スケッチ

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作者:円山翔
読了時間目安:11分

この作品は小説ポケモン図鑑企画の投稿作品です。

「時が止まる」
 私は静かにそう言った。
「それって大変なことなんじゃないの?」
「うん。大変だよ。でももう止められない。あと一時間で時が止まる。そして全てが永遠になる」
 過去と未来を映すその瞳が捉えた未来の事象は、固定されてしまう。それが時を見る者に課された運命なのだと、小さい頃から口すっぱく教わってきた。だからこそ、未来は覗かないように注意してきた。それがどうだ。見ようとしていないにも関わらず、映像は頭の中に流れ込んできた。これは運命の悪戯か、それとも神様の気まぐれか。そのことを知っているのは、おそらく彼と私だけだ。
 しかし、彼はまっすぐな目で私を見て言った。
「じゃあ、止めないとね」
「っ……」
 いつだってそうだ。もう無理だと思った時には、いつも彼が光を見せてくれた。しかし今は違う。私は見てしまった。だから、もう変えられない。
「止められないって言ってるでしょ!」
「それは誰が決めたの?」
「誰がって、そんな……知らないけど」
「じゃあ、本当は変えられるかもしれない」
「詭弁だわ。一度見た未来は変えられない。これは摂理なの」
「それなら、摂理を捻じ曲げればいい。ぼくらには、その力があるよ」
 何を根拠にそんな、と思った時、周りの空間が粘っこい液体になったような感覚に襲われた。どうやら、彼が振るった尻尾の筆から広がっているらしかった。世界は瞬く間に、その速度を落としていく。傍目には、止まっているのか動いているのかさえ分からないほどに、時間の流れが遅くなっていた。一定の範囲にいる者の速度を逆転させる空間を、彼は世界中に広げているのだ。この空間の中では速く動こうとすればするほど、その動きは緩慢としたものになる。その逆もまた然り。
「君なら、この空間を誰よりも早く飛んでいける。どんなダンジョンの奥深くまでだって、海の向こうへだって、地球の裏側までだって行けるはずさ」
 彼が「トリックルーム」を使って足止めし、私がわざと遅く動いて相手を翻弄する。素早い敵を相手に何度もこの戦法を取ってきたおかげで、トリックルームの中でも私はどこまでも加速できる。それをわかっていて、彼はこの方法を使っているのだ。
「だからって……!」
「ぼくは君みたいには飛べない。だから、君に託すよ。お願い、世界を諦めないで」
 無茶だ、という言葉が口を突いて出そうになった。しかし、彼の表情が、それをさせなかった。いっぱいの希望と、一抹の憂い。彼が何も言わなくとも、彼の身に何が起こっているのかが分かった。
 彼の指の先が、サラサラと砂になって飛んでいく、その最中のように見えた。摂理を捻じ曲げようとした代償だ。身の丈に合わない力が、彼の体を蝕んでいる。このままでは、時の流れが元に戻る頃に、彼は消えていなくなってしまう。
「世界を、救って」
 その言葉を聞き終えるや否や、私は勢いよく飛び出した。重たい空気の中をこれでもかと羽ばたいて。しかし決して早く進まないように、ゆっくりと、できうる限り遅く進むことで、周りの景色はぐんと後ろへ遠ざかっていく。願わくは、彼が消えてしまう前に願い星の元へ。



「ごめんね。ボクにはもう、願いを叶えるチカラはないんだ」
と、願い星は言った。
「ボクは今、何日だって起きていられる。正確には、ちゃんと睡眠をとらなければならないのだけれど、それでも千年眠って七日間だけ起きていられるなんて恐ろしい周期で眠ったりはしない。ボクが願いを叶えられないのは、その代償さ」
「代償……?」
「そう。起きていられる代わりに、願いを叶えるチカラを失ったんだ」
「そんな……」
 全身の力が抜けていくようだった。幻のポケモンでさえこうなのだ。こうしている間にも、彼の命は削れている。世界は、刻一刻と終わりへ近づいている。
「時間のことなら、ディアルガ様にでも聞けばいいんじゃない?」
 願い星は地図を指さし言った。険しいダンジョンの最奥部、いつもならば、彼と私で挑んでも到底踏破できそうもない場所だ。しかし、今ならいける。彼が描き出したこの空間ならば。



「いかんともし難いというのが現状だ。だが、手はある」
 ようやくたどり着いたその場所で、時を司る神は言った。
「元凶を断つのだ。星の停止を目論む、ダークライを」
「それで、本当に止まるの?」
「今はそうとしか言えない。私にできるのは、せいぜい数秒の時を戻すことだけ」
 ふと浮かんだ、神様にもできないことがあるのだという落胆の気持ちは、しかしすぐに消え去った。結局、私たちは都合の良い時にだけ神や幻やその手のものを頼ってしまう。頼ったところで、私たちが思う「神様ができること」と、実際に神様ができることは異なるかもしれないのに。願い星がそうであったように、神様だって全能ではないのだ。みんな、何かしらの制約を抱えて生きているのだ。
「気を付けて行けよ。奴は、強いぞ」
「ありがとう。……もう行かなきゃ!」
 私は粘り気が薄れつつある空気の中をゆっくりと飛び立った。目指すのは最果て。悪夢の化身の住処。



「この美しい世界を、今のままで残したい。時を止めるのはそのためだ」
「そんなの生きているとは言わないでしょう!」
「価値観の相違だな。止まった時の中で、君も私も永遠に生き続ける。ただ、先にも後にも進めないだけだ」
 私を軽く捻ったダークライは、淡々と告げる。対照的に、私は激しく喚きたてた。できることはそれだけだった。ディアルガの言った通りダークライは強く、私ひとりでは到底太刀打ちできなかった。
「何度でも言うわ。そんなもの、生きているなんて言わない。命は、限りがあるからこそ美しいんだ。終わりがあるからこそ輝くんだ。失うからこそいとおしいんだ。止まった世界の中で、同じ景色だけを見続けるというの? その景色を見たということさえ感知できず、何も起こらない世界を眺め続けるというの?」
「黙れ!」
 ダークライが初めて怒鳴った。その瞳に映るのは、絶望の色。綺麗なはずの空色が、今は濁って見えた。
「大切な者など私にもいたさ。しかし皆、散っていった。長き時を生きるはずの者さえも、私の側では数日と経たずに生を終える! 貴様らに分かるか! この苦悩が! この虚しさが! 私は私に生まれたばかりに覚えるこの感情が! それならばいっそ、止まってしまえばいい! 何もかも止まってしまえば、私の悪夢で死ぬこともない! 私が孤独である必要もない!」
「それが本音ね」
 ふう、と息を吐いた。それまで怒鳴っていたのが嘘のように、すとんと心が落ち着いた。ダークライも苦しんでいたのだ。自らを苦しみから解放するために、そして自らの悪夢で苦しむ者をなくすために、時を止めるという暴挙に出たのだ。
 私は顔を上げた。絶望に暮れるダークライを見据え、きっぱりと言った。
「ならば生きましょう。私と、私の友と一緒に。時間を止めるのは、それからでもおそくはないんじゃない?」

  

 元凶に運ばれ、彼の元へ急ぐ。ダークライに敗れて飛ぶ力の残っていない私には、こうする他なかった。
 もう時間はあまり残されてはいない。遅れていたはずの世界は、少しずつ元に戻りつつある。彼の力が弱まってきている証拠だ。
「もっと急いで!」
「無茶を言うな! これでもできる限りの速度は出している!」
「じゃあもっとゆっくりよ! 今はまだ、トリックルームの中だから!」
「それを早く言え!」
 ねじ曲がった空間に慣れてきたのか、景色が流れる速度がみるみる上がっていく。



 元居た場所に戻った時、彼はもうほとんど消えかかっていた。しかし、彼の技の源、尾の筆はまだ残っている。
「――というわけなんだけど。頼める?」
「わかった。やってみるよ」
 時間を止めようとした元凶の素性を知っても、彼は快く私の願いを聞き入れてくれた。おひとよしにも程がある。しかし、そのおひとよしこそが彼の良いところなのだから仕方がない。
「これでよし。もう時間は大丈夫なんだね」
「ああ。もう止まりはしない」
「よかった」
 ほっと溜息をついた彼の筆の先から、今度は光が溢れた。それは瞬く間に広がり、やがて世界は元通りに動き始めた。空を飛ぶ鳥たちも、花の蜜を吸う虫たちも、そして彼の体が崩れゆく速度も。
「大丈夫。ぼくが消えたとしても、ずっと君と共にある」
「なんでそう言えるの!」
「不安なら、また未来を見てみる?」
「……それはしない」
「それでいいんだよ。大丈夫。未来は描き換えられるんだから」
 その言葉を最後に、彼の体は塵となって消えた。





 私たちのチームの名前は、「スケッチ」という。それは単に、彼の得意技が「スケッチ」であったからというわけではない。彼が抱く理想ゆえだった。
「ぼくらの手で、世界を描き換えるんだ。みんなが笑って生きられる、そんな世界にさ」
 それはあまりにも純真無垢な理想論で、しかし彼が探検隊として生きる礎であった。私は彼を支えたいと思った。彼の隣で、彼が描く世界を見たいと思った。

 そして、彼は文字通り世界を、私の見た絶望の未来を描き換えたのだ。

 ――自らの存在と引き換えに。
 
 出会った頃から無茶をする奴だった。使いたい技を覚えるために、わざわざ危険な場所やポケモンに近づいていくような奴だ。そして「技を写させてくれ」と、悪びれもせずに言うような奴だ。逆上したポケモンに、何度酷い目に遭わされそうになったことか。
「世界を描き換えるんだから、これくらい覚えておかないと」
 そう言って、何度傷付こうとも欲しい技を求め続けた。今考えてみれば、それほどの執念を持った彼だったからこそ、世界を変えられたのかもしれない。





「新しい世界はどう?」
 新しい相棒に、私は尋ねた。私より一回り大きい相棒は、ぶっきらぼうに返す。
「……悪くはないな」
「いいならいいと素直に言ったら?」
「……」
 少し意地が悪すぎただろうか。相棒はそっぽを向いてしまった。
 消えてしまった彼が描き換えたおかげで、相棒はかつて抱いた苦しみから解き放たれた、はずだ。そんなそぶりは見せないが、私が相棒の側で眠っても、悪夢にうなされることはもうない。
「奴は」
「彼のことは言わないで」
「……すまん」
 いずれは終わりを迎えるからこそ価値あるものなのだと講釈を垂れたというのに、心に開いた穴は簡単には埋まりそうもない。しかし彼の意思はこの世界と共に生きている。そう思うと、少しだけ心が落ち着いた。

 そして今日もまた、変わらぬ朝陽が顔を出す。

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