湖蛇神伝説

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作者:絢音
読了時間目安:19分
 昔むかし、まだ人とポケモンの境目が曖昧だった頃、ある山間の村にとある伝説があった。

『十年に一度、湖蛇(コダ)の住まう湖に生贄を捧げなければ恐ろしい水災に見舞われる』

 その言い伝えを守り、その村では十年の節目年に美しい娘を一人、生贄として湖に沈めていた。そのお陰か否か、その村では水害が起きた事は無かった。どんな大雨が降り、大規模な洪水が起きようとも、その村だけは田畑が流されることはなく、毎年豊作に恵まれていた。いつしか湖蛇はその村の『守り神』として崇められるようになっていた。





 時は生贄を捧げてから丁度十年目の年だった。
 夜遅く、その村のある若夫婦の家を訪ねる凛々しく麗しい青年の姿があった。その身なりは質素ながら、どこか気品を感じさせる。彼は不安そうに赤子を抱える女と、それを庇うように寄り添う男に告げる。
「今年は湖蛇様に生贄を捧げる年だ」
「……まさか美乃里(みのり)を連れていくわけではなかろうな?」
 男のその言葉に青年は口を閉ざした。それを肯定と受け取った男は声を荒らげる。
「ふざけるな! 美乃里は俺の妻だぞ!」
「生贄は生娘である必要はない。ただ美しい方が良いというだけだ」
 青年が答え終わる前に鋭い拳が飛んでくる。青年はそれを避けるでもなく、もろに食らうも少しよろめいただけで痛がる様子もない。対してすっかり逆上した男はもう一度振るわんとばかりに拳を震わせている。
「見損なったぞ、澪(れい)! 村の為なら友も見捨てるというのか!」
「…………」
 男の大声に美乃里の腕の中の赤子が泣き出す。それを気に止める事もなく澪と呼ばれた青年はただ静かに男を見据えた。男にしては小さい背丈で見上げてくる彼の冷静な藍の瞳を凝視していた男はふっと肩の力を抜くと申し訳なさそうに目を伏せた。
「……すまねぇ、ついカッとなっちまった。お前がやってる事は次期村長としては至極当然の事だ。お前もやりたくてこんな事やってるわけねぇのにな」
「謝るのは私の方だ……私も必死に止めたんだ。だが、父は聞く耳を持ってくれなかった。今、この村で一番美しい娘と言えば美乃里だからな。
 でも、私だって男だ。幼少からの友を見殺しにするつもりはない……ひとまず了承した事にしてくれないか。必ず何とかしてみせる。じゃないと浩司(コウジ)、お前まで反逆罪で殺されてしまう」
 澪は真摯な眼差しで二人を見た。その心強い姿に先に頷いたのは美乃里だった。既に泣き止ませた赤子をあやしながら柔らかく微笑む。
「澪がそう言うなら大丈夫だ。あたしはあんたを信じてるよ。それにこの子を置いてなんて死んでも死にきれないよ」
「美乃里がそう言うなら俺も信じるしかねぇ。もし、しくじったら幼馴染みだろうと、村長の子供だろうと関係なくぶっ殺すからな、覚悟しろよ?」
「ありがとう、美乃里、浩司。この命に替えてでも必ず」
 澪は滑らかな動きで跪きそう誓う。そして颯爽とその家を後にしたのだった。

 その翌日、澪は湖蛇が住まうという湖に来ていた。晴れ渡る空を反射する水面は眩しいくらいに輝き、直視するには目を細めてしまう。澪は水際に跪くとその先を睨みつけた。そこには真ん中にぽつんと小さな祠のようなものが奉られている。
 一体、ここに何があるというのか。何故ここに人を沈めると村は守られるのか。そもそもあの言い伝えは本当なのか。澪はそんな不信感を以前から──前の生贄の話を聞いてから──抱いていた。今度こそ大切な人を守ってみせる、そう心に誓い立ち上がった時だ。
 視線の先の水面に小さく波紋が広がった。気になった澪が目を凝らすと、少しの間を置いて何かが静かに顔を出した。それと目が合ってしまった澪は思わず息を呑んだ。
 それは深い湖の底を思わせる群青の瞳を持つ人間だった。漆黒の豊かな髪は水面下で帯のように長くたゆたっている。顔はまだ幼さを残すが、もう既に独り立ちした大人の強さを感じさせる表情をしている。
 まさかこんなところに人間が、しかもこんな見目麗しい少女がいるとは思いもしなかった澪は暫し固まっていた。すると少女の方が素早い身のこなしで澪のいる岸辺まで泳いで来た。少しの距離を置いてすっくと立ち上がった少女は深みのある瞳で彼を見つめ短く問う。
「人間、何の用?」
 片言な喋り方も少し気になったが、それよりも澪を驚かせるものがあった。その子供は服を着ていなかった。それは先程まで湖に潜っていたのだから考えつく。しかしそのせいで嫌でも目に付く事実を澪は気づけば口に出していた。
「お前、男だったのか。髪が長いからてっきり女かと……」
 澪の呟きに少年は怪訝そうに首を傾げる。そんな少年に澪は自分の腰掛けを投げつけた。突然の行動に驚く少年に澪はそっぽを向いてバツが悪そうに呟く。
「目の当てる場所に困る。それでも巻いとけ」
 そうは言われても少年は状況を把握しきれていないのか、頭に疑問符を浮かべるばかり。じれったくなった澪が無理矢理腰掛けを巻き付けることとなった。腰掛けを着せられ居心地悪そうにする少年を前に澪は腕組みをして尋ねる。
「で、少年よ。お前はこんなところで何をしていた? ここは湖蛇様が住まう神聖なる場所だぞ」
「こださま?」
「もしや湖蛇様の事を知らぬと申すか? 湖蛇様は我々の村を守って下さる、いわば守り神のような存在だ──その為に今年も生贄を捧げねばならぬがな」
 誇らしげに、でもどこか苦々しい表情の澪の話に少年は閃いたとばかりに声を上げた。
「主様の事か!」
「主様?」
 今度は澪が首を傾げる番だった。そんな彼に少し優越感を得たのか、ふふんと自慢げに少年は話を始める。
「主様、とても美しい。でもその美しさ、保つ大変。だから美しい人間食らう。そしたらまた美しくなる。美しさ、強さ一緒。だから美しくなる程、主様の力、強くなる」
 少年の説明は分かるようで分からなかった。更に問い詰めようと澪が口を開きかけた時、少年は何かを思い出したように空を見上げた。
「あ、もう行かなきゃ」
 そう呟き湖に向かう少年を澪は必死に止める。
「ま、待て! まだ聞きたい事がっ」
「また縁あれば、出会う」
「じゃあ最後に一つ! そなた、名は何と申す?」
 少し考えあぐねてから少年はにかっと笑って答えた。
「主様の子だから────ヒンバス!」
 そしてヒンバスは湖の中へと姿を消した。

 その夜、澪は自室で胡座をかきヒンバスと名乗った少年の事を考えていた。彼は一体何者なのだろうか。『主様の子』と言っていたが……ということは湖蛇様の御子?
 しかし、となると湖蛇様は人間? そんな訳はあるまい。何故なら湖蛇様はずっと昔からこの村の守り神として崇められてきたのだから。そんな長寿の人間がいるものか。それに、もし湖蛇様が人間だとするなら、どうして生贄に人間を必要とするものか。
 ヒンバスの話では人間を食らい美しさを保つというらしいから、やはり湖蛇様を人間と考えるのは少し無理がある。となるとヒンバスは一体どういう存在なのか。湖蛇様とはどういう関係なのか。
 そんな事をぐるぐると頭の中で反芻し続け、結局もう一度ヒンバスに話を聞こうという結論に至った。彼ならもしかすると生贄を捧げずに済む方法を知っているかもしれない。そんな淡い期待を胸に澪はヒンバスの姿を思い返していた。
 十歳幾ばくのあどけない面持ちと口調だったが、それに反して逞しい体つきをしていた。たしか身長もそこまで変わらなかっただろう。彼の静かな深い湖を思わせる群青色の瞳と長く艶やかな黒髪を思うと自然と胸の鼓動が速くなる気がした。そういえば、と腰掛けを巻いた時に軽く触れたヒンバスの白魚の如き肌の感触を思い出していると、鋭い声に現実に引き戻された。
「澪! 何をぼーっとしておる!」
 はっと振り返ると、すぐ後ろに仁王立ちの澪の父がいた。澪はすぐさま父親に向き直ると平身低頭し、詫びの言葉を述べる。
「申し訳ございません、お父上。考え事をしておりました」
「こんな忙しい時に悠長なものだ……例の生贄の準備は進んでおるのだろうな?」
「はい、昨夜承諾を得ました。後は儀式の準備だけですので、どうか私めに全てお任せください」
「ふん、それならいい。ところでお前……」
 澪の父は無造作に澪の顎を掴み、無理矢理上を向かせる。澪は抵抗こそしなかったが、苦しそうに顔を歪めた。その口から少し怯えた声が漏れる。
「お、お父上、何を……」
「随分と女々しい表情をしておる。もしやお前、気になる男でもできたのではあるまいな?」
「っ!」
「図星か」
 言葉に詰まった澪に対して、父は冷えきった表情のまま彼の頬を殴った。勢いのまま床に倒れる澪を見下し父親は怒りを秘めた声で言いつける。
「今更、女に戻りたいとでも言うつもりか? 何の為にお前を男として育ててきたと思っている!」
「……この家系を絶やさぬ為です」
「馬鹿者! それもあるが、一番は……お前を湖蛇様の生贄にしない為だろうが。それが……前の生贄になったお前の母の願いなのだ。お前の身代わりとして生贄になったあいつのな! それを全て無駄にするというのか!」
「そんな気は滅相もございません」
「ならいいのだがな……変な気は起こさぬ事だ」
 澪の父はそう言い捨てると、乱暴に扉を閉め部屋を出て行った。残された彼──否、彼女が静かに肩を震わせ床に染みを作っていた事は誰も知る由もなかった。

 澪が重い腰を上げて湖に着いたのは、昼を回った頃だった。澪は昨夜の事もありヒンバスと会うのを躊躇っていたのだが、浩司との約束を果たすべく湖蛇様の情報を得る為にここまで来たのであった。
 できれば会わずに済めばなどと考えていた澪だったが、期待に反してヒンバスはすぐに見つかってしまった。ここまで来たら仕方ない、と彼女は意を決して声をかける。
「おい、ヒンバス! 昨日の話の続きを聞かせてもらおうか」
「お、人間また来た。俺嬉しい」
 ヒンバスが年齢相応のあどけない笑みを浮かべる。それを見た澪は胸が締めつけられるような気がしてすぐに目を背けた。そうこうしているうちにヒンバスは澪の元まで泳いで来る。
「今日は何の話する?」
「そうだな……そなたと湖蛇様、つまりそなたの言う主様との関係を教えてくれ」
「それ長くなる。座る、いい」
 ヒンバスの言葉に従い、澪は岸辺に腰を下ろした。その隣にヒンバスも足を投げ出し腰を据える。その時澪が少し体を強ばらせた事に少年は気づかなかった。何でもないように彼は話を始める。
「俺、前の生贄のお腹の中、いたらしい。主様、生贄食べて、俺産んだ。だから俺の親、主様。けど俺と主様、全然違う。あんたと俺、似てる。何故だ?」
 ヒンバスの話を聞いてその問いに答えるのは澪にとっては難しい事だった。というより澪の中でも理解が追いつかないでいた。
 前の生贄──つまり澪の母親のお腹の中にいたのがヒンバス? となると彼と彼女は血の繋がりがある事になる。だから似ているのか、それとも同じ人間だから似ているというだけの話なのか。
 澪が選んだのは────後者だった。
「それはそなたが、私と同じ人間だからだ」
 澪は何故かヒンバスと自分が姉弟かもしれない、ということを発言する事はおろか、心の片隅ですら認める事ができなかった。だけど彼に自分が澪と同じ人間だという事に気づいてほしいという気持ちは強くあった。
 それが何故かは今の彼女が知るべきではない感情から来るものであったが。しかしヒンバスは激しく首を横に振って否定する。
「違う、俺人間違う。俺、主様の子、つまりヒンバス。俺、ヒンバス! それで、俺、次の主様なる!」
「次の主だと……?」
「そうだ、俺らヒンバス、美しさ競う。一番美しい者、次の主様なる。ここ地、治める。それ、俺らヒンバスの目標」
 彼の必死な熱弁を澪は黙って聞いていた。そして彼女は一つの考えに辿り着く。
 次がいるということはつまり主様の命には限りがあるということ。ならば──それを絶てば生贄は必要なくなる──その思考を悟られぬよう澪は平静を装い質問を変える。
「そうか……ではその争いを勝ち抜いた主様は相当美しいのだろうな、一度目にしたいものだ」
「主様、慎重なお方。普段は湖の底。けど綺麗な月夜、見に上がる時ある」
「そうなのか、では近々お会い出来るかもしれんな。もうすぐ満月だったはずだ」
 そしてその日が生贄を捧げる時──澪は知らずのうちに拳を固く握っていた。それまでになんとか湖蛇様を見つけ倒さねば。澪はその為の最後の質問を口にした。
「ヒンバス、主様の苦手なものを知っているか?」
「へ? 主様の苦手?……あ、湖の皆、電気嫌う。たぶん主様も」
 ヒンバスの言葉を聞いて澪は何となく確信していた。きっと主様──湖蛇様も電気に弱いであろうと。そして上手くいけば次の湖蛇様も全員根絶やしにし──彼をここから連れ出す──そんな事も不可能ではないと。
 今夜中に全てカタをつける、そう澪は気を引き締め立ち上がった。それに反応してヒンバスも共に立ち上がる。
「ヒンバス、有益な情報を感謝する。今夜また会おう」
 澪の言葉にヒンバスは何故か表情を曇らせた。声も弱々しいものになる。
「……人間、来る、良くない。あんた、主様に食われる。あんたいなくなる、寂しい」
「何を言うか。湖蛇様が頂くのは美しい娘だけのはずだ。現にそなたも食べられていない」
「だから言ってる!」
 突然ヒンバスの口調が強いものになり、澪は思わず身を固めた。ヒンバスはそんな澪の顔にそっと手を添えると、しっかり視線を交じわらせ静かに告げた。
「あんた、充分綺麗なおなごだ」
「なっ! 何を言い出すんだ! し、失礼する!」
 次の瞬間にはそう叫び、ヒンバスの腕を払って澪は逃げ出していた。

 家に走り帰った澪は焦りを隠せぬまま屋根裏へと向かった。その焦りは気づかぬうちに声にもなってしまう。
「何故……どうしてバレた……?」
 幼馴染みの浩司や美乃里も知らない事実を、当たり前のように見破られていた。野生の勘とでもいうのだろうか、その事に澪は若干の恐怖さえ感じていた。
 それを振り払うように彼女は耐電性の網を振り回し次々と電気鼠や電気蜘蛛を捕らえる。その様はまさに狩人で、彼女を女だと疑う方がおかしな話だった。
 しかし彼女の生涯をかけて染み付けられた男になる為の立ち居振る舞いでさえ、ヒンバスにとっては取るに足らないまやかしでしかなかったのだ。


 ほぼ満月と言ってもいい美しい月夜、澪は大きな袋を持って山道を歩いていた。暗いはずの湖への道は袋の中から微かに漏れる明かりに照らされ、彼女は何の迷いもなく足を進める。
 湖に着いた澪はそこに向かって乱暴に袋を投げ捨てる。袋に水が染み込んでいくにつれ、先程捕らえた中のポケモン達の声が騒がしくなる。そしてとうとうそのうちの一匹が危機感から電気を発した。それを皮切りに各々が発電し始め、それは湖を神々しいまでに輝かせる。ぽつぽつと貧相な小魚が浮かんできた頃──とうとう澪の獲物が姿を現した。
 光を放つ水面から水しぶきを上げ躍り出たその姿に澪は改めてそれが神である由縁を思い知った。白魚の鱗に包まれた長い体躯をくねらせ、色鮮やかな光沢を持つ尾で波を起こす。艶やかな桃色の触角から覗くその紅い瞳は全てを見透かす様──その姿は圧倒的で、目を奪われる程に神々しく美しかった。澪は思わずその名を口にする。
「こだ、様……」
《次の生贄は随分と生意気なようだ。この我に刃向かおうなどと百年あっても足りぬわ》
 湖に住まう神には澪の思惑など全てお見通しだった。絶対的な存在感に圧倒され動けずにいる澪をそのまま丸呑みにしようと湖蛇の白い巨体が襲いかかる。彼女は為すすべもなくただただその恐ろしいまでに美しい神が迫り来るのを見つめているしかなかった。
 それ程までに凝視していた澪にとってさえ、次の瞬間の出来事は本当に一瞬の事だった。しかし鮮明に彼女の目に焼き付いたのは長い黒髪をたなびかせ赤い飛沫を散らす白魚のような肌を持つ少年だった。彼は首から血を流し倒れた神だった者を感情のこもらない群青の瞳で見下しながら宣言する。
「この人間、俺の。主様でも、奪う、許さない────俺、次のミロカロス、なる」
 そして呆然と座りこんでいた澪に歩み寄るとその手を差し出す。その瞳は先程とはうってかわって優しさと──少しの愛欲を──秘めたものだった。澪はそれに臆する事なく、躊躇なく手を取り立ち上がる。その勢いのまま彼女はヒンバスの逞しい腕の中に抱きとめられた。
「人間、大丈夫か?」
「……あぁ、そなたのお陰で助かった。礼を言う」
 少し照れくさそうに頭を下げる澪の男装の為に短くなった黒髪を、ヒンバスは愛おしげに撫でつける。それに驚いた澪が顔を上げると、そこには心底安心したとばかりに微笑む少年とは思えない大人びた男の顔があった。
 壊れ物に触れるよう優しく髪を伝う彼の手。女のような扱いに慣れない澪は恥ずかしさから顔を背けてしまう。
「どうした、人間?」
「べ、別に何でもない! そして今更だが私には澪というちゃんとした名がある! よく覚えておけ」
「れい? 澪……澪! 澪! 分かった、よく覚える! 澪」
「そんな連呼せずとも良いだろう! 恥ずかしい……」
 澪はそう言ったが、しばらくヒンバスは彼女の名を呼び続けた。そして文句を言いつつも澪はその一つ一つに応えてやっていた。
 漸くそれにも飽きてきた頃、岸辺に二人並んで腰を下ろし丸い月を見上げていた。澪はちらと遠目に倒れ伏す湖蛇に目をやった。倒すつもりでここまで来たのだが、いざ村の守り神だと崇めていた者が居なくなってしまうと、どうすればいいのか困ってしまう。
 それと同時にどこか安心している部分もあった。これでやっと生贄を捧げずに済む。何故なら次の湖蛇様となったのは隣に座る彼なのだから。
「もう、生贄はいらないのか」
 澪が月を眺めるヒンバスの横顔にそう問いかけると、彼は複雑な表情を浮かべ澪を見た。
「俺……俺は、一人いればいい。でも澪が嫌言うなら」
「私で良いか」
 ヒンバスの言葉を遮り、澪が口早に放つ。その顔は心なしか赤みを差す。それにつられてヒンバスも少し顔を赤らめながら、それでも真剣な眼差しで澪を真正面から見据えた。
「澪がいい」
 簡潔に、それでいて全てを伝えるその言葉。それに対し澪は生贄のそれらしく跪き、厳かに告げた。
「生贄として、そして──伴侶として、残りの生涯の全てをそなたに捧げる事を誓おう」
 そうして澪は満面の笑みを浮かべた。それは間違いなく生贄に相応しい美しい娘だった。













 あるところに、ポケモンと共に暮らす村があった。そこではポケモンに食べ物を捧げる代わりに、様々な災厄から村を守ってもらっていたのだという。
 その始まりは男として育てられた人間と、ポケモンとして育った人間の愛だという話だそうだ──────

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