ぽわぐちょカフェへようこそ! 後編

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作者:みぞれ雪
読了時間目安:15分
 コーヒーはともかく、ホットサンド。労働と育児の狭間の日常では、すっかり縁のなくなってしまった食べ物だ。洗い物が少ないのは良いが、あれこれ対応しているうちに焦がさぬ自信がなさすぎる。小麦の香ばしさを頬張りながら、私はカフェ店内を俯瞰した。
 昼時が近づき、カフェの席は8割が埋まっている。一般的にポケモンカフェは、これから午後3時頃までが混雑しやすい。改めて、早めの来店が報われたことに安堵した。私より前に来店していた老夫婦を見てみると、女性が手のひらに小さなキノコを乗せて東のトリトドンに与えている。その様子を男性がニコニコしながらスマホロトムにおさめていた。女性は見事な白髪で、男性はつるりと頭頂が輝いている。身体的特徴から若くはないようだが、良い意味で少年少女の心を忘れていないようだ。女性が慈しみながらトリトドンを撫で、トリトドンは頭を垂らして撫でられやすい体勢になっている。その光景がなんだか縁側のひだまりのように微笑ましく、ランチがより美味しく感じられた。
 灰色のパーカーのフードを被りマスクを着用した、少し風変わりな若めの男性1人客。彼はポケモンと触れ合うことはしないが、ただこたつ机で静かに昼食を食べ、西のカラナクシとトリトドンが机に置かれたポフィンを一緒に食べている。彼らはスキンシップは控えて距離を保っているものの、食事の美味しさを視線で共有し合っている。彼は自分なりのスタンスで、自分が落ち着く方法の範囲内で、ポケモンカフェをめいいっぱい楽しんでいる。ポケモンとのスキンシップだけがポケモンカフェの魅力では断じてない。共に時を過ごすだけで満足ができるなら、それも心が豊かな証拠だと、私は考える。

 物思いに耽りながら、ホットサンドとコーヒーを平らげる。短髪の女性スタッフが食器を片付けてくれると、入れ違いでトリトドンがこちらに向かってくる。西の姿の、最初に注文を受け付けてくれたすあまちゃんだ。頭の上に深いプラスチックのお皿を乗せているようだ。中身は……緑色で丸みを帯びている何かが入っている。

「ぽっ、ぽわー!」
「お待たせいたしました、ころころマメです」

 先ほどの短髪の女性スタッフは、すあまちゃんの頭からお皿をとり、机に置いた。皿には殻を剥かれた直径3cmほどの大粒のマメがたっぷりと入っている。

「こちら、人間も食べられますが、トリトドンちゃんたちの大好物なんです。すあまちゃんにもぜひあげてみてくださいね」
「ぽわー。ぽわー!」

 ここでポケモンにおやつをあげないという選択肢を選ぶ人間は、そもそもポケモンカフェになど来ない。池に住むコイキング用の餌を買って、それを自分で食べているようなものだ。首をふりふりして高い声で鳴いているすあまちゃんの顔の前に、ころころマメをつまんで運んでみる。すあまちゃんは私の指先のマメにちょんっと触れると、口唇の粘着力でそれを拾い上げ、そのまま口の中にポイっと放り込んだ。トリトドンの柔らかい頬がもきゅもきゅと動き、時間をかけて咀嚼しているようだ。

「トリトドンちゃんたちは歯がないので、口の中で食べ物を挟んで潰して、粘液と混ぜて飲み込むんです。私たち人間よりも食べるのがゆっくりですが、見守ってあげてくださいね」

 スタッフがすあまちゃんのほっぺをつつきながら補足説明をしてくれる。すあまちゃんはマメを潰すことに成功したのだろう。先ほどまでは片側の頬をもっこりと膨らませていたが、今は両側の頬を小さく膨らませてもごもごしている。しばしのもごもごを終えて、長い首からごくりと嚥下の音がした。パッと口を開けてぐるりと円を描くように頭を回し、きゅあっと甘えた声で鳴いた。ンンッ可愛らしい……。
 すあまちゃんはじっと私の目を見つめる。しきりに鳴いたりおやつを見つめたりしてアピールするポケモンも可愛らしいが、この静かな主張もたまらない。表情は乏しいと言われるトリトドンだが、まっすぐな眼差しはグッと心を掴んで離さない。つくづく、自分の魅力をよく理解している。
 私はマメを3つ程度手のひらに乗せて、すあまちゃんの目の前に差し出す。ぽわあっ! と嬉しそうに鳴くと、すあまちゃんは長い首を垂らし、マメをもぐもぐ。3つ一気に頬張って、幸せそうに天を仰ぐ仕草を見せた。……トリトドンのトレーナーは、どのように彼らの栄養管理をしているのだろうか。こんなに美味しそうに食べてくれたら、おやつをあげる手が止まらなくなってしまうのだが。

「すあまちゃんは、そろそろお腹いっぱいかな。他の子も連れてきますね」
「えっ、早いですね」
「私たち人間も同じなんですけど、食べ物をよく噛んでゆっくり食べると満腹感が得られやすいんですよ。トリトドンちゃんたちは食べるのがゆっくりなので、1回の食事量は少ないことが多いんです。大食いの子は、食べる回数が多いんですけどね」
「そうなんですね……」

 スタッフが他のはらぺこカラナクシとトリトドンを探している間に、すあまちゃんは小さくぽけっと口を開けて私を見つめてくる。目が合うと、少しだけ頭を下げて頭頂部をこちらに向けてきた。思わずもちもちぷるんな頭を撫でると、ぷるるるぁ! と高い声で嬉しそうに鳴いている。それが喜びの表現だと、目が見えなくても伝わってくる。こんなのんびりかわいこさんと一緒に生活ができると、穏やかで豊かな生活を送れそうだ。
 ——仕事一筋でポケモンとの触れ合いを避けてきた半生を、私は夫とタブンネに出会い、我が子を産み育ててから反省するようになった。タブンネは人間の私よりもよほど上手に子守をし、怪我の手当てもしてくれる。戦う力が弱くても、素晴らしい力を持ったパートナーだ。それから、パートナーのポケモンをどんな子にしようかと妄想するついでに、ポケモンカフェ巡りにより熱を入れたのだった。カラナクシとトリトドン、良い。小さな子供がいるうちは、同居するのが難しいかもしれないが……。だからこそ、カフェに入り浸ってしまうかもしれない。

 ころころマメをトリトドンちゃん、カラナクシちゃんに食べさせる夢のような時間は、あっという間に終わりを迎える。マメが尽きた。追加でおやつを注文できるなら、あと3皿程度欲しいところだが……。より多くの客に触れ合いを楽しんで貰えるように、1人1皿までの注文となっている。
 食事も済ませた。ポケモンのおやつも全て与えた。そろそろ店を出て空席を作るのが、最善の客だ。しかし。この店を出るとのんびりトリトドンちゃんと過ごす時間が終わってしまう。買い物もほどほどに帰宅すると、夫の唯一苦手な料理をして、子供に食べさせて、お風呂に入れて……。やがて週末も終わり、ただでさえ慌ただしい家庭生活に仕事が加わる毎日の再来だ。
 心がざわざわし始めた。目の前にいるトリトドンちゃんたちが、所詮私には縁遠い世界のもののように、遠くにいるように思える。
 そんな私を慰めるかのように、東のトリトドンと長身の女性がこちらに向かってくる。

「本日は、数あるポケモンカフェからぽわぐちょカフェを選んでくださりありがとうございます」
「と、とどん!」
「こちらこそ、ありがとうございました。楽しかったです」
「ぽわ〜!」
「実は、この子がお客様に撫でられたいとおねだりしてくるんです。お時間が大丈夫でしたら、撫でていただいてもよろしいですか?」
「え、良いんですか!? なでなでしたいです」
「ぽわ〜ぐちょ!」

 つくづく、ここのポケモンたちは人間への愛情表現がストレートだ。人間からの愛を欠片も疑わない。日頃トレーナーから愛情たっぷりに育てられていることがよく分かり、心なしかこれまで通ったポケモンカフェのもの以上に、愛情が濃密に感じられた。
 東のトリトドンちゃんの胸元には、“ぷにもち丸くん”というネームプレートがくっついていた。ぷにもち丸くんは、その名の通りぷにもちのおしりをこちらに向けてくる。

「この子はとってもまじめなので、自分を撫でてくれた人をしっかりと癒したいと思っちゃうんです」
「す、すごい志ですね……」
「ええ、本当に。ですので私からも、お客様がなでなでに集中できるように、声かけをさせてもらいますね」
「あなたもまじめなんですね……」
「いえ、全く! ただぷにきゅんに喜んで欲しいだけです」
「はあ……」

 カフェでポケモンを撫でる。ただそれだけのことなのに、なんだか大層な儀式でも始まりそうな雰囲気だった。撫でられ待ちのぷにもち丸くんの緑色のお背中は、言われてみれば癒しを確約する確固たる意思を感じ……なくもない。

「では、まずはぷにもち丸の背中を優しく撫でてください。深呼吸して……力を抜いて……まずはまろやかな曲線美を、目と触覚で味わうのです」

 長身の女性スタッフの声はまるで、ヨガ教室の先生や、ヒーリング瞑想CDの類のような、独特の落ち着きと奥行きがある。まさか、その手の本職のインストラクターなのだろうか。少々異様なシチュエーションの違和感を消す声、ただものでは無い。
 私はスタッフに言われるがままに、ぷにもち丸くんのお背中をそっとさすってみる。手に吸い付くようなもちもちのお肌で、私が悪ノリで1歳児に全力オトナのスキンケアを施した時と同じくらいのぷにぷにっぷりだ。

「ぽわぐぅ」
「嬉しいみたいですね。では次は、少しだけ力を入れて、背中を指の腹でもみもみしてください」
「は、はぁ。こうですか?」
「ぽ! ぽわ〜ぁ」
「そうです! ぷにもち丸ちゃん、とろけちゃってます。指先の感覚を意識してみてください。お気づきのことはありませんか?」

 ぷにもち丸くんの首がだらんと垂れて脱力している。安心している……と考えて良いのだろうか。指先の感覚に集中すると、もにゅもにゅ柔らかい中に微かなコリコリ感を感じる。コリコリ……ペコペコ? とにかく、軟体に埋もれた硬い何かだ。

「何か……硬いものがある……?」
「そうなんです。大昔はこの子達の背中には殻があって、その名残が体内に埋もれているんですよ。時々殻の周りを優しくマッサージすると、身体を柔らかく保てるんですよね。身体が柔らかいトリトドンちゃんほど、打たれ強いんです」
「ぽ……ぽわ……」
「あららららら〜うっとりさんなの〜? きゃわいいねええぇ〜」

 インストラクターの声が突如激甘の溺愛ボイスになり、私の視線はスタッフに釘付けになる。スタッフは一気に赤面し、照れ隠しに咳払い。

「コホン、大変失礼しました。きゃわいいキャノンが暴発してしまいました」
「……いえ。良くあることですから」

 何がだ。支離滅裂な私の相槌が、何故かスタッフは腑に落ちたようだ。スンっと真顔になって続きを始める。

「それでは、ぷにもち丸には反対側を向いてもらって……。この純粋無垢すぎる虚無フェイスを隅々までじっと眺めてあげてください。頭やほっぺをスリスリと撫でるのも良いですね」
「ぽょ……にゅるめ〜」

 ぷにもち丸くんの緑の触覚のような耳のような部位がぷるんぷるんと揺れている。頭を撫でてみると、手の僅かな重みでぷるぷる触覚がぽにょぽにょと跳ねている。頬を撫でてみると、少しだけ天を仰いで口を開けて、ぽんやりとしたお顔。

「とっておきのお腹もなでなでしても良いって言ってます。どうぞ、たぷんたぷんを楽しんでくださいね」
「ぽへぇ〜」

 失礼して水色のお腹をなでなでしてみると、背中との感触の違いを確かに感じた。お腹は地面に接して這う部分だからか、背中よりも粘液がたぷたぷして柔らかい。背中はおそらく乾燥に耐えるために、お腹よりも粘性が強い粘液が覆っていたのだろう。手のひらで軽く小さく、お腹をぽんぽんと揺らしてみる。つやつやうるうるのぷにもち皮膚が照明を反射して、トリトドン初心者の私にも「この子は健康なのだ」と理解できた。

「うふふ。ぷにもち丸くんも大満足みたいです〜。最後に、握手してあげてください」
「ぽわ、ぽわーお!」

 私をまっすぐに見つめ、ぷにもち丸くんはちょいと首を傾げる。——どうぽわ? 癒されてくれたぽわ? そんな純粋無垢な声が眼差しから聞こえた気がした。私は少し身をかがめると、地面にぺたりとついたぷにもち丸くんのあんよをにぎにぎしてみる。お腹と同じく粘液が多めだが、皮膚はしっかりと丈夫でむちむち。人間の手のひらのような趣を感じた。

「ぷにもち丸くん、ありがとうね」
「きゅあっ!」
「お姉さんも、ありがとうございました。なんか……こういうの慣れていらっしゃいます?」
「はい、イメージトレーニングは100回くらいしました!」
「はい?」
「あっ、ええと。ぽわぐちょカフェが実現できたら、一度やってみたかったんです。トリトドンちゃんって、可愛さの瞬間風速よりも、じんわりと魅力を味わえるのが売りだと思っていて。慌ただしい日常でも、トリトドンちゃんと向き合っていると、時間の流れも心も穏やかにしてくれるんです。ですから、カフェに来てくださったお客様にも、今この時、目の前のトリトドンちゃんの魅力に向き合う時間をご提供してみたかったんです」

 ふと私は、ぷにもち丸くんと触れ合う前の、日常を想ってざわざわした心を思い出した。不思議なことに、ぷにもち丸くんと過ごす時間に集中したお陰で、思考が少しだけ整理された気がした。日常に伴う雑然としたノイズのような騒がしいイメージが消えたというか……。
 今はまだ、自分の体験を上手く表す言葉を見つけられない。強いて言えば、私は気分転換の質をあげる方法を、このぽわぐちょカフェで少しだけ身につけられた……ような気がする。

「それで救われる人が、たくさんいると思います。私も救われました! ゆったりと過ごせて、楽しかったです」
「そうですか、嬉しいです! もし、またぽわぐちょカフェを企画したら、ぜひお越しくださいね」
「ぽわ〜ぐちょ!」

 店を去るのは名残惜しいが、この魅力をより多くの客に体験してもらいたい、という欲が勝る。ぷにもち丸くん、すあまちゃん、すみれちゃん、みぞれちゃん……。私を癒してくれたカラナクシちゃんとトリトドンちゃんたちや、彼らをより魅力的にしてくれているスタッフに礼を言うと、私は颯爽とカフェを後にした。
 この愛を家庭に持ち帰るために、私は至高の癒しを求めているのだから。

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