私は少年に届かない

しおりを挟みました
しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
作者:絢音
読了時間目安:22分
こちらは『僕の彼女は話さない』のカップリング短編となっております。
これ単品でも問題なく読めますが、合わせてお読みいただくとより世界観が分かりやすく楽しめるかと思いますので、良ければぜひお読みください。
 人間観察。それは日々を味気なく過ごす私の唯一の趣味である。
 人って本当に不思議で滑稽で面白い。糸を張ってぼんやりと獲物がかかるのを待ち続けるだけの私と違って、毎日忙しなく動き続けている。騒々しくも思うその光景は見ていて飽きない。人間の行動も興味深かったが、何より喜怒哀楽の感情豊かに変化する表情がとても気に入っていた。

 今日も人の住処の天井に巣を張り、下界の様子を伺っていた。天井の、しかも隅っこに張り付く小さなイトマルなんて誰も見向きもしない。
 それは人間観察をする私にとって好都合だった。邪険に扱われる事もなければ、私を気にして人間の行動に制限がかかる事もなく、ありのままの人の姿を見ることが出来た。
 慌ただしくキッチンをあっちへこっちへ往復するメスの人間、それとは対照的にソファにどっかり座ってテレビを前に微動だにしないオスの人間。よくある一般家庭の風景だろう。
 ただ一つ、今はここにいない存在が気にかかった。もうすぐ人間達のご飯の時間だから降りてくるはずだが……またあの部屋にいるのかもしれない。
 気になった私は天井を這って二階へと登った。眼前に3つ並んだ扉のうち開け放たれたままの左端の引戸へ真っ直ぐ向かうと、白い照明に照らされた部屋にいつものように座っている少年が見えた。
 私はバレないようにこっそり彼に近づき、真上から様子を伺った。少年は人形に囲まれて座っており、その両手にも人形が握られている。何か一人でぶつぶつ話しながら人形を動かしている。所謂人形遊びをしているようだ。
 私のそこそこのキャリアを誇る人間観察経験上だと、この遊びはメスの子供がよくやっている認識だったので、それをオスの子供がしている事が珍しく感じた。しかもこの少年、そこらの子供と違ってきちんと場面や設定を事細かに考えているので、もはや人形遊びと言うより人形劇を見ているようだった。
 それは繰り返しの多い現実の人間生活を見ているより更に面白く、私は少年の紡ぐ物語、ひいてはそれを作り出す少年自身に強く興味を引かれていた。
「和樹〜、ご飯できたわよ〜。降りてきなさ〜い」
 階下から少年を呼ぶ声が聞こえた。しかし少年は自分の世界に入り込んでいて、その声に応えもせず人形劇を続ける。
「和樹〜?」
 もう一度少年の名が呼ばれると、漸く気づいたのか少年はハッと勢いよく顔を上げ、両手の人形を放り投げ階段を駆けていった。
 電気が点いたままの明るい部屋に残されたのは床に寝転ぶ人形達とイトマルの私だけ。観察対象がいなくなり、手持ち無沙汰になった私は投げ捨てられた人形に気まぐれに糸を吐き着け、天井に引き寄せようとした。綿が詰まった布製の人形は辛うじて持ち上がり、糸がちぎれないようにゆっくり引っ張るのに合わせて少しずつ持ち上がっていく。
「ミーナ?」
 突然人形の名前が呼ばれ、驚きのあまり糸を引く手を止めてしまう。声のした方を見れば、少年が扉に手をかけて私の下を見つめている。そこには宙ぶらりんになったミーナと呼ばれた人形がいた。
 どうしよう、人間に存在がバレてしまった……早く逃げないと、そう考えていた私に少年は予想だにしない言葉を投げた。
「ミーナが立ってる! 一人で立てるようになったんだ!」
 正確にはその言葉は私ではなく、人形のミーナに宛てられたものだった。キラキラとした瞳を向ける少年はミーナからの返事を待っているようだった。
 人形が独りでに動き始めたと勘違いしているのだろうか。相変わらず人間の思考回路はよく分からない。こんな茶番に付き合う必要はない、けど……先程までやっていた少年の人形遊びを思い出し、私はいい事を思いついた。
 宙に浮いたままの人形の頭に向かって糸を吐く。そして糸を手繰って体勢を整えた後、今度は糸を少し緩めてからまた引っ張った。すると人形はこくんと頷くように頭を動かした。
 それを見た少年は目を大きく見開き、興奮した様子で人形の元に駆け寄った。
「すごいすごい! 僕の言葉も分かるんだ」
 もう一度人形を頷かせる。それを見て少年はまた歓声を上げた。その時、階下から少し語気を強めた声がする。
「ちょっと和樹? 電気消すのにどれだけ時間かかってるの? 早く降りてきなさーい」
「は、はーい! すぐ行くから!」
 少年は慌てて返事をして再度人形に向き直った。
「僕は今からご飯だから、ちょっと待ってて。食べ終わったらまた一緒に遊ぼうね」
 そう言い残すと彼は部屋の電気を消し、一階へと去っていった。暗くなった部屋で私は下方に垂れ下がる人形のミーナを見つめる。
 どうなる事かと肝が冷えたが、これは思わぬ拾い物をした。これを使えば身バレせずにあの人間の少年と関われそうだ。これからの人間観察が更に面白くなる予感に私は笑わずにはいられなかった。



 それから私と少年もとい和樹は一緒に人形遊びをする仲になった。といっても彼は私の存在を知らず、人形が勝手に動くようになったと思い込んでいるままだった。
 彼と人形を通してコミュニケーションを取る事は、一方的に見るだけの人間観察と違って自分の行動に人間がどのような反応をするのかが見れてより面白かった。
 だから私が和樹の家に住み着くようになったのも想像に容易いだろう。
 和樹は朝から昼過ぎにかけては外出していたが、それ以外はほとんど部屋で人形を弄っているような子供だった。私が人形を操るようになってからはよりその時間が増えたようだった。
 私にとってそれは楽しみが増えるので有難い事だった。さらに、ある日を境に私と彼の時間はより長く濃密なものとなる。

 きっかけはいつもは朝の決まった時間に起きる彼が布団から出てこなかった事だった。母親が心配して様子を見に来ても、
「学校に行きたくない」
 の一点張りで布団から出てこない。とうとう母親が諦めてどこかに電話をすると、和樹は急に元気になって布団の上でいつも通り人形遊びを始めた。それに合わせて私も自分の分身である人形のミーナを糸に絡め取る。
「おはよう、ミーナ。今日は一日遊べるよ」
 起き上がったミーナに和樹は男の子の人形にお辞儀をさせて挨拶をした。私は何故今日はずっと家にいるのか問うべく、糸を上手く操りミーナの首を傾けた。すると和樹はさっきまでの元気はどこへやら、気まずそうに目を伏せる。
「……今日は学校を休んだから……」
 力なく答える彼が心許なく、私は自分の手を差し伸べる代わりにミーナを寄り添わせた。
 何が彼をこんなにも追い詰めているのか私にはまだ分からなかったが、それでも彼が弱っている事は人間観察で培った洞察力ですぐ分かった。
 和樹は何も言わずに下唇を噛み締め、右手の人形は宙に浮かしたまま、左手を膝の上で握り締めるだけだ。その拳に私が操る人形の手を重ね、赤子をあやすようにさすってみた。
 すると突然、堰を切ったように和樹の両目からぼろぼろと大粒の涙が溢れ出した。元気を出そうとした行動に対する思わぬ反応に私はぎょっとする。
 人間の行動を真似て人形を動かしていたつもりだったが、何か間違えてしまっただろうか? どうすればいいかわからず固まっていると、和樹はそっとミーナを持ち上げぎゅっと抱き締めた。統制を失った私はただされるがままの身代わりの人形を見ているしかなかった。
「……ミーナの事、学校の友達に、話したんだ」
 しばらくして幾分か落ち着きを取り戻した和樹が嗚咽混じりにぽつりぽつりと話し始めた。その間もミーナは彼の手の中で私は動かすことが出来ずにいた。そんな私に構わず彼は話し続ける。
「そしたら皆、『人形が動く訳ない』ってバカにしてきて……本当の事なのに、誰もミーナの事、信じてくれなくて……ムキになって言い返してたら、いつの間にか嘘つき扱いされて。
 それから……仲間外れにされたり、無視されたり、物隠されたり、『嘘つき』って机とかノートに落書きされたりもした……皆、僕の事、嫌いになっちゃった」
 あぁ、そうか。その話を聞いて漸く私は彼の今朝の行動を理解した。私は和樹が受けてきた一連の行動が何か知っている。
 人間が集団になるとよく起こる『いじめ』というやつだ。
 以前、人間の子供が集う学校という所でよく見た光景だ。和樹はあれの被害者になってしまったのか。しかもたぶん、きっと、私のせいで。私が人形を動かしたせいで。『嘘つき』とレッテルを貼られ迫害されたのだ。
 それに気づいてさぁっと血の気が引いた。彼をここまで追い詰めたのは私だ。私の、しょうもない好奇心のせいで。私があの時、人形を手にしなければこんな事にはならなかったのに。
 関わるべきではなかったのだ、興味本位なんかで。ここにいるべきではないんだ、私のようなイトマル如きが。
 自責の念にかられ、その場から逃げ出そうとした時だった。ふっと小さく微笑む彼の顔が見えた。
「ミーナだけが、僕の本当の友達だよ」
 その言葉に感情がこんがらがって、訳が分からないままゾッと鳥肌が立った。
 和樹から友達を奪い去った私が、彼の本当の友達? こんな矛盾があるだろうか。彼は真実を知らないから。私だけが本当の事を知っているから。それなら私がすべき事は、もうこれしかないだろう。
 和樹の腕の中で身動きが取れずにいる人形の腕に糸をかける。何とかミーナの短い腕を動かし、彼を抱き締め返した。それに気づいた和樹の瞳からまた一筋の涙が流れるのを見守りながら、私は決心した。

 私が彼を支える。彼の心の拠り所はもう、私しかいないのだから。


 和樹が学校に行かなくなって数年が経った。同じ時間だけ私も彼の部屋に籠っていた。
 相変わらず私は彼と人形を使って仲良くしていた。彼がもっと多くの人形と遊びたいと言うので、私はより多くの人形を操る為、より多くの糸を使った。より強度のある糸が出せるように、より多くの糸を扱えるように自分を鍛え、その甲斐あってか気付かぬうちにアリアドスに進化していた。
 大きくなった体を隠すように暗闇に身を潜め、遠くから人形を操る事で和樹からはどうにかバレないように済んでいた。しかし流石に彼の両親にはバレているようだったが、厳格な父親も心配性な母親も私が唯一の和樹の遊び相手と知ってか知らずか、特に何もしてこなかった。
 そんな頃、母親が駄々をこねる和樹をなだめすかして無理矢理外へ連れ出した。どこへ行ったかは分からないが、大荷物を持って車で出掛けたところを見ると暫くは帰ってこないのかもしれない。
 その間に父親が、こちらも大きな荷物を持って、和樹の部屋を訪れた。何事かと興味津々で部屋の隅っこから覗いていると、父親と目が合った。
「アリアドス、そこにいるんだろう?」
 まさか呼びかけられるとは思ってもみず、私は警戒を強め様子を伺った。彼は疲れきった顔でため息を吐き、荷物の箱を開けながら私に向かって話し続ける。
「何のつもりで和樹と遊んでいるのか知らないが、もし君が人形遊びを続けるつもりなら、頼みがある」
 そう言うと彼は箱の中から、丁度和樹と同じくらいの背丈のメスの人間にそっくりな人形を取り出した。
 絹のような金髪に宝石のような薄緑色の瞳。一糸纏わぬ肌は陶器のように白く輝いて見えた。
 和樹の父親はその人形を生贄の如く私の真下に差し出すと、土下座して私にお願いをしてきた。
「この人形で『人間として』和樹の友達になってほしい。今の息子はまともに対人関係を作れない。そのきっかけにさえなってくれればいいんだ」
 何を言っているのだろう、普通の人ならそう言いそうだ。ポケモンの私にだって変な事だと分かる。
 人形を『人間として』だなんて。しかし──この父親もこんな物に頼らなければ息子を人間社会に戻せないのだ。私はもしかすると、和樹の人間関係だけでなくこの家族まで壊してしまったのかもしれない。
 それなのに彼らは私に助けを乞い、私を頼ろうとする。それならば──私は罪滅ぼしをするまでだ。
 すっと真新しく美しい人形に糸をかけ、あたかも生きているように起き上がらせた。その動きを目の前にした父親は硬直して声も出せずにいる。
 私は人形の薄桃色の両頬に糸をかけ、くっと持ち上げた。それに合わせて人形が口角を上げて笑う。これで私が了承した事が伝わるだろう。
 父親はもう一度頭を下げると、人形の服を何着かタンスの中に押し入れ、相変わらず疲労の消えない表情で部屋を後にした。

 一週間後、和樹は帰ってきた。
 帰って早々、自分の部屋に知らない女の子がいると喚き散らしているのを、私が操る人形は不安そうに見つめていた。
 和樹がいない間に私はこの等身大の人形を自在に操れるよう猛特訓し、歩く、着替えるといった日常生活は勿論のこと、ちょっとした表情の変化も作れるようになっていた。それはまるで本当に生きている人間のように。
 まともに目も合わせられない和樹がリアルに動く人形を『本物』と勘違いするのは容易い事だった。
 和樹の両親がどんな説明をしたか知らないが、一晩経って漸く彼は私が待つ自室に入ってきた。彼は勉強机の椅子に腰掛け黙々と勉強を始める。私と美しい人形は部屋の隅っこで佇んでいるだけ──と思ったが、意外にも彼から声がかけられた。
「あ、あの、そんなとこ、突っ立ってないで、す、座れば? どっかに」
 普段と違い片言で話す彼を見れば、机に向かっている風を装っているが手は動いていないし、というか緊張のあまり全身ガチガチに固まっている。
 本当に久しぶりの他人が怖いのだろう。私は余計な事はせずに、ちょこんとベッドの上に人形を座らせるだけに留めた。そのまま会話は途切れてしまう。
 それはそうだ、コミュ障と話せない人形、会話が続く方がおかしい。それでもミーナの時はこんなに気まずくなかったのにな、そう思って私が前まで使い込んでいた人形を真新しい人形の手に引き寄せた。そのまま新しい人形にミーナを操らせる。そうするとまるで女の子が人形遊びをしているようだった。
「に、人形、好きなの?」
 唐突に声がかけられ、私はびっくりする。声の本人は未だ勉強している風を装っているが、横目にじっとこちらの人形達を見ている。
 早く反応を返さなくては、と大きな人形の目線を和樹に移した。そしてにっこり笑わせ大きく頷く。更に手元の人形を彼の方へ突き出し、ぺこりとお辞儀させてみた。
 すると和樹は漸く机から顔を離した。その視線はほぼ床に向いていたが、恐る恐る震える手で別の人形を取り出し同じようにお辞儀を返してくれた。しかもちゃんと台詞付きで。
「は、初めまして。ぼ、僕は茂和樹です。き、キラリちゃん、ていうんだよね、親から聞きました。あの、その、キラリちゃんが、今遊んでくれてるのはミーナって名前の子です。で、こっちにいるのが……」
 和樹はたどたどしくも丁寧に自己紹介をし、そのまま人形の紹介を始めた。私が動かす人間そっくりの人形(和樹が言うにはキラリという名前のようだ)は、彼の話に合わせて興味津々にうんうんと頷く素振りを繰り返す。それに気を良くしたのか和樹の緊張も幾分か取れ、部屋中の人形の紹介が終わる頃にはなんとかどもらず話せるくらいにはなった。
「良かったら、皆と仲良くしてあげてね。もし、暇なら今から一緒に遊ぶ?」
 おずおずと不安そうに愛想笑いを浮かべる彼を見て胸がきゅっと締め付けられる。
 あんなに警戒していた彼から遊びに誘われるなんて。自分の操るキラリが受け入れられたのが、まるでアリアドスの自分が受け入れられたように感じられ、安心と共に嬉しさが込み上げた。
 自分の感情を表現するように私は人形のキラリで満面の笑みを作った。それは蕾が綻ぶように美しく、毒々しい私とはなんともかけ離れたものだった。
 花も恥じらう人形の笑顔に和樹はハッと息を飲んですぐに顔を逸らした。その顔が真っ赤に染まっているのは上からだとよく見えた。
 ああ、これは────落ちたな、恋に。
 人間の事ならすぐ分かる。ましてや彼の事なら尚更。そして私もきっと──満更ではないこの気持ちを人形の手に乗せて彼の手に重ねる。
 彼は飛び上がるほどビクッと揺れ、顔を茹で上がらせた。それを見て私もキラリも笑った。その笑顔は似ても似つかないだろうけど。そうしてなんだか甘い空気を漂わせながら和樹と私とキラリは人形遊びに興じたのだった。

 キラリが来てから彼は少しずつ変わった。
 いつもだるだるのスウェットを着ていたのに、清潔感のある余所行きのシャツに着替えるようになった。寝癖ばかりだったのに、髪型にも気を使いワックスを使い始めた。父親や母親、更にはネットを頼りに、カッコ良さを追求しているようだった。その為なら外に買い物へ行くようにもなった。
 ずっと引き篭っていたあの彼が、だ。
 それもこれも全てはキラリの気を引く為だ。彼は何かが変わる度にキラリに見せてきた。その度に私はキラリを美しく微笑ませた。
 それがご褒美になっていたのか、彼の自分磨きは止まる所を知らなかった。そしてそれは彼の家庭にもいい影響を与えた。何故なら彼は勉学にも励み、結果を出したからだ。
「明日から高校かぁ……緊張するな」
 ベッドにぼふんと寝転んだ和樹の傍にキラリを座らせる。彼はすっと手を伸ばし、キラリの長く滑らかな金髪を指で梳いた。
「キラリも一緒に行ければいいのに」
 彼の言葉にキラリは困り顔で首を横に振った。それはできない相談だから。アリアドスが操る人形が通える学校などあるはずもない。通ったところで人間の勉強などできるわけもない。
 彼は未だにキラリの正体に気づかないでいた。よく見ればすぐ分かる事なのに、何故かずっと『人間として』彼と一緒に過ごしていた。思い込みとは恐ろしいものだ。それとも無意識に気づく事を避けているのかもしれない。
「キラリ?」
 私が考え事をしていたからキラリもぼーっとしてしまい、和樹が不審そうにキラリの顔を覗いていた。
「どうしたの、ぼーっとして」
 私は何でもないとキラリの首をぶんぶん横に振った。その動きに和樹はくすりと笑う。
「そんな大袈裟に否定されたら逆に気になる」
 そう言われたので今度は両手だけ振った。すると彼は少し困ったようにしつつもまた笑った。
「えーなんだろ、気になるな。当てるからちょっと待って」
 うーんと彼は首を傾ける。私はどうしてキラリが人形と気づかないのか、なんて考えていた事を当てられたら反応に困るな、と思いながら彼の答えを待った。
「僕がいなくなるのが寂しい……とか?」
 思わぬ回答に私は目をぱちくりさせるしかない。確かにそれはそうなのだが正解ではない。どう反応を返すべきか悩む前に、彼は真面目な声音で問いかけてきた。
「ねぇ……僕が高校通い始めたら寂しい?」
 これは、どう返すのが正解なのか。正直に答えるべきか、重荷にならないよう嘘をつくか──私は後者を選んだ。キラリがふるふると静かに首を横に振った。しかし彼は尚も聞いてくる。
「本当に?」
 これ以上どう答えればいいのか。分からなくなった私の手は止まり、キラリの動きも止まってしまう。糸が緩みキラリの頭が少し前に傾く。
 それが俯いているように見えたのか、和樹は慌てた様子で逡巡したと思ったら、意を決した顔でキラリをそっと抱き寄せた。
「寂しい思いさせるよね、ごめん」
 何をどう受け取ったのか分からないが、何故か私の気持ちが伝わったようで胸がどきりと高鳴る。何か応えなければ、どうにか動かせそうな人形の腕を彼の背に回してみた。
 驚いたのか彼が小さく揺れた気がした。少し頬を上気させた彼はとても真剣な眼差しでキラリと向き合う。
「僕はキラリが好きです。高校でいろんな人と出会おうと、キラリ以上に好きになる人はできないと思う。
 話せなくてもいい、外に出られなくてもいい。ただ僕の傍で優しく笑ってくれるキラリが好きなんだ。
 寂しい思いはさせてしまうけど、絶対不安にさせないって約束する。だから僕の彼女になって下さい」
 和樹は緊張した面持ちで人形の端正な顔を穴が開くほど見つめながらはっきりと言い切った。
 今までも彼の好意はバレバレだったが、こうして言葉にされたのは初めてだった。
 自分が直接言われた訳でもないのにすごくドキドキと心臓が跳ねている。今の気持ちを一言で表すのは難しいが、とにかく幸せだと思った。何がとは言えないけれど。
 私の答えはただ一つ。だからキラリが次にする行動も一つしかない。
 私は大きく人形の頭にかかる糸を動かした。それに合わせて人形は大きく頷いた。その顔には大輪の花を咲かせて。
 天使のようなその笑顔は、大きな毒蜘蛛には程遠くて。醜い自分と麗しい人形の差異に漠然としたショックを受けてしまうけれど。それでもいい。彼が受け入れてくれるなら仮初の姿で構わない。
 私の想いはいつの間にか罪滅ぼし以上の感情を抱いていた。彼と一緒にいたい。たとえどんな形だろうと。たとえ何者になろうとも────ずっとこの関係が続けばいい、そう思う。



 だけどいつか終わりが来るその日には。

 彼は本当の私の姿を、アリアドスの私を見てくれるだろうか。

 その時は、どうか、この手が、彼に届く事を願う。

読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想