。

「なんてことをー!」
 と、翼で頭を抱えたチルットが白いアフロヘアみたいになった。
 丸眼鏡の男がそのアフロ頭に手を置き、もう片方を自分の胸に当てた。

「私を殴る前に、説明させて下さい」

 この男。
 優しそうな瞳の奥が、覚悟を決めている。
(そうじゃそうじゃ、うるさいぞクソガキ)
 肩のネイティが飄々とテレパシーを発し、チルットがすかさず補足した。
「こちらのネイティ……長老は『シンクロ』の効力範囲内にある異種族の音声を一元化、すなわち同時通訳できるのです」
(悪夢をばらまく心配も無用。部屋に張ったわしの『守る』で、一晩は遮れるぞい)
 そんな便利な力を発動中なら、前もってさっさと言え。
「言葉、人間のあんたにも伝わってるんだな!? なぜ警部補を騙した!」

「協力拒否を怖れたからです。時間がありません。私の息子も拉致されました」

 息子?
 なんだ? この、腹に風穴を開けられたような風通しの寒気は。

「精神世界の深部にアイラさんを導くには、君の悪夢をみせる力が必要でした。失礼ながら、君たちの集団悪夢はヒールボールの機能で観測済みです。監視官『ドルミール』の報告では証拠不十分でしたが、私は君の記憶喪失が演技ではないと信じています。君がスパイだとは到底思えません」
 
 俺が……スパイ?

「ハーデリアの死が、アイラさんの精神を限界まで疲弊させたのでしょう。我々に敵対する一味は彼女の心の隙につけ込み、“夢”を通じて昏睡状態にまで追い込みました。声や足に現れた後遺症は、アイラさんと襲撃犯の精神の混線が原因です」
(よからぬ残留思念が、わしには見抜けた。娘の主治医は心因性とだけ言うておったろ?)
 この長老とかいうネイティ、見た目は若い小鳥のくせに喋り方がジジ臭い。
(詳しい事は、わしらが口止めした。思念が主人格を乗っ取る事もあることもあるでな)

 こいつら、何を言って……

(残留思念は、先刻わしが封印した。娘の健康は約束しよう)
「もう一つ、確かめなければなりません。君は、元人間ですか?」

 恐怖すら、覚えた。
(あんた、何者だ。俺の何を、知っている)

 男から、一つのモンスターボールが差し出された。
 炎が燃えるような生命の存在感を、内側から感じる。
「この中にいるのは、君の最も古い記憶に近しい友です。夢の世界で接触すれば、失われた記憶が戻るきっかけになり得ます。こんな提案しかできない私を……親代わり失格の私を、許してください。――ミ・パーム・レスカ君」

 時々クラウが話題にしていたその名が、はっきりと向けられた。

 急激に後悔が募り出す。
 日頃から、ありがとうも、おやすみも、ごめんも。
 警部補に伝えるチャンスを逃さないようにしていたはずだ。
 なのに何故、”さよなら”だけは、先送りにしてしまったのか。

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