ぽわぐちょカフェへようこそ! 前編

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作者:みぞれ雪
読了時間目安:15分
 ポケットモンスター。縮めてポケモン。私たち人間は、不思議な生き物と力を合わせて生きている。ポケモンを戦わせる競技に一生を捧げる人間や、ポケモンの力を指揮して仕事をする人間、ペットのようにポケモンを愛でて人生を豊かにする人間。国から護身のためにも1人最低1匹のポケモンを所持することを強く推奨されていることもあり、ポケモンと人間の付き合い方は多様性に満ち溢れている。
 人間とポケモンが共に過ごす最もポピュラーな方法は、モンスターボールでポケモンを捕まえて所持することだ。しかし近頃では、所持せずともポケモンと触れ合える施設やイベントが増えている。そのうちのひとつが“ポケモンカフェ”だ。
 この世界には、特定のポケモン、または系統の似通ったポケモンを所持する者が集まって作られた愛好会が数多存在する。最も勢力が大きいものはピカチュウ同好会だが、もふもふわんこやにゃんこのポケモン愛好会もポピュラーだ。その愛好会のトレーナーたちが、街中のレンタルスペースを利用してパートナーポケモンを連れて開催するイベントが、ポケモンカフェ。客はケーキや飲み物を楽しみながら、トレーナーたちの手持ちポケモンと触れ合うことができるのだ。
 何を隠そう、私はポケモン愛好会が主催するポケモンカフェの熱烈な愛好家なのだ。小さく可愛らしいもふもふキュートなポケモンから、一筋縄では人間と共生できないデリケートなエスパーポケモン、生活の注意点が極めて多い毒ポケモンとも比較的気軽に接することができる。全てのカフェに共通する魅力は、カフェのポケモンが例外なくトレーナーから濃厚な愛を受けて育っていることだ。トレーナーから愛されている自覚のあるポケモンは、日々褒められて育ち、己の魅力を熟知している。人間の喜ばせ方を心と身体で理解しており、カフェに訪れた疲れた客を的確に癒してくれる。トレーナーの愛をポケモンが受け取り、その愛による癒しを客が享受し、それぞれの日常をより豊かなものにしていく。幸せの好循環の一部分になれるような感覚に、私は生を実感するのだ。
 私たち夫婦には、このような趣味の時間を確保するための秘策がある。それが“リフレッシュ券”という夫婦内のルールだ。月を跨ぐと、私たちは2度、仕事からも家事からも育児からも解放される権利を得る。在宅ワークを駆使しながら1歳児の面倒をみつつ夫婦共働き。多忙を極める日々の中で気が狂ってしまわぬように、私が夫に持ちかけた交渉だ。
 子供の頃は、大人になって仕事をして結婚して子供を持つことで、楽しい趣味に費やす時間は失われるのだと考えていた。しかし、大人になった今こそ実感する。趣味を楽しみ心を豊かにしてこそ、ここぞという時に踏ん張るエネルギーが充填されるのだ。ポケモンカフェの愛されしポケモンたちの愛のかけらは、私が我が子を愛する活力となるのだ。

 休息を習慣化するための夫婦の約束事として、リフレッシュ券は月を跨いで繰り越すことはできなくなっている。
 我が社我が部署に配属された新人が退職代行を使って早々に辞め、波乱の4月。教育プランは水の泡、行き場をなくした仕事の山。欠員を抱えて奔走し、育休明けの時短勤務ながらも身を呈し、持ち帰り残業を夜通し。気がつけば、木々にしがみつく桜の花びらは残りわずか。リフレッシュ券を1度も使わぬまま、4月を終えようとするワーママ。

「今週末は、リフレッシュ券使いなよ。ポケモンカフェ、行っておいで」

 慌ただしい日々で視野が狭くなり、子供の世話と仕事の納期で頭がいっぱい。そんな私を見かねて、夫が声をかけてくれた。夫のパートナーであるタブンネも、子守りは任せろと胸を張っている。
 ポケモンカフェ。私の生きがいであるはずの言葉が、久方ぶりに私の日常に馴染んだ。そうだ、癒されに行こう。金曜日の夕方、私は上司に業務日報を適当に提出すると、すぐさま街で開催されているポケモンカフェの情報を調べた。

 ——ぽわぐちょカフェ。最寄りのレンタルスペースで開催されているイベントが私の目を引く。ぽわぐちょ。トリトドンと、その進化前であるカラナクシの愛好会によるポケモンカフェのようだ。私の記憶の限りでは、この街でぽわぐちょカフェが開催されるのは初めてだ。海沿いの街とはいえ、カラナクシやトリトドンは人間と暮らすのが難しいのかもしれない。紫色の汁を垂らすと言うし、這ったあとには粘膜がべっちょりとも言う。
 ……果たして可愛いのか? 癒されるのか? 私の貴重な休日をかける価値はあるのか?
 一通りその他のカフェイベントも見て回るが、ウィンディカフェにもモクローカフェにも行ったことがある。ぽわぐちょカフェ。未知の世界への好奇心が勝り、私は週末の予定を決めた。


 仕事をやっつけて、いざ週末。桜が咲いて散って、葉が茂り始める。ピンクと緑がグラデーションのように変わりゆく街並みに東西のトリトドンを重ねながら、気がつくと最寄りのレンタルスペースにたどり着いていた。まだ午前11時。昼飯時を外して難なく入店でき、開店直後のようなバタつきもないだろう。開店1時間後がベストなタイミングなのだ。
 透明な自動ドアの向こうで、ピンクと緑がうごめいている。心の準備が整う前に、自動ドアのセンサーが私を認識した。その直後。

「ぽわぐちょカフェへようこそ!」

 きょとんと間抜けな顔をした私を、店員の爽やかな声が包む。カフェの内装を見渡す間もなく、1人の女性スタッフが声をかけてくる。

「1名様ですね。どうぞこちらへ」

 短髪でラフなピンクのTシャツジーパンのスタイルに、“ぽわぐちょカフェ”と刺繍された茶色いエプロン。彼女に案内され、私はコタツ机程度の低いテーブルに座り、座椅子に座った。
 ——コタツ机に座椅子。カフェとしてはいささか珍妙な設備だが、ポケモンカフェには決して珍しくない。触れ合いたいポケモンの目線に近く、椅子の脚でポケモンが怪我をするリスクも低い。なるほど、確かに、トリトドンやカラナクシには座椅子スタイルがピッタリなのだろう。

 カフェの奥に着席したことで、ようやく内部を隅々まで観察した。床はフローリングで防水性があるようだ。コタツ机は10席程度で、半分程度に客が着席している。私のような1人客もいれば、熟年夫婦もいる。スタッフは6、7名程度といったところで——。

「ぽわ!」
「にゅん!」
「おわ!」

 観察に夢中になっていると、いつの間にか私の近くにトリトドンとカラナクシが這い寄っていた。東西それぞれのトリトドンとカラナクシが、4匹で出迎え。東西トリトドンとカラナクシが揃い、非常に華やかだ。

「いらっしゃいませ、ぽわぐちょカフェへ。トリトドンちゃんとカラナクシちゃんも、歓迎しています」
「ぽわ〜お!」
「かららにゅん!」

 今度は青年の店員が丁寧にお辞儀をし、トリトドンとカラナクシも柔らかい首をくにゃんと曲げてお礼の真似事をした。息ぴったりの親子のようで、それはとても微笑ましい光景だった。

「はじめにご説明をさせていただきますね」

 言うと、店員は各机に置いてあるパンフレットを開き、カフェの説明をしてくれる。必ずワンオーダーは必要であること、人間だけではなくポケモンが食べるおやつも売っていることなど、ポケモンカフェの基本。それから、トリトドンとカラナクシを触る前には、必ず机の上のアルコールで手指消毒をすること。カラナクシは膝の上に乗せられるが、必ず店員に声をかけること。写真撮影は問題ないが、フラッシュ機能は使わないこと。SNSに写真を投稿する際には、ハッシュタグをつけて欲しい……という、現代ならではの案内もされた。

「ご不明な点はございませんか?」
「はい。ご丁寧にありがとうございます」
「では、ご注文が決まりましたら注文用紙に記入して、こちらのトリトドンちゃんの背中にぴとっとくっ付けてください」

 青年の店員は爽やかに立ち去りながら、注文受付係の西のトリトドンを撫でる。桃色のトリトドンがきゅあっと鳴くと、私をじっと見つめて注文を待つ。他のトリトドンとカラナクシは、店内をゆっくりと這い回りながらボール遊びを始めた。
 私はメニューを広げた。1人で見るのはそばにいるトリトドンに悪い気がして、一緒にメニューを眺める。
 コーヒー、紅茶、モーモーミルク、きのみジュース——基本的なドリンクメニューが揃っており、軽食はホットサンドやライスバーガーが用意されている。それと……“トリトドンちゃんがふみふみした世界一美味しいおうどん”。いわゆるコンセプトメニューの類だが、やけにリアルなストーリー性を感じるネーミングだ。
 トリトドン用のおやつとしては、シェアしやすいポロックや、少数のポケモンと親睦を深めやすいポフィン。その他、少し珍しいメニューがあった。もちもちキノコ、ころころマメ、いきいきイナホ、それぞれ数量限定。珍しいメニューだ。
 ここは、味を熟知しているであろうトリトドンにオススメを聞いてみよう。私の注文を待ってくれている西のトリトドンを見ると、お腹の上、人間でいう胸の辺りにネームプレートがくっ付いていた。この子の名前は“すあまちゃん”と言うらしい。桃色の、もちもちしていて素朴な和菓子の名前か。

「すあまちゃん」
「ぽえ?」
「どのおやつが好き? これかな? それともこれ?」
「ぽ……。ぽわっ。ぽわ! ぽわー!」

 指のないトリトドンのために、私は順番にメニューを指す。ポロックよりもポフィンが好きで……ころころマメとやらを指した時、すあまちゃんは長い首をゆらゆらと揺らして歌うように鳴いた。なるほど。ころころマメがスタッフオススメか。
 異彩を放つおうどんが非常に気になるのだが、コーヒーには合わないだろう。私はコーヒーとホットサンドと、トリトドン用のころころマメを注文用紙に記入する。記入が終わるとすあまちゃんはくるりと後ろを向き、長い首をこちらに向ける。ぽわーと鳴いて、背中に注文用紙を貼り付けるように促した。にしのうみの姿のトリトドンには、背中に2つのコブがある。コブの少し後ろ、おしりの少し上に、私は注文用紙をくっつけた。ふにゃりと柔らかいトリトドンの肌の感触は、紙越しでもよく分かる。デザートのような、雲のような、思わず口角が上がってしまうメルヘンな感触だ。
 すあまちゃんは、ぽわ〜おぐちょぐちょと元気よく鳴いて、スタッフが待機するキッチンに向かった。首を前にかたむけて急いでいる様子だが、前進速度はのそのそとゆっくり。一生懸命な様子が健気で可愛らしい。ちょこまかとコミカルなポケモンでは味わえない魅力だ。

「ご注文ありがとうございます」

 今度はポニーテールの女性スタッフが私に声をかけてくれる。後ろに東西2匹のカラナクシを連れていた。

「お待ちいただいている間に、カラナクシちゃんをお膝に乗せてみませんか? 午後になると順番待ちが長くなるので、今がチャンスですよ」
「にゅにゅーん!」

 ニコニコと表情豊かなカラナクシが、ちまっと小さな身体で一生懸命に私の顔を見上げている。ピュアな可愛らしさに、人間の身でありながらメロメロ状態になってしまった。

「ぜひお願いします」
「はい。それでは、お足元に防水シートを失礼いたしますね」

 太ももを覆うように、スタッフが真っ白い防水シートをかけてくれる。ディスポーザブルのそれはふわっと軽く、よちよちとよじのぼるカラナクシちゃんの柔らかなお身体の感触がそのまま伝わり心地よい。
 2匹のカラナクシは私の太ももに乗ると、お背中を丸めて撫でられ待ちのポーズ。アルコールで手指消毒をしてから、私はカラナクシの背中をそっと撫でる。まるでわらび餅のような、もっちりとした水分の層を体表に感じる。もう少し、粘膜が手にまとわりつくかと思っていたが、意外にも身体にしっかりと水分がとどまっている。
 ポケモンカフェの店員は、ほぼ例外無く自分のパートナーポケモンを溺愛している。興味を持って質問すると、喜んで答えてくれることがほとんどだ。それを期待して、私はポニーテールのスタッフに問いかける。

「思っていたよりベタベタしませんね。それと、カフェの床も綺麗。カラナクシやトリトドンって、這った後に粘液が残るとか、紫色の汁が出るとか、図鑑に書いてあった気がするんですけど」
「うふふ。気づいてくださり嬉しいです。トリトドンちゃんやカラナクシちゃんの主な特性は、よびみずとねんちゃくです。つまり、自分の身体に水分を保持することが得意なんです。野生ではマーキングの意味も込めて粘液を地面に残しますが、私たち人間と過ごす時は粘液が周りに付かないようにしてくれるんですよ。懐いたポニータの炎がトレーナーにとって熱くないのと一緒です」
「へぇ……。ポケモンって凄いですよね。人間と過ごすために、色々と工夫してくれて……」
「ええ。ただ、この子たちと一緒に暮らすには、防水シートは必須ですね。例えばカーペットなんかで生活させちゃうと、床を汚さないように頑張りすぎちゃって、ストレスで病気になりやすいんです」
「なるほど。ポケモンだけでなく、人間側も彼らの特性に歩み寄って暮らす必要がありますからね」
「かららにゅ〜ん!」

 ぷにぷにの身体を揺らして嬉しそうに鳴くカラナクシちゃんの名前をスタッフに尋ねる。——小柄なので、ネームプレートは付けていないのだ。
 ピンクの西の海の姿が“すみれくん”、水色の東の海の姿が“みぞれちゃん”と言うらしい。カラナクシやトリトドンの遠い昔の先祖であるウミウシという生き物の種類から名付けられたとのこと。
 すみれくん。みぞれちゃん。名前を呼んでみると、それぞれが自分の名前にのみ元気よくにゅん! とお返事してくれる。オマケに、名前を呼ばれていない方はもう片方の顔をじっとみつめ、返事をワクワクと待っている。あどけなく、仲睦まじい。そのまましばらく、私は交互に名前を呼び続けた。飽きずに付き合ってくれるカラナクシちゃんの純粋さに、心が洗われた気分になった。

 ここで、注文していたコーヒーとホットサンドが運ばれてくる。「自慢の味も楽しんでいただきたいので」と言うと、ポニーテールのスタッフはカラナクシたちをだっこし、防水シートを片付けた。

「これからの時間はカフェが混み合うので、カラナクシちゃんの抱っこは、本日はもう難しいかもしれません……恐れ入ります」
「いえいえ、楽しませてもらいました」
「嬉しいです。ぽわぐちょカフェは、この街で初めての試みなのですが……好評でしたら、また開催いたしますね」
「はい、ぜひ。すみれくん、みぞれちゃん、またね」
「ぽわにゅん!」
「からら!」

 スタッフの腕に抱かれながら、すみれくんとみぞれちゃんはフロアでボール遊びをするポケモンの中に帰っていった。
 ぽわぐちょカフェ、良い。
後編へ続く!

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