35 愛しい世界へ

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 『彼女』——メアリ・ハオルチアはひゅうと風の吹く音で目を覚ました。ぼんやりと開かれた目に映ったのは、神々しくも金に染まる空、材質の知れないつるりとした床、酷く崩れたと見えて尚その荘厳たる様を主張する柱。何より、強く優しく温かく光る、太陽。
 ありえない。彼女はうまく働かない頭でそう結論付けた。何故なら、彼女は——

「——消えてはいない」

 弾かれたように顔を上げる。メアリの見開かれた眼に映ったのは時の神ディアルガそのものであった。
 続けて彼女は自身の身体を見下ろす。黄金の毛並みのほっそりとした前脚。三叉の指。九つある長い尾。すっかりと慣れてしまったキュウコンとしての身体。
 生きている。消えたはずの自分は、また意識を保ちここにいる。その事実をメアリは飲み込み難かった。

「どうして……」
「勇気ある者たちへの、細やかな礼だ」

疑問と困惑に独り言ちた彼女に応えたディアルガはそう言って空を見上げる。どこへと向けられた視線なのかは彼女には分からなかったが、それでも神の言葉をゆっくりと理解して、納得する。
 時間の掟を破った自分たちは、どうもその罪を赦され死を免れたらしい、と。
 そして。

「……勇気ある者“たち”、ってことは」
「お前も、お前の弟も。……在りし未来に生きる者たちも。過酷な世界になお輝く生命をただ失くすのは、私も惜しい」

 弟も。相棒も。暗黒の未来で共に抗った仲間たちも。皆、生きている。
 そう聞いたメアリは堪らなくなって、その頭を垂れた。

「ああ……奇跡かしら。感謝します、神よ」
「構わない。これからはお前の生を歩むと良い」

 自分の生。メアリはそれを考え、そして、そっと曖昧な笑みを浮かべることとなった。

「……駄目だわ」
「駄目、とは」
「生き返っても心の闇に染まった事実は消えない。病は消えない。折角命を助けてもらったけれど、どうせ私はそのうち死ぬのよ」

 未来で心に闇を患ったメアリは、その身を病に侵されている。人間であった頃から限界を迎えつつあったその身体は、限界が近いだろう。そう、メアリは思った。実際、この時限の塔を登っている時点で酷い頭痛や目眩に襲われているのだから、正気を無くす一歩手前まで進んだ心の闇の侵食はその身に大きな負担を掛けているのだろう、とも。
 ディアルガはそう言って俯くメアリをじっと見つめる。メアリは知る由もないが、その双眼は彼女の歴史を眺めていた。“未来で生きた過去”を。“過去で生きた過去”を。そして一つ頷く。

「確かにお前は闇に侵されている。だが、その身に巣食う病は、一度祓われているようだな」
「……え?」
「お前が時を渡った時。お前がその身を転じた時。人間としての肉体は失われ、それと同時に人間の肉体を蝕んでいた闇の病も消え失せている。……その後にまた侵食が始まっているが、お前の考えているほど進んではいない」

 じわり、とメアリの心に何かが滲み出て来る。何故かそれを自覚したくなくて、彼女は言葉を重ねた。

「でも、それでも病は私を苦しめているわ。頭も割れるように痛い。時々、起き上がるのも辛いほど四肢に激痛が走る。比喩でなく心の臓が張り裂ける感覚だってした。正気を失う怖さも味わった」
「そうだろうな。その身体もまた、闇に侵され……寿命は随分と縮んだだろう。四半ほどまでか」
「でしょう。だから……」

 もう自分は長く生きられないのだ、と言おうとして、メアリの頭に何かが引っかかる。
四半ほどまで縮んだという寿命は……果たしてどれほど残っている? そもそも、本来の寿命は——
 そこまで考えたメアリは目を見開いてディアルガを見る。時の神はここで初めて生物らしく、くつくつと表情を見せて笑った。

「さて。千年生きるとされるほど生命力の高いその身体は、大きく寿命を削られて……いつまで生きるのだろうな」
「そんな、まさか……」
「心の闇は払える。そしてその進行が止まれば、これ以上寿命を削られることもない」

 じわり。またメアリの心に何かが染み出す。メアリはもうそれを止められなかった。
 希望。それも今までのような、後に託すものでも、何かを犠牲にするものでもない、純粋で強大な希望。生きる希望。生への渇望。

「そんな、私、死ぬつもりで……だからこんなに、汚れてきたのに、汚してきたのに……」
「ならばその分、何かを救うがいい。生きて生命を救うがいい」

最後にメアリが気にしたのは、自身が手を汚し踏み躙ってきたその罪のことであった。弟の代わりにと思い、進んでその手を汚してきた。そして過去世界で培ったメアリの道徳観念——罪悪感は、確かに彼女を責め立てる。
 しかし神はそれすら見通して生きろと言った。その“生きる”は正しく、メアリにとっての“生きる”であった。

「さて、最後にお前に問おう。……お前は、生きたいか?」
「……ええ。生きたい。この鮮やかな世界で。美しく愛しいこの世界で」

 メアリは涙を流しつつ笑い、確かに、頷いた。



「……そういえば、心の闇が払える、って。未来では不可能だと言われていたのだけれど」

 しばらくして落ち着いたメアリは、ふと頭を過ぎった疑問をディアルガに尋ねた。時の歯車に触れた際に心が軽くなる、といった現象は経験したものの、それですら完全には快復させてくれなかった。それ故にやはり不可能なのでは、と彼女は考えていたのだが。

「星が停止した世界では、概ねそうだろう。まだ星が生きているこの世でも、やはり凡その者には難しい。重要な要素があるのだよ」
「重要な要素……?」
「それはだな……」

 ディアルガの勿体ぶる口調と、不意に背後から聞こえてきた足音。メアリは振り返り、そして大きく目を見開いた。
 そこに居たのは——。



☆☆



親愛なる弟へ


 元気にしてる? 私は元気です。
 中々帰らなくてごめんなさいね。後で教えるけど、ちょっとここでやることがあって。もうしばらく幻の大地にいます。あなたもイヴちゃんも、バロンさんやカンランや……ギルドの皆も、もしかしたら心配してくれてるかもだけど。そのうち帰るから安心してね。

 あなたがどこまで事情を知ってるか分からないから一応顛末を書いておきます。
 私たち未来世界の生命は皆、タイムパラドックスの都合で消滅しました。でもそこで、時の神ディアルガが気を利かせてくれたみたい。私もあなたも、プレナイトやモルガナも、ついでにスフェーンたちも……皆、生き返ることになったわ。

 ただ、その代償と言うべきか、彼らとはまず会えなくなっちゃったみたい。時だけでなく空間が違うんですって。世界が『凍結しなかった世界』と『凍結してから復活した世界』の2つに枝分かれしたらしくって……分かる? 複雑で概念的な話よね。まあとにかく、時を超える以上の奇跡がないと会えなくなっちゃったのよ。
 まぁそもそも私たちが来たのはずっと遠くの未来だから、普通に生きてる間に出会うこともなかったでしょうけど。……あれ、もしかして私、長生きしてたら私の誕生に立ち会うことになったのかしら? 私はキュウコンにしてはすぐ寿命が来るみたいなんだけどさ。


 さて。私は復活して時限の塔で目覚めました。復活しても病気は消えてないからすぐ死ぬだろうって思ってたのだけど、それも解決しそうなのよ。……あ、ごめんね。あの最期の時、時限の塔に登り始める前から私って死にそうだったし、死ぬつもりだったのよ。消滅云々の前にね。ごめんね? お叱りはまた今度聞きます。

 で、解決の方法なのだけど。リライブ、って現象があります。1度闇に堕ちた心を取り戻すことね。正常で清浄な時の流れの中で、もっとも和やかで健やかな時間を思い出すことでそれができる、らしいんだけど……もう1つ条件があって。それが聞いてびっくり、『信頼できる人間と共にいること』だったのよ。
 うん、困惑してるよね。分かる。私も本当にびっくりしたと言うか、実は何となくそうじゃないかと思ってたけどまさか本当にそうだとは思わなかった。幻の大地にはね。今まさに、人間が居るのよ!

 その数は少ないけれど、幻の大地と時限の塔の管理者として人間の一族がひっそりと隠れ住んでいたのよ。虹の方舟の石碑を刻んだのも彼らだし、ダンジョンの野生を倒したりして実はこっそり私たちを手伝ってくれてたみたい。
 彼らは皆、時空の叫びが聞こえるらしいわ。そしてその中には、『リューリン・ハオルチア』って女性もいたの。……私、ご先祖に会っちゃった!
 『凍結した世界』ではディアルガが暴走すると同時に人間が大陸へと逃げ出した。そこで数を減らしながら隠れ生き延びて……その子孫が私たち。そして私たちが『救われる世界』にやってきて、人間はこのまま幻の大地を守り続けるから……この世界じゃ、もうそっちに人間が現れることはないでしょうね。

 そんな訳で、私はご先祖と一緒に時限の塔を修復しながら心の治療を進めています。リューリンさんの声や仕草がお母さんそっくりで懐かしくって……ちょっと安心するの。いつかあなたにも会ってみてほしいけど、もしかしたらあなたはお母さんを覚えてないかもね? お母さんが死んだとき、あなたはまだ言葉も喋れないぐらい幼かったし。
 かく言う私もお母さんのことをそんなに覚えてる訳じゃないけど……それでもご先祖に親みたいな安心感があるのは不思議なものよね。
 彼女のおかげでリライブってのもできそうです。ついでに時空の叫びの訓練もしてもらったし、私たちの頃には失われていた技術もいくらか教えてもらったの。それで、ちょっと冒険してみようかなって思うのよ。この鮮やかな世界をね。

 そうそう。時限の塔の修復で思い出したわ。どうもこの塔が壊れ始めたのは誰かの作為があったみたい。以前時空の叫びで見たのだけど、黒い影のようなポケモンが塔を破壊していて、それをご先祖たちが追い払って……そしたらそいつはもっと回りくどい方法でこの塔に干渉し始めたみたい。
 こいつのせいで星の停止が起こりかけたみたいなのだけど、そんなポケモンに心当たり、ある? もし出会ったらとっちめておいて頂戴ね。


 あなたは今どうしてるかしら。まだギルドで頑張ってる? それとも、もうギルドなんて飛び出して世界中を駆け回ってるのかしら。
 イヴちゃんとも仲良くするのよ……って言わなくても仲良しでしょうけど。めでたいことがあったら教えてよね? 未来式の方法で盛大に祝ってあげるから。

 それじゃあ、また近いうちに会いましょうね。そっちの近況はその時にたっぷり聞くことにするから、準備しておいてよね。

 愛してるわよ。あなたの我侭なお姉ちゃんより。


追伸

 ラプラスのクルークにこの手紙を持って行ってってお願いしたら、「ご自分で届けられてはどうです?」って言われちゃった。
 だから手紙を送るのはもうちょっとだけ待って、心の闇が完治してから直接持っていくことにするわ。あなたの驚く顔が楽しみね。

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