お憑き様

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作者:ジェード
読了時間目安:12分

この作品は小説ポケモン図鑑企画の投稿作品です。

 そこは自然が成す、目覚しい赫焉かくえんの地であった。
 
 滝つぼから滔々と湧き水が流れ出ていた。水は極めて透明度が高く、苔むした川辺りや川底の凝灰岩をよく映し出す。手首まで手を入れると、日差しを浴びて微かに暖かい。
 それは自然音だけの空間。
 人のため息すらもやがて落音に呑み込まれていく。日差しの当たる部分にはカリキリが草原を枕にするように寝ころんでおり、反対に暗い木の根元にはボクレー達が並び、夕日を待ち望む。
 ふと川底に目を向けると、小さなバスラオの群生がささやかに遊泳していた。
 凶暴極まりないという生態を既知していたが、しかし男の知る原種とはまるで違っていた。小さく身を寄せ健気にも、餌を分け合うようにせっつき合っている。随分と穏やかな気性であるらしい。
 
「わあこれが噂の! ふむう、本当に違う種族みたいですねえ」

 そのうち一匹の白すじを釣り上げた男が、怪しい六角形の黒縁メガネを興味深そうに上げた。
 白衣を着た見るからな研究職の男性。生物学の教師・ジニアは、未だぴちぴちと微かな抵抗をするバスラオを尾ひれから持つ。

「白いすじ……雌雄の区別はハッキリとはしない。そこは原種とは違うんですねえ」
 
 ここは自然ありのままが群生する、キタカミの里群生地区・とこしえの森。
 数ヶ月後には、グレープアカデミーがブルーベリー学園との林間学校を共同開催する土地でもある。そこで、生物学の担当であるジニアが、先んじて調査にやって来たのだ。それにしたって、キタカミの地には独自の自生も多い。研究者としては見逃せないだろう。

「そこの。キタカミのやっこは捕獲禁止じゃけ」

 しかし自由極まるジニアに対し、怪訝な声が投げかけられた。鷲鼻をした初老の男性で、服装から見るに地元の釣り人のようだった。切り株に腰掛ける様は妙に童話めいていて、ドワーフにも見える。
 ジニアはその地元の人間を見て、甲斐甲斐しいほどの丁寧さを見せた。くせっ毛を掻きながら、何度も会釈をする。
 
「あ、どおもどおもこんにちは! 大丈夫ですよぉ。すこーし観察させてもらったら、彼らは帰しますから」

 そう朗らかというか、女々しいというような。そんな口調の彼が、先ほどのバスラオを放してやった。
 水飛沫を上げ滑り逃げるようにして、白すじが姿を眩ます。手慣れた手つきであった。
 ジニアは片手で持っていた水質検査計を見て、それはもう、絵に描いたようににっこりと笑う。調査道具の端材は、川べりで待つ大きなポケモンに分け与えていた。彼のポケモンの空いた大口は、無限にも見える広がりで、マルノームという種族名にぴったりの姿をしている。
 その姿にようやく釣り人の方も思い至ったらしい。
 
「ああ、もしや。管理人が言っとったのは……お前さんか」
「そおですねぇ。あ、僕はジニアと言います。ブライア先生と管理人さんからは、立ち入り許可を頂いてる図鑑の研究者でしてえ」
「……そりゃ悪かった。だが全く、けったいな人間を寄越したの。わやじゃわ」

 相変わらず棘の抜けきってない対応。しかし生態系の宝庫であり、都心からは離れたキタカミの里にとって、このような余所者への排他的意識はよくあることだった。
 だからか、ジニアの方も特段気に留めてなさそうに続ける。ポケモンを撮影する用だろう。立派なカメラを次には構えていた。

「あのー僕ですねえ。こう見えても図鑑を監修してまして。なのでー、良かったら地元の詳しい方からもお話しききたいんですよねぇ」
「そいつは?」
「え? ああ、暗視カメラですねえ。ポケモン達の夜の生態も記録しておきたいですから!」

 すると老人は何か思うところがあったようだ。ジニアに軽い手招きをすると、先ほども見たバスラオの群れへと、視線を投げかける。

「したっけね。アンタみたいな都会っ子が、“赫月”に何かさる前に教えとくか」
「アカツキ……ですかあ?」

 老人の言った“赫月”という異様な単語に、思わずジニアも聞き返す。どうやらポケモンを指す二つの名ようなものらしい。

「昔、遠い地からここに流れ着いた奴だな。最近になって、アンタらのような人間が持つ高いその、カラクリに。何故か反応しちまうんだと。だから気を付けんと」
「ほほお、カメラに? それはシャッター音か、赤外線なのか……いずれにせよ相当賢い個体だ。いやあ、面白い話ですねえ!」
「赫月は特に凶暴であり用心深い。これから対峙しないのが身のためじゃろうて」

 すっかりジニアは老人の話に聞き惚れていた。向こうも、この興味深々な様子は機嫌を良くしたのだろう。
 それからは彼が詳しく“赫月”について語ってくれた。
 続きを聞くに、霧の特に深い夜に現れるこのとこしえの森の主のような者らしい。姿かたちは既存の種であるリングマに近いという。

「赫月のヤツは未だに“お憑き様”を警戒しとるのかね」
「おつきさま……ですかあ?」

 老人は赫月の他にもう一匹名前を出した。
 その『赫月』と『お憑き様』という二種族は、恐らく対立関係にあったのだろう。またパルデアでは馴染みのない伝承に巡り合えそうだと、ジニアは爛々と目を輝かせていた。

「なら、少しばかり老いぼれの話を聞いていくか。昔日の赫月と“お憑き様”の争いの話じゃ」
「ええ! ぜひお願いしまあす!」

 川べりの岩に腰掛けた老人は、次第に話し始めた。
 それは赫月と呼ばれた異才のガチグマが、この地にて天敵と激しく争い、その額が赤く血塗られるまでの話である。


 ◇◆

 
 はるか遠方の凍原の地にて、泥炭を身にまとったその種族はかつて生息していた。
 額には神聖なる月輪の文様を宿し、戦う様は雄々しい獣そのもの。人々は「ガチグマ」と彼らを呼称する。
 彼らはとかく頑丈であった。
 元いた地でもひと際固い泥岩を好み、月の満ち足りた時にのみその姿への契機を得る。それでいて地の利を存分に知り、自らの体を丹念に泥で補強する。
 さような生態と寸胴な体躯に似合わぬ器用さが、目に留まったのだろう。ガチグマは気高き獣として、人々から祀られるようになった。ヒトにとっても月とは神秘と呪術の象徴であったためか、神獣とする者もいたそうな。

 件の赫月もまた、ガチグマである。
 さりとて、赫月は通常とは違う姿であった。
 額の大きな赤い月は勿論、かつて知られたガチグマとは違い、両足で立つ姿もまた目を惹くだろう。そう、容貌だけならば昔の自身であるリングマに近しいのだ。彼奴の目は暗視にも似た特殊なものであったという。
 暗闇を見通し、赤い妖光を放つ隻眼。その“心眼”を手にするまでの大まかな経緯を、キタカミに古くから住む者は先住から聞き及んだという。

 その赫月は遥か海を渡り、この地にやって来た。
 だが同じようにして、このとこしえの森と海を行き来する者がいる。
 ソイツはバスラオだ。
 それも白いすじの大人しい方。彼らは実は、暖かい秋口にのみこのキタカミにやってきている。遡上の始まる季節が丁度この時期なのだ。ガチグマも大人しい方のバスラオも、元は同じ地に根差した種だと言われている。さらに言うなれば、彼らは捕食者と非捕食者の関係であった。ガチグマはこのとこしえの森に辿りつくまでに、たくさんのバスラオを喰らったことだろう。
 
 そうそう、ガチグマと争った“お憑き様”というのは、そのバスラオ達の成れの果てというべきか。今となってはもういない、真っ赤に濡れた群れの頭領であるイダイトウ。彼らを怖れた人間が勝手に呼んだものである。
 
 あの怨恨は骨の髄より深し、赫灼なる怒りを鱗に顕在させた。子どもたちを奪われ、復讐に宿した力は凄まじかった。まさに憑りつかれたかのようにな。その赤々とした立派なイダイトウは、水流と怨霊を取り込むようにして、何度もガチグマに襲い掛かる。『お墓参り』なんて、穏やかな面じゃなかったね。アレは彼岸から恨みを降り立たせて戦うような、そんな鬼神の如き振る舞いだった。
 
 ガチグマは“お憑き様”との戦いで負傷した。
 
 何せ地の利を持つ水棲であるばかりか、怨霊であるイダイトウ相手じゃ、ガチグマの武器である『切り裂く』や『伸し掛かる』なんててんで効果がない。
 深く裂傷し、臨海の淵に立ったガチグマはある時ふと思い立った。
 「相手の妖しき赤い光を見切らねば」とね。そうさ。このイダイトウとの闘いの中で、そのガチグマは異能の才に目覚めていったのさ。

 相手に有利な地利。死と隣り合わせの極限状態。見たこともない怨霊。
 生存への最短距離を脳が追い付けないほどのスピードで編み出した結果、ガチグマは敢えて『失う』ことを選んだんだな。ガチグマは代償として、左目を喪失した。頭部の傷はせめてもの称賛と、そのまま天敵に渡してやることにした。
 戦闘での視界の重要さは言うまでもない。だがそれを失った分、ガチグマは天災地変を起こすほどの異才を手に入れたのだ。
 それは魑魅魍魎の類すら見抜き、妖の髄すら突き貫く炯眼。歴戦の武闘家にすら劣らない眼を、人は“心眼”と呼んだ。
 額には赤い満月にも見える古傷。隻眼にて生きるそのガチグマは、今もなお、あの日見た恨みの紅い光に警戒をし続けるという。

 
 ◇◆


 こうしてひとしきりに古びた話を聞かせると、老人は座っていた切り株にまた深く座り直していた。日は気が付くと傾いていて、コノハナとタネボーが少ない日差しを求めて走り去っていく。

「いやあ~~~! それが“赫月”のお話ですかあ!」
「まあ、そうじゃろ。“お憑き様”もそれはそれは恐ろしい神さまだった」
「さっすが“ともっこ”や鬼様の伝承が残る地! さっそくキタカミらしいお話に出会えるなんて、ツイてますねぇ」

 老人は小さく座っていたが、満足そうに白い顎髭を触っていた。
 ジニアの方はもうすっかりとイダイトウとガチグマについてを考え、時折自己考察をぶつくさと唱えながらロトムに記録させていた。ジニアのスマホロトムが何度も忙しく飛び回る。
 
「にしてもお、臨場感たっぷりの話しぶりにもすっかり聞き惚れちゃいましたねえ。まるでその場で見ていたかのようでしたよ!」

 にこやかにジニアが振り返ると、笑顔の老人がいた。
 巨木が年代をかけて軋んだような、歪んだ曲線を口端が描いている。後ろでは不穏さが生温かい風でもって、今更ながらに歓迎するようだった。そこには人間らしい所作はない。あるのはただ、朧げな不穏と超常的な目線のみだ。

「まあ、神さまは意外と寂しがりかもな」

 瞬くともう、あの切り株には見慣れた小さな背中はなかった。
 代わりにあるのは、置き去りにされたような大きな柏の葉。顔ほどの大きな葉が、木枯らしに揺れて何度かはためいていた。
 驚いて彼が振り返ると、とこしえの森はもはや暗い。
 夜の森には霧が立ち込め、静けさに染み入るような誰かの笑い。葉が擦れるざわめきに隠れた、くすくすと笑うタネボーやコノハナたちの声だった。

「あ……せっかく面白い話を聞けたけど、エビデンスが怪しくなっちゃったなあ。これ没ですかねえ?」

 独りでに呟き、たった今遭遇した現象に困ったように頭を掻きつつも、ジニアは空を見上げた。
 すっかりと欠けのない綺麗な満月をしており、夜霧が深更の空気を醸しだす。こんな美しい晩だからこそ、彼は納得もしていた。

「こんなお月さまが綺麗な夜なら……案外、ヒトもポケモンも何かに取り憑かれちゃうのかもですねえ」

 そう結論づけると、彼は夜の森を一瞥した。
 月に魅入られた者、怨嗟に憑りつかれた者。
 彼らの激闘の真偽は、ひとまず公民館に持ち帰ってから再びじっくりと浸って図鑑に活かそうと。ジニアはそう決めたのだった。

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